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第14回SGI総会、本部幹部会、中部総… 「民衆主体の宗教」が興隆

1991.10.21 スピーチ(1991.10〜)(池田大作全集第79巻)

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1  躍進の「中部」が夢の″大文化祭″
 第十四回SGI(創価学会インタナショナル)総会、第七回中部総会、そして全国では第四十七回本部幹部会、おめでとうございます!
 きょうは、世界のSGIの代表の皆さまが、元気いっぱいに集まってくださった。「ようこそ!遠いところ、ご苦労さま!」と、心から歓迎したい。
 また、特に愛知の皆さまには、SGIメンバーの宿泊も含めて、大変にお世話になった。謹んでお礼申し上げたい。
 躍進する中部。その勢いは素晴らしい! 全国・全世界の同志が、目をみはっている。さきほどの大野中部長の挨拶を聞いていて、「いつから、こんなに堂々としてきたのか」──「ついに″打倒関西″の火の手をあげたな」、と言っている人もいた。昨日の文化友好祭も、実に見事な文化の祭典であった。感動した。大成功、本当におめでとう!
 文化友好祭の終了後、私は、車中で歌をんだ。
  天に虹
   大地に人華の
      八千の
   青春乱舞の
      この世の夢かと
 開会前の朝、祝福の「虹」も出た。出演者・参加者を合わせ、八千人の″人のはな″。生命からほとばしる、歓喜のハーモニー、躍動の舞は、″夢か″と思われるほど、他の世界では想像もできない美しさ、見事さ──そして心を揺さぶる感動の舞台であった。
2  人と人を結ぶ「詩と哲学の道」
 文化友好祭に来賓として出席されたチャンドラ博士(インド文化国際アカデミー理事長)は、私との懇談の折、「インドと日本の間に、″詩の道″″哲学の道″を開いてほしい」との思いを語ってくださった。″詩と哲学の道″。それが真の″人間の道″である。そして″人間の道″こそが、人と人を結びつけ、ひいては国と国を近づけていく根本の道である。チャンドラ博士は、SGIの代表に次のようにも語っておられたという。
 「詩人の『詩』という漢字は″言(ごん)べん″に″寺″と書きます。本来の仏教の深い哲学、思想を根底に、未来への鋭い洞察力、豊かな知恵をもって語る言葉が『詩』といえるのではないでしょうか。その意味で、人を詩人としてたたえることは、最高にその人格をたたえることになります。そして池田SGI会長は、世界を照らす、まことに、まれな詩人です。
 その、民衆を愛する慈愛の一念から発せられる、すべての言葉と行動に、″真に偉大な人間″との尊敬を抱かずにはいられません」
 (また同博士は、仏法を基調としたSGIの平和・文化・教育の運動、SGI会長の行動にふれ、「まぎれもなく、日蓮大聖人のメッセージを現代に展開されている」「千年先をも見通されているスケールの大きさを知った」等と評価を寄せている)
 私は一人の代表として、「詩の世界」「心の世界」を大切にしてきた私どもの運動全体への、理解と共感の声と受け止めたい。
 チャンドラ博士の父君のラグヴィラ博士は、サンスクリット語を中心として、仏教文化にも造詣の深い、世界的な学者であられた。中国の周恩来総理とも、敦煌とんこうの仏教文化の研究・継承等を通して、深い友情を結んでおられた。今回、チャンドラ博士から贈られた経典(七、八世紀ごろ、直立グプタ文字で書かれた法華経の写本のマイクロフィルム)も、そうした父子二代にわたる探求の足跡をも物語る、大変に貴重なものである。
 チャンドラ博士は、文化友好祭の感想を「本当に感動しました。スタンドの演技者、フロアの演技者、そして観客が一体となって、素晴らしい調和の世界をかもしだしていました。あの感激は、一生、忘れることはできません」と語っておられた。重ねて中部の皆さまに、「おめでとう」と申し上げたい。
3  タンゴ界の巨匠の「友情の賛歌」
 本日は、世界の友がおられることだし、話題をタンゴの国・アルゼンチンに転じたい。
 きょう、アルゼンチン・タンゴの巨匠であるオスバルド・プグリエーセ氏から新作の「楽譜」と、演奏の「テープ」が届いた。
 プグリエーセ氏は、「最後の大マエストロ(巨匠)」「タンゴ百年の歴史とともにあったプロ」と偉業を称賛されている、タンゴ界の頂点の人である。一九〇五年、アルゼンチン・ブエノスアイレスに生まれ、十五歳でプロ・ピアニストになる。三九年にプグリエーセ楽団を結成して以来、世界各国で公演を行い、タンゴ・ファンを拡大してきた。ブエノスアイレス市名誉市民。大統領の文化顧問を務めたこともある。
 一昨年の十二月、東京でプグリエーセご夫妻にお会いした。氏は、すでに八十歳を超えておられた(八十四歳)。七十年にわたる輝かしき演奏生活をしめくくる引退公演のため、民音の招聘で来日されていたのである。
 お会いした際、プグリエーセ氏は、私に自作のタンゴの曲を贈りたい、と約束された。
 「曲名は『トーキョー・ルミノーソ(輝く東京)』に決めてあります。東京の美しく明るい夜景に、日本の人々の″輝く心″を見た思いがしたからです。平和への思いをこめて、ぜひ名誉会長に受け取っていただきたい」と。
 私は、日本とアルゼンチン、そしてすべての国と民族を「友情」で結ぶという意義をこめ、「友情の賛歌」との愛称を提案した。プグリエーセ氏も「大賛成です」「共に力を合わせて、平和へと進みたい」と快諾かいだくしてくださった。
 この時の約束通り「信義の結晶」ともいうべき珠玉のタンゴが、きょう届いたのである。
 届けられたテープの冒頭には、プグリエーセ氏のメッセージが入っていた。
 「平和と自由という私たちの共通の願いのために、両国の親交と友愛が続くよう、この曲、タンゴ『輝く東京』を池田大作先生にお贈りいたします」と。
 「平和」と「自由」は、まさに私どもの共通の願いである。そのために私たちは戦っている。これからも、この人間主義という「人類の王道」を行く。
4  この曲をラテン音楽の第一人者である評論家の濱田滋郎氏がかれて、「さすが名匠の手になるものらしく、格調の高い曲である」と、感想を寄せてくださった。
 「いかにもタンゴ的な構成だが、それでいて新鮮な味わいに満ち、月並みな感じのしない曲調である。第一部に示された人生のさまざまな追憶に寄せる感懐、第二部でうたわれた希望と歓び、それらすべてがこの非凡な芸術家の真情から湧いたものであるからに違いない。副題を『友情の賛歌』ともいうこの曲は、信念のマエストロ、オスバルド・プグリエーセが後世に残す貴重な遺産のひとつとして、いつまでも光を放ちつづけることであろう」と、氏は絶賛されている。
 ここで、この名曲を皆さまに披露したい。
 (ノルベルト・ラモス氏の編曲で、ラモス氏ひきいる楽団による『輝く東京』の演奏テープが流れた。メロディーに合わせて、名誉会長もタンゴのダンスの手ぶりを。場内は感動の拍手にわいた)
 大変に素晴らしい曲である。また、見事な演奏である。繰り返し、「グラシアス(ありがとう)!グラシアス!」と申し上げたい。
5  仏教文化の都″敦煌″衰亡の歴史の教訓
 話は変わる。アルゼンチンのタンゴから、中国の敦煌(とんこう)へ──。気鋭の敦煌研究者の一人であられる北海道教育大学の(山田勝久)教授が、敦煌をテーマにした、ご自身の講演の概要を寄せてくださった。示唆に富む内容なので、要約して紹介させていただきたい。
 テーマは″敦煌興亡の歴史″──その焦点は、なぜ繁栄を誇った敦煌が衰亡したのか、である。
 ″大きく輝ける町″敦煌。それは、私の少年時代からの憧れの地である。多忙で夢を果たせないが、これまで幾度も招聘を受けている。また本年、敦煌研究院から「名誉研究員」の認定もいただいた。日本人では平山郁夫画伯と私の二人ということである。(敦煌研究院の「名誉研究員」の認定は、名誉会長の長年にわたる平和と日中友好への貢献、また文物保護・研究・文化交流など敦煌事業の発展への尽力に対して贈られた)
6  敦煌の名が歴史に登場するのは紀元前一一一年──約二千百年前、中国の前漢時代にさかのぼる。当初、敦煌は、漢による″西域経営″の軍事基地として開かれた。そして、中央アジアの安定とともに、東西の文化がシルクロードを通って、にぎやかに交流し、仏教東漸とうぜん揺籃ようらんの地として、大いに繁栄した。
 四世紀末までには、シルクロードの住民の八〇%が、大乗仏教を信仰していたといわれ、なかでも法華経を重視していた形跡けいせきがうかがえる。釈尊の法華経の、一次元における「広宣流布」の姿といってよいかもしれない。
 そうしたなか、敦煌は、数多くの民族が入りまじり、活気あふれる″自由と平和の天地″であった。仏教文化、庶民文化の華も咲き誇った。大きく、また絢爛けんらんと──。
 私どもSGIの運動も、この地球上に、美しき″人間賛歌の文化″″民衆凱歌がいかの社会″の花園を広げゆく運動である。
 あの有名な莫高窟ばっこうくつ千仏洞せんぶつどうが造営されたのも、この時代であった。
 (莫高窟は敦煌郊外、鳴沙山めいさざん三危山さんきざん相迫あいせまるオアシスの断崖に築かれた石窟せっくつ寺院。四世紀(三六六年)に造営が始められ、以後約千年にわたり仏教文化の中心となった)
 その名のごとく、輝くばかりに栄えた敦煌の様子は、当時の歴史書の各所に記述されている。
7  しかし、繁栄は永遠に続くことはなかった。人々は万代の繁栄を願い、望んだであろう。だが、歴史の審判は厳しかった。敦煌に花開いた仏教も、八世紀ごろ(唐の時代)、滅亡の兆しが始まる。もちろん、そこには、さまざまな要因が重なっていることも事実である。
 たとえば、(1)航海技術の発達により、交易ルートとして、南海路(海のシルクロード)の重要性が高まり、相対的に陸路(オアシス・ロード)の必要性が低下した(経済的繁栄のかげり)(2)民族意識の高まりにより、諸民族融合の象徴であったシルクロードが分断された(社会の変化)(3)イスラム教徒の侵入があった(外敵の侵略)などが考えられる。
8  「権威の悪侶」が「真心の民衆」を奴隷化
 それはそれとして、敦煌の仏教滅亡の最大の要因は何であったか──。前述の教授は、仏教内部の「腐敗」と「堕落」であったと指摘しておられる。
 ″内部から崩れた″と。内側が腐敗してしまった。堕落してしまった。万有流転といおうか、″興亡″の歴史の方程式は、昔も、そして今も同じである。
 当時の僧侶も、民衆を抑圧し、蔑視した。限りなく搾取した。僧は″悪の代名詞″にさえ堕してしまっていた。
 彼らは、貪欲に、名利の追求に狂奔した。頭の中は″仏道″ではなく、″金儲け″のことばかりになってしまった。「法の正邪」に対する厳しさは薄れ、都合のよいように書き換えられた偽の経典が流行した。その経典にかこつけて、民衆をおどかし、だまして、金品を巻き上げた。「法」の純粋性を守り、後世に伝えゆく使命など、いつしか完全に放棄してしまった。それが、僧侶の嘆かわしい実態であった。許されざる「仏法利用」「信仰利用」である。
 さらに、寺院への民衆の隷属を強いるため、「寺戸じこ」と呼ばれる特殊な制度をも作る。「寺戸」は寺の周囲に住まわされ、″移転の自由″も、地域住民との″結婚の自由″もない。寺のために一生、強制労働に従事させられたといわれる。
 しかも、年を取り、使いものにならなくなると(働けなくなると)、他のオアシスに追い払われた。役に立つうちは利用し尽くし、用がすめば、とたんに切り捨てる──この無慈悲、残酷、非道。これが聖職者のすることであろうか。
 「歴史」は、ありありと「現在」の本質を映し、私どもが進むべき「未来」を照らしてくれている。
9  僧侶にとって、民衆は″法を求める一個の人間″というよりも、″しぼりとるだけ、搾りとり、用がすめば捨て去る″という、いわば″布施ふせ製造機″と映っていたのかもしれない。仏子を尊敬するどころではない──。
 苦しみにあえぐ民衆。水で飢えをしのぎ、夜ごと寒さにふるえ、自分の子供を質に入れて食料を得る人までいた。そうした苦悶をよそに、僧たちは毎夜のごとく、役人を接待し、酒宴を繰り広げた。
 権威・権力に生きる人間は、自分より″上位″の権威・権力にこびるしかない。そして″下位″の人々には、いばりちらす。この、へつらいと傲慢の二重性格──。要するに「自分」というものがない。確固たる人間性がない。卑しい限りの人間になり下がっているのである。
 なお、近年、発見された敦煌寺院の「収支決算表」には、さらに驚くべき実態が記録されていたという。それによると、寺院の収入の第一位は、何と「高利貸」による利益であった。利子も法外で、半年で五割、期限に遅れると十割とされた。このため支払いに追われ、窮乏した農民が多数存在した。
 しかも、支払うことができず、逃亡した者がいれば、必ず保証人から徴収できるという証文まで書かせていたというのである。これでは、もはや「出家」ではない、「商人」である。
10  さて、こうした理不尽なる僧たちの仕打ちに対し、敦煌の住民が立ち上がり、戦った時期もあったという。一時、住民は「規約以外に布施を強要することはできない」という誓約を勝ち取ったこともあった。しかし、在家に良き指導者がいなかったため、すぐに破棄され、暗黒時代が続くことになってしまった──。
 「一人」の賢明な指導者がいるか否か。そこに幸・不幸の分かれ目がある。
 僧の言うなりに供養をみつぎ、肥えさせ、つけ上がらせてしまった。その意味で、僧の横暴を許した民衆の側にも一因はあったといえる。
 「悪」に対しては、団結して戦い、破らなければ、厳しくいえば、悪を助長したことにさえなってしまう。いわんや、僧の悪を支え、供養することは、仏法の破壊に手を貸すことになる。
11  また敦煌から出土した文書は、僧が権威を振りかざし、どなりちらしながら民衆から布施を巻き上げる様子を多く描いている。
 長年、言われるがままに供養を続けたある人物が、死を前にして僧に慈悲を求めた手記には、「お届け物というにも価しませんが、どうぞ驚かないでください。また、お叱りにならないでください」と。人々に、僧侶が「恐怖感」を与えていたことが、なまなましく伝わってくる。
 供養するほうがこれほどおびえ、哀願しなければならない。供養を受ける者はどこまでもおごり、つけ上がる。これはもはや「人間」の世界ではない。まして「仏法者」の世界では断じてない。宗教の権威の魔性に取りつかれた「倒錯とうさくの世界」を断じて許してはならない。
12  敦煌の滅亡は、あまりにあっけなかった。
 やがてイスラム教徒の侵入が始まると、僧たちは民衆を捨て、財産だけを持って長安の都へ逃げ去ってしまう。
 取り残された民衆は、不安と恐怖のなか、散り散りになり、繁栄をきわめた敦煌は、やがて廃虚として流沙りゅうさの下に埋もれてしまった──。
 敦煌の衰亡。それは、聖職者の権威に抑圧された民衆の悲惨な歴史である。私どもは、絶対にその愚行を繰り返してはならない。こうした人類史の流転を転換しゆくことこそ、SGIの使命であると申し上げたい。
13  SGIは永遠に「大聖人と共に」
 大聖人は、腐敗・堕落した既成宗教と真っ向から戦い抜かれた。私ども学会は、この崇高な大聖人の御精神を受け継いで、御遺命たる「世界広宣流布」に立ち上がったのである。
 「大聖人の門下」として「大聖人とともに」戦う私どもに、″権威の宗教″からの策動、ねたみ、圧迫があるのは当然であろう。しかし、御本仏を絶対無二と「信じ」、御本仏の教えを「学び」、「実践」している仏子をいじめる者に、厳しき仏罰があるのは、御聖訓に照らし、間違いない。
 ゆえに我々は、難こそ「大聖人の真実の門下」の誉れと、胸を張りながら、どこまでも楽しく、痛快に、悠々ゆうゆうと進んでいきたい。何ものにも壊されない遊楽の人生、幸福への信仰、永遠なる広布の旅路たびじを、ともどもに歩み抜いていきましょう。
 ともあれ、本日のSGI総会、本部幹部会において、私ども「SGI」「創価学会」は、御本仏・日蓮大聖人を信じ、大聖人の教えを根本とし、大聖人とともに永遠に前進していくことを、改めて確認しておきたい(賛同の大拍手)。
14  さて、先日、愛知で教べんをとっておられる、ある著名な学者が、私のハーバード大学での講演(一九九一年九月二十六日、テーマ「ソフト・パワーの時代と哲学──新たな日米関係を開くために」)に対する感想を寄せてくださった。
 「アメリカ最高の知性の府で講演されたことは、今後とも大きな意義をもつと思います。アメリカ社会への知的影響力の面でも大変、優れた内容であり、講演の成功を心よりお祝い申し上げます」
 「池田名誉会長は講演の中で″内発的なるもの″を強調されていますが、私は、学会の運動は平和・文化・教育の分野で″内心倫理化″を図っているものと考えています。これこそ時代に適した運動であると思います」と。
 また「宗教が大きく広がるのは『常識(コモンセンス)』に立脚りっきゃくした時であると考えます。その意味で、自己の権威だけを絶対化し、『常識』に欠ける教団は、その点で、決定的にだめなことがわかります」。
 「学会が、池田名誉会長を中心として、ここまで大きく日本に、世界に広がり、社会的役割を果たしてきた事実は、学会員の意識に(団体の枠内にとどまらず、社会へ世界へ貢献していくという)プラスアルファの要素があったればこそ、ここまで真摯しんしに取り組んでこられたと思います」──と。
15  「一閻浮提いちえんぶだい広宣流布」と仰せのように、大聖人の仏法は、世界に開かれた仏法であり、全人類のための仏法である。決して一部の特権階級のものではない。
 大聖人の仏法を、我欲や感情のままに私物化し、人々に君臨していくための手段・道具とすることは、「法盗人ぬすびと」であり、大聖人への″師敵対″の大罪であると断ぜざるをえない。
 私どもは、真の門下として、大聖人の目指された″全人類のため″の幸福と平和の大道を、希望と確信に満ち満ちて前進してまいりたい。
 私も、明年も世界を回ります。またSGIの交流団も多くの国々へ訪れます。各国の皆さま、どうか楽しみに待っていてください!また交流団がお世話になると思いますが、よろしくお願いします。
 はるばる来日されたSGIの皆さま、本当にありがとう。どうか楽しい日本滞在としてください。また中部の皆さま、全国の同志の皆さま、意義深き記念の総会、幹部会、本当におめでとう。

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