Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

アメリカSGI文化本部代表との質問会 「幸福の博士」「人生の大統領」に

1992.8.7 スピーチ(1992.6〜)(池田大作全集第81巻)

前後
2  自分に自信が持てないのですが
 みんな、自信なんかありません。むしろ、ないのが普通です。
 かえって「自信がある」などという人は、傲慢な場合が多く、まわりとケンカばかりして、みんなにわれたりする。
 人間は自信がありすぎても不幸であるし、自信がなくても不幸である。
 要するに、大事なことは、″自分らしく″輝き、″自分らしく″一日一日を勝ち取り、″自分らしく″人生を向上させていくことではないでしょうか。目的に向かって、自分で自分を錬磨していくような前進であればいいのです。
 所詮、自分は自分であり、人は人です。人と比べてどうかではない。自分の人生です。自分が心の底で現実に何を感じているかです。
 仏法では「桜梅桃李おうばいとうり」「自体顕照じたいけんしょう」(万法の本体<自体>を照らし、真理を顕わすこと。「曾谷殿御返事」に「仏になる道はあに境智の二法にあらずや、されば境と云うは万法の体を云い智と云うは自体顕照の姿を云うなり」とある。ここでは妙法への信仰によって、自身の生命の本来の働き、使命を発揮していく意味で使われている)と説きます。
 桜は桜、桃は桃です。桜は絶対に桃になれない。なる必要もないし、なっても不幸でしょう。
 自分も、どこまでも自分である。なりたくても、絶対に他人にはなれない──その、かけがえのない自分を、大事にし、励まし、満足できる自身になることです。
 その根本は唱題です。妙法を唱えることによって、ありのままの姿で無作むさの「仏」と輝いていくことになる。ここに根本的な、最高の自信があり、この「自体顕照」の光が我が身を飾り、荘厳させていくのです。
3  <よくわかりました。私は、ある程度の地位を獲得したことは確かですが、完璧主義のため、高い質を望むあまり(これでいいという)自信を持てないでいたのです>
 それ自体、素晴らしい「人生の歩み」です。″自分は、これで、もういい″というのは、いわば自信過剰であり、慢心に通じる。
 ″まだまだ″という、たゆみなき求道心、向学心、″これからだ″という挑戦の心、探求の心──それは仏法の観点からも、まことに尊い生き方です。価値創造の人生へのエンジンです。
 堂々たる自信を持っていただきたい。″最高の人生″を″美しい心″で生きておられるのだから──。
4  多様性の社会でどう生きるか
 <アメリカの特色は「多様性」にあります。ロスの問題(黒人に暴行を加えた警官が無罪の評決を受けたことがきっかけで、一九九二年四月末に起こったロスアンゼルスでの大暴動)に象徴されるように、多様性はアメリカ人の生活全般に影響を及ぼしています。こうした多様性の社会で、個人として、どう生きていけばよいでしょうか>
 重大な質問です。簡単なようで難しい、また、アメリカのみならず今後の世界を考えるうえでも切実な問題です。大前提として、「多様性」は正しい。生命も多様、人間も多様、それが自然です。その反対は画一主義、全体主義、独裁、専制になる。
 たとえば、目、鼻、口、手足等々、それぞれの機能は多様であるが、みな大切な役目がある。上も下もない。その多様性がバラバラにならないで、有機的な生命体として働くとき、全体として素晴らしい運動ができ、創造ができるのです。
 社会においても、仏法で「衆生世間」と説くように、さまざまな衆生がいる。「世間」は差別(違い)の意味であり、多様性を示しているといってよいでしょう。
 いろんな人がいる。それが、いいのです。皆、同じではつまらない。
 多様性の理想の国はアメリカです。″理想の国になれる国″です。私たちのあこがれです。
 それと反対なのが日本。ブラジルから来た留学生が、言ったそうです。「日本人はだれもが、つまらなそうに、同じような表情で、同じような行動をする。あまりにも画一的で、恐ろしい」と。
 戦時中の日本では、女の人はみなモンペ姿で、パーマもできなかった。今はいろんな服を着ることができる。お化粧も自由。どちらの時代が楽しいか、いうまでもないでしょう。
 多様性こそが自然です。道理です。朝起きた時は不機嫌でも、勤行したら良くなったり、さぼったけど、しかられなくて、いい気分になったり……個人の一日の中でも多様性があるんです。
 またたとえば、山の色がさまざまに変わる。朝日が昇るにつれて、陰影が刻々と変わる。季節によっても変化する。優れた芸術家は、そうした多様な山の姿から″一番美しいもの″″美の極致″を、心の眼でとらえ、名画に仕上げていく。
 このように現実の多様性を楽しみながら、それぞれの一番の美点、価値を発見できる人が「人生の達人」です。ここに、日蓮大聖人の仏法による「知恵の人生」もあるのです。「知識」のみでは足りない。「知恵」と両方あって、はじめて人生の勝利もある。知恵がなければ、善人か悪人かも見抜けない。
 結局、自分がどう「知恵の眼」を開くかに尽きるのです。世界観、社会観、人生観を磨くことです。現実社会の中で″良き人″と結びつきながら、″良き事業″″良き仕事″を選びながら、賢明に戦い勝っていくのです。
 このように、多様性を上手に使い、乗り越え、調和させていく。すべてを「安定」の方へ、「幸福」の方へ、「美・利・善」の価値創造の方へ、向けていく。この人生のかじ取りの根本が「信心」です。また、そうした社会の建設を示されたのが「立正安国」の教えなのです。
 大聖人の仏法は、最も「多様性」を生かせる、幅の広い、自在な生き方を教えられている。画一性や押しつけ、専制、排他性と正反対の宗教なのです。
 今の宗門は、法主の独裁性から、この大聖人の仏法の自由闊達な魂を抑圧し、抹殺しようとしているのです。
5  地域広布の展望をもちたい
 <日本に来ると、学会の発展ぶりに驚きます。アメリカSGI(創価学会インターナショナル)の十年後、二十年後へのビジョン(展望)、将来像は、どう描いていくべきでしょうか>
 もう土台はできています。心配しないでください。あまり難しく考えないで、アメリカはアメリカらしく、楽しく進むことです。
 大聖人は「末法万年」と仰せです。広宣流布の将来は長い。
 ロシアのあるメンバーも、語っていました。──劇的な政変のなかで、逃げまどうようなこともたびたびだった。さまざまな困難があった。それでも互いに励まし合い、やっと支部結成へというところまで、たどりついた。当時は、今のような自由の時代になるとは想像もつかなかった、と。
 真剣に祈りながら、「目下の課題」をやりきっていけば、必ず「時」は来ます。
 また現代においては、私が世界広宣流布の指揮を執っている。指揮者は真剣です。楽団員も真剣で、ぴったり息が合えば、そこに感動の名演奏が生まれてくる。僣越せんえつですが、私は広宣流布の指導者なのです。まかせてください。
 苗木を植えているときに、将来の大森林になる過程を、皆が完全に展望することは難しい。晴れの日もあれば、雨の日もある。雪の日も、嵐の日もある。それらを越えて、ふと見渡した時に、「はぁー、こんなに出来上がったのか! よく頑張ったなぁ」と思う。そこに、何ともいえない楽しみがある。違いますか?
 現実は複雑であり、刻々と変化する。ゆえに、広布の展望に″こうあらねばならない″というのは、ないのです。ましてアメリカは″多様性″の国です。一律に将来を規定してしまっては味気ない。
 アメリカはアメリカらしく──そういう気持ちで″種″を植えていきましょう!耕しましょう!
 「土台」ができるまでは大変です。アメリカには、もう土台がある。その上で、より大きな発展のためには、より大きな土台をつくる必要がある。
 大いなる土台づくり──今、アメリカは、その時だと思う。必ず発展します。また世界広布の中心になっていくでしょう。SGI本部も開設されます。私は最大の″楽観″をもって、皆さんを見守っています。
6  「人間のネットワーク」へ何ができるか
 <SGI会長が世界の識者と対談され、友情を広げておられるのは、本当に素晴らしいことだと思います。私も、会長が広げておられる「人間のネットワーク」に貢献したいと思いますが、どうすれば、お手伝いができるでしょうか>
 その「心」が、ありがたいし、尊いのです。広宣流布を思う純粋な心──。本当に尊貴です。その一念で「広布」と「使命の実現」を祈ってください。
 「祈り」は、いわば″生命のエネルギー″として、全宇宙に伝わり、さまざまな「変化」の原動力となっていくのです。放射能も紫外線も、目には見えないが、厳として存在する。影響を及ぼす。妙法の祈りの″エネルギー″も、目には見えないが、その力は無限です。
 多くの同志が祈ってくださっている。だからこそ私も、その一念の″エネルギー″に包まれて、世界の舞台で行動していける。それが実感です。心から、そう思っています。
 また、人には、それぞれ立場があり、役目があります。あなたには、あなたにしかできない使命がある。私も、私の立場で戦う以外にない。その意味では、妙法の同志一人一人が、かけがえのない″太陽″なのです。
 だれかと同じようにではなく、皆さんは皆さんの、私は私の立場で、「わが使命」を、まっとうすることが、全体として広宣流布という一つの目的に、つながっていくのです。
 だから存分に、輝いてください! 大いなる″太陽″になってください!
7  「創造性を育む家庭教育」とは
 <アメリカのほとんどの親にとって、最も大きな心配の種は「子ども」ではないでしょうか。創価学園・大学で行われている″創造性をはぐくむ教育″にふれて感動したのですが、こういう教育を、家庭で実践するには、どうすればよいでしょうか>
 教育──これは人間の根本的な課題の一つです。アメリカだけでなく、日本も悩んでいる。各国の、世界の問題です。
 結論から申し上げれば、「こうすればよい」という″特効薬″のような処方箋は、ないでしょう。
 所詮、大人の生き方の中に、すべてがある。また、いくら観念的に悩んでいても向上の道は創出されない。何らかの良き方法を実行し、努力していく以外にないのです。
 自分で、この「方法」が良いと学んだこと、自分で研究して良いと思ったこと、それら一つ一つを、深く祈りながら、行動に移し、粘り強く努力していくしかないのではないでしょうか。
 教育においては、制度とか方法以上に、学生・生徒に「納得」と「信頼」を与えゆく絶大なる努力、すべてに心を配りゆく真剣さ、そうした教師としての決然たる姿勢が、第一義の課題となるでしょう。
 「教師のための学校」ではなくして、「学生・生徒のための学校」であるということを忘れてはならない。
 幸い、創価大学・学園は、学生アンケートなどでも、理想的なキャンパスと評価が高い。
 これからも、どこまでも「人間主義」「学生・生徒中心」の精神を具体化していってほしいと思っています。
 また、生徒一人一人が″原点″に対して「尊敬する心」をもっている。その心が、教員への尊敬、生徒同士の友情、また父母への信頼へと、広がっている。そして、その尊敬し信頼する人に対して″自分は、どう応えていくか″を、つねに考えている。そこから″皆を幸せにするための学問なのだ″″皆のために、今こそ英知を磨くのだ″という自覚が生まれ、努力の姿勢が身についてきている。
 この″何のため″を考えさせているところに、一つのポイントがあるのではないでしょうか。
 ですから、各家庭でも、わが家の原点、原則、目標を大切にしながら、粘り強く、少しずつでも、前へ進むことです。途中で″あきらめない″ことです。そこから″我が家″に合った″創造的な教育″の道が開かれていくと思います。

1
2