Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第1回静岡合唱友好祭 今こそわれらが誇りを歌え

1991.10.13 スピーチ(1991.10〜)(池田大作全集第79巻)

前後
2  同志愛で独裁者を破ったユーゴ人民軍
 きょうを記念して、一点、第二次大戦中の歴史を通してお話ししておきたい。
 狂気の独裁者・ヒトラー。彼は、無数の悲劇を生んだ。一国も団体も家庭も、たった一人の指導者によって、幸福にも不幸にも動いていく。父親が酒乱とか、母親が嫉妬深くヒステリーであるとか、それだけで皆、苦しみ、おびえて暮らさねばならない。言うまでもなく、ヒトラーによる悲劇は、筆舌に尽くしがたい。
 一方、独裁者への抵抗のなかで、無数の「人民の英雄」も生まれた。善と悪、正と邪──その相克そうこくは永遠である。「成仏」も「天魔」と戦い、打ち勝つところにある。
 これは、現在、不幸なことに内戦が続いているユーゴスラビアの話である。平和への祈りを込めて語っておきたい。
 第二次大戦中、ユーゴは、ヒトラーのナチス軍に占領された。ユーゴの軍隊のなかにも、ナチスに協力する者が多く出た。戦っているふりだけをする者も──。いつの世にも変わらない人間模様である。
 そうしたなか、徹底抗戦を続けたのが、チトー(のちのユーゴスラビア大統領)率(ひき)いるパルチザン部隊である。
 これは、まさに人民軍であり、正規の軍隊ではない。いわば″同志の軍隊″であった。年寄りもいる。女性もいる。子供も一緒である。彼らは神出鬼没しんしゅつきぼつのゲリラ戦を展開して、強力なナチスの軍隊を苦しめた。
3  奴隷となるか正義を守るのか
 一九四三年三月、両軍は、ネレトヴァ河畔かはんで壮烈な激戦を繰り広げた。有名な戦いである。
 どちらが勝つか──この勝敗で祖国の運命は大きく決する。日本でいえば、規模は小さいが、「川中島の戦い」を思い出す。
 しかし、戦況はパルチザン軍に、大変不利であった。彼らは、兵隊として正式の訓練も受けていない志願兵の集まり。一方、ナチス軍は、近代的武器も完璧かんぺきに整備されている。
 不利なのも当然であった。そのうえ、ヒトラーは「殲滅せんめつ作戦」と称して、主力的な軍隊をそこに投入した。一人も残らず、皆殺しにせよ──独裁者の絶対の命令であった。
 おまけに、人民軍のほうは、チフスにもやられ、約三千から四千人の病人や負傷兵を抱えていた。どうするか──。
 この時の模様をユーゴの映画「ネレトヴァの戦い」は、こう描いている。
 ネレトヴァ河畔は、うめき声で満ち満ちていた。雪は降りしきる。敵は、そこまで近づいている。
 爆撃に次ぐ爆撃──皆、おびえきって、顔を地面に伏せるしかなかった。このままでは全滅である。祖国は、独裁者の奴隷どれいになってしまうのか。人民の自由はもう永久に失われてしまうのか──。
4  一人の勇気が全軍の勇気に
 その時である。一人の足の悪い老人が、アコーディオンを力いっぱいき始めた。そして「パルチザンの歌」を、声高らかに歌いだした。
 「立て!祖国の民よ……」「立て!我が栄光の同志よ……」。歌は戦場に流れていく。絶望の底に沈んでいた人々、死を覚悟かくごしていた人々が、一人また一人と、顔を上げていった。
 「だれが歌っているのだろう」「だれが弾いているのか」──。
 やがて彼らは、砲火とどろくなか、体を起こし、歌に声を合わせた。あの兵士も、この友も。口から口へ、胸から胸へ、″人民の歌″″同志の歌″の輪が広がる。それは、ついに、全員の大合唱となり、戦場にひびきわたった。
 人民軍の兵士たちは勢いづいた。反対に、ナチス軍はたじろいだ。ここから、やがて戦局は一転。人民軍は、負傷兵を一人残らず、安全な場所に移し、奇跡きせきの勝利を勝ち得た。たった一人の歌声が、独裁者の魔軍に打ち勝ったのである。
 世界的にも珍しい、ドラマチックな「人民の勝利」であった。
5  ″捕虜ゼロ″の奇跡
 この戦いは、もう一つ、重要な教訓を残している。実は、人民解放軍の上層部には、一部に、こんな意見をもつ者がいた。
 「負傷兵を見捨てるのも、やむをえない。全軍のためだ。涙をのんで、元気な者だけで山中に逃げ込もう」と。
 しかし、解放軍の兵士は、こぞってこの命令に反対した。憶病なリーダーに対して怒った。
 「戦友を捨てて逃げよとは何だ!そんな裏切りは断じてできない!」
 戦っているのは「兵士たち」である。苦しんでいるのは、最前線の「兵士たち」である。上の者が無情な命令に従わせる権利もなければ、道理に合わない指令に従う義務もない。それが「人間の道」である。
 兵士たちはふた手に分かれ、同志の救出作戦に出た。一方が敵を引きつける。その間に、もう一方が音もなく橋を建設し、負傷者を逃がした。どちらも決死の行動であった。この連係れんけいプレーが成功した。
 ナチス軍は、大部隊を投入しながら、″捕虜ほりょはゼロ″。大打撃であった。この失敗がやがて命とりになり、結局、ナチスは敗北へと追い込まれた。
 人民軍の兵士たちの「友情」が、ナチス軍の「弾圧」「侵略」、そして「傲慢ごうまん」「卑劣ひれつ」に、ついに打ち勝ったという歴史である。
6  「勇気の歌声」が「民衆の勝利」を約束
 「勝負」を決したのは「声」であった。「歌」であった。
 私も十数年前、どす黒い策謀さくぼうの嵐のなかで、皆さまのことを思い、次々と「歌」を作った。そして信心を根本に歌った。こうして勝利へのリズムを、渾身こんしんの力で、ひとり厳然げんぜんとつくってきた。
 「ともに歌おう!」「肩組み、歌おう!」。そのスクラム自体がすでに、″我らは勝ちたり!″との象徴である。また無限に広がりゆく希望のあかしである。ゆえに、私は歌う。皆さまとともに歌い続ける。
 きょう、全員で「人間革命の歌」を歌った。成長している人、人間革命している人は光っている。この、皆さまの「人間革命」の光を世界へと送っていただきたい。
 我が友に「不屈ふくつの歌声」がある限り、「不滅ふめつの同志愛」がある限り、学会は、また学会員は、権威と権力をふりかざす独裁者の侵略しんりゃくにも、絶対に負けることはない。
 悠々と、正義の闘争に打ち勝ち、広布の栄光の歴史を、そして自身の栄光の人生を飾りゆくことができる。この確信で進んでいただきたいと申し上げ、祝福のスピーチとさせていただく。
 きょうは、本当におめでとう!ありがとう!

1
2