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日蓮大聖人・池田大作

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本部幹部会・埼玉総会 創価の栄光城は妙法と共に永遠

1991.12.8 スピーチ(1991.10〜)(池田大作全集第79巻)

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2  昨日(十二月七日)、私は、トルコのアルク大使と会談した。同大使は、私の″親友″であると同時に、私どもSGI(創価学会インタナショナル)の推進する、仏法を基調とした「平和・文化・教育」の活動に賛同され、人類のために同じこころざしで進む、いわば″同志″とさえ尊敬している方である。私には、こうした″親友″″同志″が、あの地にも、この地にも、世界中に、たくさんいる。アルク大使とは、ひとまずの別れを惜しみつつ、語り合った。(アルク大使は任期を終え、まもなく帰国の予定)
3  そこできょうは、まず、「トルコのことわざ」を紹介したい。
 その一つに、「人民の投げた石は、はるか遠くまでとどく」とある。
 これは″民衆の抵抗の力はあなどれない″ことをたとえたものである。
 トルコを長く支配した、あの強大なオスマン帝国(一二九九〜一九二二年、最盛期にはアジア、アフリカ、ヨーロッパにまたがる広大な地域を領有した)も、民衆の抵抗によって衰退を早め、結局、民衆に支援された「トルコ革命」に倒された。これは歴史の事実である。また法則である。いかなる権威・権力も、立ち上がった「民衆の力」にはかなわない。
 またトルコには、「真理の言葉の前では、奔流ほんりゅうでさえ、ひびきを止める」という、ことわざもある。
 真理の一言は、逆巻さかまくような激流をも静かにさせてしまう──たとえ、百万言のウソ、偽りをまきちらそうとも、″真実の言葉″にあえば、はかなく消える。ゆえに賢く「真実」を見抜くことである。勇気をもって「真実」を語ることである。
 さらに──これは十五世紀にさかのぼるトルコのことわざというが──「有力者は誤りをおかさぬ(と言われる)。しかしひとたび彼らがそれをおかせば、その結果は重大である。有力者はろうのようにやわらかな心をもたねばならない」と。
 かたくなで、人の言うことを聞けない人は、本当の指導者ではない。そういう人についていってしまうことは、あまりにも怖い結果となる──。
 長い歴史がつちかった「知恵」の言葉である。現代の私たちにとっても、大切な示唆を含んでいると思い、幾つか紹介させていただいた。
4  またトルコ革命のリーダーで「建国の父」、ケマル・アタチュルク大統領(一八八一〜一九三八年)については、世界的に有名であり、私も何度か、お話しした。
 この大指導者の言葉を二つ、紹介しておきたい。
 「誠実さは、言語をもたない。それは言葉にならないものである。誠実さは、その人の瞳と、ものごしの中に読み取ることができる」
 どんな、うまい言葉よりも、「目」を見ればわかる。「顔つき」と「振る舞い」を見れば、その人が誠実かどうかは明らかだというのである。多くの経験をしてきた私どもには、何の説明もいらないであろう。
 また「私にとって、独裁者とは、他の人を自分の意志に屈服させようとする者のことである。私は、民衆の心を踏みにじることによってではなく、民衆の心をつかむことによって国を治めたい」
 あらゆる指導者が、心すべき名言であると思う。また、現宗門と学会のいき方のコントラストを、まことに鮮やかに照らし出す言葉でもある。
5  学会員は宿福深厚の菩薩
 さて、法華経の妙荘厳王本事品第二十七に、「我等宿福深厚にして、仏法に生まれえり」(開結六五三㌻)──(浄蔵じょうぞう浄眼じょうげんの二子が父母の妙荘厳王と浄徳じょうとく夫人に言うには)私たちは宿福(過去世から積んできた福徳)が深く厚かったので、この世に生を受けて、あいがたき仏法にめぐりあうことができました──との経文がある。
 仏法に巡りあう──それは偶然ではなく、過去世からの福徳によるのであると。
 私どもでいえば、今世で学会員に出あって折伏された。信心をした。そう見えるかもしれない。しかし、それは、ひとつのえんであって、本当の因は、さらに過去にある。もともと大変な仏道修行をしてきた″宿福深厚の人″なのである。
 大聖人は、この経文について、より深く、「御義口伝」に仰せである。
 「此の文は一句妙法に結縁すれば億劫にも失せずして大乗無価の宝珠を研き顕すを生値仏法と云うなり所謂南無妙法蓮華経の仏法なり
 ──この文(「宿福深厚生値仏法」)は、たとえ一句でも妙法に縁を結ぶならば、その宿福は億劫という計り知れない長遠な年月の間にも、決して失われることはない。そして、大乗教の究極である無上に高価な宝珠、すなわち衆生の胸中にある仏の尊極の生命を磨き顕していくことができる。これを「仏法に生まれえり」というのであり、その「仏法」とは南無妙法蓮華経の仏法なのである──と。
 少しでも妙法に結縁するならば、その福徳は永遠に消えることはない。
 ゆえに、御本尊を信受し、広宣流布に戦っている信徒に対して、もしも「地獄にちる」等と脅かす聖職者がいたとしたら、御本仏の御心みこころへの重大な反逆となる。
 そもそも、大聖人は「地獄即寂光じゃっこう」と説かれた。また「無間地獄の道をふさぎぬ」と仰せになられた。
 だれひとり地獄に堕としたくない、一切衆生を仏に、地獄さえも寂光に──それが御本仏の大慈大悲であられた。
 この御心を拝す時、衣の権威で人を脅迫すること自体が「反仏法」であり「反大聖人」である。実践がないから、本当の仏法がわかっていない証拠でもあろう。
6  そういえば先日、宗門から「破門通告書」が送られてきたが、この「破門」も仏法と何の関係があるのか、さっぱりわからない。破門という言葉は、御書にも法華経にもない。
 しかも「破門」を言うのに、この文書には、ただの一カ所も、経文もなければ、御書もない。何の「文証もんしょう」もなく、ただ居丈高に「ハモン」「ハモン」。そのこと自体が、大聖人の仏法とは無縁の「己義こぎ」であり、いやしい「感情」の産物にすぎないことの証明ではないだろうか。
 「制度化された宗教は魔術となる」と言った学者がいる。真理の重要な側面をついている。トリックに惑わされてはならない。自分の幸福のために、一家のために、人類の未来のために。
7  大聖人の仏法は「下種仏法」である。南無妙法蓮華経に少しでも結縁しただけで、仏種は消えることなく、いつか芽を出す。ゆえに、その大切な仏縁を結ばせる「弘教の人」「実践の人」の福徳も計り知れない。
 例えていえば、ほんの少し放射能を浴びただけでも、体内に残り、異常が出る場合がある。「下種仏法」はその正反対に、「一句でも」仏縁を結ぶならば、その人の胸中には、永久に消えることのない「成仏の種」が確実に植えられるのである。
 新しい″弘教運動″として「会友」あるいは「校友」の拡大が進められることになった。その仏法的意義は「結縁」ということに尽きる。
 大聖人の仏法を少しでも語っていく、友情の縁を結んでいく──。たとえ、その時には相手が信心しなくても、仏種を植えゆく「聞法もんぽう下種」そのものが「折伏」である。相手が発心ほっしんした場合と、まったく変わらぬ偉大な功徳があることを確信していただきたい。
8  私どもは、はるかな過去から妙法と「宿縁」「宿福」深厚の菩薩(ぼさつ)である。大聖人はこう仰せである。
 「此等の大菩薩末法の衆生を利益したもうこと猶魚の水に練れ鳥の天に自在なるが如し、濁悪の衆生此の大士に遇つて仏種を殖うること例せば水精の月に向つて水を生じ孔雀の雷の声を聞いて懐妊するが如し
 ──これらの大菩薩(地涌の菩薩)が末法の衆生を利益されることは、魚が水中を自由に泳ぎ、鳥が天空を自在に飛ぶようなものである。濁悪の末法の衆生が、この菩薩に出会って仏種を植えることは、水晶が月光に照らされると水を生じ、孔雀が雷の音を聞いて懐妊するようなものである──と。
 「地涌の菩薩」が末法の衆生に「仏種」を植え、利益する姿は、まさに自由自在であるとの仰せである。出会った人、縁を結んだ人すべてに利益を受けさせることができる。
 私ども創価学会員こそが、この「地涌の菩薩」に連なっていることは疑いない。皆、偉大なる「仏使ぶっし」である。
 一切衆生に仏種を植えゆく「地涌の菩薩」の尊い使命──それを事実のうえで実行し、行動し、広宣流布の「法戦」として戦ってきたのは、まぎれもなく我が創価学会である。この「仏勅ぶっちょくの団体」を、だれびとも壊すことはできない。壊させてもならない。
 私どもには、永遠に行き詰まりはない。悠々と自由自在に、新たな「広宣流布の道」を開いていける。「素晴らしい人生」を生きていける。これが、学会の本領である。大聖人の仏法の真髄である。
 どうか、「無二の信心」に奮い立ったお一人お一人が、「大いなる力」で、広布と人生の「大いなる道」を開いていただきたい。
 (日有にちう上人は「堂社僧坊は仏法に非ず。又智慧ちえ才覚も仏法に非ず。多人数も仏法に非ず(中略)信心無二にして、筋目すじめを違へず、仏法修行するを仏道修行、広宣流布とは云ふなり」と。形式ではなく、大聖人の仰せ通りの信心の筋目を違えない「無二の信心」にこそ仏法はあると記されている)
9  仏教史上最高の御供養は三世の誉れ
 大聖人は御入滅の一年前、在家の門下・富木常忍に手紙を送られ、その末尾に、こうしるされている。
 「四貫をもちて一閻浮提第一の法華堂造りたりと霊山浄土に御参り候はん時は申しあげさせ給うべし、
 ──「私(富木常忍)は、四貫文のお金を供養して、世界第一の法華堂を造ったのである」と、霊山浄土に行かれた時は、申し上げられるがよい──。
 富木常忍が、四貫文のお金を大聖人に御供養した。大聖人は、それを身延の坊を修繕する費用として用いられて、あなたは「一閻浮提第一の法華堂」(弘安四年十一月に完成した十間四面の身延の大坊を指す)を造ったと誇っていきなさいと仰せなのである。
 四貫文とは、一貫文が千文で、当時、一石すなわち一人が一年間は食べていけるとされた米を買えたという。現在との比較は難しいが、四貫文は数十万から百万円に当たるだろうという説もある。
 ともあれ、大聖人に御供養した信心の功労、信心の歴史は、三世の誉れであり、永遠に胸を張って語っていきなさいと仰せである。
 形ではない。心である。「心」が第一であれば、その「功徳」も第一である。いわんや、私どもは「心」も「形」も、仏教史上に最高の供養をなしてきた。どれほどの大福徳か計り知れない。
10  また、私どもは、根本は″大聖人に御供養した″のであって、僧侶に供養したのではない。
 ある大詩人は「教会は横領する」と弾劾だんがいしたが、大聖人への御供養を私物化し、自らの私腹を肥やし、また正法に背いて占拠するのは、まさに、仏法的には横領であろう。
 ご存じの通り、この身延の″法華堂″も、大聖人御入滅後、民部日向みんぶにこうら師敵対の一派によって、いわば乗っ取られた形になり、身延は大謗法の山になってしまった。日興上人は、やむなく、大聖人の「正義」をただひとり守られて、謗法の山を去り、「広宣流布の新天地」へと旅立たれたのである(正応三年=一二九〇年に大石寺創建)。
 以来、昨秋で、ちょうど七百年。まったく同様のことが起こっていることは、皆さまもご存じの通りである。″日向の末流″ともいうべき悪の一派の策謀によるものであり、まことに残念なことであるが、根本的には、すべて御仏意と拝してまいりたい。
11  日達上人「永久不滅の大功績を宗門一同で称歎」
 かつて日達上人は、正本堂の建立こんりゅうについて、「宗門史上未曾有みぞうにして且つ永久不滅の大功績として宗門一同ひとしく称歎しょうたんするところであります」と述べられた(正本堂建立の発願主ほつがんしゅであり建設委員長であった名誉会長への感謝状。昭和四十七年<一九七二年十月十二日)。
 「未曾有」の、そして「永久不滅」の大功績とのご称賛である。また、「宗門一同等しく」とのお言葉のように、これは当時の宗門″全員″の総意である、と。今、いろいろ言っている人は、皆、その時、宗門にいなかったのだろうか。
 この大偉業の事実は、だれびとが壊そうと思っても壊すことはできない。何百年、何千年たとうが消えることはない。「永久不滅の大功績」と日達上人はたたえてくださった。
 ゆえに、我が学会は未来永遠に胸を張って、「私たちが世界第一の正本堂を大聖人に御供養した。正本堂は私たち民衆の殿堂である」と、言い切っていく資格がある。権利がある。
 (現在の事態は、その「民衆の正本堂」を、ハイジャックか何かのように乗っ取り、横取りし、我がもの顔に居すわる悪人が出現したと見ることができよう)
12  正本堂は「民衆立」の「人類の殿堂」
 昭和四十七年十月一日、晴れやかな正本堂完工式の席上、私は約六千人の参列者(国内外の各界の来賓千数百人を含む)を前に、「正本堂は民衆のための殿堂である」と、はっきり申し上げた。少々長くなるが、ここで再び、この点を確認しておきたい。
 私は大御本尊に御報告申し上げる心で、内外に向け、また未来に向けて、次のように宣言した。
 「まず、この正本堂は八百余万人の人達が心からこれをつくりたい、という念願に燃えて出来上がったものであり、端的にいって、宗教的権威を象徴する殿堂ではなく、民衆のための施設であるという点でございます」
 ″宗教的権威″の殿堂にしてはならない──今日を見すえて明言したつもりである。
 「この正本堂は人類の恒久平和と世界文化の健全なる進歩・発展を祈願する殿堂でありますが、その祈願者は総じてはここへ参拝する人全部、すなわち人種や老若男女を問わず、民衆全体が祈願者でありまして、ここが最大の特徴をなしているのであります」
 「平和」と「文化」と──私は言った通りに何ひとつ変わることなく行動している。気に入らないのであれば、その時に言っていただきたい。
 また、学会だけが世界的に行動することが我慢できないというのなら、自分たちのほうでも超一流の学者等に会って法を説いたらどうだろうか。
 「古今東西を問わず、ふつう参拝者は聖職者から祈願を受けて帰るのでありますが、ここ正本堂は、民衆が猊下げいかとともに祈願をして帰るのであります。真に民衆のための施設であることは、この一点をもっても、ご理解いただけるのではないかと存じます。
 この点において、正本堂は開放された未来の世界宗教にふさわしい殿堂である、と私は信ずるのであります。聖職者から祈念を受けて帰るべきであるとするならば、それよりは私は、無教会主義のほうがより進歩的であり、かつ正しいと考えるものであります。また宗教そのものは建物や形相的荘厳とは違うものであり、したがって、民衆が仏と一体関係下において、能動者として祈願するものでなければ、殿堂は不要である。無殿堂主義のほうが、私はさらに進歩、そしてまた、より正しいと考えるのであります」と。
 ″聖職者中心″なら″無教会″″聖職者なし″のほうがましであると──学会の正義の主張は、まったく変わっていない。予言的だとさえ言う人もいる。
13  正本堂は、一部の人間の自己満足や、一宗のみの繁栄を願って建立されたものではない。あくまでも全人類の平和と文化の発展のため、世界のすべての民衆に開かれた殿堂である。
 もとより、大聖人の仏法に聖職者と信徒の差別などない。あらゆる人々が、皆、大御本尊のもとに平等である。もしも、現在の宗門のように民衆の殿堂を私物化し、″差別の殿堂″にしてしまうのならば、それは大聖人の御心に背くことになる。ゆえに私は、この時、正本堂の意義を明快に語っておいた。
 どこまでも「人間のための宗教」である。そして「民衆のための殿堂」である。この原点は、永久に変わることがない真実であると思うが、いかがだろうか。
 日達上人はこの一カ月後に行われた本部総会で、わざわざ私のこのあいさつを引用され、正本堂の意義の一端を論じてくださった。
 「ある人は祈願所としての正本堂の巨大性をうんぬんしておりますが、このことは正本堂完工式のとき、会長池田先生のあいさつの中に『ここ正本堂は、民衆が猊下とともに祈願をして帰るのであり、真に民衆のための施設である』との意を述べられていることをもって、よく玩味がんみすれば、その巨大なるゆえんを知ることができると思います」
 私どもは、「正本堂は民衆の民衆による民衆のための殿堂である」と、声高らかに永久に訴え続けていきたい。
 正本堂の須弥壇しゅみだんの基底部、すなわち大御本尊の真下の埋納まいのう室には、五つのくすのきの箱が納められている。長期の保存のため、楠の箱はさらに銅の箱に入れられている。
 これは昭和四十七年十月十七日、一連の落成慶祝行事の最後を飾って「記念品埋納大法要」を厳粛に行い、納められたものである。
14  八百万人の「御供養者名簿」が常に大御本尊と共に
 この五つの箱のうち一番目の箱には、同年十月十二日の完成奉告大法要の際、大御本尊の御宝前で奉読された日達上人の「慶讃文」と私の「慶讃の辞」、並びに昭和四十二年十月十二日の建立発願式での日達上人の「願文」と私の「発誓願文」、さらに同四十四年の定礎式での日達上人の「表白文」、同四十六年の躯体くたい完成式での私の「表白」が納められている。
 二番目の箱には、建立発願式の折、日達上人が着された法衣一式。
 三番目の箱には、日達上人より″ぜひとも″とのお話で、発願式の時、私が着用したモーニング(礼服)三つぞろい。
 四番目の箱には、「正本堂御供養者名簿」が納められている。名簿には、御供養に参加された八百万余の方々のお名前が、一人ももれなく書きとどめられている。
 表紙の金文字は、日達上人のお話を受けて、私がしたためさせていただいた。一冊が二千ページで、全百三十三冊である。皆さまのお名前は、こうして大御本尊の真下に、厳然と納められている。
 また私どもは三世永遠にわたる信心の眷属けんぞくである。その意味で、参加された皆さまのお子さんやお孫さんも、さらに、正本堂の御供養以後に入会し、広布のために献身されている方々も、現在・未来の学会員はすべて、この御供養の大福徳に連なっていることを確信していただきたい。
 五番目の箱には、「正本堂落成慶讃大法要参列者署名簿」全二十七冊。第一冊の冒頭には、私が署名し、全部で約五万人の署名が納められている。
 これらの記念品を納めた埋納室は、厳重に密閉され、次に開かれるのは、第一回が、その時からちょうど七百年後、第二回が三千年後、第三回が一万年後となっている。これは正本堂建設委員会で決議し、日達上人のご認可をいただいて、正式に発表したことである。
 こうした事実は、まさしく、私どもが「永遠に大御本尊とともにある」ことの象徴といってよい。
 「一閻浮提いちえんぶだい広宣流布」に進んでいるのは学会である。ゆえに、学会の「信心」こそが「一閻浮提総与の大御本尊」に深く通じ、大功徳を頂戴してきた。その「信心」ある限り、だれびとも大御本尊と私どもの間を「切る」ことなど、できるはずがない。
 電波は宇宙を駆ける。月とも交信できる現代である。いわんや信心の「一念」は「法界にあまねし」で全宇宙に通じていく。正本堂は、すぐそこである。
 ともあれ、ある人が言っていた。大御本尊の光が世界に広がることを妨げる者は、大聖人を破門する者ではないかと。その報いは必然であろう。
 さらに、須弥壇の下には、世界の同志のご協力により収集した百三十五カ国の「世界の石」が、礎石として埋められている。
 これは「世界の全民衆の参画」の象徴として納めたものである。世界中のSGIメンバーが大御本尊をお守りしていくという意義がある。私が提案し、実行されたものであり、もちろん現在も厳として、大御本尊まします須弥壇をお支え申し上げている。
15  学会こそ大聖人直系の教団
 先日(十一月二十九日)、アフリカの全駐日大使からアフリカ外交団(二十六カ国)の総意とのことで、「教育・文化・人道貢献賞」をいただいた。このアフリカの国々の石も、その後に独立した国を除いて、すべて大御本尊の下に礎石として納められている。
 そのアフリカの国々から、この時に真心の賞をいただいたことも、「一閻浮提総与」の大御本尊を奉ずる学会の正しさを後世に残しゆくうえから、不思議な意味を感じる。
 (一方、宗門からは恥さらしな「破門通告書」なる文書が届いた。「世界の立正安国」への学会の活動に共感が高まるのと、あまりにも対照的に、大聖人の御精神と正反対の権威的・利己的な宗門の体質が天下にさらされたわけであり、″宗風を汚し続ける″醜行に、内外から「ああいう所とは一日も早く無関係にならなければ、学会のお荷物になるばかりです。今回の破門は本当に慶賀にたえない」等の声が寄せられている)
 ともあれ、我が創価学会、SGIの同志の皆さまこそ、永遠に大御本尊をお守りしゆく「使命の仏使ぶっし」であられる。その皆さまに、大御本尊の加護は絶対と確信していただきたい。信心とは、道理の上に立った「確信」であり、その確信が一生成仏の因となる。
16  創価学会の出現によって、大聖人の仏法は、事実の上で「世界宗教」としての道を歩んでいる。
 いわば大聖人が、学会に、御自身の直系として、仏勅ぶっちょくの「種子」を植えてくださった。その種子がはつらつと育ち、今や全世界に枝を広げている。ゆえに大聖人が、いよいよ絢爛たる花を咲かせ、実を結んでいくために、″小さな庭″の「門」を開いて、広々とした新世界を示してくださった──。私どもは、このように、深い意義と使命を確信してまいりたい。二十世紀に誕生した、我が「創価学会」こそ、日蓮大聖人直系の「広宣流布の大教団」であると胸を張って。
 どうか、伸び伸びと、また久遠からの同志・兄弟として仲良く、「偉大なる創価学会」を守り、学会とともに栄えながら、この人生、この法戦を、堂々と勝ち抜いていただきたい。
 皆さまの「健康」と「活躍」と「幸福」をお祈りし、また「最高に素晴らしいお正月をお迎えください」と申し上げ、本日のあいさつを終わります。ありがとう!

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