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日蓮大聖人・池田大作

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各部代表幹部会・第三回長野県総会 民衆の「勇気」が時代を変える!

1992.8.8 スピーチ(1992.6〜)(池田大作全集第81巻)

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2  議員や政党だけの力ではなく、民衆の力こそが新しい時代をつくる。権力は魔性をもつゆえに、政治家を民衆の上に君臨させるのではなく、民衆の″公僕″としていくことが大切である。そのように日本の政治を変えるための私どもの戦いなのである。
 ともあれ、「仏法は勝負」である。あらゆる戦いに勝ち抜いてこそ、「正法」は証明される。「広宣流布」は前進する。
  再び創価学会の力を社会に示しながら、堂々の前進を開始したい。
3  昭和三十二年(一九五七年)八月、ちょうど三十五年前の今月である。私は、戸田先生に呼ばれ、この軽井沢の地を訪れた。
 当時、私は二十九歳。この時が初めての長野訪問であった。
 戸田先生の最後の夏をともに過ごした、ここ軽井沢は、忘れ得ぬ「師弟不二」の天地である。
 当時、戸田先生のお体は相当、衰弱されていた。私は心に先生の死を予感し覚悟しつつ、小説『人間革命』の執筆を固く心に誓った。
 世間は戸田先生に対して、さまざまに誤解し、批判・中傷したが、戸田先生の「真実」は、そばでつかえきった人間にしかわからない。ゆえに私は、戸田先生の弟子として、先生の「真実」を断じて書き残したい、この偉大な師匠の「栄冠の人生」「勝利の人生」を満天下まんてんかに示してみせる、と心に決めた。
 この青春の決意のままに書き進めてきた『人間革命』も、まもなく完結(全十二巻)を迎える。
 「師弟」の精神こそ、仏法の精髄せいずいであり、学会の根幹中の根幹であると、後世のために改めて申し上げておく。
4  戸田先生は、昭和二十八年(一九五三年)、中央大学の講堂(東京・お茶の水)で行われた学会の第九回総会の折、「和合僧わごうそう」についてこう語られた。なお、中央大学は戸田先生の母校である。
 「僧とは、社会を指導し、人を救う資格をもつのが僧である。心中ではたがいに憎しみ、猫がねずみをうかがうようなのは、形は法衣をまとっても僧ではなく、いまの学会の組長、班長が、一生懸命でいっさいの人々のために働いている姿こそ、真の僧といえるのである。この結合を破るものには、かならず罰がある。
 うそだと思ったら、やってみたまえ。和合僧とは、仏法上の哲理をもってすれば、学会のことである」──と。
 ころもによって「僧」となるのではない。「信心」と「行動」によって「僧」となるのである。「正法」によらず「己義こぎ」を構え、「人々」のためでなく「自分」の欲望のために働く坊主ぼうずは、人間以下である、と。
 戸田先生は、常々、そうした悪侶にたぶらかされてはならない、負けてはならないと厳しく指導されていた。そして、「法」のため、「人間」のために献身する学会員こそ、真実の「僧」であると断言されたのである。
 今、悪の本性を民衆の前にさらけ出した堕落僧だらくそうについても、当時から「悪い坊主に気をつけろ」と言われていた。鋭い慧眼けいがんの、不思議な先生であられた。
 (この第九回総会には、当時の法主日昇上人、堀御隠尊猊下<日亨上人>、堀米尊能師<日淳上人>、細井尊師<日達上人>も出席している。そのうえでの戸田会長の講演であった)
 御書、経文の仰せのままに、そして戸田先生の指導通りに、仏勅ぶっちょくの「広宣流布」へ進む創価学会こそ、真実の「和合僧」である。和合僧を壊そうとする者に厳しい現証が出るのは絶対に間違いない。
 この「異体同心」の尊い結合を、だれにも破らせてはならない。破られてもならない。我らはいよいよ朗らかに、心を合わせながら、この偉大なる「幸福の前進」を続けてまいりたい。
5  四条金吾の″負けじ魂″
 ここ信濃(長野)に、ゆかりが深いのが、四条金吾である。
 ご存じの通り、金吾の領地が、殿岡の地(現在の飯田市)にあった。金吾はここのお米、特産の干し柿など数々の真心の御供養を、大聖人のもとへ、お届けしている。
6  ところで、これまでの信州の友は立派に戦われた。偉大な民衆パワーを発揮してくださった。
 長野の皆さまは、しんが強くて、正直で、本当に素晴らしい。これであと、お金持ちであれば、なお良いであろうが。しかし、あまり満たされると、人間は堕落するともいうし、ちょうどよいかもしれない。また、冬季オリンピック大会(一九九八年)も、長野で開催される。本当におめでとう!
 これまで、何回も申し上げてきたように、四条金吾は、広布への行動ゆえに、長年にわたって悪意の圧迫を受けた。主君からも遠ざけられてきた。
 御書から拝察しても、金吾は、さっぱりしていて、正直な人物であったようだ。陰湿さや陰険さは、かけらもない。その分、お人よしな面に、かえってつけこまれることもあったかもしれない。″江戸っ子″にも似た性格といえようか。
 私も″江戸っ子″である。昔、日昇上人から「あなたは、戸田先生に仕える″四条金吾さん″ですね」と言っていただいたことも、懐かしい思い出である。
7  金吾への圧迫の背景には、今と同じように、良観ら悪侶の陰湿な、いやがらせがあった。当時、彼らは、大きな権勢を振るっていた。
 しかし金吾は″負けじ魂″で戦った。創価学園生も、この″負けじ魂″をモットーとし、伝統としている。
 ″自分には大聖人がついていてくださる。だから負けないのだ″という絶対の確信。単純なことのようだが、これは一つの「哲学」である。
 ″自分はこれでいくのだ。これで必ず勝つのだ″という信念──そこに、生きた哲学がある。何かあるたびに、″どうしようかな、どうなるのかな″と揺らぐようでは、「信念」でもなければ、「哲学」でもない。
 戸田先生が、水戸黄門(光圀)の逸話を交えて「哲学とは何か」を語られたことがあった。
 「いなかでおばあさんに水をくれといって、米俵こめだわらに腰をかけたら、おばあさんが、これは水戸様に出す米だといって怒った」「聞けばこっけいな話であるが、おばあさんには、自分の作った米を領主様にさしあげること、このことが哲学である。『だれがなんといっても、これだけはどうしようもない』、これが哲学である」。
 いわんや信仰は、「信念」「哲学」の究極でもある。絶対の確信に立つ人こそ、真の信仰者である。
8  弟子の勝利を大聖人が御賛嘆
 ″絶対に負けない!″──確信に満ちた金吾の姿を、大聖人は本当に喜ばれた。師匠というのは、弟子が喜んで、さっそうと活躍していれば、それが一番うれしいのである。
 大聖人は、次のようにたたえておられる。
 「なによりも承りて・すずしく候事は・いくばくの御にくまれの人の御出仕に人かずに・せられさせ給いて、一日・二日ならず御ひまもなきよし・うれしさ申すばかりなし
 ──何よりも、お聞きして爽快なことは、(信仰のために)ずいぶんご主君に憎まれていたあなた(四条金吾)が、その主君の出仕(勤めに出ること)のお供の人数の内に加えられ、しかも一日や二日だけでなく、毎日、暇もないぐらい活躍されているご様子。私(大聖人)は、うれしさを言い表せないほどです──
 この御文を拝するにつけ、今回の空前の大勝利を大聖人は、どれほど喜んでくださっていることか。″何よりも爽快だよ″″こんなうれしいことはない″と、皆さまに、最大の賛嘆のお言葉を送ってくださっていると確信する。
9  大変な逆境のなかで、金吾はなぜ勝つことができたか。
 大聖人は「ひとへに天の御計い法華経の御力にあらずや」──ひとえに諸天の御計らいであり、法華経のお力ではないでしょうか──と仰せである。
 学会も、常識ではとても考えられないような戦いと勝利を続けてきた。ほかのだれに、こんな偉大な闘争ができようか。学会の勝利は、ひとえに「信心の勝利」であり、私どもの「信心」と「行動」に、「天の御計い」と「法華経の御力」が働いたと信ずる。
 御書に照らし、経文に照らし、学会の正しさは、あまりにも明らかである。また事実が証明している。
 大聖人は、四条金吾のみならず、夫人にも、お手紙で激励されている。
 「此の世の中の男女僧尼は嫌うべからず法華経を持たせ給う人は一切衆生のしうとこそ仏は御らん候らめ、梵王・帝釈は・あをがせ給うらめと・うれしさ申すばかりなし
 ──この世の中で法華経を持たれた人は、男性・女性、出家・在家の差別なく、皆、一切衆生の主人であると仏は見ておられるでしょう。大梵天も、帝釈天も、(この人を)仰いで尊敬されるでしょうと、うれしさは言いようもありません──。
 仏の眼から見て、一番大切な人はだれか。それは、妙法を信受し、広宣流布のために、けなげに行動しゆく「実践者」である。まさに学会員こそ一切衆生を幸福に導く「リーダー」であり、「全人類の柱」とも言うべき重要な存在なのである。
 大聖人は断言されている。″梵王・帝釈ですらも敬い、礼をもって尽くすべきである″と。今でいえば、当然、どんな権力者や有名人も尊敬するということである。
 今、現実に、世界の指導者から、SGI(創価学会インタナショナル)に対して、絶大な信頼が寄せられていることは、ご存じの通りである。
 偉いのは皆さまである。大切なのは皆さまである。だれびとにも、バカにされてはならない。利用されてもならない。一切の″主″として、広布のために堂々と王者の前進をなすべきである。これが、御書のうえからの永遠の指針である。ともどもに、この精神で進んでいきましょう!
10  仏とは、正法の的と″大闘争の人″
 なぜ、釈尊は仏となることができたのか──このことについて、大聖人は四条金吾に教えておられる。結論からいえば、命をけて、仏敵と戦ったからである──と。
 「法華経の御かたきをば大慈大悲の菩薩も供養すれば必ず無間地獄に堕つ、五逆の罪人も彼を怨とすれば必ず人天に生を受く、仙予国王・有徳国王は五百・無量の法華経のかたきを打ちて今は釈迦仏となり給う
 ──法華経の敵を供養すれば、たとえ大慈大悲の菩薩であっても、必ず無間地獄に堕ちる。反対に、五逆罪をおかした罪人であっても、法華経の敵を敵として戦えば、必ず、人界、天上界に生を受ける。仙予国王・有徳国王は、五百ないし無量の法華経の敵を打ち破って、今は釈仏となられたのである──と。
 法華経の敵と化したものに供養すれば地獄に堕ちる。これが大聖人の仰せである。
 宗門は今、「世界広宣流布」と「正法の和合僧」を、やっきになって破壊しようとしている。これ以上の″法華経の敵″はない。
 その意味で、悪の宗門から離れることになったのは、根本的には、大聖人のお計らいであると思えてならない。
 和合僧を″切り″、苦しめようとする残虐ざんぎゃくさは絶対に許してはならないが、大きくみれば、大聖人が、私どもを守ってくださり、未来へと大きく「道」を開いてくださったと確信する。
11  釈尊が過去世で仙予国王や有徳王として戦った「法華経のかたき」とは、特に「悪侶」であった。
 仙予国王は大乗経典を誹謗ひぼうするバラモンと、有徳王は正法護持ごじ覚徳比丘かくとくびくを迫害する破戒はかいの悪僧と、それぞれ戦った。
 宗教の世界で、大きな罪をつくるのは、必ずといってよいほど聖職者である。
 民衆は、ある面で聡明であるが、ある面では、だまされやすい。だます指導者、聖職者を倒すことが、民衆を守ることになる。正法を守ることに通ずる。
 戦わねばならない。そして戦いにおいては、人にやらせるのは卑怯である。人間として、ずるい。みずからが戦闘の最前線に立ち、みずからが苦しみ、みずからが傷つきながら奮闘し、″正法の敵″を倒してこそ、自分が″仏″となれるのである。
 傷つかないように、自分だけ″いい子″になって、人に敵と戦わせようとする。それでは成仏はありえない。悪が大きければ大きいほど、それと戦う功徳もまた大きい。私どもは、いよいよ、勇気凛々りんりんと、そして痛快に、大聖人の仏法の敵を打ち破ってまいりたい。
12  さて、大聖人を迫害した僣聖増上慢せんしょうぞうじょうまんの良観らに対して、四条金吾は、当時、敢然と言論戦で戦った。その金吾の心意気を喜ばれ、大聖人は次のように代弁しておられる。
 「頼基が良観房を蚊蚋蝦蟆かあぶがまの法師なりと申すとも経文分明に候はば御とがめあるべからず
 ──頼基(四条金吾)が、良観房のことを蚊やぶよ、蝦蟆(ヒキガエル)のような法師である、と言っても、経文に明らかなことであるならば、頼基がとがめられるようなことでは決してありません──と。
 良観に対しては、金吾のように、どんなに強い言葉で非難してもかまわない。経文にある通りなのだから、真実を言うのに遠慮する必要はない、遠慮してはならない──このように大聖人は、悪侶と戦う四条金吾を守っておられる。
 経文に照らし、御書に照らし、悪侶をいささかの容赦もなく弾劾する。これこそ、大聖人の御心にかなった行動なのである。
 今、私どもは大聖人の仏法を守り、伝えるために、広宣流布の「万年の道」を開いている。学会は、どこまでも、大聖人の仰せのままに真実を言いきってまいりたい。そして、皆さま方は三世永遠の功徳を受けきっていただきたい。
13  ローマの栄光を破壊した独裁者ネロ
 京都・能栄寺の小板橋住職が離脱の理由の一つとして、日顕の独裁性は「ローマ時代の暴君ネロとでも言わざるを得ない」と鋭く指摘されていたが、まったくその通りと思う。
 以来、そのネロについて話してもらいたいという声も多く寄せられたので、概略のみ、お話ししておきたい。
 古代ローマ帝国の暴君ネロ(三七年〜六八年)。彼は後世、「かつて母親が世に産み落としたなかでもっとも悪しき男」と、さげすまれた。
 十四年間の皇帝在位期間のなかで、ネロは、ローマの伝統と権威をふりかざしつつ、その実、数限りなく民衆を苦しめ、ローマの栄光を地にとした「張本人」である。(ちなみに現代の悪の法主も、この一九九二年で登座してあしかけ十四年となる)
 かつてローマを訪問した折(一九六一年<昭和三十六年>十月)、「黄金宮殿」と呼ばれたネロの城の廃虚を訪れたことがある。彼は、母を殺し、師を殺したのをはじめ、気に入らぬ人間を、いとも簡単に死に追いやった。
 また、ローマの大半を焼き尽くし、民衆を苦しみのどん底に突き落とした大火事も、自分の好みに合う新都を築こうとしたネロのたくらみであったともされている。しかも彼は、その大火の責任を、すべてキリスト教徒になすりつけた。そして見せしめに、彼らをなぶり殺しにした。闘技場にキリスト教徒を集め、猛獣にかみ殺させ、これをながめて楽しんだという。
 幾多の歴史書が伝えるネロの狂気──精神分析の対象ともなる″病める姿″であった。
14  ネロの異常さの特徴は、「皇帝妄想」にあったといわれる。″我は皇帝なり。我に従え。我にひざまずけ″──いわば「皇帝病」である。彼は皇帝の後継ぎというだけで、最高の権力と、莫大な財産を手にすることができた。そして、いつしか皇帝の座を、″自分自身の実力によるもの″と錯覚していった。そこに狂いの一因があった。
 本来、指導者は人々を救い、人々を幸福に導くのが責任である。それと、まったく反対に、″自分は偉いのだから何をしても許される″と転倒の考えをもったとしたら──そこから「権力の魔性」のとりこになっていく。今もその姿が眼前にある。
15  ネロが生まれたのは、西暦三七年。千九百余年前である。
 父親も札つきの悪党であった。感情のおもむくままに、人さえ殺した。反逆、詐欺、乱行など、ありとあらゆる悪行を犯し、たびたび告発されている。
 自分の淫蕩な″血″を自覚する父親は、ネロの誕生を祝う人々に、こう言ったという。「私と妻からは、世の中の厄介ものしか生まれはしない」と。ネロは、いわば″望まれない子″であったといえよう。
 ちなみに仏典には、父親が誕生を望まず、かえって殺そうとしたゆえに未生怨みしょうおん(生まれる以前に恨みを抱いている)と呼ばれた阿闍世王あじゃせおうの話が説かれている。(世継ぎの子を欲した王が、王の子に生まれ変わるとされた仙人を殺して早く生まれるようにしたので、子<阿闍世王>は生まれる前から、王にタイして怨みをもっていた。そのため未生怨という。占師うらないしが、その子がやがて王を害すると予言したため、王は阿闍世王を殺そうとしたのである)
 一方、ネロの母親は、我が子を溺愛し、息子を皇帝にするためであれば、あらゆることをした。権力の″座″に就くことを早くから望まれ、吹き込まれ、甘やかされて育った子供。母親がこうでは、心が、まともに育つはずもなかった。
 母はネロの父親の死後、当時の皇帝と再婚し、やがて皇帝を毒殺。そのため、ネロは十七歳で即位する。しかし、そのわずか五年後、ネロは、その母親をも暗殺するに至るのである。
16  ネロの生きた世界──それは、人間らしい愛情からかけ離れた、暗黒の世界であった。彼は快楽にふけり、異常な邪淫にひたり続けた。みずからの欲望のままに、ひたすら悪事を重ねていった。
 ネロはまた、みずから歌手として、幾度となく舞台に立つ。芸術家気どりの暴君の自己満足のために、多くの民衆が強制的に集められた。そしてネロが歌っている間は、決して退場を許されなかった。そのため、なかには、その場で出産させられる女性や、死者まで出たという。
 また、観客にまじった監視兵たちが絶えず目を光らせており、皇帝の舞台に拍手しない者は、極刑に処せられた。
 自分さえ楽しければ、それでよい。民衆の犠牲や苦しみには、まったく無頓着。それがネロであった。──独裁者の狂った姿は、今も昔も変わらない。
17  暴君はみずからの悪行でみずからを滅ぼした
 ネロの周りには、追従者が、むらがった。そこには、「おべっか」とウソ、策謀と足の引っぱりあいが、あふれていた。ネロは、彼らが耳打ちする作られた情報をうのみにし、いいように利用されてしまう。
 しかも、そうした″取り巻き″がいくら多くとも、ネロは本当に心安らぐことがなかった。キョロキョロと、あたりをうかがう小動物のように、つねに何かを恐れていた。絶えずビクビクし、おびえていた。心は不安でいっぱいであった。
 この不安と臆病ゆえにネロは、極端で過激な反応をすることが多かった。いつも右に左に心が揺れていく。少しでも自分の意にそわないと見るや、冷静に調べることもせず、次々と殺していった。ついには、自分の恩師をも殺した。かつての師であった、高名な哲学者セネカを、陰謀事件の一味として自殺に追い込んだのである。
 彼のこうした行動は、内面の″弱さ″の表れにすぎなかった。″強さ″に基づいた断固とした決断と行動ではなかった。
 簡単に人を″切る″権力者。彼を勇気ある人間と誤解しては絶対にならない。臆病であるゆえに、現実から逃避しようとして、また自分の″力″を確かめずにおれなくなって、気に入らないものを″切り捨て″ているだけなのである。
18  さて、ネロ皇帝の時代の末期、帝国は大きく揺れ動いていた。民衆の心はとっくに離れ、辺境に反乱も起こった。「ネロ体制」から、どんどん離脱していく。権力に酔いしれ、贅沢三昧の日々を送っていたネロの足元は、急速に崩れ始めていた。
 それでもネロは、反乱軍との戦いなど意に介さず、ギリシャへの旅に出る。音楽コンクールに出て、力だめしをしてみたいという、うぬぼれからの気ままな旅であった。
 人々が、どれほど苦しもうと、経済的に逼迫しようと関係ない。自分がよければ、それでいい。あくまでも自分の欲望を満たすことが第一であった。遊びたい。楽しみたい。豪遊したい──心の中にはそれしかなかった。
 やがて反乱は、ようやく鎮圧された。ネロの時代が続くかに見えた。しかし、この時、ローマで一つの事件が起こる。
 食糧不足で苦しんでいたローマの市民のもとに、穀物船到着の知らせが届く。人々は喜び、食糧の配給を今や遅しと待っていた。
 だが、船から運び出されたものは何であったか。なんとそれは、ネロが、豪勢な宮殿の競技場に敷きつめるための「砂」であった。民衆の怒りは爆発する。″我々は、だまされていた。これがネロの正体だったのだ″と。
 ネロを攻撃する落書きが、ローマのいたるところに現れる。化けの皮をはがされたネロは、残っていた、わずかばかりの民衆の支持をも失った。
 情勢は一変した。反乱軍は再び勢力を盛り返し、ローマの元老院も反乱軍と内通を始める。
 ネロの最期──それは、あまりにあっけなかった。形勢が不利になるや、腹心たちは次々とネロを見捨て、姿を消していった。ただ一人となったネロは、敵軍が迫るなか、みずからのどを突いて生涯を終えるのである。
 あとに残された演説文からは、ネロが民衆に直接許しを請うkおとで、最後の望みを託そうとしたことがうかがえるという。
 民衆に敵対した者は、最後には必ず、謝らざるを得なくなる。
19  ″放蕩の宮殿″を打ち砕いた無名の勇者
 ところで、このネロの時代を描いた名作がある。(ポーランドのノーベル賞作家・シェンキェヴィチの歴史小説『クォ・ヴァディス』がある)
 この物語には、次のような印象的な場面がある。先ほども少々申し上げたが、ネロのキリスト教徒迫害は凄惨を極めた。
 ネロによって「無実の罪」を着せられたキリスト教徒たちは、円形闘技場に送り込まれ、次々に獰猛なライオンや闘牛の牛の餌食になり、殉教していった。
 闘技場を埋め尽くした何千人もの大衆。皆、キリスト教徒がむごたらしく殺される流血の″見せ物″を、今か今かと待ち望んでいた。もちろん、その中には、独裁者・ネロの姿があった。
 彼は、キリスト教徒たちを悪者にすることで、大衆の怒りや不満をそらそうとした。自分(ネロ)は悪くない、彼ら(キリスト教徒)こそが邪悪なのだと。独裁者の″自己保身″と″大衆操作″の常套手段である。
20  ある日、いつものように一人の男が、闘技場に入れられた。勇猛な大男であった。彼は、キリスト教徒として殉教を覚悟し、ひざまずいて一心に祈っていた。
 やがて、ラッパの合図とともに、門が開き、一頭の怪物のような牛が現れた。野蛮な″処刑劇″の始まりである。
 観衆は皆、この大男もあっけなく殺されるだろうと思い込んでいた。
 しかし、現れた猛牛の姿を見て、突如、勇者の心は炎と燃えた。巨大な牛の角に、息も絶えだえの一人の乙女が縛りつけられていたからである。その乙女は、彼の種族の王女であった。
 大切な敬愛する王女が、さらしものにされなぶり殺しにされようとしている──。勇者の怒りは一気に爆発した。
 ″王女に何ということをするのか!″。彼はそれだけは許すことができなかった。黙って見ていることはできなかった。
 電光石火、彼は、一直線に野獣に突進していった。そして、あっという間に、荒れ狂う牛に飛びかかり、がっちりと角をつかんだ。
 かつてない光景であった。″血の見せ物″に慣れ切った観衆は、驚嘆のあまり、息をのみ、一斉に立ち上がった。
 牛に押され、必死で耐える男の足は、じりじりと砂の中に沈んでいく。背中は弓のようにのけぞった。
 真っ赤に紅潮した体。滝のように流れ出る汗。隆々と盛り上がる筋肉──。やがて、男は渾身の力を込めて、野獣の頭をねじり始めた。苦しそうにうめく牛の口から、泡だらけの舌が出てきた。そして、静まりかえった闘技場に、骨が砕ける音が響き、牛はドサリと倒れた。
 その瞬間、異様な熱気が場内を圧した。狂わんばかりの歓声と拍手がはじけた。圧巻の勝利劇である。血沸き肉躍る、大逆転の勝利、大激戦の勝利──。「勝つ」ことは、なんと素晴らしいことか。
 真剣な戦いのなかでこそ、自身の本当の力が出る。無限の可能性が開かれる。愉快な勝利が輝く。これが「戦い」の醍醐味である。
21  命をかけて王女を守り抜いた勇者の戦いに、大衆の心が大きく動いた。一方、動揺し、青ざめ、立ち尽くす皇帝ネロ。大衆は、眼前のドラマに感涙しながら、また、皇帝に怒りを覚えながら、口々に叫び始めた。
 ″彼らを許してやれ!″″なぜ、二人に恩恵を施さないのか!″──″悪いのは、お前だ!″という叫びである。
 ネロに向けられた数千の憤激と怒号の嵐。さしもの″暴君″も、この信じられない光景に戦慄し、茫然とするのみであった。
 もはや、孤立したネロには、大衆の要求通り、王女と勇者を許すしかなかった。彼の哀れな末路を予兆するかのような事件であった。
 愛するものを守るため、渾身の力を振りしぼって戦い、不可能を可能にしていく。そこに、民衆の共鳴の輪が広がる。この勇者の戦いのごとく──。
 広布の戦いにおいては、皆さま方、お一人お一人が「偉大なる勇者」であった。皆さまの勇気が、時代を大きく変えた。状況を一変させた。
 これからも、ともに「大いなる勇気」で、「大いなる勝利」の歴史をつくってまいりたい。
22  仏子への尊敬は、仏への尊敬
 このようにネロは民衆を見下し、民衆によって倒された。
 民衆の力にまさるものはない。心から民衆を尊敬できる人が、立派な人なのである。
 大聖人は「御義口伝」で断言しておられる。
 「法華経の行者は真に釈迦法王の御子なり、然る間王位を継ぐ可きなり(中略)今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は釈迦法王の御子なり
 ──法華経の行者は、真実に釈法王(文底では御本仏日蓮大聖人)の御子である。それゆえ必ず王位を継ぐのである(必ず仏になる)。(中略)今、日蓮大聖人とその門下の南無妙法蓮華経と唱え奉る者は釈法王の御子である──と。
 妙法の実践者、広宣流布への行動者。私どもは、真の「法王」であられる御本仏日蓮大聖人の「子供」であり、「王子」「王女」なのである。最高に尊貴なる存在である。
 王子、王女をバカにする人間は、王(大聖人)をバカにする人間である。日蓮大聖人を信ぜず、尊敬しない人間である。
 「法主の子供」であることを自慢し、うぬぼれている人間もいるようだが、悪法主の子供であるよりも、真実の「法王の御子」であるほうが、比較にならぬほど素晴らしいと思うが、どうだろうか。
23  大聖人はまた、こう述べておられる。
 「法華経の行者は男女ことごとく世尊に非ずや(中略)是真仏子なれば法王の子にして世尊第一に非ずや」──法華経を行ずる者は、男性も女性も、一人のこらず世尊(釈尊)ではないか。(中略)「これ真の仏子」と経文(法華経宝塔品の)にあるように、法王の子供であり、「世尊」すなわち一切衆生の中で「第一の人」ではないか──と。
 大聖人の門下である限り、この御文を、そのまま信じ、拝するべきである。
 大聖人を本当に尊敬している人は必ず、大聖人の御遺命の実現に人生をかけて戦っている学会員を尊敬する。学会員を心から尊敬できる人が、大聖人を真に尊敬している人なのである。
 御書には「釈迦同等の仏にやすやすとならん事疑無きなり」──(妙法を正しく実践する者は)釈尊と等しい仏に、やすやすとなることは疑いない──と仰せである。
 同じ意味の御文は数多い。「やすやすと仏になるべし」、「釈尊程の仏にやすやすと成り候なり」等々。「やすやすと」と、大聖人は繰り返されている。妙法は、それほど偉大である。
 広布に戦い抜いている学会員が、今世で仏にならないとしたら、御金言はウソになってしまう。断じて、そんなことはない。ゆえに「広布の戦士」を、仏のごとく敬い、たたえ、大切にしていく「心」──その「心」が、法華経の「心」であり、真の大聖人門下の「心」なのである。
24  利養にたけた悪比丘に広布はできない
 「守護国家論」で、大聖人は″広宣流布を託せるのは、問答にたけた菩薩である″″広宣流布をできないのは、利養(名聞名利にとらわれ、自己の利益のみ考えること。自分の欲求を満たし、自分の身を養うこと)にたけた悪侶である″と、経文を引かれて述べておられる。まことに対照的な姿である。
 いかなる人に広布を託すかについては、「法華経の流通たる涅槃経に云く「応に無上の仏法を以て諸の菩薩に付すべし諸の菩薩は善能く問答するを以てなり」と。
 ──(法華経の「後の五百歳の中に広宣流布し」云々の文について)法華経の流通分(その経を弘めるために説かれたもの)である涅槃経には「まさに、無上の仏法(妙法)を諸菩薩(在家・出家の)に付嘱ふぞくすべきである。これらの菩薩は問答(対話)が上手じょうずだからである」と説かれている──。
25  問答・対話・謗法破折の実践が、「広布の戦士」の要件なのである。こちらが御書を拝して破折しても何も答えられないのでは、その姿自体、″広宣流布とは無縁″の証明である。
 だれが問答(対話・折伏)に巧(たく)みな菩薩」であり、だれが「利養の悪比丘」か、一目瞭然ではないだろうか。
26  経文に「魔僧は横に法制を作る」(宗規改悪)と
 また大聖人は、こうした魔僧の特徴として、「勝手に『教団の規則』等を変える」ことを挙げられている。
 すなわち仁王経を引かれて、「諸の悪比丘よこしまに法制を作りて仏戒に依らず」──(未来の世において、権力者らとともに)悪い僧侶たちが、勝手に自分たちに都合のよい)法制(教団では宗制や宗規など)をつくって、仏の戒めによらない──と。
 本来、「仏」の金言、御遺誡にこそ従うべきであるのに、それでは自分たちの思い通りにならないので、勝手に規則や制度を改悪して、それに従えと命じてくる。そういう邪悪の僧が出るとの経文である。まさに今の通りである。
 宗門は、日顕登座以来、着々と「法主絶対」への宗規改悪を積み重ね、一昨年暮れも宗規の改変によって総講頭の罷免をはじめ、学会の弾圧に本格的に乗り出した。その後の解散勧告や破門通告、信徒除名その他も、「仏戒」すなわち御聖訓や御遺誡とは何の関係もなく、自分たちがよこしまに作った反仏法の宗規を口実にしたものである。
27  最後に、どうか、揺るぎない「確信」をもって、下半期も堂々の前進をお願いしたい。そのためにも、この夏、十分に疲れをとり、鋭気を養っていただきたい。無事故の日々であっていただきたい。
 偉大なる三世の同志に、重ねて心から感謝申し上げ、私のスピーチとしたい。
 これから、できうる限り、各地を訪問して、御礼し、喜んでいただけるようにしていく決意である。皆さん、待っていてください!

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