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日蓮大聖人・池田大作

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第1回ドイツSGI総会 ″未来に生きる人″は永遠に若い

1992.6.13 スピーチ(1992.6〜)(池田大作全集第81巻)

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1  青年を育て、「全世界の模範」のドイツに
 「ドイツSGI(創価学会インタナショナル)」の第一回総会にご招待いただき本当にありがとう。皆さまが、お元気で私はうれしい。
 東西ドイツが統一して二年──かつての東ドイツ領であるライプチヒ、ドレスデン、シェムニッツなどの地域でも、地涌の同志が活躍しておられる。ドイツの皆さま方のうるわしいスクラムを、大聖人もどれほどお喜びくださっておられることか。
 本日お忙しいところ、ご出席くださったバルト博士は、青年の育成に全力で取り組んでこられた。
 ここフランクフルトはゲーテの生まれ故郷であるが、そのゲーテも言っている。
 「私ほど、若い人材を擁護するために、生涯をかけて貴重な時間と金を費やしてきた者はいないだろう」と。みずら述懐する通り、彼は青年の育成に実に熱心であった。
 ゲーテは、晩年にこう叫んでいる。「若い人を 私は欲しい」──と。
 教育こそ、はるかな未来を開きゆく、人類の聖業である。バルト博士の功績を心からたたえたい。
 青年を愛し、青年を育てる人の心は若い。その心は未来に生きている。たとえ、肉体は老いても、心は永遠に老いない。
 どうか、皆さま方も、後輩を立派に育てていただきたい。そして、「全世界の模範」のドイツをつくっていただきたい。
 明日、私はエジプトのカイロへ出発する。ここフランクフルトを一大拠点として、皆さまとご一緒に、世界に、「平和」と「文化」と「教育」のネットワークを広げていきたい。これが私の構想である。
 ある人によれば、フランクフルトとは「自由な浅瀬」との意味がある。ここから自由に、自在に各国へと平和の流れを通わせてまいりたい。そのためにも、将来、フランクフルトに、立派な「広宣」と「文化」のセンターの建設をと提案したい。
2  エジプトの数千年の英知
 ここで、エジプトの古代から伝わる英知の言葉を紹介させていただきたい。
 まず「聞き上手は、判断力に富む人。聞き上手は、得をする人」。
 相手に十分しゃべってもらったほうが、自分の滋養にもなるし、相手の人物もよくわかるし、結局、得をする。賢い人間だというのである。数千年来の知恵であり、含蓄深い。
 もうひとつ、「おのれの学識のために、鼻を高くするな。もの知りであるからといって、うぬぼれるな。無学の人の言うことを、学識ある人の忠告と同じように聞け」。
 人を見くだす傲慢は、それ自体、愚かさの証拠である。どんな人からも学べる人、学ぼうとする人が、賢者なのである。
 最後に、「小さな真実でさえ、その真実の所有者を救う。小さなウソでさえ、言った人に不幸を引き起こす」。
 他人をだますウソは、自分を守るように見えて、その実、自分自身を不幸にする。真実に生きる人は、安心であり、幸福である。
3  アフリカのナイジェリアには、「あなたがいるから、私がいる」という、美しいことわざがある。
 あなたがいてくれるからこそ、私がこうやって生きていける──簡潔であるが、仏法の縁起観えんぎかんにも通じゆく英知の言葉であろう。
 私どもの愛唱してきた歌にも、「君が愁いに我は泣き 我が喜びに君は舞う」とある。
 アフリカには、このような豊かな「友情」と「共生」の生命感覚が鼓動していると思われる。
 SGIは、世界の友と友の交流によって、互いの良い点を学び合いながら、いずこよりも麗しい「人間尊厳」の集いを広げてまいりたい。
4  ″権力化した聖職者″は人類の敵
 先日、ナイジェリアのドゴン=ヤロ駐日大使とお会いした。そのさいも話題になったことだが、この七月、「ナイジェリア国立舞踊団」が民音公演のため初来日する。
 その予定演目のなかに、ダンス・ドラマ「神々の歌」がある。舞踊、演奏、歌唱といった、さまざまな要素を取り入れた、アフリカ独特の″総合芸術″である。
 ドラマのテーマは、「善なる力と、その意志」。タイトルの「神々」とはこの意味であるという。
 ──舞台は、アフリカ。ある部族の集団結婚の見合いの儀式。まず乙女のなかから、いちばん上手な踊り手が選ばれる。その乙女をめぐり、多くの若者が競い合う。皆、乙女の前で巧みなダンスを披露し、自分をアピールするが、乙女の心は動かない。また、権力ある王子の言葉も、はねつける。
 彼女は、だれを伴侶に選んだか。それは、競争者たちがだれ一人、顧みることのなかった貧しい孤児の青年であった。賢い乙女は、地位や名誉に惑わされることなく、人間として最も優れた若者を選んだのである。
 だが、例の王子らは納得しない。嫉妬し、怒り狂い、その青年をおとしいれようとする。自分たちの手で神殿を破壊し、その罪をなすりつけようとしたのである。
 青年は死刑を宣告される。しかし、大僧正が処刑を行おうとした、まさにその時、良識派の僧侶たちが、毅然と反旗をひるがえした。彼らの正義の訴えに、裁きは逆転する。
 善の僧侶たちは大僧正を弾劾し、屈服させ、王子の悪を追及していく。ついに王子が罰せられ、乙女と青年は、めでたく結ばれる──。
 まことに痛快なドラマである。″悪の権力″″権力化した聖職者″との戦いは、人類に普遍的な、避けては通れぬ人権闘争なのである。
 ヨーロッパでも、見事な「人権の勝利」の劇を行ってこられたし、これからも行われることを私は信じている。そのために、私も戦っていく。
5  ゲーテの結論「前進あるのみ!」
 さて大文豪・ゲーテが最後に言いたかったことは一体、何か?
 作家のトーマス・マンによれば、ゲーテの″最後の言葉″は、有名な「もっと光を!」ではなく「結局、前進あるのみ」との信条である。
6  「マンは「永遠なるゲーテ」の中で、「もっと光を」は、必ずしもそれが最後の言葉であるとは言い切れず(部屋に、もっと光を入れてくれの意ともいう)、ゲーテが最後に言おうとしたことは「本当のところ重要なのは、前進することだけだ」ということだったと考えている。
 マンは″我々も、このゲーテの言葉を信条としよう。その時、ドイツは不滅となる″と呼びかけた。
 仏法では現当二世げんとうにせと説く。つねに現在から未来へ、今日から明日へ、「前進!」また「前進!」を繰り返していく。そこに偉大な人生の真髄もある。「勝利」すなわち「幸福」への大道もある。
 今日、お会いできなかった方々のために、ご多幸を祈って、お題目をお送りしたい。
 最後に、皆さまに勝利と栄光あれと念願し、記念のスピーチとさせていただく。ダンケ・シェーン(大変にありがとう)!

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