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日蓮大聖人・池田大作

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イタリア代表者会議 希望!それは心の「金の翼」

1992.7.2 スピーチ(1992.6〜)(池田大作全集第81巻)

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2  ヴェルディとイタリア国民復興運動
 先日(六月二十八日)の、「イタリア芸術音楽祭」(イタリア文化会館)は、まことに見事であった。役員の方々をはじめ皆さま方に、改めて「ご苦労さま」と申し上げたい。
 あの折、イタリアが生んだ偉大なる音楽家ヴェルディ(一八一三年〜一九〇一年)の素晴らしい作品も聴かせていただいた。マッツァ元上院議員はじめ来賓の方々も、感動しておられた。
 きょうは、その感謝の思いも込めて、ここミラノで活躍したヴェルディについて、少々お話しさせていただきたい。
 先日(六月十六日)、エジプトのカイロで、「日本・エジプト合同公演」が、大成功のうちに行われた。その友情の舞台の冒頭を飾ったのは、オペラ「アイーダ」の合唱であった。これまた、ヴェルディの作品である。
 ″全イタリアの心臓は、ひたすらに「ナブッコ」や「リゴレット」のリズムにのって鼓動しているほどである″と記した音楽家がいるが、ヴェルディは、イタリアの民衆がこよなく愛する音楽家である。
3  なかでも、歌劇「ナブッコ」は、一八四二年、ミラノ・スカラ座で初演されると、またたくまに全イタリアの人気を集めた。とりわけ、「行け、わが胸の思いよ、黄金の翼に乗って」の合唱は、多くの人々の心をとらえて離さなかった。芸術音楽祭でも聴かせていただいた歌である。
 当時、イタリアは、他国の支配下にあった。人々は、″捕らわれのヘブライ人たちが、鎖につながれながらも祖国への熱き思いを歌い上げる″との力強いコーラスに、自分たちイタリア人の心を重ねた。他国の「くびき」につながれた姿を、二重写しに見ていた。
 「ナブッコ」は、イタリア人の心の底にある祖国への熱い思いに火をつけた。″イタリアに、自由を!″──その日を待ち望む人々の心に希望の「翼」をつけ、大きく羽ばたかせた。今も″第二のイタリア国家″と評されるほど、広く知られ、愛されている。
 また、ヴェネツィア・フェニチェ劇場での公演では、観客が立ち上がり、オーストリアの官憲が居並ぶボックス席に、これ見よがしに三色旗(イタリアの国旗)を振って、足を踏みならしたという。
 やがてヴェルディは、イタリア統一を願う国民復興運動(リソルジメント)の象徴的人物の一人と、みなされていった。
4  「ナブッコ」の大成功は、彼の人生にとっても、″新しきヴェルディ″の誕生であった。というのも、それまでのヴェルディは、絶望のどん底にあり、作曲を断念しようとさえ考えていたからである。
 ──相次いで妻と二人の子を失ったヴェルディを、さらに新作オペラの大失敗という不幸が襲う。彼は、ミラノで、ろくに食事もせず、仕事もせず、悲しみと苦悩にさいなまれていた。その彼が、ある日、ささいな用事でりスカラ座の支配人を訪ねる。支配人は、強引にヴェルディのポケットに、「ナブッコ」の台本を押し込んだ。
 帰宅して、いったんは台本を投げ出したものの、彼の目は、ある一節がひきつけられた。それが、「行け、わが胸の思いよ、黄金の翼に乗って」の歌詞であった。
 彼は気力を奮い起こした。苦しみと戦いながら、一節、また一節と、作曲に挑んでいった。その結果、群衆による合唱が多く用いられ、情熱に満ちた壮大な、新しいタイプのオペラが完成されたのである。
 続いて取り組んだ作品は、権威にこり固まった聖職者から、″冒涜的な″場面を削除せよと圧力もかけられたが、ヴェルディは拒否。そのまま上演にこぎつけ、聴衆に熱狂的に迎えられた。その後も圧迫は絶えなかったが、ヴェルディにはつねに人々の圧倒的な支持があった。イタリアの民衆は、彼に、「合唱の父」の名をささげた。
5  彼は、オペラを愛し、劇場を愛し、舞台を愛していた。細部まで自分の目と耳で確かめた。音楽に関しては、いかなる妥協も許さなかった。
 彼は語っている。「尻込みする芸術家は進歩しない」と。──この言葉が物語るように、彼はまた、横暴な権力にも屈しなかった。
 彼は、つねに″一人の人間″として生きた。彼は、北イタリアの宿屋の息子として生まれた。後年、彼はこう語っている。″わたしは、ただの農民にすぎない″
 彼は、あくまでも一人の農民との自覚で、民衆の友として、音楽を愛し、イタリアを愛し、その一生を創作に捧げた。
 最晩年には、ミラノの地に、「音楽家たちのための休息の家」の建設に努力している。
6  仏法は形式ではない、信心が根本
 大聖人の門下に、富木常忍という信徒がいた。大聖人が彼に送られた書の中に、末法の正しい修行を述べられた「四信五品抄」がある。
 その中で、大聖人は、末法の修行は、「信の一字を詮と為す」──信の一字を究極とする──と、教えられている。
 大聖人の仏法の肝要は、形式ではない。「心」である。「信心」が根本である。
 そして御本尊を信じて、「唱題」する修行に、すべての修行が含まれていると、大聖人は仰せである。そのたとえとして、わかりやすく次のように述べられている。
 「日本の二字に六十六国の人畜財を摂尽して一も残さず」──日本という二文字に、日本六十六カ国の人、動物、財宝のすべてを収め尽くしており、一つも残すものがない──と。
 「イタリア」の場合も、同じである。
 同様に、「南無妙法蓮華経」という題目に、法華経の一切が含まれているから、唱題行が、そのまま成仏の直道じきどうとなる。
 それ以外の、形式にとらわれた修行は、枝葉の修行であり、かえって、信心を邪魔するものになってしまう。
7  さらに、この題目の深い意義がわからなくても、題目の功徳を、そのまま身にあらわしていくことができると、教えてくださっている。
 それは、あたかも「小児乳を含むに其の味を知らざれども自然に身を益す」──子供が母のお乳をすうのに、その味(中身)を知らなくても、自然に、その身に利益を得る(成長していく)──のと同じである、と。
 生まれたばかりの赤ちゃんのように、法門を理解していなくても、題目を疑わずに唱えていけば、自然と、題目の偉大な力を身につけていくことができる。大聖人の仏法は、″民衆″にひらかれた″民衆のための仏法″なのである。
 また「妙法蓮華経の五字は経文に非ず其の義に非ず唯一部の意なるのみ」──妙法蓮華経の五字は、たんなる経文ではない。その意義でもない。ただ法華経全体の心である──ともおっしゃっているのである。
 私たちの唱える題目は、法華経の心であり、根本的には、大聖人の魂そのものなのである。
 したがって、その意味がわからなくても、御本尊を信じて題目を唱える時、大聖人の魂にふれていくことができる。我が身に、南無妙法蓮華経の大聖人の生命を涌現させていくことができる。なんとありがたいことか。
8  さらに大聖人は、入信の日が浅く、教義が深くわからなくても、題目を唱える人の位は、″仏教各派の元祖に、百千万億倍、優れている″と、大聖人は御称賛されている。
 修行もなく、広布への努力もなく、大聖人に反逆し、大聖人を利用するだけの僧侶など、極悪中の極悪である。SGIに連なる皆さまこそが、皆さまだけが、真の「大聖人の門下」なのである。
 大聖人は「我が末弟等を軽ずる事勿れ」──我が門下らを軽んじてはいけない──と、戒められている。
 この仰せ通り、広布に進むSGIのメンバーは、実に高貴なる存在なのである。仏子を軽んじることは、御本仏を軽んずることになる。
9  ここミラノにもゆかりの深いルネサンスの桂冠詩人ペトラルカは、「イタリアに」と題して、こう、うたい上げた。
   よき人びとには安全な、おごれる者には恐るべき土地
   高貴なる国々よりもさらに気高く
   どこよりも豊かにして美しい国土くに
 この素晴らしき「世界の栄光」の国イタリアを、妙法の力で、さらに、光り輝かせていただきたい。とともに、この詩にあるごとく、皆さま方イタリア家族の、うるわしい世界を、悪侶たち「おごれる者」に蹂躙じゅうりんさせては絶対にならない。
 どうか、広布の将の将である皆さまは、大切な仏子である、我が同志、「よき人びと」を、守りに守っていただきたい。そして、どこよりも福徳豊かな、どこよりも美しい団結の、SGIイタリアを築いていかれることをお祈りしたい。

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