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日蓮大聖人・池田大作

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第1回ドイツSGI総会 ″未来に生きる人″は永遠に若い

1992.6.13 スピーチ(1992.6〜)(池田大作全集第81巻)

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3  アフリカのナイジェリアには、「あなたがいるから、私がいる」という、美しいことわざがある。
 あなたがいてくれるからこそ、私がこうやって生きていける──簡潔であるが、仏法の縁起観えんぎかんにも通じゆく英知の言葉であろう。
 私どもの愛唱してきた歌にも、「君が愁いに我は泣き 我が喜びに君は舞う」とある。
 アフリカには、このような豊かな「友情」と「共生」の生命感覚が鼓動していると思われる。
 SGIは、世界の友と友の交流によって、互いの良い点を学び合いながら、いずこよりも麗しい「人間尊厳」の集いを広げてまいりたい。
4  ″権力化した聖職者″は人類の敵
 先日、ナイジェリアのドゴン=ヤロ駐日大使とお会いした。そのさいも話題になったことだが、この七月、「ナイジェリア国立舞踊団」が民音公演のため初来日する。
 その予定演目のなかに、ダンス・ドラマ「神々の歌」がある。舞踊、演奏、歌唱といった、さまざまな要素を取り入れた、アフリカ独特の″総合芸術″である。
 ドラマのテーマは、「善なる力と、その意志」。タイトルの「神々」とはこの意味であるという。
 ──舞台は、アフリカ。ある部族の集団結婚の見合いの儀式。まず乙女のなかから、いちばん上手な踊り手が選ばれる。その乙女をめぐり、多くの若者が競い合う。皆、乙女の前で巧みなダンスを披露し、自分をアピールするが、乙女の心は動かない。また、権力ある王子の言葉も、はねつける。
 彼女は、だれを伴侶に選んだか。それは、競争者たちがだれ一人、顧みることのなかった貧しい孤児の青年であった。賢い乙女は、地位や名誉に惑わされることなく、人間として最も優れた若者を選んだのである。
 だが、例の王子らは納得しない。嫉妬し、怒り狂い、その青年をおとしいれようとする。自分たちの手で神殿を破壊し、その罪をなすりつけようとしたのである。
 青年は死刑を宣告される。しかし、大僧正が処刑を行おうとした、まさにその時、良識派の僧侶たちが、毅然と反旗をひるがえした。彼らの正義の訴えに、裁きは逆転する。
 善の僧侶たちは大僧正を弾劾し、屈服させ、王子の悪を追及していく。ついに王子が罰せられ、乙女と青年は、めでたく結ばれる──。
 まことに痛快なドラマである。″悪の権力″″権力化した聖職者″との戦いは、人類に普遍的な、避けては通れぬ人権闘争なのである。
 ヨーロッパでも、見事な「人権の勝利」の劇を行ってこられたし、これからも行われることを私は信じている。そのために、私も戦っていく。
5  ゲーテの結論「前進あるのみ!」
 さて大文豪・ゲーテが最後に言いたかったことは一体、何か?
 作家のトーマス・マンによれば、ゲーテの″最後の言葉″は、有名な「もっと光を!」ではなく「結局、前進あるのみ」との信条である。
6  「マンは「永遠なるゲーテ」の中で、「もっと光を」は、必ずしもそれが最後の言葉であるとは言い切れず(部屋に、もっと光を入れてくれの意ともいう)、ゲーテが最後に言おうとしたことは「本当のところ重要なのは、前進することだけだ」ということだったと考えている。
 マンは″我々も、このゲーテの言葉を信条としよう。その時、ドイツは不滅となる″と呼びかけた。
 仏法では現当二世げんとうにせと説く。つねに現在から未来へ、今日から明日へ、「前進!」また「前進!」を繰り返していく。そこに偉大な人生の真髄もある。「勝利」すなわち「幸福」への大道もある。
 今日、お会いできなかった方々のために、ご多幸を祈って、お題目をお送りしたい。
 最後に、皆さまに勝利と栄光あれと念願し、記念のスピーチとさせていただく。ダンケ・シェーン(大変にありがとう)!

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