Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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カナダ・アメリカ最高代表者会議 「良識」「着実」「人格」が発展の上台

1991.9.30 スピーチ(1991.7〜)(池田大作全集第78巻)

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2  ここアメリカで青年時代、ジャーナリストなどをして文筆に活躍し、やがて日本に永住した人物がいる。ラフカディオ・ハーン2八五〇年―一九〇四年)、日本名・小泉八雲である。先日、私は日本の島根県を訪れたが、彼は島根の松江、また熊本、神戸、東京で暮らした。日本と北米、東洋と西洋の文化交流の先駆的な業績をなした一人であろう。
 八雲が書きとめた日本の民話に「常識」という話がある。″物怪″(化け物)にだまされていた僧を、庶民の「常識」が救う物語である。
 ――昔、関西のある山の中、一人の博識の僧侶が住んでいた。俗世間とのつき合いは、ほとんどない。供養に訪れた猟師に僧侶は言った。
 「このごろ、毎夜、普賢菩薩がこの寺にお見えになるのじゃ。不思議なことじゃが、これも長年の修行の功徳と思う。今夜は泊まっていくがよい。普賢菩薩さまにお会いできるから」
 猟師は喜んで寺に泊まった。しかし、考えれば考えるほど、そんなことがあるだろうかと疑わしかった。聞いてみると、寺の小僧も何度も見たことがあるという。猟師は、ますます「おかしい」と思い始めた。
 その日の真夜中、待っていると、東のほうに星のような白い光が現れ、ずんずん大きくなった。やがて光はかたちをとり、経文のとおり、六本の牙のある雪のように白い象に乗って″普賢菩薩″が現れた。
 僧侶と小僧は、ひれ伏して懸命に拝んでいる。すると猟師は、いきなり手に弓を取って立ち上がり、菩薩めがけて矢を放った。たちまち激しい雷のような音とともに、白い光は消えた。僧侶は絶望し、涙を流しながら怒った。
 「この恥知らずめ! 何という罰当たりな!」
 猟師は静かに言った。
 「和尚さま、落ち着いてください。はっきり申し上げますが、あれは普賢菩薩ではなく、あなたをだまし、ことによると、あなたを殺そうとしている化け物ですよ。朝になればわかることでしょう」
 夜明けとともに調べてみると、点々と血の跡がついていた。たどってみると、矢を突き立てた大きな狸の死骸があった。これが化けていたのである。
 猟師は、どうして狸のしわざとわかったのだろうか。
 それは――もしも本物の普賢菩薩ならば、だれよりも法華経を修行している人の所にこそ現れるはずだ。しかし、ろくに修行もしていない寺の小僧や猟師の自分にまで、はっきりと見える。これはおかしい! 仏法は「修行」に応じて「功徳」があるはずだ。修行に関係なく結果が現れるとしたら、それは仏法ではなく、魔法ではないか。
 「因果」を無視する物怪のしわざだ!――猟師はこう見破った。
 八雲はこの物語を、こう結んでいる。
 「僧は学識があり聖といわれていたが、いともたやすく狸に化かされたのである。猟師は無智で信心もなかったが、すこぶる常識に富んでいたから、生来の才覚でもって、その化けを見破り、そのおそろしい幻想を打砕いたのである。」(『怪談・奇談』平川鵬弘訳、講談社学術文庫)
3  これは日本の昔話であり、日蓮大聖人の正法とは関係がない。ただ、宗教が人間を愚かにする危険を、わかりやすく示す物語である。
 どんなに「知識」があっても、健康な「常識」(コモン・センス)がなければ、生かすことはできない。
 建国の時、独立の時のアメリカを大きく支えたのも「コモン・センス」であった。「常識」がなければ、宗教は時に「盲信」となり「狂信」となる。「盲信」「狂信」は、仏法ではない。
 「仏法と申すは道理なり道理と申すは主に勝つ物なり」――仏法というのは道理である。道理というのは主人(権力者)に勝つものである――と、大聖人は仰せである。
 また「真理は単純である」という言葉がある。反対に「うそ」をとおそうとする人間ほど、わざと話をややこしくさせるような″へ理屈″を言うものである。また狸が菩薩に化けていたように、さも立派そうな粉飾をこらすものである。
 たとえば、死身弘法の修行もないのに、仏法上の位だけは高いのだというのでは、「因果」を無視している。それは仏法ではない。「菩薩に化けた物怪」のような話である。(『摩訶止観』では、経典によらない天魔の僧について「此れ乃ち仏法を滅する妖怪なり」〈大正四十六巻〉と呼んでいる)
 たとえば、その位が仏と″一体不二″などというならば、その修行も″一体不二″でなければならない。この当然の「道理」、仏法の「常識」をわきまえていれば、むずかしいことは何もない。だまされることもない。
 「正義は、現実に広宣流布を進めている人のもとにある」「人格のおかしな人は信心もおかしい」「くるくる言うことが変わるのは、ウソをついている証拠である」「話し合いに応じられず、威圧的なのは、何かごまかそうとしているからであろう」
 こう見ていく、当たり前の「道理」と「常識」さえあれば、こと足りるのである。民衆の常識で判断して、おかしいものはおかしいのである。
 いわんや、私どもは大聖人の御書という「明鏡」がある。歴代上人のお言葉もある。その鏡に照らして、おかしいものには、絶対に従ってはならない。
4  他師へ心を移した師敵対の五老僧
 さて、「道理」も語らなければ、多くの人にわからない場合がある。そこで、きょうは、民部日向(五老僧の一人)と波木井実長の師敵対について、少々、語りたい。
 現在、創価学会を「謗法の波木井」呼ばわりしている人がいるようである。「いつも″歯切れ″が悪くなると″波木井″をもち出す」と言った人がいるが(爆笑)、このさい″はっきり″(笑い)、その転倒を指摘しておきたい。
 日蓮大聖人の門下の「基準」は何か。それは日蓮大聖人の仰せである。この明快すぎるほど明快な「道理」を忘れなければ、すべてはあまりにも明らかである。
 「法華経の大海の智慧の水を受けたる根源の師を忘れて余へ心をうつさば必ず輪廻生死のわざはいなるべし
 ――法華経の大海のごとき智慧の水を受けた「根源の師」(日蓮大聖人)を忘れて、よそへ心を移すならば、必ず(地獄等の六道の苦悩の世界を)繰り返し、生死の苦しみにあうこととなろう――。
 こう大聖人は厳しく戒めておられる。「根源の師」である大聖人に従うのが「信心」なのである。そして、大聖人を御本仏と仰ぎ、厳格に大聖人の教えを守りぬかれたのが、日興上人であられた。
 五老僧は「根源の師」の教えを忘れて「よそ」へ心を移してしまったのである。権威、権力を恐れたり、勝手な邪義をもち出したり、世間の誘惑に堕落したりしてしまった。
 身延離山のきっかけとなった民部日向について、日興上人は、その「師敵対」の行状を、「原殿御返事」などにるる記されている。この堕落僧に、再三にわたり厳愛の指導をされたが、彼は聞き入れなかった。
5  日興上人は、「原殿御返事」の中で、結論してこう述べられる。
 「元より日蓮聖人に背き進らする師共をば捨てぬが還つて失にて候と申す法門なりと御存知渡らせ給うべきか。何よりも御影の此の程の御照覧如何」(編年体御書一七四三㌻)
 ――もとより、「日蓮大聖人に背く邪師らを捨てないことは、かえって、こちらの罪になる」というのが大聖人の法門であると、よくよく知っていかれるべきでしょう。何より、御影(大聖人)が、このほどのことを、どんなふうに照覧されていることでしょうか――。
 「大聖人」に師敵対した僧ら、また大聖人の仰せを厳格に守っている「正師」に師敵対した僧らに妥協することは、かえってこちらが罪になる。それが大聖人の法門であると――。
 いうまでもなく、大聖人の御聖訓どおりに行動してこそ「正師」であり、背けば「邪師」である。僧侶であるから、高僧であるから、「道理」に反したことでも従うべきである――というのは、日興上人の教えに反する。
 御書には、天台の言葉を引いて「文証無きはことごとく是れ邪の謂い」――経典の「文証」がないのは、すべて「邪」である――と。
 経文、御書の「文証」もなく、自分たちの利害や感情や権威によって、何をしても、何を言っても通ると考えるのは、民部日向らと同類の「邪師」である。
 たとえば「和合僧を破壊してもよい」という「文証」がどこにあるのであろうか。(反対に、御書・経典には「破和合僧は五逆罪」と明確にあり、日達上人は「学会員を寺に横取りしてはならない」と言われ、日顕法主もかつて、「檀徒作りは布教の邪道」とみずから明言している)
6  邪師に従う者は毒を飲む者
 「経文」に背いた「邪師」に従っては阿鼻地獄である、と大聖人は仰せである。「持妙法華問答抄」には、次のように御指南されている。
 「邪師の法を信じ受くる者を名けて毒を飲む者なりと天台は釈し給へり汝能く是を慎むべし是を慎むべし
 ――「邪師の法を信じ受ける者を名づけて、毒を飲む者というのである」と天台大師は解釈されている。あなたは、よくよくこのことを考え慎んでいきなさい。慎んでいきなさい――。
 この「邪師」とは、同抄によれば、法華経を正しく受持している人を「かろしめ・いやしみ・にくみ・そねみ・うらみを・むすばん」――軽んじ、卑しみ、憎み、嫉み(妬み)、恨み
 の心を固める――そういう僧侶のことである。
 すなわち、「法」は尊いと言いながら、法を弘めている「人」を軽んじ、憎む。そういう邪師の言うことを信じ従うことは「毒を飲む」のと同じである、気をつけなさい――との仰せである。
 「一切の草木は地より出生せり、是を以て思うに一切の仏法も又人によりて弘まるべし
 ――一切の草本は大地から生え出る。このことをもって思うに、一切の仏法もまた「人」によって弘まるのである――と。現実に弘法する「人」がいてこそ「法」は力を発揮する。
 さらに「其の人を毀るは其の法を毀るなり其の子を賤しむるは即ち其の親を賤しむなり
 ――(弘法している)その「人」をそしるのは、(弘めている)「法」をそしることである。「子ども」をばかにするのは、すなわち、その「親」をばかにすることである――と大聖人は仰せである。
 その「人」とは、別しては大聖人であられる。総じては、御本仏の眷属である、私ども広布の推進者、学会員である。死身弘法の「人」をそしるのは、「妙法」をそしる謗法となる、と。また、仏子を見くだすのは「親」であられる御本仏、妙法を見くだすことになろう。(拍手)
 御遺命である「世界広宣流布」の道を壮大に開いたSGI(創価学会インタナショナル)をそしり、見くだす(いやしむ)ことは、すなわち「御本尊」と「大聖人」をそしり、見くだすことになるとの文証とも拝される。
 そして「あに冥の照覧恥かしからざらんや地獄の苦み恐るべし恐るべし慎むべし慎むべし
 ――仏菩薩が御照覧になっているのに、どうして恥ずかしくないことがあろうか。地獄の苦しみを、恐れるべきである。恐れるべきである。慎むべきである、慎むべきである――と。
 今回のことも、御本仏が全部、御照覧されている。恥を知り、地獄の苦しみを恐れるべきであると、大聖人は仰せになっておられる。
7  ともあれ「大聖人への師敵対」の「邪師」を、そのままにしておいてはならない――これが、日興上人の身延離山の根本精神であられた。
 邪師・日向と、邪師にたぶらかされた波木井実長によって、″清流″が″濁流″に変わった身延に見切りをつけられたのである。
 それはまた「国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」との師・大聖人の御遺命実現への、一歩であられた。「一閻浮提広宣流布」への厳然たる前進であられた。
 「日興上人の末流」か、「日向、波木井の末流」か――その違いは「大聖人の仰せのまま」であるかどうか、「根源の師」への「随従」か「師敵対」か、この一点にある。
 この基準をもって見る時、私どもこそが、三宝の「仏宝」(日蓮大聖人)、「法宝」(大御本尊)、そして真の「僧宝」であられる日興上人に信伏随従していることは、あまりにも明らかである。
8  学会を波木井と言えば自己矛盾
 さて身延離山の歴史については、時間の関係上、くわしいことは略させていただくが、その間の事情について、日達上人はこう講義されている。
 「大聖人様の三回忌が済んだ翌弘安八年に、日向が身延に登山されたので、日興上人は大変喜ばれて学頭職につかせたわけです。日がたつにつれて波木井さんは日向と親しむようになり、日向の軟弱の感化によって四箇の謗法を犯すに至ってしまった」(昭和四十四年一月一十五日、寺族指導会。『日達上人全集』。以下同じ)
 波木井の四箇の謗法というのは、
 (1)釈迦の像を造立し本尊とした――。
 学会を「波木井」のように言うならば、学会が一度でも、そんなことをしたというのであろうか。まったく反対に、正しき御本尊を世界に宣揚し、百十五カ国(=一九九七年九月現在では百二十八カ国)にまで弘めたのは、SGIである。
 (2)箱根・伊豆山の両権現と三島明神に参詣した――。
 学会が参詣したのは、日蓮正宗の寺院だけである。総本山に約七千万人という空前の大登山会を実施した。学会を「波木井」というのであれば、総本山が謗法の寺ということなのだろうか。
 (3)福士の塔(念仏の石塔)に供養。
 (4)念仏道場を建立した――。③(3)(4)は謗法への供養の罪である。
 学会が供養してきたのは日蓮正宗だけである。七百年来、否、仏教史上、これ以上、正法に「供養」してきた在家はなかった。これは誇るのではなく、ありのままの事実である。学会を波木井よばわりすれば、正宗に供養することが謗法ということになり、総本山が謗法だと、みずから主張していることになるではないか。(拍手)
 このように、現宗門が学会を「波木井」というのであれば、まさに自己矛盾となる。「人」をそしるのは「法」をそしることであると大聖人が仰せのごとく、私どもが弘めてきた「妙法」への誹謗にさえ通じよう。
9  日達上人は″昭和の南条時光″と
 日達上人は続けて述べられている。
 「日興上人は再三注意したが(=波木井が)聞き入れなかったため、たまりかねて『地頭の不法ならん時は我も住むまじき』との大聖人様のご遺言により、身延を捨てて富士に移られたわけです」
 学会を「波木井」というのであれば、日興上人のように「我も住むまじき」として、学会寄進の寺院等からは出ていくのが筋ではないだろうかと、多くの人が言っている。それが民衆の素朴な疑間、素朴な真実の声である。
 「弘安二年十月十二日に顕わされた本門戒壇の大御本尊様、並びに大聖人様のご灰骨を持たれ身延を捨てて富士に来られ上野の地頭南条時光の供養によって大石寺を建立せられ、ここに来たる昭和四十七年、法華講総講頭池田大作先生の大願によって本門戒壇がまさに建たんとしておるわけです」
 日達上人は、「本門戒壇」と述べられている。正本堂建立前のご発言であるが、先師の言葉を現在の宗門はどう考えているのだろうか。(拍手)
 ところでこのほど、日本の文部省統計数理研究所の長年の科学的研究でも、客観的に徹底的に分析した結果、「三大秘法抄はまちがいなく日蓮大聖人の真作」との結論が出た。いうまでもなく「三大秘法抄」は、本門戒壇建立を御遺命された重書である。
 私どもにとっては当然の結果であるが、これまで同抄が「偽作」であると主張する人々もいた。真作となればなおのこと、すべての日蓮宗も含めて、「本門戒壇」という大聖人の御遺命の実現のために、何をしたのかが問われることになろう。
10  ともあれ、日達上人は、学会の広布への赤誠を、南条時光の大石寺寄進と並べて称讃されている。昭和四十九年三月、妙蓮寺の新築再建法要でもこう述べている。
 「大行尊霊(=南条時光)去りて六百四十二年 昭和四十九年今また大行尊霊に継ぐ大篤信の偉人ありそれ法華講総講頭池田大作なり
 今や此の人により宗門は総本山を初め各本山及び末寺に到るまで廃れたるを起し新寺を建立し信徒は日々に増大し一躍大宗門の名により世界に周知せらるるに至る
 之れ池田大作の信心の威徳功績のいたす所にして全く昭和の大行尊霊とも云いつべし」(『日達上人全集』)と。
 私自身のことになるが、宗門史上の事実として、ありのままに紹介しておきたい。日達上人は、このお言葉をわざわざ「碑文」に刻んで、永久に後世に残してくださっている。
 日達上人は″昭和の南条時光″と言われ、今の宗門は「波木井」と誹謗する。私自身、またSGIは何一つ変わっていない。変わったのは宗門のほうである。先師・日達上人への「師敵対」の言動ではないのだろうか。(拍手)
 思えば、堕落僧・日向も、謗法を容認し、折伏に励まず、酒宴で醜態をさらし、日興上人を「外典読み」とまで誹謗し、大聖人の清流を破壊してしまった。
 この「外典読み」については、また機会をみて述べるが、日蓮大聖人の教えを壊そうとする「邪師」(日向の末流)に従えば、それこそ大聖人、日興上人、歴代の正師への「師敵対」となる。
 絶対にごまかされてはならない。
11  独裁者スターリンの粛清の手口は悪のでっちあげ
 本来、学会を「波木井」などとそしるのは、破折するまでもない妄論である。″清流″を守った人を、″濁流″をつくった人のように誹謗するのは、悩乱か、あるいは策謀でしかない。じつは、この″すりかえ″″転倒″は、古今の独裁権力の手口なのである。
 たとえば、ソ連のスターリン。彼の粛清の犠牲者は、数えきれないほどであり、数千万とさえいわれている。少なくとも何百万という人々が″でっちあげ″の罪で、投獄され拷問され処刑された。
 私の親友である、作家のアイトマートフ氏(元・大統領会議メンバー、在ルクセンブルク・ソ連大使)の父親も、またナターリヤ・サーツ女史(モスクワ児立墨日楽劇場総裁)のご主人も、その犠牲となっている。
 ソ連人が同じソ連人を殺す。共産党員が同じ党員を弾圧する。権力保持のために、自分(スターリン)を信じている国民に、残虐な苦しみを平気で与える。史上にもまれな、空前の狂気であった。くわしいことは略すが、スターリンの手口の特徴は、真実と正反対の″レッテル″を相手に張りつけることにあった。
 「当一時、大量弾圧はトロツキスト(=文脈上は反レーニン主義者の意味)との闘争というスローガンのもとに行なわれておりました」(『フルシチョフ秘密報告「スターリン批判」全訳解説』志水速雄訳、講談社学術文庫。以下、引用は同書から)
 「レーニンの教えを壊す」やつらだから、殺せというのである。仏法でいえば、一方的に「謗法だ」「波木井だ」などと決めつけ、処分するやり方と同様であろう。いったん、こういう″レッテル″を張られたら、何の裁判もなく処分。事実など、どうでもよかった。
 「スターリンは今や自分は一人ですべてのことを決定できると考えるようになったのです。そしてまだ彼に必要な人間がいたとすれば、それは彼の言いなりになる人物だけでした。その他の人々に対しては、彼は、ただ彼に服従し、彼を褒め称えていればよいというように振舞ったのであります」
 まさに「権力の魔性」である。仏法でいえば「天魔」が入ってしまった。
12  この独裁者は、じつは人間的にはレーニンと正反対の男であった。
 「彼は説得と教育というレーニンの方法を棄て去った」「行政的強制、大量弾圧、テロル(=暴力)の方法を用いた」
 いったん、だれかを「反レーニン」と決めつけると、相手がそれを認めるまで、いじめぬいた。彼のモットーは「殴れ、殴れ、もっと殴れ」であった。手下に、この″方法″を指示して、国民を拷問させ、処分させた。
 これでもか、これならどうだと圧迫を強め続ければ、いつか音をあげる、泣きついてくると考えるのが、権力者の常である。これほどの人間蔑視、民衆蔑視はない。悪魔のごとき傲慢である。
 こうして、多くの革命の大功労者が、処分されていった。国土は生き地獄となった。ある功労者は悲痛な思いで書いた。
 「私はいつも政府のために闘ってきた。その政府の牢獄に閉じこめられること以上に大きな不幸はない」「私はこれらの犯罪のうちどれ一つとして犯してはいないのです。私の心の中には疚しさは微塵もありません」「私の事件は最初から最後まで、挑発、中傷の典型的な見本であり、革命的法秩序の土台を破壊する典型的な例であります」
 今も、まったく同様の構図である。
 こうして、輝かしき革命の理想は、根っこが破壊されてしまった。
 ″スターリンの残党″の愚かさ、こっけいさは、今回のクーデターでも世界に示されてしまったが、スターリンは「反レーニン」を正すとの大義名分を掲げた狂気の「自国民狩り」によって、自分がレーニンをいちばん裏切り、革命を大失敗させたのである。
 いわんや共産主義革命と仏法では、まったく次元が異なる。「波木井」等との決めつけによって、「広宣流布」を水泡に帰させることは、絶対にあってはならない。残念なことであるが、戦う以外にない。
13  レーニンとスターリンの大きな違いは″大衆との距離″であった。レーニンの歴史的な評価はともかく、「彼(=レーニン)はいつも人民の近くにいたのでした。彼は農民の代表と会い、しばしば工場の集会で演説しました。彼はよく農村にも出かけ、農民と話し合ったものであります」といわれる。
 「これに反し、スターリンは人民から隔絶しており、どこにも出かけようとはしませんでした。こういう状態が数十年も続いたのです」「こんな有様でどうして地方の状況を知ることができたでしょうか」
 思想の高低、正邪はともかく、「人民の中に入る」「人民のそばにいる」「人民とともに進む」のが指導者の要件である。
 仏法の歴史でも、釈尊も、大聖人も、日興上人も、つねに民衆とじかの交流をなされていた。反対に、権威、権力の指導者は、民衆と隔絶し、高いところから見おろすように安楽に暮らしていた。根本的な違いである。
14  自分が、革命を裏切りながら、しかも革命の大功労者を処分していく。そんなでたらめを実行するには、どうしても「反レーニン」というレッテルを、何の文証も事実もなく押しつけ、うむを言わさず、処分する必要があった。
 そうしながらスターリンは、自分のことをみずから「スターリンは今日のレーニンである」と宣伝していたのである。いわば″一体不二″である、と。
 「波木井」とのレッテル張りが何を意味するか、その一端がよくおわかりと思う。
 私どもは、こうした歴史の大悲劇を、絶対に繰り返してはならない。
 大聖人は、こう仰せである。
 「邪正肩を並べ大小先を争はん時は万事をさしおいて謗法を責むべし是れ折伏の修行なり
 ――「邪」と「正」が肩を並べて立ち、「大乗」と「小乗」が争う時には、万事をさしおいて、謗法を責めなさい。これが折伏の修行である――。
 大聖人は「万事を閣いて」と仰せである。″時″にかなうのが成仏の法である。今、広宣流布破壊の「仏敵」と戦いぬき、「正法」を守り、宣揚する人が「成仏」への大功徳を受ける人である。(拍手)
15  ″仏法の縁″は三世にわたる
 さて、角度を変えてお話ししておきたい。大聖人は御書の各所に、次のような、天台の『法華玄義』の釈を引いておられる。
 「本此の仏に従つて初めて道心を発し亦此の仏に従つて不退地に住せん
 ――もと、この仏に従って初めて道心(信心)を起こした者は、必ずまたこの仏に従って、″不退の位″にいたり、成仏するのである――。
 これは、天台が眷属妙(『法華玄義』の中で、妙法蓮華経の「妙」の一字の意義を十種に説いた「十妙」の一つ)を説くなかで、仏の眷属が「本縁に引かれて」生を受けることを示した文である。
 また、妙楽の『法華文句記』の「初め此の仏菩薩に従つて結縁し還此の仏菩薩に於て成就す
 ――初め、この仏菩薩に従って仏法に縁した衆生は、また同じ仏菩薩によって成仏を遂げる――の文も、繰り返し引かれている。
 そしてこの原理について、大聖人はわかりやすく、「法華経は種の如く仏はうへての如く衆生は田の如くなり
 ――法華経は成仏の種のようであり、仏は種の植え手のようであり、衆生は田のようである――と教えてくださっている。
 種を″植える人″″育てる人″″収穫する人″が同一であるように、成仏の種を植え、育てた仏・菩薩によって、衆生は成仏するのである。
 さらに、同じく『法華文句記』には「縁は生の如く成熟は養の如し生養縁異れば父子成ぜず」
 ――仏法に縁を結ぶのは″子どもが生まれる″ようなものであり、成仏するのは子どもを″養い育てる″ようなものである。産む人と養う人(発心させた仏・菩薩と面倒を見て育てる仏・菩薩)の縁が異なれば″父子″の関係がなりたたない(成仏はできない)――と。
 このように、仏法では「本縁」が重要であり、「眷属」は三世にわたる。
16  われらは御本仏の眷属
 大聖人は、こうした釈をとおして、大聖人こそ「本従の師」であり、「根源の師」であられることを教えておられる。「最蓮房御返事」などにも、同様の御指南が拝される。
 私どもは、どこまでも「御本仏の眷属」である。そして御本仏の仏意仏勅で出現した「創価学会」「SGI」によって発心し、養育され、成仏へと歩んでいる、まことに御本仏に結縁深き仏子の集いである。
 御本仏につつまれ、世界に広がった、この″妙法の大地″で育った私どもは、この大地で花を咲かせ、実を結ぶことが、御書に照らして正しき道なのである。(拍手)
 また私どもは、この″広布前進の世界″に、生き、死に、また生まれてくる。真の妙法の同志の縁は三世に続くのである。
 御書に、天台の『法華玄義』の文を引かれて、「有縁の者何ぞ来らざるを得んたとえば百川の海に潮す応須が如し縁にひかれて応生すること亦復是くの如し
 ――縁ある者がどうして生まれてこないことがあろうか。たとえば、百の川がすべて海に集まり注ぐようなものである。縁にひかれて生まれてくる(同じ仏の世界に必ず生まれてくる)こともまた、同じ原理である――と。
 私どもは、この″御本仏の世界″である″広宣流布の大海″に、来世もまた次の世も生まれ、活躍していくことができる。三世永遠に大福徳の人生行路を満喫しきっていける。これほどありがたいことはない。これほどの喜びはない。
 ゆえに、「三世の果てまで同志なり」と定めた一念が、成仏への軌道を固めていく。私どもは、この根本軌道をまっすぐに進んでいけばよいのである。
 ともあれ、皆が「幸福」になるための仏法である。皆が「安心」し「満足」していけるための組織である。
 アメリカにおいても、カナダにおいても、どこまでも仲良く、心と心の通い合う、「世界一楽しいSGI家族」の前進をとお願いし、本日の話としたい。
 (ロサンゼルス近郊)

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