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日蓮大聖人・池田大作

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SGI代表者会議 皆が「正義の人」「福運の人」に

1993.2.3 スピーチ(1993.1〜)(池田大作全集第82巻)

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2  先日(一月三十日)ロサンゼルスのアメリカ創価大学で、ローザ・パークス女史とお会いした。(パークス女史はアメリカの″公民権運動の母″として、″人間国宝″的に広く尊敬されている)
 女史は語っておられた。「私の一番の喜びは、若者たちとともに働くこと、若者たちの手助けをすることです」と。
 私たちも、かけがえのない宝である「未来からの使者」を全力で、そして喜びをもって育ててまいりたい。
 とくに、担当者の方々には、ご苦労をおかけするが、その福徳は、因果の理法で、自分自身の未来を飾ることは間違いない。
 また子々孫々の栄光となって厳然と現れることを確信していただきたい。
3  家庭教育へのアドバイス
 家庭での子供の教育について、何点か、思いつくまま申し上げておきたい。多くのご家庭を見、経験を重ねてきた、一つの結論であり、何らかの参考になれば幸いである。
4  (1)信心は一生、今は勉学第一で
 まず、未来部の時代は「勉学第一」で進むべきである。信心の大切さは言うまでもないが、信心は一生である。
 勉学には、やるべき時期と年代がある。その時に努力しておかなければ、身につかない。後悔することになりかねない。
 「信心」は即「生活」である。未来部の場合は即「勉学」である。今は勉学に励むことが、信心の重要な実践なのである。信心しているから、勤行や会合が忙しく、学業がおろそかになった──これでは絶対に正道とはいえない。
 ときには勤行ができなくとも、ことさらに神経質になる必要はない。題目三唱でよい場合もある。
 むしろ「持続」が大切である。一生涯、御本尊と学会から離れない心が大事なのである。少しずつ向上していけばよいし、時には「きょうの勤行は、お母さんが、かわりにしておいてあげるから」等、安心を与えてあげるぐらいの大らかさが、あってよいと思う。
 窮屈な圧迫感を与えることは、かえって信心から遠ざけてしまうであろう。伸び伸びと、自然のうちに、一番よい方向に成長していけるよう、賢明なリードをお願いしたい。
5  (2)子どもと交流する日々の工夫を
 次に、どんなに忙しくとも、子供と接し、対話する工夫をお願いしたい。
 大切なのは、時間ではない。知恵である。家をあける場合は、「メモ」を置いてメッセージを伝えるとか、「電話」で連携をとるとか、何かの形で必ず子供とコミュニケーション(やりとり)できる配慮をすることである。
 子供がうちに帰った。だれもいない。どこに行ったかもわからない。メッセージもない。これでは子供は寂しい。心が安定できない。かわいそうである。寂しい思いをさせてはならない。
 短い時間であっても、会えば抱きしめてあげたり、スキンシップをして、交流をする。話を聞いてあげる時間をつくる努力をする──慈愛さえあれば、いくらでも知恵は出るはずである。
 信心は「知恵」として現れる。聡明になり、賢明に生きるための信仰である。信仰者が、自分の子供の心もつかめず、自分の家庭の建設もできないのでは、人々を救うといっても、観念論になってしまう。
 学会活動に戦った親の福運は、必ず子供を守っていく。それを確信したうえで、″忙しいのだから、仕方がない″とか″何とかなるだろう″と、放っておくのではなく、対話のための具体的な努力をすることである。そうでなければ、親として無責任となり、無慈悲となってしまう。
 形ではない。心である。心がつながっているかどうかである。いつも一緒にいても、遠く心が離れてしまっている家族もいる。短い時間でも、凝縮して、劇的に、心の通い合う家族もある。ふだんの努力で、心がつながっていれば、どこにどうしていようとも、お互いに安心していられる余裕のある家庭となる。
 どうか、わが家らしい工夫を重ねながら、″親子一体″の向上の軌道を進んでいただきたい。
6  (3)父母が争う姿を見せない
 子供は一人の大人であり、一個の人格である。大人以上に鋭く見ている場合が多い。その意味で、たとえば、子供に夫婦げんかを絶対に見せてはならない。どうしてもやりたい場合は隠れて、けんかすることである。
 父母が争うと子供は悲しい。学校に行っても、心は真っ暗である。そして長い間、ずっと忘れられない。
 ある心理学者によると、父母が争うのを見た場合、子供は自分の存在の根底が揺らぎ、まるで地面が割れてしまったような不安を覚える例が多いという。安定した心の大地の上に、大樹も生長する。安らぎのある家庭を与えてあげていただきたい。
7  (4)父母が同時に叱らない
 父が息子を厳しく叱ると、反発されるだけの場合がある。母親が叱った場合には、比較的、心に入るとされる。一番いけないのは、″一緒になって叱る″ことである。これでは、子供は逃げ場がない。
 また娘について、父は、どうしてもかわいいし、甘くなってしまう。その点、母と娘は、女性同士で何を言っても通じ合うところがある。ゆえに女の子に対しても、母親が言ったほうがよい場合が多いようだ。
 戸田先生は「父親が怒ると子供は離れていく。母親が怒っても、子供は母親からは離れないものだ」と言われていた。
 こうした知恵は、人間の法則、生命と心の法則に基づいたものである。
 文化の差や、各家庭による違いは当然として、何らかの示唆を得ていただければ幸いである。
8  (5)公平に。他の子と比較しない
 「公平」でなければならない。この子は頭がいいから大事にするとか、この子のほうがきれいだからいいとか、絶対に差別してはならない。
 親の心ない一言が、子供の心を深く傷つけ、劣等感を植え付ける場合も多い。いわんや、いつも兄弟姉妹と比較され、公平に扱われない場合には、愛情に飢えて、寂しくつらい思いをする。これではすこやかな成長ができなくなってしまう。
 子供にとっても、親にとっても、何の得もない。あまりにも愚かである。反対に、そういう子供ほど励ましが必要なのである。
 あたたかく見守り、その子を励ましてあげる。良い点を見つけてほめ、自信を与えてあげる。何があろうと、他の人がどう言おうと、自分だけは、その子の絶対の味方となって支え、愛情を注ぎ、可能性を信じきっていく。子供の個性を尊重してあげる。それが親である。
 人を能力や外見だけで決め付け、選別していくような非情な競争原理の社会であり、学校であるかもしれない。
 そうであればあるほど、家庭だけは、公平・平等に、″かけがえのない一人″として大切にし合う場であってほしい。
9  (6)親の信念の生き方を伝えよう
 要は、子供たちを立派に成長させるために、ガッチリと″心のギア″をかみ合わせながら、ともに成長し、一体で前進していくことである。
 私たちは、法のため、人のために奉仕している。エゴの人生ではない。ゆえに人よりも忙しいし、団らんの機会も気ままには取れないかもしれない。それでも人に尽くして生きている。いちばん尊い人生なのである。
 その信念、生き方、情熱を、子供たちが理解し尊敬できるようにしてあげなければならない。愛情も、信念も、″黙っていても、いつかわかってくれるだろう″と考えるのは誤りである。
 意識して″表現″しなければならない。あせらず、そして賢明に伝えていくことである。その「知恵」が「信心」の表れなのである。
10  男女は、まったく平等である。そのうえで、男女の現実における傾向性を踏まえて申し上げれば、男子は勇気ある「正義の人」に、そして、人々を厳然と守っていける「力ある人」になっていただきたい。
 女子は、何より、幸福な「福運のある人」になってほしい。そのためには「心清き人」でなければならない。「心清ければ天女、心汚るれば魔女」というように、心ひとつで対照的な人生となる。
 アメリカでも家庭の崩壊が、大きな社会的課題になっているとうかがっている。日本でも、同じ傾向が強まっている。そのことを念頭に置いて、未来部結成を機に、何点か、気づいた点を語らせていただいた。
 「一家和楽の信心」は、SGI(創価学会インターナショナル)の永遠の指針である。朗らかな、素晴らしい家庭から、二十一世紀の素晴らしいリーダーが輩出され、彼らが満天の星のごとく、太陽のごとく、アメリカと全世界を照らしゆく日を夢み、まぶたに描きつつ、お祝いのスピーチとしたい。

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