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日蓮大聖人・池田大作

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全国青年部幹部会 「自由なる精神」の人間復興運動を

1991.10.27 スピーチ(1991.10〜)(池田大作全集第79巻)

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2  ルネサンスとは人間尊厳の発見
 ご存じのように、明年は「創価ルネサンスの年」と決まった。″ルネサンス(人間復興)″という言葉は、不思議な魅力をもっている。心を揺り動かす新鮮な響きがある。歴史。芸術。哲学。世界。ロマン。あらゆる″人間的″な要素をあわせもった、精神のはなをイメージさせる。
 歴史的に見て、ルネサンスとは「どういうものであったか」「いつごろからを指すのか」「その動因は何か」。これには、さまざまな見解があり、断定的には述べられない。今も、学者の間では議論の多いテーマである。
 一説には、今から約六百年前、十四世紀に活発になったとされるルネサンスの運動。それは、「停滞」から「躍動」へ、「束縛」から「自由」への″大転換″であったと一般的には見られている。
 その転換の本質は何か。スイスの著名な歴史学者・ブルクハルトは、それを、「世界と人間の発見」であったと述べている。
 暗黒時代ともいわれる中世。宗教の権威は人々を縛り上げ、搾取さくしゅし、自由を奪い去っていた。そこでは、一人の人間である前に、どの党派、団体に属しているのかが重んじられた。人は、個性をもった主体的な存在ではなく、いわば匿名とくめい──名前のない存在であったと。
 ルネサンスは、そうした権威の鎖を断ち切った。迷妄の覆いを取り去った。人間に自由の″翼″を与え、望みさえすれば、自分で自分の精神を高められることを教えた。そして、解放された「ルネサンス人」は、自由に歩き、自由に考え、自由に語り始めた。世界の広さと、人間の尊厳を発見した。それが画期的な人間復興、文芸復興の波となり、潮流となっていった。
 ″人間は、自分自身のなかに、あらゆる存在になりうる生命の芽をもつ″。ここに一つの、ルネサンスの人間観があった。──これがブルクハルトの描くルネサンス像である。
 そして今、人間の尊厳と、世界の多様さを見つめつつ、「人間主義」の世紀を切り開いていく──その新しい時代の出発点に立っているのが、学会である。
 これからも、世界へ、世界へと、交流団を派遣し、友情を広げていく。「躍動」へ、「自由」へと、民衆の希望の″翼″を、さらに広げていく。
 ルネサンスとは、過去のものではない。まさに、二十一世紀へ向かう、学会の前進とともに開かれゆく″一大民衆運動″であると確信したい。そして、この″創価のルネサンス″は、″精神革命を経験していない弱さ、貧困さ″を指摘されている日本の風土を、根本的に転換していくものでもある。
3  ルネサンスの時代、歴史を画する天才たちが、ほぼ同時期に登場し活躍した。レオナルド・ダ・ビンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、ボッティチェリ等々──。美術作品をはじめとする、彼らの輝かしい業績は、時を超え、国を超えて、豊かな精神文化の光を、今も放ち続けている。
 彼らは、自身の″生命の芽″から、見事に″満開の花″を咲かせた。ちなみに、創価大学の講堂の緞帳どんちょうの図柄は、ラファエロ芸術の最高傑作といわれる「アテナイの学堂」をモチーフに描かれたものである。
 ともあれ、新しき「創価のルネサンス」の時代も、あくまで「一人の人間」が主役である。「人材」がカギを握っている。組織は、その「一人の人間」を守り、最大に力を発揮させていくためにある。
 「自分」が聡明になり、力をつけていくこと。「自分」が人格を鍛え、物事の本質を見極める眼を磨いていくこと。このたゆみない挑戦と努力が、ますます重要になってくる。
 「民衆」の自由なる精神の飛翔ひしょう、個性の開花。その対極には、それを妬み、妨害しようとする反動が必ずある。それに屈すれば、自由の死、個性の死、人生の敗北である。自分自身にしかない、胸中の″生命の芽″を殺すことでもある。何より″生命解放の信仰″の死となってしまう。
 「人間性」が「権威」に打ち勝とうとする闘争の中から、ルネサンスの息吹は生まれた。青年は、戦うことだ。自由奔放に、発想を広げ、行動し、歴史をつくりゆくことだ。
 どうか、一人一人の大切な個性を、満開へ、また満開へと咲かせきっていただきたい。その、創価ルネサンスの花園を、喜びと確信に満ちた世界を、若き諸君の力で、堂々と築き広げていっていただきたい。
4  創価大学に並び立つユゴーとトルストイの像
 さて、創価大学の記念講堂の正面ロビーには、ご存じのように、フランスの大文豪、ヴィクトル・ユゴーの威風堂々たる大ブロンズ像がある。
 このたび、そのユゴー像と一対になるロシアの大文豪・トルストイの大ブロンズ像(高さはユゴー像とほぼ同じ約二・六メートル)が完成し、イタリアから日本に到着した。まもなく、ユゴー像と並び建つことになっている。
 トルストイ像は、豊かなひげたくわえた晩年の風貌で、腕を組み、「信念」のいわおのように、堂々と屹立きつりつしている。
 一方のユゴー像の台座には、以前にも紹介したように(一九九一年四月二日、第一回第二東京総会)、『レ・ミゼラブル』の有名な一節が刻まれている。
 「海洋よりも壮大なる光景、それは天空である。天空よりも壮大なる光景、それは実に人の魂の内奥ないおうである」──と。
 トルストイ像の台座には、やはりトルストイの言葉が記される予定であるが、その言葉は、ソ連国家国民教育委員会のヤゴジン議長が選んでくださる約束になっていた。
 そして、このほどヤゴジン議長から、約束通り、台座に刻む言葉の原案としてトルストイの日記の一節が贈られてきた。また、「やや長文なので、池田先生のほうで適切な形に調整してくださってけっこうです」との丁重な伝言も添えられていた。
 そのトルストイの言葉とは──。
 「外界を認識する方法は二つある。一つは、五感(る、く、ぐ、あじわう、さわる、の五つの感覚)を通しての最も粗野で、しかも不可避の方法である。この方法から得られるものはカオス(混沌こんとん)である。
 もう一つは、自らに対する愛を通して自らを認識し、さらに他に対する愛を通して他の存在を認識し、他の人、動物、植物、また石にまでも思いを致していく方法である。この方法をもってすると──全世界を創造することができる。
 これは、存在と存在の間で断ち切られ、個別化されているもののつながりを取り戻すことである。自らよりいでて、他に入る。そして、あらゆる事物に入ることができるのである」──と。
 少々、哲学的で難解な表現であるが、人を低め、狭くし、人々を分断していく「物質主義的な力」よりも、人を高め、広げ、人々を結びつけていく「精神の力」「慈愛の力」を志向していたトルストイの思想が、よくみ取れると思う。諸君の何らかのかてになればと、紹介させていただいた。
5  なお、今年六月、フランスに「ヴィクトル・ユゴー文学記念館」がオープンした。当日は、トルストイの孫に当たるセルゲイ氏も祝福に駆けつけてくださった。
 医学博士であられるセルゲイ氏は、さすがにトルストイによく似た顔立ちをしておられた。結婚してフランスにお住まいである。氏とは、偉人の業績を後世に残すことがいかに大切であり、また難しいかについても語り合った。
 その折、同氏は「世界中の人々を結び、人と自然を結ばれているSGI会長の行動は、すべて祖父(トルストイ)の思想・理念と一致しております」と語られ、私に、世界で三人目という「トルストイ友の会」の名誉会員証を贈ってくださった。
6  独裁と戦った大いなる魂
 ユゴーとトルストイを結ぶエピソードの一つとして、紹介させていただく。
 ユゴーとトルストイ。この二人の巨人の共通点は、いくつもあげられよう。なかでも際立っているのは、二人とも″狂った独裁的権力によって抹殺まっさつされかかった″ということである。
 すなわちユゴーは、時の独裁者、皇帝・ナポレオン三世によって追放され、十九年間にわたる亡命生活を送った。
 このルイ・ナポレオンは、ナポレオン一世(ボナパルト)に比べて、幼児性の強い性格であったといわれる。権勢・金力への執着。自分を強大に見せようとする「見栄みえ」と、偉大なる人格への「嫉妬しっと」──狂気の独裁は、多くの場合、独裁者の人間としての幼さ、小ささに由来ゆらいする。
 かたやトルストイもまた、かたくなに″権威″を守ろうとする教会権力から「反教会的である」と決め付けられた。そして、時の大教院(宗務院)によって一方的に「破門」を宣告されたのである。一九〇一年、ちょうど九十年前の、今世紀開幕の年であった。
 破門の年、トルストイは七十三歳。牧口先生が獄中で亡くなられたのと同じ年齢である。
7  もとよりユゴーもトルストイも、何一つ悪いことをしたわけではない。ただ「人間のため」「民衆のため」「正義のため」に、だれも何も言えない″巨大な悪″に対して、言うべきことを言い切っただけである。
 「悪」の言いなりになってはならない。権力に飼い慣らされ、沈黙してしまうのは「人間」ではない。「奴隷」である。たとえ身は拘束されようとも、「魂は自由」であり「言葉は無限」である──。
 「黙ってはいられない」「私の生命の最後の瞬間まで」(中村白葉訳)と、トルストイはその心情を吐露とろしている。そうした正義の言論に対する権威者の答えが、問答無用の「追放」(ユゴー)であり、「破門」(トルストイ)であった。しかし、こうした策謀も、二人の″大いなる魂″にとっては何の問題でもなかった。
 ユゴーは「一時的の権勢家が何をしようと、永遠の力がこれに反抗する」(神津道一訳)と、鋭く言い放っている。彼はさらに、「木を根っこから離すことはできても、太陽を空から離すことはできない。明日になれば、またあけぼのの光がさす」と。
 独裁者は、「追放」や「破門」によってすべてを奪い取ろうとしたが、この勇者の太陽のごとき「人格」「境涯」だけは決して侵すことはできなかった。
 この赫々かっかくたる″境涯の王者″──もとより次元は異なるが、日蓮大聖人の崇高なる御精神も、権力者・謗法者のいかなる迫害をもってしても侵すことのできない″境涯の大王者″の輝きを放っておられた。
 そして牧口先生、戸田先生の遺された永遠の「学会精神」も、大聖人の御精神に真っすぐ連なっている。ゆえに後継の我が青年部の諸君も、この不屈の学会精神を、今こそ胸中に輝かせて進み抜いていただきたい。
8  トルストイの破門も世界中のもの笑いに
 ところで、トルストイの破門は、トルストイに対する民衆の信頼を何とか失墜しっついさせようという大教院の策謀であった。巨大な影響力の低下をねらった威嚇作戦であった。
 一九〇一年二月二十二日、布告された教会の破門宣告文には「聖大教院ハ正公教会ノ信徒ノ身ノ上ヲ思イ、有毒ナル誘惑ヨリ彼ラヲ保護シ、迷エル者ヲ救イ助ケント思ウ心ヨリ、伯爵レフ・トルストイトソノ反正教的、反教会的ナル似テ非ナル信仰トニ対シテ峻厳ナル判決ヲ下シ、教会ノ信仰ノ平和ノ破壊ヲ未然ニ防止センガ為」云々と、トルストイを誹謗し、全く強圧的、一方的に破門を正当化している(ビリューコフ著『大トルストイ3』、原久一郎訳、勁草書房、以下、引用は同書から)
 しかし、このもくろみは、ものの見事に外れる。モスクワのトルストイの家には、世界中の民衆から、また青年から、激励や共鳴、同情の手紙、電報が殺到する。その数は何千通にも上ったという。一方、大教院に対しては怒れる民衆の轟々ごうごうたる抗議の嵐──。
 私もかつて、モスクワ市内の「トルストイ資料館」を訪れた際(一九八一年五月)、これらの手紙類の一部を見学した。また「トルストイの家」にも訪問した。今も懐かしい思い出である。
 ある識者は、トルストイへの手紙の中でこう書いた。
 「(破門という)この残忍な、徹頭徹尾教会式な悪計は、極度に愚かしい道化芝居に変ってしまいました。闇に乗じて背後からその犠牲者を切ろうとした殺人者は、不意に、思わぬ石につまずいて、真逆まっさかさまにどぶの中へ転落してしまった。すなわち聖大教院は世界中の物笑いの種になったのであります」──と。
 また、ある工場の労働者たちの手紙には、このようにつづられていた。
 「……キリストの教会から破門さるべきはあなた(トルストイ)ではなくて、自分も天国へ行かなければ他の人びとをも行かせないあの連中こそ、破門さるべきなのでございます。あなたの文学上の数々の著述が高き真理の転覆を目的とするものではなくて、その(真理の)解明を目的とするものである事を、我々(民衆)はよく理解しています」
 また、「あなたの教えは不毛の土地へは落ちませんでした。それは数々の悪の誘惑から人類を救済すべく、世紀から世紀に伝えられるでありましょう。そして我々はあなたを大偉人と思い、あなたのために、我々の胸の奥深くに、手によって造られたものでない永遠の記念碑を建立する者でございます。三月四日。エヌ工場の労働者達より」と。
 「世紀から世紀に伝えられるでありましょう」──。真実は真実である。それは、いかなる策謀によっても消すことはできない。「時代」を超え、「世紀」を超え、真実は輝きを増していく。民衆から民衆へ、伝えられていく。
 民衆は「賢明」である。民衆は「勇敢」である。そして、だれが本当に民衆を愛し、真理を語っているか、本当のことを見抜く眼をもっている──今、紹介した民衆の声には、それらすべてが凝縮ぎょうしゅくされていると、私は思う。
9  不屈の人間の魂は鳥のように自由
 またトルストイ自身、「破門」などに少しも左右されない。微動だにしない。それどころか、以前にもまして、社会のため、人々のために、心をくだき、働く。泰然自若たいぜんじじゃくとして、自らのなすべきことに努め、励んでいる。
 破門から約一カ月後の日記には「私の生涯の幸福な時期は、私がすべての生活を人々への奉仕に捧げた時であった。それは──学校、調停、飢餓民きがみん救済、宗教的援助であった」(中村融訳『トルストイ全集18所収』河出書房新社)と記している。
 私が対談したトインビー博士も、ご自身の信条に対する、当時の権威からの非難にまったく動じられなかった。一個の「人間」として、悠然と佇立ちょりつされていた。
 トルストイは大教院の破門の決議に、こう答えている。
 「ただ今信仰しているこの信仰より別な信仰に入って行くことなどできないのであります。私は自分の信仰が疑いもなくいつでも真理であると信ずる者ではありませんが、私はこれよりほかに、もっと単純な、明瞭な、私の知と情とのあらゆる要素に答えてくれる信仰を見出すことができないのであります。もしもそういう立派な信仰が新たに見つかりましたら、私は直ちにそれを採用いたしましょう」
 「私は自分が恐ろしいかずかずの苦悩をめてやっと脱け出て来たばかりの古い信仰へ立ち還ることは絶対にできません、それは丁度、殻の中からぬけ出して来て自由に空を飛んでいる小鳥が、再びその殻の中へ帰って行き得ないと同じことであります」(原久一郎訳、前掲書)──と。
 トルストイは、仏教をはじめ東洋思想の造詣も深かった。しかし、日蓮大聖人の仏法は知らなかった。民衆を隷属化する教会から決別けつべつしたトルストイが、この大哲理に出あっていたら、どんなに喜んだろうかと想像されてならない。
 大聖人の″太陽の仏法″は、人間を最大に「解放」し、「自由」にする信仰である。その二十一世紀をリードしゆく偉大な信仰を持った私どもである。どこまでも大聖人の御精神の通りに進んでいけばよいのである。
 権威・権力の″黒い心″にかく乱されて、旧世紀の奴隷のような″封建的信仰″に逆戻りする必要はない。抑圧の″暗黒時代″へと逆行するようなことがあってはならない。
10  ユゴーは「追放」を論じたなかで、こう叫んだ。
 「人を追放しようとする迫害者は、風のざわめきのごとく空虚である。しかし、追放された我らの魂は鳥の翼のごとく自由である」──と。
 不屈の人間の「魂の翼」は、風を受けてますます自由になる。嵐のなかでいよいよ高く飛する。どうか諸君は、この「自由の翼」で、伸びやかに、軽やかに、青春の大空を舞っていただきたい。
11  大聖人「死罪にならぬ事こそ不本意」
 大聖人は竜の口の御法難より前、あるお手紙で、こう仰せである。
 「人身すでに・うけぬ邪師又まぬがれぬ、法華経のゆへに流罪に及びぬ、今死罪に行われぬこそ本意ならず候へ、あわれ・さる事の出来し候へかしと・こそはげみ候いて方方に強言をかきて挙げをき候なり
 ──すでに受けがたき人身を受け、人間として生まれることができた。しかも、(あいがたき法華経にあい)邪師からも免れることができた。さらに、法華経のゆえに流罪(=伊豆流罪)に及んだ(これらは、この上ない喜びである)。今は、死罪にされないことこそ不本意である。(だから)どうか、死罪を受ける大難が起こるようにと励んで、各方面へ強言(強く責める言葉)を書き送ったのである──と。これが御本仏の悠然たる御心であられた。
 私どもは「大聖人の門下」である。邪師に紛動されず、邪義にも染まらず、真実の道を進みゆく喜び、誇り。そして″大難よ、きたれ″と勇敢に「悪」と戦いゆくほまれ──。
 私どもは、強く、また強く、「悪」を責めながら、「御本仏の真実の門下」の大道を進んでまいりたい。
12  世界の識者「文化祭は命のはずむ祭典」
 話は変わるが、先日の「中部文化友好祭」(十月二十日、名古屋市総合体育館・レインボーホール)は、本当に素晴らしいステージであった。
 出席された海外の来賓の方々からも、感動の声が寄せられているので、ここで紹介させていただきたい。
 初めに、インド文化国際アカデミー理事長のロケッシュ・チャンドラ博士ご夫妻。同博士は世界的に著名な学者であられる。父君のラグヴィラ博士も、サンスクリット語の優れた研究者で、中国の周恩来総理とも知友であられた。
 博士ご夫妻は、文化友好祭の終了後、次のように語っておられたという。
 「文化祭に出席して、これ以上の素晴らしいものはないと思いました。私は、本年二月にインドの文化祭(ニューデリーのカマニ・オーディトリアムで開催されたインド広布三十周年記念文化祭)に出席させていただきましたが、今日の文化祭は、照明などハード(技術面)の部分ではインドの文化祭とは違いますが、ソフト──つまり″精神″の部分は、まったく同じでした。
 特にフィナーレは、まったく同じ情熱を感じました。日本とインドの文化祭は、人数こそ違うものの、フィーリングは同じであると感じられたのです」
 また博士は、「今日の文化祭は、参加者が喜びをもって、池田先生に自分たちの気持ちを表そうとしている。そして、先生も、それにこたえられている。そのやりとりが本当に素晴らしかった。先生がメンバーに応える。そして、メンバーが、また先生に応えている。本当にすごいと思いました」
 「車イスの青年が手を振れば、先生もそうされる。先生がこぶしを込めて手を振れば、青年も握りしめたこぶしを大きく振って応えている。先生が青年を激励されている姿を見た時、本当に偉大な指導者であると思いました。
 (車イスの青年とは、自作の曲「平和の鐘」を歌ってくださった友のことで、身体のハンディ(先天性骨形成不全症)と闘いながら、シンガー・ソングライターとして活躍する青年部員。十月十三日に行われた静岡の合唱友好祭にバンドをひきいて出演し、名誉会長の提案で、中部の祭典にも友情出演した)
13  さらに博士は、「おそらくインドに帰って、友人に、こんな素晴らしい文化祭であったと説明しても、信じないと思います。それほど素晴らしい文化祭であり、実際に見てみないとわからないと思います」「今日の文化祭は『命のはずむ祭典』でした」と絶賛され、名古屋をはじめ中部の皆さまの熱演に、心からの感謝を語っておられた。
 このほか博士は、「文化祭はグループとして演技をしていましたが、一人一人が先生とつながっていることを実感しました」「池田先生は『磁石』のような方ですね」、また「希望の『虹』そのものの存在です」と。
 また「文化祭」の意義について「こうした祭典は、若い世代に共同で行動することを教え、また共通の目的意識をもつという意味から、まことに重要であり、人間と人間のコミュニケーションを促進させるものだと思う」と語っている。
 さらに、SGI会長、並びにSGIの運動に対して「伝統を大切にしつつ、現代に適合させる偉大な方です。まぎれもなく、日蓮大聖人のメッセージを現代に展開している方です」「いずこの社会や国でも、繁栄・成功する団体、機関はねたまれるのが世の常です。変な考えの人が見れば何でも批判の対象にしてしまうものです」と述べておられた。
 仏法を帰朝とするSGIの文化・平和運動に対する共感の声として、そのまま伝えさせていただく。見事な舞台を繰り広げてくださった中部の皆さまに、お礼申し上げたい。
14  また、「創価教育学」の著名な研究者であられるアメリカのデイビッド・ノートン教授(米デラウェア大学)と、同じくデイル・ベセル教授(米インターナショナル大学)も、それぞれご夫妻で文化友好祭に出席してくださり、次のように感嘆しておられた。
 「これ以上のものは想像できないと思えるほどの素晴らしい内容でした。おそらく、プロの人々が演技しても、あのような感動的なものは期待できないと思います。むしろ、素人だからこそ、あのような感動を与える演技ができるのではないかと思います」
 「特に『ホワイト』というバンドの演奏と歌は感動的でした。『魂』と『心』が感じられました。あの青年に、私たちが心から感動したことをお伝えください」と。
 「心」である。熱い「心」を込めた「平和の叫び」「平和の曲」「平和のリズム」が、く人の胸を強く打ったのである。
 真に「心」を込めたものは必ず人の「心」をさぶる。その素晴らしき模範であった。
 ノートン、ベセル両教授は、さらに、学会の青年部の姿に大変、感心しておられた。「このような文化祭は、青年たちの人格形成に多大な貢献をしていると思います」「アメリカの一般の若者たちも、何かを行いたいとの欲求はあるのですが、その目標はあまりにも浅く、例えば、すぐに物質的な見返りを期待しがちです」「その意味で、こうした文化祭は、青年に、深い行動の目標を与えるものであり、その人格形成にとって、きわめて重要な意味をもっており、素晴らしいことです」と。
15  「創価教育には健全な哲学がある」
 またノートン、ベセル両教授は、今回、創価大学を訪問された印象について、「その美しい環境に驚きました。特に記念講堂の壮大さと美しさに、深く感銘いたしました」と。
 講堂の中のユゴー像と、これから設置されるトルストイの像についても、「私たちも、この二人の文豪の作品は大好きです。その理念は宣揚されるべき内容を含んでいます」と述べられ、彼らの像を大学内に建てることは、まことに意義深いと、共感してくださっている。
 「教育」は全人類に開かれた「普遍性」が命なのである。
 さらに「創価大学は、世界の諸大学と幅広く交流を行っている」と、心からたたえてくださっている。
 また研究のテーマである「創価教育」について──。
 「私たちが、なぜ創価教育に関心をもつか。その理由の一つは、それが世界の不健全な風潮に抵抗し、その流れを変えようとする哲理を含んでいるからです」と。
 特にノートン教授は、「私がアメリカで二十五年間、教えてきたことは、実は創価教育学の中に説かれる原則ときわめて近い内容であったことを、最近、私は知ったのです」と述べておられた。
16  このほか学会、SGIが掲げる「世界市民」の理念と運動についても──。
 「池田先生が推し進められている『世界市民』並びに『国際主義』の考え方は、実に素晴らしいと思います。なぜなら、それは自分の家族や国家を否定するのではなく、むしろ家族や国家をさらに大切にしながら、『人類全体への貢献』を訴えておられるからです」
 「人類愛を訴えながら、自分の隣人とも仲良くできない人がいますが、そのような人の主張は信用できません。ちょうど、水の中に石を投げると、その波紋が池全体に広がっていくように、私たちの『愛』とか『忠誠』も、まず家族から始まり、次第に地域、国家、世界へと広がっていくものでなければならないと信じます」
 日蓮大聖人の仏法は、これまで、「民族宗教」あるいは「国家宗教」であるとの認識をもたれてきた面がある。もちろん、まったく誤った偏見である。
 御書を拝せば、ただちに明らかなように、大聖人の仏法は本来、「全世界」「全民衆」のための教えである。そして、この仏法を大聖人のお教え通りに正しく実践しているのが、私ども創価学会なのである。
 両教授をはじめ、世界の多くの識者から寄せられる理解と称賛は、そうした私どもの前進に対する一つの″証明″″励まし″の声と受けとめたい。
17  ソフト・パワーへ広がる共感
 最後に、ハーバード大学で行った私の講演(一九九一年九月二十六日、テーマ「ソフト・パワーの時代と哲学──新たな日米関係を開くために」)に出席された同大学の教授の声を、聖教新聞のロサンゼルス特派員が伝えてきてくれたので、紹介しておきたい。
 アメリカ宗教学会の第一人者、ハービー・コックス教授は、次のように語っておられる。
 「今から百五十年前、エマーソンは、このハーバード大学で有名な講演を行っている。それは、伝統と権威を重んずる学問に対する警鐘を趣旨としたものであった。
 真の学問・知識とは、人間一人一人の内面から、そして実生活の体験から、ほとばしるものでなくてはならない。権威によって与えられたり、また権威によって支配されるべきものではない。
 池田SGI会長の講演は、″内なる精神″の意義を現代に蘇生させようとされたものであり、エマーソンの講演の真義をほうふつさせるものであった」と。エマーソンは、ご存じのように、ハーバード大学出身の、十九世紀アメリカを代表する詩人、思想家である。
 またコックス教授は、仏教をはじめ高等宗教の本来の在り方に言及されている。
 「精神について、″伝統性″と個人の″内面性″を対比すれば、一般に、宗教の指導者は権威をもって教えをれ、その権威に民衆を隷属れいぞくさせようとする傾向がある。しかし釈尊をはじめ高等宗教の始祖しそたちは、決して精神性の押しつけなどしてこなかったはずである。釈尊は″自らの体験を通して学べ、体験を深く内面化させよ″と弟子たちに説いたのではなかったか。そこには、精神の権威の行使など毛頭なかったはずである」と。
 「その後の宗教の権威者たちが、精神の権威をもって民衆を支配しようとするのは、まさに『ハード・パワー』の行使であり、始祖の精神とまったく逆行するものと言えよう」と。
 また、武力・財力というハード・パワーを背景とするローマ帝国の支配と戦ったキリスト教の歴史にふれつつ、ソフト・パワーとしての「精神の力」の重要性を述べられている。
 そして、「講演は、ハード・パワーに揺れ動く世界にあって、ソフト・パワーの意義を広く顕揚けんようしたものであり、『精神のルネサンス』の宣言として、大変、貴重なものであると評価している」と語っておられたという。
18  またノーベル化学賞を受賞されたダドリー・ハーシュバック教授は──。
 「講演をうかがい、イソップの『北風と太陽』の話を思い起こした。
 北風は、自分の力(ハード・パワー)で旅人のコートを脱がせようとする。つまり、権威にひざまずかせようとする。しかし旅人は固くコートのえりを閉じ、心を閉ざした。権威には屈しなかった。だが太陽は暖かな陽光(ソフト・パワー)により、旅人の心を自発的に開かせたのだ」
 「人間に限らず生物は、ハード・パワーを用いると本能的に心を閉じてしまう。すべてのしゅには、そうした本能がある」と。
 「だがソフト・パワーによれば、すべては本能的に協調のハーモニーを築いていく。SGI会長のソフト・パワーの提言に、すべての聴衆は強く反応した。私は多くの重要な講演に参加したが、これほど聴衆から強い積極的な反応を引き出したのを見たことがない」
 「SGI会長の呼びかけに対し、″そうだ、ソフト・パワーの時代だ″との強い響きが聴衆から返ってきた。私は、その反応を『心』と『心』の壮大なシンフォニーを聴くような喜びで受けとめた」と。
 そして、「人間の尊厳、人間の自由を何人なんぴとも奪い去ることはできないのだ、との人権の宣言を、その講演から深く聴き取り、私は、言い知れぬ希望と勇気に包まれた」と語っておられたという。
 ──このほかにも、多くの反響が寄せられている。もとより私個人への評価と言うよりも、仏法を基調とするSGIの理念と運動が、時代の先端を進んでいる、人類の幸福を開く正しい方向へと進んでいる、その一つの証左を後世にとどめゆく意味から、ありのままに紹介させていただいた。
19  歩こう!夢を大空にしきつめ
 先ほどの軽音楽部の皆さまの演奏は、大変に感動的な演奏であった。
 ソウル・ミュージックとは何か──。「ソウル」とは「魂」のことである。
 数百年もの間、不当な暴力に耐え、差別と闘ってきたアメリカ黒人の歴史。そのなかから、数々の文学や、ジャズなどの優れた音楽が生まれた。特に一九六〇年代、実質的な平等を求めた公民権運動のさなか、解放への「魂の叫び」として広く歌われはじめたのが、この「ソウル・ミュージック」である。
 先ほど演奏してくださった「いつか自由に」(サムデイ・ウィール・オール・ビー・フリー)も、権力の束縛に屈せず、自由に向かって前進する民衆の「魂の叫び」を美しく歌い上げた曲である(作者は、一九七〇年代を代表する作曲家ダニー・ハサウェイ)。
 この曲は、次のような内容であるとうかがった。
  鋭く見抜け、人の世の流転るてん
  時代の回転に振り落とされるな。
  世界の動きは速い。
  団結が固ければ、負けはしない。
  気高く歩き続けよう。
  こうべを上げ、胸を張り、夢を空いっぱいにきつめよう。
  偉大な歌を歌いながら、君は、どこまでも、どこまでも伸びていく。
  いつか皆、必ず自由になる。
 素晴らしいソウル音楽に感銘しました。熱演、本当にありがとう!
 本年も、残すところ二カ月。どうか有意義な一日一日で、立派に総仕上げしていただきたい。
 特に十二月(一日)の任用試験を受験される諸君の健闘を祈りたい。青年部は、「全員が教授に」を合言葉に進んでほしい。
 一万人を超える人々がいたというインド古代のある大学(ナーランダーの仏教大学)は、学生や教師はもとより、全員が優れた人格と一級の学徳を要求されていたと伝えられている。それと同じように、″全員が一級の広宣の闘士″″全員が社会の一流のリーダー″と誇りうる「創価学会」を、また「青年部」を、皆でつくっていただきたい。
 青年が動けば時代は動く。青年が立ち上がれば民衆は勝利できる。
 どうか明年の「創価ルネサンスの年」は、諸君の力で″すべてに勝利″の実証を堂々と示しきってほしいと念願し、本日の記念のスピーチとしたい。ありがとう!

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