Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第十回文化親善家族祭 創価の家族は″信心の盤石王″

1991.9.15 スピーチ(1991.7〜)(池田大作全集第78巻)

前後
5  さらに、続けて次のように記されている。
 「日蓮は彼の不軽菩薩に似たり、国王の父母を殺すも民が考妣ちちははを害するも上下異なれども一因なれば無間におつ、日蓮と不軽菩薩とは位の上下はあれども同業なれば彼の不軽菩薩成仏し給はば日蓮が仏果疑うべきや
 ――日蓮は、かの不軽菩薩に似ている。国王が父母を殺すのも、民が父母を害するのも、身分の上下は異なるけれども、同じ業因なので、どちらも無間地獄に堕ちる。それと同じように、日蓮と不軽菩薩は位の上下はあるけれども、(法華経の故に大難を受けるという)同じ業なのだから、かの不軽菩薩が成仏されるならば、日蓮が仏果を得ることを、どうして疑えるだろうか――。
 「因果の理法」に、″位″等の上下は関係ない。「悪」を犯せば、だれ人も、厳然たる罪を得る。「善」をなせば、必ず境涯を開く。この「法」の厳正さ、公平さを教えてくださっている。
 「彼は二百五十戒の上慢の比丘に罵られたり、日蓮は持戒第一の良観に讒訴せられたり、彼は帰依せしかども千劫阿鼻獄におつ、此れは未だ渇仰せず知らず無数劫をや経んずらん不便なり不便なり
 ――彼(不軽菩薩)は、二百五十戒を持った上慢の比丘(僧侶)にののしられた。日蓮は、持戒第一の良観にでっちあげの訴えをされ(無実の罪におとしいれられ)た。彼ら(不軽菩薩を迫害した悪侶)は、のちに(悔い改めて、不軽菩薩に)帰依したけれども、(初めにそしった罪で)千劫の間、阿鼻地獄に堕ちたのである。この人間(良観)は、いまだに(大聖人を)慕い仰ごうとしない。その重罪は計り知れず、阿鼻地獄に堕ちて無数劫を経るであろう。じつにかわいそうなことである。かわいそうなことである――と。
 仏法の「因果」は、あまりにも厳しい。かわいそうであるが、全部、自分自身がつくった罪なのである。
 大聖人滅後、大法弘通のゆえに、これほどの大難を受け続けてきたのは、わが創価学会のみである。(拍手)
 この真実を堂々と叫びきっていかなければ、大聖人のお言葉を空しくしてしまう。遠慮してはならない。真実は真実である。事実は事実である。一生は、あっという間である。迫害や策謀の風にひるんだり、また疑いをいだいて退転してしまっては、自分が永久に後悔するだけである。
 大聖人の受難にまっすぐに連なる道を、わが創価学会は歩んでいる。(拍手)
 この尊き「創価家族」の皆さまを、諸天善神、十方の仏菩薩が守護されないはずがない。御本仏日蓮大聖人が、また日興上人が、生々世々にわたり皆さまを称讃され、お守りくださることは絶対に間違いないと信ずる。(拍手)
 どうか、この道理を強く確信していただきたいと申し上げ、スピーチを結びたい。きょうは本当にご苦労さま!
 (創価大学中央体育館)

1
5