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日蓮大聖人・池田大作

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アメリカSGI文化・学術最高会議 人間の価値は「行動」で決まる

1993.1.28 スピーチ(1993.1〜)(池田大作全集第82巻)

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2  アメリカが「新しき国」として出発したころ、世界は知りたがった。
 「アメリカとは、どんな国か?」
 ある時、建国の父・フランクリンは答える。
 「アメリカでは他人のことを、『あの人はどういう身分か?』とは聞かないで、『あの人は何ができるか?』と聞くのである。その人に有用な技能があれば歓迎されるし、それをやってうまくできれば、彼を知る皆から尊敬される」
 身分──地位や役職、僧か俗かなどの「立場」よりも、大切なのは「行動」である。事実のうえで、何をしたのか、何ができるのか、何をなしつつあるのか。それだけが、問題なのである。人間の価値は、行動で決まる。
 フランクリンは言う。「ただ家柄がよいというだけの人が、それだけの理由で、何か官職や俸給を得て、社会に寄食しようとすれば、軽蔑され無視されるであろう」
 生まれや立場だけによって高い地位やぜいたくな生活を得ている人間は、″社会の寄生虫″である。これが「民衆の共和国」アメリカの心意気であった。
3  仏法の世界においても、実質的に広宣流布を進めた人が偉大なのである。何の苦労もしないで名利を貪る人間は″仏法の中の寄生虫″である。日顕宗はその最も悪質なものである。
 フランクリンはユーモアを込めて述べている。
 「ヨーロッパでは名門は価値があるが、この商品(名門)を運ぶに、アメリカほど不利な市場はどこにもない」と。
 その人の「地位」ではなく、その人の「行動」をこそ問う国。アメリカこそ、人間主義による「創価ルネサンス」の模範となるべき国といえよう。
4  アメリカが再生すれば世界は再生する
 有名なフランスのラファイエット伯爵は、「アメリカ革命」(独立革命)に賛同し、革命軍に志願して、はるばる海を渡った。
 彼は、手紙を祖国の妻へ書いた。
 「アメリカの幸福は全人類の幸福と結びついています。アメリカは、美徳、誠実、寛容、平等そして平和な自由にとっての避難所になるでしょう」
 これらの「徳」が危機におちいった時、アメリカこそ、その「徳」が生き続けるための避難所になるのだ、と。
 現在においても、アメリカが「再生」することは、世界の「再生」に結びついている。
 そしてアメリカの再生とは、″新しき人間″たる「アメリカ人」の再生が、基本とならねばならない。SGIの「人間革命運動」こそ、アメリカと世界の再生への、最も根本的な貢献なのである。
 そして広宣流布においても、「アメリカの再生」は「世界広布の新生」に直結している。
 世界広宣流布の壮大な未来は、アメリカの皆さまの双肩にかかっているのである。
5  ″開かれた心″に感動したアメリカ彦蔵
 昨日の全米総会には関西の交流団が参加させていただいた。きょうの最高会議にも、関西の代表、また関西出身の方が出席されている。そこで、日米を結んだ先駆の関西人にふれておきたい。
 日本がまだ″閉じた国″であった江戸時代末期、日米の懸け橋として活躍した″開かれた心″の人間がいた。播磨(兵庫県)の出身であった浜田彦蔵(一八三七年〜九七年)、通称「アメリカ彦蔵」である。彼は十三歳の時、江戸からの帰路に海難に遭って漂流してしまった。死ぬかという苦しみのなか、アメリカの船に助けられて渡米。サンフランシスコで教育を受け、のちに正式に市民権を得てアメリカ市民となった。アメリカ名はジョセフ・ヒコである。
 日本に九年ぶりに帰国した時は、アメリカの領事の通訳としてであった。祖国は「攘夷じょうい(外国人排斥」の嵐が吹き荒れていた。
 現在の世界も、ネオ・ナチ(ネオ・ナチズム。ネオは「新」の意。ナチズムを想起させる思想を掲げる極右勢力)をはじめとして一部に広がる排他的な風潮が憂慮されている。
 アメリカでは漂流民の自分を温かく迎えてくれ、教育と、正式な市民権まで与えてくれた。″開かれた心″のアメリカであった。しかし、日本は″閉じて″いた。
6  制度の上での鎖国にとどまらず、その精神において、両国の開放度は、あまりにも違っていた。
 彦蔵は、アメリカで三人の大統領とも会っている。ピアース大統領(第十四代)、ブキャナン大統領(第十五代)、リンカーン大統領(第十六代)である。その会見の模様は、彼の『自伝』にくわしい。彦蔵は「大統領」のオープンさに驚いた。三人とも実にあたたかく親切だった。
 はじめピアース大統領に会ったとき、「国で一番偉い人」と聞いて、緊張していた。しかし大統領が、何の飾りけもなく、対等に話してくれたことに、彼はびっくりした。
 「いったい、どういうことなんだ。私の国(日本)では、どんなに小さな地方の役人でも、お供がいないことはないし、ものものしい儀礼を尽くさずには近寄ることもできない。ましてや大名や皇帝ときた日には──」
 それなのに「アメリカ合衆国のような偉大な国の主人(大統領)が、壮麗さも威厳もなく、いや警備の者も従者もいないので、あんなに簡素な生活をしているはずがないではないか」「いっしょに腰をかけ、まるで対等の人のように話し合うなんて」──あの人は、本当に「国の元首」なのか?と。
 当時の日本人として無理からぬ疑問であった。民主主義の社会となった今でも、実力がない人ほど、形式や威厳にこだわる。僧侶の世界の、仰々しい儀礼など、すべて後世につくられたものである。
 彦蔵は、若々しいアメリカの実質主義に触れて、″この国には無用な形式など何もない″と驚き、感動した。(リンカーン大統領にも歓迎された彼は、リンカーン暗殺のニュースに哀悼の手紙を送っている)
 このような″開かれた心(オープン・マインド)″を学んだ彦蔵は、鎖国の日本の開国と近代化に尽力し、日本初の定期新聞「海外新聞」を発刊したりしている。
7  「信心」は最も″開かれた心″
 ″形式抜き″のアメリカ流は、「関西の心」とも響き合う。また仏法の本来の精神、SGIの価値創造のいき方と通じ合っている。
 日蓮大聖人は、「御義口伝」で、成仏について「成は開く義なり」と仰せである。わが生命を最大限に開き、仏と「開く」のが「成仏」であり、仏法の目的である。
 また、開仏知見かいぶっちけん(一切衆生がもつ仏の智慧を開くこと)の「開」について「開とは信心の異名なり」と。わが生命、わが仏界を「開く」には「信心」以外にない。
 「信心」は、最も″開かれた心″なのである。その開かれた生命の宝蔵から無量の福聚ふくじゅ(福徳の集まり)が涌きいでる。
8  「知性」の究極は「信仰」となり、正しき「信仰」の実践は必ず「知性」の輝きをもたらす。正しき信仰なき知性は、生命の大地から離れ、いつしか病んでいく。
 牧口先生は、近代の知識人の多くは「高等精神病」であると言われていた。また、知性なき信仰は、盲信となるとも──。どちらを欠いても不健康である。
 皆さまは、両方を兼ね備え、行動のうえでも、仏法を基調にした平和・文化・教育の推進を重ねておられる。その生き方が、人間における最高の中道であり王道なのである。
 年ごとにより素晴らしい人生と輝いていかれんことを念願し、記念のスピーチとしたい。

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