Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第二十二回全国婦人部幹部会 「希望」の春は「信念」の太陽とともに

1992.4.17 スピーチ(1992.1〜)(池田大作全集第80巻)

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2  大聖人は結論として次のように結ばれている。
 「いづくも定めなし、仏になる事こそつゐすみかにては候いしと・をもひ切らせ給うべし」──どの地も永久のものではない。仏になることこそ、最終のすみかであると、心を決めていかれることです──と。
 何が人間の究極の「安穏あんのんの家」なのか。それは「仏の大境界」であるとの仰せである。
 「家」といえば、あのマンションに住みたい、有名なリゾート地に別荘を持ちたい、あるいは日本よりアメリカがいい、フランスがいい……等々。もちろん、そうした夢や目標をもつことは自由であるし、少しも悪いことではない。しかし、好きな土地に移ることが、立派な家に住むことが、それだけで「絶対の幸福」を保証してくれるわけではない。輝くような家の中で、ののしりあって暮らしている人もいる。
 三世の生命から見れば、幸福の家を自身の外に求めることは″まぼろし″のごとくはかない。
 では、永遠にくずれざる最極さいごくの「すみか」とは何か。大聖人は明快に示された──それは「成仏」であり、正法によって自身の生命に築きゆく「仏の大境界」である、と。その「多宝の家」の光、歓喜の声は、全宇宙へと広がっていく。永遠に「安心」であり「満足」の家である。
3  たとえば、野の鳥も、小枝を一つまた一つと粘り強く運んで巣をつくる。私どもの日々の仏道修行も、自身の住む「幸福の家」をつくるための地道で忍耐強い積み重ねである。途中で手を抜いたり、やめてしまえば、雨漏あまもりのするような中途半端な「家」しかできない。
 大聖人が「すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」──少しでもたゆむ心があれば、魔が(そのすきに)乗じるであろう──と戒めておられる通り、「たゆまぬ心」「たゆまぬ行動」が大切なのである。
 また、広げていえば、大聖人直結の信心で、民衆が「成仏」へ進みゆく我が創価学会こそ、福徳あふれる「仏子ぶっしのすみか」であり、永遠の「宝の家」であると確信する。これほど尊い世界はない。堅固けんごな安心の城、常楽の城はない。
 その学会を迫害し、壊そうとする人間は、″成仏の破壊者″であり、″仏法の破壊者″である。また地涌の菩薩が営々として築いてきた、民衆の「宝の家」の宝を、何の苦労もなく盗み取る人間は、仏法上の″泥棒″である。御本仏の敵である。
4  「難の大風」を呼び起こしたのは学会
 建治三年(一二七七年)、若き南条時光は、身延におられる大聖人に、お手紙を書き、時光の信心を退転させようと、さまざまに圧迫する者がいることを報告した。当時、時光は十九歳。今の青年部の年齢である。
 それに対して、大聖人は法華経の文を引かれ、激励されている。
 大聖人は、あくまでも経文中心であられる。経文に照らしてどうか。一切の基準はそこにあられた。学会もまた、末法の経典である「御書」根本に進んできた。大聖人に真っすぐにつらなる正道を歩みきっている。
 時光への御激励は懇切であり、明快であられた。
 「滅後に法華経を信ぜん人は在世の大難よりもすぐべく候なるに・同じほどの難だにも来らず・何にいわんすぐれたる大難・多難をや。虎うそぶけば大風ふく・竜ぎんずれば雲をこる・野兎のうそぶき驢馬のいはうるに・風ふかず雲をこる事なし、愚者が法華経をよみ賢者が義を談ずる時は国もさわかず事もをこらず、聖人出現して仏のごとく法華経を談ぜん時・一国もさわぎ在世にすぎたる大難をこるべしとみえて候今日蓮は賢人にもあらず・まして聖人は・おもひもよらず天下第一の僻人びゃくにんにて候が・但経文計りにはあひて候やうなれば大難来り候へば父母のいきかへらせ給いて候よりもにくきもののことふよりも・うれしく候なり、愚者にて而も仏に聖人とおもはれまいらせて候はん事こそ・うれしき事にて候へ
 ──(法華経によれば)釈尊しゃくそん滅後に法華経を信ずる人は、在世の大難よりも、はるかに超えた大難を受けるはずであるのに、(天台・伝教をはじめとして大聖人以外の人間には、釈尊在世と)同じ程度の難さえも来ていない。ましてや在世に超えた大難や多難を受けている者はいない。
 虎がほえれば大風が吹く。竜が声を発すれば雲が起こる。野ウサギがほえ、ロバがいなないても、風も吹かず、雲が起こることもない。
 愚者が法華経を読み、賢者がその義を説くときは、国も騒がず、何事も起こらない。聖人が出現して仏のように法華経を説くときは、一国も騒ぎ、釈尊在世に超えた大難が起こるであろうと経文に記されている。
 今、日蓮は賢人でもなく、まして聖人とは思いもよらない。天下第一のひねくれ者ではあるが、ただ(こうした)経文にだけは符合しているようなので、大難が起こってきたことは、父母が生き返られたよりも、憎い者の身に何かあったよりも、うれしいことである。愚者でありながら、しかも仏に聖人と思われることこそ、うれしいことである──と。
 釈尊在世にも超えた大難を受けられたのは、御本仏・日蓮大聖人ただお一人であられる。大聖人は、難にあうという事実をもって仏の金言を身読できた喜びを語られ、時光に不退の信心を貫くよう激励されたのである。かえって素晴らしいことではないか、喜んでいきなさい、いよいよ確信を深めていきなさい、と。
 現代において、日本の宗教界で、これほどの大難を受けながら正法をひろめてきたのは、我が創価学会だけである。ここに大聖人の正統の門下としての″現証″がある。まさに、私どもの″正義の叫び″こそが、「大風」や「雲」を呼び起こしてきたのである。
 反対に、難も受けず、苦労もせずに、格好だけ、大聖人の門下のように見せかけ、仏法を食いものにしている人間は、正法の世界という獅子の身中の「虫」である。「野ウサギ」や「ロバ」ですらない。そんな鳴き声などより、ご主人を一喝いっかつする婦人部の一声のほうが、よほど力がある。
 ともあれ「愚人」や「悪人」に攻撃されること自体、学会が正しい証拠であり、末法広宣流布の正道を歩んでいる証明と確信して、朗らかに進んでいただきたい。
5  アフリカ賢人会議・オバサンジョ氏の民主化への努力
 先ほど、アフリカ最大の国・ナイジェリアのオバサンジョ元国家元首が、来賓としてスピーチしてくださった。「文化」について多角的に洞察された素晴らしい内容であった。心から感謝申し上げたい。
 オバサンジョ氏の創設された「アフリカ賢人会議(アフリカ・リーダーシップ・フォーラム)」から、このほど招聘しょうへい状をいただいた。同会議で「基調講演」を行ってほしいとの要請であった。
 (同会議はアフリカの建設および生活向上に貢献する目的で、一九八八年に設立された。本部はナイジェリアのオタ。オバサンジョ元国家元首が議長を務め、アフリカ諸国の国家元首経験者が常任委員。また海外からも、ドイツのシュミット元首相ら要人が国際諮問委員会に参加している。名誉会長に招聘があった会議は、一九九二年七月、「アフリカの貧困とその解決」をテーマにナイジェリアのオタで開催される)
 オバサンジョ氏は、アフリカを代表する指導者であられる。東京での「地球環境賢人会議」に出席のため、アフリカの代表として来日された。
 現在、五十五歳(一九三七年三月生まれ)。高校を卒業してイギリスに留学し、英国王立軍事工学大学で学んでおられる。同大学では開学以来、英連邦で最も優秀な学生として表彰されている。さらに、英国ニューベリー測量学校、ロンドン王立防衛研究大学で勉強を重ねられた。先ほど会談したが、素晴らしく回転の速い、柔軟な頭脳の方であられる。
6  一九七五年、当時のゴウォン国家元首のもとで建設大臣、最高司令部参謀総長に就任された。ゴウォン氏とは、私も二年前にお会いしている(九〇年十一月、東京・聖教新聞社)。この七五年、ゴウォン政権は倒れ、モハメッド政権に移行する。オバサンジョ氏は同政権のもとで引き続き参謀総長を務められた。
 (モハメッド将軍は行政組織の簡素化を図り、遷都計画や、軍政から民政への移管などを公約。国民の厚い支持を得たが、わずか七カ月後に暗殺される。その後継者として、七六年、国家元首に就いたのがオバサンジョ氏である。氏はモハメッド将軍の理想をそのまま受け継ぎ、「民政移管」という政治課題に挑戦した)
 祖国の民主化へ──。氏は七八年、アメリカ型の大統領制と国民主権、基本的人権の尊重をうたった新憲法を発布し、民主の理念の定着に全力を尽くされた。
 民主主義路線への扉を開かれたオバサンジョ氏は、在任中からの約束通り政治の第一線を退き、十三年以上続いた軍事政権に自らピリオドを打たれた。潔い身の処し方である。出処進退にその人の″人物″が表れる。
 (その後、ナイジェリアは再び軍事政権となったが、ババンギダ現大統領は本年十月からの民政移管を宣言)
 そして今日まで、「アフリカ賢人会議」の創設者などの立場で、国際的な活躍を続けておられる。
 (このほか世界各国の元指導者による「OBサミット」(インター・アクション・カウンシル)のメンバーでもある。アフリカで、第一線を退いた政治家が活躍することは、きわめて例外的といわれる)
 「民主の道」「平和の道」「発展の道」を模索するアフリカ──。その未来のためにも、オバサンジョ元国家元首の、ますますのご健康とご活躍を念願する。
7  「チェコの良心」ハベル大統領の″自由への闘争″
 チェコスロバキアといえば、今、東欧で最も注目されている国の一つである。私も二十八年前(一九六四年十月)に訪れた。懐かしい地である。まもなく、そのチェコスロバキアのハベル大統領が、初来日される。
 チェコスロバキアは、三年前(一九八九年十一月)、ビロードの布のようにソフトで静かな革命、いわゆる「ビロード革命」を成し遂げた。
 ハベル大統領は、その中心的存在であり、「チェコの良心」とうたわれる。世界的に尊敬を集めている指導者である。現在、五十五歳。劇作家でもある。
 (ハベル大統領と「ビロード革命」について、名誉会長は「福井、石川、富山第一回合同総会」(一九九〇年十月二十二日)でスピーチしているほか、ブルガリアのジェレフ大統領との会談(同年十一月十四日)などでも語り合っている。また、世界的に高名な経済学者のガルブレイス博士は、名誉会長との対談(同年十月五日)の席上、ハベル大統領について、「名誉会長に、ぜひお会いしてほしい方です」と述べている)
8  ハベル大統領は、若き日に、いわゆる「プラハの春」(一九六八年)を戦われた。チェコ民衆が「言論の自由」などの民主化を求めた運動である。しかし、この「プラハの春」は、たちまちソ連軍などの介入を受け、無残に踏みにじられてしまった。
 私は、その直後、そうした横暴な武力介入に抗議の声をあげた。そして、チェコ民衆への連帯の心を、「プラハの秋」と題した随筆に、こうつづった。
 「チェコの賢い民衆は、言論の自由のありがたさを大切にして、数々の矛盾の解決に、初めて歓喜をもって努力しはじめたところである。現代の世界をおおう嘘と真実との接点の発火が、こんどのチェコ事件ということになるだろう。
 火はくすぶったようにみえる。賢明なチェコの民衆は、賢い闘いをするために、涙と汗とを流しているにちがいない。プラハは今、秋たけなわのはずである」(一九六八年十月十五日付「エコノミスト」誌に寄稿)──と。
 私は、チェコの人々の「賢い闘い」を信じていた。そして、ハベル青年は、武力介入にも負けることなく、「プラハの春」以来、若き不屈の魂で、本当の「自由の春」を勝ち取るために戦い抜いた。
 民主化運動、人権闘争──そのために、幾度となく投獄された。一九七九年以降の十年間だけでも、約四年間を獄中で送られている。信念のために牢に入った人を私は尊敬する。権力からの迫害を受けない指導者は、どこかで妥協をし、ごまかしをしているからである。
 いわんや、牢に入るでもなく、少し悪口を言われたくらいで心を動かすような人は、信念を語る資格はない。人間として、何ひとつ立派に仕上げることもできないであろう。それでは幸福もない。
9  獄中での孤独、苦しみ──だが、彼は決して「希望」を捨てなかった。
 ハベル大統領は語っておられる。希望とは──「精神の方向づけ、心の方向づけ」であり、「良いことだからそのために努力する、われわれの能力の尺度」であると。
 そして、「希望は決して楽観ではありません。なにかうまくいくという確信ではなく、なにかの意味を持つという保証──そういう結果になるかを顧慮することなく──なのです」と。
 この大統領の言葉の通り、何事にせよ、「いつかは事情が変わるだろう」「何とかなるのではないか」などといった、甘えや夢想に「希望」があるのではない。そうした弱さは、むしろ不屈の「希望」とは正反対のものであろう。
 自分が「理にかなう」と信じた道で、どこまでも戦う。私どもでいえば、御書の仰せのままに戦う。その強き信念自体に希望はある。
 「信念」ある限り「希望」はあり、「信念」強き人は、「希望」強き人である。「信念の人」こそが「希望の人」であり「幸福の人」なのである。
 ゆえに大切なのは、前へ進むことである。戦うことである。動くことである。御書の通りの「行動」──その軌道は太陽のごとく、確実に、人生の「希望の春」を花開かせる。
 ともあれ、長く厳しい″冬″を越えて、ハベル大統領は今、大いなる「希望の花」を咲かせようとされている。その「勝利の姿」で来日される大統領を、私は、「″勝利の春″の使者、ようこそ!」と心からたたえ、歓迎したい。
10  地涌の菩薩は″行動の人″
 人生は観念ではない。行動である。人生の真髄を説いた仏法の生命も「行動」にある。
 「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」──教主釈尊が世に出られた根本目的は、人として振る舞う道を説かれることであった──。
 何度となく拝した御書であるが、「人の振舞」すなわち人間としての「行動」をこそ仏法は教えようとしたのである、と。「正しき行動」に「正しき人生」があり、「正しき仏法」もある。
 また「行学たへなば仏法はあるべからず」──行と学が絶えてしまえば、仏法はない──と。
 「行」──仏法を自ら実践し、ひろめゆく「行動」を離れて仏法はないとの仰せである。口で、どんなに立派なことを言っても、それだけでは仏法ではないと。重要な根本のお言葉である。
 さらに、「心地を九識にもち修行をば六識にせよ」──心の境地を九識(生命根本の最も清らかな境界)に置き、修行のほうは六識(心を鍛える現実の場)においてしなさい──。
 現実のなかでの行動こそが仏道修行であると教えられている。
11  また法華経には、「地涌の菩薩」の姿が説かれている。大地からずる菩薩──その深義は、さまざまあるが、久遠以来の本然ほんねんの「使命」をもって、自ら民衆のなかへおどり出てきた菩薩である。表面上の権威や形式など、何の関係もない、深い次元のことが説かれている。
 また現実の大地で妙法を弘める人こそ「地涌の菩薩」なのである。すなわち私どもである。
 この地涌の菩薩のリーダーである四菩薩の名も、上行じょうぎょう無辺行むへんぎょう浄行じょうぎょう安立行あんりゅうぎょう──。いずれも「行」の字が含まれている。
 総じて「地涌の菩薩」とは「行動者」なのである。観念ではない。我が五体を使って「行動」し抜くことこそ″地涌のあかし″である。
 「行動」がなければ建設はない。栄光も幸福もない。それが人生・社会の万般に通ずる道理である。
 「行動」なき批判は、愚痴に通ずる。愚痴は信心を破壊し、幸福への軌道から自分ではずれていくようになってしまう。
 生命は動きである。宇宙も動いている。地球も動いている。動物も植物も、生きとし生けるものは皆、動いている。生きることは動くことである。働くことである。
 そしてよき人生とはよき行動の結果である。素晴らしき人生は正しき行動の地道な繰り返しから花咲く。ゆえに、何があろうとも、前へ前へと行動し抜く人が勝利の人なのである。
 「さあ、また何か学ぼう!」と、求道心を燃やして会合に足を運ぶ。「さあ、ともに幸せになろう!」と、家族や地域の人々に温かい心の対話を広げる──。
 そうした皆さまの日々の「行動」にこそ、仏法の真髄は脈動している。正法の功徳は輝いていく。
12  牧口先生は殉教、宗門は謗法容認
 学会の初代会長・牧口先生は、まさに広布への不惜の「行動者」であられた。軍国主義と断固として戦われた。牢獄にあっても、先生は検事や看守に対して敢然と「正義」を主張された。
 また、獄死される一カ月前、獄中からご家族にあてたお手紙には、「カントノ哲学ヲ精読シテル」とつづられている。七十三歳のご高齢であった。
 最後の最後まで、粘り強く、前へ前へと進まれた。この崇高な生き方──。「不動の信念」をもたれていた牧口先生にとっては、牢獄すらも法戦の場であり、すなわち「寂光じゃっこうの宮殿」「宝の家」であられた。
 これが、私どもに仏法と人生の真髄を教えてくださった師匠の姿である。創価学会の創立者の偉大なる振る舞いである。私どもの素晴らしき誇りである。
13  一方この時、卑怯にも権力の弾圧を恐れ、率先して数々の謗法を犯したばかりか、学会の殉難じゅんなんすら迷惑顔で保身に狂奔きょうほんしたのが、宗門である。
 (学会幹部が検挙されはじめるや、宗門は、牧口会長、戸田理事長らを登山禁止の処分に処した。″学会とは無関係″というために、投獄された者を信徒として除名せよとの意見まで出たと言われる。さらに、牧口会長の投獄後、宗門の僧侶が会長の家族を訪れ、特高警察に従って謝罪し″退転″するよう会長に勧めるべきだと迫った事実も明らかになっている)
 その宗門を、私どもは、ただ「広宣流布」を願って、赤誠せきせいの限りを尽くし、守りに守ってきた。正法の尊貴さを民衆に教えるために。そして大聖人、日興上人への御報恩のために。
 しかし、私どもの真心は無残に裏切られた。あまりにも手厚い外護げごをよいことに、宗門は戦前・戦中以上に謗法と欲望まみれに堕落し、大聖人の仏法を、真っ向から否定する邪教と化してしまった。邪教とは、断じて戦わざるをえない。
 大聖人は、正法破壊の僧侶について「彼等が頸をゆひ由比はまにて切らずば日本国必ずほろぶべし」──彼らの首を由比ケ浜で切らなければ、日本国は必ず滅びるであろう──とまで仰せになっている。
 (「頸を詰」との言の真意について、「立正安国論」では「其の施を止む」すなわち悪への供養を止め、悪僧として生きていけなくすることにあるとされている)
 大慈大悲の大聖人が、それほどの厳しい表現をされるくらい、悪僧の害毒は深く、恐ろしいのである。その怖さは、どんなに強く言っても言いすぎることはない──このことを、そして悪の根を断つ″精神″を教えられていると拝される。
 絶対に甘く、簡単に考えてはならない。「仏法は勝負」であり、勝負に中途半端はない。
14  現在、「東京牧口記念会館」が、東京・八王子市に建設中である。皆がゆっくりと散策できる場も設けたいと思っている。完成の折には、皆さまもぜひ訪れていただきたい。
 民衆のため、私どものために、広布にじゅんじられた牧口先生。先生の名を冠する記念会館を、仏子ぶっしの笑顔と語らいがはずむ理想郷にしたい──それが私の願いである。
 最後に、「ご主人をはじめ、ご家族の皆さまに、くれぐれもよろしくお伝えください」と申し上げ、本日の記念のスピーチとしたい。全国の皆さん、ありがとう!お元気で!

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