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日蓮大聖人・池田大作

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第十五回SGI総会、第四回埼玉総会 「全民衆を幸福に」が創立の魂

1992.11.14 スピーチ(1992.6〜)(池田大作全集第81巻)

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1  恩師の誓願「一人のこらず幸福にしてみせる」
 天も輝く晴天、温暖の「創立の集い」──全国、全世界の同志の皆さま、本当に、おめでとうございます。
 皆さま方の広布のご努力に、改めて心から感謝申し上げたい。
 SGI(創価学会インタナショナル)の方々も、遠いところ、まことにご苦労さまです。
 さらに、世界一、日本一、関東一の信心の実力を誇る埼玉の総会、おめでとう!
 また、大聖人直結の真の正宗のご僧侶方、牧口家、戸田家、ご親族の方々も、本当にありがとうございました。
2  昭和三十年(一九五五年)十二月──逝去の二年あまり前、戸田先生は、本部幹部会で、こう指導された。
 「功徳をうけきった生活をさせてみたい。全世界にむかって、どうだ、この姿は、といわせてもらいたい」また「一人として功徳をうけない者はない、みな功徳をうけているという、私は御本尊様との闘争をいたします」と。
 戸田先生の晩年の戦い──それは、「全学会員を、そして全民衆を一人も残さず幸せにしてみせる」という烈々たる大闘争であった。
 ここに「学会精神」がある。「創立の魂」がある。
 地位もいらない、名誉も、肩書も私財も眼中にない。ただ民衆のため、ただ皆の幸せのために叫びきっていく、戦い抜いていく、命をかけて走り抜いていく。これが創価学会の根本精神であり、戸田先生の人生であった。
 これほど慈悲深い、これほど偉大な師匠であられた。私どもは、この「学会の心」、「戸田先生の心」を我が魂として永遠に生き抜いていく。
3  大聖人が御本尊を建立されたのも「民衆のため」であられた。「人間の幸福」のための御本尊であられる。
 絶対に邪僧の権威のためでもなければ形式のためでもなかったと確信する。
 (「観心本尊抄」には「一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頸に懸けさしめ給う」と、明確に、末法の民衆のための御本尊であられることを宣言なされている)
 この尊き御本尊をみずからの欲望を満たす手段にした日顕は、大謗法の人間、「閻浮第一の愚か者」である。
 そして、この御本尊の無限の「仏力」「法力」も、「信心」なくしては発揮され得ない。この「信力」「行力」を教え、一人一人の生命から引き出してきたのが創価学会である。ゆえに学会には真の功徳が充満している。
4  また、戸田先生は、亡(な)くなる二年前、次のように語っておられる。
 「仏法のうえから論じ、国法のうえから論じ、世法のうえから論じて、堂々たる行動を行うのだから、創価学会は、なにびとたりとも恐れない会です」と。
 だれびとも恐れるな──これが戸田先生のご遺言である。
 戸田先生が亡くなられて三十五年──。先ほど、秋谷会長からも話があったように、今や、私どもは世界に大きく広宣流布の輪を広げた。仏法を基調とした「平和」「文化」「教育」の大河は、全地球を豊かに潤しつつある。
 創価学会、SGIは、何が起ころうと、すべてを前進のバネに、隆々と発展している。いよいよ大いなる希望が輝いている。
 この勝利の姿を、戸田先生が一番、喜んでくださっていると確信する。
 私どもは、極悪・日顕宗についに勝ちました!
 これからも、ますます堂々と、何ものをも恐れず、御書の仰せの通りに進んでいきましょう!(
5  二年前、第十二回SGI総会を埼玉の文化会館で開催し、埼玉の皆さまには大変、お世話になった。
 また、埼玉は、聖教新聞の啓蒙推進で、見事に全国の模範を示されている。特に、会員の購読世帯率では日本一である。
 そのほか、あらゆる広布の戦いで、素晴らしい歴史を開いておられる。さすがは″偉大なる埼玉″であると賛嘆申し上げたい。また、感謝申し上げたい。
6  大聖人は、南条時光殿に仰せになっている。
 「故親父は武士なりしかども・あなかちに法華経を尊み給いしかば・臨終正念なりけるよしうけ給わりき、其の親の跡をつがせ給いて又此の経を御信用あれば・故聖霊いかに草のかげにても喜びおぼすらん、あわれきてをはせば・いかにうれしかるべき
 ──(あなたの)亡き父上は武士であったが、強盛に法華経を信仰されたので、臨終正念(死に臨んでも成仏を確信して心が乱れないこと)であったとうかがっております。(あなたも)その親の跡を継がれて、またこの経(法華経)を信仰されているので、亡き聖霊(時光の父)はどれほどか、草葉の陰でも喜ばれていることでしょう。ああ、もしも生きておられたなら、どれほどうれしく思われるでしょう──。
 心にしみ入るような慈愛の御言葉である。
 「此の経を持つ人人は他人なれども同じ霊山へまいりあはせ給うなり、いかにいはんや故聖霊も殿も同じく法華経を信じさせ給へば・同じところに生れさせ給うべし
 ──この経を受持する人々は、他人であっても同じ霊山に参られて、また会うことができるのである。まして亡き父君も殿(時光)も(親子で)同じく法華経を信じておられるので、必ず同じ所にお生まれになるであろう──と。
 ここでは仏法の生命観の重要な極意を教えられている。この正法を受持した、広宣流布の同志は、親子はもちろん、血のつながらない他人であっても、同じ霊山浄土で再び会うことができるとの御断言であられる。
 また、同じ広布の舞台に生まれてくることもあろう。なんと素晴らしいことであろうか。私どもは三世永遠の同志である。
7  大聖人は「三世各別あるべからず」──過去世・現在世・未来世のおのおのは、それぞれ別々なのではない(必ず因果の理法によって連続している)──と。
 「開目抄」には、心地観経の「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」──過去に自分がどのような因をつくってきたかを知ろうと望むならば、その現在の果を見よ。(同様に)未来がどうなるのか、その果を知ろうと望むならば、その現在の因を見よ──との有名な文を引かれている。
 仏法では、この「今」、現在の瞬間の生命に、過去の因と未来の果が備わるとみる。因果倶時で、「一瞬」の生命に「永遠」が凝縮している。一念三千の妙法の教えは、この生命、宇宙の不可思議の法を明確に説いている。
 仏のことを「如来」というが、「如如としてきたる」と言う場合は、瞬間瞬間、智慧の躍動する生命の当体を指している。
 ゆえに、「今」が大事である。「いつか」ではない。つねに、「今」こそ信心を深めよう、宿命転換しよう、との真剣な信心。そこに幸福の「因」が積まれ、「果」が備わっていくのである。今、ともに世界広布に戦っている「過去の因行」の不思議さと、「未来の果徳」の素晴らしさを確信していただきたい。
8  仏眼は「広布の行者」を仏と見る
 さて、仏法で説く「凡夫」と「仏」の違いはどこにあるのだろうか。
 「仏」が上、「凡夫」は下という上下関係で、仏だけがひとり偉ぶり、人々を愚かで卑しい存在と見くだしていくのが「仏法」なのであろうか──。
 大聖人は、その正反対に、″法華経を信ずる者は仏なり″と見るのが仏であり、そう見られないのが凡夫であると教えられた。
 「日女御前御返事」にはこう仰せである。
 「闇の中に影あり人此をみず虚空に鳥の飛跡あり人此をみず・大海に魚の道あり人これをみず月の中に四天下の人物一もかけず人此をみず、而りといへども天眼は此をみる
 ──闇の中に影がある。人間にはこれは見えない。大空には鳥が飛ぶ道がある。人間にはこれは見えない。大海には魚の道がある。人間にはこれは見えない。月の中に全世界の人や物が皆、映っている。人間にはこれは見えない。しかし、天人の「天眼」はこれらを見る──。
 そして「日女御前の御身の内心に宝塔品まします凡夫は見ずといへども釈迦・多宝・十方の諸仏は御らんあり、日蓮又此をすいす・あらたうとし・たうとし
 ──(法華経の信仰者である)日女御前の御身の心の中に、「宝塔品」がおわします。凡夫には見えないけれども、釈仏・多宝如来・十方(全宇宙)の諸仏は御覧になっておられます。日蓮もまた、(見えるとは言いませんが)そう推定しています。何と尊いことでしょうか。何と尊いことでしょうか──。
9  御本尊、大聖人の仏法を信ずる在家の女性。その人の心にこそ「宝塔」(法華経の見宝塔品第十一に説かれる、七宝で荘厳された大塔。仏界の生命の象徴とされる)はある。
 すなわち、その人こそ「仏」になる、最も尊い人である──こう見るのが仏であると。ありがたい御言葉である。反対に、それが見えないのが凡夫なのである。
 大聖人は、御謙遜から「そう推定しています」と言われているが、当然、大聖人は、日女御前の生命に「宝塔」を、ありありと御覧になっておられたのである。御本仏の御言葉に「虚妄」(ウソ)は絶対にない。
 大聖人は、生命の真実を「如実知見にょじつちけん」され、凡夫が妙法への「信心」によって、尊極の仏になることを教えられた。大聖人は、他の御書でも、このことを繰り返し、繰り返し説かれている。大聖人の御一生は、このことを説き弘められた御一生であった。
 その御心のままに行動し、実践し、正法を証明しているのが、我が創価学会・SGIである。反対に、その御心を踏みにじり、殺しているのが日顕宗である。
 広宣の仏子を、こよなく「尊敬する」のが仏であり、「信者のくせに」と見みくだすのは、それ自体、大聖人の仏法を何も知らない愚人であり、荒凡夫の証拠なのである。
 (日顕宗では、法主を″現代の大聖人″と敬わせ、信徒は凡愚だから仏法の深遠な教えは理解できない、御書根本は間違いである、僧侶が拝まなければ成仏できない、などという″反大聖人″の指導がまかり通っている。
 何より法主自身が、宗門の外護に尽くし切った信徒の代表に対して、「あの野郎の首をカットする」と、学会破壊の「C作戦」を陣頭指揮したことが明らかになっている。在家の一門下にも「あらたうとし・たうとし」と最大に尊ばれた大聖人の御精神に完全に反逆している)
10  「教」「行」「証」を備えた教団が「正統」
 仏法では「教」「行」「証」を説く。
 「教」とは「教法」つまり「教え」、「行」とは「行法」つまり「実践」、「証」とは「証法」つまり「実証」である。この三つがすべて備わっていてはじめて、一切衆生を救うことができる。
 一般的にも「正しい教え」「だれもが実践できる修行」「生活の上で、はっきりと出る現実の証拠」──この三つが備わってこそ、正しい宗教といえよう。
 古来より仏教では、多くの論議があるが、結論すれば、末法においては、日蓮大聖人の大仏法だけが「教」「行」「証」を兼ね備えた正法である。このことについては、大聖人が、「教行証御書」や「顕仏未来記」で明確に説いておられる。
 「顕仏未来記」には「末法に於ては大小の益共に之無し、小乗には教のみ有つて行証無し大乗には教行のみ有つて冥顕の証之無し」とある。
 ──末法においては、権大乗の教えも小乗の教えも、ともに利益はない。すなわち、小乗教には「教」だけがあって「行」「証」がない。権大乗教には「教」「行」だけがあって冥益みょうやく(はっきりと目には見えない利益)、顕益けんやく(はっきりと目に見える利益)の「証」が、どちらもない──と。
 他の教えは、「教」だけがあって「行」も「証」もない。あるいは「教」と「行」があっても「証」がない、と御教授されているのである。
 しかし、この三つが、きちんとそろっていなければ、成仏はできない。人類は、真っ暗闇になってしまう。
 「教」「行」「証」を備えた真の仏法は、一体いずこにあるのか──。
11  「教行証御書」には次のように仰せである。
 「日本人王・三十代・欽明きんめい天皇の御宇ぎょうに仏法渡つて今に七百余年前代未聞の大法此の国に流布して月氏・漢土・一閻浮提の内の一切衆生仏に成るべき事こそ有り難けれ有り難けれ(中略)末法には教行証の三つ倶に備われり例せば正法の如し
 ──日本国王の第三十代・欽明天皇が治世に日本に仏法が渡ってから、今に七百余年になる。前代未聞の大法(すなわち三大秘法の南無妙法蓮華経)が日本に流布して、インド、中国、全世界の一切の人々が仏になるであろうことができるとは、いまだかつてなかったことであり、ありがたいことである。
 (正法、像法、末法のうち)末法には「教」「行」「証」の三つがともに備わっている。あたかも正法時代(釈尊の仏法に「教」「行」「証」が備わっていた時代)のようである──と。
 七百年の不思議──大聖人の御出現後、やはり七百年後に創価学会が出現している。不思議な″時″のリズムである。
 そして、この御言葉通り、日本はもとより東洋へ、世界へ正法を弘めたのは、SGIだけである。他には、どこにもない。これは、だれびとも否定できない眼前の事実である。
 創価学会がなければ、これらの御金言もすべて虚妄になるところであった。
 SGIこそ、現実の行動のうえに「教」「行」「証」を兼ね備えて進んでいる教団なのである。大聖人の仏法の生きた命脈は、ただSGIにのみある。
12  反対に宗門は、「教」を示された御書を軽視し、「行」すなわち真剣な仏道修行もまったくない。当然、「証」すなわち成仏の実証もない。これこそ「法滅」の姿である。
 (日顕宗では、法主の指南が根本で、御書は大聖人の仏法の「部分」であるとし、僧侶もまともに御書を学んでいない。また、法主みずから、丑寅うしとら勤行を怠って本山を抜け出し、率先して遊蕩しているのをはじめ、大聖人、日興上人の教えを土足で踏みにじる事実が次々と発覚している)
 仏法の因果の理法は厳しい。「御本仏」を侮辱し、「広宣流布の行者」を侮蔑しきって切り捨てた報いは、だれびとたりとも避けられない。すでにその現証は出始めている。
 (一九九一年七月、なんとか話し合いの道をとの誠意から、最高指導会議の和泉議長、参議会の辻議長、柏原・白木副議長から宗門の能化のうけに書面を送った。ところが早瀬日慈重役をはじめとする能化七人の連名の返書は、冒頭から「貴殿らは、五十年もの長い間、いったい何を信仰してきたのか」と居丈高に記すなど、広布の功労者を見くだしきったものであった。その後、その中の一人は、これが法臘ほうろう七十年を過ぎた宗門随一の高僧の姿かと驚くほど、哀れな末路を迎えている。
 御書には「有智の明匠とおぼしき人人の臨終の思うやうにならざるは是大謗法の故なり」と仰せである)
 どうか、わがSGIこそ、日蓮大聖人の正法を広宣流布している「正統」中の「正統」の教団である──との絶対の確信で、「楽しく」「朗(ほが)らかに」、私とともに前進をお願いしたい。
13  「世界宗教」の要件は、民衆にわかること
 ご存じの通り、私は今回、中国敦煌とんこう研究院から「名誉研究員」の称号をいただいた。
 ほかにも各国、各界から、さまざまな栄誉が寄せられている。もとより私個人の名誉など、まったく眼中にない。ただ、「SGI運動への共感」の証明として、そして皆さま方全員の「代表」として受けているつもりである。
 さて、敦煌といえば、いわば「仏教即芸術」「仏教即文化」の都である。じつはここに仏教が中国に受け入れられ、民衆に根づいた重大なカギがある。
 というのは、インドの仏教は多分に哲学的・思弁しべん的であり、難しいものであった。抽象的な議論を重ねていく傾向が強かった。そのままでは、おそらく、「現実重視」の中国には、とても受け入れられなかったであろう。東の大文明・中国に弘まるかどうかは、仏教が真の世界宗教となるかどうかの分かれ目であったといえる。
14  ところが、幸いなことに、インドの仏教は、いきなり中国に入ったわけではなかった。中央アジアを経て、しだいに入っていったのである。その「西域」と「中国」との一大接点──それが敦煌であった。
 (インドから中国への仏教の伝播でんぱは紀元一世紀から数百年にわたって続いたとされる。その主なルートが中央アジアを貫く絹の道(シルクロード)。なかでも敦煌は「すべては敦煌にあつまる」(『西域図記』)といわれたように、天山テンシャン北路、天山南路、西域南道の三ルートが合流する「中国の玄関口」であり、仏教伝来の歴史上、きわめて重要な役割を担った。
 法華経の漢訳者・鳩摩羅什くまらじゅうも、敦煌で経典の翻訳や説法を行ったという説がある。敦煌菩薩と呼ばれた竺法護じくほうごが「正法華経」を漢訳して以来、敦煌文書で最も多いのは法華経である)
15  インドの仏教は「具体性」を得て中国に流布
 砂漠の多い厳しき風土に多民族が行き交う文明の十字路──この中央アジアにおいて仏教が身につけたものは、何であったか。それは「具体性」であったといわれる。「実際性」であり、「生活性」「現実性」であった。
 「法」も、多くの「芸術」を通して表現されるようになった。ギリシャ文明系の人々、ペルシャ文明系の人々など異文化との接触に鍛えられて、一部の僧侶だけがわかる説き方ではなく、万人にわかる具体性をもった説き方が練り上げられていった。
 「目で見てわかる」、そして「耳で聞いてわかる」仏教が、こうして中国内陸に入っていったのである。学会も同様に、より多くの人が理解し、実践できる「指導」で「正法」を弘めた。知恵を出し、工夫を重ね、心をくだきながら、社会の中へ、民衆の中へ、そして世界の果てまで「妙法」を弘めた。
 どんなに立派そうに説法しても、だれもわからないのでは何にもならない。自己満足と権威のための説法にすぎない。それでは仏法ではない。人々を遠ざけ、かえって法を下げてしまう。
 感動しなければ、人は信じない。納得しなければ、人は本気で動かない。生活の現実に関係ない話に民衆は耳を貸さない。具体性がなければ、法の素晴らしさもわからない。大聖人の御遺命である広宣流布は、いつまでたってもできない。
 日顕宗には、その道理がわからない。大聖人の仏法を世界に弘めようとの祈りもなければ実践もないからである。彼らは、ただ仏法を利用し、金もうけと享楽の手段にしているにすぎない。彼らは結局、仏教の本義を何も知らないのである。
16  中国に弘まることによって、仏教は名実ともに世界宗教となった。いわば「具体性」また「現実性」「生活性」を得られるかどうかが、世界宗教となる試金石だったのである。
 学会は、「わかりやすい指導」の実践とともに、仏法を基調に「平和・文化・教育」の具体的展開を行っている。それが世界宗教の大道であり、大聖人、また釈尊の御心にかなう道であるからだ。
 こうした仏教の広布史が、私どもSGIの運動の正しさを雄弁に物語っている。
 (釈尊は当時の民衆の言葉で語った。また、法華経は映像的イメージであふれ、七譬しちひに代表される巧みな譬えに満ちている。大聖人は、多くの御書を仮名まじりで書かれ、説話や譬喩を、ふんだんに使って在家のために説かれた。また絢爛たる芸術が大乗仏教の流布に計り知れない決定的貢献をした)
17  タンゴ王の信念──悩みがあって人生の輝く
 先ほど、タンゴの巨匠マリアーノ・モーレス氏と、お孫さんのガブリエル・モーレス氏が「アオーラ」──スペイン語で「今」──の曲(SGI会長に捧げられた曲)を、華麗に披露してくださった。
 一緒にタンゴを踊れなかったのは残念であるが、美しき「友情の名曲」で、創立記念の集いを荘厳してくださった。代表して、心から感謝申し上げたい。
 この曲には、八年前に亡くなったご子息(ニト氏)への深い愛情が込められている。
 モーレス氏にとって初の来日公演のさなか、愛息が急逝きゅうせいされた。茫然自失──しかし氏は、その悲しみを毅然と乗り越えられた。私も真剣に励ました。
 そして「今(アオーラ)」を生きる勇気と喜びを、美しき魂の旋律に結晶されたのである。″息子は私とともに今、ここにいるのだ″と。「今、この瞬間にこそ、永遠が生き生きと躍動している!」──この名曲は、そうしたメッセージを伝えてくれている。
18  モーレス氏は、決して恵まれた環境にはなかった。高い学歴もない。
 あのリンカーン大統領も、正式には小学校すら出ていない。しかし、世界の″英雄″である。″民衆の味方″として戦ったからである。
 モーレス氏も「民衆の音楽家」として、信念をもっておられる。だれが本当に″偉い人″か──。外見でも、学歴でも肩書でもわからない。私は、「民衆とともに」歩む人こそ偉大であると信ずる。
19  氏は語っている。
 「悩みがなくては芸術家にはなれません。苦労しなければ……。恵まれた環境では人間は鍛えられません」
 「私は幸福を″与えてもらおう″とは思いません。幸福は自分の可能性の中で探し出すものです」幸福とは自分自身で勝ち取るもの──その通りである。氏の言葉は、私どもの生き方と共通している。
 モーレス氏は、私をはじめSGIに、深い友愛の心を寄せてくださっている。
 (氏は、祖国アルゼンチンで、折あるごとにSGI会長への思いを語っている。先日は、コロンビアのラジオでもSGI会長について話したという)
 私には、こうした友人が世界中にいる。時には、信心している人以上に、深く理解してくださっている。
 さらに氏は、「私は富を求めたことはありません。自分の愛するものがあればよいのです。私の愛するもの、それは友情と芸術です」と──。
 こうしたモーレス氏への尊敬を込めて、私は「タンゴの帝王」と申し上げた。
 偉大なる人生の歴史を刻まれている氏が、「世界の芸術王」「人生の勝利王」「魂の人間王」として、ますます輝いていかれんことを、私は心から願っている。
20  法は平等大慧の成仏の法
 先ほどの話とも関連するが、大聖人が末法の日本に出現され、三大秘法を建立されたのは、この大法を「全世界」に流布し、「全人類」「一切衆生」を仏にするためであられた。
 「全民衆のため」の仏法である。一部の「僧侶のため」などでは絶対にない。
 世界の民衆に、等しく、崩れざる「幸福」を、そして「平和」を与えゆくのが、大聖人の仏法である。
 創価学会は、この御本仏の御心のままに、世界の民衆の中に「幸福の道」「平和の道」を切り開いてきた。また、これからも切り開いていく。
 日達上人は述べられている。
 「日蓮大聖人の下種仏法の南無妙法蓮華経は総べての人類を初め、あらゆる生物、国土悉皆しっかいが成仏出来るのであるから、此の南無妙法蓮華経こそ平等大慧びょうどうだいえ甚深微妙じんじんみみょうの法である」
 「本仏日蓮大聖人を供養、恭敬くぎょう、尊重、讃嘆し奉り、人類の幸福と平和のため一心に南無妙法蓮華経と唱えられんことを望むのである」と。
 「人類のため」「民衆のため」「人間のため」──その一心、一念が大聖人の仏法の魂のはずである。今の宗門は、完全に正反対である。
 あろうことか、日顕は私ども信徒を「ボンクラども」と呼んで蔑視している。また最近も、「民衆の幸福」を基本にすることは「誤った考え」である、と説法している。
 (日顕は、一九九二年五月の寺族同心会で「仏智というものは、一般民衆が分かるはずがないんですから。したがって数から言うならば、ボンクラどもが千万人おるよりも、仏様一人のお考えの方が正しいんです」と暴言を吐いた。
 また、七月の法華講連合会総会では「民衆の幸福がすべての基本にあるというような実に誤った考えにとらわれているというのが、今日の創価学会です」と、転倒の説法をし、広布の団体を誹謗している)
 一事が万事である。この一点だけでも、日顕宗が大聖人とは無関係の邪宗であり、信徒の敵であることは明白である。
 私どもは、こんな大謗法の日顕宗とは永久に決別する。真実の「大聖人直結」の教団として、堂々と、「世界の創価学会」を築いてまいりましょう!
 最後に、「創立の日」を記念して和歌を贈り、スピーチを終わります。
  ともどもに
   勝ちて迎えむ
     創立の
   なんと嬉しや
     なんと楽しき
 きょうは、ありがとう。本当にありがとう!

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