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日蓮大聖人・池田大作

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各部代表協議会 「人権ルネサンス」へ今、世界は

1991.9.19 スピーチ(1991.7〜)(池田大作全集第78巻)

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2  こうした激動の時代の底流を示唆する論調として、先日、アメリカのある幹部から、次のような手紙が寄せられた。ご紹介したい。
 「八月の十九日にソ連でクーデターが起こり、その政変劇は三日間で終わりました。これによって、ある意味では、東欧をはじめ世界の各国が何年もかかって達成してきた秩序の転換が、数日間の短い期間になされたのです。
 しかし、二週間遅れの日本の新聞等を最近読む機会があり、ソ連の危機について報道されている紙面を見比べてみて驚きました。
 アメリカの新聞には″クーデター失敗――民衆の勝利″などの見出しの下に、率直に″上級官僚が民衆を甘くみて、権威でおどかせば、下は従うと思い上がっていた……誤算″とあるのですが、日本の新聞には『ペレストロイカの危機』とか『路線修正は確実』とか『経済政策の失敗』等々、本質を見据えない、評論家口調の報道に終始している印象をうけました」
 たしかに、そういう面もあったかもしれない。激動の時代にあって大事なことは、つねにその変化の「核心」を、研ぎ澄ました眼で見抜いていくことである。
 きょうの夕刊「読売新聞しで紹介されていたが、アメリカの「ロサンゼルス・タイムズ」も、ソ連のクーデターの失敗の理由について、次のように述べている。
 「この愚者(=クーデターの首謀者)の陰謀は、彼らが支配をもくろんでいた人民の反応について、なぜ劇的といってもよいほどの思い違いをしたのか。
 彼らは絶対の権力だと信じていたものによって堕落し、盲目となり、真の権力とは究極的には統治される側の同意に基づいているという事実を忘れていた。
 新しい時代はこうした誤算から生まれるものである。このクーデターの失敗は、ソ連国民の生活を大きく変えるであろう」と。
 民衆の心を忘れ、みずからの権力を過信した「誤算」が、失敗をもたらしたのだ、と。
 ″民衆なんか、どうにでもあやつれる″と蔑視する指導者は、必ずその報いを受けよう。その集団は滅びへの道をひた走ることになる。
3  アメリカと日本の「人権意識」に差
 手紙はさらに続く。
 「以前から気がついていたことですが、日本とアメリカの報道の違い、問題意識の差が大きいように思えます。池田先生がスピーチの中で、たびたびおっしゃっている『日本は物事を経済の次元に偏って見る』という意味のことを、しみじみ考えさせられてしまいます。
 今、アメリカで連日、記事のトップを占めているのは、″トーマス最高裁判事候補の承認問題″であります。なぜかといえば、基本的人権を守る立場にあるアメリカ最高裁の判事の一人を決めるために、アメリカ上院がトーマス判事の適性を審査しているからです。
 アメリカでこの人権問題は、結局、最も弱い立場の人間の権利をどう守るかに帰着します。例えば昔からいわれる、女性とか労働者とかの権利、近くは、黒人などの少数民族の権利、そして現在は、いまだ生まれていない生命の人権、すなわちアボーション(人工中絶)に賛成か反対かの問題などです。
 今、話題のクラレンス・トーマス氏は黒人で、結婚した後、苦学して法律学校に通い、法律家になった人です。
 また現在、人工中絶の受けられる病院は、アボーション反対の活動家の攻撃の的になっています。先日も、ウイチタ市(カンザス州)で、数日間、座り込みの抗議行動がテレビで報道されていました。
 明年の大統領選挙の大きな争点の一つは、この人工中絶問題になるだろうといわれています。こうしたアメリカの、人権をめぐる世論の活発化に比べて、日本の新聞は、津波のように、お金にまつわる問題ばかりを追いかけているように思われます。
 しかし、新しい時代の『カギ』でもある人権問題に、あまりに関心が払われていないことは、まことに寒々と残念なことです」
4  「ただ、今や″共産主義の脅威″は死に、独裁的国家が倒れつつありますが、アメリカも決して民主主義の勝利者の国ではありません。
 ケネディ大統領の発した平和部隊の呼びかけに応じて活動家となったチャールズ・ラーソン氏は、自身のボランテイア活動を通して『今のアメリカは″対立″の国だ。何ごとにも意見の一致することがない。他人と何かを分け合うことや、社会の底辺にいる人々を思いやることを、我々はすっかり忘れてしまった』と言っています。
 最近、アメリカで流行の言葉は″It's Not My Fault(s)″(私の責任ではない)という言葉の頭文字だけ取って″I・N・M・F″と表現することです。例えば、アルコール中毒の人などが、自身の体質や性格は生まれつきのもの、すなわち自分の落ち度ではないと主張することです。
 民主の主張も個人主義もここまで来ると、『自己と向き合うことのない社会』『自分自身を知らず、他人のことはもっと知らない世界』になりつつあります。
 現在、連載中の小説『人間革命第十一巻』を熟読し、『権力』への『人間』の闘争、『社会と宗教の人間化』の必要を痛感しつつ、今のアメリカで、現在の自身の立場で、何ができるかを思索する日々です」
 SGI(創価学会インタナショナル)の人権運動の最前線で活躍する友の、ありのままの声として、紹介させていただいた。
5  「話し合い」と「助け合い」で平和の世紀ヘ
 さて今回の国連総会において、大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、ならびにエストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国、マーシャル諸島共和国、ミクロネシア連邦の七ヶ国の国連加盟が正式承認された(九月十七日)。「協調の時代」「共に生きる時代」への大きな一歩であり、心から祝福したい。
 国連の理想は「対話の精神」にある。大国、小国の区別なしに各国が話し合いを重ね、人類の平和への意思を結集するところにある。その意味から、私は、数十年前から「国連中心主義」を提唱し、SGIとしても一貫して国連支援の運動を展開してきた。
 時代は、東西冷戦が終結し、新たな国際秩序が模索されている。″人類の議会″として、国連の果たすべき役割は、今後、いよいよ大きくなっていくであろう。
 世界は今、すさまじい勢いで変動している。″世紀末″を前にして、人類が、戦争と暴力の傷跡のしるされた二十世紀に、みずからの手で、いち早く別れを告げようとしているかのようだ。
 新しい世紀――それは、「話し合い(対話)」と「助け合い(協調)」よる平和の世紀である。国境を超えた地球共同体の出現である。そうした共通の目標に向かって、世界は大河の流れを形成しつつある。その大きな文流の一つが、ヨーロッパであろう。
6  現代ヨーロッパの最大の課題とは何か。機構的にいえば、それはEC(欧州共同体)統合の問題であろう。もう一つ、目に見えない世界での最大の課題は、「精神の空白」である。この二つは実は相互に関連がある。
 ECは、明一九九二年には十二ヶ国、三億二千三百万人の単一市場をつくろうとしている。また、EC域内での国を超えた移住にともなう選挙権を保証する「ヨーロッパ市民権」の創設、さらには将来における東欧諸国やソ連内の共和国等の加盟への道も模索されている。
 ECの市場統合は、経済的に超大国が出現するばかりではなく、政治的、社会的にも共通の″ヨーロッパ意識″を形成しつつあり、その影響の大きさは計り知れない。
 新しい意識の一つとして、EC統合にあたって″産業文化″を再構築するため、「技術中心」のシステムから「人間中心」のシステムヘの変換が探究されている。
 ″産業″の発展が、人間性を抑圧するものにならないためには、″文化″との関連を深く考えねばならないとの発想である。
 これは、ほんの一例であるが、EC統合による「経済革命」は、巨大な「文化革命」をともなう可能性が高い。
7  カレルギー伯「二十世紀の息吹を備えた仏教を支柱に」
 ヨーロッパ統合運動の先駆者は、クーデンホーフ=カレルギー伯(一八九四年〜一九七二年)である。
 伯とは、一九六七年(昭和四十二年)の来日のさい、初めてお会いした。また、七〇年(昭和四十五年)の来日のおりには、延べ十数時間、三回にわたって会談し、その内容は、対談集『文明・西と東』(サンケイ新聞社)に結実した。
 (=カレルギー伯は六七年当時、七十二歳。三十九歳の名誉会長〈当時会長〉との出会いについて、次のような感想を記されている。「私は直ちに池田の人物に強く感銘した。やっと39歳の、この男から発出している動力性に打たれたのである。彼は生まれながらの指導者である」「生命力の満ち盗れている、人生を愛する人物である。率直で、友好的で、かつ非常に知性の高い人物である」「池田大作とのこの会談は私にとっては、東京滞在中のもっとも楽しい時間の一つであった」〈『美の国―日本への帰郷』鹿島守之助訳、鹿島研究所出版会〉)
 カレルギー伯は、「ヨーロッパの未来」を決定づけるものは、その「精神的支柱」が何かということであるとし、真剣に考えておられた。
 そして「こんごのヨーロッパを支配する可能性がある唯一の古い宗教は、仏教のみでしょう。それも古い形のままの仏教ではなく、二十世紀の息吹を備えた仏教でしょう」(『文明・西と東』と語られた。
 「二十世紀の息吹を備えた仏教」――カレルギー伯は、ヨーロッパの統合を夢見、その壮大な″家″の″柱″を考える時、もはや、これまでのままの古い宗教では役に立たないと考えた。キリスト教も改革されない限り″支柱″にはなりえないと。
 そして、この「精神の空白」を埋めるものとして「新しい息吹の仏教」の可能性に注目されたのである。
8  日本における創価学会の発展についても、カレルギー伯の見方は巨視的であり、本質をついていた。それは、「世界的な物質主義に対する日本からの回答であり、宗教史上新たな章を開くものである」(同前)と。
 また、会見後、いただいた書簡には、「私は、あなた方の運動に称讃の辞を贈るとともに、私が敬服してやまない仏教のルネサンスによつて、日本一国のみならず、アジアと世界の将来に貢献されんことを心から期待する」(同前)としたためてあった。
9  理想の成否は「高貴なる人間性」の蘇生に
 さて、ヨーロッパの精神的空白を埋めるものとして、カレルギー伯が宗教革新運動とともに期待したものがある。
 それは宗教の次元は別にして、普遍的な「理想的人間像」を形成することであった。すなわち、「ジェントルマン(紳士)」への教育である。
 宗教は大切であるが、それは「立派な人間」をつくるからである。「人間」をゆがめ、「人格」と「知性」を抑圧するようであれば、宗教は有害である――伯はそう考えておられた。
 やはり、どこまでも「人間」である。現実の「人物」がどうかである。仏教の真髄も″人の振る舞い″にある。
 カレルギー伯は「ゼントルマン」という文章の中で、こう書かれている。
 「このゼントルマン理想は、西洋における人間性の神髄を成すものである」「ゼントルマンとは言葉の上では『やさしい男性』という意味である。乱暴な人間、野蛮人、ギャング等とは反対の文化人のことである」(鹿島守之助編著『クーデンホーフ・カレルギー伝』鹿島研究所出版会、以下同じ)
 ヨーロッパにはかつて「騎士道」など、こうした″精神の美″への理想があった、と。しかし、「今日では政治は、部分的には敵を欺むき、契約を破棄し友達を裏切り、防禦力のないものを襲撃することを誇りとしているギャングの手中に握られている」「大部分の世論が驚かされるようなギャングの手中に握られているのである」と。
 多くの人々が「驚かされるような」堕落を、指導者層がしてしまったというのである。もちろんヨーロッパだけのことではない。
 また、ことは政治の世界に限らない。最も人間的であるべき宗教の世界にも、最も非人間的な″ギャング″が出現する。
 「裏切り」と「うそ」を平気で行い、「防禦力のないものを襲撃することを誇りとする」一群が現れる危険がつねにある。皆さまがよくご存じのとおりである。
 カレルギー伯は主張された。「このような状態が続いている限り、平和の確立も自由の確保も行なわれない」「国家の革新は、人間の革新から出発する必要がある」「西洋の将来は、この(=ジェントルマンの)理想が貫徹されるか、または凋落するか否かに懸っている」と。
 そして、「ジェントルマンの国」イギリスと古代ローマの人間像の共通点を指摘し、「古代ローマ人も近代英国人も、世界制覇は自制をもって始まる」ことを知っていたと述べられている。自身を制覇する者が、世界を制覇するのだ、と。
10  このように、カレルギー伯は、「ヨーロッパ合衆国」という大いなる理想の成否は、ひとえに、人間が「高貴なる人間性」を蘇生させられるかどうかにかかっていると訴えたのである。
 その一つが「仏教のルネサンス」への期待であり、もう一つが「ジェントルマン」教育への期待であった。
 私との対談でも、カレルギー伯は、「このジェントルマンの理念は、いまだにヨーロッパの人々のなかに生きているものの、やはり薄れつつあります。なぜかというと、ジェントルマンと″ならずもの″がケンカすれば、大抵、腕力の強い″ならずもの″の方が勝ち、ジェントルマンの方が負けてしまうからです」(『文明・西と東』)と語られた。
 手段を選ばぬ「暴力」と「謀略」の野蛮人。フェアプレーに徹した「人道」と「正義」の文化人。その戦いが、現代の″核心″にある。ヨーロッパのみならず、人類の未来を決定づける。
 「ジェントルマン」――それは、民衆とともに進む指導者の要件でもある。「ギャング」――それは、民衆の上にあぐらをかいた権力者の異名でもあろう。「野蛮」と「文化」の戦いは、まさに「権力」と「人間性」、「ファシズム」と「民主」の闘争でもある。
 そしてカレルギー伯は、民主主義の敵である″ギャング″の例を二つ挙げられた。一つは「金権政治」。もう一つは「扇動主義(デマゴーグ)」であり、マスメディアの発達により、ますます危険なものになっている――と。
 だまされてはならない。踊らされてはならない。「民主」の敵は、金品や巧妙なウソを武器にする。そして「手段を選ばぬギャングが勝ってしまう」悲劇を起こさぬために、あらゆる知恵と、無限の勇気と、鉄の団結で戦わねばならない。断じて「正義の勝利」をもたらさねばならない。
 本年、私は約一カ月間にわたってヨーロッパを訪問した。それは、ヨーロッパの「仏教ルネサンス」のスタートから三十周年を期しての新しい出発であり、同時に、ヴィクトル・ユゴー文学記念館のオープン、タプロー・コート総合文化センターの整備など、ヨーロッパの高貴なる文化を再生し、光り輝かせゆく戦いでもあった。
 また、「ヨーロッパ合衆国」への、ユゴーの、またカレルギー伯の理想に連なるものであり、「文化」と「人間主義」による「野蛮」と「物質主義」「権威主義」への挑戦でもあった。この本質を、一流の人々、人間と民主のために戦ってきた人々は、鋭く見抜かれていた。
11  われらは「人権ルネサンス」の闘士
 ″人類の憲法″といわれる「世界人権宣言」の起草者の一人、ルネ・カサン氏(一八八七年〜一九七六年)といえば、ヨーロッパで知らない人はいない有名人である。ユネスコのフランス代表、ヨーロッパ人権裁判所の所長、国連人権委員会委員長を務め、ノーベル平和賞(一九二ハ八年)も受賞されている。
 その未亡人が、六月二十一日、ユゴー文学記念館のオープンに見えられ、私も懇談した。カサン夫人は力をこめて言われた。「あなたを見て、私は思いました。ここに、夫の遺志を受け継いで戦っている人がいる!」と。
 開館式での私の挨拶についても、「私の夫が異国の言葉(日本語)で話すのを開いているようでした。感動しました」と率直に語ってくださった。
 (その日、カサン夫人は、目に涙を浮かべて、こう感想を述べられた。
 「この方〈=名誉会長〉はすばらしい。この方のなさっていることは、私の夫の残した仕事の延長線上にあります!」「私の夫、ルネ・カサン自身、ヴィクトル・ユゴーを熱愛しておりました。『これ〈=ユゴーの精神〉はすばらしい』とその方〈=名誉会長〉はおっしゃいました。それは私にとって大きな喜びです。涙ぐんでしまったことをお許しください。テイヤール・ド・シャルダンは『地球は丸い、友愛が一周する様に』と言っています。またヴイクトル・ユゴーは『一切は虚栄だ、善をのぞいて』と言っています。私は〈=スピーチに〉感動しました。それはまるで私の夫が異国の言葉で話すのを聞いているようだったのです」)
 ともあれ、私どもは人権の闘士であり、騎士である。文化のために戦うジェントルマンであり、レデイー(淑女)である。世界は「人権の時代」を志向している。
 そのために、「精神性の復興」を必要としている。そして「仏教のルネサンス」に熱い視線を送っている。
 私どもは、二人の人間の尊厳」を最も根本的に説かれた日蓮大聖人の真の門下として、二十一世紀へ、「人権ルネサンス」ともいうべき、大いなる人間解放の運動を、絢爛と進めてまいりたい。
12  われらは大聖人に信伏随従
 話は変わる。ここで、根本である御書を拝したい。文永十一年(一二七四年)十二月の「顕立正意抄」には、同年十月に「蒙古襲来」の予言が的中したことを、大聖人は次のように記された。
 「去ぬる文永五年に蒙古国の牒状ちょうじょう渡来する所をば朝に賢人有らば之を怪む可し、設い其れを信ぜずとも去る文永八年九月十二日御勘気を蒙りしの時吐く所の強言ごうごん次の年二月十一日に符合せしむ、こころ有らん者は之を信ず可し何にいわんや今年既に彼の国災兵の上二箇国を奪い取る
 ――去る文永五年に蒙古から牒状(国書)が来た時、もし、この国に賢人があれば、(安国論の他国侵逼難の予言の的中は)不思議だと気づくはずだ。
 たとえ、それで信じられなくとも、去る文永八年九月十二日、御勘気(国家の咎め。ここでは平左衛門尉一味による大聖人逮捕)を受けたさい、自界叛逆の難を予言し、翌年二月十一日にそのとおりになった(二月騒動)。心ある者ならば、この時に信ずべきではないか。
 いわんや、今年、現実に蒙古が襲い来て、壱岐・対馬の二国を奪い取った(文永の役)。(これでもまだわからないのか)――と。
 「設い木石為りと雖も設い禽獣為りと雖も感ず可く驚く可きにひとえに只事に非ず天魔の国に入つて酔えるが如く狂えるが如く歎く可し哀む可し恐る可し厭う可し
 ――たとえ心なき木や石であっても、たとえ鳥やけものであっても、(大聖人の予言の的中の偉大さを)感じ、驚くはずではないか。(その事実を目のあたりにしながら、そうしないのは)ひとえにただごとではない。
 天魔がこの国に入って、みな酔っぱらっているようであり、狂っているようである。嘆くべく、哀れむべきである。恐るべく、いとうべきである――そして、このままでは必ず地獄に堕ちると断言されている。
13  「委細に三世を知るを聖人と云う」と。今やだれの目にも明らかとなった大聖人のお言葉の正しさ。その″事実″を前にして、どういう態度をとるのか。いわば、大聖人を尊敬するかどうかが「賢人」かどうかの試金石であった。
 もとより次元は異なるが、わが学会は、妙法を世界に「広宣流布」してきた。仏法上、どれほど不思議な存在であることか。
 また、「戦争」の恐怖の絶えない世界に、「平和」の大波を起こしてきた。「文化」と「精神」と「民主」と――時代を先取りし、時代を創ってきた。「共に生きる」時代へと、人々の心を結びつけてきた。心ある人々は、その人類への貢献に瞳目し、絶大の評価を寄せている。
 今、そうした大貢献を、ありのままに認められるか否か。崇高な本質を見抜く目をもっているかどうか。
 ある人が言っていた。″本物かどうか、試されているのは、むしろ周囲のほうである″と。
14  大聖人は続けて、さらに門下に対しても、「同様である」と厳しく述べられている。
 「今日蓮が弟子等も亦是くの如し或は信じ或は伏し或は随い或は従う但だ名のみ之を仮りて心中に染まざる信心薄き者は設い千劫をば経ずとも或は一無間或は二無間乃至十百無間疑無からん者か
 ――(不軽菩薩をバカにした者たちは、あとで信伏随従したが、謗法の罪のほうが強くて、まず阿鼻地獄に堕ち、千劫の間、大苦悩を受けた)。今、日蓮の弟子等も同じである。ある者は信じ、ある者は伏し、ある者は随い、ある者は従う(信伏随従している)。しかし、ただ名目ばかりで(格好だけで)心中に染めぬいていない信心薄い者は、たとえ千劫までいかずとも、一劫、二劫ないし十劫、百劫の間、無間地獄で大苦を受けることは疑いないであろう――と。
 大闘争の時――弟子も試されているのだ、と。信心は格好ではない。大聖人は繰り返し「心こそ大切なれ」と教えてくださっている。うわべのみつくろって、戦っているつもりになっているだけなのか、「法」のため「正義」のために、身命を捨てて広布に進んでいるのか。奥底の一念の違いは、必ず結果になって表れる。
 「是を免れんと欲せば各薬王楽法ぎょうぼうの如く臂を焼き皮を剥ぎ雪山国王等の如く身を投げ心を仕えよ、若し爾らずんば五体を地に投げ徧身へんしんに汗を流せ、若し爾らずんば珍宝を以て仏前に積め若し爾らずんば奴婢ぬびと為つて持者に奉えよ若し爾らずんば・等云云、四悉檀を以て時に適うのみ、我弟子等の中にも信心薄淡うすき者は臨終の時阿鼻獄の相を現ず可し其の時我を恨む可からず
 ――もし(堕地獄を)免れようと欲するのであれば、おのおのが薬王菩薩の(修行の)ように、臂を焼いて仏に供養し、楽法梵志のように身の皮をはいで供養せよ。雪山童子のように(法のために)身を投げ、檀王(王位を捨て法を求めた)のように(師に)心を仕えさせよ。さもなくば五体を地に投げ、全身に汗を流せ。さもなくば珍しい宝をもって仏前に積みなさい。さもなくば下僕のごとく法華経の持者に仕えなさい。
 さもなくば……等々、すべては「四悉檀」(世界、為人、対治、第一義悉檀〈仏が法を説くために用いる四つの方法〉)の教えのように、その時に最もかなった修行をしなさい。
 わが弟子等のなかにも、信心薄き者は、臨終の時、阿鼻地獄の相を現ずるであろう。その時になって私を恨んではならない――と。
 厳しいお言葉である。大聖人の末弟を名乗る者は皆、襟を正して拝すべきであろう。われらは、日蓮大聖人に「信伏随従」していくべきなのである。信心に中途半端はない。
15  人類の災難を救う「立正」の戦い
 外敵の襲来――この国難を、いち早く予見し、実際に国を守られたのは、日蓮大聖人であられる。しかし、社会も、また多くの弟子でさえ、その大恩と偉大さを深く感じることができなかった。
 「雖近而不見」(仏が近くにおられても凡夫にはわざと見えないようにすること〈開結五〇六ページ〉)と法華経に説かれるとおりであった。大聖人は、その愚かさを嘆かれ、厳愛の叱咤をなされたのである。
 大聖人は民衆を、あらゆる「災難」から救うために戦ってくださった。
 「災難対治抄」には、大地震、異常気象、大飢饉、大疫病、大戦争などの「災難」を「対治」する方途を説かれている。その結論は――。
 「速に謗法の者を治す可し若し爾らずんば無尽の祈請きしょう有りと雖も災難を留む可からざるなり」――(災難をとどめるには)すみやかに謗法の者を対治すべきである。もしも、そうしないと、限りなく祈ったとしても、決して災難はおさまらない――と仰せである。
 それでは、どうやって謗法を対治するのか。(「問うて曰く如何が対治たいじす可き」)
 大聖人のお答えは「施を留めて対治たいじす可しと見えたり」――謗法への供養をやめて、対治すべきであると(経文には)ある――であった。謗法への供養は、悪をはびこらせることであり、正法と民衆への敵対行為になってしまうとの教えと拝される。
16  また、大聖人は南条時光からの御供養に対して、こう仰せである。
 「いつもの御事に候へばをどろかれず・めづらしからぬやうにうちをぼへて候は・ぼむぶ凡夫の心なり
 ――(御供養をいただくことが)いつものことでありますので、驚きもせず、珍しくもないように思うことは、凡夫の心です――。
 大聖人は、「御供養は当然」と傲る過ちを、明確に指摘しておられる。
 そして、在家の多忙な身で、社会状況も生活もたいへんななか、供養されたことは、三世の諸仏を供養することであり、一切衆生の生命の眼を開く功徳となると、時光の志をたたえておられる。
 そもそも、門下への大聖人のお手紙には必ずといってよいほど、御供養の品の名が連ねてある。このお手紙でも、冒頭に「むぎひとひつ」「かわのり五条」「はじかみ六十」いただきましたと、ていねいに一つ一つ挙げられている。
 それらの「品」にこめられた「心」を大切に、いつくしむような筆づかいであられる。当時の、いわゆる高僧の手紙で、大聖人のようにされた例はない。信徒の「真心」を大切にされる、このお心を受け継ぐ者だけが、大聖人の真の門下であろう。
 御本尊への供養を自分や家族のぜいたくのために利用したり、供養して当然と傲ったり、いわんや脅して供養を強要したりする者がいれば、大聖人に師敵対する謗法の者であろう。
17  海は″人間大交流″の大通り
 最後に、一つの「逆転の発想」について語っておきたい。「発想」を変えれば、新しい世界が見えてくる。新しい可能性が開けてくる。それまで短所と思っていたものを、逆に長所に変えることもできる。
 固定観念に縛られた人は、いわば「精神の囚人」である。私どもは、固定観念を破り、つねに新しい視野と価値を開きゆく「知恵の人」「自由の人」でありたい。
 かつて日本は「海に囲まれ孤立した島国」と考えられていた。しかし、近年の考古学が到達した成果は、その既成観念がまったく誤りであることを証明している。
 すなわち、日本列島は、はるか古代から「海を通して世界と活発に交流していた」事実がわかってきた。いわば「海(流)は、日本を世界から遮断する″壁″ではなく、反対に、世界と結合させる、水の″大通り(メーン・ストリート)″であった。
 海流の方向は一定している。″わが世界″を広げようとする者にとって、海流は″動く大道″であった。
 四方を海に囲まれている――だからこそ、四方の世界へ大きく道が開かれていたのである。事実は、″孤立″どころか、まったくさかさまなのである。そのくわしい様子は省くが、一例を挙げると、縄文人はアメリカ大陸に渡っているとされる。
 南米エクアドルで発見された古代の土器は、縄文式土器と驚くほど似ていた(約五千年前のもの)。広大な太平洋の西と東に隔たりながら、″偶然の一致″ではありえないほどの類似性を示していたのである。否、それはたんに″似ている″というより、″兄弟″といったほうがいいくらいであった。
 縄文時代(数千年前)、黒潮に乗って、南米に渡った人々がいた――そう考えるほかない事実が続々と指摘されている。(この説は、アメリカの多くの学者が支持している。C・L・ライリー他編著『倭人も太平洋を渡った』古田武彦訳著、八幡書店など)
18  縄文時代には、日本海を渡ってロシア大陸とも交流があった。アムール川(黒龍江)流域やウラジオストク周辺からは、北海道、隠岐(島根県)、男鹿半島(秋田県)で産出した黒曜石が発見されている。
 この石は、ギリシャ文明も含め古代の文明を支えた、当時の貴重な資源である。硬くて、しかも加工しやすい――刃物や矢じりをつくるのに、これ以上適した石はない。その高い価値のため、″黒いダイヤ″と呼ぶ人もいる。この石を多く持っている者が力をもっていた。周囲を圧する富者であり、強者であった。
 いわば当時の″文化の最先端″である。その″先進文化″を求めて、人々は海を渡った。はるばる隠岐や秋田、北海道から、シベリアヘ、また沿海州へと石を持ち去った。″日本海大交流″の一端である。
 その他、九州と中国南部(江南地方)、九州と朝鮮半島、沖縄と北海道、沖縄・九州と東南アジア・中国など、じつに多彩な古代の交流の事実がわかってきている。
 古代人には閉ざされた国境などなかった。荒海さえ、人と人を引き離す障壁ではなかつた。太平洋に、日本海に、東シナ海に、オホーツク海に――「人間」と「文化」の大交流の道はダイナミックに開かれていた。
19  激動の社会の変化に「創造力」で対応
 この「自然の大動脈=海」を「島国を囲む障壁」と見るようになったのは、後世の委縮した精神のせいである。つまり「島国根性」が「閉鎖的な島国」をつくった。「島国」が自然に「島国根性」をつくったのではない。
 風土の影響が大きいことは当然として、一つの環境をどうとらえるかは、人間の一念しだいである。
 広々とした海の存在を忘れて失敗したのが徳川幕府である。
 周知のように、幕府を倒したのは薩摩藩(鹿児島県)と長州藩(山口県)の連合である。
 幕府は家康以来、薩摩藩を″仮想敵国″とし、その押えとして、熊本に信頼している細川家を置いたり、また長崎など直轄領を重視した。ところが、海運技術の進歩により、時代はいつのまにか″海の時代″になっていた。″陸の監視役″だけではしだいに意味がなくなってきた。
 幕末、薩長両藩は、海上交通で容易に往き来できた。また、倒幕の功労者・坂本龍馬は海運業の先駆者でもあった。
 もともと薩摩は、琉球(沖縄)と関係が深い。海運は得意である。一方、長州には下関がある。下関は、中国、九州両方にとって、海運の重大な要石かなめいしであった。
 ″海の時代″への変化に対応して「幕府はむしろ下関を押えるべきであった」と、ある歴史学者は指摘している。そのポイントが見えなかった。この失敗が尾をひいた。
 一側面からいえば、″海を制した″者が、″海を忘れた″者を破ったのが、明治維新だったといえるかもしれない。時代に対応できなかった者の悲劇である。
20  ともあれ時流は刻々と動いている。今、社会は新時代の大波に取り囲まれ、激しく洗われている。この新時代の「海」を、どうとらえるか。
 かつての幕府のように、保守的に「鎖国」し、海を″壁″としてしまうか、反対に、無限の大舞台が広がっていると見るか、そこに分岐点がある。
 「創造力」の人は、変化のスピードが激しくなるほど、縦横の痛快な活躍ができる。そして私どもは「価値創造の団体」である。
 「人間性」「精神性」「宗教性」――時代の潮流の方向を見定め、いよいよ、カラを破って、世界と人類の大海原へ船出しなければならない。いよいよ大聖人の仏法を真剣に正しく行じつつ、いよいよ世界的な「文化」「平和」「教育」の団体として、本領を発揮していく時である。
 学会員一人一人が「人権ルネサンス」の華麗なる主役であり、人類六十億が私どもを待っていると申し上げ、スピーチを結びたい。
 (本部第二別館)

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