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日蓮大聖人・池田大作

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新春幹部会、杉並・中野合同総会 「新生の曲」高らかに、朗らかに

1992.1.5 スピーチ(1991.10〜)(池田大作全集第79巻)

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2  先日も代表の方に、お話ししたことであるが、この席でも、改めて申し上げておきたい。
 「あの人にも温かく。この人にも温かい言葉を。これが指導の第一歩である」と。
 これからは、ますます「幹部の資質」が問われていく時代である。態度が横柄で、すぐに怒鳴ったり、威張ったりするのは、指導者ではない。学会のリーダーとはいえない。人間としても失格である。あの人にも温かく接し、この人にも温かい言葉を送る。信心といい、同志といい、広宣流布といっても、この身近な第一歩が大事である。ここから真の「信心の世界」が広がる。ここに、指導者の真髄があり、創価家族の″心″がある。
 「あたたかさ」──それが大聖人の仏法を正しく受け継ぐ創価学会の強みであり、正義の証明でもある。このことを、よくよく、心に刻んでいただきたい。
 衛星中継の開始前で、全国にはお伝えできなかったが、さきほど、芸術部の久本雅美さん、柴田理恵さんが、楽しい語りで登場してくださった。女優さんだが″漫才″もうまい。ありがとう!
 芸術部の方々がおられると、皆の心が明るくなる。大きな励ましとなり、希望ともなる。輝く「一人」の力は偉大である。
 先日、芸術部員で歌手の方が、こう語っておられた。──一年前の今ごろ、学会員は皆、悲しい思いをしました。私はなんとか、自分の立場で頑張って、同志の方々に喜んでもらいたい。そう思ってこの一年、真剣に祈り、歌い、頑張ってきました。これからも、同じ気持ちです──と。
 自分の努力で″同志を喜ばせたい″──美しい心である。美しい生き方である。
 ともあれ朗らかなところに人は集まる。楽しいところに人々は集う。明るい集いに歓喜がわく。喜びの信心に福徳は、いやます。勢いの強いところに勝利もある。ゆえに、朗らかに、また仲良く、私どもは生き抜いてまいりたい。
3  上杉鷹山──世界に光る先駆的な″民主宣言″
 アメリカのケネディ大統領(第三十五代)といえば、「ニュー・フロンティア」の理想を掲げ、人々に希望を与えた指導者である。
 かつて私も同大統領とお会いする予定があったが、大統領は凶弾に倒れ、実現することができなかった。世界的リーダーの夭逝ようせいを、今でも大変残念に思う。
 ところで、このケネディ大統領が「最も尊敬した日本人」とは、だれであったか──。それは江戸時代の米沢(山形県)の藩主・上杉鷹山ようざんである。(ケネディ大統領が日本人記者団の質問に答えたもの。質問した記者たちのほうが鷹山を知らず、閉口したというエピソードがある)
 ちなみに内村鑑三(近代日本の思想家)は『代表的日本人』という著作の中で五人の人物を紹介しているが、その一人が上杉鷹山である。『代表的日本人』については、私の『若き日の読書』(本全集22巻収録)でも紹介した。(『代表的日本人』には、日蓮大聖人が、西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹とともに挙げられている)
4  上杉鷹山(治憲はるのり)は、民衆を愛し、民衆のための政治を行った名君として知られる。彼は、君主の心得として、次の三項目を内容とする指針を残している。
  一、自らの利益のために国家を用いてはならない。
  一、自らの利益のために人民を用いてはならない。
  一、人民のために君主があるのであり、君主のために人民があるのではない。
 「伝国之辞でんこくのじ」と呼ばれる、この″民主宣言″が伝えられたのは、一七八五年(天明五年)。これはアメリカ独立宣言(一七七六年)の九年後、またフランス人権宣言(一七八九年)の四年前のことである。
 身分差別の厳しい封建社会において、世界に先駆ける形で残された、この民主精神、人間主義の叫びが、ケネディ大統領の胸にも強く響いたのであろう。
 ともあれ、いかなる社会にあっても、いかなる時代になろうとも、どこまでも「人間が根本」──これが歴史の正道である。
 「仏法」の正しき精神もここにある。膨大な「経典」も、すべて「人間のために」説かれた。「御本尊」も、すべての「人間」が等しく最高の幸福境涯を満喫しゆくために大聖人が建立してくださった。
 そうした仏法の根本目的を離れ、人間を「手段化」していく宗派、聖職者は″人類の敵″である。もとより大聖人の仏法の「正統」とは、まったく無関係であると私どもは断ずる。
5  「地域の新生」もたらした青年の「一念」
 鷹山が、上杉謙信から十代目の家督かとくを継ぎ、米沢藩主となったのは、一七六七年(明和四年)、わずか十七歳の時であった。学会でいえば高等部の年齢である。
 当時の米沢藩は、財政的に貧窮ひんきゅうし、衰退の一途をたどっていた。かつて福島の会津百二十万石を有していた上杉家の領地は、米沢三十万石に転封てんぽうになったあと、さらに十五万石に減らされた。会津時代の八分の一である。
 借金の山を抱え、極端な赤字財政。家臣から農民まで、藩の経済は破綻状態であった。鷹山が藩主になる三年前には、もはや藩の存続は不可能であるとして、前藩主(上杉重定)が幕府に領地の返上を願い出ようとするほどであった。
 しかし、新しい青年藩主は、安易に悲観に流されたりはしなかった。それどころか、十代の若き鷹山は、米沢の地に自身の使命を定め、「ここに理想の国をつくろう!」と立ち上がるのである。
6  かつて私は、山形に「人間のアルカディア(理想郷)を」との指針を贈った。以来、山形の同志は、このモットーを掲げて「山形に広布の理想郷をつくろう」と立ち上がった。さまざまな現実に挑戦しながら、見事な実証を重ねておられる皆さまを、私は心からたたえたい。
 「仏法は勝負」である。「人生も勝負」である。勝負はまず必ず「勝つ」と決めることである。その「一念」から勝利は回転を始める。鷹山も″我が藩を理想の地に!″と、まず決めた。その「一念」に勝利の因があった。
 例えば、相撲の世界であれば、「よし、必ず大関・横綱になってみせる」と決めた人は、それなりの努力があり、それに応じての力の開発があろう。
 広布の組織においても、支部長であれば「自分が、皆に尽くす名支部長になって、必ずこの支部を大きく発展させてみせる」と──。
 社会においても、広布の戦いにおいても、この「必勝の一念」「希望の一念」から出発しなければ、いかに方策を講じてみても、結局は崩れてしまう。土台がないようなものである。反対に、どの県、どの支部であろうと、″長の一念″によって、どのようにでも発展していくことができる。
 世間においてすら、一念の力は偉大である。いわんや「事の一念三千」の御当体たる御本尊を持った私どもが、信心の一念で、いくらでも壮大な勝利を切り開けることは絶対に間違いない。
7  鷹山は藩主として米沢への第一歩をしるす。時は晩秋──。見渡す限り、せて荒れ果てた土地と廃虚のような家々──。人々の顔には生気が、まったく感じられない。笑いもない。喜びもない。深刻な苦悩を映し出している。
 状況のひどさは覚悟していたとはいえ、まさか、これほどとは──その荒廃こうはいぶりに鷹山は驚かざるをえなかった。米沢城に近づくにつれ、連れの家臣たちも「この国を変えるのは、もはや無理かもしれない」と思い始めた。そうしたなかでのことである。
 鷹山は、側にあった煙草盆の炭に目を止めると、その消えかかる残り火を熱心に吹き始めた。そして、火がおきたのを確かめる彼を、けげんそうに見つめていた家臣たちに、次のように説明した。
 「まさに消えかかろうとする炭火でも辛抱強く吹き続ければ、明るい火をおこすことができる。同じように、この国と民が生まれ変わらないことがあろうか。今や、大いなる希望が我が胸によみがえった。私は、この炎を消さぬ」と。
 灰の中から残り火が再び燃え立つ様子に、彼は藩再興の希望を見いだしたのである。
8  「希望の旭日」は世界を変える!
 偉大な人生には、感傷はない。悲嘆もない。悲観もない。悲観主義は敗北の道である。人生でも、社会でも、地域でも。悲観からは、何一つ価値は生まれない。悲観を楽観に変える薬──それが「希望」──「ホープ」である。
 「希望!なんじの力は偉大なり」である。希望は、すべてを変える。冬を春へ、夜を朝へ、下降を上昇へ、虚無きょむを創造へ、苦悩を歓喜へ──希望こそ太陽である。光である。熱である。人生の「開花」の本源である。
 まして、変毒為薬へんどくいやく罰即利益ばちそくりやく煩悩即菩提ぼんのうそくぼだいと説かれるように、信心には一切のマイナスを転じてプラスに変える力がある。この信仰こそ「無限の希望」の源泉である。「信」の一念こそ、尽きることなき「永遠の希望」の炎である。
 「さあ、いよいよ、これからだ!」「さあ、いよいよ、出発だ!」──この決心、この躍動、この行動に「妙法」は脈動していく。
 御聖訓に「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」──月ごとに、日ごとに信心を強くしておいきなさい。少しでも、たゆむ心があれば魔がつけこむでありましょう──と。
 また″進まざるは退転″ともいう。「前進また前進」──そこに信心の真髄も学会精神もある。「幸福への王道」がある。
9  鷹山は、主な改革において、まず自らが模範を示した。
 戸田先生は亡くなる前、「人ではない。自分だ。会員ではない。幹部だ」と指導された。また「人生は強気で行け」とも。
 自分が変わることである。自分を改革することである。自分自身が「新生」の行動を始めるところから、一切が変わり始める。
 鷹山は、当時の常識を打ち破るような思い切った産業改革(うるしくわこうぞといった商品作物の栽培や養蚕ようさん・製糸・織物業の奨励等)や、大規模な用水路の建設などを、次々と進めていった。ともかく将来のために道をつくろう──と。
 また、彼は、万代にわたる繁栄のためには、教育が不可欠であると考えた。
 創価学会も、出発点は創価教育学会──。牧口先生、戸田先生も教育者として一国の礎となる人材の育成に取り組まれた。私も教育に最大の力を入れてきた。
 教育がなければ人間は盲目になる。権威・権力の奴隷となって使われてしまう。人間の内面に深くかかわる宗教の世界においては、なおさらである。賢明にならねばならない。だまされてはならない。
 鷹山は、「興譲館こうじょうかん」と名づけた学校を建て、身分にかかわらず、多くの人に教育の機会を与えた。現在の米沢興譲館高校の創立は、ここにさかのぼる。藩校を淵源えんげんとする高校としては日本有数の歴史をもっている。
 身分にかかわらず──。仏法も同じように、否それ以上に「すべての人々の幸福」のためにある。どこまでも、「平等」が仏法の旗印なのである。この旗のもと、一切の「差別」と戦ってきたのが真の仏法者の三千年来の歴史である。その最高の代表が日蓮大聖人であられる。
 「差別」を強調する人間が大聖人の仏法の正系か、「平等」を主張する人々が正道か──だれにでもわかる道理である。
10  希望の炎は広がる。一人から二人、三人へ、そして百人、千人の人々へと。
 ゆえに、広布のリーダーは、常に希望に燃え、常に周囲の同志に希望を与える自身であっていただきたい。
 貧窮にあえいでいた米沢藩は、鷹山の手によって、わずか数十年の間で、豊かな希望の国へと見事に生まれ変わる。かつて十一万両の借金があった藩財政は、鷹山の死のころには、五千両の黒字をみるまでになっていた。
 一人の青年の偉大なる希望の一念が、一国のルネサンス(再生、新生)をもたらしたのである。
 ともあれ、歴史の価値は、長さで決まるのではない。深さによって決まる。何を成し得たか──それが問題なのである。学会は、この六十年余に大聖人の仏法を、ここまで世界に広宣流布した。これほど尊く深い「歴史」はない。
 ただ平々凡々と、価値も生まず、時間の長さだけを自慢するのであれば、それは仏法ではない。単なる考古こうこの趣味であろう。時代錯誤さくごで、世間の物笑いの種となるにちがいない。
 「大いなる希望」に生きゆく人は、「偉大なる歴史」を刻むことができる。「自分の歴史」のない人は薄っぺらな人生となる。
 どうか、皆さま方は、この一年、自分自身の「希望の曲」を高らかに、朗らかに奏でながら、地域のルネサンス、家庭のルネサンス、そして社会の各分野での我が人生のルネサンスを成し遂げていただきたい。
11  人間性の勝利! リンカーンの「奴隷解放宣言」
 話は変わる。
 アメリカ合衆国が「南北戦争」の真っただ中にあった一八六三年の一月一日──。この日、リンカーン大統領によって、あの歴史的な「奴隷解放宣言」が発布された。
 「私はここに宣言する。現在、奴隷として所有されている一切の人々は、『自由』であること、また今後『自由』となるべきことを」と。
 約百三十年前の元日に発表されたこの文書は、世界史に今なお不滅の光彩を放ち続けている。
 私どもも今、いわば「宗教の奴隷」からの「解放」を晴れ晴れと宣言した。言語に絶する搾取、抑圧、蔑視──。信徒をことごとく隷属化しようとの悪の鉄鎖を断ち切って、「人間精神の自由」の大いなる勝ちどきをあげたのである。
 リンカーン大統領は、「この解放宣言に連なった人々の名前は、永遠に残るであろう」と語っている。
 そして今、ある学者も、「全世界千六百余万人の『退座要求』署名は、宗教史上、空前にして永遠に残る記録であろう」と語っていた。
12  だが、この新しい「人間の解放」の動きに敵対する勢力は、いまだ根強かった。この旧勢力との戦いの面もあった南北戦争は、この時なお激しい混戦のなかにあった。当時、多くの人々は″さすがのリンカーンも、結局は臆して、この宣言を引っ込めるであろう″と予想していた。しかしリンカーンは、すでに前年に奴隷解放の″予備布告″を発表し、一月一日の「宣言」発布を明言していた。
 攻撃の嵐のなかでも悠々と、また毅然として、この一月一日の朝を迎えた。何ものも恐れず、何ものにも動じなかった。彼はまさに真の「人間」であった。
 午前中いっぱい、彼はホワイトハウスを訪ねてきた千人余りの来客の新年のあいさつを受けている。その後、この「宣言」の署名に臨んだのである。
 宣言書への署名にあたって、リンカーンは、こう述べている。
 「わが生涯で、自分が正しいことをしているという確信を、今この時ほど感じたことはない」と。
 そして、午前中の大勢の人々との握手で、すっかりしびれてしまった手にペンをとった。
 「字が震えていると、後世の人たちから″大統領は怖気づいていたんだ″などと言われてしまうね」と、周囲を笑わせながら、しかし堂々と、「エイブラハム・リンカーン」とフルネームをサインした。「A・リンカーン」と署名するのが常で、フルネームのものは少ないという。
 これが歴史に名高い「奴隷解放宣言」の発布の瞬間である。その後、この宣言は、全世界へと送られ、「希望の火」を点じ広げていった。
13  「正義の人」には誇りがある。確信があり、喜びがあり余裕がある。また楽しさがあり、明朗さがある。
 学会が、こんなにも明るく朗らかなのも、「正しい」からである。「正義」だからである。皆がはつらつと、喜び勇んで生きている。輝く笑顔で進んでいる。「正義は楽し」──その実証の姿である。
 反対に、「悪」の人々は不思議と暗い。陰湿な悪の心は、陰鬱な空気を周囲に広げていく。
 どんな人とでも仲良く──それがよいように見えるかもしれない。一面、その通りであるが、現実には、より多くの人々を守るためにも、悪とは断じて戦わざるを得ない。釈尊もそうであった。法華経には三種類の「敵人」を説く。大聖人も、だれよりも悪と壮絶に戦われた。
 何より、大聖人の教えを自己の権威のために悪用し、仏子を奴隷化する勢力は、大聖人への「師敵対」であり「極悪」である。「極悪」とは、断じて戦い抜く以外にない。絶対に屈してはならない。屈して、奴隷になり下がってしまえば、大聖人がお嘆きになる。
 私どもは、どこまでも大聖人の御心を、まっすぐに拝している。ゆえに強い。「大聖人直結」か、「大聖人利用」か。ここに学会と現宗門との根本的な相違がある。「正邪」は初めから明白である。
 その意味で、全国の同志の皆さまも、リンカーンのように晴れ晴れと、本年の新春を迎えられたのではないだろうか。「今年のお正月ほど、学会の正しさを確信したことはない!」と。
14  さて、「解放宣言」が出されたあとも、熾烈な戦いは続く。しかし、リンカーンの雄渾の指揮によって、この決して負けられない戦いに勝利を収め、奴隷解放の偉業は、ついに成し遂げられたのである。
 祖国のため、民衆のために、戦って、戦って、戦い抜いたリンカーン大統領──。彼自身、最期は敵対勢力の凶弾に倒れるが、それはもとより覚悟のうえのことであったのかもしれない。
 それはそれとして、私どももまた、この一年を存分に戦い、すべてを乗り越えて進み、万年に轟きわたる「精神解放」「宗教革命」の歴史をつづり、残してまいりたい。
15  御聖訓″われら凡夫たちまちに釈尊と功徳等し″
 大聖人は仰せである。
 「我等具縛ぐばくの凡夫忽に教主釈尊と功徳ひとし彼の功徳を全体うけとる故なり、経に云く「如我等無異」等云云、法華経を心得る者は釈尊と斉等さいとうなりと申す文なり
 ──我ら煩悩に縛られた凡夫が、たちまちに教主釈尊と功徳が等しくなるのである。それは、凡夫が釈尊の功徳の全体を受け取るからである。法華経(方便品)には「我がごとく等しくしてことなること無からしめん」(自分<仏>とまったく等しい境界へ一切衆生を導こう)と説かれている。これは、法華経を心得る者(信じ行ずる人)は、釈尊と等しいという経文である──と。
 人間を、民衆を、尊極の仏とまったく平等な、自由自在の福徳の大境界へと高めていく。すべて「平等」の方向へ、仏と衆生の「一体」の方向へと導いていく──。これが法華経の精神である。御本仏の大慈悲である。
 これに対し、権威によって人間を奴隷にし、従わせ、利用しようとするのが、宗教の常であり、歴史の現実であった。
 宗教の宿命ともいうべきその″転倒″″悪逆″を、根本的に打ち破られたのが大聖人であられた。私どもは、どこまでも大聖人の仰せ通りに進んでいきたい。
16  「佐渡御書」に「強敵を伏して始て力士をしる」──強敵を倒して、はじめて力士(力ある士)と知ることができる──と説かれている。
 また「如説修行抄」には、「一期を過ぐる事程も無ければいかに強敵重なるとも・ゆめゆめ退する心なかれ恐るる心なかれ」──一生は、つかの間に過ぎ去ってしまう。ゆえに、いかに強敵が重なろうとも、ゆめゆめ退する心があってはならない。恐れる心があってはならない──と。
 憶病は伝染する。そして勇気も伝染する。何ものも恐れず、進みまた進む──これが学会精神である。
 「一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」──一生を空しく過ごして、万年に悔いることがあってはならない──である。この一年、私は十年、百年分の価値を生む戦いを繰り広げる決心でいる。皆さまも私とともに、かけがえのないこの″時″を、悔いない充実の前進で飾っていただきたい。
17  宗門の先師は学会創立者を賛嘆
 昭和二十一年(一九四六年)十一月十七日、牧口先生の三回忌法要が行われた。以前にも紹介したが、席上、日亨上人は「牧口会長は、信者の身でありながら、通俗の僧分にも超越して」云々と牧口先生を最大に宣揚された。
 格好ではない、何をしたかである。殉教(じゅんきょう)の牧口先生は、まさに「僧侶以上」であられた、と。
 また日淳にちじゅん上人は、この時、「牧口先生は、価値というものを研究されて、南無妙法蓮華経を体得された、稀有けうのかたであります」と、牧口先生を偲び、たたえられた。そして翌年の創価学会第二回総会では「生来せいらい仏の使であられた先生」と、称賛されている。
 入信以前から、もともと「仏の使い」であったと。その不思議な牧口先生の後継が私どもなのである。
 さらに日淳上人は「法華によって初めて一変された先生でなく、生来仏の使であられた先生が、法華によって開顕かいけんし、その面目を発揚はつようなされたのだと、深く考へさせられるのであります。そうして先生の姿にいひしれぬ尊厳さを感ずるものであります」と述べられている。
 さらに日達上人も、この法要の折、「牧口先生のこころざしいで、われわれ同志は、立宗の教義を深め、ますます広く流布し」云々と、学会員に呼びかけられた。
 「われわれ同志」──僧俗の間に、何のへだてもないお言葉であられる。
 このように宗門の御先師は皆、牧口先生を、学会を最大に賛嘆しておられた。師の言うことに従うのが弟子の道ではないのだろうか。
18  この三回忌法要に引き続いて行われた「創価学会第一回総会」で、戸田先生は次のように師子吼ししくなされた。
 「われらが恩師牧口先生は、法のため、人のため、世のために、法難にあわれ、三世の諸仏の称嘆しょうたんしたもうところである。いま、この人を悪口するものは、妙法に悪口するもので、その大罰は恐るべく、その人やあわれむべきである。
 わが学会を悪口するものは、妙法使徒の集団を悪口するもので、現罰なくしてなんとしよう。人々よ、よくこれらの人々の今後の生活を見たまえ。また、妙法を純真に信仰するものの受ける、不可思議の一大功徳も、また刮目かつもくしてみな見るべきである。
 われわれは、かく宣言するものである」
 この大確信の宣言が学会の「第一回総会」であった。信ずれば″功徳″はすごい、悪口すれば″罰″も間違いない──一方だけなどという道理はない。仏勅ぶっちょくの団体・学会には、それだけの妙法の力が充満しているのである。
 私どもは再び、この大確信で、偉大なる牧口先生、戸田先生の弟子として、御本仏の御照覧ごしょうらんに包まれ、堂々と胸を張って進んでまいりたい。
19  昭和二十七年(一九五二年)。ちょうど四十年前の一月、戸田先生は、こうまれた。
 「いざかん 月氏がっしはてまで 妙法を ひろむる旅に 心勇みて」
 月氏とはインド。その名の通り、インドの月は、神々しいばかりに美しい。
 かつてインドを訪れた時(一九七九年)のこと。二月十一日の夕刻であった。「きょうは戸田先生のお誕生日だ」──ガンジスのほとりに立って、私は先生を偲び空を仰いだ。
 西天に、黄金の光の名月が浮かんでいた。光は、ガンジスの川面にも、淡いあけの色を流していた。歴史の国。永遠の月光。悠久の大河。忘れ得ぬ光景である。
 戸田先生は、一度も海外に出られなかった。その分、私が戸田先生の名代の心で、世界を回った。「月氏の国」にも、「太陽の仏法」を伝えた。
 どこまでも、恩師の遺命のままに、どこまでも「戸田先生の弟子」として、私は生き抜いてきた。これからも生き抜いていく。
 さあ、いよいよ、世界である。新舞台である。牧口先生、戸田先生の後継として、私どもは、いよいよ心勇みて、世界へ、また世界へと流れをつくり、歩みを運び、黄金の歴史をつくってまいりたい。
20  信頼と安心の広がりで、仏法も広がる
 最後に、本日、全国の中継会場で多くの記念の集いが行われている。おめでとう、ご苦労様です!。
 さらに、東京の三宅島、広島の江田島、岡山の北木島、直島なおしま(香川県)の各島で、鹿児島では屋久島・喜界島に続いて与論島でも、音声による同時中継が行われている。個人会場などをお借りしての開催とのこと。いつも、ありがとうございます。本年もお世話になります。
 個人のお宅で会合を開く場合、特に幹部の皆さまは、会場提供者のご家族をはじめ、皆に礼儀正しく、さわやかに接していただきたい。″あの人は、感じがいいな。いつも温かみがあるな″という安心感、信頼感の広がりが、地域広布の発展にもつながっていくのである。
 「信心」といっても「振る舞い」にこそ現れる。厳しい。しかし、だからこそ修行であり、人間革命できるのである。
21  「創価の時代」の幕は上がった!
 (ここで、杉並・中野の青年部合唱団が「美しい夜明け」「オー・ハッピー・デー」を、さわやかに熱唱。さらに参加者全員で、新出発の決意を込め、「広布に走れ」を大合唱)
 素晴らしい!見事なコーラス、独唱、演奏でした。
 さすがは杉並、中野である。今までは、下町に比べて″感激がない″とか、″理屈っぽくて、どこか学会らしくない″とか、言っている人もいたようだが、とんでもない。やはり、東京の山の手。品格があり、文化の薫りがある。最高の合唱・演奏でした。大成功の総会、おめでとう!
 きょうの聖教新聞では、ロシア・モスクワ支部の準備委員会のことが報じられた。これからも、世界各国の希望あふれるニュースが、次々に発表される予定である。楽しみにしていていただきたい。
 創価の舞台は″世界″である。道は大きく開かれている。世界中の人々が、仏法を基調にした学会の平和・文化・教育の運動を支持している。
 広布に走る学会員を、三世十方の仏・菩薩が、梵天・帝釈が、賛嘆している。何より大聖人が、すべて御覧くださっている──この強き確信、大安心の境涯で生き抜いていただきたい。
 世界の友は、皆さまを待っている。きょう参加された全員が″将来、悠々と海外交流の旅へ″を、一つの目標として、楽しく進んでいきましょう。きょうは本当に、ありがとう!

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