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日蓮大聖人・池田大作

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第五十一回本部幹部会、アジア総会、沖縄… アジア第交流時代の開幕

1992.2.27 スピーチ(1992.1〜)(池田大作全集第80巻)

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1  一五カ国・地域の代表が平和の沖縄に参集
 「花」がある。「海」が広がる。「光」があふれる。沖縄研修道場は「春爛漫らんまん」である。
 地元の青年部の有志の方が、一年がかりで調べてくださったところによると、確認できた道場内の植物は全部で約百十種類にのぼる。そのうち現在、花が咲いているのは、ちょうど六十種類──花も遠来の友を祝福するかのように咲き香っている。
 最初に二つのことを発表させていただく。
 一つは、フィリピンに研修道場を建設することが決定した。やがて、日本をはじめ世界の友も、交流に訪れることになるであろう。おめでとう。
 もう一つ、シンガポールに、創価幼稚園を設立することが決定した。香港ホンコンの創価幼稚園はまもなく開園(九月)だが、どちらも立派な二十一世紀の指導者を育てていただきたい。
2  本日のアジア総会・平和音楽祭には、香港、タイ、インド、シンガポール、マレーシア、フィリピン、インドネシア、台湾、韓国、ネパール、スリランカなど十五カ国・地域から代表が参集されている。ようこそ!本当にご苦労さま!
 先日は、各国で日本の交流団が大変にお世話になり、心から御礼申し上げる。これからも、よろしくお願いしたい。
 また、きょうは第五十一回本部幹部会とともに、沖縄復帰二十周年記念の第二回沖縄県総会でもある。おめでとう。また陰の役員の方々、研修道場の整備をされている方々に、私は合掌する思いで、感謝申し上げたい。
3  全国各地でも、活発な集いが開催されている、おめでとう。
 埼玉・大宮会館からは、衛星中継が良好との連絡が入った。ジンチョウゲの花もつぼみをふくらませているとのこと。また大分は県下″大快晴″で四月上旬の陽気であるという。会館敷地内にツグミがやってきたところもあると。一方、岩手は雪が敷き積もり、一面真っ白だそうだ。沖縄の方々にも見せて差し上げたい、と言っている。
 さらに北海道の豊平区は、小雪が舞う中、胸を張って堂々と集い合っているとのこと。会館の向かいにある札幌創価幼稚園の園児たちもほおを真っ赤に染めて、元気いっぱい。北海道のメンバーが沖縄に贈ってくださった「雪だるま」が中継で映し出された時、歓声が上がったそうだ。どうもありがとう。
 また、この会場には、離島から代表が参加している。宮古島、石垣島、久米島、西表いりおもて島、伊江島をはじめ沖縄県十七島、鹿児島の奄美あまみ大島からもいらっしゃっている。本当にご苦労さま。
4  豊かなる「法華大海」の大境涯で
 さて、この研修道場の前に広がる海は、美しい沖縄の海のなかでも、とりわけ有名である。民謡にも歌われ、広く愛されている。(研修道場のある恩納村おんなそん谷茶たんちゃの海は、素朴な漁師たちののどかな暮らしを描いた「谷茶前タンチャメー」の歌と踊りで親しまれている)
 この沖縄の青き海は、「かりゆしの海」と呼ばれている。「豊かな海」との意味である。多くの生きものを養う、広大な海。アジアへ、世界へと続く海。──私どもは、この海のごとく豊かな心、広々とした境涯で生きたい。
5  人生は「境涯」で決まる。日蓮大聖人は仰せである。
 「末法には法華経の行者必ず出来すべし、但し大難来りなば強盛の信心弥弥いよいよ悦びをなすべし、火に薪をくわへんにさかんなる事なかるべしや、大海へ衆流入る・されども大海は河の水を返す事ありや、法華大海の行者に諸河の水は大難の如く入れども・かへす事とがむる事なし、諸河の水入る事なくば大海あるべからず、大難なくば法華経の行者にはあらじ、天台の云く「衆流海に入り薪火を熾んにす」と云云
 ──末法には法華経の行者が必ず出現する。ただし大難が来れば強盛の信心でいよいよ喜んでいくべきである。火に薪を加えれば燃えさかるではないか。大海には多くの河川が流れ込む。しかし、大海は河川の水を返すことがあるだろうか。(それと同じように)「法華大海の行者」に、さまざまな大難の河川の水が流れ込むけれども、押し返したり、とがめだてすることはない。さまざまな河川の水が入ってこなければ大海はない。大難がなければ法華経の行者ではない。天台大師が「多くの河川が海に流れ入り、薪は火をさかんにする」というのはこれである──。
 何かあるごとに「いよいよ喜んでいきなさい」「それが強盛の信心である」──大聖人のお教えは明快である。この通りに生きたい。この通りの信心でありたい。その人が勝者である。成仏の人である。
 すぐに、″またこんなことがあった″″いやになるな″等と、心が揺れる場合があるかもしれない。しかし、それだけでは、周囲まで暗くしてしまう。だれも得をしない。その時こそ、「変毒為薬」の信心をすべきである。
 自分の一念で、苦しみも楽しみに、悩みも喜びに、宿業も功徳に変えられる。全部、輝く常楽の世界に転換できる。難があるから自分も成長できるのである。堂々と「大確信」の信心を貫いていただきたい。
6  学会は末法濁世じょくせの今、大聖人の仏意仏勅ぶついぶっちょくを受け、出現した不思議なる「広宣流布の教団」である。この御書の通り、大難を受けないわけがない。
 しかし何があっても「法華大海」の大境涯で心広々と受け止めていけばよいのである。大海もさまざまな川を受け入れる。受け入れてこそ大海となれる。
 難また難を悠然ゆうぜんと受けつつ、前進そして前進のかてにしてきたからこそ、今日の学会の大発展があった。世界の広布大海への展開があった。
 ともあれ″一切は我が生命を豊かにしてくれる滋養であり、栄養である″との大らかな境涯で、新たな船出をしてまいりたい。
7  沖縄は「二十一世紀の万国のかけ橋」
 沖縄はかつて、「万国の津梁しんりょう(かけ橋)」と呼ばれた。今、再び沖縄は「二十一世紀の″万国の津梁″」となるであろうと注目されている。SGI(創価学会インタナショナル)十五カ国・地域の友が一堂に会した本日の総会は、そうした新時代を象徴している。「大交流時代」の幕開けである。その先駆として、今回、遠くからお越しくださったアジアの皆さまに、重ねて御礼申し上げるとともに、私は最大の拍手をもって祝福申し上げたい。
 また、昨日も提案したが、将来、アジア総会をインドで開催してはいかがだろうか。さらに、フィリピン、そして香港でも開催することを提案したい。
 どうか皆さまは、これからも、お体を大切にし、福運をたくさんつけて、「無上道の人生」を飾っていただきたい。生々世々、子孫末代までの福徳を積んでいただきたい。これが、私の心からのお願いである。また、毎日、このことを御本尊に御祈念申し上げている。
8  私は、以前から、沖縄こそ「アジアのハワイ」にと語ってきた。その念願通り、年ごとに、世界中の人々から愛される「平和の楽園」への期待が高まっている。
 近年、観光客も順調に増加している。「栄えゆく沖縄」の姿が、私は何よりもうれしい。十年前、二十年前に、今日の沖縄の発展を、だれが予想したであろうか。
 また、沖縄復帰二十周年、本当におめでとうございます。
 復帰に先立つ五年前、昭和四十二年(一九六七年)八月二十四日、第十回学生部総会の席上、私はベトナム戦争の停止を訴えるとともに、「沖縄復帰」への提言を行った。沖縄の開発に関する長期ビジョンにも言及した。
 (池田会長<当時>は、総会の席上、復帰問題に関して、(1)沖縄における米軍施政権の即時全面返還(2)沖縄核基地の全面撤去(3)通常基地の全面撤去を提案。また、沖縄開発の長期ビジョンと経済総合開発の基本計画のもとに、財政援助の増額と産業振興対策を講ずべきであるとし、特に後者の推進のために、沖縄経済総合開発調査会と沖縄総合開発銀行の設立を訴えた)
 一番、苦しんだ沖縄が一番、栄え、幸福になる権利がある。どこよりも沖縄が繁栄してほしい──そうした真情からの叫びが、結果として、時代を先取りした提言となった。
 皆さまも、ご存じのように、この沖縄研修道場は、かつてはアジアに照準を向けていたミサイル基地であった。それが、今このように「平和のとりで」「おとぎの城」に生まれ変わった。
 この地で、きょう、こうしてアジアの皆さまとご一緒に復帰二十周年をお祝いすることができ、私は深い意義を感じる。感動を覚える。本当におめでとう。
9  開幕!「広布大海」の大交流時代
 さて、ご存じの通り、十四世紀から十六世紀にかけて、沖縄の人々は、この美しき大海原に躍り出て、中国の人々と、また韓国の人々と、そしてタイ、マレー半島、インドネシアなど東南アジアの人々と、壮大な交流を繰り広げた。
 そうした地域の代表も本日は参加されている。妙法の不思議なえにしで結ばれた友と友である。こうした意味で、この総会は「歴史的な再会」のドラマでもあると私は信じたい。
 十四世紀から十六世紀といえば、ルネサンス、また宗教改革、そして大航海時代といった波乱万丈の時代である。その世界史の大舞台にも、我が琉球りゅうきゅう人は、″第一級の国際人″として登場する。
 その後、薩摩藩さつまはん(現在の鹿児島県)の藩主・島津氏によって政治的干渉を受け、海外との交流を統制されるまで、有数の交易国家として繁栄していた。国も、団体も、人生も、幸福のためには強くなければいけない。負けてはならない。
10  十六世紀の初め、あるポルトガル人の記録によれば、当時、ヨーロッパの人々が、イタリアのミラノについてあこがれを込めて語るように、アジアでは琉球の人々のことが尊敬の念を込めて語られていた。
 当時のミラノと言えば、ルネサンスが花開き、地中海貿易の中心地として繁栄していた都市である。沖縄は、こうしたミラノと同様の存在であったというのである。
 そのポルトガル人の書は語っている。
 「かれら(沖縄の人々)は正直な人間で、奴隷を買わないし、たとえ全世界とひきかえでも自分たちの同胞を売るようなことはしない。かれらはこれについては死をける」
 これは一断面にすぎないかもしれないが、我が愛する沖縄の友、そしてアジアの友の凛々しさをほうふつさせる表現である。
 何があっても、信義を曲げない。誘惑に負けない。我が同志を裏切らない──これが沖縄の心である。人間の正道が輝いている。
 平気でウソをつき、人を奴隷のように扱い、同志を敵に売る──人間の道を踏みはずした卑しい人々が、今、あまりにも多い。私どもは、こうした悪とは永遠に妥協しない。毛筋けすじたりとも妥協すれば、いよいよ悪を増長させることになる。自分も悪になる。
 我が創価家族は、「誠実」と「平等」と「信頼」のスクラムで、どこまでも進む。国境もない、民族の違いもない。何のへだてもない。人間主義で結ばれた、これほど麗しい″地球家族″は、ほかに絶対にないと確信する。
 学会員は皆、沖縄の魂のごとく、第一級の国際人として、新しいルネサンス、新しい宗教改革、新しい大航海時代の大舞台に出航していきたい。世界的規模での交流また交流。哲学と文化と平和の人間大交流のステージが、いよいよ開幕したのである。
11  また、このポルトガル人の記録によれば、琉球の人々は単に人がよいだけでなく、インチキやゴマカシを決して許さない強さをもっていた。したがって、ずる賢い人間たちにとっても、あなどりがたい存在として恐れられていた。
 たしかに、人がよいだけではバカにされてしまう。「賢明」にして「強気」でなければ、勝利と栄光は勝ち取れない。
 「仏法は勝負」である。人生も勝負である。「一切が勝負」である。ゆえに勝たねばならない。勝たねば友を守れない。正義を守れない。
 断じて皆を守り切る。幸福にしていく──そうした「強気」に徹した「勝利のリーダー」になっていただきたい。
12  悪を責めぬいてこそ仏子は守られる
 ″何としても仏子ぶっしを守り抜く″──一次元からいえば、この強き一念を、だれよりも貫かれたのが日蓮大聖人であられた。
 弘安五年(一二八二年)の二月二十八日。ちょうど(七百十年前の)あすである。
 この日、大病に苦しむ南条時光に与えられた励ましのお手紙(「法華証明抄」)で、大聖人はこう仰せである。当時、時光は二十四歳。今の青年部の年代であった。
 「鬼神らめ此の人をなやますは剣をさかさまに・のむか又大火をいだくか、三世十方の仏の大怨敵となるか、あなかしこ・あなかしこ
 ──鬼神のやつらよ! この人(時光)を悩ますのは、剣をさかさまに飲んで、自らののどを突こうとすることだ。また、大火を抱いて大やけどをするようなものだ。さらに、三世十方の仏の大怨敵となることだ──。
 「此の人のやまいを忽になをして・かへりてまほりとなりて鬼道の大苦をぬくべきか
 ──この人の病気をたちまちに治して、かえって守護しゅごの善神となって、餓鬼道がきどうの大きな苦しみからのがれるべきではないか──。
 「其の義なくして現在には頭破七分の科に行われ・後生には大無間地獄に堕つべきか
 ──そうでなければ(鬼神のお前たちは)、現在には頭破作七分ずはさしちぶん(「こうべれて七分にる」)と読み、精神や心がさく乱したりして苦しむこと)の罪を受け、後生には大無間地獄にちるであろう──。
 「永くとどめよ・とどめよ、日蓮が言をいやしみて後悔あるべし・後悔あるべし
 ──よくよく心にとどめるべきである。(鬼神よ!)日蓮の申すことを卑しむならば、必ず後悔するであろう、後悔するであろう──。
 大切な仏子である時光を苦しめる病魔に対して、大聖人は厳しく叱咤されたのである。弘安五年といえば、大聖人御入滅の年である。大聖人御自身も、大変に衰弱されていたであろう。
 しかし、この御文のように烈々れつれつたる気迫で、病魔を責めに責め、責め抜いておられる。魔を断ち切らんとされている。どれほど仏子を大切にされていたか──これが、仏の御心であり、御振る舞いであられた。
13  この大聖人の御一念に包まれて、時光は病魔に打ち勝ち、五十年も寿命を延ばした。そして広宣流布、令法久住のために、大きく働くことができたのである。まさに不可思議なる「妙法」の蘇生の力であった。
 大聖人は、一人の仏子を苦しめる病魔に対しても、これほどまでの勢いで、責めるべきことを示してくださっている。
 まして、現在、日顕宗は、世界中の、あらゆる仏子を苦しめ迫害している。ゆえに我らは、大聖人の仰せのごとく、断固として、これらの魔軍と戦わねばならない。それが真の大聖人の御精神であり、正義の行動であるからだ。
 正義の仏子を守り抜く、広布の仏子を守り抜く、その一念が、学会精神である。牧口初代会長、戸田第二代会長が命をかけてのこされた大精神である。
 この一点をとっても、学会こそが大聖人の御心のままに進んでいる。「大聖人直結」の信心が脈打っている。
14  SGIは「最上の法」持つ「最上の人」の集い
 さて、先日、訪問させていただいたインドは、釈尊有縁うえんの大地。釈尊は繰り返し、人々に語った。
  しき友らと交わるなかれ 下劣げれつな人びとと交わるなかれ
  き友らと交われ最上の人びとと交われ
 正しき法を持ち、幸福への道を間違いなく歩みゆくためには何が必要か。その要件が述べられている。″善き友″すなわち善知識ぜんちしきとともに進みなさい。″最上の人″とともに歩みなさい──こう釈尊は、弟子たちに何度も何度も教え聞かせた。
 ここでいう「最上の人」とは、位の高い人ではない。多くの財産を持った人や有名人をさすのでもない。″最上の法″を持ち、″最上の行動″をなしている人のことである。
 最上の法──これは妙法である。大聖人の教えである。最上の行動──広宣流布である。妙法を持ち、広宣流布に献身している人々と、ともに歩んでいく。その「ともに歩む」日々が、自然のうちに「無上の幸福」への確かな軌道となっているのである。
15  さらに釈尊は語る。
  おろか者と共に歩む者は必ずや長途ちょうと(長い道のり)の間にうれ
  愚か者らと共に住むは仇敵きゅうてきと共に住むに似て常に苦しみなり
  されど賢明なる者とは共に住みて楽しく親族との会合に似たり
 愚かな人間と一緒にいては、「心配(憂い)」と「苦しみ」が絶えない。かたきとともに住んでいるように危険がつきまとう。これは、世間においても、同じ道理である。
 いわんや、清らかな仏法の世界にあっては、「善き友」を選ばねばならない。いつもいつも皆に心配をかけるような「悪しき友」「愚か者」とは、一緒にいないほうがよい。悪人をはびこらせてしまえば、仏法そのものまで破壊されてしまう。
 SGIは「善友の集い」であり、「賢者の集い」である。無上の法を持った″無上の人″″最上の人″の集まりである。ここには、家族のだんらんのごとく、「温かみ」がある。「励まし」がある。「安心」がある。これこそ真の正法の世界である。
 私どもは、この、善き友と善き友との″友愛の世界″を、全世界へと広げている。ここ沖縄の地でも、すでに三万人の「会友」が誕生しているとうかがった。心から祝福申し上げたい。
 また、仏法のえにし深きインドから、このほど、世界初の「″インドの友″賞」がインドのICDO(国際文化開発協会)から授与されることが決まった。″無上の人″の集いであるSGIが、いかに正しき行動を貫いているか。その一つの証明として、皆さまを代表して、お受けすることにした。
16  世界の同志の「信心」が「大御本尊」に感応
 大聖人は「観心本尊抄」の結びの御文で、次のように仰せになっている。
 「一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頸に懸けさしめ給う」──一念三千を識らない者に対しては、仏は大慈悲を起こされ、妙法五字の御本尊にこの一念三千の珠をつつみ、末代幼稚の頸にかけさせられたのである──と。
 御本尊は、御本仏の大慈悲によって、末法万年の民衆に与えられたのである。一部の特権階級の専有物でもなければ、僧侶が独占すべきものでもない。いわんや大御本尊は「一閻浮提総与いちえんぶだいそうよ」の御本尊であられる。全世界の民衆に与えると明示されている。
17  ある人が、話していた。
 「宗門は、大御本尊を人質ひとじちにして立てこもった凶悪犯のようなものだ」。「知らずに近寄った人は、ひどいめにあわされる」「しかし、最後は必ず失敗して、厳しい″法″の裁きを受けるであろう」と。
 世間の凶悪犯は刑法による裁きを受けるが、仏法上の大罪は、より以上に厳しく裁かれる。
 大事なのは「信心」である。「信心」に一切の功徳も具わっている。この一点を自覚すれば、何の複雑性もない。すべて明瞭になってくる。
 大聖人は、仰せである。「信心の血脈無くんば法華経を持つとも無益なり」──信心の血脈がなければ、法華経を持っても利益はない──と。
 「信心」がなければ、どんなに大御本尊のおそばにいるといっても、「無益」である。「信心」があれば、どんなに大御本尊と離れていても、功徳は無量無辺である。
18  日達上人「どこであれ、唱題する場が霊山浄土」
 日達上人は「御本尊に向かって一心に余念無く唱うるところのお題目は即座に本門戒壇の大御本尊に納まり、南無妙法蓮華経と唱えるその場所即霊山浄土りょうぜんじょうどであり、即身成仏のところであります」(昭和五十二年十一月二十三日、讃岐本門寺御会式)と。
 世界のいずこの場所であれ、私どもの題目は、即座に大御本尊に通じていく。形式や権威ではない。強く、純真な「信心」の一念が、そのまま大御本尊に納まり、偉大なる功徳と福運が我が身に備わるのである。大切なのは「信心」であり、広宣流布への「一念」である。御書を色読しきどく(身をもって読む)していく「行動」である。
19  インドである方が言われていた。″総本山に参詣しなければ功徳がない″という宗門の主張は、道理からいっても、まったく意味をなさない──。
 「私は日本の自動車を買いました。この車は私のもので、私はこの自動車でどこへでも自由に行けます。日本の自動車会社の″本社″に行かなければ、車が走らないなどということはありません」と。
 また、ある人が言っていた。「″お札を持っていても、発行元の日本銀行に来なければ価値がなくなる″とでもいうのでしょうか」
 仏法に照らしてはもちろん、世法の常識に照らしても、まことに滑稽な、笑い話のような主張である。すべて黒い意図による己義こぎであり邪義じゃぎである。
 大聖人は、身延へ参詣した阿仏房等の信心の真心を称賛されたことはあっても、″身延へ参詣しない者は功徳がない″などという無慈悲なことを仰せになったことは、絶対にない。大聖人の御振る舞いを、まっこうから否定する者が、大聖人の門下といえるはずがない。
 大聖人は、佐渡から夫を身延へ参詣させながら、自分は行けなかった国府尼御前こうあまごぜんの気持ちを察せられ、次のように仰せである。
 「日蓮をこいしく・をはしせば常に出ずる日ゆうべに・いづる月ををがませ給え、いつ何時となく日月にかげうかぶる身なり、又後生には霊山浄土に・まいりあひ・まひらせん
 ──日蓮を恋しく思われるならば、常に朝に出る日、夕べに出る月を拝まれるがよい。(日蓮は)いつであっても、日月に影を浮かべる身なのです。また、後生には霊山浄土へ行って、そこでお会いしましょう──と。
 「私は太陽や月にも影を浮かべる身なのですよ。どんなに遠くに離れていても、あなたとの間には何のへだたりもありません」と。そして、「死んだ後にも、霊山でお会いしましょう」とまで仰せくださっている。
 大聖人をお慕い申し上げる門下への慈愛あふれるお言葉。その御心に、私どもは感動する。また、現在の私どもにとっても、御本尊を信じて題目を唱える人には、必ずや御本仏・日蓮大聖人の御生命との感応があるとのお教えと拝したい。
 「自分のもとに来なければ」などというのは、こうした大聖人の御心と正反対である。そもそも特定の場所に参詣しないと功徳がないとしたら、世界の人々を救うことなど到底できない。
 病気等で動けない人はどうするのか。海外で入信し来日するお金のない人はどうなるのか。あまりにも冷酷・無慈悲である。仏法は本来、苦しんでいる人を救うものである。今、宗門は幸福な人まで苦しめようとしている。
 また、世界に正法が広まれば広まるほど、何億という人々を、どうやって参詣させるのか。収容する場所だって大問題である。一切衆生を救おうとなされた大聖人が、そのような不合理なことを仰せになられるはずがない。
20  日亨上人「広布を阻むのは宗内の悪侶」
 また、日亨上人は、広宣流布の流れを阻み、滞らせ、涸渇させるのは、「外からの難」よりも「内からの難」であると指摘されている。
 すなわち、「日蓮大聖たいせいの法運が、度々、壅塞ようそく(ふさがる)せられてをります。留難るなんは内からも外からも来ますが、内からのが痛手いたでとなります」「外難げなんには、流滞るたい(流れがとどこおる)をきたしても、一時でまた回復する。内難は、一面の涸渇から来て流滞を来たすこととなってをるから、容易に回復せぬ。御互おたがいここに深く留意りゅういせねば、千年万年たったとて、広布の暁天ぎょうてん(あかつきの空)は、望むことは難しいことである」
 日亨上人は、「内からの難」の先例として、日興上人に敵対して門下を分裂させた五老僧や、天目てんもく(天目は大聖人にお会いしたものの、己義を構え、日興上人に破折された僧侶)の謗法ほうぼうをあげておられる。
 ″宗内の悪侶″の動きこそが、広布をさまたげる最大の難となることを、日亨上人はするどく見抜かれていた。そして未来の教訓としなさいと教えられている。そのご洞察どうさつ通り、今、提婆達多だいばだった、五老僧のごとく、破仏法の悪侶が出現している。私どもは断じて、彼らに広宣流布の流れを阻ませてはならない。悪は壊滅かいめつせねばならない。
21  日寛上人はこう断言しておられる。
 「我等われらこの本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱えたてまつれば、我が身すなわち一念三千の本尊、蓮祖れんそ聖人なり」(観心本尊抄文段)
 我々ほど、御本尊を「信受」している者はない。妙法を自行化他じぎょうけたにわたって「唱えて」いる者はない。そして、日寛上人は、強信の人の身は、そのまま「一念三千の本尊」であり、「蓮祖聖人」すなわち日蓮大聖人とあらわれると仰せである。
 御本尊の本義を教えられた「観心本尊抄」の文段の結論(総結)のお言葉である。門家もんけであれば、だれびとといえども絶対に否定できない。否定することは日寛上人への冒涜ぼうとくであり、師敵対となろう。
22  凡夫の我が身に、大聖人の尊い仏の御生命がわいてくる。働いてくる。輝いてくる。ゆえに広宣流布に励む仏子、同志に対しては、「まさって遠く迎うべきこと、当に仏をうやまうがごとくすべし」(開結672㌻)との法華経の文のように、たがいに敬い合うのが、大聖人の仏法の根本精神である。すなわちSGIの精神である。反対に皆さまをいじめ、迫害することは、大聖人を迫害していることに通じる。これ以上の大謗法はない。第二回のアジア総会・音楽祭を目指し、「我らこそ、大聖人の直系の門下」と胸を張って進んでいただきたい。
 皆さまの、いよいよの、ご発展、ご健闘、そして団結を念願し、きょうの記念のスピーチを終わらせていただく。ありがとう!
23  胸中に″喜びの竜宮城″──第1回SGIアジア総会の記念交歓会
 新しい交歓会おめでとう。
 人間は何のために生まれてきたか。それは「楽しむ」ためである。
 人生の最後に、楽しかったことの総計が、苦しかったこと、悲しかったことよりも、多いか少ないか。喜びのほうが多い人は幸福である。勝利者である。栄冠の人である。反対であれば敗北の人生といえよう。
 楽しむための人生。しかし現実には、いろいろな悩みがあり、宿業もある。事件もある。それらをすべて、自分で「楽しみ」に変えていくための信心である。苦しみも、悲しみも全部、自分の一念で変毒為薬し、喜びに変え、また喜びに変えていけるのが一念三千の妙法であり、日蓮大聖人の仏法である。ゆえに勇気をもって、強く、真っすぐに生き抜いていただきたい。
 幸福は自分自身の権利である。自分で勝ち取るものである。人から与えられるものでもない。人をうらやむ必要もない。聡明に、「楽しみ」を自分で見つけ、自分でつくり、自分で広げていく。その「心」、その「境涯」に、「幸福」は躍動している。
 自分の中に「宮殿」がある。自分の中に「竜宮城」がある。その喜びの城を自分で開くことである。ここに人生の、そして仏法の究極もある。
 きょうは、本当におめでとう。ありがとう。

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