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日蓮大聖人・池田大作

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第五十七回本部幹部会 わが大闘争の歴史は「大福運」の歴史

1992.8.24 スピーチ(1992.6〜)(池田大作全集第81巻)

前後
2  きょうは、世界的なジャズ・トランペッターである大野俊三さんが、祝福に駆け付けてくださった。
 素晴らしい演奏をありがとう! 大野さん、またアメリカで演奏を聴きましょう。
 大野さんのことは、以前にも紹介したが、世界最高峰のトランペッターであると同時に、アメリカSGI(創価学会インタナショナル)の若きリーダー(男子部副方面長)として広布の活動にも真剣に励んでこられた方である。
 かって、彼は不慮の交通事故でトランペッターの命である前歯を折り、演奏者として再起不能と宣告された。
 私は心で泣いた。祈り、激励を伝えた。その後、信心で見事に復活し、以前にも増して、世界を駆ける活躍ぶりである。本当に、よかった。
 私は励ました。──「自体顕照」だよ。自分を大切に、自分の使命の舞台で輝くことだ。君が″トランペットの世界一″になることが、君の信心の勝利であり、それが世界の広宣流布に通ずる。私は広宣流布の大将軍、君はトランペットの大将軍として生き抜こうよ、と。
 今、私には、かつて(一九八一年)ニューヨークで彼が演奏してくれた「虹の彼方に(オーバー・ザ・レインボー)」が思い起こされる。
 雨上がりの空に輝く虹のような、凱歌の人生。彼の勝利は、懸命な向上への努力、信心への真面目さの勝利と私は思う。
3  虹といえば、けさ、東京の小平、埼玉の所沢、千葉の房総方面をはじめとして、各地から相次いで「8・24を祝福するような、大きな虹が出ました」との報告が寄せられた。
 その多くは、早朝から聖教新聞の配達をしてくださっている「無冠の友」が、いち早く見つけられたのである。
 最高幹部もまだ寝ているうちから、広布のため、友のために黙々と走り、働いておられる配達員の皆さまに、この席を借りて衷心より感謝申し上げたい。無事故の日々であってください。
 さらに海外からは、「8・24」に寄せて各国の理事長やメンバーの方々からも祝福のメッセージをいただいた。また、九州では、韓国の代表が参加されており、心から歓迎申し上げたい。
4  大野さん(音楽隊出身)の後輩にあたる青年部の音楽隊メンバーも、この夏、海外で、国内各地で、大活躍している。
 聖教新聞でも報道されている通り、アメリカのウィスコンシン州で開催されたマーチング世界選手権に、音楽隊(東京ビューグルバンド)八十一人が出演。初出場ながら、九位に入賞という好成績を収め、地元の新聞、テレビ等のマスコミでも取り上げられた。同州のミルウォーキー市長からも歓迎を受け、高く評価されるなど、大きな反響を呼んでいる。
 また、全国各地で行われている吹奏楽コンクールの県大会でも、音楽隊が活躍している。関西吹奏楽団、神奈川、山梨、北海道・旭川、中部吹奏楽団が、相次ぎ金賞を獲得。そのほか、石川が銀賞、宮城が銅賞と、若き楽雄の凛々しい成長に喝采を送りたい。
 さらに、昨日、三重県松阪市で行われた「本居長世賞歌唱コンクール」には、婦人部の白ゆり合唱団が出場した。
 本居長世は、明治から大正にかけて「七つの子」「赤い靴」「青い目の人形」「十五夜お月さん」などの童謡を数多く作曲し、″日本童謡の父″とも呼ばれている。
 この意義あるコンクールにおいて、白ゆり合唱団は最高ランクの「審査委員長賞」に輝いた。
 スポーツ界では、創価高校の甲子園出場も見事だった。そのほか、今やあらゆる分野で、各地の友が躍動し、見事な実証を示している。
5  「難と戦う福徳で人々をつつみたい」
 ともあれ、入信四十五周年のきょう一日を、懐かしい、ふるさとの大田で、過ごさせていただいた。感謝の気持ちでいっぱいである。
 大聖人は佐渡御流罪の大難のなか、故郷にゆかりの人々に、このようなお手紙を送っておられる。
 「本より学文し候し事は仏教をきはめて仏になり恩ある人をも・たすけんと思ふ」──もともと学問をしたのは、仏教を習い究めて仏になり、恩ある人をも助けようと思ったからである──。
 「究める」ことが大事である。「仏になる」ことが仏法の目的である。広布に戦う皆さまこそ、その道を歩んでいる方々である。僧侶という格好で成仏が決まるのでは絶対にない。
 いわんや大聖人は、出家される目的について、「恩ある人」をも助けようという心にあったと言われている。「恩ある人」を踏みつけにする今の悪侶が、大聖人、日興上人の直系であるわけがない。
 きょうはくわしくは述べないが、妻帯ひとつをとってみても、大聖人、日興上人が教えられた僧の道に反している。
 「仏になる道は必ず身命をすつるほどの事ありてこそ仏にはなり候らめと・をしはからる」──仏になる道は、必ず身命を捨てるほどのことがあってこそ仏にはなれるであろうと思われる──。
 大変な難にあったときこそ、成仏のチャンスなのである。難にあうこともなく、広宣流布へ戦うこともなく、信徒の赤誠の真心を湯水のように使って遊び暮らしている、そんな堕落僧が仏になど、なれるはずがない。大聖人のどれほどの御叱責があることか──。
6  「既に経文のごとく悪口・罵詈・刀杖・瓦礫・数数見擯出と説かれてかかるめに値い候こそ法華経をよむにて候らめと、いよいよ信心もおこり後生もたのもしく候
 ──すでに経文に「(法華経を弘める者は)悪口され、ののしられ、刀で斬られ、杖で打たれ、瓦や小石を投げつけられ、たびたび追放される」と説かれている通り、このような目にあうことこそ、法華経を真実に身で読むことであろうと、いよいよ信心もおこり、後生(未来世)のことも、たのもしく思われる──。
 「死して候はば必ず各各をも・たすけたてまつるべし」──(こうして難にあって)死んだならば、(仏になって)必ずあなた方をも、お助けするであろう──。
 身命に及ぶ大難をも悠然と見下ろされながら、縁ある人々を何としても助けようとの、御心情を述べられている。
 難にあって死ぬことがあれば、むしろ、その法華経身読の福徳によって、人々を守り、包んでいこうと、お約束くださっているのである。
 何という広大な御慈愛であろうか。反対に今の宗門の何という無慈悲・無信心・無慙むざん(恥しらず)さであろうか。
 恩師・戸田先生は、身命に及ぶ難に立ち向かい、乗り越え、「大聖人直結」のご生涯を歩まれた。私は、その戸田先生の不二の弟子である。
 この四十五年間、御聖訓のままに、荒れ狂う怒濤の中を進んできた。一歩も退かなかった。それが戸田先生との約束だったからである。
 これからも、皆さまと、ともどもに、「最高に楽しい」広宣流布の人生を、「最高に福運ある」学会員の人生を、仕上げてまいりたい。
 年ごとに、もっともっと楽しい人生を送れるのが本当の信仰です。朗らかに、「永遠なる学会」とともに前進していきましょう!
7  「民衆とともに」が仏法の正道
 また、大聖人は、御自身のことを安房の国(現在の千葉県)の「片海の海人が子なり」──片海というところの漁師の子である──と仰せである。貴族ぶった気取りや、権威ぶった冷たさなど微塵もあられない。
 大聖人の仏法は「民衆仏法」である。庶民が、心から納得できる仏法であり、民衆を、どこまでも温かく包んでくださるのが大聖人である。日顕宗は、まさにこの正反対ではないか。
 思えば牧口先生も、みずから「と之れ荒浜あらはまの一寒民かんみん」(もともと私は、新潟の荒浜村の貧しい一庶民である)と、『人生地理学』のなかで述べられている。
 同じく戸田先生は「私も北海道の貧乏な漁師の伜だよ」「それをなによりも誇りとしているのだ」と語っておられた。
 私もまた、ここ大田の貧しい海苔のり屋の息子である。庶民である。
 庶民の心で、庶民とともに、庶民の味方として進んでいく。これが日蓮大聖人の仏法であり、人間のための宗教である。学会は永遠に「民衆とともに」「民衆のために」という、この正道を歩んでまいりたい。
8  広布大行進の″火ぶた″を切った青春の金字塔
 さて、話は変わる。先日、青年部が新しいスタートを切った。本日の「聖教新聞」にも紹介されている。心から祝福したい。
 私が、蒲田(かまた)支部の支部幹事に任命されたのは昭和二十七年(一九五二年)、二十四歳の時である。就任してすぐ、それまでだれも考えられなかった月間折伏二百世帯を突破。他の支部がどんなに頑張っても七、八十世帯しかできなかったという時代であった。
 また、関西でも、私は一カ月間で、大阪支部の一万一千百十一世帯の弘教達成という″不滅の金字塔″を打ち立てた(昭和三十一年五月)。
 東京においても、各地においても、私は、他のだれびとの追随も許さぬ″史上最高の歴史″をつくってきた。いずこの地であれ、″闘争の火ぶた″を切ってきた。
 この信心の力、この広布の指導者としての大闘争──この厳然たる事実が、私の「永遠の誇り」である。
 「仏法は勝負」である。「闘争」である。そして、人生もまた「闘争」である。ゆえに戦い、勝ってこそ「幸福」はある。
9  戸田先生も、この蒲田支部の躍進を大変喜んでくださった。満を持して、舞台に立たせた一青年が、全学会を動かしたのである。
 この″時″を逃しては広宣流布の構想は大きく遅れてしまう──戸田先生は、だれよりもそのことをご存じであった。しかし、支部長がどんなに必死になっても、思うように折伏は進まなかった。完全に″壁″に突き当たっていた。
 ついに先生は、私に言われた。「大作、そろそろ出るか!」「いよいよ始めるか。やってくれるか!」と。
 「必ず、やります!」──先生の深きお心に、私は敢然と立った。青年らしく戦った。広布の突破口を広々と開いた。
 戸田先生は、私をはじめから「偉く」はされなかった。華やかな立場になど、つけられなかった。時が来るまではと、あえて陰の役職につけ、鍛えてくださった。ありがたい師であった。
 一方、役職によって不満の心をもったり、ひいては退転したりする転倒の人間もいた。
 役職があるから偉いのではない。役職の責任を果たした人、広布のために戦った人が偉いのである。
 また、昭和二十八年九月、全国で初めて月間折伏の千世帯突破を達成したのも、蒲田支部である。当時の支部の皆さまも、本当によく戦ってくださった。まさに″全国の模範″の勢いであった。
 ともあれ、戸田先生とともに、その心を″我が心″とした大闘争によって、創価学会の今日がある。
 この″師弟″の共戦のなかに、戦後の偉大な前進がある。そして何より、日蓮大聖人の仏法が建立されて以来、未曽有の弘教が実現されたのである。
10  戦いぬく生命に「大福運の城」
 その月に行われた幹部会の席上、戸田先生は、この蒲田支部の発展にふれられながら、指導してくださった。私は今も忘れられない。
 すなわち「長たる地位にありながら、闘争力のないものには福運がでない」と。
 「長」──指導的立場にありながら、「闘争力」のないものには、決して「福運」はつかないのだと。私どもの永遠の原則である。″広布のリーダー″はどうあるべきか、その根本精神は全部、ここに集約されるといってよい。
 この「闘争力」こそ「信心」である。「闘争力」をもってきた人は皆、人生も勝っている。大満足の境涯を勝ち得ている。それが四十五年間、あらゆる人生行路を見てきた私の実感である。
11  役職が上がるのは、いばるためでは断じてない。より一層、会員を守るためである。また、より強く仏敵と戦っていくためである。
 ゆえに戦えない臆病な人間であっては、リーダーとはいえない。たとえ役職があっても、それは形式であり、「信心」ではない。そして成仏は、ただ「信心」によってのみ決まる。
 大聖人は「九識心王真如の都」と仰せである。また「所謂南無妙法蓮華経と唱え奉るは自身の宮殿に入るなり」とも説かれている。
 「大闘争の人」は、そうした自身の胸中に燦然と光る宮殿──「慈悲の城」「知恵の城」「黄金の城」に住して、輝いていく。
 真剣な「我が闘争の歴史」が、三世にわたる「我が福徳の王城」を築いていくのである。その「城」をみずから崩すような愚かな油断があってはならない。
 大聖人は「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」──月々、日々に(信心を)強めていかれることです。少しもたゆむ心があれば、魔がそのスキに乗じるでありましょう──と戒められている。
 「闘争の心」が破壊されれば、「胸中の城」も崩れる。壊れた器から水が漏れるように、功徳も、福運も漏れてしまう。
 私どもは、そうさせたくないために、「闘争を」と激励しあって進んでいるのである。
12  戸田先生「大聖人の魂を魂とするのが学会」
 文永五年(一二六八年)閏一月、蒙古からの牒状ちょうじょう(国書)が到着した。大聖人が「立正安国論」でなされた御予言(他国侵難)の的中であった。
 同年十月、大聖人は、時の執権──幕府の最高権力者の北条時宗をはじめとする為政者、また当時、幕府に取り入り、権勢をほしいままにしていた良観、道隆、その他の高僧らに十一通の書状(「十一通御書」と総称)を送られる。そして、″今こそ仏法の邪正を決するべきである″と、毅然として公場対決を迫られたのである。
 大聖人は、いかなる権威にも、権力にも一歩も退かれなかった。戦って戦って、戦い抜かれた。戸田先生は、その大聖人の御心を拝しながら、こう言われている。
 「日蓮大聖人様は、権勢に恐れず、富貴にこびず、万衆ばんしゅう(一切衆生)をあわれみ、末法一大利益の南無妙法蓮華経を授けられた大聖哲であります」
 そして結論として「創価学会の魂とは、この日蓮大聖人様の魂を魂と」するところにあると宣言されたのである。
 これこそ、万年に変わらぬ大聖人直結の「学会精神」である。死身弘法なされた戸田先生の遺言なのである。
13  一方、現宗門は、「大聖人の魂」をまったく失ってしまった。日興上人にも違背し、反逆してしまった。「日蓮正宗」の名に値しない邪教に堕してしまった。
 もはや本当の「日蓮正宗」の心は、我が学会にしかない。きょうは、あえて、この真実を申し上げ、後世に残しておきたい。
 日蓮大聖人の魂を継ぐのは、仏勅どおり広布に進む創価学会である。戸田先生は、その根本を明確に示し、残されたのである。私どものために、未来のために。
 「大聖人直結」こそ初代・牧口先生、二代・戸田先生以来、寸分も変わらぬ、そして、永遠に変わらぬ、我が学会の誇りなのである。
 私どもは″大聖人の眷属けんぞく″″大聖人の直系の門下″″大聖人の使い″として、これからも大聖人の御遺命たる広宣流布へ、いよいよ堂々と前進してまいりたい。
14  「権威主義的宗教」か「人道主義的宗教」か
 二十世紀の最も著名な社会心理学者の一人に、ドイツのエーリッヒ・フロム(一九〇〇〜八〇年)がいる。フロムは、精神分析の観点から宗教を二つに分類している。その内容を概略、お伝えしたい。
 それは、すなわち「権威主義的宗教」と「人道主義的宗教」である。フロムは、この分類こそ宗教を分類するうえで、最も重要であるという。
 では、「権威主義的宗教」とは何か。フロムは、次のような特徴を挙げている。
 (1)「人間を超えた力」が、人間に礼拝を強要する権利をもち、「畏敬」と「服従」を捧げないことが罪になる。
 (2)したがって、この宗教では、「服従」が最高の善行であり、「不服従」は根本的な罪である。
 (3)「全知全能の存在」に対し、人間は無力で、卑しいものと考えられる。
 (4)人間は″完全な屈服″によって、「畏敬を起こさせる力」(全知全能の存在)の一部となり、その力によって守られていると感じる。しかし、そこでは、人間は個人の「独立」と「誠実」を失ってしまうのである。
 さらに、「権威主義的宗教」では、個人の生活は無意味なものとなり、人間の価値は「自分の価値と強さを否定する」ところにあるとされる。そして、現実の生活からかけ離れた、抽象的な理想を求めるというのである。
 つまり、「権威主義的宗教」では、人間は無視され、おとしめられ、否定される。そこに特徴がある。
15  一方、「人道主義的宗教」の特徴は何か。
 フロムは言う。「人道主義的宗教は、『人間自身』と『人間の力』とに集中する」と。人間は理性の力を発揮し、自分自身を知り、生きとし生けるものの尊厳を知るべきなのだ、と。
 「人道主義的宗教」では、人間の目的は「自分の無力さを知る」ことではなく、「自分の力を十分に伸ばす」ことにある。服従することではなく、自己実現──自分を十分に開放し開花させることにある。
 ここでは、信仰とは、「盲信し、従うこと」ではない。自身の思想と体験を基礎とした「確かな信念」なのである。
 つまり、「人道主義的宗教」では、″主役″はあくまでも「人間」である。「人間」こそ、最も尊い──ここに「権威主義的宗教」との鮮やかなコントラスト(対比、対照)がある。
 さらに、フロムは、この二つの宗教の違いを端的に語っている。すなわち、「権威主義的宗教」では、人間は悲哀と罪悪感にさいなまれる。一方、「人道主義的宗教」では、人間は喜びに満たされる──と。
16  では、この二つの違いは、どこから生まれるのか。
 フロムはこう分析する。それは″教え″の違いにあるというよりも、むしろ教えに関する″人間の態度″の違いにあるのだ、と。
 「権威の宗教」と「人道の宗教」──その差を生むのは、ほかならぬ人間自身だというのである。もちろんフロムは″教え″の正邪そのものを問題にしていない。ただ、その分析は、「宗教と人間」を考えるうえで、重要な視点を与えているといえよう。
 「人間のための宗教」か、「宗教のための人間」か。学会は、大聖人の御精神のままに、「人間のための宗教」の正道を、世界に開いてきた。仏法の「人間主義」の光で、悪しき宗教の闇から人間を解放してきた。
 これに対して、権威と権力で抑圧し、ひたすら一方的な「服従」を迫る日顕宗の体質──まさに「権威主義的宗教」の典型であろう。
17  エマーソン──人生の目的は改革者になること
 私が若き日に愛読した思想家に、エマーソンがいる。アメリカ・ルネサンスを代表する哲人である。
 ″人間の生きる目的は何か?″──エマーソンは、この問いに対してこう答えている。
 それは″すでに人が作り上げたものの「改革者」になることである″(人間として生まれる目的はほかでもない──すでに人がこしらえたものの『改革者』『改造者』になることである)と。
 すでに出来上がったものに安住していては、何の喜びもないし、張り合いもない。
 エマーソンは、自然が、朝ごとに、新しい生命の息吹を脈動させながら再生していくように、人間も日々、新しい生命力で、無限の「改革」を進めていくべきだというのである。
 私どもは、「権威の宗教」から「人道の宗教」「人間のための宗教」へ、歴史の流れを転換している。新しき「宗教の改革者」「精神の改革者」である。
 朝に、そして夕べに、妙法という大宇宙のリズムを呼吸しながら、一日一日、偉大なる宗教革命の歴史を刻んでまいりたい。
18  暑い日が続く。体を大事にしていただきたい。特に年配の方は、健康のために、「よく眠る」ことである。また「声を出す」こと、「頭を使う」ことである。
 その意味で、学会活動には健康のための条件がそろっている。朗々たる唱題、教学の研さん、学会指導の学習──と、広布のリズムのなかで健康のリズムをも整えながら、どこまでも、はつらつと生き抜いていただきたい。長生きをしていただきたい。
 特に、壮年部の皆さま! きょうからは一段と若々しく、一段と生き生きと、「青年」の気概で進みましょう!
 限りある人生である。同じ生きるならば、さわやかに朗らかに生きたい。赫々と燃え、また堂々と夕空を染める太陽。最後の最後まで、「我が命」を燃やしきりながら、大空を荘厳な金とあかねの輝きでいろどる太陽のごとく生き抜きたい。
 「法」のため、「人」のために尽くしながら、婦人部からも、青年部からも、「清々しい」「素晴らしい」と賛嘆されるような、見事な総仕上げの人生を飾っていただきたい。
 フレッシュな「信心」の心で、まさに「壮年部革命」と言われるような前進を、お願いしたい。壮年部、バンザイ!
 最後に、全国の皆さまの、若々しきご活躍と、「健康」と「長寿」「無事故」を心よりお祈りいたします。これからも、私は全国をフル回転で駆け巡ります。皆さまのために戦います。この心情を申し上げ、本日の「御礼」のスピーチを終わります。本当に、ありがとう!

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