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日蓮大聖人・池田大作

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第五十二回本部幹部会、中央・千代田ルネ… ″自由の春″″行動の春″が来た!

1992.3.10 スピーチ(1992.1〜)(池田大作全集第80巻)

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1  人権の英雄は抑圧者と戦う
 黒人解放の指導者、マーチン・ルーサー・キングのことを、先日、テレビで取り上げていた。彼は、一九六四年、ノーベル平和賞受賞。一九六八年に凶弾に倒れた。享年三十九歳。人権の「英雄」であった。
 彼の墓は、アメリカ南部、故郷のジョージア州アトランタにある。墓石には、こんな言葉が刻まれている。
 「とうとう自由になった やっと自由になった 神よ、ありがとう 私は、ついに自由です」
 この言葉は、幾世代にもわたって歌い継がれてきた黒人宗教音楽の有名な一節という。万感の思いが伝わってくる。
2  また彼は著書『自由への大いなる歩み』に、こう述べている。
 「不正や人種的隔離を受動的にうけいれることは、抑圧者たちに、彼らの行動が道徳的に正しいと告げることだ。それは、彼の良心がねむるのをゆるす道なのだ。こうなると、抑圧された人々は、彼らの兄弟のまもり手となることはできない。だから、黙って服従することは、しばしば安易な道ではあるが、決して道徳的な道ではないのだ。それは臆病者の道なのだ」
 抑圧者に黙って従うことは、やさしいが、従えば抑圧を認め、許すことになる。友を守ることも絶対にできない──。「勇気」こそ民衆の「自由への大いなる歩み」を支える足なのである。
3  ″率先″の人生が″充実″の人生
 「率先」が、いかに大事か──初代会長・牧口先生は、言われている。
 「″笛吹かず、太鼓たたかず、獅子舞いの後足になる、心安さよ″であってはいけない。人生においては、率先して実行することが大切である」
 笛を吹くのでもなく、太鼓をたたくのでもなく、獅子舞いの後足のように、だれかの後についていけば、気楽かもしれない。しかし、それだけでは充実はない。深い喜びも、新しい歴史もつくれない。
 人生の価値も、また真の充実も、幸福も、「さあ、やろう!」と自ら決めた「率先の行動」から生まれる。
 牧口先生ご自身、この言葉通り、広宣流布のため、日本の各地を率先して回られた。ご高齢でもあった。経済的にも大変であった。それでも、皆の先頭を切って、一人一人との対話を徹底して積み重ねられた。
 たとえば、七十歳前後の最晩年にも、牧口初代会長は、毎年のように九州各地に足を運んでいる。当時は、列車を乗り継いでの長旅であった。旅費も自ら真剣に工面された。行く先々で十数キロの田舎道を、弘法の先頭に立って歩いた。その足どりの勢いは、同行の人たちにも、なかなかついていけないほどであったという。
 また″積み重ね″が大事である。牧口先生の偉業も、うまずたゆまずの努力の結果である。信心の実践も、積み重ねてこそ盤石な「常楽」の境涯となる。一日また一日、前進を積み重ね、功徳を積み重ねてこそ、揺るぎなき「幸福」はある。他の世界も、ある意味で同じであろう。
 実力もなく、彗星のごとくパッと有名になり、もてはやされ、パッと消えてしまう。それでは、あまりにはかないし、「本物の人生」とは言えない。
4  「他人」ではない。まず「自分」が行動することだ。動くことだ──牧口先生が言われている通り、この「率先」が「人生」を開くカギである。そこから「新しい時代」も「新しい歴史」も開かれていく。
 「人にやらせよう」という要領主義は、組織悪であり、権威主義、官僚主義と言えよう。それでは何より自分の成長はない。
 「勝利」はリーダーの、敢然と一人立った″体当たり″の戦いから始まる。要は″一人″である。″一人″で決まる。
 何があっても止まらない。退かない。何があっても前へ進む。戦う。私も、この″体当たり″で道を開いた。そして勝った。
 勝たなければ「自由」はない。負ければ「不自由」である。束縛されてしまう。「自由の春」は「率先の行動」で勝ち取るものなのである。
5  さて本日は第五十二回の本部幹部会、また東京の中央・千代田ルネサンス総会である。おめでとう!
 中央も千代田も、大変に小さな区である。人数も少ない。しかし、ある婦人部の方は、きっぱりと、こう言われていた。「見かけは小さくても、福運は大きいです。和楽も大きい。行動力も人材の力も、他のどこにも負けません」と。
 さらに、結成三十周年を記念する第十三回の芸術部総会が、言論会館(聖教新聞本社内)、関西文化会館をはじめ全国各地で、約三千人が集い開催されている。この会場にもヤング・パワーをはじめ代表の方々が参加されている。そして、山口・北九州合同友情音楽祭の開催、心から祝福申し上げたい。
6  信心は行動──御本仏が陰の労苦を御照覧
 日蓮大聖人の佐渡御流罪──それは陰険な悪の策謀の結果であった。何としても大聖人を抹殺しようとして企てた、悪僧らの権威と、権力による大弾圧であった。
 しかし大聖人は、この絶体絶命の死地にあっても、大難を悠然と見おろされながら、「開目抄」「観心本尊抄」などの重書の御執筆をはじめ、広宣流布の御法戦を、いやまして進められたのである。
 ゆえに、弾圧の時だからこそ、より以上の力で戦う。風が強ければ、いよいよ強盛の信念、信心で進む。これが「大聖人の真の門下」である。
 文永十一年(一二七四年)の弥生やよい三月、大聖人は、二年半に及ぶ流罪から、鎌倉へお戻りになった。まさしく″勝利の春″を迎えられたのである。今、学会も、さらに勢いを増して、爛漫と″勝利の春″を迎えようとしている。
7  大聖人はいよいよ佐渡(一のさわ)を出発される前日の三月十二日、佐渡の一人の門下にお手紙を残された。
 それは、遠藤左衛門尉さえもんのじょうという方へのお便りである。この人は、阿仏房あぶつぼうの一族ではないかという説もあるが、詳しいことは不明である。御書も「遠藤左衛門尉御書」一編しか残されていない。
 その中で、大聖人は仰せである。
 「日蓮此の度赦免を被むり鎌倉へ登るにて候、如我昔所願今者已満足此の年に当るか、遠藤殿御育み無くんば命永らう可しや・亦赦免にも預かる可しや、日蓮一代の行功はひとえに左衛門殿等遊し候処なり
 ──日蓮はこのたび、赦免しゃめん(ゆるし)をうけ、鎌倉へのぼることになりました。(法華経方便品には)「我が昔の所願の如き、今者いますでに満足しぬ(私の昔からの願いが今はすでに満足した)」とありますが、私にとっては、それは今年のことでありましょうか。遠藤殿の外護げごがなければ、私の命は永らえることができたでしょうか。また赦免を、うけることができたでしょうか。日蓮の一代の行功(修行と功徳)は、ひとえに左衛門殿らのおかげです──。
 ありがたいお言葉である。陰で誠意を尽くした人をたたえられ、「すべてあなたのおかげですよ」──と。
 どれほど、うれしいお言葉であったろうか。仏子ぶっしの真心と労苦を御本仏は、すべて、くみとってくださる。そして最大に温かく包んでくださる。ゆえに、絶対に安心である。
 僧侶も、この御振る舞いを仰ぎ、同様にしてこそ、御本仏の正統の門下であろう。今は、完全に反対になってしまった。
 また、各地域のリーダーの皆さまも、陰で支える方々を最大に称賛していっていただきたい。いくら頑張っても、皆が冷淡であったり、無関心であれば、どうしても、寂しくなる。やりがいも感じないし、張り合いも失われてしまいがちである。
 同志の健闘を心からほめ、たたえ、「張り合い」を感じられるように、こまやかな配慮をしていくところに「喜び」が広がり、「福運」が広がる。
8  直系の門下は生死ともに楽し
 大聖人は、さらにこう続けられている。
 「御経に「天諸童子以て給使を為し刀杖も加えず毒も害すること能はず」と候得ば有難き御経なるかな、然ば左衛門殿は梵天釈天の御使にてましますか、霊山えの契約に此の判を参せ候、一流は未来え持せ給え霊山に於て日蓮日蓮と呼び給え、其の時御迎えに罷り出ず可く候、猶又鎌倉より申し進す可く候なり
 ──法華経(安楽行品)には「(妙法を弘める人には)天のもろもろの童子がお仕えし、(その人に)刀や杖で暴力を加えることもできない。また毒で害することもできない」とありますので、なんと、ありがたい御経でしょうか。この経文に照らしてみると、左衛門殿は梵天・帝釈天のお使いであられましょうか。霊山浄土へ行く固い約束として、この判形はんぎょう(印となるもの)を差し上げます。一つは未来世へお持ちになりなさい。そして霊山で「日蓮、日蓮」と呼んでください。その時はお迎えに出てまいりましょう。なおまた鎌倉からお便り申し上げましょう──。
 大聖人は″霊山で、私の名を呼べば、必ずお迎えにまいりますよ″とお約束くださっている。広布に励む人の成仏は大聖人御自らが保証してくださっている。
 ″葬式に僧侶を呼ばねば成仏できない″などとは、御書のどこにもない。大聖人の仏法とは違うというほかない。
 私どもは三世永遠に、大聖人と御一緒に歩んでいけるのである。生も死も御本仏に見守られ、妙法にのっとって進んでいく。生も楽しく、死もまた楽しい──″本有ほんぬ生死しょうじ″と達観した、「永遠の幸福」への軌道となるのである。これ以上の生死はない。
 また大聖人は″鎌倉と佐渡の遠くに離れても、あなたにお手紙を差し上げますよ″と仰せである。距離ではない。心が大事である。大聖人に直結しゆく私どもの「信心」の心を、だれびとも切ることなどできない。
 ″学会には大聖人がついていらっしゃる″──この大確信で、功徳満開の″創価の春″を満喫していただきたい。
9  コロンビア大使「対話を広げれば、世界が広がる」
 話は変わる。南米・コロンビアのドゥケ駐日大使が、このほど四年間の任期を終え、帰国された(一月)。大使は、私の親しき友人の一人である。世界中に、私は友人がいる。
 世界は「精神」を大事にする。″精神のつながり″を大切にする。「インドでは、だれもが哲人に見える」と言われるが、ある人が「日本では、だれもが経済の動物に見える」と言っていた。
 それはともあれ、ドゥケ大使は一九四二年八月生まれの四十九歳。八七年十月に駐日大使に着任されて以来、四年間で、日本の政治・文化・学術等の分野の約二千人もの人々と会見された。経済人だけでも約四百人──。
 どんどん「人に会う」ことである。「会う」ことから何かが始まる。何かを学べるし、自分の世界も広がる。次の、新しい出会いへと、つながっていく。勢いも出る。知恵もわく。「会う」ことがリーダーの責務である。
 信心が進んでいる人は、どんどん人との出会いを重ね、友情を広げていくことができる。成長していない人は、臆病になり、自分の殻に閉じこもりがちになるものだ。
10  大使の人柄について、ある人が、こう語っていた。
 「話し好きで、好奇心が旺盛。知識欲のかたまりのような人物。自分自身の目と耳で確認したものしか信じない。相手を尊重し、相手に応じた話し方、態度ができる人。女性の能力を高く評価する。ただ、甘えは認めない。『人を育てる名人』といわれている」と。
 また大使は、日本在住のコロンビア人に対して大使館をオープンにし、親しみのあるものにされた。ちょうど学会の拠点のお宅のように。多くの人々の孤独感を和らげるよう努めておられた。現地の新聞を抜粋して編集し、定期的に送るなど、在日コロンビア人のために心をくだいてこられた。
 また大使は、次のように話されたことがあるという。
 「日本人は、いつまでも若い。それは、いつも多人数で協議し、決定するため、一人一人の責任が軽いからではないでしょうか。それに比べると、私は常に一人で決断し、責任を果たしてきた。だからこんなに老けて見えるのです。お会いした人々は、私に六十歳くらいですかと、よく聞くのです」と。
 ユーモアを交えてのお話であるが、実際、大使は年齢以上に円熟した風格を感じさせる方である。重責を担われた大使のご苦労がしのばれる。
11  ドゥケ大使にとって、同国のバルコ前大統領は尊敬する師であり、親のような存在という。大使は逆境の時も大統領を信頼し、支えきった。
 苦難の時ほど、「師弟の心」はいやまして強くなる。深くなる。本物になる。
 大使は、こんな秘話を語られたことがある。
 ──一九八九年、コロンビアは麻薬にからむ事件が頻発していた。緊急閣議が開かれ、ドゥケ大使も急遽呼び戻される。
 議論は白熱するが、解決への糸口はなかなか見いだせなかった。バルコ大統領は、心身ともに疲労しきっておられた。
 そうしたなか、ドゥケ大使は大統領の部屋に一人呼ばれる。大統領は長いすに横たわりながら、ニコニコして、こう語りかけた。「君も横になりなさい。これから一時間は、(麻薬の問題とは)まったく違った話をしようよ」
 そして師と弟子は時を忘れ、笑いながら、日本のみやげ話など、さまざまな語らいを交わした。
 話が終わり、大統領は″さあ、出かけよう″と、再び閣議に臨んだ。そして、重大政策の決断を下した──というのである。
 気分転換、気持ちの切り替えの「知恵」というか、常に「新鮮さ」をどう生み出していくか、どうフレッシュな雰囲気をつくり、自分も皆も心新たに出発していくか──大切な心がけだと思う。総じて「人の心に敏感な」リーダーであれば、皆が幸せである。
12  ところで、私がバルコ大統領に初めてお会いしたのは、同じ年の十二月、大統領の来日された折である。(この会見の席上、大統領から名誉会長に「コロンビア共和国功労大十字勲章」が贈られた)
 会見の少し前、コロンビアの首都・ボゴタで爆弾事件が起こり、多数の死傷者が出た。海外訪問中の惨事に、大統領の宿舎は緊迫感に包まれ、報道関係者とのやり取りなどで、ごった返していた。私はあいさつだけで失礼しようと気遣ったが、大統領はそうした状況にもかかわらず、真心を込めて出迎えてくださった。
 私は大統領に、お見舞いとともに、心からの励ましを贈った。
 「指導者は『柱』です。柱が厳然としていれば、民衆の家は揺るがない。指導者は『橋』です。怒濤逆巻く社会にも、『希望の橋』があれば、人々は安心です。大統領は、まさに、その存在であられる。どうか、お体を大切に、コロンビアの国民のために、ますますのご活躍をお祈りしたい。私どもも″同国民″の思いで、貴国のために貢献してまいります」と──。
 約一年半後(一九九一年六月)、私たちは、ロンドンで再会した。前大統領は、東京での出会いを「生涯忘れ得ぬ思い出です」と、懐かしそうに振り返っておられた。その笑顔は、「苦難を乗り越えた誇り」に輝いておられた。
13  「つねに語り合う」のが大聖人門下
 大統領も大使も「対話」を大事にされた。仏法者もまた「対話」を命とする。
 大聖人は仰せである。
 「常にかたあわせて出離生死して同心に霊山浄土にてうなづきかたり給へ」──常に語り合って生死の苦しみを離れ、同心に霊山浄土においてうなずき合って話しなさい──と。
 常に「語り合い」「励まし合い」、ともに幸福の方向へと歩んでいきなさいと教えられている。いくら一人で仏法を行じているつもりでも、その仏法を人々に語らない。広布のために動かない。同志を激励もしない。これでは大聖人の仰せ通りの実践とはいえない。
 座談会や個人指導、また友人との対話──。こうした私どもの御聖訓通りの行動を、大聖人が御称賛くださることは間違いない。
 「対話」「話し合い」を無視した一方通行のやり方は、明らかに大聖人の仰せに反する。師への反逆という謗法なのである。
14  心に「勇気の松明」を燃やせ
 インドの詩聖・タゴールに「ひとり歩む」という詩がある。
   君の呼びかけに、だれも答えないならば 
   君よ、我が道を一人
   皆が恐れをいだいて沈黙するならば
   君よ、開いた心と恐れなき声をもって、ただ真実のみを語れ
  
   暗いあらしの夜に
   だれも松明たいまつに火をつける者がなく
   とびらをたたく君に
   だれ一人として応じる者がいなくとも
   君よ、失望してはならない
   いかずちが激しくとどろくなかで
   我が心の松明に火をつけ
   一人、暗闇くらやみのなかで火を燃やせ
 「学会精神」に通じる、この詩を、本日のお祝いとして皆さまに贈りたい。
 ″私は生涯、創価学会員として生き抜く。今世の使命を断じて果たす″──こう決めて進んだ人に栄冠は厳然と輝くにちがいない。また、こう決意の炎を燃やした一人がいれば、その地の広宣流布は盤石である。
 いよいよ春が来た。行動の季節が来た。交通事故や火災にくれぐれも注意しながら、はつらつと毎日を勝利していただきたい。
 「健康」で「長生き」して、人生を「楽しんで」「仲良く」、そして、それぞれの使命を達成していかれんことを、心から念願し、本日のスピーチを終わります。長時間、本当にご苦労さま!

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