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日蓮大聖人・池田大作

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香港・九州合同代表者会 妙法は無限の向上の法

1992.2.21 スピーチ(1992.1〜)(池田大作全集第80巻)

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1  SGIの「異体同心」の福徳が地球を包む
 意義深き合同の代表者会、本当におめでとう。
 香港の皆さまには、いつも変わらぬ真心でお世話になり、心から御礼申し上げたい。
 また、九州ならびに静岡の皆さま、大変にご苦労さまです。
 また本日は、中国の誇る世界的名優であり、友人である英若誠えいじゃくせい氏(中国芸術祭基金会会長)が来賓として来てくださっている。″文化の人″の出席に、深く感謝申し上げたい。
 記念の意義をとどめるため、御書と戸田先生の指導を通し、少々スピーチさせていただきたい。
2  大聖人は仰せである。
 「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮しょせん是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か、剰え日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば例せば城者として城を破るが如し
 ──総じて日蓮の弟子・檀等が自分と他人・彼とこれとを隔てる心なく、水と魚のように、切り離せぬ親密な思いをなして、異体同心に南無妙法蓮華経と唱えたてまつるところを生死一大事の血脈というのである。しかも今、日蓮が弘通するところの肝要はこれである。もし、その通りに進んでいくならば広宣流布の大願も成就するであろう。これに反して、日蓮の弟子のなかに異体異心の者があれば、それはたとえば、城者(城の中の者)にして城を破ろうとするようなものである──。
 この御書に照らし、皆さま方の麗しい交流の姿を、大聖人もさぞかし、お喜びになられているにちがいない。
 今、地球を大きく包みながら、「異体同心」で世界広宣流布を目指しゆく我がSGI(創価学会インタナショナル)の共進にこそ、大聖人の信心の血脈は脈々と、そして、壮大に流れ通っているのである。
 お互いに、金の思い出をつくりながら、また無量の福運を積みながら、ともに未来への道を開いていく──まことに素晴らしいことである。
 とともに、こうして民衆と民衆が、自発的に国を超えて、「友情」を広げ深めゆくことこそが、「新しい平和秩序」の創出へ大きな波動を起こしていく。
 香港創価学会は、見事に発展している。すべてが順調である。幼稚園の開設(一九九二年九月、香港創価幼稚園として開設)に象徴されるように、未来への希望も限りなく広がっている。
 東洋広布、そして世界広布のこの模範の城をつくりあげた、皆さま方の功績は大きい。
 先駆の皆さま方は「永遠の人」である。先達の皆さま方は「不滅の人」であり、「歴史の人」である。私は、その功労を最大に宣揚したい。どうか、これからも、さらに油断なく、着実に、賢明に進んでいっていただきたい。
3  戸田先生は、出獄後まもなく、ノートにこう記されている。
 「南無妙法蓮華経の信仰は、向上を意味する。無限の向上である。朝に今日一日の伸びんことを思い、勇躍して今日一日を楽しむ。しかして無限に向上して行く(中略)まだまだ、その上へその上へと向上して行く法である」(一九四五年九月二十二日)と──。
 特に、青年部の皆さまは、この「無限の向上」へのバイタリティーを漲らせて、新しい「創価の道」を開いていっていただきたい。アジア、そして全世界の青年部をリードしゆく、偉大なる前進を私は期待し、信じている。
4  御本仏の「法王の大宝」はわが胸中に
 法華経には、大長者が一人息子に無量の財宝をすべて譲るように、仏は仏子ぶっしである衆生に「法王の大宝」(法の王である仏の偉大なる宝)を贈られると説かれている(信解品の長者窮子ぐうじたとえ)。
 「御義口伝」に「法王とは法華経の行者なり」と仰せのように、法王とは別しては日蓮大聖人のことであられる。大聖人の「大宝」を、「無上の宝聚ほうじゅ」(この上ない宝の集まり)を、求めずして得られるのが、妙法の信心なのである。
 大事なことは、その仏の大宝を、自分自身のこの胸中に抱いていることを、自覚するかどうかである。この宝を、自分を離れた、どこか外に求めている限り、真実の仏子としての喜びも、誇りも、味わえない。
 大聖人は仰せである。
 「所詮しょせん己心と仏身と一なりと観ずれば速かに仏に成るなり、故に弘決に又云く「一切の諸仏己心は仏心と異ならずと観し給うに由るが故に仏に成ることを得る」と已上、此れを観心と云う実に己心と仏心と一心なりと悟れば臨終をわる可き悪業も有らず生死に留まる可き妄念も有らず、一切の法は皆是れ仏法なりと知りぬれば教訓す可き善知識も入る可らず思うと思い言うと言い為すと為しふるまいとふるまう行住坐臥の四威儀の所作は皆仏の御心と和合して一体なれば過も無く障りも無き自在の身と成る
 ──つまるところ、自分の心と仏の身とが一体であると観じれば、速やかに仏になるのである。ゆえに、中国の妙楽大師の摩訶止観輔行伝弘決まかしかんぶぎょうでんぐけつには「一切の諸仏は、己心は仏心と異ならないと観じられたゆえに、仏になることができたのである」と述べている。このことを観心というのである。
 実に己心と仏心とは同じ心であると悟れば、臨終をさまたげる悪業もない。生死の苦しみの世界にとどまるまよいの念もない。一切の法は皆これ仏法であると知ったならば、教訓をしてくれる善知識も必要ない。思うままに思い、言うままに言い、なすままになし、ふるまうままにふるまう行住坐臥(行き、住し、すわり、す)の四つの動作が、皆、仏の御心と和合して一体となるから、過失かしつもなく、障害もない自在の身となる──。
 この御書の仰せのごとく、一人一人が永遠なる「心の大長者」、無限なる「生命の大王者」、自在なる「社会の大賢者」の境涯を開きながら、最高の人生を勝ち取っていける。昨日も少々お話ししたが、そのためにこそ、大聖人は「観心の本尊」を顕してくださったのである。
5  戸田先生はわかりやすく言われた。
 「われわれの胸にも御本尊はかかっているのであります。すなわち御仏壇にある御本尊即私たちと信ずるところに、この信心の奥底があります」
 さらに「御本尊を拝んで南無妙法蓮華経を唱えることによって、わが生命のなかにずーっと御本尊がしみわたってくるのであります。目を開いて大宇宙を見れば、そこに御本尊がいまし、また、目を閉じて深く考うれば、大御本尊が明らかに見え、わが心の御本尊が、そこにいよいよ力を増し、光を増してくるのであります」と──。
 ご自身が、日本の軍国主義と戦い、二年間、御本尊のあられない牢獄で、あの偉大なる大境涯を開かれた戸田先生の言葉である。絶対に間違いない。
 創価ルネサンスの時代とは一次元から言うならば、一人一人が、この本源的な「人間生命の尊厳」に、より強く、より深く、目覚めゆく時代といってよい。
 「本尊とは、我が胸中の肉団にある」──その確信、自覚から、尽きせぬ「喜び」が込み上げてくる。新たな「創造」の力が、わき起こる。そして人間への大いなる信頼と慈愛が喜々として広がっていく。
6  すべての変化が「永遠の福徳」の糧
 さらに大聖人は「御義口伝」に「常住とは法華経の行者の住処なり」──(寿量品の「常住此説法」の)「常住」とは、法華経の行者の住む所である──と。
 別しては大聖人、総じては広宣流布を行じゆく学会員の活躍の場は、御本仏が「常住」される楽土なのである。
 たしかに、現実は変化変化の連続であるかもしれない。しかし妙法を唱え、広布に進みゆく皆さま方は、その無常の流転に流されることがない。苦しむことがない。かえって、一切の変化を、「永遠の福徳」のエネルギーとしながら、この人生を楽しみきっていける。
 御本仏の大慈悲に包まれながら、瞬間瞬間、一日一日、「永遠の歴史」を刻んでいける。自らの使命の天地を「常住」──すなわち永遠の仏国土へ、常楽と喜楽の都へと築き上げていくことができる。
 ゆえに「信心」には何ひとつ″ムダ″はない。すべて生かされていく。すべて「三世の幸福」の軌道を進む推進力となる。
7  香港の皆さまの尊き使命の舞台、気高き使命の人生は、二十一世紀を前に、いよいよ広々と開かれている。いよいよ鮮やかに光彩を増している。どうか、ますますにぎやかに、ますますはつらつと、ますます仲良く進んでいただきたい。
 私にとっても、すべての東洋広布の旅は、香港に始まり、香港に終わる。香港の皆さまとご一緒に、万年への歴史をつくれることが、私はうれしい。
 最後に、お世話になった香港の皆さま方に重ねて「ホウ多謝トーチェ!」(本当にありがとうございます)と申し上げ、そしてご列席のすべての皆さまの更なる「ご健康」と「ご多幸」と「ご長寿」をお祈りし、記念のスピーチとさせていただく。

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