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日蓮大聖人・池田大作

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第五十五回本部幹部会、婦人部幹部会 晴れ晴れと″恐れなき人″が幸福の人

1992.6.2 スピーチ(1992.1〜)(池田大作全集第80巻)

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1  「私益に目がくらんだ聖職者は最大の悪人」
 まもなく六月六日、初代会長・牧口先生の誕生日を迎える。牧口先生は明治四年(一八七一年)生まれで、今年は生誕百二十一年となる。
 先生は、価値判断の一つの基準として、「善悪」について、このように断言された。
 「一身一家の私益に目がくらみ、社会国家の公益を害するを悪人といふ。衆生の済度さいどを目的として起った宗教を一宗一派の生存繁栄に利用する職業宗教家の如きはその最大でないか。黄金万能の守銭奴も之によってでき上る」と。(このころ宗門は、軍部の弾圧を逃れ、保身をはかるため、大聖人の御遺文を十四カ所も削除し、御書全集を発刊禁止にしていた<昭和十六年>)
 まるで、今日を予見したような、鋭い洞察である。今、私どもも「まったくその通り」と納得できる。
 戸田先生は「牧口先生は偉大だった」と、常々、述懐しておられた。そのことが実感として胸に迫ってくる。
 牧口先生は、「一宗一派」などの狭い枠に、決してとらわれなかった。どこまでも「民衆の救済」「人間の幸福」という、大聖人の仏法の大目的を見定めておられた。「人間のための宗教」という原点をはずされなかった。そして″民衆を救うべき宗教を利用して、私利私欲を図る悪侶こそ、最大の悪人である″と、本末転倒の聖職者を厳しく弾劾されたのである。
 「黄金万能の守銭奴」──金がすべてとばかりに、大聖人の仏法を金儲けの手段とし、豪遊、贅沢三昧の堕落ぶり。信徒の供養を私物化し、取るだけ取ったら冷酷に切り捨てる。これが現宗門の姿である。
 牧口先生が戒められた通り、私どもはこの極悪の本性を鋭く追及し、永遠の勝利を確立したい。
2  「四菩薩が身に影のそうごとく必ず守護」
 きょうは「婦人部の日」(六月十日)を記念する集いであり、婦人部の皆さまに、あらためて最大の感謝と祝福を申し上げたい。
 大聖人は、ある女性の門下(千日尼とされる)に送られた御書で、こう仰せである。
 「此の良薬を持たん女人等をば此の四人の大菩薩・前後左右に立そひて・此の女人たたせ給へば此の大菩薩も立たせ給ふ乃至此の女人・道を行く時は此の菩薩も道を行き給ふ、譬へば・かげと身と水と魚と声とひびきと月と光との如し
 ──(妙法という)この良薬を持つ女性等を、この四人の大菩薩(地涌の菩薩の上首じょうしゅである上行・無辺行・浄行・安立行菩薩)が、前後、左右に添い立ち、この女性が立たれたならば、この大菩薩も一緒に立たれる(また、座る時も、臥す時なども、同様である)。この女性が道を歩む時は、この菩薩もともに道を歩まれる。
 たとえば「影と身」「水と魚」「声と響き」「月と光」のように(この女性の身を守って)離れることがない──。
 「此の四大菩薩南無妙法蓮華経と唱えたてまつる女人をはなるるならば・釈迦・多宝・十方分身の諸仏の御勘気を此の菩薩の身に蒙らせ給うべし、提婆よりも罪深く瞿迦利よりも大妄語のものたるべしと・をぼしめすべし、あら悦ばしや・あら悦ばしや
 ──もし、この四大菩薩が、南無妙法蓮華経と唱え奉る女性を離れるならば、釈迦・多宝・十方分身の諸仏のお叱りを我が身に受けられるのである。それは提婆達多よりも罪深く、瞿迦利くぎゃり(提婆達多の弟子で、舎利弗らを悪人に仕立てようと誹謗して地獄に堕ちた)よりも大ウソつきになると、お思いになりなさい。(したがって地涌の菩薩が妙法を持つあなたから離れることはあり得ないのであり)なんと悦ばしいことであろうか。なんと悦ばしいことであろうか──と。
3  妙法を唱え、広布に動く「信心」強き女性を、偉大な力用りきゆうを備えた地涌の菩薩が必ず守護されるとの御断言である。これほど頼もしく、安心なことはない。いかなる男性よりも頼りがいがあろう。
 昼夜を問わず、身に影の添うごとく一緒に動かれると、大聖人が仰せなのである。本当にありがたいことである。
 たとえば、会合に遅れそうになって、自分が駆け出すと、菩薩も一緒に走られるかもしれない。あわただしく家に帰ってきて、自分は冷蔵庫の牛乳やジュースでホッと一息入れても、菩薩方はまだ息を切らしておられるかもしれない。もちろん冗談であるが、それくらい、いつも一緒なのである。御書にそう説かれている。
 「四菩薩」なかんずく上行菩薩の守護とは、根本的には、御本仏が必ず守ってくださるとの仰せと拝される。そのために大事なのは、ただ「強き信心」である。
 かりに病苦や、さまざまな悩みにぶつかっても、四菩薩が、大聖人が、ともに戦ってくださる。一人ではない。孤独ではない。すべて力強く、乗り越えていける。すべて「幸福」へと転じていける。
 これを確信すれば、晴れ晴れと限りない勇気がわく。何も恐れることはない。そして″恐れなき人″こそが″幸福の人″である。
 「御義口伝おんぎくでん」には「上行は我を表し無辺行は常を表し浄行は浄を表し安立行は楽を表す」と仰せのとおり、四菩薩は常楽我浄の四徳を表している。皆さまは、常楽我浄じょうらくがじょうの「幸の風」に包まれながら、悠々と、また堂々と、「勝利」と「満足」へ進んでいただきたい。
 婦人部の皆さまの日々のご活躍を心からたたえ、重ねて感謝申し上げたい。いつも、いつも、ありがとう! 本当にご苦労さま!
4  独創・先見の教育論「創価教育」
 さて、先ほど申し上げたように、今月六日は、牧口先生の誕生日。先生は、百年あまり前の日本に生まれ、「創価教育学」を世に問われた。だれもなし得なかった、画期的な教育論である。
 しかし、当時の、またその後の教育界からは、ほとんど無視された。牧口先生が″有名大学出身″でないからか、″博士″でないからか、時代より進みすぎていたためか──。一部の心ある人々を除き、正しく評価する人はあまりにも少なかった。
 自分の目で見て評価するのでなく、権威や肩書に弱く、また周りの評判に左右されやすい日本人には、牧口先生の″独創性″がわからなかったのかもしれない。
 戸田先生も、この「創価教育学」が世間から直ちに歓迎されることはないかもしれない。だれも読まないかもしれない。しかし、五十年先、百年先には必ず世界中から評価されるにちがいない──と確信しておられた。牧口先生にもその心情を率直に話されている。
 牧口先生が″教育の道″に進まれてから百年。「創価教育学」は、今や世界で、第一級の評価を受けるに至っている。世界のほうがはるかに早い。公平に本質を見抜いている。
5  牧口先生は、戦前から、教育の現場で、数々の先駆的な「教育改革」を提唱し、実行しておられる。
 たとえば「辺地教育への取り組み」「半日学校制度の提唱」「学校給食」「特殊小学校(貧困家庭の子女のための小学校)での教育」などは、その数例である。その多くが、戦後、実現へと動き始めた改革であった。
 なかんずく、牧口先生は、いわば「教育権の独立」を考えておられた。これが大事な点である。″教育とは、教師と父母が考えるものであり、教育にかかわりのない者が権力にものをいわせ、教育に口を出すべきではない″と。
 まったく「正論」である。世界は、この正しい軌道を志向している。また、そう変えていかねばならない。
 先生は、「小学校長登用試験制度論」や「視学しがく(戦前、教育を監督した行政官)不要論」を唱え、権力の教育への介入と戦ってこられた。「教育権の不可侵」を毅然と掲げ戦われた先駆者であった。
 当時は、政治家などの実力者が、校長の任免にまで影響を与えていた。意に沿わない人間に対しては、さまざまに画策して、退任させてしまうこともあった。そんな時代であった。
 しかし、牧口先生は、権威・権力の風には決してなびかなかった。ゆえに、たびたび転任を強いられたのである。最終的に校長職を追われることになった背景にも、権力者らの策謀が働いていた。これは、牧口門下生の和泉先生、辻先生、柏原先生らがよくご存じの事実である。
 (牧口初代会長が校長をつとめるなかで、西町小学校から左遷される<四十九歳>、三笠小学校での排斥事件<五十一歳>、白金小学校から廃校の決まった新堀小学校へ転任。退職を余儀なくされる<六十歳>──等の圧迫があった。)
6  牧口先生は『創価教育学体系』の緒言しょげん(前書き)で、こう述べておられる。
 「入学難、試験地獄、就職難等で一千万の児童や生徒が修羅のちまたあえいで居る現代の悩みを、次代に持越させたくないと思ふと、心は狂せんばかりで、区々くくたる(取るに足らない)毀誉褒貶きよほうへんの如きは(私)の眼中にはない」──と。
 目先の非難や栄誉など何でもない。ただ子供たちのため、未来のために、この″一書″を残すのであると。児童・生徒のことを思うと「心は狂せんばかり」──本当に子供を愛した先生であられた。
7  教育も人生も宗教も、目的は幸福
 牧口先生は、「″教育の目的″は人生の目的″と同じである。それは″幸福″である」と定義されている。『創価教育学体系』には、「教育の目的たるべき文化生活の円満なる遂行を、如実に言ひ表はす語は幸福以外にはないであろう。(中略)教育者をして幸福なる生活を遂げしめる様に指導するのが教育である」等と述べられている。
 「教育」とは、まさに人間の幸・不幸にかかわる重大事であり、尊き″聖業″なのである。
 本来、「宗教の目的」も、「民衆の幸福」である。にもかかわらず、これまでの宗教の歴史は、民衆を幸福にするどころか、宗教利用の聖職者が、民衆をだまし、搾取さくしゅし、不幸にすることがあまりにも多かった。
 宗教的権威は、人々の理性をしばり、その眼をしばしば狂わせる。しかし、民衆にしっかりした教育があればだまされない。聖職者もインチキはできない。
 逆に教育がなければ、民衆は宗教の奴隷になってしまうであろう。横暴な聖職者はいよいよ増長し、人々はますます盲目になっていくであろう。この「悪循環」を断ち切らねばならない。
 今回の問題でも、日顕宗がいかにおどし、騒ごうとも、創価学会は賢明であったがゆえに、微動だにしない。「真実を見抜いた民衆の勝利」である。民衆が″学びの力″を発揮した「教育の勝利」である。
8  牧口先生は信ずる「教育の道」に生き抜かれた。教育こそ基本とされ、その延長線上に、宗教を正しく把握された。これが先生の「信念の道」であった。そして、今から四十八年前の一九四四年(昭和十九年)、誤った教育の帰結として、一国全体が誤った宗教に駆り立てられた太平洋戦争の渦中、自らの信念を貫き獄死されたのである。
 ここに、私どもの最高の誇りである「創価の道」の原点がある。この牧口先生の後を継いで、今、私どもは「教育の道」「文化の道」「平和の道」を世界中に広げている。どこまでも「日蓮大聖人の仏法」を根底としながら──。
9  知恵は「美」「利」「善」の価値を創造
 牧口先生は「創価教育の意義」について、「詰らない知識を詰め込んで死蔵せしめるにあらず、あらゆる環境に順応し、利を生し害を除き善をしゅうし悪を避け美に化ししゅうを去る等、如何なる方面にでも活路を開拓して進行することの出来る能力を持たせんとするのである」と述べておられる。
 ″つまらない知識を頭に詰め込んで死蔵する″──「知識偏重教育」「詰め込み教育」への痛烈な批判ともいえよう。
 ″知識ある人″が″知恵ある人″とは限らない。どんなに豊富な知識も活用しなければ死蔵である。実際、専門知識はあっても、人間として当然の良識に欠けるような人物もけっこういるものだ。いかなる環境にあっても、自分がいるその場所で、闊達に「美」「利」「善」の価値を創造する人が″知恵ある人″である。そうした「知恵」を磨き、身につけることこそ、我が「創価」の意義である。
10  「創価教育」──世界の多くの識者が、この私どもの原点を高く評価し、注目している。
 昨日お会いしたバリツァー教授(米・クレアモント大学)も、私どもが創価教育学会という「教育団体」から出発したことに、心から共鳴しておられた。
 私は今、率先して、世界のリーダー、文化人とお会いし、真剣に対話をしている。すべて人類の明日を見みすえてのつもりである。
 その語らいのなかで、いつも感じるのは、各国の文化の言葉やエピソードに輝く「人類の知恵」は無尽蔵だということである。
 この「知恵」を死蔵させてはならない。「知恵の宝庫」の扉は、万人に開かれねばならない。きょうはそうした「人類の知恵」のいくつかを残しておきたい。
11  関東大震災でのカナダ船の救援活動
 世界で一番、住みやすい国はどこか──。この四月、国連の開発計画による「人間開発指標」が発表された。教育、医療、経済状態、政治的安定度や自由度などの要素から、各国の″生活の質″を評価したものである。
 それによると、今年度の第一位はカナダであった。世界一″生活の質が高い国″″生活しやすい国″との結論である。昨年は日本が第一位であったが、今年はカナダに抜かれ、第二位になっている。
 カナダはまた、日本にとって「恩ある国」である。これは、先日(五月二十九日)、カナダのテイラー駐日大使とお会いした折にも、ふれた一つの秘話である。
 ──大正十二年(一九二三年)九月の関東大震災の折、横浜でも多くの被災者が出た。その時、カナダ太平洋汽船のロビンソン船長を中心とする救援活動によって、多くの命が救われた。
 船の名前は「エンプレス・オブ・オーストラリア号」。九月一日、横浜港から出航する直前に地震が起きた。波止場の桟橋が崩れ、出港不能となったオーストラリア号は、ロープや梯子を下ろして被災者を乗せた。港の各所で石油が炎上し、やっとの思いで船は安全な場所に停泊した。
 地震の翌日、船には通常の乗客以外に、多数の日本人をはじめ中国やヨーロッパなどの人々が収容されていたという。
 その後、通常便で到着したエンプレス・オブ・カナダ号が、食糧をオーストラリア号に渡し、避難民の一部を神戸港に運んでいる。
 オーストラリア号の修理が終わると、ロビンソン船長は船を港に戻し、救助活動を続けた。
 この時の救助作業で活躍したのは、事務長のR・D・テイラー氏であった。彼は船員を指揮し、火災の相次ぐ陸上で、五日間にわたり不眠不休で多くの人々を救助した。
 また住民・船客・乗員からなる救助隊が組織され、毎朝、婦女子やけが人を救出するために横浜の遠い郊外まで出かけた。
 この間、他の船もオーストラリア号の避難民を引き受けて神戸に運んだ。神戸には、日本人による避難所が設けられていた。
 ロビンソン船長は、オーストラリア号での様子を、報告書の中でこうつづっている。
 「私は乗客の行動と冷静さに心から敬意を表したい。乗客の多くは、昼夜、休む暇もなく、国籍を問わず、病気やけがをした人々すべてのために献身的に働いた。
 甲板や廊下、そして船全体のどこを見ても、ぞっとするような、胸の痛む光景が目に入る。救出した何百人という重傷者の泥と血、半裸の姿、激しいうめき声に満ちていた」と。
 船全体が、応急の″病院″となって、被災者の救護にあたっていたことがわかる。
 やがて、日本とアメリカの軍艦が救助に訪れた。地震から一週間後の九月八日、オーストラリア号は、多くの避難民を乗せて神戸へと出港している。
 さらにその後、カナダ太平洋汽船のエンプレス・オブ・ロシア号が、海外からの救援の最初の商船として横浜港に到着。カナダ政府とカナダ赤十字、バンクーバー日本人協会からの救助物資が届けられている。
 このように、日本の災害にあたってカナダから数々の人道的な援助が寄せられたことを、残された記録の多くが証言している。
 いざという時に、どう行動するか──そこに人間性が表れる。
 私は一人の日本人として、テイラー大使に、カナダの人々の「人間愛」の行為への心からの感謝を伝えた。そして両国の友好史に輝く美談として、広く後世に残していきたいと申し上げたのである。
12  トルコの初代大統領「教育によって社会は″新しい光の世界″へ」
 トルコの「建国の父」──ケマル・アタチュルク初代大統領(一八八一年〜一九三八年)は、偉大なる革命家であり、政治家であり、法律家であった。そして哲学者であり、教育者であった。私もこれまで、スピーチ等で何度も紹介してきた。
 ケマル大統領は、何より「教育」に力を注いだ。自身も、常に本から目を離さぬほどの勉強家であったという。若き日、彼は熱心に勉強する理由を聞かれ、「私は価値ある人間になりたいのだ」と答えている。
 大統領は、人間として輝くには″学びの光″が不可欠であることを見抜いていた。識字率が一割にも満たないなか、大統領が民衆にも使いやすい文字を自ら作り、直接、国民に教えていったことは有名である。新しき「国家」をつくるにあたり、一人一人の「人間」に光を当てたのである。
 大統領は語っている。「新しい文字の教育という不滅の方法によって、わがトルコの国民は、新しい光の世界へと入っていく」と。
 また大統領は、トルコの最高学府・アンカラ大学の創立者でもある。
 アンカラ大学と創価大学は、一昨年十月から学術交流を開始している。過日(五月六日)、お会いした同国のネジャティ・ウトカン新駐日大使も、アンカラ大学の出身であられる。
13  ケマル大統領は、宗教の悪しき権威が、いかに恐ろしいかを深刻に理解していた。ゆえに、その改革にあたって、「宗教」の権威を「政治」や「教育」から切り離そうと努力した。
 また第一次世界大戦から第二次世界大戦へと向かう混乱の時代にあって、「内に平和を、外に平和を」(国内の平和から国外の平和に)と訴え、ファシズムに抗して世界との友好に努力した。
 そのためには、人々の心に巣くう「憎しみ」を取り除くことが大切であると考えていた。国境を超え、人間の心と心を結び合うことが必要である、と。いわば、「心の交流は条約より強い」──これが大統領の信念であったといえよう。
14  今から七年前、民音の「シルクロード音楽の旅」公演では、トルコ、ソ連(当時)、中国、日本の四カ国が同じ舞台で演奏し、注目された。中ソ両国の政治的和解が実現したのは、その四年後であった。
 「文化の交流」「民衆の交流」「人間の交流」──この新しきシルクロードの往来は、たとえ地味であり、小さな波のように見えたとしても、一波が万波となり、万波が「平和」の船を運んでいく。人々の「心」と「心」を結び、世界を大きく「友好」へとリードする。私どもの運動は、そうした時代の流れをつくり出している。このことを大きな誇りとしていっていただきたい。
15  アメリカの黒人運動家「人権の処理へ″魂の触れ合う教育″を!」
 「教育」はまた「人権」の勝利の原動力でもある。
 アメリカの社会学者・デュボイス(一八六八年〜一九六三年)といえば、黒人運動の指導者として著名である。私がお会いしたリンカーン大学のスモック教授(同大学芸術学部長、会見は五月十日)も、デュボイスを大変に尊敬されているという。
 デュボイスは、著書『黒人のたましい』で、「教育」の重要性を繰り返し強調している。教育によってのみ、すべての人間の権利を見つけ出すことができる──と。
 また、アメリカ社会に巣くう人種偏見という「精神のねじれ」に打ち勝つには、いかにすべきか──彼は言う。人間の理性を広げ、包容の心をもつことだ。そして、そのためにこそ教育が必要なのだ、と。
 ″教育の影響力は計り知れない。それが生きている魂と魂の接触であるときには″──彼の洞察は今も、そのまま生きている。また今こそ「魂の触れ合う教育」を実現せねばならない。
 だれもが平等に、生き生きと自分を発揮していける「人権の時代」──その興隆のために、私も一段と人間教育に尽力していく決意である。
16  コロンビア大学学長「悪を支えるのは無関心。熱意で錨を変えよ!」
 コロンビアのガビリア大統領の夫人とは、さる五月一日にお会いした。
 大統領ご夫妻が在学されていた私立ロス・アンデス大学の当時のムニョス学長は、次の言葉を残している。
 「わが大学の誇りは、大学が自由のフォーラム(広場)であることです」と。
 また、後のオブレゴン学長は、学生に贈る言葉として、「何よりも必要なのは、『誠実』であること、『真剣』であること、『正義』であること、『明瞭』であること、『建設的』であること、『熱意』をもつことである」と語っている。
 「そして、祖国コロンビアの苦しみを見て、『熱意』を『怒り』に転じることだ。なぜならば、祖国をむしばむ『悪』は、市民の『無関心』に支えられているからだ」と──。
 「無関心」は「心の死」であり、「正義の死」をもたらしていく。
17  このコロンビアでも、よく知られているスペイン語のことわざに、「心正しければ、悪魔も逃げる」(どんな不運であっても、正しい心があれば乗り越えていける)と。
 また会見でも話題になったが、「扉は一つ閉まると、百開く」(一つうまくいかないことがあっても、次には百の素晴らしいことが待っている。逆境の時にこそ大いなる力を発揮できるの意)とある。
 心が正しく、晴れ晴れとしていれば、それ自体、幸福である。希望がわいてくる。楽観主義の強さが備わってくる。何があっても、へこたれない心、いつも朗らかな心──その人に「幸せ」は大きくを開く。
18  ナイジェリアのノーベル賞作家「聖職者は″商人″、信者の″富″が目当て」
 信念をもつ人は強い。
 先日(五月二十八日)、ナイジェリアのドゴン・ヤロ駐日大使とお会いしたが、初めての会見のさい(一九八八年)、大使が語ってくださった信念を忘れることができない。
 「私の第一の信条は、人間の平等を実現することである。アフリカの民衆が、他の民族と同様、胸を張って堂々と生きてゆくためであれば、私はすべてをなげうってでも戦っていく」と。
 大使は、この信念のままに、今日まで、誠心誠意、アフリカの未来のために「語り」「行動」しておられる。本当に立派な大使であられる。
19  ナイジェリアには、アフリカ初のノーベル文学賞作家、ウォレ・ショインカ博士がおられる。博士とは、「兵庫青年平和文化祭」(一九八七年)に来賓として出席していただいたさい、初めてお会いした。
 博士は語っている。「私は一つの宗教──人間の自由を信奉している」と。
 この信念から博士は、多くの作品の中で、人間の自由を抑圧する権力者の横暴、聖職者の偽善、知識階級の無責任を厳しく弾劾している。
 ある戯曲(『ジェロ神父の試練』)には、庶民を犠牲にして私利私欲に走る宗教の偽善者が描かれている。主人公の神父は語る。「私は毎朝、客待ちをする商店主のような気持ちでいる」と。彼は、信者のことを、自分を肥やしてくれる「客」としか見ていない。また、彼は、信者たちに決して「満足」を与えない。彼によれば、「ひとたび満足したら、彼らは二度と訪れようとはしないからだ」。
 聖職者の傲慢へのショインカ博士の痛烈な攻撃である。
 彼らは、表面ではあいそよく振る舞いながら、心ではどうしぼり取るかを考え、そのために何か不安を与え、自分にすがらざるを得ないようにしむけていく。
 「聖職者の悪」と戦うことは、民衆の当然の権利であり、世界の数限りない「自由の闘士」「幸福の戦士」が行ってきた戦いである。同志は世界中にいる。
20  「勇気」こそ幸福・勝利の要件
 幸福の要件は「勇気」である。勝利の要件も「勇気」である。
 大聖人は、文永十年(一二七三年)九月、佐渡から鎌倉の弁殿尼御前へ送られた御手紙で、こう仰せになっている。
 「第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして・法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土どうこえどを・とられじ・うばはんと・あらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし、しかりと・いえども弟子等・檀那等の中に臆病のもの大体或はをち或は退転の心あり、尼ごぜん御前の一文不通の小心に・いままで・しり退ぞかせ給わぬ事申すばかりなし
 ──第六天の魔王は、十の魔軍を起こして、法華経の行者と、生死の海の海中にあって、凡夫と聖者が同居する汚れた国土(娑婆世界)をとられまい、奪おう、として争っている。日蓮は、第六天の魔王と戦う身に当たっており、大兵を起こして戦うこと、二十余年である。(その間)日蓮は一度も退く心はなかった。しかし、弟子・檀等の中で、臆病な者は、だいたい、ある者は退転し、ある者は退転する心がある。尼御前が、経文の一文にも通じていない、心弱い身で、今まで退転されなかったことは、言葉に尽くせない(ほど立派である)──と。
 第六天の魔王の「十軍」とは、もろもろの煩悩を、魔王に従う十の軍勢にたとえたものである。
 (1)欲(2)憂い(3)心身の飢え(4)快楽への愛着(5)意識や感覚がぼんやりして働かないこと(6)恐怖心(7)疑いや後悔(8)いかり(9)財を貪り空しい評判を求めること(10)おごって人を卑しむこと、をいう。
 この「わが内なる魔軍」を破る者はいない。よく破ることができるのは、「仏の智慧の矢」のみである──と、「大智度論」には説かれている。
 私どもでいえば「信心」であり、「唱題」であり、広布への「行動」である。
21  また大聖人は「佐渡御書」で、「悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし例せば日蓮が如し」と仰せである。
 ──悪王が正法を破壊しようとし、邪法の僧等がこの悪王に味方して、智者を滅ぼそうとする時には、(何ものをも恐れぬ)師子王のような心をもつ者が、必ず仏になるであろう。たとえば日蓮のようにである──と。
 師子の心──戸田先生は、「一度ひとたびは死する命ぞ恐れずに仏の敵を一人あますな」とまれている。
 仏敵の出現の時。その時こそ、「仏になる」チャンスなのである。
 まさに、「何ものをも恐れぬ」先生であられた。その弟子である私も、何も恐れるものはない。
 日寛上人は、「勇猛ゆうみょうれ信心なり。故にしゃくに云く『いさんですを勇と言い、智をつくすを猛と言う』」(依義判文抄)──(勇猛精進しょうじんの)勇猛とは信心を意味する。ゆえに、釈に『勇んで行動することを勇といい、智のかぎりを尽くすことを猛というのである』とある──と仰せである。
 勇猛、すなわち、「勇んで行動し、知恵を尽くす」ところに、信心がある。
22  「臆病にては叶うべからず」
 大聖人は、繰り返し「勇気」の大切さを教えてくださっている。
 「各各我が弟子となのらん人人は一人もをくしをもはるべからず」──あなたがた日蓮の弟子と名乗る人々は、一人も臆する心を起こしてはならない──。
 「あへて臆病にては叶うべからず候」──決して臆病であってはならない──。
 そして、「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」──日蓮の弟子等は臆病であってはならない──等々。
 大聖人門下ならば、「勇気をもって進め」と仰せなのである。
 さらに大聖人は、四条金吾に述べられている。
 「つるぎなんども・すすまざる不進人のためには用る事なし、法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ鬼に・かなぼう鉄棒たるべし
 ──剣なども、前進しない(臆病な)人には何の役にも立たない。法華経の利剣は、信心の勇気のある人こそ、使うことができるのであり、これこそ鬼に金棒なのである──と。
 どんな名刀を持っていても、それを使う勇気がなければ、敵が現れた時に役に立たない。宝の持ちぐされである。同様に、御本尊を受持していても、信心が弱く、臆病であれば、本当の大功徳は受けられない。環境に負け、宿命に負け、魔にも敗れていくであろう。
23  日亨にちこう上人は、この御文について、こう述べられている。
 「人類のためにも、国家のためにも、社会のためにも、自己のためにも真剣であり、緊急であるべきが、信心である。その間隙かんげきあるとき、怠慢を生ずる」「願わくは、吾人われひと共に、常恒不退じょうごうふたい勇健ゆうごんの信心に住して、自在に法華経の名剣を自己のためにも、国家のためにも使い廻して、現当の福祉を謀り、外からも鬼に金棒のように恐れられし様にありたいものである」と。
 私どもは、常に一歩も退(ひ)かぬ、「勇健の信心」で、妙法の利剣を振るい、「極悪」の仏敵を打ち破り、すべてに勝利していきたい。
 また、「乙御前御消息」に、「いくさには大将軍を魂とす大将軍をくしぬれば歩兵つわもの臆病なり」──戦いには指導者を魂とする。指導者が臆したならば、部下の兵はことごとく臆病になってしまう──と仰せのように、とりわけリーダーは、どんな状況に直面しても、決して臆してはならない。
 皆ではない。幹部である。人ではない。自分である。人にやらせるのではなく、幹部自身が「真剣」に動いた時、そこから「道」が開ける。広布の勝利への道、自身の成仏への道が──。
24  ポーランドの民衆詩人「団結せよ、そして自由を迎えよ」
 話は変わるが、ポーランドと言えば、多くの世界的逸材を輩出した「芸術」と「学術」の国である。先日(五月八日)、私は、同国のリプシッツ駐日大使と、日本とポーランドの文化をめぐって語り合った。そのポーランドが生んだ十九世紀の民衆詩人にミツキェビィチ(一七九八年〜一八五五年)がいる。「ポーランドの民族的伝統についての省察」という副題のついたステファン・キェニェーヴィッチの著『歴史かと民族意識』には「青春讃歌」と題する彼の詩が紹介されている。彼は、こううたい上げている。
   団結によりて力強く 理性により手燃え立ち
   いざ共に若き友よ 肩を組み輪をなして
   この地球を結びつけん……
   もろびとこぞりて 世界を新たなる軌道にのせん
   若者よ自由を迎えよ 太陽は汝等を救わん
 「団結」しながら、しかも「自由」──と。次元は異なるが、仏法では、「桜梅桃李の己己の当体を改めずして」──桜は桜、梅は梅、桃は桃、すももは李と、それぞれの当体を改めず(そのままの姿で個性を生かしきっていく)──と説く。
 それぞれの個性を最大に尊重して、最大に花咲かせてゆく。そして色とりどりの花々が、美を競い、香りを競いながら、全体として見事な調和の花園となっていく──ここに絢爛たる仏法ルネサンスの開花がある。広げていえば、国と国、またそれぞれの文化を、最大に尊敬し、対等・平等の心で友情を結んでいく──これが私どもの目指す人間主義の連帯である。
 大聖人の仏法は世界の仏法であり、宇宙の仏法である。ゆえに大聖人直系の私どもの舞台は世界であり、宇宙である。私も、全世界の広宣流布へ陣頭指揮で戦っていく。日本の同志の皆さまにも、一生懸命、お題目を送る決心である。どうか、それぞれが今いる立場で、朗らかに「前進」と「勝利」の指揮をお願いしたい。
 本日は、お忙しいところ、遠いところ、そして暑いところ、本当にご苦労さま。本当に、ありがとう!

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