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日蓮大聖人・池田大作

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「創立の日」記念SGI代表勤行会 世界広布の正道は「御本尊根本」「御書根本」

1991.11.18 スピーチ(1991.10〜)(池田大作全集第79巻)

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1  御本尊こそ大聖人の仏法の″秘薬″
 ウエルカム!二十カ国から、ようこそ!
 尊い使命の皆さまである。求道の仏子であられる。私は、全創価学会員を代表して、お一人お一人に心からの敬意を表したい。遠いところ、本当にご苦労さま。どうか、我が家に帰ったような気持ちで、ゆっくりとくつろぎ、楽しい思い出を刻んでいただきたい。
 きょう十一月十八日は「創価学会創立」の記念日。ただ今は、皆さまとともに、「大法弘通慈折じしゃく広宣流布大願成就」とおしたためある「創価学会常住」の御本尊に勤行し、大切な皆さまのご活躍とご多幸を真剣に祈念申し上げた。
 御本仏日蓮大聖人の御遺命たる「広宣流布」──その「大願成就」をお約束くださった御本尊であられる。
 創立以来六十一年。これまで、私ども創価学会は、どこまでも「御本尊根本」で前進してきた。ただ「広宣流布」のために、戦ってきた。この軌道は、今も、また永遠に、寸分たりとも変わることはない。
2  「御本尊根本」について、少々、述べておきたい。日蓮大聖人の仏法の根幹は、「三大秘法」であり、その根本中の根本は「本門の本尊」である。
 日蓮大聖人が、弘安二年(一二七九年)十月十二日に御建立ごこんりゅうになられた、一閻浮提いちえんぶだい総与そうよの本門戒壇の大御本尊こそ「本門の本尊」であられることは、いうまでもない。
 そのことを、日淳上人は、「日蓮大聖人様の御一代の教えは申すまでもなく三秘五綱さんぴごこう(三大秘法と教・機・時・国・教法流布の先後の五綱)という三大秘法の教判きょうはんということにつきるのでございます」と述べられ、次のように明確に示されている。
 「日蓮大聖人様の教判によって三大秘法を立て、その三大秘法に於ては上行菩薩として釈尊より南無妙法蓮華経を御付嘱ごふぞくあらせられ、その南無妙法蓮華経の日蓮大聖人の御身にそなえ給うところがの三大事でございます」
 「それを衆生御化導ごけどうの上に建立遊ばされたのが本門の本尊、本門の戒壇、本門の題目となってくるのであります。しかも又これが一閻浮提のために御化導遊ばされる上から本門戒壇の大御本尊に終窮究竟しゅうぐくきょうの御化導を置かせられたのでございます」(昭和三十一年五月三日、創価学会第十四回総会)
 御本尊は三大秘法の御当体たる「一大秘法」であられる。その御本尊を離れたほかに、「秘密の法」などありえないのである。
3  また、日淳上人は述べられている。
 「宗教の最肝心の事は御本尊様であり、その本尊の感応かんのう利益りやくである。ただ理論、哲学を説くだけなら宗教ではない。御本尊をたてて、その感応利益を体験することが宗教である。だから宗教の是非ぜひ正邪せいじゃは、御本尊の正邪にきわまるのである。これが批判の基準でなくてはならない。現在のあらゆる宗教を、この本尊によって批判するならば、一切の宗教は邪教なりと断定されるのであります」
 「大聖人は何の為に御一生をかけて戦われたか、これひとえに一切の宗教が邪教也と断定し、正しい御本尊を弘める為に戦われたのである。正しい本尊を一切の衆生に授ける、これこそ大聖人の御誓願であった」
 日淳上人は、大聖人の仏法の究極は、御本尊に尽きるのであり、一切衆生に正しい御本尊を授けて、その功力によって成仏に導くことが、末法の御本仏としての大誓願である、と明確にお示しになっておられる。
 私ども創価学会は、この御本仏の御心のままに、正しい御本尊を世界中に弘めてきた。世界百十五カ国もの人々に、その偉大な功徳を教え、体験させてきた。これ以上の誇りはない。誉れはない。
 御本尊は一切衆生に与えられたものである。「万人に平等」であられる。
 「日蓮がたましひすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ」との仰せは、全人類に向けられたお言葉と拝される。「信心」あるかぎり、そこに、どんな差別もない。
4  戸田第二代会長「大聖の御称賛こそ一生の名誉」
 戸田先生は、「青年訓」の中で、こう述べておられる。
 「広宣流布の時は近く、日蓮正宗の御本尊流布の機は、今まさにこのときである。ゆえに、三類の強敵ごうてきは、まさに現れんとし、三障四魔は勢いを増し、外には邪宗、邪義ににくまれ、内には誹謗ひぼうの声ようやく高し。おどろくことなかれ、この世相を。こは、これ、聖師の金言なり」と。
 御本尊が全世界に弘まる、すなわち世界広宣流布が本格化すればするほど、それを阻むために、三類の強敵なかんずく第三の僣聖増上慢せんしょうぞうじょうまんが現れ、学会を最大に「憎み」「誹謗」し、迫害するのである。これも大聖人の御金言の通りなのだから、何ひとつ驚くことはない。
 さらに、先生は、「されば諸君よ、心をいつにして難を乗り越え、同信退転の徒のしかばねを踏み越えて、末法濁世まっぽうじょくせの法戦に、若き花の若武者わかむしゃとして、大聖人の御おぼえにめでたからんと願うべきである。愚人ぐにんにほむらるるは、智者の恥辱ちじょくなり。大聖にほむらるるは、一生の名誉なり」と──。
 私どもの行動の根本基準は、ただ大聖人の御心にかなうかいなかである。その他のことは枝葉である。どこまでも悠々と「正法広布の道」を進みに進み、大聖人のおほめをいただいてまいりたい。
5  御本仏の出世の本懐は大御本尊
 また第二祖日興上人から第三祖日目上人へのゆずり状である「日興跡条条事にっこうあとじょうじょうのこと」には、こう記されている。
 「日興が身にたまわるところの弘安二年の大御本尊は日目に之れを相伝そうでんす、本門寺にたてまつるべし」
 ──(日蓮大聖人より)日興が身にあてて給わったところの弘安二年の大御本尊は、日目にこれを相伝する。(広宣流布のあかつきには)本門寺に懸け奉るべきである──と。
 大聖人より、日興上人ただお一人へ相伝されたのが、弘安二年十月十二日におしたための本門戒壇の大御本尊であられる。
 大聖人の「出世の本懐」であり、化導けどう(仏法を教え、仏道に導くこと)の究極であり、広宣流布の根本となる御本尊であられる。
 そして、そのまま、日目上人に相伝され、七百年間、護持されてきた。
 相伝書の一つである「百六箇抄(血脈抄)」(御書854㌻)には、種脱相対、すなわち大聖人の文底下種仏法が釈尊・天台の文上脱益だっちゃく仏法よりも勝っていることが明かされている。
 また「産湯相承事」(同878㌻)では、大聖人の本地ほんじ(本来の境地)は自受用報身如来であられ、垂迹すいじゃくの上行菩薩の再誕として出現されたこと、日蓮と名乗られた意義、弟子に日号を与える理由などが明かされている。
 「本因妙抄(法華本門宗血脈相承事)」(同870㌻)では、大聖人の法門と、釈尊・天台の法門との勝劣を明かし、寿量じゅりょう文底の秘法である、事の一念三千の南無妙法蓮華経こそが、末法の衆生を即身成仏させる大法であることが示されている。
 このように、日興上人に付嘱された法門は、すべてが人法一箇にんぽういっかの大御本尊を指し示されたものであり、その裏付けとなる法理と拝される。
6  日亨上人は相伝書を御公開
 こうした相伝書は、かつては秘伝の書として伝えられてきたが、日亨上人は、これらを含む、富士門流の主要な文献を『富士宗学全集』として集大成された。
 さらに、全集の中から重要な文献を選んで発刊された「富士宗学要集」の第一巻に、「相伝部」として、大聖人から日興上人に伝えられた相伝書八編(「本因妙抄」「百六箇抄」「産湯相承事」「御本尊七箇相承」「本尊三度相伝」「寿量品文底大事」「上行所伝三大秘法口訣」「三時弘経次第」)を収められ、公刊されている。
 そして昭和二十七年(一九五二年)四月に、戸田先生が願主となり、日亨上人が御自ら編さんの労をとってくださって発刊された「日蓮大聖人御書全集」にも、主な相伝書が収められている。
 このように、現在では、重要な相伝書も、その内容は公開され、オープンになっているのである。
 また、大聖人独自の御法門である文底下種もんていげしゅ法門も、第二十六世日寛上人が、「六巻抄」や御書の文段もんだん等で、体系化され、明確にしてくださっている。
 「六巻抄」は、昔は相伝書に準ずる秘伝書のように扱われ、許された一部の人にしか読まれなかったようだが、今では、だれもが学ぶことができる。
 戸田先生は、戦後、学会再建にあたって、「教学は日寛上人の時代に還れ」と叫ばれ、「六巻抄」や文段を会員に学ばせて、教学力を深化させた。
 いわば、秘伝や奥義とされがちであった大聖人の仏法の真髄が、学会の教学研さんによって、民衆へ、世界へと開放されたのであった。
 そうした機運を、だれよりも願われたのが、御書全集の編さんとともに、多くの門外不出の相伝書をも公開された日亨上人であられた。
 また、昔は相伝であり、奥義だった深い法門が、だれびとにも知られ、広まること自体、何よりも、広宣流布の時の到来を物語っているといえよう。
7  全世界の人々が信じて平等に成仏できるからこそ、「一閻浮提総与」の大御本尊であられる。また、この大御本尊を世界へと弘めてこそ、一閻浮提広宣流布である。
 ゆえに、大御本尊を離れて、僧侶だけが知っている、何か特別な根本の法門があるというのではない。どこまでも大御本尊こそ、大聖人の「出世の本懐」であられる。そして、私どもが日々拝している各会館・家庭の御本尊は、大御本尊と、まったく同じ仏力ぶつりき法力ほうりきを具えておられる。
 大聖人は、こう仰せである。
 「今日蓮等の類いの意は即身成仏と開覚するを如来秘密神通之力とは云うなり、成仏するより外の神通と秘密とは之れ無きなり
 ──今、日蓮大聖人、およびその門下の元意は、即身成仏と開覚することを「如来の秘密神通の力」というのである。成仏すること以外に、神通も秘密もないのである──
 一切の衆生を成仏させる大御本尊のお力こそ、神通であり、秘密なのである。それ以上の「秘密の法」などはないのであると大聖人は明確に仰せである。
8  日達上人「御書によって広宣流布を開く」
 また、「御書根本」について、日達上人は「御書は、法華経を中心として説かれて、その法華経に生命を与え、布教の方針を与え、未来の広宣流布というものを、御書によって開いてゆくのである。大聖人が仏となられ、末法に出現した。末法の仏となられておる。この大聖人の教え、すなわち御書である。だから、我々は、なによりも御書を心肝しんかんに染めてゆかなければならない」と述べられている。
 日達上人は、大聖人の教え、すなわち御書であり、広宣流布も御書によって開いていくものである、と明確に示されている。
 このように「御本尊根本」「御書根本」で、大聖人の御金言のままに進んできたのが学会である。御書に照らし、先師のお言葉に照らして、学会こそが、大聖人の仏法の正しき道を歩んでいることを、いよいよ確信し、朗らかに、勇んで進んでいただきたい。
9  チャンドラ博士の言葉を紹介「SGIが新たなシルクロードを復興」
 席上、先日、来日されていたインドのロケッシュ・チャンドラ博士(インド文化国際アカデミー理事長)の、関西での次のような言葉が紹介された。
 「万葉集、そして京都には、約千年の歴史があります。同じように池田会長のメッセージが、次の数千年にわたって、人類へのメッセージとなるよう願ってやみません。
 シルクロードでは、約千年前に仏教が死滅しました。イスラム教が仏教に代わり、インドと中国を結ぶ仏教の流れは、途絶えてしまいました。しかし今、池田会長の出現により、新たなシルクロードが復興しつつあるのです。
 奈良、京都には、今の日本には失われてしまった文化を感じます。それは、『法華経』のメッセージです。人類を融合しようとするメッセージです。
 そして池田会長が世界に伝えているメッセージも、『平和』であり『世界の人々の融合』です。この意味から、会長のご尽力が、(奈良、京都が伝統の輝きを今も放っているように)数百年、数千年にわたって報われていくことを願っています。
 会長のメッセージは、人類が求めてやまない『多様性のなかの統団結』です。『私』と『なんじ』という(対立の)関係ではなく、『私』と『私たち』という(融合、平等の)関係こそ、会長の思想そのものです」
10  「池田会長には、一九七九年に、初めてお会いしました。それから十二年がたち、今回の再会となりました。この間、会長は、非常に多くのことを成し遂(と)げてこられました。世界の国々に、非常に強い影響力を与えてこられました。
 きょう、博物館(奈良・橿原かしはらの考古学博物館)を見学しました。そこで知りました。仏教伝来を機に、日本文化が一変したことを。仏教の伝来以前、日本の宗教は、″儀式″にとどまるものでした。『死後の世界』が文化の中心でした(古墳などのことを指すと思われる)。
 仏教の伝来以後、特に法華経に象徴される″花開く″イメージ──『死後』ではなく、『現在を花開かせる』思想が、日本の構造を変えたのです」
 「戦後約五十年、日本は非常に発展しました。しかし、物質面の豊かさにかたよっています。それだけでは、ある意味で、仏教伝来以前の日本と同じと言えるかもしれません。
 けれども今、質的に高い(精神的)次元のアプローチが、日本に生まれつつあります。それは、まさに池田会長のおかげなのです。日本のなかで唯一、そうした『質的なアプローチ』を行っているのが池田会長です。今こそ日本は、『崇高すうこうなる思想』を必要としています。そして池田会長のみが、その戦いを進めておられるのです。
 法華経で説かれる『蓮華の花』は、泥の中に生じます。まさに現代という泥のなかに、池田会長の思想は花開いているのです。会長は、法華経の精神を伝えた鳩摩羅什くまらじゅうのごとき存在です。法華経の精神は今、会長の手によって現代に開花したのです」
 「一九七九年、インドに来られた池田会長へ、菩提樹ぼだいじゅの葉を持っていったのが、会長と私の最初の出会いでした。私が創価学会を知ったのは、一九五六年か五七年のことです。
 私は聖職者によるのではなく、信徒組織による運動に興味をもっていました。維摩経ゆいまきょうにも、宗教が社会全体へとかかわることの大切さが説かれています。
 世界で最も大きい信徒団体である学会が、戦争に反対し、平和を進めてきた意義は、大変、大きいものです」
11  また、次のような博士の講演の要旨が紹介された。
 「法華経がつづりゆく(精神の)直線と曲線、そして思想とイメージは、池田会長の心に反映しています。『ヒューマニティー(人間性)』に対する、会長の壮大な視野──法華経は、その源泉と思います。
 シルクロードとは『深遠なるもの』に到達しようとする、不屈で、疲れを知らぬ、そして静かな『努力の道』です。法華経は飢えと恐怖の砂漠を通り、このシルクロードによって伝えられたのです。シルクロードはまた、『雑多さ』が『豊かさ』に、『変化』が『本質の顕現けんげん』に変わる『開かれた社会』への『開かれた思想の道』でもありました。
 『個人の生命と普遍的な生命との融合』という概念こそ、シルクロードの精神の頂点です。それは、まさしく、池田会長の考えそのものです。
 法華経は、未来に『力強い方法』を提供するでしょう。来るべき新時代には、人間の『内なるもの』の価値が、『外なるもの』の価値よりも重要視され、『すべての人類に共通のもの』だけが残っていくことでしょう」
 「シルクロードは、『絹の道』であっただけでなく、『思想の道』『経典の道』であり、『文化交流の道』でした。『シルクロードの精神』、すなわち『開かれた社会の精神』は、いわば『開かれた空』に浮かぶ『夢のけ橋』です。それは池田会長がドイツの元首(ヴァイツゼッカー大統領、本年六月にボンで会見)に贈られた詩の精神でもあります。
 『おおかつてユゴーが夢見た 「ヨーロッパ合衆国」! それは私のめざす世界市民誕生への 確たるステップ』──と。
 立ちどまる余地はありません。ただ前進するのみではないでしょうか」
 「シルクロードの各地につくられた石窟せっくつ寺院。それは厳しい宗教的実践の場であり、民衆の戦火からの避難所でした。この巨大な『人間の営みの一大絵巻』ともいうべき石窟寺院からのメッセージは、″波″となり、池田先生の心に届いたのです。
 一九七五年、モスクワ大学での講演における会長の言葉の通り、私たちは、世界の人々の心と思いをつなぐ、輝く『精神のシルクロード』をつくりゆく責任があるのです」
12  さらに講演終了後の、博士の言葉が伝えられた。
 「(敦煌とんこう衰退の原因について)インドから中国への『仏教の東漸とうぜん』は、千年の歳月をかけて行われました。そして各地域は、仏教によって発展し、活性化されていったのです。
 しかし九世紀から十世紀にかけて、新しい仏教思想の流れが途絶えました。イスラム化の影響です。そういったなかで、僧侶は儀式に固執しました。儀式は繁多になりました。留学僧制度もなくなり、『新しい思想』の流れが生まれなくなっていきました。
 仏教の儀式化は、その衰退を生みました。僧侶は儀式に没入ぼつにゅうし、学ぶことをやめました。そして仏教の衰退は、社会の衰退を招いたのです。
 シルクロードは『絹』だけではなく、『学ぶこと』を伝える道、『思想の道』なのです。ゆえに新しい『思想』の交流がなくなったことで、敦煌は衰退していったのです。
 例えば、唐の長安では、仏教の『経』より、イラン等から伝わってきた『酒』などに興味が移っていきました。ともあれ、仏教の衰退の過程は、敦煌に象徴されるように、僧侶組織のみが保持され、教えの『中身』がなくなることによるのです。
 池田会長のお考えの通り、『新しい思想との交流』なくしては『令法久住りょうぼうくじゅう(法を後世に正しく伝えゆくこと)』は、できません。『新しい文化』を理解せず、儀式のみにこだわっていては、″香りを失った花を、いつまでも持っているようなもの″です。大切なことは、『物質的外見』より『精神的内容』です。それが、仏教の教えなのです」
13  インドネシアの独立に、青年たちは先頭に立った!
 先日(十一月五日)、創価大学を訪問された国立インドネシア大学のスユディ学長とお会いした。学長は第二次世界大戦中、日本軍による占領下で日本語教育も受けておられる。
 インドネシアは三百五十年にも及ぶオランダの支配から、一九四九年に独立を勝ち取っている。会談の折、祖国の独立の歴史をどうとらえておられるか、尋ねた。「日本の学生や青年たちのためにも、証言として残させていただきたい」と。
 学長は、力を込めて答えられた。「祖国の独立。これは、今ある私のすべてです」「独立によって私は、自由を得ました。大学にも学べました。医学や微生物学の勉強もできました。ここにいる妻と結婚もしました。こうして創価大学を訪れ、創立者、学長をはじめ皆さんとお会いできたのも、独立のおかげです」と。
 私は感銘した。「自由の喜び」を率直に、ありのままに語ってくださった。
 自由──それは何ものにもかえがたい宝である。自由を得た心は、澄みきった青空のように晴れ晴れと輝く。人生の勝利への限りない飛翔ひしょうの力が満ちてくる。
14  インドネシアの独立の道のり──。それは死をした戦いの連続であった。投獄、追放、流刑、活動停止など、権力側は、ありとあらゆる弾圧と策謀さくぼうで、自由を求める人々を踏みつぶそうとした。しかしその時、何ものにも屈せず、先頭に立って戦ったのが、学生を中心とするインドネシアの若き群像であった。
 二十世紀初め、インドネシア国内には、「若いジャワ」「スマトラ青年団体」「スンダ青年団」など、数多くの青年集団が結成された。いずれも、それぞれの島や地域の名前をつけている。彼らは英知の言葉で、「自由の尊さ」と「民族の誇り」を語りに語り抜いた。青年たちの行動は、一九二八年(昭和三年)、「青年の誓い」として一つの結実をみている。(=「青年の誓い」は、一九二六年の青年会議で採択。″ただ一つの祖国・インドネシア″を力強く承認した「誓い」は、全土の青年たちの心を鼓舞し、独立への機運を高めた)
 イスラム教徒による解放運動なども含む、こうした「インドネシア・ルネサンス」の流れは、「青年の手」で育まれ、「青年の叫び」によって広がり、「青年のパワー」によって時代を変えていった。
15  闘争の渦中かちゅう、権力によってらわれ、生命を落とした一人の青年に贈られた詩が残っている。君の戦いの炬火(たいまつ)を消しはしない、と。
   おまえは闘った、生命かけ、光輝ある仕事に
   我らは刻む、希望と生命みつ栄光の言葉、
   おまえの夜に、炬火は燃やされ、
   我らは、次の世に炬火を受け継ぐ。
 (増田与著『インドネシア現代史』・中央公論社刊)
 信念にじゅんじた若き魂をたたえ、その″革命の松明たいまつ″を継ぎゆく誓いをうたいあげている。
 私どもも、「創価」の平和革命の炎を高らかに掲げ、今世の使命に悔いなく走り抜いてまいりたい。世代から世代へと継ぎゆくその炎が、やがて「全人類の幸福」の大光となって、燦然さんぜんと輝きわたることを確信して。
16  「教育」の国パラグアイ
 さて一昨日(十六日)の千葉の文化友好祭で、私は、来賓としてご出席いただいたパラグアイのフェルナンド・コスタンティニ駐日大使ご一家とお会いした。その際、大使がパラグアイ共和国の外務省(フルトス・バエスケン外務大臣)から私への「公式招へい状」を届けてくださったことに対し、心からの御礼を申し上げた(秋谷会長との十三日の会見の席上、手渡された)。
 パラグアイといっても、あまりなじみがない人もおられるかもしれない。そこで、本日は、このパラグアイについて少々、紹介させていただきたい。
 パラグアイは南米大陸のほぼ中央に位置する国。周囲をブラジル、アルゼンチン、ボリビアの三国に囲まれた内陸国である。日本からの移住は一九三六年から始まり、その数は現在まで約七千人にのぼる。もちろん、SGI(創価学会インタナショナル)のメンバーも、理事長を中心に、社会の各分野で生き生きと活躍しておられる。
 パラグアイでは、教育に情熱を注いでいる。
 ロドリゲス現大統領も、「教育」と「健康」を重点とした政策を推進されている。
 特に教育に関しては、昨年、秋谷会長が会見した際にも(一九九〇年十一月)、「日本が″経済大国″に発展した要因が、教育にあることはよく知っています」として、パラグアイ国民の教育水準の向上へ意欲を語っておられた。
 また、大統領は、「教育」と「宗教」の関係について、「宗教は本来、教育的役割を果たすものです。人間を尊敬することを教える。真の宗教と教育は互いにおぎない合うものだと思っています」と語られている。コスタンティニ大使も、秋谷会長との会見の席上、「教育は、理解と協調を深め、世界の平和と人類の幸福をもたらすものです。名誉会長をはじめ、SGIが推進する哲学性あふれる教育運動は、日本のみならず世界にとって大きな意味をもっています。偉大な宗教を基調にした教育は、国家や民族を超えた協調や調和を希求しています」と、SGIの運動に期待を寄せておられた。
17  実は、南米で最も早く義務教育を実施したのが、このパラグアイである。
 一八四四年、三権分立の新憲法のもと、カルロス・アントニオ・ロペスが、パラグアイの初代大統領に就任する。
 彼は、それまでの鎖国政策を廃し、さまざまな分野での近代化を推進したが、とりわけ、義務教育の実施など教育には力を入れて取り組んだ。南米最初の鉄道の施設や製鉄所の建設、留学生の欧州派遣、ヨーロッパ人技師雇用による外国技術の導入など、積極的な開放政策を推進したのである。
 ロペス大統領は、次のように語っている。
 「政府は、青年の教育から目を離してはいけない。野心家や手におえない人間が現れる背景には、国民の無知、教育の不足があるからだ」
 そして、「学校こそ自由への最高の記念碑である」と。
 ロペス大統領は、国民に「自由を与える」ためには、「教育が不可欠」であると考え、教育を信頼し、公教育の普及に力を注いだのである。
18  民衆独立の碑には「他人の意志に身を委ねるな」と
 パラグアイのスペインからの独立は、一八一一年五月十五日。前夜から、スペインの軍司令部と総督邸そうとくていを包囲して、その日、無血の独立革命を成し遂げたのである。しかも、現在のスペイン系アメリカ諸国のなかでは最も早い独立であった。
 パラグアイの首都・アスンシオン市内には、当時、革命派が集い、協議を重ね、決起した家が、「独立の家」として残されている。また、その中庭には「パラグアイの民衆独立の碑」が建てられている。
 昨年、SGIの南米派遣団がここを訪れた際、「独立の碑」に、私の代理として献花をさせていただいた。
 その碑には、独立の年、パラグアイ国家評議会からブエノスアイレスの評議会にあてた次のような文書が刻まれている。(=独立の達成前後、パラグアイは、ブエノスアイレス州(現在のアルゼンチンの一部)からスペイン以上の政治的干渉を受けていた)
 「これよりパラグアイの国民は、自らに芽生え始めた自由を、慎重かつ熱心に主張する。己の権利を認識し、また他のいかなる国民の権利をいささかも侵害するつもりはない。また規則にのっとり公正であるすべての物事を否定しない。正義と公平と平等の原理に基づいた社会を育むために──。
 かくしてパラグアイは、己と己の決断力によって建設され、自由と権利を完全に我がものとする──。
 他の仲裁ちゅうさいに身をゆだね、自らの将来を他の意志に委ねようとする者はあやまちを犯すであろう。もし、そうであれば何の向上もないであろう。自己を捨てる者は、別の主人に別のくさりでつながれるであろう」と。
 「自由」と「正義」を勝ち取るために、自らの両足で立ち上がったパラグアイ民衆の勇気に敬意を表し、ここで紹介させていただく。
19  人を救え──釈尊の精神は学会に
 またこのほど、私はインド・ガンジー記念館館長のラダクリシュナン博士と再会し、さまざまに語り合った。
 同博士は、インド独立の父マハトマ・ガンジーの高弟であったラマチャンドラン博士のもとで「平和」と「教育」の活動に献身してこられた。いわばガンジーの直系の弟子であり、精神の継承者であられる。
 今回の来日では、東洋哲学研究所で「ガンジー主義とSGI運動」のテーマで講演されるとともに、「千葉文化友好祭」でも各国の来賓を代表してあいさつされ、私どもSGIの運動を心から賛嘆しておられた。文化友好祭をご覧になった皆さまも、博士の大きな期待の心がよくおわかりいただけたと思う。
 博士は、東洋哲学研究所の講演(十一月十四日)の中で次のように述べておられる。
 「仏教は観念の『哲学』ではない。人間の『苦悩』をいかに解決するか、そこに焦点をあてた実践の教えである。
 釈尊は、恵まれた環境を自ら捨て、苦悩を乗り越えて、仏の悟りを得た。出家の動機からみても、釈尊の関心は『哲学の構築』にではなく、人間の『根本的苦悩の解決』にあったといえる。
 今日、この釈尊の精神を体現して、全人類を幸福にするための運動を進めているのはSGIである」(要旨)と。
20  ラダクリシュナン博士の言葉を紹介「SGIが人類の『精神的再生』を」
 またラダクリシュナン博士はその講演で次のように述べている(引用は講演の要旨)。
 「けものと違い、人間だけが『愛』や『慈悲』の心をもてる。この力は無限である。これが正しく使われれば、人類には、新たな『希望』と『理解』と『平和』の時代が開かれよう。
 池田SGI会長は、この無限の可能性をもった力を人間の内面から引き出し、人間の復興、社会の再生を目指して戦っておられる。このユニークな試みが、SGIの独自性を示していると思う」
 「仏教は、ほぼアジア全域に広がった。この広がり方は人類史上まれであった。これを可能にしたのは、仏教がもつ『愛』と『慈悲』の特性である」
 「仏の『慈悲』の精神を現代に復興するために、池田会長が現れ、SGIが出現したと思われてならない。池田会長ならびにSGIの存在は、世界の大きな希望である」
21  さらに博士は、ガンジーの思想と、仏法の人間主義の運動を進めるSGIの共通性にふれて、次のようにSGI会長のリーダーシップに期待を寄せている。
 「ガンジーは、彼の時代・社会の中で、『人間』が平等に扱われず、分断され、差別され、搾取さくしゅされていることを悲しみ、いきどおり、運動を進めていった。戦争、暴力、殺りくを、インドから一掃いっそうしようとした」
 「人間は、自分のほうが他人より優れていると思い込むと、戦争、暴力などの『対立』が生じてくる。人間に存在する『心』自体が、構造的な暴力というものを形づくっていく。
 この構造的暴力の原因である心の『悪の種子』を除かねばならない。除くことによって、世界から戦争がなくなっていくと、私は確信している。これは決して新しい考え方ではない。これこそ″仏の教え″であった。また、ガンジーが強調していたことでもある。
 したがって、仏法を基調としたSGIの運動と、ガンジーの理想を継ぐ私たちの目指すところは同じであり、私たちは、今後ともSGIとともに、平和のために行動していきたい」
 「偉大なリーダーとしての思想、行動、献身性、心の広さという視点で見るとき、SGI会長とガンジーの共通性を痛感せずにはいられない。
 SGI会長は、ガンジーが目指したと同じく、『調和ある世界』の構築のために、人間の中に潜む『さつの心』を取り除き、人間を精神の高みへと導いておられる」
 「世界百十五カ国にものぼるメンバーとともに世界的な運動を進めておられる。文化・芸術・出版・教育などの面での多角的な努力は、めざましいものである。この二十世紀後半に、これほどまでに世界の人々の心をつなげようと努力されてきた人物は、池田SGI会長をおいてはいない。
 今やSGI会長は世界に大きな影響力をもつリーダーとして知られているし、インドでも深く尊敬されている。インドという、この日本から、はるか彼方かなたの国でさえもSGI会長の素晴らしい影響性を感じているのである。
 SGI会長は、日本の太陽であり、人類の太陽であり、現代の最も偉大な人物である」「第二次大戦後、日本は不死鳥のように大発展を遂げた。それは『物質的復興』であったが、次は、ぜひSGIによって『精神的再生』を世界に起こしていただきたい」
 「SGI会長は、仏法の哲理に完全にのっとり、『戦争』『飢餓』『憎悪』という人類絶滅への危機を、人間自身のコントロールによって取り除くことができる方途を世界に示しておられる」
 「世界平和実現への大きな可能性──それがSGI会長によって開かれた。
 例えば、軍縮・平和への提言、文化面での交流、国連やユネスコなど国連機関への支援、国家元首・学者・文化人その他あらゆる分野のリーダーとの対話……。
 私は思う。SGI会長の『人生』そのものが『平和への旅』である、と」
 「SGI会長の予言者のごとく優れた先見性は、三十年前に、すでに冷戦構造の崩壊を見通されていた。そして、当時、だれも信じられなかったことが、今、現実となっている。米ソの核兵器削減・廃棄宣言。軍縮への合意──」
 「こうした世界の流れの中で、SGIの運動はいよいよ重要性を増すであろう。SGI会長のリーダーシップのもとで、真実の『人間主義』の運動が大樹と育っていかれることを念願する。悠久の歴史をとどめる、あのブッダガヤの菩提樹のように──」
22  愛・慈悲・共存が人類の指標
 ラダクリシュナン博士は講演の終了後、次のようにも語っておられたという。
 「非暴力の概念は、決して新しいものではなく、人間にとって、より自然な発想であり、むしろ暴力のほうが、その時々の社会的条件に影響されるものである。
 歴史的には昔の仏教、ジャイナ教の中に非暴力の概念が含まれている。サンスクリット語の『アヒンサー』は単なる『非暴力』ではなく、『人間の徳』として位置づけられるものである」
 「アヒンサーを初めて人間の生き方、行動の規範きはんとして定義づけたのは仏陀ぶっだである」「ガンジーは、この仏陀のメッセージに基づいて政治的な実践を行った」と。
 また「ガンジー自身は、この政治的な実践の成果をみることができたが、その死後は、非暴力主義は衰えてしまっており、その意味では、(非暴力の)新しい概念を構成し、運動を創っていかなければならない」と指摘されていた。
 そして「ガンジーの運動とSGIの運動には、共通性を強く感じる。この点については、学問の対象としても興味深い」とされ、さらに「共産主義もキリスト教、イスラム教も弱体化し、宗教・思想の人間に対する影響力が弱まっていると思う。伝統的な宗教概念が崩壊し、新しい宗教概念が登場しつつある」と、世界の変化を強調しておられた。
 また博士は、東洋哲学研究所の設立という学会の「勇気ある一歩」は、「仏陀の偉大な教えを受け継ぐものである」とされ、「仏陀の説く『愛』と『慈悲』と『共存』の三つは、人類の究極的な理想実現への指標である。それは、SGIが推進してこられた、『人々の願いにかなう教育システム』によってのみ、実現しうるものである」と述べておられた。
 このように、今、世界の識者・リーダーが私どもの運動こそ「調和の二十一世紀」を開くものとして熱い期待を寄せているのである。
23  これをもって、きょうの″講義″の「ラスト・ワード(最後の言葉)」とします。本当にご苦労さまでした。
 どうか、皆さまは、朗らかに、また朗らかに、我が人生をエンジョイし、勝ち抜いていただきたい。そして、だれよりも幸せになっていただきたい。そのために、私も、一生懸命お題目を送ります。全魂込めて応援します。
 きょうは晴れの「創立の日」、本当におめでとう!サンキュー・ソー・マッチ!

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