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日蓮大聖人・池田大作

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第四十六回本部幹部会、第十九回婦人部幹… 「一人の幸福」に尽くしてこそ仏法

1991.9.17 スピーチ(1991.7〜)(池田大作全集第78巻)

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1  仏法を基調に世界へ友情の輪を
 第十九回全国婦人部幹部会、第四十六回本部幹部会の開催、おめでとう。(拍手)
 本日は、はるばる海外十二カ国・地域から代表メンバーが参加されている。また沖縄研修道場にはアジアの壮年部の方々が集っておられる。たいへんにご苦労さまです。(拍手)
 先日は、鳥取、島根の両県を七年ぶりに訪れることができ(九月七日〜十日)、″山光″の同志の皆さまと、すばらしい信心の思い出を刻むことができた。本当にお世話になりました(拍手)。(この日、両県は9・17「鳥取の日」「島根の日」を迎えた)
 なお現在、長崎の雲仙・普賢岳の噴火活動が、ふたたび活発化している。
 鐘ケ江・島原市長をはじめ地元の皆さまに、重ねてお見舞いを申し上げ、皆さまのご無事を心からお祈り申し上げたい。
2  さて昨日、ロンドンのビクトリア・アンド・アルバート博物館で「ジャパン・フェスティバル '91」の開会式が行われた。同フェスティバルは、英国各地で日本文化を総合的に紹介する大規模な祭典である。
 (=日英協会〈ヒュー・コータッツィ会長〉の創立百周年を記念するもので、両国の友好交流の促進を目的として、四カ月間にわたり日本の伝統文化や各種芸術、科学技術などを幅広く紹介する諸行事を行った。同フェスティバルの公式行事として、東京富士美術館の「日本美術の名宝展」がエディンバラのスコットランド王立美術館でオープンし好評を博したほか、十一月には民音〈民主音楽協会〉派遣の舞踊団が、同国各地の劇場で日本の伝統芸能を上演した)
 開会式には、私も東京富士美術館、民音の創立者としてご招待をいただいていたが、所用のため、どうしてもうかがうことができず、代理として長男(=池田博正氏)を出席させた。式には、英国訪問中の皇太子殿下、チャールズ皇太子殿下(=ともに同フェスティバル名誉総裁)をはじめ、メージャー首相、ハード外相等、各界の要人多数が出席された。
 (=開会式での懇談の席で、メージャー首相は、名誉会長との会見〈本年六月〉にふれつつ、池田博正氏に歓迎の言葉を述べた。また両国の皇太子からは、「日本美術の名宝展」の成功への期待が語られた。池田氏は、引き続いて行われた駐英日本大使主催の昼食会、フェスティバルの中心行事である同博物館の「日本のビジョン展」オープニングにも出席した)
 仏法を基調とする私どもの文化・芸術運動が世界に「友情」の輪を広げている、一つの証左として紹介させていただく。(拍手)
3  さて、今年の夏、青年部の文化訪問団が、インドを十二日間にわたって訪問した。
 インドは仏教発祥の地。SGI(創価学会インタナショナル)の青年文化訪問団は、今年で二回目である。
 インドの各界の方々も、学会による、事実のうえでの交流の推進を、心から喜んでくださっている。「SGIは言葉と行動が一致している」――と。
 今後も、青年の手で、友好の道を大きく広げていってほしいと願っている。
 また、インドの多くの識者の方々から、仏法を基調としたSGIの平和・文化・教育の運動に、大きな賛同と絶大な期待を寄せていただいている。亡くなったラジブ・ガンジー首相も、その一人であった。
 「精神の大国」のリーダーは、″本質″をきちっと見抜いておられた。そして、私にたびたびの招聘状をお送りくださり、私はインドからいくつかの賞まで頂いた。(一九八八年に「ラマチャンドラン賞」と「国際平和賞」、九〇年に「ラグヴィラ賞」と「ラルバドール・シャストリ記念ICDO〈国際文化開発協会〉国際賞」を受賞)
 広大なインド。莫大な人口を擁するインド。私も、新しい友好と平和の舞台を広げるため、できるだけ近いうちに、ふたたび訪問したいと念願している。(拍手)
4  アショーカ王の法勅「破和合僧の僧は僧宝と認めない」
 さて八月二十四日のことである。訪問団の一行は、釈尊の初転法輪の地、すなわち初めて法を説いた所であるサールナート(鹿野苑)を訪問した。そこで、アショーカ王の法勅(法律)を刻んだ石柱を見学した。二千三百年近く前のものである。
 石柱には、次のように記されていた。長い間に破損したところもあるが、補って読むと、こうなる。
 「だれびとによっても、和合僧団を破らせてはならない。比丘(=僧侶)あるいは比丘尼(=尼)でありながら、和合僧団を破るものは、それがだれであっても、白衣(=在家が着る白い服)を着せしめて(=還俗させて)精舎(=僧院・寺院)でない所に住まわせよ」(塚本啓祥『アショーカ王碑文』第三文明社を参照)
 すなわち、それがだれであろうと、どんな高位の人間であっても、和合僧を破壊する人間は、在家に戻して、僧院から追放せよ――と。
 アショーカ王は、これを地方の大官(知事)に命令した。そして、だれにでもわかるように、石柱に刻んで置いた。大切なことは、皆にわかるように公明正大に示さねばならない。陰で一部の人間だけが知っているのでは力にならない。
 また、この法勅が守られているかどうか、在家の人間が定期的に点検するように決められていた。出家者による破和合僧が、当時も、よほど心配されていたのであろう。(笑い)
5  インドの他の場所にも、同様の意味の法勅が刻まれた石柱がある。その一つには「私の子孫が統治する限り、日月が輝く限り、和合僧は永続させなければならない」(前掲書参照)と。
 釈尊の滅後数百年の記録において、すでに「破和合僧」を犯す僧侶への戒めが出現していた。アショーカ王は「そのような者は、もはや僧宝とは認めない。寺から追放せよ」と布告したのである。
 鹿野苑は釈尊が五人の修行者に初めて法を説き、いわば仏教の「和合僧団」が歴史上、初めて成立した場所。その地に破和合僧を戒める法勅が刻まれている意義は大きい。
 出家者の監視を任されたのは、在家の人々であった。仏法を篤く護ったアショーカ王自身も、また在家であった。ともあれ、真の仏法者はつねに、和合僧を破壊しようとする内外の敵と、戦い続けてきたのである。
 二年や三年、五十年や百年、六百年や七百年などという単位ではない。二千三百年の歴史の大河を、沿々と流れる仏法の英知である。
 世界は広い。仏法は永遠である。眼前のささいな出来事に紛動されたり、ちっぽけなことにとらわれていては、あまりに愚かである。それでは何のための仏法、何のための人生か。私どもは何千年、何万年というスケールで未来を見つめながら、全世界を舞台に、悠々と広宣流布の道を広げてまいりたい。(拍手)
 青年部メンバーが仏教発祥の地で出合った″二千三百年前からのメッセージ″。釈尊の仏法の次元ではあるが、それは今なお、鋭い警告と、正法の清流を守りぬくことの厳しさを、私どもの胸に鮮烈に投げかけている。
6  振る舞いが肝要――仏は常に″信徒の幸福″を
 ここで御書を拝したい。私どもは日蓮大聖人の門下である。ゆえに、日蓮大聖人の仰せのままに進むことが根本である。明快な道理である。
 日興上人も、御本尊と御書を根本に進むことを教えられた。そのとおりに行動するのが日興上人の門下と信ずる。その根本軌道から外れれば、何を言おうと、大聖人と日興上人への師敵対であろる。
 さて、千日尼は、夫・阿仏房に先立たれて一年あまり、亡き夫の分までも懸命に信心に励んでいた。また、同志を励まし、面倒をよく見ていた。その千日尼に、大聖人は次のように仰せになっている。
 「されば故阿仏房の聖霊は今いづくにか・をはすらんと人は疑うとも法華経の明鏡をもつて其の影をうかべて候へば霊鷲山の山の中に多宝仏の宝塔の内に東きにをはすと日蓮は見まいらせて候
 ――(法華経には、この経文を聞き、信ずる者には、一人として成仏しないものはない、と説かれている)そのゆえに、亡くなった阿仏房の聖霊には、今どこにおられるのであろうかと人は疑っても、法華経の明鏡をもってその影を浮かべてみますと、霊鷲山の山の中、多宝仏の宝塔の内に、(仏と対面して)東向きに座っておられると日蓮はみております――と。
 生命は三世永遠である。しかし、凡夫の目には、亡くなった人が死後、どこでどうなっているかはわからない。
 大聖人は、法華経の文を鏡として見ると、信心を強盛に貫いた阿仏房は、必ず釈尊や多宝仏のおられる宝塔の中に入っていると断言されている。
 末法において、宝塔とは、御本尊であられる。大聖人の信者として、広宣流布のために生きぬいた人は、必ず成仏するとの仰せと拝される。
 「若し此の事そらごとにて候わば日蓮が・ひがめにては候はず」――もしこのことが事実でないならば、日蓮の見間違いではない――。
 もし、阿仏房のような一人の真面目な信徒が成仏しなければ、大聖人の見間違いではなく、むしろ法華経を説いた釈尊らの責任である、と。
7  「釈迦如来の世尊法久後・要当説真実の御舌も・多宝仏の妙法華経・皆是真実の舌相も四百万億那由佗の国土にあさのごとく・いねのごとく・星のごとく・竹のごとく・ぞくぞく簇簇と・すきまもなく列なつてをはしましし諸仏如来の一仏も・け給はず、広長舌を大梵王宮に指し付けて・をはせし御舌どものくぢらの死にてくされたるがごとく・いわしのよりあつまりて・くされたるがごとく・皆一時にちくされて
 ――釈迦如来が(法華経方便品で)「仏は久しく法を説いてから後、要ず当に真実を説くであろう」といわれた御舌も、また多宝仏が(宝塔品で)「妙法蓮華経は皆是れ真実である」と証明された御舌も、(神力品で)四百万億那由佗の国土に、麻のように、稲のように、星のように、竹のように、ぞくぞくとすきまもなく列なっておられた諸仏・如来が、一仏も欠けることなく、広く長い舌を大梵天王の官殿に指し付けておられた御舌も、鯨が死んで腐ったように、鰯が寄り集まって腐ったように、皆一時に朽ちて腐って――と。
 釈尊は法華経を説くにあたり「真実を説く」と仰せになった。多宝如来は、「法華経は真実である」と証言された。また十方の諸仏は、天上の大梵天王の官殿に届くほどの広く長い舌を出して、「法華経は間違いない」と示された。
 広長舌――インドでは、舌を出すことによって、言葉の真実を証明する習慣があった。その舌が広く長いほど、より確かな証明となったのである。
 もし、正しい信徒が成仏しないことなどあったら、釈尊・多宝如来、十方の諸仏は″うそつき″になってしまう。その舌は、罪を受けて、朽ちて腐ってしまうであろう、と仰せである。
 しかしながら、″うそつき″の仏などありえない。また″二枚舌″の諸仏などいるわけがない。あったとしたら、それは絶対に仏ではない。
 「十方世界の諸仏・如来・大妄語の罪にをとされて・寂光の浄土の金るり琉璃大地はたと・われて提婆がごとく・無間大城にかつぱと入り・法蓮香比丘尼がごとく身より大妄語の猛火ぱと・いでて・実報華王の花のその・一時に灰燼の地となるべし
 ――十方世界の諸仏・如来が大妄語(大うそつき)の罪に堕ちて、寂光の浄土の黄金や琉璃(宝石の一種)でできた大地が、はたと割れて、提婆達多のように無間地獄にどっと堕ちて、法蓮香比丘尼のように、大妄語の報いによる猛火が、体からぱっと出てきて、実報土である華王世界の花園も一時に灰儘の地となってしまうであろう――。
 もし、正しき信徒が成仏できないならば、諸仏自身が大妄語の罪に堕ちてしまう。
 ″うそつき″の支配する国土――仏法上、もはや、そこは寂光土ではなく、正法の国土でもない。すべての福運は失われ、功徳の花園は消えうせ、荒廃と苦悩の地と変わるとの仰せである。
8  「いかでか・さる事は候べき、故阿仏房一人を寂光の浄土に入れ給はずば諸仏は大苦に堕ち給うべし、ただ・をいて物を見よ・ただをいて物を見よ、仏のまことそら事は此れにて見奉るべし
 ――どうしてそのようなことがあろうか。亡くなられた阿仏房一人を寂光の浄土に入れなければ、諸仏は大苦に堕ちるにちがいない。よくよく物事を見極めなさい。よくよく物事を見極めなさい。仏の教えが真実であるか虚妄であるかは、これによって判断していくべきである――と。
 一人の信徒の「幸福」が肝要である。一人の人の「成仏」が目的である。一人の人間を本当に幸せにできるかどうか――仏法の眼目はそこにある。仏の真実の教えかどうかも決まる。
 仏と名乗るから、尊いのではない。何をなすのか、振る舞いが大事であり、正義の一人を救えない仏は、地獄に堕ち大苦を受ける、と御本仏は仰せである。
 一人の人間のために、身命を惜しまず祈り、語り、働いてこそ、仏といえるのである。ふんぞり返って、人々を力ずくで従わせ、権威、権力で命令する仏などありえない。
 仏についてさえ、こうである。どんなに「位」が高かろうと、否、高ければ高いほど、正法を持つ仏子を成仏に導がなければ、堕地獄となる。
 立場が上であるほど″何をしてもいい″のではなく、上であるほど″責任がある″のである。ましてや、立場を悪用して、正しき人をいじめ、広布を妨げる人間がいるならば、御書に照らして、その罪は計り知れない。
 学会は、徹して「一人の幸福」のために、正法を弘めてきた。きめ細かく面倒を見きってきた。御本仏の仰せのままの行動であると確信する。私どもは、この仏法本来の「人間主義」を、いよいよ勇気凛々と時代に脈動させてまいりたい。(拍手)
9  日達上人「正宗の命脈が危うい時、学会が出現」
 人々の幸福を開くこの道には、必ず障害が現れる。正しき実践に、障魔が競うことは、仏法の道理であるからだ。
 現在、小説『人間革命』を連載しているが、もうすぐ「炭労問題」の闘争にふれた部分が掲載される。(第十二巻「涼風の章」)
 昭和三十二年(一九五七年)当時、″泣く子も黙る″と恐れられた、日本でも最大級の労働組合が、信仰を理由に、学会員を組合から締め出そうとしたのである。
 この時、私は夕張の方々とともに、敢然と戦った。いかなる権力、大勢力であろうと、民衆の幸福への道を閉ざすものとは断固、戦わねばならない。
 また恩師戸田先生は、「売られたけんかは買おうではないか」と叫ばれた。言い方は上品ではないが(爆笑)、先生は、抑圧と戦うべき「人間の権利」「民衆の権利」を教えようとされたのである。
 「何も悪くはないのに、そんな不当な圧迫を受けて、『ごめんなさい』などといっていられますか」(=昭和三十二年八月二十日、夕張支部結成大会)と。
 相手がだれであろうと、言うべきことは言う――それが人間である。人間の権利である。いわんや私どもは、民衆のために戦う、日蓮大聖人の真実の門下である。民衆が正当な権利を侵害されて、黙って泣き寝入りするような歴史は、私どもの団結で断ち切らねばならない。そのために、堂々と正義を語らねばならない。悪と戦わねばならない。(拍手)
10  なお、かつて日達上人は、この御書を拝されて、次のように述べられた。
 「千日尼も、また、阿仏房も常に大聖人様に対して苦労をしております。この正法は、いつでも、なくなって今にも絶えようとしておる時に、大変な、やはり諸天善神の加護とも申しましょうか、色々な加護によって、盛りたつものでございます。
 今日、我が正宗が、誠にその命脈もあぶなくなってきた時に、学会の出現があって、今日の隆盛をみた。しかも広宣流布が、眼前にせまるという様な隆盛となっております」(昭和四十一年九月五日、白蓮院親教。『日達上人全集』)――と。
 正宗の命脈が絶えようとするのを厳然と守り、しかも、未曾有の隆盛をもたらしてきたのは、まぎれもなく創価学会であるとのお言葉である。(拍手)
 また、だれが見ていなくても、だれが事実をねじ曲げようとも、厳然と大聖人が御照覧であられる。大福徳の創価学会員が、この信心によって、輝く「宝塔」の中に入ることは間違いない。阿仏房・千日尼のごとく、無上の幸福の境涯に入ることを、どうか確信していただきたい。(拍手)
11  大聖人は門下と″同苦″された
 さて、大聖人は、この千日尼へのお手紙の中に、次の一文を添えておられる。
 「こう入道殿の尼ごぜん御前の事なげき入つて候、又こいこいしと申しつたへさせ給へ
 ――国府入道殿の尼御前のこと、深く嘆いております。また、恋しく恋しく思っているとお伝えください――と。
 国府入道夫妻に関しては、くわしいことは不明だが、諸抄から察するに、阿仏房・千日尼夫妻と、いつも一緒に信仰に励んでいたのであろう。現在でいえば同じブロックの同志にあたろう。
 その国府入道夫妻に、夫妻のいずれかが亡くなったか、あるいは何らかの不幸に遭ったか、何か不慮の出来事があったと考えられる。
 信心しているからといって、何も起こらないとは限らない。しかし、何があろうとも、微動だにすることはない。
 妙法は「生死不二」「煩悩即菩提」の法である。御本仏の仰せどおりの信心の人には、一切が功徳となり、歓喜となる。時とともに、「万事これで良かった」という所願満足の軌道に入っていく。
 大聖人は、尼御前のことに関して、何よりもまず、ともに悲しみ、ともに涙してくださっている。
 そして、お会いできないけれども、″あなたのことを心から恋しく恋しく思っておりますよ″と呼びかけてくださっている。
 これが御本仏の御慈愛である。仏様のお心であられた。大聖人の一言で、佐渡の門下の方々も、どれほど心の空洞が満たされる思いであったろうか。
 大聖人は、どんな時でも、信者の心を限りない希望と張り合いとで満たしてくださった。けなげなる信心の人を、何があっても最大に包容してくださった。
 この大聖人のお振る舞いを拝する時、信徒の不幸を願い、尊大に人を見くだし、清らかな信仰の心を踏みにじるような人間は、大聖人の末流とは絶対にいえないと私どもは思う。
 いわんや、自分たちを大聖人と同等のように尊敬させようとする傲慢があれば、仏法の慈悲とは正反対であり、大聖人の御叱責は免れないであろうと、ある幹部が言っていた。(拍手)
12  ヴィーゼル博士「不正への沈黙は最大の罪」
 アメリカの著名な作家であるエリー・ヴィーゼル氏については、先日(九月八日)、鳥取でも紹介させていただいた。
 氏は現代における最高峰の作家の一人といわれ、「ノーベル平和賞」を受賞(一九八六年)されている。
 ヴィーゼル氏が十五歳の時、氏の一家は、多くのユダヤ人とともにアウシュヴィッツ強制収容所に送られる。
 お母さんと妹さんは、無残にも、そこで殺されている。お父さんも他の場所で犠牲になった。
 氏の文学には、幼少期の記憶や体験が、大きな位置を占めているといわれる。とくに、アウシュヴィッツでの体験は、氏に決定的な影響を与えた。
 ヴィーゼル氏が、かの強制収容所から生還し、生きぬいてきた力の源泉は何か――。
 氏によれば、それは、「(=収容所で起きた事実を)『証言』し、『証明』する使命があったからだ」と。また、「『記憶すること』『忘却しないこと』は、殺された人々に対する現代の世代の責任である」と。
 氏は誓った。そして生きた。六百万人ともいわれる犠牲者の声を代弁すること、それが「悪」に虐げられた者の使命である、と――。
 ″証言″が大事である。″歴史″が未来を照らす。
13  「ノーベル平和賞」の受賞にさいしては、「世界の不正と戦う運動は、最後には勝利する」というヴィーゼル氏の信念が、高く評価されたといわれる。
 氏は叫ぶ。「不正を前にして、無頓着な沈黙は最大の罪だ」と。
 まさに、そのとおりと思う。私も一人、真実を語りに語り、叫びに叫びぬいてきた。御書に仰せのままに。戸田先生の指針のとおりに。大切な皆さまの幸福のために。
 断じて、沈黙していてはならない。叫びきってこそ、「正義」の人である。語りぬいてこそ、「真実」に生きる人生である。
14  「苦楽ともに思い合せて」創価家族は快活に進む
 最後に、ふたたび御書を拝したい。
 「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや、いよいよ強盛の信力をいたし給へ
 ――苦を苦と悟り、楽を楽と開き、苦しくても楽しくても南無妙法蓮華経と唱えきっていきなさい。これこそ自受法楽(仏がその悟りの境地を自ら受け楽しむこと)ではないか。ますます強盛な信力を出していきなさい――と。
 人生、「楽」ばかりであるはずがない。「苦楽」があればこそ、人生は味がある。価値も生まれる。充実もある。大聖人は「苦楽ともに思い合せて」と。私どもの進むべき道は、すべて、この仰せに尽きている。何があろうとも、この大聖人のお言葉のままに、悠々と歩みぬいていただきたい。(拍手)
 私どもは、仏意仏勅の広宣流布に進みゆく、誉れの「創価家族」である。三世永遠に崩れざる、幸福の「創価家族」である。どうか、本年の総仕上げの活動も見事に勝利し、ともどもに、最高のお正月を迎えていただきたいことをお祈りし、本日のスピーチとしたい。ありがとう! お元気で!
 (創価国際友好会館)

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