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日蓮大聖人・池田大作

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リオ代表者会議 仏法は知恵、信心は行動

1993.2.10 スピーチ(1993.1〜)(池田大作全集第82巻)

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2  本日は、奇しくも戸田先生の生誕記念日(二月十一日)の″前夜祭″となった。生きておられれば九十三歳。昨日、わざわざ空港まで出迎えてくださった、ブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁(九十四歳)と、ほぼ同じ年代である。
 私は、このリオの地に、戸田先生と、ご一緒に来ていると思っている。
 時差の関係で、今、日本は二月十一日の朝を迎えている。ちょうど「無冠の友」、配達員の皆さまが、聖教新聞を配達してくださっている時刻である。
 恩師の真実を後世に残しゆく小説「人間革命」の連載も、この二月十一日付をもって完結した。私は、全十二巻の「あとがき」を、ここリオの地で綴るつもりである。
 本日は恩師をしのびながら、戸田先生、また牧口先生の指導を通し、そして御書を拝しつつ、記念のスピーチをさせていただきたい。
3  戸田第二代会長「″どうすれば勝てるか″がわかる信仰者」
 大聖人は、「天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか」──天が晴れれば、地は明るくなる。法華経を識る者は世法を明らかに知ることができるであろう──と仰せである。
 空に太陽が出て、明るくなれば、地上のすべてが明らかになるように、妙法を信仰する者は、社会の現象の本質を賢明に見抜き、社会の中で信仰の実証を示していくことができる、と教えられているのである。
 戸田先生は、この御文を拝して、指導された。
 「よく、御本尊を受持しているから、商売の方法などは、考えなくても、努力しなくとも、必ずご利益があるんだという安易な考えをする者がいるが、これは大いなる誤りであって、大きな謗法と断ずべきである。なぜかならば、『法華を識る者は世法を得可きか』とのおおせである。すなわち、御本尊を受持したものは、自分の生活をどう改善し、自分の商売をどう発展させたら良いかが、わかるべきだとのおおせである。
 それを、わかろうともせず、研究もせず、苦心もしない。されば、その人の生活上の世法を識らないがために、自分の商売が悪くなっていくのを、御本尊に功徳がないように考えたり、世間に考えさせたりするのは、謗法と断ずる以外には無い。
 『世法を得可きか』というおことばを、ご利益があるんだというような読み方は、断じて間違いであることを、知らなくてはならない。信仰を始めて、一、二年の者ならいさ知らず、三年も四年もしておって、自分の商売の欠点とか、改善とかに気のつかぬ者は、大いに反省すべきであろう。されば、自分の商売に対して、絶えざる研究と、努力とが必要である。
 吾人ごじん(私)の願いとしては、会員諸君は、一日も早く、自分の事業のなかに、『世法を識る』ことができて、安定した生活をしていただきたいということである。これは、吾人一人の願いではなくて、もったいなくも、大御本尊の御意であろうと信ずる。もし、諸君が世法を識ることができて、安らかな生活をなしえたならば、大聖人様におかれては、いかばかりお喜びであろうか。諸君よ、よろしく信心を強盛にして、一日も早く、大聖人の御意にかなわんことを」──と。
 この戸田先生の願いは、そのまま、私の願いである。
4  今、世界的に不況の風は厳しい。しかし、私たちはそれを嘆くだけであってはならない。「信心」によって、偉大な知恵と生命力を発揮して、見事に苦境を乗り切ってこそ、正しく仏法を実践する人、すなわち「世法を識る者」といえるのである。
 信心をしていればなんとかなる、という安易な考え方は、誤りである。信心しているからこそ、当面する課題をどう解決していこうかと、真剣に祈り、努力していく。その「真剣」「挑戦」の一念から、最高の知恵が生まれる。
 わが家庭・人生の勝利も、わが地域の広宣流布の勝利も、そのカギは、この「信心即知恵」の偉大な力を発揮できるかいなかにある。
5  「いてもらいたい人」になる努力を
 牧口先生は、よく、こう指導されていた。
 「世の中には三種類の人間がいる。いてもらいたい人、いてもいなくてもどちらでもいい人、いては困る人である。家庭でも職場でも、いてもらいたい人にならなければならない」と。
 家庭でも、職場でも、地域でも、皆から信頼され、尊敬され、好かれ、皆のために必要であり、欠かせない人になっていくことが、正法の信仰の証であり、広宣流布の前進なのである。
 大聖人は、四条金吾に対して、こう教えられている。
 「中務三郎左衛門尉は主の御ためにも仏法の御ためにも世間の心かりけり・よかりけりと鎌倉の人人の口にうたはれ給へ」──「中務三郎左衛門尉(四条金吾)は、主君のためにも、仏法のためにも、世間に対する心がけにおいても、立派であった、立派であった」と鎌倉の人々から口々に言われるようになりなさい──と。
 当時、四条金吾は、讒言されて主君からうとまれ、所領を取り上げられるなど、苦難の最中にあった。
 大聖人は、苦境にあっても嘆くことなく、自己を磨き、人間として成長することこそ、真実の人間の生き方であり、仏法者の道である、と教えられているのである。
 世間から、いわれのない批判や圧迫がなされたとしても、紛動されることなく、人間としての正しい生き方を貫いていく。
 その人は、最後には、必ず人々の称賛と尊敬を勝ち得ることができる。
 大聖人は、また、「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」──教主釈尊の出世の本懐は、人として振る舞う道を説くことであった──と仰せになっている。
 人間としての振る舞いの中に、仏法は脈動し、信仰の実証が現れるのである。さわやかな、人として立派な振る舞いこそ、正しい信仰の発露といえよう。
 皆さまは、よき信仰者であるとともに、よき国民であり、よき市民であり、よき社会人であり、よき隣人であっていただきたい。
 その振る舞いによって、人々から称賛され、尊敬され、信頼される存在になってほしい。その信頼の輪が広く、深く、輝かしく広がっていくところに「広宣流布」がある。
6  顕彰も皆さま方の人生の勝利の証
 皆さまの代表として、明日はブラジルの誇るリオ連邦大学から、名誉博士号を授与されることとなった。恩師の誕生日を荘厳することができ、感謝にたえない。
 また明後日は、ブラジル文学アカデミーで、東洋人として初めて在外会員に就任し、記念講演する予定である。
 すべて、皆さまの社会貢献への真剣なる祈りと、誠実なる行動の賜である。私は、これらの顕彰を、皆さまお一人お一人の人生の勝利の証として、また皆さま方が子々孫々にわたって、最高の英知を輝かせゆく一つの原点として、お受けしたいと思っている。
 先に訪問した隣国コロンビアにも、支部が誕生した。今、南米に新時代が到来した。いよいよ「常勝のリオ」の皆さまが、万年にわたる南米広布、そして世界広布の大いなる「模範」を示しゆかれることを、私は期待し、また確信している。
 皆さま方のますますのご健康、ご長寿、裕福、和楽を心からお祈りし、スピーチとさせていただく。

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