Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第六十一回本部幹部会、第九回中部総会 無限に希望輝く「この道」を

1992.12.19 スピーチ(1992.6〜)(池田大作全集第81巻)

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2  ある識者が言われていた。「奇跡ともいうべき、この栄光と勝利。学会の黄金の歴史の因は、どこにあったのか」──。その方は、聖教新聞なども分析されたうえで、こう語っておられた。
 「第一に、日蓮大聖人に直結している」
 「第二に、真の『不惜身命』の信心がある」
 「第三に、『異体同心』という、最高、最大に麗しい絆がある。同志として、家族としての、仲の良い団結がある」
 「第四に、妙法のため、その『足元』である学会を愛し、守っている。学会という、広宣流布の大切な『基礎』『土台』を、大事にしている」
 「第五に、悩める友のために真剣に働いている。社会の最前線へ、最前線へと、勇敢に献身の戦いを進めている」ゆえに、大衆に強く結び付いていると。
 「第六に、名誉や地位、財産などを超克した、『人間主義』『人間根本』の精神がある。その精神で、仏法を基調とした、真実の友好の輪を広げている」。
 ──学会員は、本当に人柄がよい、誠実である、策やいいかげんさとは無縁である、本当の真心があり信頼できる、との評価である。
 「第七に、『祈りの力』を知っている。『唱題の力』を知っている。すなわち、人間と生命と社会に勝ちゆく秘術を知っている」
 「第八に、つねに『希望』がある。『未来』がある。『前進』がある。『進まざるを退転』という法則を知り抜いている」
 「第九に、『汝自身』を知っている。自分のため、家庭・社会のために、自分が何をすべきか、どう生きるべきか、どうあるべきかという、根本課題を知っている。すなわち『人生の目的』を知っている」
 「第十に、三世永遠に生きゆく人生を生きている。素晴らしき、壮大なる自分自身に生きている」
 今世だけではない。永遠を見つめて生きている。ゆえに無限の「生き抜く力」を引き出すことができると。
 そして「何も恐れない。何も崩れないし、何ものにも負けない。(学会員は)そうした究極の『幸福の宮殿』『無限の財宝』を、もっているからである」と結論しておられた。
3  「大衆の大思想運動」「戦後の発展に寄与」
 また、ある著名な識者の方は、こう語っておられたという。
 「宗門問題については、宗教的にも、社会的にも、すでに勝負はついている。『平成の宗教改革』とは、日蓮正宗に代表される伝統仏教の宿命そのものを乗り越える革命である、と私は理解している」
 「戦後の日本社会において、学会が果たしてきた役割はきわめて大きい。もし学会が存在しなかったとすれば、戦後の日本は、今とは異なった社会になっていたはずだ。
 具体的には、悩める民衆を救い、学会という一つの共同体に糾合したことにより、日本社会の秩序の安定と道徳規範の形成に寄与した。
 あえて言えば、戦後日本は、創価学会とともに発展してきたといえる。なぜ多くの宗教のなかで、学会だけが発展の道をたどれたのか。これは学者の最大の関心事である」
 「学会の存在は、今や、単なる宗教団体の枠を超えた、一大大衆思想運動・共同体となった」
 「牧口・戸田会長が、あえて『創価教育学会』の名称で設立し、また(戸田会長が)日蓮正宗とは別法人にしたことには、深い意味があったと思う」
 そして、「名実ともに日本最大の団体」である学会が、「戦後日本社会に果たした役割」、社会への貢献について、堂々と主張していくべきではないか、と述べておられたという。
 見る方は、見てくださっている。私どもへの、期待の言葉として、ご紹介させていただく。
4  九州の各会場には、壮年部の人材グループ「壮将会」の皆さまが集っておられる。これでまた一つ、九州は強くなった。明年の大勝利をリードする活躍をお願いしたい。
 また、草津の「群馬多宝研修道場」の開設準備が着々と進んでいるとの報告があった。大変に素晴らしいところであり、多宝会の皆さまを中心に、有意義に活用していただきたいと願っている。
 本年の掉尾を飾る第六十一回本部幹部会、ここ中部では第九回の総会、おめでとうございます。
 中部の友は、一昨日も、昨日も大勢この墓園に見えられ、きょうも各会館に集われている。喜びあふれるそのお姿に、長い冬を越え「中部に春が来た!」と、本当に私はうれしい。
 また、東北では第四回総会、心から祝福申し上げたい。
 沖縄研修道場には、台湾から代表の方々が数多く参加されている。大変にご苦労さまです。
5  昭和三十年(一九五五年)十二月、戸田先生は、一年を締めくくる本部幹部会の席上、「大勝利の一年、万歳!」との思いを込めて、こうあいさつされた。
 「いよいよ年の瀬も迫って、今年一年を回顧してみますれば、遺憾なく(十分に)戦ったと、私は思います」
 この会場にも、当時、まだ生まれていなかった人は多いようだが、昭和三十年といえば、小樽法論に大勝利し、大阪の華寺問題で悪侶と戦った年である。
 (小樽法論は、昭和三十年三月十一日、北海道の小樽市公会堂で行われ、学会が日蓮宗身延派を完膚なきまでに論破した。また蓮華寺問題は、学会を敵視する大阪・蓮華寺の住職が、それまで下付した御本尊を返納せよと言い出した事件。小説『人間革命』第八巻「多事」の章に紹介)
 学会の正義を内外に宣言して、悪しき宗教の権威を打ち破る──この戦いが本格的に始まった年といえよう。そして本年こそ、そうした権威・権力との戦いに、輝く大勝利の歴史を刻んだ年である。
 また、重ねて中部の皆さまの「奇跡の大勝利」を、私は最大にたたえたい。
6  先のあいさつに続けて、戸田先生は語られた。
 「もったいない例をひいては申しわけありませんが、日蓮大聖人様から南無妙法蓮華経をとってしまったら、大聖人様御出現の意義はなくなる。創価学会、戸田城聖から広宣流布をとってしまったら、私は一個のカンナくずみたいな人間であります。しかるにこんどは、私の生命であり、使命である広宣流布を、皆さまのお力で思うようにやらせていただいて、あつくお礼申しあげます」
 戸田先生みずからが、このように、会員の方々に感謝されている。私もまったく同じ気持ちである。
7  幹部でも、会員に心から「ありがとう」「ありがとうございます」と言えなければならない。感謝の心を忘れた人は、権威主義となる。
 幹部だから偉いのではない。「皆のおかげ」「会員のおかげ」である。「自分がいるから」という考えだけでは傲慢である。
 学会のおかげで、会員のおかげで「幸福になりました」「社会のために思う存分、戦うことができました」──この根本の心を忘れたならば、人間の道とはいえない。畜生すら恩を知ると大聖人は仰せである。
 また、忘恩の畜生以下の人間に、紛動されたり、だまされたり──それでは、あまりにも愚かである。悪とは徹底して戦わねばならない。
 私は毎日、全学会員の方々に感謝し、「健康」「長寿」「無事故」を真剣に祈っている。
 くる日もくる日も、一生懸命に広布に走る学会員の皆さまは、御書に照らして、諸天善神の働きである。地涌の菩薩であり、御本仏のお使いであられる。この世で最も尊い方々なのである。
 この誇りに燃えて、明年も、それぞれの立場で「使命の人生」を戦いましょう!
8  昭和三十二年(一九五七年)の年頭、戸田先生は、言われた。
 「人生には、希望がなくてはならない。いや、あらゆる人が希望のなかに生きているのではなかろうか。もし希望のない人生に生きている人がいるとすれば、それは敗残者である」
 「ホープ」──人生の「希望」は無限である。
 私は、いつもいつも御本尊に祈り、念じてきた。何があろうとも、我が創価学会員に「無限の希望」を与えたまえ、と。
 その通り、学会には、年ごとに、いよいよ壮大なる希望の道が広がっている。
 「信心」は「無限の希望」である。そして、「創価」とは「無限の希望」である。
 向上の人生、努力の人生、信念の人生には、希望がわく。堕落と保身と利用の人生は、一時はよいようでも、結局、希望なき下降線の人生となり、苦悩の方向へ向かう。その究極が日顕宗である。
9  戸田先生はさらに述べておられる。
 「われらが御本仏日蓮大聖人は、御年十六歳にして人類救済の大願に目覚められ、かつまた宇宙の哲理をお悟りあそばされて以来、三十二の御年まで、その信念の確証を研鑚あそばされて後、御年六十一歳の御涅槃の日まで、若きときの希望、若きときの夢の一つも離すことなく、生活に打ちたてられたことは、じつにすさまじい大殿堂を見るがごときものではないか。
 新年の初頭にあたって、吾人ごじん(私)が同志にのぞむものは、老いたるにもせよ、若きにもせよ、生活に確信ある希望をもち、その希望のなかに生きぬいてもらわなければならないことである。いうまでもなく、その希望に生きぬく生命力は、御本仏日蓮大聖人の御生命である人法一箇の御本尊にあることを銘記すべきであろう。
 おのれも大地に足を踏みしめ、はなやかな希望に生きるとともに、世の人たちをも同じく大地に足を踏みしめさせて、人生に晴れやかな希望をもたせようではないか」と。
 この指導の通り、私どもは進んでいきましょう! 永遠に希望に燃え、人々に希望をもたせながら!
 ──希望といっても、″きょうはあの女子部の人は来てるかな、会いたいな″、これも希望といえば希望だが、青年らしく、学会員らしく、社会へ世界へ、「大いなる希望」を広げていただきたい。人を救い、現実の生活に見事に勝ち、世界一の親孝行をし、一切に、さすがだと仰がれる勝利の殿堂を築き上げていただきたい。
10  信念に生きるかぎり人は若い
 何があっても、永遠に「希望を生み」「夢を実現」しながら生き抜いていく。それが仏法者の人生である。
 有名な哲学者・三木清も、「希望に生きる者はつねに若い」──と。全く、その通りである。
 また、アメリカの詩人、サムエル・ウルマンについては前にも紹介したが、彼の詩をふまえているとされる、次のような言葉がある。
   人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる。
   人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる。
   希望ある限り若く  失望と共に老い朽ちる」
 素晴らしい、有名な言葉である。(米国のマッカーサー将軍の座右の銘でもあった)
 人を「若く」するもの。それは「信念」である。
 確固として「信ずる」「念ずる」──その一念が生命の力を強める。
 「正しきもの」を信じ、「正しき方向」へと念ずるゆえに、正しき、幸福への信念となる。「正法」を実践する私どもこそ、最高の「信念の人」なのである。ゆえに若い。ゆえに、はつらつとしている。
 反対に、人を「老い」に追いやるもの──それは「疑惑」である。
 日顕宗は、広宣流布の「信念の人」「信念の団体」をも信じず、何より大聖人の仰せをも信じない疑惑集団になって転落してしまった。
11  「人は自信と共に若く」──と。
 どんな課題、どんな試練であれ、「さあ、来い!」という「自信」である。「我が地域は、必ず大勝利してみせる」という気概である。そこから「前へ」「前へ」と進む不屈の力がわき出ずる。
 実力が伴わない自信もあるが、要は、何でも率先してやろうという一念が大きく人生の道を開いていく。
 また、人は「恐怖と共に老ゆる」。
 どんな悪口を言われ、悪意の中傷をされようが、恐れてはならない。信念ゆえに「悪口される」ほうが悪いのか、エゴゆえに「低級な悪口をする」人間が悪いのか。あまりにも明らかである。そんなものを恐れることほど、つまらないことはない。
 ともあれ、「信念」に燃え、「自信」と「希望」がある限り、人は若々しく、生き生きとしている。その人こそ、真に生きた人、勝利を得た人、生命の勲章を得た人である。
 ここに、人生の究極もある。信心の究極もある。仏法の究極もある。
 私どもの正しき信仰は、希望と確信の人生を生きる「根源の力」である。この「力」を知るゆえに、我が創価学会は、何ものも恐れない。「永遠の希望」に生きることができる。
12  「大聖人と同意」ゆえに学会は興隆
 末法の御本仏・日蓮大聖人は、全人類を救おう、正法を全世界に流布しようと、ただ御一人、立ち上がられた。「人類救済」──それが、大聖人の「生涯の希望」であられた。
 これほど壮大な夢はない。尊い夢はない。
 我が創価学会もまた、大聖人御遺命の「世界広宣流布」という「希望」のために戦っている。そして、その夢を着々と″現実″にしてきた。これ以上の喜びはない。
 大聖人は「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」と仰せである。
 私どもは、大聖人と「同意」で、世界広布という「同じ志」に向かって進む「地涌の菩薩の教団」である。大聖人と「同意」、大聖人に「直結」の「正統の教団」である。ゆえに、絶対に行き詰まりはない。無限の希望に生き、無限に大発展していけるのである。
13  戸田先生は、絶対に人生に悔いを残してはならない、と教えてくださった。
 「『一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ』のご聖訓を日夜じゅして、きょうよりも明日、今月よりも来月、ことしよりも来年と、いよいよ信心強盛に励むことが、一年の計の基本であり、一生の計の根本となるのだ。
 まず、肚を決めよ! 決まったら、勇ましく進め!」と。
 大聖人は「人類救済」の壮大なる希望をもって立ち上がられた。ゆえに″直結の門下″である私どもの本舞台も全世界である。
 私も、これから、いよいよ世界広宣流布へ、私の総仕上げを行っていく。
 小さな、焼きもち焼きの島国・日本だけにとらわれる必要はない。堂々と、また悠々と、全人類の中へ、大いなる希望を広げてまいりたい。
14  日本とロシアを結んだ三重出身の光太夫
 昨日、モスクワ大学のホフロフ教授ご一家が、訪ねてきてくださった。故ホフロフ総長のご長男である。
 語らいの模様は聖教新聞でも紹介される予定であるが(十二月二十日付の聖教新聞に掲載)、お父さん譲りの大秀才であられた。研究のため、しばらく名古屋に滞在しておられる。
 かつて総長の墓参のあと、ご自宅で、夫人とともに二人のご子息にお会いした(一九八一年五月)。その時は、お二人とも学生だったが、今や、ともに物理学者で博士号をとっておられる。
 初めて会ったとき、「私がお父さんがわりになります」と申し上げたが、本当に立派になられて、私はうれしい。総長も、さぞかし喜んでおられると思う。
 教授は、SGI(創価学会インタナショナル)についても、深い理解を寄せられていた。
15  ロシアのホフロフ教授の三重ご訪問──。じつは二百年前、ロシアと日本の友情の道を開いたのも、ここ三重の出身の庶民であった。
 鎖国の時代、ロシアに漂流して、ロシアの文化を初めて日本に伝えた人物は、伊勢(三重県)生まれの大黒屋光太夫(一七五一〜一八二八年)であった。
 商船の船頭として江戸へ向かう途中、嵐に遭い、ロシアまで漂流。約十年、ロシアで過ごした。秀でた人格、識見の人であったと伝えられている。一七九二年、ちょうど二百年前に、日本に帰国した。光太夫のことは、小説や映画にもなり、ご存じの方も多いと思う。
 ロシアで、光太夫たちを温かく迎え、友情を結んで、日本に帰れるよう献身的に尽力してくれたのが、ラクスマン父子であった。
 父は博物学者。息子は日本への修好使節として、光太夫とともに来日した。また、母親も漂流者を親切にもてなしてくれた。この父子、ご一家の真心は二百年後の今も、日本とロシアの歴史の上に、気高く薫っている。
 三重の皆さん、中部の皆さんも、ロシアへ行っていただきたい。代表が訪問してはどうかと提案させていただく。
 すでに発表された通り、明年三月、アメリカのサンフランシスコで、我が中部の総会が行われることになった。楽しく開催していただきたい。
 アメリカの天地で、中部の「この道の歌」を、皆で歌いましょう!
16  アメリカの公民権運動を先覚者パークス女史
 ところで、そのアメリカで「合衆国の宝」と仰がれ、「人権運動の母」として尊敬されている女性がいる。
 それはパークス女史──。先日(十二月五日)、女史が、わざわざ創価大学の講演会(第三回「人権セミナー」)に出席してくださった。その模様は、現地の新聞でも大きく取り上げられた。
 語学研修中の創価女子短大生とも親しく懇談していただき、また私にも、自伝(『ローザ・パークス──マイ・ストーリー』)を届けてくださった。
 本の扉には「池田大作博士へ あなたの人権のための闘いに、温かな尊敬と感謝の念を込めて」との献辞が記されていた。私たちの「人権闘争」は、世界の良心と、深く広く連帯し、共鳴し合っているのである。
 中部青年部の「人権ルネサンス展」も、″魂の虐殺者との戦い″をテーマに開催され、内外に大きな反響を呼んだ。現在、墓園の世界風俗館で展示されている。青年部の皆さん、本当にご苦労さま!
17  パークス女史は、アメリカの歴史的な公民権運動(市民の平等を勝ち取る戦い)の火ぶたを切った先駆者である。
 一九五五年(昭和三十年)の十二月、彼女はデパート勤務の仕事を終えて、バスに乗り込んだ。重い食料品を抱えた彼女は空いている座席に腰をおろした。
 ところが運転手は、後から乗った白人の乗客が立っているのを見ると、パークス女史たちに向かって、白人に席を譲るよう命じた。
 当時は、このような差別が公然と行われていたのである。
 他の三人の黒人は席を立ったが、彼女は動かなかった。穏やかに、そしてきっぱりと、「ノー」と言い切った。しかし、このために彼女は逮捕されたのである。
 当時の心境を、女史は、創大ロス分校で、次のように語られた。
 「バスで席を譲らなかったのは、人間がこのように差別されることは許せないと思ったからです。
 逮捕されたとき、これからはさまざまな困難に直面すると思いました。しかし、どんなことでも行おうと覚悟しました。絶対に妥協しないと決意したのです」
 「今こそ、一人の人間として、私はこのような仕打ちを、これ以上、許すことはできない。
 そして、私たちの社会も、これ以上、我慢はしないということを、彼ら(差別する人間たち)に思い知らせる時だと思ったのです」
 女史の言葉は、真っすぐに私たちの心の共鳴板を打ち鳴らす。人権闘争の魂を揺さぶる。
18  ″差別するバスには、乗らない! 皆で歩こう!″
 彼女の勇気ある行動をきっかけとして、有名な「バス・ボイコット運動」(乗車拒否)が始まる。
 (これは若きマーチン・ルーサー・キング氏がリーダーシップをとった″非暴力″の運動。それまでバスを利用していた二万人もの黒人たちが、皆、歩くようになった。創大ロス分校での女史の講演は、この運動の記念日である十二月五日に行われた)
 この運動については、以前にもスピーチした(一九九一年十一月十七日、創立記念勤行会・第四回東京総会。本全集79巻に収録)
 彼女は、さまざまな脅迫や嫌がらせを受けた。職場も解雇された。
 しかし、毅然として、裁判も戦い抜く。
 「私は負けない! 人間の尊厳を、どこまでも守る」。彼女の心は炎と燃えた。
 そして一年後の十二月二十日、ついに全面勝利の日を迎える。連邦最高裁判所によって″バスの差別は憲法違反″という判決が出され、その通達が市に届いた。
 この勝利は、「人権の時代」の新しい幕を開いた。平凡な一婦人の戦いが、歴史を変えたのである。
 歴史を変えた、学会の大勝利の原動力も、我が婦人部の皆さまである。
19  パークス女史は、今年七十九歳。今なお、はつらつとされ、アメリカ創価大学でも、こう語っておられた。
 「私は正義のために戦い続けます。力のある限り、自由と平等のために努力を続けます。私の仕事は、まだ終わっていません」
 命ある限り、正義の道を進む──私たちもまた、偉大なる「この道」、広宣流布、人間主義の「この道」を、勇気と希望と自信をもって、さらに進みましょう!来年も、ともどもに!
 全国の同志の皆さま、本当にご苦労さまです。また、中部での晴天の素晴らしい五日間、ありがとう! よいお年をお迎えください!

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