Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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北海道文化会館・記念の集い ″平等の仏法″をわが自由の天地で

1991.8.26 スピーチ(1991.7〜)(池田大作全集第78巻)

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1  正法流布は学会の正しさの証明
 ただ今は皆さまとともに三座の勤行を行い、北海道の全同志の「幸福」と「健康」と「長寿」、そして全員が、「だれよりも強い信念」で「だれよりも楽しい人生」を歩んでいかれるよう、御本尊に深く祈念申し上げた。(拍手)
 本日は、ぜひ、懐かしき夕張を訪問したいと思っていたが、用事でどうしてもうかがえなくなってしまった。
 また今回、旭川もぜひ訪れたかったが、所用が重なり、それもかなわなかった。まことに残念であるが、将来ぜひ訪問したいと願っている。
 ともあれ、北海道はすばらしい発展を重ねている。広宣流布の理想的な建設の道を進まれていることを、私は今回の訪問であらためて確信した。(拍手)
2  昭和三十二年(一九五七年)五月、北海道の第一回総会が、日淳上人ご臨席のもと開催された(札幌市中島スポーツセンター)。これには戸田先生も出席されている。
 その一カ月後には、「夕張炭労事件」が起きている。
 権力をかさに着た、卑劣な学会攻撃の嵐――。
 ″民衆が幸せになるために信仰に励んで、どこが悪いのか! それを邪魔するのは民衆の敵ではないか!″
 夕張の同志は、憤りに唇をかみしめながら、「仏法正義」の証明のため、耐えに耐え、戦いに戦った。そして勝った。
 今も、学会は隆々と発展している。今日までの歴史で、わが学会の正義は「事実」のうえで厳然と証明されたと信ずる。(拍手)
 「仏法は勝負」である。勝負は、最後に勝った者が勝者である。ゆえに長い目で見なければわからない。
 永遠に続く「嵐」などない。過ぎ去ってみれば、一時の″夢″のようなものである。また一時はどんなに栄え、権勢を誇ったとしても、永遠に続く権力もない。
 歴史は変転である。歴史は激変する。今の時代はなおさらである。スピードが速い。
 風が吹くたびに、右往左往と紛動され、翻弄されて生きる人に、勝利はない。安心もないであろう。
 不動の信念で、ひたすら強盛な祈りと行動を重ねる時、私どもに、乗り越えられない山はない。必ず最後には勝っていく。栄えていく。まず、「必ず勝つ」と定めることである。(拍手)
3  日淳上人「学会の正しい組織、正しい指導で発展」
 この北海道総会において、日淳上人は、北海道の同志が大いに増えたことを最大にたたえられ、こう述べられている。(以下、引用は『日淳上人全集』から)
 「これは誠に、創価学会の指導と組織ということがいかに信仰の上に正しい行き方であるかということを証明しているものだと私は感じるのでござりまする」と。
 また「私は、創価学会の正しい組織、正しい折伏、正しい指導と、世間のこの環境(=「信教の自由」が認められた社会的環境)とが合致してです、ここに誇らしいところの発展をみるに至ったと考えるのでござりまする」と。
 いわんや、この妙法を「世界」に流布したことは、学会の「信心」が御本仏、十方の諸仏、諸天と深く感応したゆえと信ずる(拍手)。日淳上人は、その私どもの「信心」を最大に称讃し、また信頼してくださった。
4  仏勅の広宣流布が、大信力、大行力なくしてできるはずがない。難事中の難事と説かれた正法弘通が、簡単にできるはずがない。
 それを、「策」か何かで流布できたように安易に考えること自体、「信心」がまったくわかっていない証拠であろう。一度、自分で苦労してみればわかることである。
 そのような人間は、「信心」ではなく「策」を根本に生きる。
 地涌の友が苦労に苦労を重ねて、築き上げた御本仏の「正法の城」を、横取りし、壊そうと策謀するなど、かけらほども「信心」があれば、できることではない。
 城をつくるまで、手伝いもせず、石の一つも運びもせずに、立派にできあがってから、″少し、こっちへよこせ″(爆笑)では、どんな正義ぶった理屈をふりかざそうとも、賢明な民衆の目はごまかせない。否、わずかでも道理を知る人であれば、その悪辣さは明白であろう。(拍手)
5  大聖人の仏法は民衆利用の権力と戦う
 またこの時、日淳上人は″権力者は、この信心を嫌う″と述べられた。
 「幕府や大名というものは、どうもこの″南無妙法蓮華経″が嫌いでございます」
 「云うてみますれば、他力念仏の念仏は、おまかせ、おまかせで『大名におまかせしろ』という、おまかせ信仰だ。それ程誠に具合のいい(=権力者にとって)宗教はない」
 「或はまた、身延流に致しましてもです、彼らは骨の髄から歴代の将軍様の方に頭を下げまして、そうして将軍様の方の権力を強くするように致したのでございまする」
 「われわれの方の宗旨ではそうはいかん。誰にもおべっかを使うこともいかん。唯ひたすら日蓮大聖人様の御教えを正しく持ち、正しく伝えて行かんければならんという、唯それだけで来たのであります。だから安穏であるわけがない」と。
 「幕府や大名」という権カ――。広くいえば、民衆を見くだし、「力」によって意のままに民衆を動かし、従わせようという、さまざまな存在といえよう。今で言えば金儲け主義の政治家、マスコミ、聖職者も含まれるであろう。
 たしかに、権力者に「おまかせ」すれば、一見、楽かもしれない。しかし、その実、自由を奪われ、魂を抜かれた、精神の奴隷となり下がってしまう。人間として、これ以上、不幸なことはない。
 そして、利用されるだけ利用されて、あとは無慈悲に、物か何かのように捨てられるのが常である。
 それに対し、だれにも「頭を下げるな!」「おべっかを使うな!」――これが大聖人の仏法の精神である。
6  頭を下げないと、権力者からはにらまれる。陰険な迫害もある。ゆえに、絶対に「安穏」ではない。
 学会は、大聖人の御精神そのままに、あらゆる難と戦い、勝ちぬいて、広宣流布を進めてきた。「安穏」などあろうはずがなかった。
 しかし、この信念に殉じてきたゆえに、大聖人門下のだれ人も成しえなかった、″奇跡″とも″不可思議″ともいわれる「世界広宣流布」の堂々たる歴史を開くことができた。また宗門史上かつてない、偉大なる外護の歴史を築くことができたのである。(拍手)
 「安穏」でないことが、妙法を正しく行じ、弘めていることの証明である。反対に、正法を持っているように見せながら、何の迫害もなく、「安穏」を貪る姿は、広宣流布に戦っていないという証拠である。この道理は、今も、またこれからも変わらない。(拍手)
7  そして日淳上人は、身分の上下などを説く″封建的″な考えは、法華経でも大聖人の仏法でもない、邪道だと言われている。すなわち「封建時代は、日本従来の精神に叛いております。日本の国を始めて以来ずっと日本の国を引っ張って行ったのは、申すまでもなく妙法蓮華経であります。妙法蓮華経の教えによって、日本というものは始から培って来たのです。その途中で、いわゆる覇道という幕府が出来まして、大変あやまってしもうたわけだ。だからそこを大聖人様は非常に強く攻められておられます」と。
 ゆえに「正法」を守るためには、どんな権力、いかなる高位の人にも屈してはならない、へつらってはならない、と――。
 自由とロマンの天地・北海道――。ここには光がある。緑がある。広がりがある。未来性に満ちた人間の大地がある。
 北海道は大きい。北海道は強い。北海道はすばらしい!(拍手)。日淳上人は、最も自由主義的で、封建制の悪影響の少ない北海道こそ、大聖人の″平等の仏法″が、どこよりも深く理解され、弘まるべき風土であると期待されていたのではないだろうか。(拍手)
8  自由主義と封建性が対決した北海道の近代
 さて、北海道の歴史をどう見るか――。その重要な一側面について、河野広道氏(一九〇五年〜六三年)は、自由主義から封建性への″逆戻り″があったと指摘している。(河野氏は、北海道史、考古学、民族学、昆虫学の研究者で、北海道教育大学札幌分校教授などを務めた)
 すなわち、明治政府は、当初、自分たちの政権安定のため、ぜひとも北海道の開発が必要であった。防衛的にも、経済的にも。ゆえに、そのころは欧米の文化の輸入と移植に、やっきになった。やむをえない――それは、いわば非常手段であった。
 こうした自由な空気の中で、明治の初期には、新渡戸稲造(一八六二年〜一九三三年。教育家。国際連盟事務局次長などを務め国際平和に貢献した)、志賀重昂(一八六三年〜一九二七年。『日本風景論』を著した地理学者。牧口初代会長の『人生地理学』を最大に支持し、校閲の労をとったうえで序文を寄せた)といった傑出した大人物を出した、と。
 牧口先生、戸田先生の人間形成も、当時の北海道の清新な進取の気風と深い関係があろう。
 ところが、経済が安定し、政権も安泰とみるや、「封建政府は掌を返して中央集権的日本文化確立に邁進したのである」と。また「北海道に、その後さっぱり人物が現われないのは、かかる人為的文化環境の変化によるものであります」(『続北方文化論』、『河野広道著作集』2所収、北海道出版企画センター)――。このように、論じられている。
 要するに、権力者は自分たちに必要なかぎり、北海道を使うだけ使った。しぼりにしぼりとった。苦しい開拓だけは民衆にやらせながら――。(「北海道の自然資源の莫大な部分が、貴族、政府の有力者、御用商人のあいだで無償もしくは無償に近いきわめて廉い価格で分けられた」〈同前〉。開拓した土地の所有権の大部分も、中央の特権階級のものにされた)
9  北海道は「新しき天地」であった。ある意味で「未開の荒野」であった。それまでの日本文化をもってきただけでは「開拓」はできない。「新思考」が必要であった。
 欧米はじめ外国文化を積極的に取り入れ、文物を学びながら、自由奔放に、皆が力を出すことによって、やっと「開拓」が進んだ。大きな人物も生まれてきた。封建的な「抑圧」の空気のなかでは、とても成果は上がらなかったであろう。
 創価学会も、広宣流布という「未開の荒野」に挑み、開拓に開拓を続けてきた。筆舌に尽くせぬ、民衆の労苦の汗によって。
 先日もサイフェルト女史(オーストリア文部次官)が、「自由と平等があったからこそ、創価学会は発展したのですね」と言われていたが、まさに本質を見抜いておられる。(拍手)
 権力者は、民衆に北海道を開拓させ、しぼりとり、その成果で肥え太った。そして″もう俺たちのふところも大丈夫だな″″これ以上、勝手にさせてはおけないな″――もう自分たちの政権も経済も安泰になつたとみるや、豹変した。「掌を返して」、強権的、画一的、封建的な、古い日本文化を押しつけてきた。
 特権階級の意のままになるように、無理やり、「新天地」は「旧思考」のなかに押し込められた。お上のいうことに逆らうな――「抑圧の時代」が始まってしまった。
 大人物も生まれにくくなった。権力者にとっては、そのほうが都合が良かったであろう。いばりたくて仕方がない、人を見くだしたくて仕方がない人間にとって、偉大な人物ほど″目障り″なものはない。
 しぼるだけしぼりとって切り捨てる――これが「権力」の残酷さである。民衆無視、民衆蔑視、民衆利用の手口である。
 わが創価学会は、断じて、同じ手に乗ってはならない。″逆コース″は、人類への反逆であり、歴史の進歩への裏切りである。
 抑圧・強権・差別――日淳上人は、こうした「封建性」について、法華経の精神とは、まったく異なる、むしろ、まっこうから対立するものとされている。なかんずく新しき国土・北海道において、「おまかせ信仰」ではない、真の法華経の信仰を流布していくよう期待されたのである。
10  自由と平等という、仏法の本来の「心」を踏みにじろうとする権威、権力。それらの悪に対しては、まず北海道こそが、真っ先に勇んで立ち上がり、敢然と戦っていくべきであると信ずる。(拍手)
 その戦いこそが、正しい信仰のあり方であるからだ。また、そこにこそ自分自身の成仏への道を決定づけ、大境涯を開きゆく方程式があるからだ。のみならず、北海道の国土の歴史的使命、すなわち日本人の卑屈な奴隷根性、長いものには巻かれる″おまかせ″主義を克服するという使命をも、実現していくにちがいない。
 さらにこの戦いが、地域をも活性化させる。この戦いから、生き生きと繁栄する、北海道の「新しき世紀」が開かれていく。これが「立正安国」の法理である。
 ともあれ朗らかにいきましょう! 悠々と、強く、楽しく進みましょう! それでは、また。お元気で!(拍手)。お会いできなかった皆さまにも、くれぐれもよろしくお伝えください。
 (北海道文化会館)

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