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日蓮大聖人・池田大作

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「4・2」記念合唱祭・第二東京総会 永遠に「王者の道」を

1992.3.29 スピーチ(1992.1〜)(池田大作全集第80巻)

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1  民衆の″魂の歌″は権力より強い
 力強い「魂の歌声」で我らの「四月二日」を飾っていただき、本当にうれしい。出演者、役員の皆さま、ここに出席された皆さま、さらに全国の会場で参加されている同志の方々に心から感謝申し上げたい。
 戸田先生がお亡くなりになる前、病床の先生に聞こえるように私たち青年部は何度も何度も学会歌を歌った。「先生!青年部がおります。私たちが戦います!」。先生に安心していただけるよう、声を限りに歌い続けたことが懐かしい。
 本日の皆さまの意気軒高の歌声を、戸田先生も笑顔で聴かれているにちがいない、と私は感慨深く聴いた。本当にありがとう。
2  私の親友であるアイトマートフ氏が、氏の故郷である中央アジアのキルギスに伝わる昔話を紹介されている。
 ご存じのように世界的な大作家である氏は、ゴルバチョフ元ソ連大統領とも親交が深い。また、ドイツなど各地での講演の折に、私やSGI(創価学会インタナショナル)への共感と期待を語ってくださっているという。私にはこうした心からの信頼を寄せてくださる友人が世界中にいる。本当に、友は宝である。
 さて、アイトマートフ氏が紹介されたのは、おじいさんが孫に語って聞かせる話である。
 ──昔、ある王様が、武運つたなく捕らわれの身となった。その王は、敵から″二者択一″を迫られる。すなわち「奴隷として働くか? それとも、おまえの一番の願いをかなえた後で殺されるか?どちらがいいか──」と。
 生かすも殺すも自由──権力を握った者は残酷になる。私どもは絶対に権力に負けてはならない。
 誇(ほこ)り高い王は、その時、こう答えた。
 「奴隷に身を落としてまで、生きのびたいとは思わない。殺されるほうがましだ。ただ、その前に、私の国の羊飼いを誰でもよいから一人、呼び寄せてくれ」
 思いもよらぬ答えに、敵は尋ねた。「何のために?」
 王は言った。「死ぬ前に、その男の歌を聴きたいのだ」と。
 王が最後に望んだものは、祖国の歌であった。それほど、この勇者は故郷を愛し、故郷を守るために命をしてきたのである。
 今、私どもは晴れ晴れと、だれに何の遠慮もなく、愛する「学会の歌」「民衆の歌」「勝利の歌」を高らかに歌いながら前進できる。これほどの喜びはないし、この朗らかな姿そのものが、学会の偉大さ、崇高さ、大勝利を象徴していると宣言したい。
3  正法の命脈は戸田会長により蘇生
 広宣流布の険難の道にあって、臆病にも信心を捨て、卑しき「奴隷の道」を選ぶか。それとも勇気をもって、誇り高き「王者の道」をゆくか──。その一点で「大聖人直系」の信心か、否かの命脈が決する。
 戦時中、宗門は軍部の権力と国家神道に迎合げいごうし、大聖人に違背いはいして「御書」の御文を削除したり、経本の御観念文を神道ふうに変えるという大謗法だいほうぼうまで犯した。
 それに対し牧口先生、戸田先生は、命を賭して正法正義を貫き、牧口先生は獄中で殉教じゅんきょう。そして法滅せんとする宗門に外護げごまことを尽くし、正宗の大発展のいしずえを築かれたのは戸田先生である。学会があってこそ、正法の命脈は蘇生した。大聖人の仏法は守られたのである。
 その心を受け継ぎ、私どもも宗門を守りに守り、尽くしに尽くし抜いてきた。しかし、大聖人に反逆する「極悪」の日顕宗とは戦う以外にない。
 私どもの戦いは、大聖人がすべて御照覧くださっている──我らは偉大なる学会の、牧口先生、戸田先生の後継として、いよいよ正義と勇気の心強く、「人間王者の道」を堂々と進み抜いていきたい。
4  御聖訓「正法を破壊する者は高僧」
 少し長文であるが、ここで御書を拝したい。経文を釈されての仰せである。
 「釈迦如来の仏法をばいかなるものがうしなうべき」──釈如来の仏法をどのような者が滅ぼすのか──。
 結論を言えば、″それは外部の敵ではない。内部の悪人である。しかも在家ではない。出家──悪い僧侶が仏法を滅ぼすのである″と断ぜられている。すなわち、次のように仰せである。
 「大族王の五天の堂舎を焼き払い十六大国の僧尼を殺せし漢土の武宗皇帝の九国の寺塔四千六百余所を消滅せしめ僧尼二十六万五百人を還俗せし等のごとくなる悪人等は釈迦の仏法をば失うべからず、三衣を身にまとひ一鉢を頸にかけ八万法蔵を胸にうかべ十二部経を口にうせん僧侶が彼の仏法を失うべし
 ──大族王という悪王は全インドの寺院を焼きはらい、十六大国の国々の僧侶や尼を殺した。また中国の武宗皇帝は九カ国の寺や塔四千六百余カ所を消滅させ、僧侶や尼二十六万五百人を俗人に戻した。しかし、このような悪人たちが釈尊の仏法を破壊するのではない。三種類の法衣ほうえ(袈裟)を身にまとい、托鉢たくはつの鉢(供養のほどこしを受ける容器)を首にかけて、八万法蔵といわれる多くの経々を胸に浮かべ、十二部経(一切の経)を口に唱えている僧侶こそが、釈尊の仏法を破壊するのである──。
 たとえ悪王が大迫害を加えたとしても、それで仏法が破壊されるのではない。仏法破壊の張本人は、在家ではなく、立派な衣をまとい、仏教に精通していると尊敬されている「出家」なのであると。
 御書は″明鏡″である。現在の問題を、すべて鮮やかに映し出してくださっている。
 大聖人は、さらにこの道理を譬えを用いてわかりやすく説いておられる。
 「譬へば須弥山はこがねの山なり三千大千世界の草木をもつて四天六欲に充満してめて一年二年百千万億年が間やくとも一分も損ずべからず、而るを劫火をこらん時須弥の根より豆計りの火いでて須弥山をやくのみならず三千大千世界をやき失うべし
 ──譬えば、須弥山(古代インドの世界観で世界の中心にあるとされる山)は、金の山である。三千大千世界(古代インドの世界観で説かれる広大な宇宙)のあらゆる草木を集めて、四天王が住する欲界の初めから第六天の頂上まで充満して積み重ね、一年、二年、さらに百千万億年のあいだ燃やし続けても、須弥山は少しも焼け損ずることはない。
 ところが、劫火(世界を焼き滅ぼす大火災)が起きる時には、須弥山の根元から豆つぶほどの小さな火が出ただけで、須弥山を焼き尽くすばかりでなく、三千大千世界をすべて焼き滅ぼしてしまう──。
5  「嫉妬の炎」が「仏教の宝山」を焼く
 「若し仏記のごとくならば十宗・八宗・内典の僧等が仏教の須弥山をば焼き払うべきにや、小乗の倶舎・成実・律僧等が大乗をねむ胸の瞋恚しんには炎なり真言の善無畏・禅宗の三階等・浄土宗の善導ぜんどう等は仏教の師子の肉より出来せる蝗虫いなむしの比丘なり、伝教大師は三論・法相・華厳等の日本の碩徳等を六虫とかかせ給へり、日蓮は真言・禅宗・浄土等の元祖を三虫となづく、又天台宗の慈覚・安然・慧心等は法華経・伝教大師の師子の身の中の三虫なり
 ──もし仏の予言の通りであれば、(日本国の)十宗、八宗といわれる仏教の僧たちこそが、仏教の須弥山を焼きはらう元凶となるであろう。小乗の倶舎宗・成実宗・律宗の僧侶などが、(より多くの人々を救っていくことのできる)大乗をねたむ胸のいかりが、(仏教の須弥山を焼き滅ぼす)炎である。また、真言宗の善無畏や禅宗の三階らや浄土宗の善導らは、イナムシ(害虫の類)のように、仏教という獅子(ライオン)の体の中に発生し、その肉を食う僧である。
 伝教大師は、三論宗・法相宗・華厳宗などの日本の高僧たちのことを「六匹ろっぴきの虫」と書かれた。日蓮は真言宗・禅宗・浄土宗等の元祖を「三匹の虫」と名づけよう。また天台宗の(座主である)慈覚や安然・慧心(恵心)らは、法華経ならびに伝教大師という獅子の身の中に生じた三匹の虫である──。
 仏法を滅ぼすのは外の敵ではない。「獅子身中の虫」すなわち、仏法の内側にいる高僧であり、なかんずく彼らの″嫉妬しっと″であると、大聖人は明確に仰せである。
 ある僧侶いわく、「創価学会に対する法主の嫉妬の炎──これが三宝をも焼いてしまった。宗門自体をも焼いてしまった」と。まさに御書の仰せの通りである。
6  大聖人は、さらに、こう続けられる。
 「此等の大謗法の根源をただす日蓮にあだをなせば天神もをしみ地祇もいからせ給いて災夭も大に起るなり、されば心うべし一閻浮提第一の大事を申すゆへに最第一の瑞相此れをこれり、あわれなるかなや・なげかしきかなや日本国の人皆無間大城に堕ちむ事よ、よろこばしきかなや・たのしいかなや不肖の身として今度心田に仏種をうえたる
 ──日蓮は今、これらの大謗法の根源を責めただしている。その日蓮に対して、さまざまな迫害を加えるので、天神もいたわしく思われ、地の神も怒られて、災い(天災など)も大いに起こっているのである。したがって、心得ておきなさい。世界第一の大事なことを述べているから、最第一の瑞相がここに起こっているのである。
 本当に哀れなことは、また嘆かわしいことは、(日蓮に敵対する)日本国の人々が皆、無間地獄に堕ちてしまうことである。まことに喜ばしく、楽しいことは、不肖の身でありながら、このたび心田(心の田)に成仏の種を植えることができたことである──。
 大聖人の仰せ通り、今こそ、私ども一人一人の「心田」に深く成仏の種を植えられる″時″である。「喜ばしく」「楽しい」前進である。
 大聖人直結の第二祖日興上人は、″御書をないがしろにする悪侶に親しみ近づいてはならない。獅子身中の虫と見破っていきなさい″と戒めておられる。すなわち、「日興遺誡置文ゆいかいおきもん」に、「御書何れも偽書に擬し当門流を毀謗せん者之有る可し、若し加様の悪侶出来せば親近す可からざる事」「偽書を造つて御書と号し本迹一致の修行を致す者は師子身中の虫と心得可き事」と。
7  謗法とは戦わざるを得ない。ほうっておけば、悪侶のヤキモチの炎によって、かけがえのない正法の世界が、すべて焼き尽くされてしまう。
 今回も、その寸前であった。″法滅″の一歩手前で、私どもは悪と厳然と戦い正法を守った。護法の戦いを戸田先生も、どんなにかお喜びになっておられるだろう。
 いやな戦いかもしれない。しかし、ほかでもない、大聖人が私ども学会に「戦え!」と仰せになっていることを知っていただきたい。大聖人が、私どもに本当の「仏道修行」をさせてくださっているのである。
 ゆえに、今、戦い切った人は功徳も大きい。″進まざるは退転″″戦わざるは退転″──これこそ戸田先生のモットーであった。
 戦った結果は、すべて心田しんでん──我が心の大地に、無量無辺の大福徳の種として植えられていく。三世永遠に輝く「心のたから」が根づいていくにちがいない。
8  「心の財」の追求が正法、宗門は「蔵の財」に溺れる
 大聖人は「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」と仰せである。また「心こそ大切なれ」とも。
 信心の心こそ無上の財である。そこに、宇宙全体の財宝も納まっている。
 我が学会は、大聖人の仰せ通り、「心の財」第一で前進してきた。ゆえに大発展した。
 反対に大聖人に背いて「蔵の財」「身の財」のみを貪欲に追い求め、そして溺れきった信心破壊の宗門の末路も、御書に照らし明白である。
9  昭和三十三年の三月二十九日──三十四年前のきょう、戸田先生の御逝去の四日前のことである。
 この日、青年部は、本山の、ある悪侶を厳しく戒めた。朝から酒に酔っぱらい、小さな所化をいじめている所化頭である。この僧は、日ごろから学会をバカにし、見下していた。
 私が、その様子を戸田先生に、ご報告した時、病床の先生は厳然と言われた。
 「追撃の手をゆるめるな!」──去の直前でありながら、ものすごい生命力であった。今日を見通されての、渾身の一言であった。遺訓であった。永遠の魂の叫びであった。
 「一歩も退いてはならない。追撃の手をゆるめるな!」──悪への「追撃」が正法の真の外護げごであることを教えてくださったのである。
 これまで私どもは、宗門を守りに守ってきた。僧俗和合のために尽くし抜いてきた。しかし、もはや完全に裏切られた。今、再び私どもは、戸田先生の大闘争心を、我が胸にたぎらせ、堂々と邪悪を責め抜いてまいりたい。
10  ともあれ、意義深き記念合唱祭・第二東京総会、本当におめでとう!見事な総会でした。立派な合唱でした。
 第二東京は、今後も「二十三区が何だ!」──との気概で、「素晴らしき第二東京」の建設へ、前進を開始していただきたい。
 現在、この八王子には「東京牧口記念会館」の建設が進められている。完成の折には、第二東京の方々が真っ先に訪れていただきたい。また、この会館を中心として、私も第二東京の発展のために、いよいよ本格的に力を入れていく決心である。
11  なお、本日は海外十一カ国のSGIメンバーも参加されている。本当にご苦労さま。
 さて、躍動の春三月、四月。きょうの聖教新聞にも、秋谷会長、森田理事長ら最高首脳が、さっそうと創大の「新世紀橋」を闊歩かっぽしている姿が掲載されていた。まさに″春本番″の若々しい姿で写っていた。
 「新しい季節」を「新しい舞台」にできる人は幸福である。聡明である。この「新しい春」に、さっそうと人生の「新しいスタート」を切っていただきたい。
12  広宣の活動の場こそ寂光土
 「御義口伝」に、次のように仰せである。
 「霊山とは御本尊並びに日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり」──霊山とは御本尊並びに日蓮大聖人と門下の南無妙法蓮華経と唱える者の住所のことを説いているのである──と。
 霊山とは、御本尊の住所であるとともに、妙法を唱える私どものいる場所のことであるとの教えである。
 また別の御文では、こうも仰せである。
 「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処は山谷曠野せんごくこうや皆寂光土みなじゃっこうどなり」──今、日蓮大聖人と門下の南無妙法蓮華経と唱え奉る者のいるところは、山であれ、谷であれ、荒野であれ、いずこも寂光土なのである──と。
 大聖人直結の門下として題目を唱える人の住処は、いずこであれ、かりに御本尊を直接拝せない場合であっても、すべてが寂光土であり、霊山である。
 大聖人の仰せのままに「広宣流布」に進んでいるのは学会員である。学会員の活躍の場こそ、どこであれ仏国土なのである。
 日本中、世界中、同志のいるところは、すべて寂光土であり、私どもは、世界中に寂光土を広げているのである。これ以上、崇高な人生はない。
13  本日は、著名な翻訳家であられるリチャード・ゲージ氏もご列席くださっている。心から感謝申し上げたい。
 氏はアメリカ生まれ。来日されてより、本年でちょうど三十年を迎えられる。日本語のほか、ロシア語、フランス語、ドイツ語にも堪能な、世界的な翻訳家であられる。その業績は、日米をはじめとして高く評価され、数々の栄誉が贈られている。
 私も二十年来のお付き合いをさせていただいている。この間、英語版「人間革命」の第一巻から第五巻、英語版の「トインビー対談」「ペッチェイ対談」「ウィルソン対談」「ユイグ対談」をはじめ、数多くの翻訳を進めてくださった。
 氏のご尽力による「ポーリング対談」なども、近く発刊の予定である。
 ゲージ氏の今日までの翻訳・編集の労作業。そのすべてが、「広宣流布」の運動につらなった、「菩薩」の働きに通じゆく偉業であると、私は心から賛嘆し、重ねて感謝申し上げたい。
 最後に、皆さま方の「朗らかな」、そして「力強い」前進を心から念願し、本日の記念のスピーチとしたい。ありがとう!ご苦労さま!

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