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日蓮大聖人・池田大作

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婦人部幹部会、文化音楽祭 ついに来た!創価の共の「自由」は満開

1991.12.14 スピーチ(1991.10〜)(池田大作全集第79巻)

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2  「如来秘密神通之力」──仏法は開かれた幸福の法
 さて、私どもが朝夕の勤行で読誦ている法華経の「如来寿量品第十六」の文について少々、述べたい。
 寿量品の中に、「如来秘密。神通之力」(開結四九六㌻)とある。「如来の秘密神通の力」と読む。
 「如来」すなわち「仏」のもつ「秘密」にして「神通」の力とは一体、何であるのか。
 先日も少々、論じたが(十一月十八日、「創立の日」記念SGI代表勤行会)、大聖人は「御義口伝」で次のように仰せである。
 「今日蓮等の類いの意は即身成仏と開覚するを如来秘密神通之力とは云うなり、成仏するより外の神通と秘密とは之れ無きなり、此の無作の三身をば一字を以て得たり所謂信の一字なり、つて経に云く「我等当信受仏語」と信受の二字に意を留む可きなり
 ──今、日蓮(大聖人)およびその門下の元意は、即身成仏(凡夫の身そのままで成仏できる仏の当体である)と開き覚ることを「如来の秘密神通の力」というのである。成仏すること以外に「神通」も「秘密」もないのである。この無作の三身(本来、ありのままの仏の生命、智慧、慈悲の姿)をただ一字をもって得ることができたのである。いわゆる「信」の一字である。ゆえに経文(寿量品)に「我等まさに仏のみことを信受したてまつるべし」(私たちは必ずや仏のお言葉を信受するでありましょう)とある。この「信受」の二字に心を留めるべきである──と。
 「秘密」といい、「神通」といっても、「即身成仏」すなわち、この人生で、このありのままの自分が絶対的幸福を得ること以外にないのだとの御断言であられる。仏法にはそれ以外に、何か特別な神秘的なものがあるのではない。
3  いわんや、神秘めかした格好で民衆の「幸福」を破壊するような聖職者は、断じて大聖人の仏法とは″無関係″なのである。大聖人御自身も″民衆をあざむく神秘主義″と敢然と戦われた。絶対にだまされてはならない。
 「仏語を信受」と経文にあるように、私どもは「仏」のお言葉、御本仏・大聖人の御書を信じている。どこまでも「大聖人根本」であって、途中の人師・論師が、明らかに大聖人に背く言動を始めたら、絶対に従うわけにはいかない。
 だれが、どんなまやかし、トリックを持ち出しても、事実のうえで、大聖人の仏法を曲げようとしていることは万人の目に明らかである。すべては、そうした自己の堕落と謗法を隠し、ごまかし、正当化しようという邪智にすぎないことを、賢明に見破っていただきたい。自分のため、ご一家のために。
 仏法は決して、いわゆる「神秘主義」ではない。「道理」の法である。なかんずく大聖人の仏法は「信」を置くに足る「法」が根本である。「御本尊根本」「御書根本」という、無二の信心にこそ一切の人々の幸福の因が含まれていると仰(おお)せなのである。
4  「幸福」になるための仏法である。民衆が「歓喜」の生命を、はつらつと発現しゆくための宗教である。
 きょうも初めに「皆さまがお元気でうれしい」と申し上げたが、皆が幸せになり、歓喜に満ちて広宣流布にまい進している、この学会の姿にこそ仏法の精神は脈動している。学会員お一人お一人はまさに「仏使」である。大聖人も日興上人も必ずやお喜びくださっていると確信する。
 その尊い学会員をいじめ、不思議なる学会を壊そうとするのは、仏敵であり天魔である。恐れる必要はない。御書に仰せの通り、決然と堂々と打ち破っていきたい。
5  信義と友情は太平洋を超えて
 先日(十二月十一日)、私はコロンビア大使館を訪れ、近く任期を終えて離日されるドゥケ大使と懇談した。同大使は、高潔な人柄で本国からの信任も厚く、日本とコロンビアの友好促進に大きく寄与してこられた方である。そして私も、私の立場で、両国の交流に尽くしてきたつもりである。
 (名誉会長は一九八九年、コロンビアのバルコ大統領(当時)と日本で会談した際に、「コロンビア共和国功労大十字勲章」を受章している。同勲章は、名誉会長の平和・文化・教育への貢献をたたえて贈られたもの。
 名誉会長はこれまで、コロンビアとの数々の文化・教育交流を推進してきた。一九九〇年、同国の黄金博物館等の協力による「コロンビア大黄金展」が東京富士美術館で開催。四月のオープニングにはバルコ大統領夫人が出席した。一九八八年には、民音の招へいでコロンビアの「国立民族舞踊団」が来日公演。また創価大学を通じた交流も進められ、本年五月にはドゥケ大使が「現実と未来に挑戦する国──コロンビア」と題して創価大学で講演を行った。さらに名誉会長は、本年六月、現在、駐英大使を務めるバルコ前大統領とロンドンで会見した)
 また、バルコ前大統領ならびにドゥケ大使から、コロンビア共和国のサンタンデル初代大統領の事跡や自伝、日記などを集大成した「記念全集」が贈られた。これは最終的には百巻を超える大作となるもので、創価大学に置かれ、創大の重宝として大切に保管されることになっている。
 私には、こうした深い友情と信頼で結ばれた″親友″が世界中にいる。いかに国を隔て、離れていても、いかなる状況にあろうとも、「心」は通じる。「誠実の人」には「誠実の心」がわかる。形や立場ではない。距離でもない。「心こそ大切」なのである。そして「友情の道」「文化の道」が開けてこそ、仏法の精神が世界へと広がっていく。
 その意味で、私たちが地域で信頼を広げ、誠意と真心で友好活動を推進していることこそ、「広宣流布」の正しき前進であると確信していきたい。
6  コロンビア建国の英雄「迫害は最高の名誉」
 コロンビア共和国の建国の英雄・サンタンデル将軍(一七九二〜一八四〇年)については、以前にも少々お話しした(七月二十五日、関西会・長野の代表研修会、全集第77巻収録)。
 本日は、両国を結ぶ太平洋のごとき「永遠の友情」を念願しつつ、改めて紹介したい。明年は、サンタンデル将軍の生誕から二百周年を迎える。誕生日は四月二日。この日は戸田先生の命日であり、私どもにとり、大変に意義深い日である。
 また明年は、コロンブスがアメリカ大陸に到達してから五百周年にも当たっており、コロンブスの名を冠したコロンビアにとって幾重にも意義ある年である。なおコロンブスの五百周年に関連し、私も、数カ国から招へいをいただいている。
 サンタンデル将軍は″約束を守る人″であった。彼は、大統領就任式において、このように言い切った。
 「私は決してから約束はしないし、した約束は裏切らない」
 約束を破らない人、信義を裏切らない人は、偉大である。「裏切り」は人間として最低の行為である。まして、人々を導く立場にある者が、自身の欲望や保身のためにウソや偽りで人々をだまし、尊敬を裏切ることは、重大な罪となる。
 この点、ドゥケ大使も、約束したことを必ず実行する″信義の人″であった。例えば皆さまもご存じのように、東京富士美術館の「コロンビア大黄金展」では、世界最大級のエメラルド(結晶原石)が世界初公開された。このコロンビアから門外不出の″国宝″を日本に出展するために、大使は誠意を尽くして努力してくださった。今まで他国からの要請も断ってきたところを、私を信頼されて、実現の運びとなったのである。
 サンタンデル将軍は、約三百年にわたる植民地支配と戦った。
 「同胞を永遠に隷属状態のままで嘆き悲しませてはならない」(一八一九年三月十七日、カサナレにて市民と兵士に)
 これが将軍の大闘争心であった。この慈愛と信念で、愛する祖国の独立を勝ち取ったのである。のちに彼は「勝利を組織した男」とたたえられている。──祖国の民衆を救った偉業を、見事に表現した言葉と思う。
 私もまた、大切な仏子ぶっしを「隷属状態のままで嘆き悲しませてはならない」との決心で、「勝利を組織」してきたつもりである。
7  サンタンデル将軍はその大功績(こうせき)にもかかわらず、周囲の策謀に巻き込まれ、四年間にわたって「追放」される。(一八二八年に一度は「死刑」の宣告を受けるが、財産・地位を奪われたうえで「追放」に減刑される。以後、三二年までヨーロッパで流刑生活を送った)
 しかし将軍は「残酷な迫害は、最高の名誉の称号」と、常に毅然たる態度であった。彼は平然と言い放つ。
 「憎悪と復讐心が私を卑劣な中傷で狙い続けてやまない。(中略)その汚名は決して私に屈辱を与えない。なぜならば、敵には面と向かって名乗り出てくるほどの強さもないし、合法的に私を迫害するのに必要な正当性に欠けるからである」(一八二八年一月十三日)
 堂々と会おうともしない憶病者が何を言おうと関係ないというのである。将軍は「追放」などものともせず、「『民衆の団結』こそが、『自由』のみが座れる席から『横暴』を追放する」と達観していた。
 やがて迫害や策謀を乗り越え、一八三二年、コロンビア共和国(当時のヌエバ・グラナダ共和国)の初代大統領に就任。「自由」と「民主」の確立に、「教育」の興隆に、不朽の足跡を残したのである。
 ──彼は振り返る。「自由がいつも私の心を燃やした。私は、自由のために多大な私財も投げ出した。自由は、不幸の渦中にある私を慰(なぐさ)めてくれた」(一八三一年十一月二十五日、ニューヨークにて、祖国の同胞たちへ)と。
 自身の心の「自由」。民衆が幸福になる「自由」。その「自由」のために戦い、「自由」を勝ち取り、そして「自由」を守り抜いていく──これほど清々しい痛快な人生はないであろう。
 現在、私どもが進める「創価ルネサンス」の大改革こそ、真実の「人間の自由」「生命本源の自由」を勝ち取るための大運動である。民衆の「団結」の力が、正義の声が、権威の「横暴」を追放することは間違いない。
 ゆえに、私どもは堂々と胸を張り、スクラムを組んで、朗らかに、また朗らかに進みましょう!
8  大客殿は「広布祈願の道場」、寄進の功徳は永遠
 先日、正本堂の意義について少々お話しした(十二月八日、第四十九回本部幹部会・埼玉総会)。すると今度は「大客殿のことも知りたい」との要望があった。大切な歴史であるので、ここで簡潔に申し上げておきたい。
 学会が建立、寄進した大客殿の落慶は昭和三十九年(一九六四年)四月──。ちょうど、戸田先生七回忌のことである。
 大客殿建立は先生の遺言であった。亡くなる前、先生は言われていた。
 「大客殿を世界の名産を集めて建立しよう」「ガンジスの砂、カナダの杉などをもって建立しよう。そのときは、東洋の名士を呼んで談合し、日蓮大聖人の仏法を知らしめよう」──と。
 恩師の遺志を実現する。それが弟子の私のすべてであった。また、その通りに実行してきた。事実、大客殿は「世界の名産」を集めて建立した。
 私が″世界の名士″と語り合ってきたのも、ただ恩師の広宣流布の構想を実現するためである。御書に仰せの通り、正法守護の諸天善神たる梵天・帝釈を動かすためである。
 広布のため、正法興隆のため──それ以外、私には何もない。
9  大客殿を荘厳した「世界の名産」は、例えば、次のようなものである。
 中央階段の手すりはイタリアの大理石。天井はカナダの杉。須弥壇の石は「スウェーデン産のみかげ石」。──これが高価なものであることは、皆さまもご存じの通りである。またシャンデリアはウィーンで購入したチェコスロバキア製──。いずれも当時の最高級の品である。(シャンデリアについては、昨年、取り外され、名誉会長の発願により、新たに天蓋が設置されている)
 ともあれ、これらの銘材購入のために、私は自ら、南北アメリカ、東南アジア、ヨーロッパ、中近東など合計二十二カ国を歴訪した。
 また、大客殿の御本尊の真下に置かれた礎石には、四十六カ国の″世界の石″が厳然と埋められている。このうち、二十二カ国の石は、私が訪問した国々で、自ら拾い集めたものである。その中には、ガンジス川の砂、ピラミッドの石の小片、ローマの遺跡の大理石のかけらも入っている。(「ガンジス川の砂」とは、経文には「恒河沙」と表現されている(恒河はガンジス川、沙は砂のこと)。これは、法華経の従地涌出品に出現する六万恒河沙の「地涌の菩薩」の意義を想起させる)
 そのほか、私が行けなかった国の石は、世界中におられる同志の方々が集めてくださった。南極の石をはじめ、世界六大陸の石がすべて入っている。
 一つ一つ、どれほど辛労を尽くし、手を尽くして、広宣流布の万年の基礎をつくってきたか。歴史の真実の証言として、語り残しておきたい。
 大客殿が建立されたのは、「東西冷戦」の最も厳しき時代であった。一九六一年には″ベルリンの壁″建造、六二年には″キューバ危機″が勃発。そして落慶の年、六四年にはアメリカがベトナム戦争に軍事介入している。
 いわば「戦争」と「対立」の暗雲が、地上を覆っていた。石の収集も、決して容易ではなかった。その多難の渦中に、世界平和への願いを込め、″世界の石″を埋納したのである。
 落慶法要の折、あいさつされた当時の柿沼総監(故人)はこう述べられている。
 「池田先生が各国の代表的な資材を集めて用いられましたのは、これからここをたずねるであろうところの国賓に対し、下種結縁をして、仏縁を結ばしめて折伏逆化ぎゃっけをしようという、先生の大慈悲のあらわれであると私は申し上げたいのでございます」
 正面階段の左側壁面には、「世界の石」と題した銘板がある。
 そこには、「この大客殿は世界平和を祈願する殿堂である。願主 創価学会会長 池田大作 世界各国を歴訪し収集した石を、御本尊御安置の真下の礎石の中に収めた。その国は下の四十六カ国である」と。そして、四十六カ国・地域の国名が列挙され、英訳が続いている。
10  世界広宣流布を願っての大客殿建立から二十七年。この間、世界広布の″せせらぎ″は、今や壮大なる″大河″となった。
 ちなみに、今年六月のルクセンブルク訪問によって、私の海外訪問は、ちょうど四十六カ国・地域となった。先ほど紹介した大客殿の「世界の石」の国数(四十六)と同じである。
 そして今年も、私は世界各国の各界指導者と親しくお会いした。現在、その方々の国の数もまた、一年間で同じ四十六カ国・地域となっている。
 私どもの目的は、仏勅の「一閻浮提広宣流布」。舞台は「世界」である。人類が、民衆が心待ちに待っている。その尊い学会の前進を、何ものによっても束縛され、邪魔される必要はない。されてもならない。
 「道」は私が開いた。これからも開いていく。明年も各国を訪問する。今までの「十倍」の開拓作業をしていく決心である。
 どうか、皆さまも、世界を「我が舞台」として、心広々と、大聖人の仰せ通りの誉れの道を、ともに進んでいただきたい。
11  日達上人「創価学会員は地涌の菩薩」と
 さて、日達上人は、落慶大法要(昭和三十九年四月一日)の慶讃文の中で、大客殿の意義をこう述べられている。
 「此の客殿は、外には信徒が集合し本仏日蓮大聖人に目通りの殿堂なり。依て古来より客殿の奥深く戒壇の本尊を蔵し奉るに故あるかな。又、内には歴代の法主二祖日興上人の御遺訓をかしこみて、広宣流布の祈願の為に丑寅うしとら勤行怠慢なく修行せし道場なり」
 さらに日達上人は、「今まさに広宣流布の時きたれるか。創価学会の出現して此処ここに三十年。折伏未(いま)だ日浅きに信徒すでに四百万世帯を越せり。誠に地涌千界じゆせんがいの菩薩今世に久遠下種(くおんげしゅ)の仏法を興行こうぎょう(盛んに行ずる)すると云ふべし」と仰せになられた。
 深い御慈愛の、また重大な意義あるお言葉である。すなわち、創価学会員は″地涌千界の菩薩″であると。そして、その地涌の菩薩が″今世に久遠下種の仏法を盛んに行じている″と御称賛くださっている。
 私ども創価学会員は、久遠元初に仏勅を受けて、尽未来際までの妙法流布を誓った、宿縁厚き使命の菩薩である。永遠に末法の御本仏・日蓮大聖人直結の「仏使」である。この私どもを、いったい、だれが「破門」などできようか。今世のことであっても、親子の縁は″切っても切れない″。いわんや、仏法の永遠の縁を切れるはずがない。
 もし、切ったり、破門したりできると考えるなら、御書も、先師のお言葉もきちんと拝したことがない証拠であろう。
12  また日達上人は、昭和三十七年五月三日、私の会長就任二周年に当たる創価学会第二十四回総会の席上、大客殿について、次のように御講演くださっている。
 「(大客殿は)僧俗男女、貴賎貧富を問わず、一堂に集まって異体同心に南無妙法蓮華経を唱える所でございます。
 今回の設計を見ますと、はからずも、客殿全体の形が御本尊様のお厨子ずしのような形をしております。そうすると、私どもが客殿に集まって、南無妙法蓮華経を唱える姿は、御本尊様の為体ていたらくその姿となるのでございます。
 まことに客殿も、その中に集まる人も、大聖人様の『阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房』の金言のとおり、常寂光土の姿でございます」
 大客殿に集う人は、すべて「平等」であり、「尊厳」な存在であると。現宗門は、この尊き「会座」を閉ざし破壊した。その大罪は永遠に忘れることはできない。何より御本仏が許されるはずがない。
 ともあれ広宣流布への甚深(じんじん)の意義ある大客殿を建立、寄進したのは学会である。皆さまである。その「御供養」の「功徳」は、学会にあり、総じて現在・未来の学会員に通じていることを確信していただきたい。
 (法主の日顕は、平成七年十一月、大客殿の解体を強行した。学会員の赤誠を踏みにじったのみならず、学会という仏意仏勅の団体を壊滅しようとした。日顕の嫉妬に狂った大罪は、仏法の眼から見れば、永遠に消えることはない)
13  ブラジルの人権の闘士アタイデ氏
 さて、聖教新聞でも報道されていたように、明年、ブラジルのサンパウロで、私の撮影した写真展が開かれることになった(一月二十二日から二月十六日まで)。海外での開催は、これで八都市目。光栄なことである。
 今回の写真展の名誉実行委員には、ブラジルを代表する八人の文化人の方々に、就任していただいている。先日、その一人であるアタイデ氏に、青年部の代表がインタビューする機会があった。その内容について報告をいただいたので、ご紹介したい。
 インタビューの際、アタイデ氏は、私に著書を贈りたいと、献辞をしたため託してくださった。そこには、私のことを「現代における日本文化の最高の名士」とまで書かれていた。過分なお言葉であり、恐縮しているが、同氏の温かい友情に、深く感動した。
 アタイデ氏は、現在九十三歳。″ブラジルの良心″″南米の良識″とも呼ばれる、最高峰の文化人である。
 インタビューによれば、今なお、一日に十六時間は働き、この七十年間、一日も休まず、新聞にコラムを書き続けておられるという。そして、必要であれば、どこへでも出向いて行ってスピーチをされる。驚くべきバイタリティーである。
 またアタイデ氏は、一九四八年、第三回国連総会で採択された「世界人権宣言」の推進者の一人。大切な歴史の生き証人であられる。そして″人権の闘士″としての不滅の足跡は、世界的に知られている。
 (ヒトラーが独裁政権を握るなど、ファシズムが台頭してきた一九三〇年代、ブラジルでも、憲法を無視した一人の独裁者・バルガスによって、多くの民衆が抑圧され苦しめられていた。その時に、敢然と独裁に挑み、護憲革命運動を推進した一人がアタイデ氏であった。しかし、弾圧の魔の手は容赦なく襲いかかり、陰謀によって訴えられたアタイデ氏は、ついに投獄。十五日間、拘留されたあと、三年間にわたって国外追放に処され、各地を転々とした)
14  「権力との戦いで人は強くなる」
 アタイデ氏はインタビューのなかで、こう語っておられたという。
 「安直な日常の状態では、人間の力は育成されない。民衆を圧迫する権力との戦いを経験する以外に、人間自身が、真に強くなる方法はない。
 その苦境のなかで、いかに自分自身を磨いていくか。そこに、権力との闘争に打ち勝つ、人間としての力が培われていく」
 「権力との戦いは、黙っていては、勝つことはできない。黙っていれば、民衆は、いつしか権力者の側にだまされ、いいように利用されるだけである。人権も、人間の尊厳も、黙っていては権力に屈服してしまう。
 ゆえに、叫ばねばならない。権力に対する民主の勢力は、絶対に黙っていてはならない。真の自由と幸福を得るためには、力を尽くして戦うことだ。権力との戦いは、ある意味で永遠である。どこまでもどこまでも戦い抜かねばならない」と。
 権力の魔手(ましゅ)は、黒い策謀と悪意。民衆の武器は「声」と「言葉」である。自由を守るための戦いに、何を遠慮する必要があろうか。
 叫ばねば戦いではない。戦わねば幸福にはなれない。立つべき時に立ち、叫び切ることが、人間としての証なのである。
15  また、こうも述べておられたという。
 「何より、民衆に『事実』を知らせることが大切だ。それは民衆の権利である。我々は、事実を訴え抜いていかねばならない。事実、実態をわかってこそ、正邪を見極めることができるからだ」
 その通りだと、私も思う。真実を真実として、事実を事実として言える世界。学会員一人一人が、魂の自由を謳歌できる世界──。その幸福の時代をつくるために、私は時を待った。時をつくった。
 しゃべるなと言われても、書くことができる。書くなと言われれば、音楽を弾いてでも激励できる。また、あらゆる角度からのスピーチで、正邪を見わける力を皆に与えることもできる。どんな立場になろうと、私は私である。どんな圧迫があろうとも、私は愛する学会員のために働き続ける。それが、この十数年間の私の決意であり、戦いであった。
 そして今や、世界中に、学会同志の「真実」と「正義」の声は、堂々と響きわたっている。まさに″時はきたり!″。創価の友の「自由」は満開である。
16  またアタイデ氏は、独裁者の性格について、鋭く分析しておられる。
 「すべての権力者は、必ず堕落する。手に入れる権力が大きければ大きいほど、その堕落も大きい。独裁者は、その権力の目的を正当化するために″仲間づくり″をするものだ」
 悪の″仲間づくり″は、独裁者自らが、最大の″憶病者″であることの裏返しであろう。皆さまもよくご存じの、民衆への反逆者たちは、反逆者同士で″憶病者″の仲間をつくっているようである。
 「しかし、その仲間の目的にも、だんだん違いが生じてきて分裂し、やがて独裁者は、孤独になる運命にある。ブラジルの独裁者・バルガスも、結局、最後は孤独な姿で、自殺の道を選んだ」
 ヒトラーも自殺、イタリアのファシスト・ムッソリーニは銃殺刑。歴史の目から見るとき、独裁者の末路は、あまりに哀れである。
17  宗教の独善性が人間を奴隷に
 さらにアタイデ氏は、″宗教の権威″を、人間の敵として、厳しく弾劾しておられる。
 「聖職者という宗教的権力者は、宗教のドグマ性(たとえ事実に反しても教義を押し通すこと)によって、人間を精神的に逮捕したい、また奴隷にしたいと考えている。そしてドグマの道から離れようとすると″異端″だと決めつける」
 今で言えば、誤りを指摘する人に対し、″謗法だ″とか、″地獄に堕ちるぞ″″破門だぞ″などと脅迫することであろうか。
 「ドグマに従うことは人生の視野を狭くするだけである。独善や権威は、無限であるはずの、人間の知性に、有限の黒い壁を造ってしまう。要するに、人間の創造的知性を全部、打ち砕いてしまうのである。
 それはなぜか。『宗教的権威への盲従』は、人間の堕落であり、惰性であり、怠け根性である。狂信的に従うことは、自分の意見を失い、ついには人間でなくなってしまうことだからだ」
 「ブラジルのことわざに『権威主義は母となり、師となる』とある。
 これは一種の皮肉である。つまり権威主義というものは、(わがままな)母のように、すべての愛情を欲しがり、(わがままな)師のように、すべてを意のままに従わせたいのだという意味である。しかし、本来、人間は、権威を否定する『改革者』なのである」と。
 創価学会は、宗教の悪(あ)しき権威を一切否定する。これが、初代・二代会長以来の信念である。
 何より、最高にして根本的な「改革者」であられた大聖人の御精神も、ここに脈々と流れていることを強く確信する。
 そしてこれこそ、人間が最も人間らしく、正しく生きる道であると宣言しておきたい。
18  またアタイデ氏は、「破門」について、次のように語っておられる。
 「宗教のドグマに反対したために追放されたとしても、なんら恐れることはない。
 私は『破門』という言葉ほどいなものはない。破門と聞くと、怒りが込み上げてくる。破門は一つの価値も生むことはない。
 もし、神の名を利用して″地獄に堕ちる″と言うなら、その宗教はもはや正しい宗教ではない。神に人を救う力があるなら、神は人を助けるはずだ。決して地獄に堕としたりはしない。仏に慈悲があるなら、人を救うはずではないのか。
 仏の名を借り、私物化するものがいるとすれば、それはもはや正しい宗教ではなくなってしまった証拠ではないか」──と。
 さらに、九十三歳という高齢になっても、休まず戦い続ける同氏に、その「精神」について尋ねたところ、「大事なのは、自分の決意の深さである。自分が決めた仕事を最後まで果たすことである。『世界人権宣言』についても、私は最後の最後まで信念を貫いた」と答えておられたという。
 ″私には誇りがある。私は勝利者である″との心の鼓動が聞こえてくる。
 いかなる世界であれ、最後まで戦い続けた人が「最後の勝利」を手にする。その原動力は、不屈の「決意」「責任感」であると、氏は結論されている。
 皆さまもまた、最後の最後に「私は世界幸福だ」「我が家は世界幸福だ」と誇れる勝利の人生であっていただきたい。
19  勇気ある叫びが「正義」を証明
 結びに、先日に続いて、トルコのことわざを紹介しておきたい。
 友情についてトルコでは、「友情の真偽は暗い日にわかる」という。
 ──自分の利益のためにだけ人を利用し、都合が悪くなると「無関係」と言うのは、人間として最低の行為であると私どもは断ずる。
 また、「うそをついたら他人になる」ということわざもある。
 ──確かに、ウソ、またウソで私どもをだまし、脅かし、策略をめぐらした悪人たちは、学会とは「赤の他人」であったほうがよい。それで自分たちから、学会とは「無関係」、すなわち広宣流布とも「無関係」と告白した。
 さらに、「勇気の前には、運命さえ頭を下げる」ということわざもある。
 今回の問題も、学会は「勇気」を出したがゆえに勝ったのである。勇気をもって真実を語ったがゆえに、悪の謀略が暴かれ、正義が証明された。この誉れは、広布史に永遠に輝くにちがいない。
 最後に、皆さまの「一家和楽」、そして皆さまと組織の方々の「健康」と「和楽」を心から念願しスピーチを終わります。東京の王者、万歳!世界一の婦人部、万歳!

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