Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

創立記念千葉文化友好祭 歴史は「民衆の勝利」を約束

1991.11.16 スピーチ(1991.10〜)(池田大作全集第79巻)

前後
2  平和を誓った青春の千葉の思い出
 終戦後まもなく(昭和二十年九月)、私は幕張まくはり──ここ千葉県に″買い出し″に訪れた。当時は、美しい田園と、青い海が広がっていた。十七歳の時である。
 兄四人は戦争にとられて帰ってこない。残されたのは年老いた父と母、そして弟や妹──。肺結核を病んでいた私も、生活のために一生懸命、面倒をみた。
 ただ、病弱で、あまり遠方に行けない。駅のそばの農家に、足を向けた。
 親切なおばさんだった。四十代であろうか、夫婦二人だけの生活のようであった。お子さんが戦地に行って戻ってないのかもしれない。そのためか、体の悪い私を心配して、本当によくしてくださった。そして、六貫目(約二十二・五キロ)ほどであったか、サツマイモを分けていただいた。一貫十円が普通だったが、私は十二円を支払ったものである。その温かな心へのご恩は、今も忘れない。
 当時、私は思った。戦争が憎い。平和でなければならない。だれが、いったい何のために、戦争を起こすのか。庶民は戦争など欲していない。幸福に暮らしたいと願っている。それなのに、大勢の人が地獄の苦しみを味わっている。何かをしなければならない。何ができるのか──これが、私の十七歳の心情であった。
 そして恩師との出会い。牧口先生は、戦争のために獄死された。戸田先生は、二年間、牢に入られた。その方の言うことなら信じられる──それで、私は十九歳で入信した。
 以来、四十数年間、走りに走り、戦いに戦い、前進につぐ前進の日々であった。一日たりとも、私は止まらなかった。そのことは皆さま方もご存じの通りである。
3  「一切衆生の恩」に報いるのが仏法者
 仏法は「一切衆生の恩」を説く。御聖訓には「生生世世に皆恩ある衆生なれば皆仏になれと思ふべきなり」──生々世々に、皆、恩ある一切衆生であるから、「皆が仏になってほしい」と願うべきである──と。
 「抜苦与楽ばっくよらく」、すなわち「苦しみを抜き」「楽しみを与える」のが、仏の「慈悲」の働きである。
 仏法は、人を苦しめるものでは絶対にない。人を幸福にするものである。「楽しき人生」「希望の人生」「平和な社会」をつくりゆくためのものである、と私どもは信ずる。
 仏法の世界は宇宙大の世界である。私どもは広々とした心で、世界を思い、人類の行く手を見つめながら、悠々と平和の行進を進めてまいりたい。
4  ただいま、ごあいさつをいただいたラダクリシュナン博士は、現在、インド・ガンジー記念館館長を務められ、ガンジー研究の第一人者として、またガンジーの孫弟子として、世界的にも有名であられる。
 昨日、私は、博士との会談の際、貴重な「マハトマ──ガンジーの一生」(全八巻、D・G・テンドルカール著)を贈られた。
 そのガンジーの言葉に次のような趣旨の一節がある。
 「私は、宗教の名の下に罪なき人を抑圧すること以上の大きな罪を知らない」と。
 また、次のような趣旨の言葉もある。
 「私は、人間の活動から遊離した宗教というものを知らない」──。社会に開かれ、民衆の中で呼吸してこそ、生きた宗教だ、との信条である。
 ともあれ、幸福になるための仏法であり、信仰である。
 そして、幸福になるのは、自分自身の権利である。この権利は、だれびとたりとも侵すことはできない。魂の世界は、いかなる権力も侵すことができない。
 「心」は自由である。「心」は切れない。「心」強ければ、一切が喜びである。
 私どもは、この「魂の自由」を高らかに、これからも一緒に「楽しい人生」「価値創造の人生」を、堂々と進みましょう!
 きょうはありがとう!本当に、ご苦労さま!

1
2