Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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タイ記念代表者会 「如意宝珠」は万財を雨す

1992.2.2 スピーチ(1992.1〜)(池田大作全集第80巻)

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1  年ごとに幸福なる信心
 素晴らしい歌声をありがとう!。心にしみる名曲です。感銘しました。タイの「優しき心」にあふれていました。
 (各部代表による合唱団がオリジナル曲「タイの踊り」と、タイの民衆の曲「の影」を心情豊かに歌いあげた)
 ただ今、会館到着の際、″平和の天使″鼓笛隊が、はつらつと迎えてくださった。また清楚なユニホームの女子部・白グループの皆さま、そして創価班・城会など男子部の代表の凛々しき瞳──一幅の絵のような光景であった。私は生涯、忘れない。
2  信心は何のためにするのか。それは一人残らず幸福になるためである。広布の組織も、そのためにある。この妙法を持ちきった人は、絶対に不幸にはならない。その「確信」の一念が大切である。大確信が大福運を開いていく。
 仏法では生老病死と説く。今は若く、希望にあふれた未来部・女子部・男子部も、時とともに老いていく。人生には病の苦しみも、死の苦しみもある。年輪を重ねるごとに福徳を積み重ね、輝く、盤石な幸福の人生となっていくか。それとも年とともに寂しい、行き詰まりの人生となっていくか。
 この妙法は「生死即涅槃しょうじそくねはん」の大法である。永遠に若々しく、永遠に生き生きと、永遠に希望を生み、希望を実現しながら生き抜いていける。この妙法は「煩悩即菩提ぼんのうそくぼだい」の大法である。悩みがあればあるほど、信心の境涯を開き、悩みを幸福のかてにすることができる。すべてを変毒為薬へんどくいやくすることもできる。
 特に青年時代は、悩みの連続である。それでよいのである。若いころから、何の悩みも苦労もないようでは、立派な指導者になれるはずがない。苦労で自分を鍛え、自分を成長させていくことである。
3  日蓮大聖人は「心こそ大切なれ」と仰せである。
 信心の「心」がダイヤ(金剛)の人は、ダイヤのごとく崩れざる幸福の王者である。永遠の勝利者である。その人の住む所、行く所、すべて″宮殿″であり、″王宮″となる。全宇宙を悠然と見渡すような境涯である。
 反対に、外見がどんなに立派であっても、「心」が腐敗している人もいる。
 信心の「ダイヤの一念」を磨くことである。原石も磨かねば輝かない。
 「磨く」とは、題目をあげることである。また広宣流布に走ることである。広布に進む使命の人生は、必ずや「常楽の軌道」となる。「常に楽しい」大境涯である。
 大聖人は「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」と仰せである。これ以上の歓びの人生はない。楽しき生活はない。
 何があっても楽しく、勇んで受けとめられる。そして朗らかに前進していける──そうした広々とした大境涯を開いていくための仏道修行なのである。
4  「広布の発展」は「社会の繁栄」に
 ともあれ故郷のように懐かしいタイを四年ぶりに訪れ、世界一美しい笑顔の皆さまとお会いでき、本当にうれしい。
 タイの「社会」と「広布」の発展は、まことにめざましい。旭日のごとき前進である。
 タイのSGIは、この四年間で三本部から九本部へと三倍に、また、十二総支部から二十五総支部へと二倍以上に、大躍進を遂げられた。とくに、首都バンコクの発展とともに、正法広布の波は全国各地へ力強く広がっている。最北のチェンライ、ラオス国境のノンカイ、ミャンマー国境のメーソット、マレーシア国境のヤラー、ナラティワートなど、あの地にも、この地にも同志は活躍している。
 会友も、なんと、すでに五万人を超えるとうかがった。そのお一人お一人の功徳の体験も素晴らしいと。と、十年前、だれがこの大興隆を予想できただろうか。
 タイの皆さまが様々な試練を乗り越え、また乗り越えてこられたことを、私は一番よく知っている。タイの皆さまは勇敢に戦ってこられた。また、本当に忍耐強く頑張りぬいてこられた。
 その意味で明年、誕生する新会館はまさしく、皆さまの「幸福の勝利の城」である。私は皆さまの健闘を心からたたえ、最大に祝福したい。
 タイの有名な格言に「人生は勝負である。敵は我々を強くする薬のようだ」(タイの著名な外交官で教育学者でもあったルーン・ウィチットワタカーンの言葉)とある。
 これまさに学会精神である。試練また試練、困難また困難──。その連続闘争に挑みゆく「日々の勇気」こそ、「痛快なる人生」を生むエネルギーなのである。
5  今、タイの天地には、皆さまの唱題の音声が朗々とまた力強く響いている。そして、それは五万人以上の「会友」に象徴されるように、限りない希望の広がりとなっている。
 日蓮大聖人は一二六六年(文永三年)の正月、ある婦人門下へのお手紙の中で、こう仰せである。
 「問うて云く法華経の意をもしらず只南無妙法蓮華経と計り五字七字に限りて一日に一遍一月乃至一年十年一期生の間に只一遍なんど唱えても軽重の悪に引かれずして四悪趣におもむかずついに不退の位にいたるべしや、答えて云くしかるべきなり
 ──問うていうには「法華経の意味も知らずただ南無妙法蓮華経とだけ五字七字の題目のみを一日に一遍、また一月あるいは一年、十年、一生の間にただ一遍だけ唱えたとしても(それだけで)軽重の(さまざまな)悪業に引かれずに四悪趣(地獄・餓鬼・畜生・修羅界)におもむかないで、ついには不退転の位に到達することができるのか」と。答えていうに「いかにもそのとおりである」と──。
 たった一遍の唱題にどれほど偉大な力が秘められているか。たった一遍だけでも、人々をして、永遠の幸福の軌道へと向かわしめていく力をもっている。いわんや広布へ向かう皆さまの唱題の渦がどれほどの福徳となることか、計り知れない。またこの御文に照らしてみても、たとえわずかでも妙法と縁を結ぶことがどれほど素晴らしいことか。
 仏法を基調に平和・文化・教育を推進しているSGIの運動、そして皆さまの「会友」運動は仏法史を画する壮挙といってよい。
 大聖人は、唱題のこうした力用りきゆうのわかりやすいたとえとして「梅子のき声をきけば口にたまりうるをう世間の不思議すら是くの如しいわんや法華経の不思議をや」──梅の実のっぱい名を聞けば、それだけで口に唾液だえきがたまりうるおう。世間の不思議ですらこのようである。ましてや法華経の不思議においてはなおさらのことである──と仰せである。
 たとえ、その深い法理はわからなくても、妙法を唱えた功徳は絶対に間違いない。妙法と縁することは実に素晴らしいことなのである。
6  妙法の「信心」に全宇宙の「宝」が
 大聖人はさらにこう仰せである。
 「問うて云く妙法蓮華経の五字にはいくばくの功徳をかおさめたるや、答えて云く大海は衆流を納めたり大地は有情非情を持てり如意宝珠は万財をふらし梵王は三界を領す妙法蓮華経の五字また是くの如し一切の九界の衆生並に仏界を納む、十界を納むれば亦十界の依報の国土を収む
 ──問うていうには「妙法蓮華経の五字にはどれほどの功徳を納めているのか」と。答えていうには「大海は、あらゆる河川の流れを納めている。大地は有情・非情にわたりすべてを支え持っている。如意宝珠はあらゆる財宝をふらし、大梵天は三界(欲界・色界・無色界)のすべてを治める。妙法蓮華経の五字もまったく同様である。妙法は一切の九界の衆生ならびに仏界を納めている。(正報である)十界(の衆生)を納めているので、また十界の依報である国土をも収めているのである」と──。
 妙法は「人間」と「社会」と「宇宙」の一切を包む法である。
 私どもはこの妙法を唱え、伝えながら、大海のごとく、大地のごとく、心広々と、心悠々と進んでまいりたい。そしてすべてを「開き」「よみがえらせ」「調和せしめゆく」この妙法の力用を、わが人生に、わが家庭に、わが国土に、さらに生き生きと脈動させてまいりたい。
7  最後にタイの著名な詩人ナラワット・ポンパイブーン氏の美しい詩を紹介したい。
 「友の目と目が見つめあう。たがいの目は『負けるな!』と応える。この両目はいかなる宝よりも価値がある。それは苦しみを優しく消し去るからだ」
 こうしたかけがえのない尊い友情のスクラムを、この美しい微笑の国・タイにますます広げてまいりたい。
 日本からも、まもなく親善交流団が到着する予定である。今後も何回も交流団がお世話になる予定であるが、よろしくお願い申し上げたい。またタイの代表の方々も日本に来ていただきたい。
 皆さまの「幸福」と「裕福」と「無病息災むびょうそくさい」を、そして大好きなタイ王国の素晴らしき「発展」と「安穏」を祈って、祝福のスピーチとしたい。

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