Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第十回文化親善家族祭 創価の家族は″信心の盤石王″

1991.9.15 スピーチ(1991.7〜)(池田大作全集第78巻)

前後
2  陰の支えに大福徳はある
 次に、根本である御書を拝したい。
 文永九年(一二七二年)、はるばる流罪の地・佐渡まで訪ねて来た四条金吾に、日蓮大聖人は一通のお手紙を託される。鎌倉で留守を守っている金吾の夫人・日眼女へのお手紙である。
 目の前にいる人以上に、陰の人に、よりあたたかく心を向けられる――。信徒に対する、大聖人のお心遣いは、どこまでも濃やかであられた。深い深い慈愛のお心であられた。
 この御本仏のお姿を拝するならば、信徒を見くだすような傲慢な人間は、絶対に真の門下とはいえないと私どもは思う。(拍手)
 お手紙の中で、大聖人はこう仰せである。
 「はかばかしき下人もなきに・かかる乱れたる世に此のとの殿を・つかはされたる心ざし大地よりも・あつし地神定めてしりぬらん・虚空よりも・たかし梵天帝釈もしらせ給いぬらん
 ――(夫の留守の間)頼りになる召使いもいないのに、このように乱れた世に、この殿(夫・四条金吾)を佐渡まで遣わされたあなた(日眼女)の真心は、大地よりも厚い。地神(大地の神)も必ず知っていることでしょう。また、その真心は大空よりも高い。梵天・帝釈も必ず知っておられることでしょう――。
 打ち続く大難をものともせず、正々堂々と、男らしく「信念の道」を歩み、佐渡までも大聖人を訪ねていった四条金吾。その陰には、こうした家族の支えがあった。
 そのだれも知らない、だれもほめてくれない″陰の戦い″を、大聖人だけは、あますところなく御照覧くださっていた。″お会いできなくても、全部、わかっていますよ。金吾がここに来られたのは、あなたのおかげですよ″――と。
 ″ちゃんと見てくださっている方がいる″″私を信じてくださっている方がいる″。大聖人の御慈愛を全身で受けとめながら、金吾の一家は、難を一つ、また一つと乗り越えていった。そして、苦難の山を越えゆくたびに、境涯をいちだんと大きく開き、大福運につつまれていった。
 何があっても、変わらない。何があっても、揺るがない。ひとたび決めた「この道」を貫いていく。走りぬいていく。
 その人こそ、またその家族こそ、心美しき「盤石王」である。(拍手)
 「信念の道」を裏切り、「信念の同志」を裏切るような、卑しき心の人生は、永久の敗北者なのである。
 私どもは、何があっても、「この道」で戦い、生きぬいていく「信心の盤石王」の創価家族でありたい。(拍手)
3  なお、この御書の冒頭には、次のようにしたためられている。
 「此の御文は藤四郎殿の女房と常によりあひて御覧あるべく候
 ――このお手紙は、藤四郎殿の夫人と、つねに寄り合ってご覧なさい――と。
 ここに仰せの藤四郎夫妻がどういう人か、くわしいことはわからないが、金吾の夫人・日眼女と夫人同士が親しかったのであろう。私どもでいえば、同じ地域の婦人部の同志ともいえようか。
 大聖人は、門下の夫人と夫人が、つねに仲良く連携を取り合っていくよう、教えておられた。婦人の友情、家族同士の友情が、どれほど大きな力を発揮していくことか。また、夫や家族全体に、また地域に、どれほど勇気を与えていくことか――。
 その意味からも、広宣の同志が家族ぐるみで参加し、友情を深め合う、この″家族祭″のリズムを大切にしてまいりたい。(拍手)
4  「仏語」を証明したのは学会
 さて、大聖人は、佐渡の地から四条金吾に対し、次のようにも仰せである。
 「二千余年の間・悪王の万人に訾らるる謀叛の者の諸人に・あだまるる等日蓮が失もなきに高きにも下きにも罵詈毀辱刀杖瓦礫等ひまなき事二十余年なり、唯事にはあらず過去の不軽菩薩の威音王仏の末に多年の間・罵詈せられしに相似たり
 ――仏滅後二千年以上の間、悪王が万人にそしられたり、謀叛の者が諸人からあだまれたりした。しかし、日蓮は何の罪もないのに、身分の高い人からも低い人からも(悪王や謀叛人のように)ののしられ、そしられ、はずかしめられ、刀で襲われ、杖で打たれ、瓦や石ころを投げられるなど、迫害のやむひまのないこと二十余年である。これはただ事ではない。過去の不軽菩薩が威音王仏の末世に、長年の間ののしられたことと似ている――。
 「而も仏・彼の例を引いて云く我が滅後の末法にも然るべし等と記せられて候に近くは日本遠くは漢土等にも法華経の故にかかる事有りとは未だ聞かず人は悪んで是を云はず、我と是を云はば自讃に似たり、云わずば仏語を空くなす過あり、身を軽んじて法を重んずるは賢人にて候なれば申す
 ――しかも釈尊は、不軽菩薩の例を引いて、わが滅後の末法にもそうなる(正法の行者は迫害される)と記されている。だが、近くは日本、遠くは中国等にも、法華経のゆえに、そのようなことがあったとは、いまだ聞いたことがない。(大聖人こそ、そのとおりの難を受けているのだが)人は(大聖人を)憎んで、このことを言わない。(大聖人が)自分からこれを言い出せば、自讃(自分で自分をほめること)に似ている。しかし言わなければ、仏の言葉をウソにしてしまう罪がある。身を軽んじて法を重んずるのが賢人であるから、あえて言うのである――と。
 自分で言えば、「自讃」や「慢心」だと非難されるであろうが、言わなければ仏の言葉をだれが証明しているのか、人々にわからない。「慢心」のように言われても、「法」のために、あえて言う以外にないと仰せである。
5  さらに、続けて次のように記されている。
 「日蓮は彼の不軽菩薩に似たり、国王の父母を殺すも民が考妣ちちははを害するも上下異なれども一因なれば無間におつ、日蓮と不軽菩薩とは位の上下はあれども同業なれば彼の不軽菩薩成仏し給はば日蓮が仏果疑うべきや
 ――日蓮は、かの不軽菩薩に似ている。国王が父母を殺すのも、民が父母を害するのも、身分の上下は異なるけれども、同じ業因なので、どちらも無間地獄に堕ちる。それと同じように、日蓮と不軽菩薩は位の上下はあるけれども、(法華経の故に大難を受けるという)同じ業なのだから、かの不軽菩薩が成仏されるならば、日蓮が仏果を得ることを、どうして疑えるだろうか――。
 「因果の理法」に、″位″等の上下は関係ない。「悪」を犯せば、だれ人も、厳然たる罪を得る。「善」をなせば、必ず境涯を開く。この「法」の厳正さ、公平さを教えてくださっている。
 「彼は二百五十戒の上慢の比丘に罵られたり、日蓮は持戒第一の良観に讒訴せられたり、彼は帰依せしかども千劫阿鼻獄におつ、此れは未だ渇仰せず知らず無数劫をや経んずらん不便なり不便なり
 ――彼(不軽菩薩)は、二百五十戒を持った上慢の比丘(僧侶)にののしられた。日蓮は、持戒第一の良観にでっちあげの訴えをされ(無実の罪におとしいれられ)た。彼ら(不軽菩薩を迫害した悪侶)は、のちに(悔い改めて、不軽菩薩に)帰依したけれども、(初めにそしった罪で)千劫の間、阿鼻地獄に堕ちたのである。この人間(良観)は、いまだに(大聖人を)慕い仰ごうとしない。その重罪は計り知れず、阿鼻地獄に堕ちて無数劫を経るであろう。じつにかわいそうなことである。かわいそうなことである――と。
 仏法の「因果」は、あまりにも厳しい。かわいそうであるが、全部、自分自身がつくった罪なのである。
 大聖人滅後、大法弘通のゆえに、これほどの大難を受け続けてきたのは、わが創価学会のみである。(拍手)
 この真実を堂々と叫びきっていかなければ、大聖人のお言葉を空しくしてしまう。遠慮してはならない。真実は真実である。事実は事実である。一生は、あっという間である。迫害や策謀の風にひるんだり、また疑いをいだいて退転してしまっては、自分が永久に後悔するだけである。
 大聖人の受難にまっすぐに連なる道を、わが創価学会は歩んでいる。(拍手)
 この尊き「創価家族」の皆さまを、諸天善神、十方の仏菩薩が守護されないはずがない。御本仏日蓮大聖人が、また日興上人が、生々世々にわたり皆さまを称讃され、お守りくださることは絶対に間違いないと信ずる。(拍手)
 どうか、この道理を強く確信していただきたいと申し上げ、スピーチを結びたい。きょうは本当にご苦労さま!
 (創価大学中央体育館)

1
2