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日蓮大聖人・池田大作

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SGIイタリア芸術音楽祭 天才とは″永遠の挑戦″の異名

1992.6.28 スピーチ(1992.6〜)(池田大作全集第81巻)

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1  一九世紀イタリアの統一運動も「民衆の音楽」とともに
 素晴らしい芸術音楽祭、グラッチェ(ありがとう)。グラッチェ!
 はじめに、来賓のマッツァ氏(元上院議員、元内務次官)ご夫妻、ならびに、アンダロ氏(元ボローニャ県文化担当参事)、ベルトン氏、カルタビアーノ氏に対し、ご多忙のところ、また遠いところのご出席に、心より御礼申し上げたい。
 また、全ヨーロッパから祝福にかけつけてくださった皆さま、本当にご苦労さまでした。
 今回、私は、エジプトでも、トルコでも、第一級の殿堂での、第一級の音楽祭に招かれてきた。また、これまでも数多く招待され鑑賞してきた。それらの素晴らしさは当然のこととして、きょうの、青年の手づくりの大テントでの、この芸術音楽祭は、ひときわ心躍り、心打たれる祭典であった。
 世界一、喜びにあふれ、世界一、情熱に燃え、世界一、希望に満ちた、芸術音楽祭であったとたたえたい。
 きょうの祭典は、この十一年間の皆さまの偉大なる戦いの結晶である。これほどの見事なる民衆のスクラムをつくりあげられた皆さま方お一人お一人を、私は最大に賛嘆したい。本当にありがとう! 本当におめでとう!
 十九世紀イタリアの国家統一運動(リソルジメント)は、大いなる民衆音楽とともに勝ち取られた。今、皆さまの力強い歌声が二十一世紀へ、新たなるイタリアの栄光の歴史を開きゆかれることを私は確信する。
2  ″探求の人″ダ・ヴィンチは「根源の法」を求めた
 先ほどフィレンツェの未来部の皆さんが、素晴らしい演技を披露してくださった。ご存じのように、ここフィレンツェは、かの天才レオナルド・ダ・ヴィンチ(一四五二年〜一五一九年)が少年時代、青年時代を過ごした天地である。ダ・ヴィンチは、幼くして実の父母と離ればなれになった悲哀などを、芸術を心の大きな糧として乗り越えていった。
 私には未来部の皆さんが、何ものにも負けない若きダ・ヴィンチと二重写しに見える。
 そこで少々、ダ・ヴィンチの話をさせていただきたい。
 ルネサンス精神を代表する「万能の人」ダ・ヴィンチ。米ソのかけ橋として活躍されたアメリカの故ハマー博士から、私は、ダ・ヴィンチの「手稿」の特別復刻版を頂戴した。創価大学の宝として大切に保管されている。(「手稿」は五年以上かけてダ・ヴィンチ当時の姿に再現され、三十五部のみ限定復刻された。有名な鏡文字(左右逆の文字)とスケッチで、天文、地質、水の動き、力学、幾何、人体、生理、気象、古生物学などの探究のあとが。サイホンの原理、水の気化・液化の原理、蒸気の力、潜水艦と換気装置など先見のアイデアもちりばめられている)
 絵画、彫刻、音楽、生理学、工学、建築、砲術、数学、その他の自然科学……広がり続けた彼の「探究」は、結論的に言えば、森羅万象の奥にある「一法」への探究であったとも考えられる。
 これに対し、私たちは、妙法という「根源の一法」を基本にして、芸術・科学はもちろん、社会のあらゆる分野に、「創造」の華を咲かせていく。
 立場は違うが、「探究の人」ダ・ヴィンチに学ぶことは、あまりにも多い。時間の都合もあり、本日は、簡単に、彼の言葉を列挙のみしておきたい。
3  まず「徳は、生まれると同時に、自分(徳)に反対する嫉妬をも生み出す。嫉妬を伴わない徳よりも影を伴わない物体のほうが先に現れるだろう」(高徳の人が現れると必ず嫉妬する人が現れる。嫉妬されない高徳の人など、影のない物体よりもありえない)
 これが人の世の現実であろう。ともあれ、やきもちを焼く人よりも、焼かれるくらいの人のほうが幸福である。そういう幸福な人生であっていただきたい。
 また「悪を罰さない者は悪を行えと命じているのだ」(悪と戦わぬ者は、悪を許し、悪を行えと言っているのと同じである)
 これもまた道理である。悪と戦わない人は正義の人ではない。
4  「老年の欠乏をおぎなうに足るものを青年時代に獲得しておけ。老年は食物として智慧を必要とするということを理解したら、そういう老年に栄養不足にならぬよう、若いうちに努力せよ」
 青春の努力が人生の土台である。そして「知恵ある人」は永遠の富者である。
 「食欲なくして食べることは健康に害があるごとく、欲望を伴わぬ勉強は記憶をそこない、記憶したことを保存しない」
 次元は異なるが、信心の実践も″勇んで″、また″喜んで″行ってこそ、真の大きな功徳はある。いやいやながらの、後ろ向きの一念であっては、本当に深い、汲めどもつきぬ大福運はつかない。その一念の差はまさにタッチの差であるが、結果の違いは大きい。
 「あたかもよく過ごした一日が安らかな眠りを与えるように、よく用いられた一生は安らかな死を与える」──これは有名な言葉である。
 「十分に終わりのことを考えよ。まず最初に終わりを考慮せよ」──創作も人生も同様であろう。日蓮大聖人は「先臨終の事を習うて後に他事を習うべし」と仰せである。
5  死を目前に「私は続ける!」と
 さて、ダ・ヴィンチのいわゆる「最後の言葉」は何か。(彼は一五一六年、六十四歳の時、フランスに出発、フランソワ一世の居城の一つ、アンボワーズ郊外のクルー城に滞在した。二年半後の逝去もクルーの地である。臨終のくわしい状況は伝えられていない)
 死を目前にした彼は、死後のことを、こまごまと指示した遺言状を書くが(死の九日前)、その前に書き残した言葉がある(一五一八年六月)。
 それは「私は続けるだろう」との一言である。何かの計画であったのか、何らかの仕事のことか、芸術のことか、いずれにしても、彼は死を目前にして、なお「私は続ける」と書いている。
 最後まで「努力」、どこまでも「挑戦」、限りなき計画と実行の「持続」「連続」──この、たゆまぬ前進が、「天才」の実質であった。
 生きている限り、私は「戦う」。使命の行動を、私は「続ける」。この決心が、人生の天才、幸福の天才をつくっていく。正義、健康、勝利、幸福、和楽、栄光──すべて、この「私は続ける」という一言の中に凝縮されている。
 大切な、大切な皆さまである。妙法を根本に、自分自身の、はつらつたる″行動の絵″を、そして自在なる″幸福の名画″を描き、現実へと仕上げていっていただきたい。
 再来年の世界青年平和文化祭には、日本をはじめ各国から同志がイタリアを訪問する予定である。きょうは、本当に素晴らしかった。おめでとう!

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