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日蓮大聖人・池田大作

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第五十回本部幹部会、婦人部幹部会 「勇気」が信仰者の神髄

1992.1.26 スピーチ(1992.1〜)(池田大作全集第80巻)

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1  独裁者に立ち向かった「三人のマリア」
 「スーパーサウンズ」の皆さま、世界最高の演奏をありがとう。1・26「SGIの日」を見事な芸術で飾ってくださった。皆さまに、最大の敬意と賛辞を込めて拍手を送りたい。
 ご承知の通り、本日、お迎えしたウエイン・ショーターさん、ラリー・コリエルさん、ケンウッド・デナードさんは、いずれも世界的なジャズの大家である。また、ただ今、演奏していただいた「三人のマリア」という曲は、ポルトガルの三人の女性による同名の著作をもとに、ショーターさんが作曲したものである。
 ここで、この「三人のマリア」の背景について紹介させていただきたい。
2  一九六〇年代、ポルトガルの民衆はファッショ的な独裁者の圧政に苦しんでいた。独裁者の名はサラザール。当時、彼は、アフリカにあったポルトガルの植民地を保持するために、多くの兵士を送り込んでいた。現在のアンゴラやモザンビークなどに当たる地域である。
 独立運動が激しくなり泥沼となった植民地戦争は国民生活を疲弊させ、青年の間では徴兵を逃れるため、国外への亡命が相次いでいた。
 こうした独裁者に抗し、立ち上がった三人の女性がいた。彼女たちは、言論の自由と民主主義、そして女性の権利を率先して主張した。
 女性が本気で立ち上がった時ほど、強いものはない。世間体などにとらわれがちな男性には、とてもかなわない面がある。
 彼女たちの名前は「マリア」。キリスト教圏には珍しくない名前であるが、特に、その名の多いポルトガルにあっては、まさに全ポルトガルの女性を象徴する名前でもあった。一人はジャーナリスト(マリア・テレザ・ホルタ)、一人は作家(マリア・ダ・コスタ・ベーリョ)、一人は社会学者(マリア・イザベル・バレーノ)であった。
 彼女たちは、堕落した独裁者の政府、そして、権力と結託して利益を貪る腐敗した教会を真っ向から糾弾した。言うまでもなく、権力による数々の弾圧が続いた。しかし、彼女たちが灯した小さな革命の火は、時とともに、確実に燃え広がっていった。
 一人の「勇気の炎」は、必ず周囲に燃え広がっていく。「憶病」な心は、湿っているようなものである。
 「勇気の炎」は、まず自分を、そして他人をも温める。心に永遠の「勇気の太陽」を昇らせた人──その人こそ「人生の春」を開く人である。また「民衆の春」を呼ぶ人である。
3  サラザールが没した(一九七〇年)あとも、新たな独裁者(カエターノ政権)が、その体制を受け継ぐ。一九七二年、書簡集『新たな手紙』を出版した彼女たちは思想犯として投獄される。(数カ月後、知識人たちの署名運動によって釈放)
 こうした三人の女性の行動によって、民衆は次第に独裁者の本質に気づき始める。何と卑劣な、何と冷酷な輩なのか──と。
 人を奮い立たせるのは自分の「行動」である。行動の裏づけをもった魂の「叫び」であり、「声」である。観念ではない。立場でも権威でもない。
 ポルトガルの人々は、勇気という最高の武器を得た。悪の本質を見抜いてしまえば、何も恐れることはない。卑しき権威・権力など悠々と見下ろして進んでいける。
 何ものも恐れずに進め──これこそ学会精神の根本である。「信心」の精髄なのである。
 圧政からの自由を求めるレジスタンス運動は、革命の歌とともに、大きい力となり、次第に勢いを増していく。そして、ついに一九七四年四月二十五日、独裁は終焉を告げ、民主化への道が開かれた。
 ポルトガル人は決して、この日を忘れない。″民衆の時代″への開幕を告げる歴史的な日だからである。そして、この記念日とともに、三人の女性の名は、永遠に残り、語りつがれていくことであろう。
 ともあれ、勇気こそ信仰者の真髄である。太陽が不滅であるように、勇気が人生に不滅の価値を刻むのである。
 全国百万人の婦人部が参加する本日の会合のために、こうした意義ある曲を演奏してくださった三人に、もう一度、盛大な拍手を送り、感謝申し上げたい。
4  さて本日は、第五十回本部幹部会、第二十一回全国婦人部幹部会である。また練馬・北・板橋の合同総会である。皆さま、本当に、おめでとう。
 この会場には、アメリカのウィリアムス理事長、エリオット婦人部長をはじめ海外十六カ国のSGIの代表メンバーが、そして、東京インタナショナル・グループ、在日留学生、女子部国際部、芸術部のヤング2、女子部の方面教学部長の皆さまも参加されている。さらに、識者や、海外八十二カ国・地域からも祝福のメッセージが届いている。また全国で五十三地域で文化音楽祭や記念の会合が行われている。本当におめでとう。本当にご苦労さま。
5  「幸福」の満月は、広布への「信心」に宿る
 「仏」の生命は、強く、清らかな「信心」にこそ宿る。真の「幸福」は「信心」の心にこそある。
 日蓮大聖人は、「松野殿女房御返事」に、こう仰せである。
 「濁れる水には月住まず枯たる木には鳥なし、心なき女人の身には仏住み給はず、法華経を持つ女人は澄める水の如し釈迦仏の月宿らせ給う
 ──濁った水には、月の影は映らない。枯れた木には、鳥は宿らない。(それと同じように)信心のない女性の身には、仏は、お住みにならないのです。(これに対して)法華経を持つ女性は、澄んだ水のようであり、釈仏という月が宿られます──と。
 なんと有り難いお言葉であろうか。
 日寛上人は「我等、妙法の力用りきゆうってそく蓮祖れんそ大聖人とあらわるるなり」(「当体義抄文段」)と。また「我等この本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱えたてまつれば、我が身すなわち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり」(「観心本尊抄文段」)とも述べられている。
 この成仏の原理に、何の「上下」もないし、「差別」もない。だれも皆、「平等」である。差別を持ち込むのは大聖人と日寛上人を否定する邪義である。
 法華経に「まさって遠くむかうべきこと、当に仏をうやまうが如くすべし」(開結六七二㌻)と。大聖人門下であるならば、まさに″立ち上がって仏を迎えるごとく″、仏子を大切にすべきなのである。
6  大聖人は続いて、こう仰せである。
 「譬へば女人のはらめたるには吾身には覚えねども、月漸く重なり日もしばらく過ぐれば初にはさかと疑ひ後には一定と思ふ、心ある女人はをのこごをんな男子女をも知るなり法華経の法門も亦かくの如し、南無妙法蓮華経と心に信じぬれば心を宿として釈迦仏はらまれ給う、始はしらねども漸く月重なれば心の仏・夢に見え悦こばしき心漸く出来し候べし
 ──たとえば女性が妊娠したばかりでは、自分でも気づきませんが、月が次第に重なり、日もだんだんとたつにつれて、初めは、そうであろうか(妊娠したのであろうか)と疑っていたのが、後には間違いないと思うものです。また、心得のある女性は、(おなかの中の子が)男の子か女の子かもわかります。
 法華経の法門もまた、これと同じようです。南無妙法蓮華経と心に信じるならば、その信心を宿として、釈仏は宿られるのです。初めは気がつかなくても、だんだんと月が重なれば、心に宿った仏が、夢のように見えるようになり、喜びの心が次第に出てくるのです──と。
 「心を宿として釈仏懐まれ給う」と。仏が宿るのは、「自分の信心」である。成仏といっても、「自分自身」が開く境涯である。他から与えられるものでもないし、「だれか」が開いてくれるわけでもない。人間革命のドラマの主人公は、あくまでも「自分自身」である。
 「自分自身」が、我が生命の中に、無量の宝で荘厳された″真如しんにょの都″を築いていく。永遠に崩れざる「幸福の都」を開いていく。そのための仏法であり、信心である。
 自分の生命が、いかに可能性に満ち、偉大であることか──そのことを大聖人は大難を受けられながら、私どもに教えてくださったのである。
7  「仏」といっても、自分を離れた、どこか遠くの世界に住むのではない。妙法を信じ、行じる人の「心」にこそ宿るのである。
 「本有常住ほんぬじょうじゅう」「常寂光土じょうじゃっこうど」と。他のどこでもない。広宣流布に進む私どもが、今、戦っているその場所で、成仏の境涯を開いていく。その場を寂光土に変えていく。それが大聖人の仏法なのである。
 原点は、常に「人間」である。すべて「人間」に始まり、「人間」に帰結する。この最も深遠なる「人間主義」の哲学を、大聖人は、「澄んだ水」「釈仏の月」との美しいたとえで、わかりやすく説いてくださっている。
 天空に皓々こうこうと輝く名月は、どんなに距離が離れていようとも、澄んだ水面に、その美しき光彩を映す。それと同じように、「信」強く、「心」清らかな婦人部の皆さま方の胸中には、御本仏の生命が宿りゆく。仏界の生命が、月光のごとき鮮やかな光を放ちゆく。距離ではない。信心なのである。
 これと反対に、たとえ近くにいても、濁った水には、何も映らない。これほどまでに広宣流布を成し遂げ、外護げごに尽くした学会員をいじめ、″破門″するような者たち──まさに、邪教そのものの無信心である。いわんや功徳などあるはずがない。
 皆さま方は、どうか、この道理を、大聖人の、心お優しき御文に拝していただきたい。
8  仏界という、最極の「心の宝」を磨き、輝かせている皆さまである。日々、仏道修行に懸命に取り組んでおられる、尊き方々である。だれびとであれ、その皆さまを、かりそめにも軽んじるようなことがあってはならない。
 なかんずく、広宣流布にまい進しゆく婦人部の皆さまを、最大にたたえ、守りに守っていく──その地域は栄えていく。功徳を大きく受けていく。ブラジルをはじめ、みな、そうである。婦人部の皆さまを心から尊敬せずしては、確実な前進もないし発展もない。
 ともあれ、「三世」にわたる「幸福」と「勝利」の道を開いていくのが仏法である。「今世」のためばかりではない。いわんや目先のことのためではない。私どもの舞台は「三世」である。ここに、大きく目を開いていただきたい。
 そのうえで、「勝利」するための人生である。「幸福」のための人生である。その人生を勝ち取るための、信心であり、闘争なのである。
 「仏法は勝負」である。人生は闘争である。勝負である以上、勝利する以外にない。闘争である以上、勝たねば不幸となる。「観念」ではない。一日一日、自分らしく勝利していく。その繰り返しに、三世にわたる「幸福」と「勝利」の軌道が厳然と築かれていく。
9  不退の婦人門下に「前世からの功力」「仏が守護」と
 大聖人は、さらに、お手紙を、こう続けられている。
 「法華経は初は信ずる様なれども後とぐる事かたし、譬へば水の風にうごき花の色の露に移るが如し、何として今までは持たせ給うぞ是・ひとへに前生の功力の上・釈迦仏の護り給うか、たのもしし・たのもしし
 ──法華経は、初めは信じるようであっても、最後まで信心を貫き通すことは難しい。たとえば、水が風によって動き、花の色が露によって移ろうようなものです。それにもかかわらず、あなたは、どうして今日まで信心を持ち続けてこられたのでしょうか。これは、ひとえに前世において積まれた功徳の上に、釈仏が、あなたを守られているからでしょうか。たのもしいことです。たのもしいことです──と。
 さまざまな困難のなかで信心を貫き通すことができたのは、前世からの功徳と仏の加護のゆえであろうか、と仰せなのである。
 同じように、これほどの難のなかでも、広布への不退の信心を貫いている学会員──これこそ、仏法の眼から見れば、前世からの大功徳に包まれた、不思議なる使命の人であると確信する。深い意味があるのである。
 この学会員を、三世十方の仏・菩薩、帝釈・梵天はじめ諸天善神は守りに守る。何よりも、御本仏が守ってくださる。ゆえに、いかなる難にも、私ども仏子の城は崩されない。権威と権力の魔軍が、いかに攻め寄せようと、破られない。
 そして、我が創価学会は、そうした宿縁深き仏子の集いである。その不思議さ、使命の深さ──学会がまさに仏意仏勅の団体であることを深く確信していただきたい。
10  大聖人が、この御書をおしたための当時(弘安三年<一二八〇年>九月)は、熱原あつはらの法難後まもないころである。大難また大難の、大聖人と門下の前進。そうしたなか、最も難と戦うべき僧侶らが退転した。かの三位房さんみぼうら悪侶は、多くの信徒から真心の外護を受けていた。しかし結局、大聖人に弓を引いた。しかも仏子を迫害する側に身を売ったのである。
 悪侶に裏切られ、供養を取るだけ取られ、そのうえ、敵に寝返ったその悪侶から、さらにいじめられる──それでも一歩も引かず、「大聖人根本」の信心に生き抜いた一婦人を、大聖人は、最大に称賛されているのである。
 同様に、今、の当たりにする、あさましき悪侶たちの背信の姿──それにもかかわらず、我が婦人部の皆さまは、ますます意気軒高である。何ものも恐れず、広宣流布に敢然と進んでおられる。
 この、大聖人の御文の通りの姿、この不思議にして偉大なる皆さまを、大聖人は最大に賛嘆してくださるであろうことを、私は重ねて断言しておきたい。
 また、「釈仏の護り給うか」の御文に照らして、皆さまの不屈の姿そのものが、御本仏が学会を厳然と守ってくださっているあかしであると信じる。
11  第二代会長「行学の二道が学会の名誉の伝統」
 さて、今年は御書全集の発刊から四十周年。戸田先生は、御書全集巻頭の「発刊の辞」に、こう記された。
 「宗祖大聖人諸法実相抄にのたまわく『行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし』と。
 創価学会は初代会長牧口常三郎先生これを創設して以来、此の金言を遵奉じゅんぽうして純真強盛な信心にもとづき、行学の二道を励むと共に如説にょせつの折伏行に邁進まいしんして来たが、剣豪けんごうの修行を思わせるが如きその厳格なる鍛錬たんれんは、学会の伝統・名誉ある特徴となっている」と。
 大聖人は、「行学たへなば仏法はあるべからず」と仰せである。「行」と「学」があるところにこそ「仏法」はあるのである。戸田先生の言葉通り、学会は「創設以来」、如説──御書に仰せの通り、「行学の二道」を歩みきってきた。学会にこそ、大聖人の「仏法」は生きている。
 戸田先生はさらに「従って大聖人の御書をうやまこれに親しむこと天日(太陽)を拝するが如く、また会員一同上下新旧の差別なく之が研究に多大の時間を当てているのである」と述べられている。
 教学を学ぶのに「上」も「下」もない。「新しい」も「ふるい」もない。皆、等しく、謙虚に学び求めていくべきである。学会は、その通りに行っているゆえに、絶対に軌道を誤らない。特に青年部、なかんずく女子部は、「女子部は教学で立て」との戸田先生の遺言を銘記していただきたい。
 そして戸田先生は、「発刊の辞」を、こう締めくくられている。「この貴重なる大経典が全東洋へ、全世界へ、と流布して行く事をひたすら祈念して止まぬものである」と。
 御書を「大経典」と言われている。御書は「末法の経典」である。人類を救いゆく根本の一書なのである。学会は御書を「経典」すなわち根本基準として進んできた。牧口先生以来、常に大聖人直結であった。ゆえに御本仏の生命に感応かんのうし、だれびとも成し得なかった世界への流布を成し遂げてきたのである。
 御書を「全東洋へ、全世界へ」という戸田先生の念願は、「遺弟」(ゆいてい)の私が厳然と実現してきた。そして、世界広布は、いよいよ、これからが本番である。
12  初代会長「嫉妬の高僧こそ濁世の象徴」
 昨年十二月三日、東京・墨田区の幹部会で、牧口初代会長の論文を通して、お話しした。重複するかもしれないが、重要な内容なので、もう一度、ここでふれておきたい。
 論文の題名は「価値判定の標準」。昭和十七年(一九四二年)、創価教育学会の機関誌「価値創造」に掲載されたものである。この年、同誌が当局の圧力により廃刊にさせられる直前のことであった。
 この論文の中で、牧口先生は、次のように述べられている。
 「現在の如き恐怖くふ悪世の相を現出し釈尊の三千年前の御予言たる『末法濁悪じょくあく』の世が現実に証明されるのは、強盗殺人等の大悪よりも(中略)社会的大悪よりも、高官高位に蟠踞ばんきょ(とぐろを巻いて動かないこと)して賢善有徳けんぜんうとくの相をしてゐながら、大善を怨嫉おんしつ軽蔑けいべつして大悪に迎合げいごう加勢かせいし、もってその地位の擁護ようごと現状の維持いじとに力を尽す高僧大徳智者学匠がくしょうによるといはねばなるまい。『仏法によって悪道につる者は大地微塵みじんの数、仏法によって成仏する者は爪上そうじょうの砂』の仏誡ぶっかいがこれによって初めて理解されるのである」と。(「顕仏未来記」に「仏教に依つて悪道に堕する者は大地微塵よりも多く正法を行じて仏道を得る者は爪上の土よりも少きなり」と仰せである)
 ──末法は濁悪の世といわれるが、本当にその通りにしてしまっている元凶げんきょうは、だれか。それは、強盗・殺人等の悪ではない。その他の社会的悪でもない。実は、表向きは賢そうに振る舞い、善人ぶって、徳のありそうな姿をしている僧侶たち、大徳、智者といわれる者たちである。
 彼らは、大善の人を妬み、怨み、軽蔑している。逆に大悪の者に対しては、へつらって気に入られようとし、また手助けしたりしている。彼らは、他人の幸福のことなど少しも考えていない。それどころか他人の幸福をこわすことばかり考えている。そして、その高い地位の上にのさばり、しがみついて、毒蛇どくじゃがとぐろを巻いているように動こうとしないのだ。
 これが、牧口先生の厳然たる指摘であった。
 今も実際に、この言葉通りの姿が現出している。そんな卑劣な者たちの言動に惑わされることほど、愚かなことはない。情けないことはない。
 学会は、この末法濁世の「大悪」中の「大悪」と戦っている。「大悪」を破るからこそ「大善」である。大悪と戦えば大難があるのは当然である。正しいからこそ難を受けるのである。難を受けるからこそ成仏できるのである。
 ともあれ「完全なる勝利」をもって大善を証明していく。「仏法は勝負」に徹した、この大闘争心が、初代会長以来の、不変の学会精神である。
13  また、同じ論文の中で、牧口先生は、「半狂人格はんきょうじんかく」すなわち″半分狂っているような人格″についても論じておられる。
 「何をもって半狂人格といふか。一方で肯定こうていした事を他方では否定して平気でいるものは、人格に統一を失ふものとして、相手方を驚かせるもので、取引き関係などをなすものにとっては迷惑千万と言う云わねばならぬ」
 半狂人格の人間は、言動に一貫性がない。一方で肯定したことを別のほうでは否定したり、その場その場で、言うことなすことが、常に自分に都合のいいように変わる。このような人間は、社会では絶対に通用しないし、信用もされない。うっかり信じてしまえば、「迷惑千万」となる。本当に牧口先生は鋭い。見通しておられる。
 さらに、こう続く。
 「統一を条件とする常人に対して、人格分裂の異常人となし、狂人の一種として警戒をしなければなるまい。愚人がその愚を知らないと同様に、悪人がその悪をさとらぬところに常人と異ふ所がある」
 半狂人格者は「異常人」「狂人の一種」であるから警戒せよと。そして、その異常性に、一番、気づいていないのが″本人″であると。
 「平常普通の生活においては、少しも狂った所がないどころか、却って気がきき過ぎて買ひかぶられるくらいであるが(中略)利害問題になると、意外の狂暴性を発揮して、恥も外聞も顧みない所に異常性が見える」
 「意外の狂暴性」──何の説明もいらないであろう。自分の利害がからむと、まったく「恥も外聞も」なくなってしまうのである。見抜かねばならない。だまされては、自分が、一家が不幸になるだけである。
 半狂人格に対する治療には、何が必要か。牧口先生は、こう述べている。
 「半狂人格として特別の治療を要するのである。(中略)教育がこの治療に成功するならば馬鹿につける薬はないといふことわざが消えるわけで、世界の渇望する所であろう」
 教育が、半狂人格をなおし、「馬鹿につける薬」となるかどうか。実際は極めて難しいようである。
14  日本・インドに万代の「友情の道」を
 先日(一月七日)、私はインドのアスラニ駐日大使と会談した。その折にも話題となったが、本年は、インドと日本の間に「平和条約」が締結されて、ちょうど四十周年である。
 この条約には、″インドは日本に対する賠償請求権を放棄する″″インドにある日本の資産は原則として日本に返還する″などの条項が定められている。第二次大戦の敵国・日本に対するインドの「寛容の精神」にあふれたものであった。
 また当時のネルー首相は、焦点となっていた沖縄等の領土問題について、「沖縄や小笠原諸島は、日本に返還すべきである」と主張された。日本が一番苦しんでいた時に、「寛容」と「慈愛」の心で守ってくださったインド。その大恩を、日本人は忘れてはならないと思う。
 この真情は、四年前にアスラニ大使とお会いした際にも申し上げた。また、その会談の席上、同大使が多くの日本人のインド訪問を希望されたのに対し、私はSGIとして交流団の派遣を提案させていただいた。その約束通り、一昨年は六十一人、昨年は四十九人の全国の代表が「SGIインド青年文化訪問団」としてインド各地を訪れた。さらに本年も、五十人を派遣することになっている。両国の万代の友好を念願しつつ、今後も継続していく予定である。
 ガンジーの言葉に「真の友情とは魂の合一であって、この世でめったに見受けられないものである」と。
 「真実の友情」は、人生の宝である。そこに「人間の道」の真髄も輝く。
 私どもSGIは、日印をはじめ世界を結ぶ「友情の道」「平和の道」を、さらに広く太く築いてまいりたい。
15  ″侵略″と戦ったインドの女王
 きょう一月二十六日は、私どもにとって記念すべき「SGIの日」であるが、実は、インドの「共和国記念日」でもある。
 一九五〇年(昭和二十五年)のこの日にインド共和国憲法が発効し、それを記念して定められた。インドの民衆が、この歴史の日を迎えるまで──「独立」への道のりは長く、かつ険しかった。(独立は一九四七年八月十五日)
 その苦闘の時代、「自由への戦いの″夜明けの星″」とうたわれた一人のインドの女性がいる。本日の婦人部幹部会にちなみ、インド独立への道を先駆さきがけた、この一婦人の戦いを紹介したい。
 その名は、ラニー・チェンナマ(一七七八年〜一八二九年)。彼女は、インド南部のキツールという小国の王妃であった。
 十八世紀から十九世紀にかけて、インドは、イギリスの激しい侵略にさらされ、植民地化が進んでいたが、キツールの国も例外ではなかった。国王の後継者問題を口実として、イギリス側はキツールの内政に干渉し、キツールを併合しようとしてきた。権力は常に″口実″をでっちあげるものである。
 屈従か、抵抗か──。しかし、イギリスの圧倒的な武力を前にしては、だれが見ても勝ち目はない。「とうとう、来るべき時が来た」「これでキツールもおしまいだ」──あきらめと絶望の空気が国中に広がった。
 その時、チェンナマが一人、立ち上がったのである。時は一八二四年。彼女は四十六歳であった。四十代といえば、ある意味で「闘争」よりは「安穏」を求める年代かもしれない。しかし、彼女は戦うべき「時」を逃さなかった。
 国王亡きあと、女王として一国の命運を担った彼女は、卓越した「指導力」「政治的知見」、そして「不屈の勇気」を兼ね備えていた。一度決めたことは最後まで、あきらめない、不退の精神の持ち主であった。そして何より彼女は、キツールの国を、キツールの人々を、心から愛していた。愛する国が他国に蹂躙じゅうりんされ、愛する人々が苦しむ姿を、だまって見ていることはできなかった。
 彼女は諸侯に向かって訴えた。
 「キツールは私たちの国です。私たちはこの国の主人なのです。キツールは確かに小さな国です。武力ではイギリスと比較にならない。しかし、彼らは雇われ兵に過ぎません。愛国心や自由を愛する心をもっていない。私たち一人一人が、彼らの十人分に値するのです。私たちは何があっても敵に屈しない。最後の一人になるまで戦おうではありませんか。イギリスの奴隷になるくらいなら、むしろ抵抗の殉死を選ぼうではありませんか」
 魂を揺さぶる彼女の「信念の叫び」が、人々の心に火をつけた。「勇気」は伝染する。人々は、勇ましく立ち上がった。
 女王は自ら先頭に立ち、戦いの指揮をとった。左手に手綱を握り、右手に剣を掲げた馬上の雄姿は、まさに一幅の絵のごとくであったといわれる。
 一八二四年十月二十三日。重装備を誇るイギリス軍に対して、キツールはわずか一日で圧倒的な大勝利を収めた。この戦いは、インドにおける「自由への戦いの第一歩」として、また「偉大なる勝利の日」として、今なお歴史に燦然と輝きを放っている。
 何十倍もの力をもつ敵を打ち破るという「不可能」を「可能」へと転換したものは、何か。それは、一人の婦人の「毅然たる勇気」であった。何ものをも恐れぬ「勇気」があれば、一切を「歓喜」へ、「勝利」へ、「幸福」へと開いていくことができる。
 この女王の気高き姿は、次元は異なるが、我が婦人部の皆さまが、「法」のため、「友」のために、信心の確信をみなぎらせながら、さっそうと動き、語り、高々と「三色旗」を掲げゆく姿をほうふつさせる。
 この一月から二月にかけて、第二十二回婦人部総会が、日本列島のあの地この地でにぎやかに開催されている。小グループ単位で約四十万もの総会が開かれ、「会友」の方々も含めて、全国で数百万人が集われるとうかがった。
 学会が大好きで、同志を心から愛する婦人部の皆さま。尊き「信仰の女王」の歓喜に満ちた集いを、心から祝福申し上げたい。本当におめでとう!
16  キツールの勝利は、残念ながら、長くは続かなかった。態勢を立て直したイギリスはさらに強力な軍勢で臨んできたのである。また、味方の裏切りもあった。頼みの火薬に細工がされ、使えなくなってしまった。万事休したキツールは敗北し、女王は捕らえられてしまう。そして、牢獄へ。
 しかし彼女は、獄中にあっても、決して希望を捨てることはなかった。祖国の友が面会に来ると「また戦いましょう。だから希望をもつのよ」と、逆に励ましたという。
 獄窓に実に五年。彼女は、最後まで、愛する祖国の「解放」と愛する人々の「自由」を夢見ながら、五十一歳の年に波乱の生涯を閉じた。
 自身の「信念」を貫いての獄死──。一面、悲劇に見えるかもしれない。しかし、崇高な目的に生きる者として、最後の最後まで「信念」に生き抜くことほど、尊い一生はないであろう。
 学会の創立者・牧口先生は、大聖人の「正義」を貫き通し、ただ一人、獄中で殉難じゅんなんの生涯を終えられた。生きて獄を出られた戸田先生は、こう叫ばれた。
 「思えば、わたくしが二十歳のときに、四十九歳の先生と、師弟の関係が結ばれたのであります。当時、わたくしが理事長を務めてより、影の形のごとくお供し、牢獄にもお供したのであります。
 『わたくしは若い、老人の先生を、一日も早くお帰ししたい』と思っていた一月八日に、十一月の先生の死をお聞きしたとき、だれが先生を殺したんだと叫び、絶対に折伏して、南無妙法蓮華経のために命を捨てようと、決心したのであります。命を捨てようとしたものに、なんで他の悪口、難が恐ろしいものであろうか」と。
 「学会精神」の源流である牧口先生と戸田先生の師弟の絆は、生死を超えて厳粛であった。同じ目的のために、同じ心で、生き抜いていく。そして死んでいく──この師弟の「心」がある限り、学会は永遠に生き生きと「広宣流布」へ、また「広宣流布」へと前進していける。
17  炎は伝わる──一人の行動が万人の凱歌を
 チェンナマ女王の死は、多くの同志を奮い立たせた。彼女の遺志を継いだ一人に、サンゴリ・ラヤナという人物がいた。女王を心から尊敬し、忠誠を尽くす勇士であった。
 彼は、女王に「どうか、ご安心ください。私は何があっても戦い続けます」と誓う。その誓いの通り、女王の死から二年間にわたって抵抗運動を展開した。しかし、一時は戦いを有利に進めたものの、またも味方に裏切られ、ラヤナ自身も捕らえられ、処刑の宣告を受ける。
 それでも彼は、偉大な女王から受け継いだ「魂の炎」を消すことはなかった。絞首刑の直前、「おまえの最後の願いは何か」と聞かれると、昂然こうぜんとして言い放った。「私の願いは、再びこの地に生まれて、この神聖なる土地から侵略者たちを追い出すまで戦うことだ」。そして彼は、笑みさえ浮かべながら、悠然と死んでいったと伝えられている。
 暗闇の支配下にあったインドに、夜明けの光をもたらした一女性、ラニー・チェンナマ。彼女の偉大なる「抵抗の魂」を受け継いだのは、ラヤナばかりではなかった。目には見えなくとも、祖国の民衆の「自由」と「独立」を求める精神の水脈は、滔々たるガンジスのごとく流れ広がり、やがて、一八五七年の大独立闘争(いわゆる「セポイの反乱」)に象徴される各地の抵抗運動、さらにはマハトマ・ガンジーに率いられた独立運動へと結びついていくのである。
 ──何ものをも恐れぬ「勇者の魂」には、「勇気の人」が続いていく。その後継の人列が、必ずや絢爛たる黄金の歴史を開きゆくことは間違いない。
 婦人部の皆さまの広布への真心が、一家の後継者を大功徳で包みゆくことも間違いない。「信心」は「最高の勇気」でもある。私どもは、万年の未来を見つめながら、永遠に崩れぬ「広宣流布の勝利」へ堂々と進んでいきたい。
18  御書には「一閻浮提」等と二百カ所以上に
 ここで、「世界宗教」の条件について、少々、話しておきたい。
 「世界宗教」とは、民族を超えて、世界で広く信仰されている宗教をいう。仏教、キリスト教、イスラム教がそう呼ばれている。
 しかし、歴史的に見ると、キリスト教やイスラム教も、初めから世界宗教だったわけではない。歴史学的には、さまざまな見方があるが、「全人類」を対象として出発したとは言い切れない。結果として、民族・地域を超え、世界宗教に発展した、といえるであろう。
 それに対して仏教は、初めから世界宗教として説かれ、出発している。
 法華経には「閻浮提の内に広く流布せしめて、断絶せざらしめん」(開結六六八㌻)──閻浮提(全世界)の内に広く流布させて断絶することがないようにしよう──と説かれている。また涅槃経には「閻浮提においまさに広く流布すべし」と説かれている。
 大乗仏教の極説は、一切衆生に「仏性」を認め、「生命の尊厳」を具体化する方途を示し、真の「平等」を説く。全人類に共通する普遍性をもっている。もともと、世界に流布する必然性があるといえよう。
 一切衆生の成仏の要諦を明かされた日蓮大聖人の仏法も、当然のことながら「世界宗教」である。そのことを、大聖人御自身が、明確に宣言されている。
 ちなみに、御書の中で、全世界を意味する「一閻浮提いちえんぶだい」「南閻浮提なんえんぶだい」ならびに、その略称である「閻浮提」「閻浮」という言葉は、実に二百カ所以上で用いられている。この一事だけでも、大聖人の仏法が世界に広く開かれた、スケールの大きな教えであることが拝せよう。
19  「世界への流布」が仏勅の証明
 大聖人は、文永十年(一二七三年)四月、「観心本尊抄」を著され、その中で次のように仰せである。
 「此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し
 ──この時に、地涌千界の大菩薩が世に出現して、本門の釈尊を脇士とする、世界第一の本尊が、この日本の国に建立こんりゅうされるであろう──。
 日蓮大聖人が建立される御本尊は「世界第一」であり、全人類が帰依し、信仰すべき、根本の御本尊であられる。
 そして「観心本尊抄」から五十日ほど後に著された「顕仏未来記けんぶつみらいき」では、このように述べられている。
 「此の人は守護の力を得て本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮提えんぶだいに広宣流布せしめんか
 ──この人(法華経の行者)は、(諸天善神や地涌の菩薩などの)守護の力を得て、本門の本尊・妙法蓮華経の五字を、全世界に広宣流布させていくであろう──。
 大聖人の仏法は必ず、全世界に広宣流布していくと宣言されたのである。
 その後、「撰時抄」「報恩抄」「下山御消息」「種種御振舞御書」など、多くの御抄において、大聖人の仏法が、必ず、一閻浮提に広宣流布することを明確に示されている。
 そして、「世界広宣流布」との御本仏の未来記を、初めて、事実のうえで実現し、世界広宣流布を推進しているのは、だれか。私どもであり、創価学会以外にはない。この現実の前には、いかなる詭弁きべんもむなしい。
20  日達上人は、昭和五十年(一九七五年)一月二十六日、グアム島で開催された、世界平和会議の席上、次のように講演されている。SGIの出発の時である。
 「日蓮大聖人のお示しのように南無妙法蓮華経は世界の宗教であります。本日、ここに集まられたみなさんの姿を見ればそれは一目瞭然りょうぜんであります」
 「仏法流布は『時』によると大聖人は仰せであります。しかし、その『時』はただ待っていれば来るものではありません。
 このような世界的な仏法興隆の『時』をつくられたのは正しく池田先生であります。池田先生のご努力こそご本仏のもっとも讃嘆の深きものと確信するのであります。とともに想像を絶するような苦難の中でよく池田先生の指導を守り、各国においてみごとに仏法を定着させたみなさんのこれまでのご苦労に対して心から敬意を表するのであります」
 ありがたいお言葉である。
 御書に「法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し」と仰せである。正法はおのずから弘まるのではない。ゆえに弘まるべき時を、ただ「待つ」のではなく、「つくる」──日達上人は、この大変さ、偉大さをよくわかってくださった。
 また「世界平和こそ大聖人の弟子檀那である仏教徒の望むところで理想の常寂光じょうじゃっこう刹土せつどであります」「一家の内に争いがあれば、その家は平和が保たれません。地球上に争いがあれば、地球一家は破滅になります。この地球に世界平和の潮流をまき起さんと池田先生は率先して働かれております。
 どうか今日よりは池田先生を中心に、ますます異体同心に団結せられ、世界平和の実現を目指して下さい」と。
 平和への戦いこそ大聖人門下の使命である。それを実践したのは学会であると述べられている。日達上人は、世界に仏法を流布する私どもの労苦を、最大に理解し、称賛してくださった。
21  また大聖人は「顕仏未来記」で、御自身が経文の予言通りの大難にあわれたことを引かれて、「若し日蓮無くんば仏語は虚妄と成らん」──もし日蓮が出現しなかったなら、仏の言葉は虚妄になったであろう──との御確信を示されている。
 この、実践に裏付けられた御確信に対して「大慢である」と誹謗する者もあった。こうしたやからに向かって「汝日蓮を謗らんとして仏記を虚妄にすあに大悪人に非ずや」──あなたは、(法華経の行者である)日蓮を誹謗しようとして、仏の未来記を虚妄にするのである。それこそ、まさに大悪人ではないか──と厳しく破折されている。
 この指摘は、そのまま、現在の宗門に当てはまる。今、妙法を唱える友は、百カ国を超えて広がっている。今年になってからも各国で歓喜の支部結成が続いている。かつての共産圏にすら、支部が誕生しているのである。
 そうした正法流布に逆行する宗門の悪は悪として、私どもは、今までのように、無理解で意地悪く足を引っ張られることもなく、言うべきことも言えないという制約もなくなった。自由に、自在に、伸び伸びと、その国や地域にあわせた前進ができるようになったともいえる。
 「大悪」の出現をも私どもの「信心の団結」で「大善」へと転換することができた。不思議なことに、大聖人の仰せ通りの世界広布の新舞台を大きく開ける″時″がきたのである。
 これからである。今こそ万年への出発の時である。今、本気で戦った人の大功徳は間違いない。
22  世界宗教の条件は「永遠の知恵」「時代即応の新しさ」
 かつて、偉大な歴史学者トインビー博士と、今、求められている「世界宗教」とは、いかなるものか、語り合った。その際、博士は、述べられた。
 「未来の宗教は、しかし、必ずしもまったく新しい宗教である必要はありません。それは古い宗教の一つが、新しく変形したものである場合も考えられます。ただし、そうした古い宗教の一つが、人類の新たな要求に応える形で復興したとしても、それはおそらく、すでにほとんど見分けがつかないほど抜本的に変形したものになっているものと思われます。その理由は、現代における人間生活の諸条件が、すでに抜本的に変わってきているからです。
 新しい文明を生み出し、それを支えていくべき未来の宗教というものは、人類の生存をいま深刻に脅かしている諸悪と対決し、これらを克服する力を、人類に与えるものでなければならないでしょう」と。
 一流の人は正確である。常に「本質」をとらえる。トインビー博士は、常に人類の未来をみすえていた。人類の生存のためには何が必要なのか。そのために諸悪と戦い、克服する力はどこにあるか──そのことを考えておられた。
 人類の未来を開く宗教は、古くからの″永遠の知恵″と、現代の要求に応える″抜本的な新しさ″を併せもつことが不可欠である。
 我が創価学会は、「価値創造」のその名のごとく、正法を根本に、常に時代の要求に応じる新鮮な運動をたゆむことなく展開してきた。日蓮大聖人の仏法は、人類のかかえる課題を解決し、文明を蘇生させるのに十分な、普遍的な法理と、偉大な力を備えた、最高の世界宗教である。
 しかし、宗門は、特に江戸時代以降、次第に既成仏教化し、民衆を救い、時代を導く活力を完全に失っていた。その宗門を蘇生させ、大興隆させたのは、死身弘法の実践を通して、大聖人の仏法を現代に復興させた、牧口先生・戸田先生であり、創価学会である。
 私も、恩師の心を受け継ぎ、会長就任直後の昭和三十五年(一九六〇年)十月、世界への道を開くためにアメリカへ渡った。以来、昨年までに四十六カ国・地域へ足跡をしるしてきた。そして、わずか三十年余で海外にも幾百万の地涌じゆの仏子が生まれるにいたっている。
 皆さまとともに、渾身の行動で、日蓮大聖人の仏法が「世界宗教」であることを実証してきたのである。御本仏の御遺命実現のために、御本仏に守られながらの肉弾戦の転教であった。
23  ある宗教社会学者の赤池憲昭氏(愛知学院大学教授)は、学会の活動を、次のように評価されている。
 「これからの宗教は特に、社会性を持たなければならないと思います。自分が救われればいいということのみでなく、全体社会をより発展させていくために寄与できるかどうかが、ますます問われるようになる。閉鎖的な、非社会的な宗教教団であっては、教団の発展はありません。
 その点、学会が、一人一人の内発性を促しながら、仏法を基調に置いた上での平和、文化、教育運動を通して、人類の幸福、世界平和のために貢献してきた行き方は、日本で生まれた宗教が、普遍的な人類の宗教へと発展していく壮大な作業になるだろうと期待しています」と。
 心ある識者は、今や、創価学会が、世界に開いた「人類の宗教」へと現実に発展していることを見抜いているのである。
24  また、堀太郎氏(滋賀文化短期大学学長)は、こう指摘されている。
 「『二十一世紀の宗教のあるべき姿』を、二十世紀も暮れようとするこの時に実現の見通しをつけつつあるのが創価学会だと思います。
 『宗教のあるべき姿』とは、『現在の民衆』を『過去』に隷属させるのではなく、『現在の民衆』のために『未来』を切り開く道です。まさに創価学会はこの道を進んで来ました。
 池田名誉会長は、いちはやく環境保護や核軍縮、東西の対話などの重要性を訴え、そのために行動されてきました。私はその姿に打たれたのです。かつては、だれもが『無理』と頭から決めてかかっていたこれらの問題が、今や、すべて注目され、解決のための努力がなされています。
 この学会の運動が、真の宗教、真の仏教、真の日蓮大聖人の教えでなくしてなんでしょうか?これを『外道』と呼ぶ者は、自分が人類にとっての『外道』であることを知らねばなりません」
 「現在は、人類の文化を、物質文化から精神文化、生命文化へ発展させねばならない時です。創価学会のような団体が日本から出現したことを、誇らしく思っています」と。
 人類の未来を開きゆく学会の活動こそ、大聖人の仏法を具現したものであり、それを誹謗する宗門こそ、「人類にとっての『外道』」である、と。
 実例は無数にあるが、このように、私どもは、平和・文化・教育の活動を通して、大聖人の仏法の理念と偉大さへの理解を、世界の多くの識者に広げてきたのである。
25  ″化石の教団″と化した宗門
 こうした学会の活動に対して、最も無理解であり、批判的だったのが、現在の宗門だった。それのみか、私どもの実践が世界的に認められたことを嫉妬したのである。民衆のために未来を開くどころではなく、民衆を自らの権威に隷属させようと策謀して、ついに学会を破門するという暴挙に出た。
 こうした宗門の愚挙を、アメリカの宗教学者ハワード・ハンター教授(タフツ大学宗教学部長)は、厳しくこう批判されている。
 「現実に、一千余万の人々が宗祖の精神をたたえながら何不足なく、健全な信仰活動を行っている。その″実証″をまったく無視して、自らの意思にそぐわぬからといって、破門を宣告するのであれば、皆さま方は我が道を行くしかありません。教義を社会化、現実化しようと日夜、献身する人々の″心″がわからなくなってしまったら、その宗団は現代の″化石″の道をたどるしかないのです」と。
 世界の英知が指摘するように、宗門は、まったく時代から取り残され、役割を失って、「現代の″化石″」と化し、「死せる教団」となり果てたのである。
 それに対し、学会は開かれた「かつの教団」として、地球と人類を蘇生させ、平和と希望を与える世界宗教としての使命を、本格的に果たしゆく″時″を迎えたといえよう。
 私の親しい友人の一人である、フランスのルネ・ユイグ氏は、こう述べておられた。
 「創価学会が、仏教の深遠な価値とその世界性を宣揚し、精神の向上に基づく平和主義を、仏教の名において世界にもたらそうとして闘っていることに対し、我々は感謝しなければなりません」と。
 世界の民衆は、我々を待っている。太陽の仏法が、世界を照らすのを、一日も早かれと願っている。期待に応えねばならない。走らねばならない。
 いよいよ世界へ、また世界へと人間交流の橋を幾重にもかけながら、楽しく、御書通りの前進を続けていきたい。
26  大聖人は、こう仰せである。
 「此の法門出現せば正法・像法に論師・人師の申せし法門は皆日出でて後の星の光・巧匠の後に拙を知るなるべし、此の時には正像の寺堂の仏像・僧等の霊験は皆せて但此の大法のみ一閻浮提に流布すべしとみへて候、各各はかかる法門にちぎり有る人なれば・たのもしと・をぼすべし
 ──この(真実の)法門が出現するならば、正法時代や像法時代に論師や人師の説いた法門は、みな日が出た後の星の光のようなものとなり、優れた技の人を知ったあとでは、劣ったものであることがはっきりわかるようなものとなろう。この時には、正法時代や像法時代の寺堂の仏像や、僧などの利益はみな消え失せて、ただこの大法だけが一閻浮提に流布するであろう、と説かれている。あなた方は、このような法門に宿縁ある人であるから、頼もしく思われるがよい──。
 この御文でも、大聖人の仏法のみが、一切衆生を救済する大法として、全世界へ広宣流布することを断言されている。私どもは、深き「ちぎり」──宿縁と使命があればこそ、人類の先駆として、この大法に生きる身となれたのである。これほど、ありがたく、頼もしいことはない。
 大聖人は「皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」と仰せである。大聖人の大白法を自ら実践し人にも勧める皆さまは、まさしく「地涌の菩薩」である。
 地涌の菩薩であれば、御本仏の「久遠くおんの弟子」であることもまた言うまでもない。私どもは、久遠の昔から御本仏とともに広宣流布をしてきたのであり、「久遠即末法」との仰せのままに、末法の今、御本仏の御遺命を実現するために出現したのである。
 広布のため、世界のため、人類のため、平和のため、そして自分自身と一家の幸福のために、私どもは、いよいよ朗らかに、いよいよ勇んで世界への黄金の道を、進んでまいりたい。
27  ″日々新た″に自分ルネサンスを
 さて、『近思録きんしろく』という中国の古典の中に、「万世のために太平を開く」という言葉がある。″永遠の未来のために、太平の世を、平和な世界を開くのだ″という意味である。
 本年は、日本と中国の国交正常化二十周年。私は、さらに万年の未来を見つめて、日中の友情、アジアの友情の道を開いていく決心である。
 また、同じ『近思録』に、こういう一節がある。
 「『日に新たなる者は日に進むなり。日に新たならざる者は必ず日に退く。いまだ進まずして退かざる者あらず』(日々に新しくなるものは、日々に進歩する。日々に新しくならないものは、必ず日々に退歩する。進歩がない時に、退歩しないということはない)」と。
 ″進歩がない時に、退歩しないことはない″というのは、″進まないのは後退である″との意味である。
 私どもが常に心に刻んでいる「進まざるは退転」との言葉にも通じよう。
 先日(一月二十一日)、赴任ふにん期間を終えて離日される中国の唐家璇とうかせん公使と懇談する機会があった。国交正常化二十周年への思いなどを語り合いながら、公使が、ご自身の信条の一つとしておっしゃっていたのは、「謙虚な気持ちを忘れず、永遠に学べ」ということであった。
 ″永遠に学べ″──この一言に、厳しくもまた美しい″向上の心″が光っていた。常に学び、常に新しい自分へと革新し続けていく。ここに、一つの人生哲学を見る思いがした。
28  かつて戸田先生は、こう言われたことがある。
 「宇宙のあらゆる一切のものは、刻々と変転していく。一瞬といえども、そのままでいることはできない。そこで、一番の問題は、良く変わっていくか、悪く変わっていくかである。このことに気づかないでいる時、人は惰性に流されていく。つまり、自分が良く変わっていきつつあるか、悪く変わっていきつつあるか、さっぱり気づかず平気でいる。これが惰性のこわさである。信仰が惰性に陥った時、それはまさしく退転である。信心は、急速に、そして良く変わっていくための実践活動である」と。
 信心を失い、向上への力を失った世界が「後退」「衰亡」していくのは必然である。
 それに対し、学会は、一人一人が自身を変革し、時代をも変革しゆく″革新のエネルギー″に満ちている。
 ″日々新た″──ここに「自分ルネサンス」そして「家庭ルネサンス」「地域ルネサンス」の魂もある。
29  今″いよいよ″の信心に大功徳
 大聖人は、「佐渡御書」で次のように仰せである。
 「悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし例せば日蓮が如し、これおごれるにはあらず正法を惜む心の強盛なるべし
 ──悪王が正法を滅亡させようとする際、邪法の僧等がこの悪王に味方し、智者を滅ぼそうとする時には、師子王のような心をもつ者が必ず仏になる。たとえば日蓮がそうである。これは、おごって述べるのではない。正法が滅することを惜しむ心が強いからである──と。
 ″正法を破る″権力と悪僧の出現の時──その法滅の危機こそ、じつは成仏のチャンスである。今こそ、″いよいよ″の信心が大功徳を生むのである。
 ともあれ私も、大聖人の御遺命である「一閻浮提広宣流布」のために、これからも日本中を、そして全世界を回り、今までの何倍、何十倍と戦っていくつもりです。皆さま方の、ますますの活躍を念願して、記念のスピーチを終わります。きょうは本当に、おめでとう。
30  (このあと、練馬・北・板橋の青年部合唱団「シャイニング・グループ」がオリジナル曲「シェイキン・ハンズ(握手)」ほかを熱唱)
 素晴らしい!見事な歌声です。また、応援に駆け付けてくれた芸術部の方々も、ありがとう!
 全国の皆さまも風邪などひかれませんように。皆さまの健康と長寿と無事故を、そして最高に福徳あふれる人生を歩んでいかれることを、私は毎日、真剣に祈っております。どうか、安心して戦ってください。

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