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日蓮大聖人・池田大作

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全国青年部幹部会、茨城県総会 登ろう!最高峰の青春の山へ

1992.4.12 スピーチ(1992.1〜)(池田大作全集第80巻)

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21  三世の幸福は仏眼・法眼で
 大聖人に直接お目にかかった門下であっても、若くして亡くなる場合があった。さらに、幾多の法難のなかで、どれほどの門下が死に、迫害を受けたことか──。
 釈尊の在世においても、多くの一族や門下が、悪の権力者に殺されている。たとえば、「開目抄」には「無量の釈子は波瑠璃王に殺され」等と仰せである。
 かりに、信心強盛にして不慮ふりょの死──事故死したり、若死にしたりしても、御聖訓に照らし、仏のまなこから見れば、何らかの深い意味がある。生前の福徳、また追善供養で救われることも間違いないと確信する。
 表面的な現象また目に見える形のみで云々うんぬんできないのが、仏法の深遠さなのである。
 仏法の真髄しんずいは、凡眼ぼんげんにははかり知れない。いわんや嫉妬に焼かれ、感情に眼を曇らされた人間には、″真実″は何も見えない。
 私どもが信じ奉るのは、三世永遠に及ぶ大聖人の「仏眼」「法眼」である。それ以外の何ものにも煩わされる必要はない。
 この大確信で、「素晴らしい一生」を、「楽しい一生」を、ともどもに歩み、勝ち取ってまいりたい。きょうは本当に、ありがとう!

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