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日蓮大聖人・池田大作

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第四回北海道総会、県・区代表幹部会 正義の怒りが諸天を動かす

1991.98.18 スピーチ(1991.7〜)(池田大作全集第78巻)

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2  四年ぶりの函館、大沼。懐かしい方々とお会いし、私は本当にうれしい(拍手)。とともに、この地の広布の大発展ぶりはすばらしい。函館研修道場の地元・渡島圏大沼本部では、三支部から五支部へと躍進。また「聖教新聞」の啓蒙も力強く進められており、なかでも大沼地区では地域世帯の三割が講読されているとうかがった。
 また、函館の町もかつての不況の困苦を乗り越え、地域の経済も好転、観光客も大幅に増えていると聞く。
 「広布」と「社会」の発展と、二十一世紀の洋々たる前途を祝福申し上げたい。(拍手)
 四年前、私がこの地を訪れた当時、北海道の経済不況は深刻であった。(炭坑の相次ぐ閉山や、外国からの厳しい漁獲制限など、主要産業への打撃が続き、失業率も全国で最も高かった)
 しかし、私は、「闇が深ければ深いほど暁は近い」「信心ある所は、必ず発展する」「その希望と確信とを、今こそ大いに発揮してもらいたい」と強く申し上げた。そして、ここ函館研修道場で、また函館文化会館で、集われた皆さまとともに勤行し、深く祈った。
3  強盛な祈りと一念が一切を開く
 仏法は「一念三千」(人間の一念の心に三千の諸法すなわち現象世界のすべてを具足すること)と説く。また「依正不二」(正法である自身の生命と、依法であるその身がよりどころとする環境とは密接不可分であること)と。
 少々むずかしくなるが、一念三千の法門において示される「三世間」(生命の存在、活動の場)すなわち、「五陰世間」(個人の生命現象としてとらえた生命を構成する要素〈五陰〉の差別相)、「衆生世間」(社会現象としてとらえた十界の衆生の差別相)、「国土世間」(自然現象としてとらえた衆生の住む場所の差別相)によって示される、主体となる「生命」(正報)と「環境」(依報)の多様な現象・働きも、すべて自身の「一念」の中に納まる、と仏法はみる。
 ゆえに、「妙法」の祈りは、自身の″生命の変革″をもたらし、その変革は、必ず″周囲の人々や生活環境の変革″へと連なっていく。
 地域の発展も経済の好転も、″自分にはとても手が出ない″と思われるような願いであっても、わが「一念」から発する「信心」の力用しだいによって、やがて厳然とかなえられていくことを、強く確信していただきたい。
 その信力・行力に燃えたつ人が、地域に一人、また一人と増えていく時、目には見えなくとも、偉大な仏力・法力の働きを引き出し、大勢の人々をも守りゆくことができる。
4  とくにリーダーに、その「強盛な祈り」と「確信」があるかどうか。何ものにも屈しない「不敗の一念」で戦うかどうか――そこに「前進」か「後退」か、「幸福」か「不幸」かの大きな分かれ目がある。
 いかなる組織・団体においても、臆病な、「心」の弱い指導者をもつことほど不幸はない。″一念の弱さ″――これはリーダーにとって致命的な欠陥である。歴史上、中心者の臆病によって、大勢の人を不幸に巻き込んだ悲劇は数知れない。
 皆さまは最高の仏法を持った「広宣の勇士」である。信心には″中途半端″はない。″強い″か″弱い″か、どちらかである。そして、仏法は″勝負″、すなわち″勝つ″か″負ける″か、どちらかである。ならば、どこまでも徹して「強信」であっていただきたい。そこに一切を開く″急所″がある。
 その強き祈りが、「以信代慧」(信心をもって仏法の智慧に代え、成仏の因とすること〈御書三三九ページ〉)の法理によって、勝利への知恵を生む。
 また、たとえすぐには目に見えなくとも、「冥益」(気がつかないうちに受ける功徳)として、時とともに″勝利へのリズム″″発展への回転″をつくっていく。こうした「信心の勝利」の方程式を証明する体験は、数限りなくある。(拍手)
 どうか皆さまも、何があっても「徹して強く」、大確信の行動を貫きとおしていただきたい。強き「信心の勢い」で諸天をも揺り動かしながら、「冬は必ず春となる」との仰せのままに、わが家庭、わが地域、わが国土に繁栄の春を開きゆく――そこに「一心の妙用」(心の不思議な働き)という信心の極意がある。
5  なぜ八幡大菩薩を諫暁したか
 日蓮大聖人は、諸天善神の一つである八幡大菩薩を、繰り返し論(く諫暁(諫め嚇すこと、過ちを指摘して非をただすこと)なされている。
 「法華経の行者をなぜ守らないのか」、また「法華経の行者に敵対する悪人を、なぜ懲らしめないのか」と、大聖人は烈々と責めただされた。ところが、その大聖人のお振る舞いについて、″八幡大菩薩のような高貴な存在に対して、言いすぎではないか。強引すぎるのではないか″という疑問をいだく門下もいた。
 八幡大菩薩は、奈良、平安期をとおしてすでに日本中で広く信仰を集めており、当時はとくに武士の守護神として尊崇されていた。
 それに対して、大聖人は、御内証は末法の御本仏であられたが、外用(外面の姿)は凡夫僧のお姿であられたために、信心の浅い門下の目には、大聖人より八幡のほうが位が高く見えたのであろう。
 そうした疑問に対し、大聖人は、有名な「諫暁八幡抄」の中で、次のように明快に答えておられる。
 「我が弟子等の内・謗法の余慶有る者の思いていわく此の御房は八幡をかたきとすと云云、これいまだ道理有りて法の成就せぬには本尊をせむるという事を存知せざる者の思いなり
 ――わが弟子等のなかで、謗法が残っている者が考えて言うのに「この御房(大聖人)は八幡大菩薩を敵にしている」と。こうした非難は、「道理にかなっているにもかかわらず、祈りが成就しない場合には本尊を責める」ということを、いまだ知らない者が考えることである――と。
 信心の極理がこめられた甚深のお言葉と拝される。とともに、たとえば会社でまじめに働いて給料が貰えなければ、社長を責めるのは当たり前であるように、この御文の仰せも″道理″として納得される。
6  ともあれ、「正しき道理」にかなった「正しき信仰」には、何も恐れるものはない。根本の御書にのっとった「正しき信心」を行ずる人が最も正しく、最も強い存在であることを確信していただきたい。(拍手)
 ゆえに、大聖人の仏子は、いかなる権威や権力に対しても、脅されたり、屈伏させられたり、跪かねばならない理由はない。仏法から見れば、そのような権威は″幻れにすぎない。
 相手が何であれ、だれ人であれ、本来、仏子を守るべき使命がありながら守らない、また仏法を破る悪人がありながら戒めようとしない場合には、その非を堂々と言いきっていけばよい。
 いわんや、仏子を守るどころか苦しめる者、悪人を戒めるどころか、悪人と結託して巧妙に善知識の集いを破ろうとする輩に対しては、断固、戦いぬいていかねばならない。
 「悪」を責めなければ、自身も「悪」となってしまう。「悪」と戦い、勝ってこそ「善」は証明される。その「正義の人」は大福運を積み、成仏への道を大きく開きゆくことは間違いない。
7  「法の成就せぬには本尊をせむる」との仰せには、宗教の「本尊」はどこまでも「人間」のため、「人間」を幸福にするためにあるとの根本の意義が拝される。「本尊」のための本尊ではなく、まして僧侶や寺院のための本尊でもない、と。
 大聖人の門下においても、かりにも、御本尊を仏子を脅がす″道具″にしたり、金儲けの″手段″にするような行為があれば、それは大聖人の仏法を破壊する「大悪」であると、私どもは断ずる。(拍手)
 仏法は、徹頭徹尾、「人間主義」である。どこまでいっても「人間の幸福」「民衆の幸福」が根本である。私どもは、この″民衆の仏法″の大道を永遠に誇り高く進んでまいりたい。(拍手)
8  迦葉尊者の父の正論に諸天は動いた
 続いてこの「諌暁八幡抄」で、大聖人は次のような例を挙げておられる。それは釈尊の十大弟子の一人、迦葉尊者の誕生にまつわるエピソードである。御書では、この逸話を説いた経典(付法蔵経、大正五十巻)を引いて述べておられるが、ここでは、わかりやすく大筋を話させていただく。
 リーダーは、人々を疲れさせてはならない。話もさまざまに角度を変え、工夫しながら、皆に新鮮な感動を与えていかなくてはいけない。やたら大声をあげて(笑い)、しかも話の中身がない(笑い)。これでは求道心をもって聞いている人々がかわいそうである。
 耳をかたむけるうち、自然に勇気がわき、活力がみなぎってくる。そうした″名指導″のリーダーであっていただきたい。
9  ――インドのマガダ国(摩場国)に、尼倶律陀にくりだというバラモンの大富豪がいた。のちに迦葉の父となる人である。
 インドといえば、青年部の第二回の訪印団がきょう出発した。私も成功を真剣に祈念している。
 さて、この大富豪は、国王に比べても千倍も勝るほどの財宝を持っていた。ところが、大長者の彼も、その財宝を譲る子どもには恵まれなかった。
 ″それなら私に譲ってほしい″と(爆笑)、名乗りをあげる人もいるかもしれないが(笑い)、なにしろ昔の話なので、無理な相談である。(爆笑)
 皆さま方は、「心の長者」「信心の長者」であられる。信心の「心」が強ければ、じつは未来は自由自在である。功徳も無限にあふれ出てくる。生々世々にわたって、生き生きと、光り輝く最高の人生を続けていける。この「信心」の不可思議の力を確信するかどうかである。
 確信すれば、一時の嵐など、むしろ、さわやかな涼風にすぎない。大宇宙と対話するような信仰の境涯から見れば、愚かな豆粒のごとき動きにすぎない。
 老いて死が近づいてきた長者は、なんとしても、あとを継ぐ子が欲しいと願って、館の近くにある樹林神(本の神)に詣で、一生懸命に祈った。しかし、長い年月を経ても、何の効果もなかった。
 子どもはいっこうに生まれない。ついに堪忍袋の緒が切れ、長者は大いに怒った。樹神に向かって、激しく責めた。
 「私は、あなたに仕えて、すでに幾年月を経たが、あなたは何一つ報いようとしない。あともう七日間、誠実に仕えてみるが、もし、それでも応えようとしなければ、あなた(木の神)を切り倒して焼き払うであろう」と。
 切実な願いをこめて、誠心誠意の行動を貫いてきたうえでの、当然の怒りであった。″なぜ真心に応えようとしないのか!″″私をだますつもりなのか!″――長者は怒り、妥協なく論詰した。
 「正義」と「道理」を守るためには、妥協なく戦いぬいていくことである。絶対に屈することなく、正義の主張を貫くべきである。黙っていては、「悪」を増長させるだけである。
 樹神は、長者の怒りの声を聞いて、大いにあわて、恐れをなした。そして、このことを四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天の四人の天王)に報告する。
 四天王は、その上の帝釈天に報告し、帝釈天はさらに梵天王に相談した。長者の道理にかなった大いなる怒りが、天上界を震撼させたのである。こうして、梵天王が動きだすと、話は早かった。
 人間の世界でも、トップが動けば話は早い。上がとかく腰が重く、動こうとしないところに、さまざまな問題が起きたり、人々を苦しめる結果になる場合が多い。″敏速な対応″――これがリーダーの重要な条件である。
 梵天王は、さっそく、その長者の子としてふさわしい者を見つけだし、長者の願いを叶えるように命じた。こうして、長者の怒りから七日後、その妻は身ごもり、ついに男の子が生まれた。これが迦葉尊者である――。経典には、このように説かれている。
10  瞋恚は善悪に通ずる
 大聖人は、この故事を引いて、こう仰せである。
 「『時に応じて尼倶律陀に瞋忿を生ず』等云云、常のごときんば氏神に向いて大瞋恚を生ぜん者は今生には身をほろぼし後世には悪道に堕つべし然りと雖も尼倶律陀長者・氏神に向て大悪口大瞋恚を生じて大願を成就し賢子をまうけ給いぬ、当に知るべし瞋恚は善悪に通ずる者なり」
 ――仏典に「尼倶律陀は、時に応じて大いに瞋りを生じた」等とある。普通ならば、氏神に向かって大瞋恚(大きな怒り)を生ずる者は、今生には身を滅ぼし、後生には悪道に堕ちるであろう。
 しかし、尼倶律陀長者は氏神に向かって大悪口、大瞋恚を生じて大願を成就し、賢い子をもうけられたのである。このことからも、瞋恚は善悪に通ずるものであることを知るべきである――と。
 ここに仰せのように、「怒り」は善悪に通ずる。怒るべき時に怒れないような意気地なしでは、何も勝ち取れない。たとえば、自分の娘が悪人に蹂躙されようとする時に、断固として戦えないような父親は、父親とはいえないであろう。
 それと同じく、リーダーが責めるべき悪を黙視するようでは、あまりにも卑怯である。自分のみならず、全体をも敗北の方向に追いやってしまうであろう。
 大切な仏子を、断じて守りぬかねばならない――。牧口先生、戸田先生、そして私は、その一心で、悪に対して大いなる「正義の怒り」をもって戦ってきた。だからこそ、今日まで学会は隆々たる発展を重ねることができたのである。
 この点、北海道の方々は、人が良すぎて、おとなしすぎるという声もある。本日、代表が参加している東北の方々にも同様の傾向があるかもしれない。性格の長所は長所として、まじめに、誠実に信心に励む仏子を虐げようとする「悪」に対しては、火を吐くような「怒り」をもって立ち向かっていただきたい。(拍手)
 その「道理にのっとった怒り」が、諸天を動かし、大願をも成就させていくのである。
 私どもの大願とは、いうまでもなく、「大願とは法華弘通なり」と仰せのように、世界への「広宣流布」である。(拍手)
 もちろん、別に怒らなくてもいい時にまで、やたらに怒る必要はない(笑い)。たとえば壮年部が、自分が悪いのに(笑い)奥さんを怒る(笑い)ようでは、困ったものである。
 また、幹部が自分の感情で会員を叱ったりすることは、絶対にあってはならない。北海道の壮年幹部については、気が優しくて(笑い)、むしろ女性のほうが強いと聞いているから(爆笑)、そうした心配はないかもしれないが。(笑い)
11  学会は仏勅の広布ひとすじ
 大聖人は、さらに続けて、次のように明かされている。
 「今日蓮は去ぬる建長五年癸丑四月二十八日より今年弘安三年太歳庚辰十二月にいたるまで二十八年が間又他事なし、只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり、此れ即母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり此れ又時の当らざるにあらず已に仏記の五五百歳に当れり、天台・伝教の御時は時いまだ来らざりしかども一分の機ある故に少分流布せり、何にいわんや今は已に時いたりぬ設とひ機なくして水火をなすともいかでか弘通せざらむ
 ――今、日蓮は去る建長五年(一二五三年)四月二十八日から今年弘安三年(一二八〇年)十二月にいたるまで、二十八年の間、他のことは一切なく、ただ妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れようと励んできただけである。これはちょうど、母親が赤子の口に乳をふくませようとする慈悲と同じである。
 このような大法の弘通は、また「時」が到来したからであり、今はすでに仏記(仏が未来世の予見を書き記した未来記)の第五の五百年にあたっている。天台大師や伝教大師の御時は、いまだその時にいたっていなかったが、一分の機根があったから、少々、流布したのである。
 ましてや、今はすでに時が到来している。たとえ機根が調っていず、水と火のように反発してきたとしても、どうして大法を弘通せずにはいられようか――と。
 広宣流布の「時」は来た。たとえ、どのような難があろうとも、絶対にこの大法を弘通してみせるとの、大聖人の御断言であられる。
 私どもは、末法の御本仏であられる大聖人のこの「大確信」を心に刻み、一切を乗り越え、輝かしい未来へ、世界へ、邁進してまいりたい。(拍手)
12  さらに大聖人は、こう述べられている。
 「只不軽のごとく大難には値うとも流布せん事疑なかるべきに真言・禅・念仏者等の讒奏ざんそうに依りて無智の国主等・留難をなす此を対治たいじすべき氏神・八幡大菩薩・彼等の大科を治せざるゆへに日蓮の氏神を諫暁するは道理に背くべしや、尼倶律陀にくりだ長者が樹神をいさむるに・異ならず
 ――ただ、不軽菩薩のように大難にあったとしても、この大法が流布することは疑いないのに、真言・禅・念仏者等の、でっちあげの訴えによって、無知の国主などが迫害して難を加えている。これを対治すべき氏神である八幡大菩薩が彼らの大罪を罰しないので、日蓮が氏神を諫暁するのは、道理に背くことであるはずがない。これは、尼倶律陀長者が樹林の神を諌めたことと変わらない――と。
 八幡大菩薩を諫められた大聖人のお振る舞いが、樹神を責めた長者の行動と同様の方軌にのっとっていることを示されている。そして、この方程式は、今日も変わらない。御書の仰せのままに言うべきを言い、諫めるべきを諫め、「正義の言動」を重ねているのが、わが創価学会なのである。(拍手)
 どうか、北海道、東北をはじめ全国の同志の皆さまは、大聖人の大師子吼のお姿を深く拝しながら、何ものも恐れることなく、「仏勅の広宣流布」へ、獅子の前進をお願いしたい。(拍手)
 学会は創立以来、六十年余。私もまた入信以来、本年で四十四年である。大聖人がこの「諌暁八幡抄」で御断言の″東洋広布″″世界広布″ひとすじに戦いぬいてきた。
 また初代会長の牧口先生、第二代会長の戸田先生は、横暴な国家神道に対して、命がけで諌暁を挑まれた。学会の崇高な歴史を知れば知るほど、その「正義」は明白である。(拍手)
 ″知る″ことは″武器″である。″成長″となり、″勝利″を生む。反対に″知らないこと″は、″敗北″に通じる。つねに″騙され″、″欺かれる″危険にさらされることになる。ゆえに、深く広く「学べ、また学べ」と申し上げたい。(拍手)
 ともあれ、広布の「仏勅」を実現してきたのは、わが創価学会である。他のどこでもない。本当に不可思議なる団体なのである。このことを、決して軽々に考えてはならない。「世界広宣流布」こそ、最も大切な、御本仏の御遺命であるからだ。
13  正道を守りぬいた仏眼寺の闘争
 次に、日淳上人のお言葉を紹介しておきたい。上人は「寺院は本質的には信徒のものである」(趣意)と断言されている。
 日淳上人は、僧俗和合の根本の方軌を、明確に敷いてくださった宗門の先師である。先師のご指南は決してゆるがせにしてはならないと私どもは信ずる。いかなる理屈をつけようとも、みずからの先師の言葉に違背し、正しき軌道を破壊するならば、その罪はあまりにも大きいといわざるをえない。
 さて、この言葉は、東北・仙台の「仏眼寺」問題に関しての見解である。そこで、まずその背景についてふれておきたい。
 きょうは東北の方も見えているが、仏眼寺は、康永二年(一三四三年)、室町時代の初めに建立された有名な古刹である。(同寺の開基については別の説もある)
 以前にも少し書いたが(小説『人間革命革』第五巻「布石」の章)、大正時代に仏眼寺は大事件に巻き込まれる。永らく大石寺の末寺として信仰してきたところ、ある有力檀徒が古文書をもとに、仏眼寺は京都の要法寺(日目上人の天奏のお供をした日尊が創した上行院に始まる)を総本山とすべきだと騒ぎ始めたのである。
 たしかに創建当時、仏眼寺は要法寺との関係が深かった。また、戦国時代までの要法寺は、邪義に走ることなく、大石寺と「両山一寺」(二つの寺は一体)とされていた。しかし、その後、要法寺は完全に邪宗の寺と化していたのである。
 たとえ最初は小さくとも、わずかな狂いが、時とともに取り返しのつかない誤りを生じてしまう。悲しいことではあるが、だんだん正道を外れ、邪道に迷いこんでしまう。多くの寺院、宗派が、いつしか、その祖師の教えに違背して濁るという歴史を繰り返してきた。
 毛筋ほども誤差があれば、ロケットは月に到達できない。いわんや、仏法上の狂いは、多くの人々を迷わせ、成仏の道を開ざすことになる。だからこそ、悪を放置してはならない。戦わねばならない。戦うことが、仏法の正義を守ることになり、民衆を守ることになる。
14  正法を守ってきた仏眼寺。謗法と化した要法寺。かつて親密な関係があったにせよ、すでに信仰のうえでは、一方は清水のごとく、他方は泥水のごとく、まったく別物となっていた。
 そこへ古文書をもとに、要法寺が「寺を引き渡せ」と言ってきた。とうてい応じられるわけがない。ついに裁判に発展した。裏には、政治家の利害の動きや身延派の実力者の暗躍もあったといわれている。
 もっともらしい理由をつけても、結局は黒い策謀であり、利害である。そうしたものにうるわしい「信仰の世界」を左右されては絶対にならない。
 やがて裁判の結果が出る。昭和三年――私が生まれた年であるが、第一審で仏眼寺は敗訴。翌年、控訴審でも敗訴。さらに翌年、上告も棄却。徹底的な敗北であった。
 しかし、時の住職・佐藤覚仁師は信仰を守りぬいた。たとえ一時は敗れたように見えても、権力にものをいわせた陰険な圧力には、決して屈しなかった。
 佐藤住職は、やむなく明け渡した寺の隣に、バラック建ての仮本堂を造る。そして、信徒とともに粘り強く大石寺復帰を叫び、闘争した。そして昭和十八年、じつに二十年にもわたる苦闘のすえ、大石寺と要法寺の間に諒解が成立。正式に仏眼寺は大石寺の末寺と決定したのである。
 佐藤住職のことは、私もよく存じ上げている。まことに立派な僧侶であった。信徒をこよなく愛され、学会を最大に守り、讃嘆されていた。こうした気骨ある、信念の僧侶が今は少なくなってしまった気がしてならない。
 (佐藤住職は昭和二十七年、立宗七百年祭のおり、小笠原慈聞問題で宗内が紛糾した時、真っ先に学会を「是」、宗会を「非」とされた。また、戸田第二代会長を処分した宗会決議にも強い不満を表明。「私が、もし宗会議員であったら、決議文に捺印することを拒否し、名誉の孤立を選んだでありましょう。私は全面的に、学会の行動を支持する。宗会議員には、日興上人の精神が、まったくない。もし、この事件に点数をつけようとするならば、学会は満点であり、宗会は零点です」と。そして、宗会決議の取り消しを求めた意見書を敢然と提出された)
15  「寺院は、信仰の母体たる信徒のもの」
 こうした「仏眼寺」問題の渦中の昭和七年、日淳上人はこう発言された。
 まず一般論として、「寺院の成立と存在の意義は唯一に信仰にあり、而して信仰の根本は本尊と教義とにある。此れが寺院の本質にして寺院のことは万事此の本質によって律せられなければならぬ」(『日淳上人全集』。以下、引用は同書から)
 寺院は何のためにあるかといえば、ただ一点、「信仰」のためにある。その信仰の根本は「本尊」と「教義」であるとのお言葉である。
 信仰とは、本尊を礼拝し、教義を学んで、衆生が成仏という「最高の幸福」を得るためにある。この根本目的のためにこそ、寺院は存在するのである。それ以外は、いわば枝葉である、と。
 「不幸の人」をつくるためではなく、「幸福の人」をつくるために寺院はある。いわんや信徒の信仰を圧迫し、退転させ、破壊しようとする寺院など、どこの世界にあるだろうか。
 さらに日淳上人は「若し一度何事かを差し挟んで三者(=本山の管長と住職と信徒)の意志が分裂してその(=寺院の)所有権を論ずる場合は寺院の本質により信仰の母体たる檀徒(=信徒)の所有に帰すべきもので管長と住職とは但に管理者にすぎないといわざるを得ない。しかして已に所有権が檀徒にある限り一切の処置は檀徒の意志によるべきである」――と述べられている。
 要するに、寺院は大多数の信徒のためにあるのであって、住職や本山のためにあるのではない、と。そして意見が違う場合は、「信仰の母体」である信徒の意志によって決めるべきであると示されている。(拍手)
 私どもが、どれほど真心を尽くして宗門にご奉公し、多くの寺院を寄進してきたか。宗門の世界的な大発展を実現してきたか。これは、だれ人も否定できない事実である。(拍手)
 それにもかかわらず、私どもが真心から御供養した寺院を私物化し、まして信徒をいじめ、脅す僧侶がいるとすれば、まさに信仰の横領というほかない。日淳上人の教えに反するだけでなく、御本仏のお叱りを受けることも間違いないと信ずる。
16  日淳上人はさらに述べられている。
 「然るに此の本質を無視して寺院を一個の物件とのみ見なし、管長と住職とに重点を置き、檀徒の意志を省みずその所有権と意志とを没却するが如きは宗教に対する認識不足にして迂闊千万(=うっかりしている状態がはなはだしいこと)の判断といわなければならない」
 つまり、寺院をどうするかについては、本山や住職の意向よりも、信仰の母体である信徒の意志を基準に決めるべきである。「本山中心」「住職中心」に偏り、信徒がどうしたいと思っているかを無視するような考えは、寺院を一つの「物」のように扱うもので、信仰と宗教の本質を忘れた「迂闊千万」のやり方であるというのである。(拍手)
 大多数の信徒こそ、寺院の本来の「所有者」であり、住職も本山も、信徒から寺院を預かっている「管理者にすぎない」と――。
 これが、大学僧であられた日淳上人の、仏法の正道のうえからの寺院観であった。時代を超えて、世界の人々が納得できる論理であることはいうまでもない。(拍手)
17  日淳上人は、こうした考えから、仏眼寺の問題は「信仰を異にせる僧侶が一片の法を盾にとって押入る」ものであるとされた。
 法律がどうあれ、寺院の生命は信仰であり、信仰の母体は信徒である。大多数の信徒の、心からの賛同と支持なくして、何の寺院か、何のための僧侶か、それは最も大切な信仰心を踏みにじって押し入り、居座る不法占拠のごときものではないか、とのお心であろう。
 それまで、多くの信徒が、ずっと「正しい本尊」と「正しい教義」を守って信仰してきたのである。そこへ突然、そうした信徒の信仰を否定する僧侶が現れ、寺院をわがもの顔に取ってしまった。そして、信徒を従わせ、自分のところに来させようとしている。
 日淳上人は、これは、それまでの歴史を無視し、信徒の所有権と意志とを無視するもので、「堪えがたき苦痛であり、純正の道理を信ずる大聖(=日蓮大聖人)の弟子檀那として受け入れがたきところである」と結論された。
 そして「敢然あくまで抗争しなければならぬと絶叫する」と、″徹底抗争″を訴えられたのである。東北の信徒は、どれほど奮い起ったであろうか。そして、権威・権力をカサにきた、あらゆる圧迫のなか、立派に「正しき信仰」を守りぬいたのである(拍手)。(この十一年後に、事件は解決している)
18  時代や場所によって、当然、それぞれ状況は異なる。ただ、日淳上人が言われた″意見が違えば、信仰の母体である信徒の言うことを聞け。それを基準にせよ″との精神は、永久に忘れてはならない。また、この原則は、いよいよ重要になってきている。(拍手)
 ともあれ、その他のことも、「正道」は、日淳上人、日達上人のご指南に明快に示されている。日淳上人、日達上人の教えどおりにすれば、今のようなことにはならなかったという人も多い。(拍手)
 どうか寺院についても、「私たちこそが、最も大切な信仰の母体なのだ。寺院の本来の所有者であり、主人の立場である」との、日淳上人のお言葉どおりの確信をもって、かつての仏眼寺のごとく、「正道」を守りぬいていただきたい。その、何ものをも恐れぬ「強信」の″徹底抗争″こそが、やがて厳然と、正法の勝利の春を開いていくことを確信していただきたい。(拍手)
 自分たちの寺院である。遠慮してはならない。黙っていてはならない。
19  信心は、太陽と語り、星々と語るような大きな境涯でありたい。また人類五十数億の壮大な舞台から見れば、小さなコップの中で、少数の悪人に翻弄され、苦しむような人生であっては、あまりにも愚かである。
 だれよりも幸福になるために信仰したのに、信仰したゆえに苦しむのでは、いったい、何のための仏法か。ゆえに、どこまでも朗らかに、また朗らかに、「境涯の王者」として、一切を大福運、大功徳へと変えゆく、「強信」を貫いていただきたい。
 「鉄の団結の創価家族」として、悠々と、今世を、また三世を、真実の「仏道修行」のため、真実の「広宣流布」のために、ともどもに仲良く歩んでまいりたい。そして、世界のだれよりも「楽しい人生」「有意義な人生」を送っていただきたいと申し上げ、きょうのスピーチとしたい。ありがとう!
 (函館研修道場)

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