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日蓮大聖人・池田大作

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第1回イタリア青年部総会 「人間再生の大地」で幸福の輪舞を

1992.6.27 スピーチ(1992.6〜)(池田大作全集第81巻)

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2  青春期は、悩みとの戦いの季節である。また人生の土台をつくる季節である。土台が盤石でなければ、壮大なる建築はできない。
 同じように、苦労して土台をつくるべき青春期に、努力し、苦労しなければ、勝利の黄金の建設はできない。
 信心している人の労苦、信心していない人の労苦。その違いは何か。
 端的にいえば、一切の労苦が、そのまま社会の矛盾の中でも、消えさることなく、存分に生かされていくのが、妙法を持った青春である。
 信心根本の努力は、全部、自分自身の胸中に、壮大なる幸福を建設していく。ここに、妙法を持った青春と、持たない青春との違いがある。
3  この総会には、日本そして世界の各地から、たくさんのお祝いのメッセージをいただき感謝したい。それらはすべて、ここイタリア文化会館に永久保管させていただくことになっている。
 十一年ぶりに、イタリアを訪問できた。あの折、私を迎えてくださった数百人の若き友は、皆、堂々たる広布の指導者と成長されている。そして、その方々を中核として、今や五十倍もの「地涌の人華にんげ」が、このイタリアの天地に、咲き薫っている。
 会館についても、十一年前は、もちろん一つもなかった。それが今では、皆さまの真心で荘厳されたこのイタリア文化会館をはじめ、九会館の体制となる。それぞれの法城は、皆さまの妙法の希望の音声で包まれている。
 ともあれ、本日の総会は「創価ルネサンスの勝利」の歌を、世界へ、そして万年の未来へ、轟かせゆく歴史的な意義をもっていると、私は申し上げたい。
4  ここイタリアは、世界の憧れの天地である。南国の太陽。豊かな国土。栄光の歴史。絢爛たる文化。あまたの英才──。
 かの文豪ゲーテも、このイタリアを旅することによって「第二の誕生」「真実の再生(ルネサンス)」を遂げた。
 一七八六年九月、三十七歳のゲーテは、イタリアへの憧れやみがたく、突然、出奔する。
 十二月三日には「このローマに足を踏み入れたその日から、ぼくの第二の誕生、真の再生が始まっている」(『イタリア紀行』高木久雄訳、『ゲーテ全集』11所収、潮出版社)と書いている。
 これからも、日本の交流団をはじめ、世界中の同志が、このイタリア文化会館を訪れ、精神のルネサンスの糧をみとっていくにちがいない。
 今回、中東訪問に先立ってドイツの皆さまに大変お世話になった。その感謝の意味も込めて、少々、ゲーテと新生ドイツについて話をさせていただきたい。
5  「政治」(権力)に対する「文化」(人間)の勝利
 「ファウスト」でゲーテは歌った。
 「新たなる日が新たなる岸へ我を招く」(山下肇訳、『ゲーテ全集』3所収、潮出版社)
 その言葉のごとく、統一ドイツは「新たなる世紀」の「新たなる岸」へと、人類の歴史の船を進めた。
 東西の「壁」を破った「八九年革命」──その本質を、ある人は「政治に対する文化の勝利」と指摘した。「文化戦争」と呼んだ学者もいる。
 それは、学生や知識人、文化人の活躍が目立ったということもある。また、それ以上に、「人を支配しようとする力」(権力)に対して、「人を解放し、人を結ぶ力」(文化)が勝ったのだというのである。
 ゲーテは言っている。
 「支配する必要もないし、服従する必要もなくて、りっぱに、なにものかであるような人間だけが、まさしく、幸福で偉大なのだ」(『ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』井上正蔵訳、『ゲーテ全集』3所収、人文書院)
 人を「支配」し、苦しめもしない。人に「支配」され、苦しめられたままでもいない。自分は自分らしく、人々と平等に、楽しく、そして仲良く価値の世界を広げていく。その人こそ偉大であり、幸福である。これがSGI(創価学会インタナショナル)の心でもある。
 権威で人を支配し隷従れいじゅうさせようというのは、本人が貧しく、卑しく、不幸な人間なのである。
6  じつはゲーテの生きた時代こそ、ドイツが「ひとつのドイツ」へ、「文化の力」で結ばれていった時代であった。
 十八世紀の末、ドイツと呼ばれる地域には、約三百もの大小の封建国家がひしめいていた。ナポレオン戦争後ですら、三十九の国々の連合体であった。
 この時期(十八世紀中頃から十九世紀初頭)、「一つのドイツ」へと人々の意識を変えていったのが「ドイツ化運動」である。その担い手は、直接的には、いかなる政治勢力でもなく、もっぱら「文化の力」によるものであった。「文学」における、その旗手こそ、ほかならぬゲーテだったのである。
 哲学ではカント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲル、音楽ではハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、民俗学ではグリム兄弟などが陸続と現れた。
 いわば「ドイツ」とは、現実的には、国境線にかかわらず、共通の「ドイツ文化」をもつ地域をさしていた。そして、ゲーテたちが「一つのドイツ文化」をつくっていったのである。
 「ドイツが偉大であるのは、驚くべき国民文化が国のあらゆる場所に均等に行きわたっているからだ」(エッカーマン『ゲーテとの対話』山下肇訳、岩波文庫)
 今回の統一劇も、この共通する「文化」が、大きなエネルギーであったといわれる。
7  ゲーテは「世界市民」であり、「世界文学」を志向した。
 「国民的憎悪がまったく姿を消して、いわば国民的なるものを超越し、近隣の国民の幸福と悲しみを自分のことのように感ずる段階があるのだよ。こういう文化段階が、私の性分に合っている」(同前)と。
 そういう境地へ人々を高めるのが「文化の力」なのである。
 またゲーテは「世界を広くしよう!」と言った。
 たとえば「マルク(=マルク・ブランデンブルグ)地方の『かぶら』は実にうまい。特に栗と混ぜると、とりわけ美味である。しかし、この二つは、遠く離れた土地に産するのである」(『箴言と省察』)と。
 だから交流しよう、そして「世界を広く、豊かにしようではないか」というのである。
8  「政治」に対する「文化」の勝利──それは言いかえれば「ウソ」に対する「真実」の勝利であった。
 かつての旧体制を支えていた「柱」は「恐怖」と「ウソ」であったとされる。
 チェコスロバキアのハベル大統領は「『ウソのなかで生きる』ことが、(抑圧の)体制の主柱になっている。だとすれば、体制を根底から揺さぶる脅威は、我々が『真実のなかで生きる』ことだ」と。
 「真実をあえて叫ぶ」一人の庶民の存在のほうが、真実に目をつぶり、「ウソの中で生きている」何千の権威の人々よりも大きな力をもっているというのである。
 真実を叫ぶ。真実に生きる──その宗教革命が今、必要なのである。
 ゲーテも言っている。
 「真実は人間を押しすすめる。しかし誤謬(誤り)からは何も生まれない。誤謬ただまどわすだけだ」(『ゲーテ格言集』大山定一訳、『ゲーテ詩集』11所収、人文書院)
 かけがえのない一生を決して、誤りやウソに惑わされて不幸にしてはならない。
9  生命の讃歌で″人類を一つ″に
 ゲーテの理想とは、「真実」に基づく「文化」によって、諸民族が結ばれ、にぎやかに、平等に多彩な″生の輪舞″を踊らせていくことであった。
 その″生の賛歌″がゲーテの核心にはある。ライフワークの『ファウスト』でも、この理想を彼はうたいあげている。
 今回、エジプト、トルコを訪問したが、ゲーテが、東方の文化への憧れと称賛を込めて書いた『西東詩集』の一節こそ、「統一ドイツ」、そして「融和のヨーロッパ」「諸民族共生の世界」の新出発を祝福するにふさわしい。
 「かくして生命の至高の音が/たましいをつらぬきひびけばいい!」(「うたびとの書」生野幸吉訳、『ゲーテ全集』2所収、潮出版社)
 かつてのルネサンスの人間賛歌も、国境を超えた″世界市民″の往来の中に生まれた。
 イタリア青年部の皆さまが中心となって、世界の友とにぎやかに、また朗らかに、創価ルネサンスの「生命の大音声」「歓喜の大音声」を轟かせゆくことを、私は期待し、確信している。
10  一人の「妙法の青年」は万人を救う
 ここで御書を拝したい。大聖人は、十七歳の南条時光にこう仰せである。
 「法華経を持つ人は父と母との恩を報ずるなり、我が心には報ずると思はねども此の経の力にて報ずるなり
 ──法華経を持つ人は、父と母の恩を報じているのである。わが心には、恩を報じているとは思わなくても、この経の力によって、報じているのである──。
 「妙法」は、ここに仰せのごとく、大恩ある両親はもちろん、さらに兄弟や友人等、自身に連なるすべての人を、その人の生死を問わず、三世永遠にわたって幸福の方向へと導いていける「大法」である。
 たとえ、両親や友人がこの信仰に理解がなかったとしても、妙法の功力は絶大である。まず一人、自分が信心をしていれば、その人々をも必ず救っていくことができる。何も心配することもないし、あせる必要もない。
11  また、大聖人は次のようにも仰せである。
 「妙法蓮華経と唱うる時・心性の如来顕る耳にふれし類は無量阿僧祗劫の罪を滅す一念も随喜する時即身成仏す縦ひ信ぜざれども種と成り熟と成り必ず之に依て成仏す
 ──妙法蓮華経と唱える時、心の中の如来(仏の生命)が顕れる。また、この妙法の音声を耳にした者は、無量阿僧祗劫という長遠な時間に積まれた罪を滅することができる。(妙法を聞いて)一念(一瞬)でも随喜する時には、即身成仏する(その身のままで成仏する)。たとえ信じなくても、(妙法を聞いたことが)仏の「種」となり、それが「熟」して、必ず成仏できる──。
 どのような罪障も、妙法の力で、幸福の糧へと転換できる。広宣流布のために喜んで働こう──この一念が、そのまま成仏の境界を開いていく。
 猛毒は、ほんのわずかな量でも死に至らせる。放射能は、ほんの一瞬、浴びただけでも身体の機能に破壊的影響を及ぼす。そのまったく反対に、南無妙法蓮華経は、生命蘇生の大良薬であり、ただ一度でも縁すれば、永遠に消えない幸福への因を得ることになる。ひとたび太陽が雲から現れれば、全地表を照らすように、妙法は胸中に、永遠の幸の太陽を昇らせる。
12  大切なのは「広布へ向かう信心」
 恩師・戸田先生は、妙法、妙法といっても詮ずるところは「人」である、「法」は見えない、人と法は切り離せない、一体であると、よく言われていた。
 「正しき法」は、具体的には「正しき信心の人」にこそ脈打っていく。大聖人は「ただ心こそ大切なれ」と仰せである。
 いくら御本尊が正しくても、邪信であったり、狂信・盲信であったり、また、妙法を持ち、最も広宣流布に尽くしている我々を迫害するような聖職者や背信者には、絶対に功徳はない。御書に照らし、経文に照らして、厳然たる因果の報いを受けることは明らかである。
 身近な例でいえば、いくら立派な車があっても、運転する人が酒に酔っていたり、技術が未熟であったり、心が狂っていたりすれば大事故につながる。同乗した人間もまた、巻き添えになる。
 ゆえに大切なのは、「心」である。日蓮大聖人の御遺命である広宣流布に向かいゆく「信心」である。
 皆さまは一生涯、朗々と妙法を唱えながら、伸び伸びと、わが友に、わが家族に、そしてわが国土に、希望と勇気を贈っていただきたい。
 最後に、わが愛するイタリア青年部の、世界第一の偉大なる躍進、偉大なる人生、偉大なる栄光と勝利を念願して本日の記念のスピーチとしたい。

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