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日蓮大聖人・池田大作

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関西総会 太陽の仏法は全人類に「平等」

1991.10.16 スピーチ(1991.10〜)(池田大作全集第79巻)

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1  常勝の心意気で世紀へ闊歩せよ
 おおきに!ほんまに、ありがとう!素晴らしいコーラス、見事な演奏でした!
 <スピーチに先立ち、女子部有志が、チャイコフスキー作曲の「ピアノ協奏曲第一番」を、各合唱団・関西吹奏楽団が、関西の歌「常勝の空」を高らかに奏でた>
 さきほどから、おきしていて、「さすがは、兵庫での会合だ」「大阪とは違うな」(笑い)と、失礼なことを言っている人がいたようだ。
 ともあれ、第十三回の関西総会、第五回兵庫県総会、そして関西婦人部の常勝の花満開総会──長い名前だが──本当におめでとう!
 昨日も、またきょうも、たくさんの方々が、ここ神戸の″日本一″の会館に駆けつけてこられた。さきほども、会館の窓から、前のフラワー・ロードにおられる方々に、三色旗でごあいさつをさせていただいた。そうした″真心の同志″の皆さまを、私は、だれよりも大切に思っている。また、皆さまの健康と長寿と幸福を、毎日、真剣に祈っている。祈らずにはいられない。
 また、きょうは、「関西働く婦人の会」の結成二十五周年記念総会、第五回大阪女子大会総会も兼ねて、関西二府五県の百二十一会場で同時中継による集(つど)いが開かれている。兵庫の各会場には、婦人部の「夜明け会」「兵庫香峰会」「兵庫白ゆり大学校」の皆さまも集われている。
 さらに、夜には全国各地で県・区幹部会が開催される。
 昼に集われた皆さま、夜に集われる皆さま、平日にもかかわらず、大変にご苦労さま!本当におめでとう!
2  さきほど演奏してくださったチャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番について、ご紹介したい。この曲は、数あるピアノ協奏曲の中でも、優れた音楽性、大衆性をそなえた名曲とされている。
 一八七四年、チャイコフスキーは、この曲を、モスクワ音楽院のニコライ・ルービンシュタイン院長、フーベルト教授の前で試奏しそうした。当時のモスクワ楽壇の大御所おおごしょである。しかし、そこでは、せっかくの苦心作を、これ以上ないというぐらいに酷評こくひょうされた。
 この曲は、数々の技巧ぎこうがちりばめられ、きこなすには難しい曲であった。また当時の常識を越えた斬新さがあった。しかし、モスクワ楽壇の最高権威を怒らせたのは、そのこともあるが、これほどの大作を作るのに、当代きっての名ピアニストでもあるルービンシュタインに、何の相談もなく、指導を求めることもなかったからだといわれている。まさに権威主義である。権威者は、うぬぼれややきもちが強くなると、本物の価値さえみえなくなってしまうことがあるものだ。
 しかし、翌年十月、アメリカのボストンで行われた世界初演では、聴衆の熱狂的な支持を受ける。翌月の、モスクワでの初演も、大好評を呼んだ。大衆は賢明である。
 三年後、さしものルービンシュタインも認識を改め、チャイコフスキーに謝罪する。そして積極的にこの曲を演奏するようになったという。この曲の真の価値は、大衆によって証明されたわけである。
 こうした背景を踏まえての、素晴らしい選曲、演奏であった。ありがとう!
3  さて、アメリカでの「関西総会」の開催が決定した。本当におめでとう!
 あの昭和三十一年(一九五六年)の大阪の戦いの当時、私はいつも、周囲の同志に申し上げていた。「関西の人が世界中を、大手を振って胸を張り、肩で風を切って歩けるようになってもらいたい。それが私の願いです」と。いよいよ、そうした時代が本格的に幕を開けた。
 「世界の関西」と今までも口では言ってきたが(笑い)、二十一世紀を前に、いよいよ現実の舞台が洋々と開けてきた。
 関西は日本の″心臓部″である。″どこにも負けない″″常にトップを勝ち取ってみせる″との気概きがいにあふれている。「挑戦」の心意気がある。そして、アメリカは、世界広布の中心の舞台である。いよいよ皆さまが、「共戦」という「カンサイ・スピリット」で、世界を大きく前進させていく時代となった。心から祝福を申し上げたい。
4  太陽の仏法に「差別」はない
 日蓮大聖人の仏法は「太陽の仏法」であられる。
 太陽は全世界を照らす。その光は、一部の人々、一部の地域だけのものではない。まして、一部の悪人たちだけを照らす太陽などあるはずがない。
 太陽には「差別」がない。「太陽の仏法」もまた、どこまでも平等である。
 この仏法を信仰しているように見せかけながら、自分勝手な「差別」を持ち込むのは、「太陽の仏法」を殺す魔の働きであると断ぜざるをえない。
 いわんや悪人と陰で手を組み、正法破壊の陰湿いんしつ策謀さくぼうをめぐらせるのは、「太陽の仏法」の信仰者とは言えないと私どもは思う。
 大阪の古称「難波なにわ」には、一説に「太陽を迎える所」との意義があるという。
 さらに「明石あかし」など兵庫も、万葉の歌人たちに多くうたわれているが、「難波」の枕詞まくらことばは「押し照る」。″光が、おしなべて照る″との意味が込められているといわれる。
 万葉の古き時代から、太陽の偉大な輝きをたたえ続けてきた関西。この地は、まさに「太陽の仏法」が昇りゆくにふさわしい国土といえまいか。
5  フランクリン「われわれは身分より行動を見る」
 さて、さっそく、話の舞台はアメリカに移る。
 ″すべてのヤンキー(アメリカ人)の父″と尊敬されているベンジャミン・フランクリン(一七〇六〜一七九〇年)。嵐の日のタコあげの実験でも有名であり、科学者、文筆家、社会活動家、政治家等々、あらゆる顔をもった″万能の人″といわれる。
 その彼が「アメリカに来る人々へのお知らせ」という文章を書いている。
 当時、ヨーロッパをはじめ世界から、新天地・アメリカへ、人々が押し寄せようとしていた。「アメリカはどういうところか」──フランクリンは人々に、その基本を教えたのである。また、「こういう人々に来てほしいのだ」というアピールでもあった。
 皆さまは、これからアメリカにも、どんどん行かれるであろうゆえに、紹介しておきたい。彼の「お知らせ」の核心を要約すると、アメリカは「名門の人、お断り」だという。「よかった」と安心した人も多いと思う。
 「ヨーロッパでは名門は価値があるが、この商品(=名門という家柄や権威)を運ぶにアメリカほど不利な市場はどこにもない。アメリカでは他人のことを『あの人はどういう身分か?』とは聞かないで、『あの人は何ができるか?』と聞くのである」(「アメリカへ移住しようとする人びとへの情報」、アメリカ古典文庫1『ベンジャミン・フランクリン』所収、池田孝一訳、研究社出版刊)と。
 そして、アメリカにとって「名門」とは、何世代にもわたって「なんら価値あることをせず、無為に他人の労働に寄食(きしょく)する、単なる穀潰ごくつぶし、あるいはろくでなし」を続けてきた人々であると見ていた。「自分は苦労もしないで、必死に働いている人々の金を吸い取り、遊び暮らしている」──それが貴族だ、最低だというのである。
 ″働かない人間は、アメリカにはいらない″。フランクリンの言葉は、強く鋭く、人間のおごり、安易あんいな生き方を弾呵だんかしてやまない。広宣流布の世界、仏法の世界にも、価値なき″特権階級″″貴族″はいらない。
6  さらに、フランクリンは、″アメリカ人は、自分の祖先や親類が、何世代もの間、農夫、鍛冶屋かじや、大工、ろくろ師、織工しょっこうなど、社会の役に立つ一員であったことがわかったほうが、身分ばかり高くて、無為徒食むいとしょくの連中よりも、ずっと尊敬される″と言っている。
 実際にひたいに汗して″働く人″こそが″偉い人″である。本当の″尊敬に値する″アメリカ人である。本当の「人間」であると。私どもも、まったく同感である。
 彼は、ある黒人の言葉を引いている。
 「(白人の旦那は)黒人を働かせ、馬を働かせ、牛を働かせ、全部のものを働かすだ。んでも豚は駄目だ。こいつぁ、豚は、働かねぇだ。食って、飲んで、歩き回って、好きなときに寝ちまって、紳士の旦那みてぇな暮らし方をしているだ」──と。
 全部、人にやらせて、自分は働かないという点で、いばった「紳士の旦那」は豚と同じである、と。長い間、差別され、しいたげられてきた、底辺の庶民の目からの、まことに痛烈つうれつな皮肉である。民衆の目は鋭い。ごまかせない。
7  要するに、「名門の権威」や「形式主義」は、アメリカでは通用しない。必要ない。アメリカは、実際に働く人を求めているのだ──と。次元は異なるが、「仏法の世界」でも、実際に広宣流布のために働く人が偉いのである。その人こそ御本仏の仏子ぶっしなのである。
 フランクリンのこの「お知らせ」は、世界中の人々に読まれ、「新世界」の力強い鼓動こどうを伝えた。そして、各国から、アメリカの建設に燃えた新しい労働力を引き寄せた。
 私ども創価学会も、日蓮大聖人御遺命ごゆいめいの「世界広宣流布」のために働こうと願って集った「使命の同志」の集いである。不思議なる「使命の団体」である。
 二百年前の文章(一七八二年の執筆といわれる)とはいえ、アメリカの「骨格」は同じといえよう。その差別なき「平等」の精神は、仏法の本来の精神に通じる。また、権威をものともしない、″庶民のまち″関西との共通性がある。
 貧しい丸木小屋で生まれたリンカーンが大統領になれる国──それが本来のアメリカなのである。
8  時代の潮流は″民衆中心″へ
 きょうは実は、ほかのテーマでお話ししようかとも思っていた。しかし、「世界の関西」の皆さまであるし、明後年にはアメリカで総会をするのだから、もう少々、アメリカの話をさせていただきたい。
 「大統領」といえば、ハーバード大学の学長のことを「教育の大統領」にたとえた新聞がある。先日(九月二十六日<日本時間二十七日>)、お会いしたルデンスタイン学長の第二十六代学長就任を祝しての記事である。ハーバード大学は″世界最高峰の大学″。将来、皆さまの中から、またお子さま方の中にも、ここで学ぶ人が出ると思う。
 さて、その記事には、「ルデンスタイン氏は五十六歳。聡明そうめい、低姿勢、自制心、自信、率直そっちょく、とらえにくい概念をすばやくとらえ、複雑な事柄ことがらでも、明快に説明できる能力を持つ」──と。そして、これまでの学長と違うのは、ルデンスタイン学長が″庶民出身″という点にあると書いている。
 ″庶民の学長″──時代は大きく変化している。刻々と動いている。「庶民の時代」「民衆の時代」へと。その大潮流に目を閉ざし、硬直化した権威や地位にしがみついているだけでは、もはや″過去の遺物いぶつ″にすぎない。
 仏法は常に時代に生き、社会に生き、その時代、その国の人々を現実に救うためにあるはずである。
9  「差別の肯定」は「法華経の否定」
 新聞は、こうつづっている。
 「彼のき父は、(アメリカの)コネチカット州の看守かんしゅで、キエフから移住してきたロシア系ユダヤ人。母は、イタリア系アメリカ人の第一世代で、彼女は今も臨時のウエートレスの仕事をしている。
 エリートだけが思い通りの教育を我が子に受けさせることができる時代にあって、ルデンスタイン学長は、全階級のための教育を考えることのできる人物である」
 ハーバード大学は、いわば世界を動かす″エリート中のエリート″の大学である。しかし、その中にあって、″特別な人間のためだけの教育″ではなく、″すべての人に開かれた教育″を考えうる人物であると。一つの「教育革命」への方向性といってよい。
 事実、学長は、黒人や中南米系などの少数者(マイノリティー)、女性、外国人の学生・教師への「差別撤廃てっぱい」に尽力じんりょくしている。
 仏法なかんずく「法華経」の世界には「差別」がない。一切衆生を平等に照らす「大法」を明かすところに、法華経の眼目がんもくがあった。ゆえに「平等の否定」は「法華経の否定」なのである。
 また「差別」は「人権否定」であり、「人間蔑視べっし」である。法華経の不軽菩薩の精神と正反対である。そして、「差別なき世界」を志向する時流を無視した″時代逆行″でもある。「時」を無視することは、仏法の教えに反する。
10  「本来、『教育大統領』という役職はアメリカにはないけれども、ルデンスタイン学長は教育問題で、最も影響力を発揮できる存在となろう」と記事は結論している。
 また、別の新聞でも、「ハーバードの学長とは、全教育界の代表者と見なされる」と期待を寄せている。
 それだけに、学長の選出は極めて厳格で、海外を含む数十万人の人々の意見を参考に、十カ月にわたる、あらゆる吟味ぎんみを経て決定された。ルデンスタイン氏の就任は「ハーバードの幸運」と呼ばれ期待されている。
11  「謙虚は力に、傲慢は無力に基づく」
 初秋のボストン。ハーバード大学のキャンパスでは、紅葉をひかえた樹々の間を、大きなリスたちが走り回っていた。美しい緑に包まれ、落ち着いた、由緒ある、立派な建物が並んでいる。そうしたなかで、ひときわ質素な建物のなかに学長室はあった。
 約束の時間の少し前、学長は自分の部屋を出て、一人で私を迎えに来てくださった。淡々たんたんとして、いわゆる″高位の人″の威圧的なふうは、まったくない。写真で顔を知っていなければ、失礼ながら秘書の方かだれかと間違えたであろう。──それくらい偉ぶらない、謙虚けんきょな態度であられた。
 体を折り曲げるように、深々と礼をされる。本当に恐縮し、感銘した。
 学長室も質素である。机の上には、仕事の途中なのであろう、さまざまなメモや書類が広げられていた。まさに″働く人″の部屋である。
 学長は、私にはソファをすすめ、ご自分は「これが学長用の椅子となっています」と、小さな背もたれだけの、臙脂えんじ色をしたかたい木の椅子に座ろうとされた。
 「それはいけません」──私は、強いて、ソファに座ってもらった。
 懇談の間も、終始、軽く頭を下げられたまま、まことに謙虚な、礼儀正しさの模範のようなお姿で、話を続けられた。それが「教育の大統領」の実像であった。何という、磨き抜かれた人格か。私は心から感動した。本物の「人物」にお会いした気がした。
 「謙虚さは力にもとづき、傲慢ごうまんは無力に基づく」(ドイツの文筆家・ニッツ)という言葉がある。「力」がある人ほど「謙虚」なのである。
 いばる人、どなる人は、実は無力なのである。中身がないゆえに、ふくれる風船のようなものである。この一点をよく覚えていただきたい。
 イギリスの哲学者・ベーコンは、「威張る人間は、賢い人に軽蔑けいべつされ、愚かな人に感嘆され、寄生虫的人間に奉られ、彼等自身の高慢心こうまんしん奴隷どれいとなる」と見抜いた。
 「いばる人」「どなる人」を奉るのは、その人に「寄生」する人間だけであると。またそうした人物を感嘆するのは「愚者」だけであると。
 いずれにせよ、そういう人々は、一流の世界では決して相手にされない。ゆえに「法」を弘(ひろ)められるはずもない。
 もともとハーバードは、聖職者を教育する目的でつくられたが、途中で、抜本的な変革をし、一般の学問中心の大学となった。聖職者中心では、どうしても理性が、そして人格がゆがめられることが、はっきりしたからである。この歴史の教訓の意味は大きい。
12  学長は、ある新聞のインタビューで、あなたがこれから発揮できる「一番強い力は」と聞かれ、はじめに「何より、私は『聞きたい』と強く願っています」と答えている。
 皆の声を「聞く」ことが、自分の「最大の力」を出すことになると──。
 次元は異なるが、御義口伝には「衆生に此の機有つて仏を感ず故に名けて因と為す、仏機を承けて而も応ず故に名けて縁となす」とある。仏が出現し法を説くのも、衆生の機根、生命の内奥の声、希望に″応じる″ゆえである。これが仏の慈悲の働きである。″応じない″のは無慈悲である。
 仏法の指導者は、どこまでも「御書」を根本にしたうえで、大勢の民衆の正しい意見に、公平に耳を傾けなければならない。
13  ルデンスタイン学長との対話は、聖教新聞(九月二十八日付)に報道された通りだが、これからの抱負を語る際、こう言われた。
 ──ハーバードは、キャンパスはアメリカにありますが、実は世界に広がっている存在です。各国に学生・教師が行っているし、各国から集まってもいます。ハーバードの中に世界を包含しているのです。その責任を果たしたい、と。
 印象的な言葉であった。SGI(創価学会インタナショナル)も、日本だけの存在ではない。関西も、世界を包む関西である。一閻浮提いちえんぶだいの仏法を弘める私どもは、皆、「心の国籍」は「世界」なのである。
14  どこまでも学会員を大切に
 さて兵庫といえば、「大楠公だいなんこう」を思い出す。戸田先生が大変お好きであられた。
 昭和二十六年、会長就任の年、戸田先生は、論文「創価学会の歴史と確信」の末尾で、楠木正成くすのき・まさしげの史実にふれられた。
 「くすのき正成が尽忠じんちゅう(忠義を尽くすこと)のこころざしあるにかかわらず、愚迷ぐめい大宮人おおみやびと(朝廷に仕える貴族)藤原清忠ふじわらのきよただあって湊河原みなとがわら死出しで旅路たびじにたったことは、あまりに有名である」と。
 一三三六年──大聖人御入滅の約五十年後──足利尊氏あしかがたかうじは圧倒的な勢力で都(京都)へ都へと迫っていた。正成は尊氏軍を迎えつべく兵庫に出発する。
 兵力の差はあまりに歴然としていた。真正面からあたっては勝ち目はない。軍略の天才といわれた正成は一計を案じ、後醍醐天皇に兵庫での結線を避け、新田義貞にった・よしさだの軍とともに比叡ひえい山に撤退することを進言する。さらに正成自身も大阪の本拠地に帰って近畿一円の軍勢を集結し、淀川の河口をふさぎ、敵を兵糧ひょうろう攻めにしようと計画した。そして疲れたところを義貞とともに南北両方から一気に攻め落とすことを提案したのである。
 しかし、せっかくの作戦も天皇の側近であった貴族・藤原清忠によってこばまれてしまう。自分は戦いもしない。ゆえに戦いの現実も知らない。敵の力もわかっていない。ただ嫉妬しっとの心、人をおさえつけたいという心だけが強い。わがままな子供が権力を握っているようなものである。「太平記」によると、その貴族はこう言った。
 「かつて尊氏が東国の大軍をひきいて攻め込んできた時でも、味方は小勢ながら勝ったではないか。もっとも、これは武士の戦略がすぐれていたからではない。ひとえに天皇の運が天命にかなっていたからである。ゆえに今回も難なく敵軍を滅ぼすことができるはずだ。即刻、正成は戦え、敵を迎えて」と。
 まったく現実離れした空論である。こういう考えだから、武士の功績が目に映らないのも無理もない。あるいは、武士の大功を認めたくないから、こういう論法を持ち出すのか──。
 どれほど尽くし貢献しても、それを当然のことと考え、一言のねぎらいも感謝もない。自身の権威・権勢を保つためには利用するだけ利用し、用がすめば捨てればいい──天皇のもと、栄華をきわめていた当時の貴族にとって、武士とはそれだけの存在であったのかもしれない。
 自分たちを支え、懸命に働いている人々を見くだし、差別し、″もの″かなにかのように使い捨てる。「悪」といえば、こんな「悪」も少ない。人間として最低の行為である。いわんや、最も正しくあるべき宗教の世界で、そんな非道が許されるはずがない。
 暴言に対して正成は、「そこまで言われるうえは、もはや異議を申し立てることはできない」と、死を覚悟して湊川みなとがわの決戦に向かう。その結果、自軍は全滅。正成自身も自害してしまう。当然といえば当然の結末であった。
 しかし、広宣流布の仏の軍だけは、絶対に敗(やぶ)れるわけにはいかない。御本仏の「正法」を破壊することは絶対に許せない。
15  戸田先生は、「創価学会の歴史と確信」のなかで、結論として次のような趣旨しゅしを語っておられる。
 「ただ願わくは、賢明な僧侶があって、創価学会の同志を(楠木正成のごとく)みなと河原で死なせることがないよう願うものである」と。
 創価学会員は仏意仏勅ぶついぶっちょくの広宣流布に生きる無上の使命を持つ。いかなる立場の人間であれ、学会員を利用し、手段とするならば、厳然たる仏罰ぶつばちは間違いない──戸田先生は常にそう叫ばれていた。
 その叫びを我が叫びとして、私どもも敢然(かんぜん)と進んでいきたい。
 学会員をどこまでも大切にする──ゆえに学会は強い。幹部が中心なのではない。学会員を尊重し、会員中心の行動を貫いてきたからこそ、学会はここまで発展してきたのである。
 この戸田先生の精神のままに、聡明そうめいに、すべてを見極みきわめ、学会を悪に利用させてはならない。策謀にだまされてはならない。
 護法ごほう御旗みはたかかげ、これだけの正法興隆をもたらした歴史は仏法史上、例がない。御本仏・大聖人の御称賛を深く確信していただきたい。
16  「事実」の奥の「真実」を見抜け
 話は変わるが、私は、現在、小説『人間革命』第十一巻の「裁判」の章を「聖教新聞」に連載している。きょうの掲載けいさい分は、「大阪事件」の無罪判決がくだされた場面を描いている。このシーンを、ちょうど関西の地で、愛する関西の同志とともに迎えることができたことを喜びたい。
 私は今も鮮明に覚えている。判決の一年ほど前、旧関西本部の会長室で、数人の弁護士から、厳しい口調で「あなたは有罪です。そのつもりでいてください」と言われた。これが人を守るべき弁護士であろうか──。
 私は堂々と言い切った。「私は絶対に間違ったことはしていない。潔白けっぱくです。絶対に無罪を勝ちとってみせる」と。その通りに、私は勝った。
17  「裁判」の章は、十月二十一日付の二十六回で終了し、これをもって第十一巻は完結となる。そして、十一月十八日の「創価学会創立記念日」から、第十二巻の連載を開始したい。
 掲載は、第十一巻同様、月・水・金曜日の週三回を予定している。また、以前にも述べたように、第十二巻をもって「人間革命」を完結とし、その後、『新・人間革命』の連載を計画している。
 第十二巻は、再び時代を昭和三十二年八月に戻し、三十三年四月の、恩師・戸田先生の御逝去せいきょの直後までを書きつづっていく予定である。
 この間、お亡くなりになる寸前まで戸田先生は、全魂を注いで、後継の青年を育成された。また、時とともに不滅の光を放つ、九月八日の原水爆禁止宣言、そして闘病──。さらに、病を押しての「3・16」の盛儀──。最後まで燃えさかった恩師の精神の炎と光をつづって「人間革命」を完結させたいと考えている。
18  私が「人間革命」の執筆を決意したのは、戸田先生の「真実」を、正しく後世に伝えたい、残しておかねばならないとの思いからであった。
 戸田先生の弟子と名乗る人は多かった。また、戸田先生にお世話になり、直接、指導を受けた人も数多くいた。にもかかわらず、戸田先生の死後、師敵対して、学会に反逆する者も出ている。それは、戸田先生の「真実」を知る人がきわめて少なかったことを物語っている。
 事実と真実──これほど判別の難しいものもない。人間の目にうつった「事実」が、必ずしも「真実」を表しているとは限らないからである。「事実」は、ある意味で、だれにでも見える。しかし「真実」は、それを見極める目を磨かなくては、決して見抜くことはできない。
19  こんなエピソードがある。
 戦前のことだが、初代会長の牧口先生が一生懸命に講義をされているのに、理事長の戸田先生は、よく将棋をしていたというのである。
 周囲の人は、それを見て、「会長は講義、理事長は将棋」と陰口を言い、「不遜ふそんきわまりない、傍若無人ぼうじゃくぶじんな振る舞いである」と非難した。しかし、そこには、戸田先生の深いお考えがあった。
 当時、厳しく罰論を説く牧口先生についていけず、一部に離れていこうとする人々もいた。そこで戸田先生は、悠々ゆうゆうと将棋をすることで、学会の自由さを示しながら、雰囲気をなごませ、励まし、退転への防波堤となっておられたのである。
 また、戸田先生が本当の力量を出されると、他の幹部が″男の嫉妬″を起こすことも見抜いておられた。
 戸田先生は、非難も覚悟のうえで、同志を一人たりとも落とすまいとして、あえて、こういう行動をされたのである。
 そうした戸田先生の「真実」を、牧口先生だけはご存じであった。だからこそ、あの厳格な牧口先生が、そうした振る舞いを、決してとがめようとはされなかったのである。そして重要な問題は、ことごとく戸田先生に相談されていた。
 これは、妙悟空すなわち戸田先生著の小説「人間革命」にしるされている逸話いつわである。
20  また、戦後、戸田先生の事業が暗礁あんしょうに乗り上げた時のことである。莫大ばくだい負債ふさい。会社は倒産。給料も、もらえない。人々も去っていった。
 しかし、そのさなかで、先生は私に言われた。「大作、大学をつくろう、創価大学をつくろうよ。いつごろつくろうか」と──。
 他の人が聞いたら、何を″ほら話″をと思ったであろう。
 苦境という「事実」はどうあれ、この悠然たる心に、先生の「真実」があった。その壮大なる希望、闘争の一念、絶対の確信──私は知っていた。私は忘れない。
 だが、その先生を、「ペテン師」「詐欺さぎ師」と非難する者は多かった。一時の姿のみで、先生を悪人と決め付けたのである。
 先生は、まったく弁解されなかった。そうした人々とは、あまりにも「次元」が違っていた。「境涯」が、人間としての格が違っていた。そして「創価大学」は遺弟ゆいていの私が実現し、年ごとに大発展している。
21  「ただ広宣流布」に恩師の真実
 「事実」といっても、一断面のみ見れば、「真実」と、まったく違った様相をていする場合もある。また、同じ「事実」を前にしても、そのとらえ方、見方は、人によって異なる。ゆがんだ鏡には、すべてが歪んで映る。歪んだ心の人には、一切が歪んで見えてしまう。物事を見極める眼力がんりき──それは、自らの「境涯」で決まる。
 「利己主義」「保身」「傲慢ごうまん」「いつわり」の人に、偉人の真実の生き方は見えない。
 「謀略」の目には、「誠実」も「真心」も「無私の心」も映らない。ましてけがれなき信心の「心」、「広宣流布」への深き、深き一念を、理解できるはずもない。
 ゆえに、いかなる戦いも、断じて勝つことである。他人の境涯の低さを嘆いていても仕方がない。まず自らが、勝って「正義」を明かすことである。
 御書に「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」と。
 また戸田先生も、この御聖訓を拝して、「大聖にほめらるるは一生の名誉なり」と言われていた。
 そう腹を決めれば、何ものも恐れることはない。
22  戸田先生の「真実」とは何か。
 結論して言えば、「広宣流布あるのみ」──ただそれしかなかった。そして、「広宣流布」を進めゆくための「創価学会」を築き、守り抜いていく以外にない──ここにこそ、先生の「真実」があった。そして「大切な仏子ぶっしを、一人残らず幸福にさせたい」との一念──先生のお考え、行動の一切は、そこに発し、そこに尽きていた。もとより、相手の地位や名声、財産など、まったく眼中になかった。
 ある時は、阿修羅あしゅらのごとく悪をくだき、ある時は、大海のごとき慈愛で同志を包んでくださった──まさに、天を支える巨人・アトラス(ギリシャの伝説に登場する巨人)のように、ただ一人、広布の前進をになわれた先生であられた。
23  私は、十九歳の夏、先生とお会いした。一年数カ月後、二十一歳からは直接、先生のおそばで働いた。三百六十五日、朝から夜中まで、懸命にお仕えした。
 ある時など、朝の四時ごろ、急に呼ばれたこともある。今と違って、車など簡単に見つからない。それでも不思議とタクシーが見つかり、先生のもとに駆け付けた。一事が万事で、毎日が、それは厳しい訓練の連続であった。
 ──「真実」を知るためには、多面的に「事実」を多く知ることも、その一つの前提となろう。なかでも、その人物が、「最悪の事態のなかで、何をなしたか」を見極めることが肝要かんようであろう。
 「からんは不思議わるからんは一定とをもへ」──よいことは不思議であり、悪いことは決まりきっていると思いなさい──と大聖人は仰せである。
 人物の真価は窮地きゅうちにあってこそ、明らかとなる。その意味で私は、先生を、あらゆる面で、つぶさに見てきた。先生の「真実」を、魂の奥底おうていに刻んできた。
 私は「先生の行くところ、どこまでも行く。先生とともに生き、先生の目的のために死のう」と決めた。弟子として先生のこころざしを受け継ぎ、広宣流布の一切の責任を担いゆかんと決めた。
 その時から、先生のお気持ち、お考えが、鮮明に心にえいじはじめた。師の真の偉大さ、素晴らしさを、胸中深く焼き付けることができた。また打つ手、打つ手が、師のリズムに合致しゆく自身を確信した。
 私が言っていること、やっていることは、すべて先生の心を受けての言動のつもりである。師弟の心は、どこまでも「不二」でなければ、仏法の生命はない。
 師の教えを守ってこそ弟子である。「師弟」である。
 私どもの広布への行動は、日亨上人、日昇上人、日淳上人、日達上人と、宗門の先師であられる歴代上人が御称賛であられる。その仰せに反するならば、先師への反逆であり、師敵対であろう。
24  勇敢に戦う者こそが英雄を知る
 ゲーテは歌った。
  英雄をよろこんでたたえ英雄と呼ぶのは
  みずからも勇敢に戦った者にちがいない
  みずから火と水の苦しみを味わったことのない者は
  人間の本当の価値を認めることができない
   (平凡社刊『世界名詩集5』所収、高安国世訳)
 苦難を避けて「真実」はわからない。折伏をしたことのない人に、折伏の苦労はわからない。御書の仰せも、それを実践に移してこそ、深く拝することができる。「経典も信仰がなければ、ただの本になってしまう」と、戸田先生は「生きた信仰」の大切さを端的たんてきに教えられた。
 「信」と「行」なくしては、そこに大聖人の仏法の生命はない。大切なのは「行動」である。そして自ら苦難に立ち向かう「勇気」である。その「行動」と「勇気」によって「真実」は、やがて明らかとなり、自身もその「真実」に照らされていくのである。
 また、この確信ゆえに、私は、戸田先生の「真実」を、「学会の正義」を語りに語り抜いていく。
 ともあれ、今や兵庫は、全国の「あこがれの地」である。私も、何度もうかがいたいと思っている。
 最後に、尊き使命の生涯を、ともどもに、見事に「満足」で飾っていただきたい、と申し上げ、本日のスピーチとします。ありがとう!お元気で!

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