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日蓮大聖人・池田大作

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第一回アメリカ青年研修会 大仏法の求道を、知識は世界に

1991.10.1 スピーチ(1991.7〜)(池田大作全集第78巻)

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1  青年は情熱を、仏法者は行動を
 法華経に「是の経典を受持せん者を見ては、当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし」(開結六七二㌻)という、有名な言葉がある。
 戸田先生は、よく言われていた。
 「これからは青年の時代だ。青年を、仏様を迎えるようにして大事にし、何でも語り合い、自分の思っていることをすべて伝えて、バトンを受け継いでもらう以外にない」
 今、私も、まったく同じ気持ちであることをお伝えしたい。(拍手)
2  私は十九歳で入信して以来、四十四年間、信念と正義のままに、まっすぐに広布の道を歩みぬいてきた。
 入信した当初、私はどうしても当時の学会が好きになれなかった。先輩たちの姿に納得できないところがあった。その心を知られて戸田先生は言われた。
 「それならば、大作、お前が本当に好きになれる学会をつくればいいではないか。うんと苦労し、真剣に戦って、お前の力で理想的な学会をつくれ!」
 本当に明快な答えであった。大きな心の先生であった。私はこの言葉どおりに、新しき学会を建設し続けてきた。私はこの恩師の言葉を、そのまま皆さんに贈りたい。(拍手)
3  また私は、「なぜ、不惜身命で信心をしなければならないのでしょうか」と質問した。
 戸田先生は、こうおっしゃった。
 「この地球上で、軍人は人を殺を殺し合う。経済は弱肉強食の世界で、人を幸福にするとはかぎらない。医者や弁護士、役人は本来は人を救う立場だが、反対に人を見くだし、利用している輩も多い。その他、政治、科学、教育、宗教――とにかく人間の業というか、社会は複雑で、すべてが矛盾だらけである。どこにも万人の幸福への根本的な道はない。
 そのなかで、日蓮大聖人の仏法だけは、人間の根本的な宿命転換の方途を示されている。常楽我浄と、永遠の所願満足への軌道を教えてくださっている。これ以上の究極の人生の道はない。だから信心だけは命をかけてやって悔いがないのだ」と。
 私は納得した。納得したゆえに、身を惜しまず私は進んだ。それが青年である。
4  また、こんな質問もした。「宗教はたくさんあるのに、なぜ大聖人の仏法が一番正しいと言えるのでしょうか。独断的ではないでしょうか」と。
 戸田先生は「青年として当然の質問だろう」と喜ばれた。その答えも明快だった。
 「世界の多くの宗教、哲学は、生命の一部分だけを説いている。人間の体に譬えれば、あるいは腕だけ、足や耳や日、胴体だけというように部分的に説いてはいる。これに対して、総合的、全体的に生命の実相を説き明かされているのが大聖人の仏法である。ゆえに、最も優れているし、妙法を根本にすれば、他の一切の善論を生かすこともできる」と。
 また「どんな人間であっても、『生老病死』の四苦を避けることはできない。これを唯一、解決できるのが妙法である」と。
 ヴィクトル・ユゴーが「人間はみんな、いつ刑が執行されるかわからない、猶予づきの死刑囚なのだ」(『死刑囚最後の日』斎藤正直訳、潮文庫)と喝破したように、人間にとって生死という根本の大問題を解決せずして、真の幸福もない。ゆえに「正法」の「広宣流布」が必要なのである。
 恩師との思い出は数限りない。私の「宝」である。私もまた諸君に語り、すべて伝えるべきことは伝えきっておきたい。
 諸君の力で、諸君の団結で、将来はSGI(創価学会インタナショナル)の中心地になるであろうアメリカを、名実ともに「世界一」へと建設してほしい。じっくりと、あせらず二十一世紀をめざして、一緒にやりましょう!(拍手)。私も何度も、できれば長期間、訪れ、全力で応援する決心である。(拍手)
5  ハーバード大学図書館建設に母と子のドラマ
 さて九月二十六日、ハーバード大学での講演を前に、私はルデンスタイン学長と会談し、またハーバード大学に学ぶアメリカSGIの学生ならびに卒業生の方々と記念撮影を行った。その後、しばし大学のキャンパスを散策するひとときがあった。
 そのおり、大学の図書館すなわち「ハリー・エルキンズ・ワイドナー記念図書館」の前を通った。八十年近い歴史をたたえた、まことに風格のある建物であった。
 ご存じの方も多いかもしれないが、このハーバード大学の図書館の建設には、ある母と子の、美しく、そして尊いドラマがあった。
 今世紀の初めまでハーバード大学の図書館は設備も悪く、本の収容能力も低かったという。″なんとか立派なものをつくりたい″――図書館長をはじめ関係者の願いは切実であった。しかし、広く法人や卒業生に援助を呼びかけても、なかなか実現の見通しは立たなかった。
 だがこの時、一人の母が現れる。そして新図書館の建設という大事業を、すべて支えてくれたのである。
 その母は、一九一二年四月、あのタイタニック号沈没の大惨事で最愛の息子を亡くした婦人であった。息子はハーバード大学の卒業生で、名前はハリー・エルキンズ・ワイドナー。二十七歳の優れた青年であった。
 彼は、たいへんな読書家であり、また多くの本を大切に集めていた。それは″いつの日か、わが愛する母校にこれらの本を贈ろう″との美しい心の発露でもあった。
 最後の旅となったタイタニック号での航海も、ロンドンで本の収集を終え、父と母とともに帰国する旅路だったのである。そしてあの大事故に巻き込まれた――。
 青年は母思いの心優しい息子であった。また心凛々しい毅然たる紳士であった。母一人を救命ボートに乗せると、青年は父とともに沈みゆく船にとどまり、最後の最後まで母の無事を祈って見送り続けた――。
 この青年が残した三千冊もの貴重な価値ある蔵書は、青年の遺志によって母校ハーバード大学に贈られた。
6  ところが当時のハーバードには、それを受け入れるにふさわしい図書館がなかった。そこで、この母が、わが息子の心を心として、一身を顧みることなく、新図書館の建設に立ち上がった。当時のお金で二百万ドルないし三百五十万ドルの寄付をしたといわれる。この母の無私の真心により、一九一五年六月、見事な図書館が完成する。
 ハーバード大学はこの図書館に、亡くなった、かの青年「ハリー・エルキンズ・ワイドナー」の名を冠し、尊き母と子のドラマをいつまでも顕彰し、語り継いでいる。
 なお、この母は、水の事故が少しでも減るようにとの願いをこめて、ハーバード大学で水泳の授業を必修科目にするよう提案し、実現の運びとなっている。
 母には、後に続くハーバード大学の学生たちがみな、わが息子の後輩として、かけがえのない宝と思えたにちがいない。
 仏法では「愛別離苦」(愛する者と別離する苦しみ)を苦の一つに挙げる。人生には思いもよらぬ悲しい別れがある。
 しかし、そうした深い悲しみから立ち上がって、けなげに生き、生きぬいた人は、女王のごとき先達として、後に続く人々から頼られ、仰がれるであろう。
 とともに、自身の悲哀を乗り越え、永遠に残りゆく何かを成し遂げゆく人生ほど、崇高なものはない。
7  日興上人を「外典読み」と誹謗した日向
 昨日、日興上人の身延離山にまつわる話を少々、語ったが、さらに本日もふれておきたい。
 地頭の波木井実長の謗法を容認し、助長させて、身延を″濁流″にさせた根源は、堕落僧の民部日向(五老僧の一人)にある。
 日向の邪見の一つに、日興上人を「外典読み」と悪口したことがある。(外典とは、外道、すなわち仏教以外の書籍をいう。インドのバラモンの経書や、中国の儒教、道教等の経書をさす。「外典読み」とは、外道の説のように偏った、浅い読み方であるということ)
 日興上人が日蓮大聖人の「立正安国論」の御精神を厳格に守り、その仰せどおり、神社参詣は許されないと波木井に伝えたところ、波木井は日向に相談した。
 すると日向は「日興は、″外典読み″で安国論を一面的にしか読んでいない。もっと深い真意を知らないのだ」と、波木井に吹き込んだのである。
 日興上人の「原殿御返事」には、そうした日向の言葉が伝えられている。
 「守護の善神此の国を去ると申す事は、安国論の一篇にて候へども、白蓮阿閣梨外典読みに片方を読みて至極を知らざる者にて候」(編年体御書1731㌻)
 ――(日向が波木井に言うには)守護の諸天善神がこの国を去っているということは、安国論の一編で説くところであるが、白蓮阿閣梨(日興上人)は、外典読みに偏って一方のみを読んで、安国論の真意を知らない人間なのである――。
 日向は「だから謗法の神社に参詣してもかまわない。法華経を受持した者が参詣したら、諸天善神も、その社に集まってくるのであるから、どんどん参詣しなさい」と波木井を煽ったのである。
 波木井は、自分にとって都合の良いこの邪義を、完全に信用してしまった。「日向上人は話のわかる人だ」と喜んだであろう。在家の堕落の陰には、必ずといってよいほど、世渡りのみ上手な堕落僧の手引きがある。
 信心を失った波木井にとって、大聖人の教えを厳格に守られる「謗法厳誠」の日興上人は、もはや煙たい存在でしかなかった。
 日興上人は、日向の「謗法容認」の邪義に対し、これは「天魔の所為」であり、「師敵対」「七逆罪」(五逆罪に加えて和尚を殺す、阿閣梨を殺すの二罪)とされた。
 大聖人の教えを守り、弘める立場にありながら、かえって先師の教えをゆがめ、勝手に改変するとは――。まさに「天魔」のなせるわざであり、「師敵対」「七逆罪」という極悪の僧である、と。
8  日興上人は「御書根本」、御書の軽視は日向の末流
 この史実には、重要な教訓がある。その一つは、「師匠の死後、師敵対する人間は、どんな文証があっても、『それにはもっと深い意味があるのだ』などと言って、自己を正当化する」という行動パターンである。仏法上、師敵対の罪は重い。仏法の生命を殺すことになるからである。
 「私の師匠が何を書いていようと、今は私の言うことを聞け」と、自分の邪見を通そうとする。都合の悪い文証を出されると、「それは一面的な読み方。真意(至極)は別にある」とごまかす。
 現在の宗門も、御書と歴代上人の指南を同様の言い方で否定し、泥にまみれさせ、葬ろうとしている。(たとえば日達上人の「正本堂」への見解も、二十年以上たってから突然、「真意は別にある」として現宗門では否定した)
9  日興上人は、波木井が、神社参詣の可否について「鎌倉方面の僧(五老僧の門流)はかまわないと言い、身延の日興上人は、いけないと言われる。大聖人は入滅された。だれの言うことを開けばよいのか」と聞いてきた時、こう厳然と教えられた。
 「師匠は入滅し候と申せども其の遺状候なり。立正安国論是なり」(編年体御書1731㌻)――師匠の大聖人は入滅なされたけれども、その遺された御書がある。「立正安国論」である――と。
 師匠なき今、師とすべきは大聖人の遺された「御書」である。御書の仰せのままにいけば、何を迷う必要があろうかと、根本の姿勢を教えられたのである。
 日興上人の「御書根本」のお姿と、日向と波木井の「自分根本」「御書軽視」の姿とでは、あまりにも対照的であった。
 私どもは真の僧宝であられる日興上人の「御書根本」のお教えどおりに進んでいる。そして今も「日向の末流」は出現している。(拍手)
 また、次の教訓も見落としてはならない。
 「師敵対の人間は、師の教えを厳格に守っている人間を、かえって『外典読み』などと批判する」ということである。「外道に近い」「浅い読み方だ」との悪口は、いわば″自分こそ仏法の奥義(至極)を知っている″との増上慢の表れであろう。
 学会も、どこよりも厳格に謗法厳誠を貫きながら、かえって「外道礼讃」などと悪口をされている。これは「日興上人の末流」としての誉れの証明である。
 日向は「外典」そのものを悪のようにさえ言っていた。日向の邪見に対し、日興上人は、こう破折される。
 「聖人の安国論も外典にてかかせ渡らせ給い候。文永八年の申状も外典にて書かれて候ぞかし。其の上法華経と申すは漢土第一の外典の達者が書きて候間、一切経の中に文詞の次第目出度とこそ申し候へ。今此の法門を立て候はんにも、構えて外筆の仁を一人出し進らせんとこそ思進らする事にて候いつれ。内外の才覚無くしては国も安からず法も立ち難しとこそ有りげに候」(編年体御書1734㌻)
 ――日蓮大聖人の「立正安国論」も、外典によって書かれているではないか。文永八年の申状(諫暁の書)も、外典によって書かれているのである。そのうえ、法華経というのは、中国第一の外典の達人が書いたので、一切経のなかでも言葉の用い方がすばらしいとされている。
 今、この大聖人の法門を立てるにあたっても、なんとか、外典に通じた文筆の人材を一人、出したいと思っているのである。内典外典に通じた学問がなければ、国を平和にすることもできないし、法を立てることもできないと思われる――。
 「外典読み」「外典は僻事(道理に合わず、間違っていること)」などという日向の邪見を破折され、かえって、「外典に通じないと、仏法は立てられない」と仰せである。
 日亨上人は、日向のこの邪見について「まったく無学(普通学)の致すところであり、またこれに共鳴する無理解の真俗(=僧俗)が多かったろうと思わるる。すなわち鎌倉暗黒(文学)時代の低級通念であろうが、あるいは、これを利用して興師を貶視へんし(=下に見ること)したのであろう」(『富士日興上人詳伝』)とされている。
 「無学」ゆえの悪口、邪見であり、あるいは人々の「無学」を利用して、日興上人をおとしめようとしたのであろうと。「理知」の光がなければならない。「暗黒時代」は完全に終わらせねばならない。
10  日興上人の末流にこそ僧宝の義
 日興上人が仰せのように、平和も、国を安んずる広宣流布も、法を立てる「内外の才覚」なくしてはできない。「人材が必要だ」と仰せである。とくに青年は、仏法を根本に、世界に知識を求め、勉強しぬかねばならない。
 日興上人の「遺誡置文」には「学問未練にして名聞名利の大衆は予が末流に叶う可からざる事」――学問が未熟でありながら名聞名利の僧侶は、私の末流とは認めない――と厳しく戒められている。
 今回の事件の背景の一つも、この御遺誠を僧が守っていないことにあろう。あまりにも世界を知らず、学問を怠っている。それでいて「尊敬せよ」(名聞)、「もっと敬い、もっと供養せよ」(名利)というのでは、いったい、だれの末流なのであろうか。(拍手)
11  また御遺誠には「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」――いまだ広宣流布していない間は、身命を捨てて、力の及ぶかぎり正法弘通をなすべきである――と仰せである。
 だれが、この御遺誠を実践してきたのだろうか。わがSGIである。(拍手)
 これら御遺誠の二十六箇条は、日興上人が本来、僧侶に対して遺されたものであり、「此の内一箇条に於ても犯す者は日興が末流に有る可からず」――このうち一箇条でも犯す者は、日興の末流ではない――と、明確に記されている。
 真の「僧宝」であられる日興上人に連なるからこそ、総じては他の僧俗も「僧宝」の一分になるのである。日興上人の御遺誠に背く僧が「僧宝」でないことは、当然すぎるほど当然の事実である。
 それどころか、大聖人門下を名乗りながら、謗法を容認し、御書を軽視し、日興上人の末流を名乗りながら、民部日向とそっくりの振る舞いをなすのでは、これこそ、いわば″三宝破壊″ではないだろうか。(拍手)
 ともあれ、無学であるほど、広宣流布に励む人を「外道」よばわりする――これが一つの公式といえよう。
12  妙法は「一切法」を蘇生
 仏法を知らない日向は、日興上人を「外道」よばわりした。仏法を究めておられる日興上人は、反対に「外典を学べ」と強く主張された。
 ここには、対照的な仏法観があると思われる。すなわち、一部の専門家にだけ通用するような、狭い世界に仏法を閉じ込めるか、「一切法皆仏法」と、大きく開いていくかである。
 「外典」を知らずして、どうして外に広宣流布できようか。わかりやすく対比すれば、日向のは″死せる仏法″であり、日興上人は″生きた仏法″を教えられたと拝される。そして、この″生きた仏法″の正流を継いでいるのがSGIなのである。(拍手)
 はじめに戸田先生の言葉を引いて述べたように、妙法を根底にする時、一切法は、おのおの最も価値的な働きを始める。政治、経済、学問をはじめ、すべてが生き生きと活性化していく。開いてくる。蘇生してくる。
 その「一切法」への脈動に仏法の生命があり、「一切法」と離れてしまっては、仏法の力を十分に発揮させることもできない。
 また日向は、学問のある日興上人を妬んでいたのかもしれない。
 哲学者キルケゴールは「行動と情熱がなくなると、その世界は、妬みに支配される」(『現代の批判』〈『キルケゴール著作集』11所収、自水社〉に、「情熱がなくて大いに反省的な時代においては嫉妬が消極的統一原理になる」〈飯島宗淳訳〉とある)指摘指摘した。この一点に、彼の「現代批判」の核心もあった。すべてを″水平化″させる――すなわち足を引っぱる悪知、と。
13  ともあれ、仏法は、社会へ、時代へ、民衆へと、つねに生き生きと脈動すべきものである。
 戸田先生はある講義で、質問を受けた。「インド、中国で仏法は滅びたと言われるが、そこには、ちゃんと経典もあるではないか」との問いである。
 戸田先生は、強い調子で答えられた。
 「経典があると言ったって、経典は仏法じゃありません。あれは本ですよ、本です! 信仰がなければただの本にすぎないのであって、いくら経典や、寺があったって、もはや仏法は死んでいるのです」――と。
 たとえば、いくら大聖人の御真筆があっても、″邪宗″となった寺に大聖人の仏法の生命はない。仏法の生命は、生きた「正しき信心」にある。その「信心」を伝え、仏法の生命を伝えるのが「師弟」の関係である。
 大聖人、日興上人の仰せどおりに進んでこそ、仏法は万年に清らかに流れていく。師敵対の「日向の末流」に従っては、仏法の心を殺す大罪となる。
 師敵対の日向は、何重もの意味で、大聖人の仏法を破壊しようとした。日興上人は、外道よばわりされながら、師の教えを守り、仏法の生命を守った。このコントラスト(対照)は、万年までの鏡である。
 どうか、若き諸君たちの力で″世界一のアメリカ創価学会″を築いていただきたい。″世界広布のセンター″をよろしく! きょうは本当におめでとう。
 (アメリカ創価大学)

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