Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第一回群馬県総会 広宣の大功労は大聖人が御照覧

1991.8.9 スピーチ(1991.7〜)(池田大作全集第78巻)

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2  大聖人の御遺命を拝し、大法興隆、世界広宣流布の道を現実に開き、戦いぬいてきたのが、学会六十年の歴史である。大聖人滅後七百年余、これほどまでの大業を成し遂げた団体は他には絶対にない。(拍手)
 広布に尽くした人を心からたたえる。これが、大聖人のお示しになった信心の「道理」である。わが同志の、信心の誠を尽くしに尽くしぬいた広宣の大功労を、大聖人は、最大に御讃嘆くださっていると確信する。これが、この御文のお心であると私どもは信ずる。
 それを、みずからの感情や利害で「道理」を踏みにじり、大聖人のお心を踏みにじって、広布の前進を破壊しようとする罪は、御書に照らし、計り知れない。(拍手)
 群馬の友は、いつも、そしていざという時に、勇敢に戦った。たくましく戦った。仏子をいじめ、正法広宣流布を阻もうとする悪の勢力と、立派に戦い、勝った。
 この群馬の勝利が、全国、全世界に波動を広げ、限りない勇気を与えた。未来への正しき道を開いた。
 その先駆けの功徳は大きい。見事に「大福運」「大功徳」の歴史を刻んでくださった。(拍手)
 大聖人は、信徒の活躍を一つ一つ、つぶさに日天(太陽)等、すなわち大宇宙に向かって宣揚している、と仰せである。
 「太陽の国・群馬」の皆さまは、赫々たる旭日のごとき信心で、いちだんと朗らかに、いちだんと堂々と進んでいただきたい。
 「無敵・群馬」を合言葉に、これまで以上に戦うべき時には断固戦う″誉れの信心″を貫いていただきたい。(拍手)
3  独裁者を取り巻く狂気
 ご存じのように、私は先日(8月2日)、ソ連平和委員会のボロビック議長から、同委員会の「平和の戦士賞」をお受けした。
 そのボロビック議長が、学会の代表との懇談のなかで、こう語られていたという。
 「独裁者に追従する人間の心理というものは、常人から見て、ほとんど狂気に近いものを感じさせる。それは、独裁者の最期が近づいた時、はなはだしい例を生みだします」と。
 学会が、独裁的な権力とつねに戦ってきた歴史を熟知されての言葉であった。
 議長は、例として、ゲッベルス(ナチス・ドイツの宣伝大臣)を挙げておられる。
 「ヒトラーが自殺した時、それに先立ってゲッペルスは自殺し、妻子をも″殉死″させた。彼は、その日記の中で最後までヒトラーを讃美し続けていた」
 さらに「ゲッペルスは、何もかもわかっていたにもかかわらず、今さら後戻りができないと感じて、最後まで演技を続けたのか、もしくは、『本当の自分』と『演技する自分』の区別がつかないところまでいってしまっていたのか、どちらかでしょう」と。
 また、スターリンが死ぬ直前のこと――。
 「スターリンが皆の前で倒れた時、周りの幹部たちは恐れて、だれもその体にふれようとしなかった。そのためスターリンはベッドにも運ばれず、倒れたままだった」
 権力者への恐怖は、あまりに大きかった。
 「その時、ベリヤ(=内務人民委員として大粛清を行う。スターリンの死後、銃殺されたという)が『怪物は倒れた。独裁者は死んだのだ』と叫んで、スターリンの体にふれようとした」――死んだと見て、思わず″本音″が出たのである。
 自分を偽って生き続ける――独裁者は自分も不幸であるが、周囲をも不幸におとしいれる。
 またベリヤは、スターリン死後の権力掌握をねらっていたといわれている。
 「ところがスターリンは、(=ベリヤが近づいた時)まだ死んではいなかった。うっすらと目を開けた。驚いたベリヤは、あわてて、うやうやしくスターリンの手を取って口づけした」と。「このように、独裁者の周りには、独裁者が最期を迎えるまで、良識を失った人間たちが取り巻くものです」と議長は結論しておられたという。
 権威、権力の「独裁者」と、それに「追従する者」の心理と。
 いつの時代にも変わらない″狂気″の方程式が、ここにある。歴史が語る教訓として、そのまま紹介させていただいた。
 私どもは断じて、こうした″狂気″にだまされてはならない。
 巻き込まれてもならない。
 一切を御聖訓という永遠の根本基準に照らして、″真実″を見破り、″正義″と″道理″を貫かねばならない。
 正法のため、人類のため、自分のため、同志のために。(拍手)
4  法華経の実践者を恥辱する大罪
 大切な総会であるので、さらに二つの御聖訓を拝しておきたい。
 まず、大聖人は、こう厳しく戒めておられる。
 「法華経を法の如く修行すとも法華経の行者を恥辱せん者と此れ等の諸人を指しつめて其人命終入阿鼻獄と定めさせ給いしなり
 ――たとえ、法華経を法のとおり修行したとしても、法華経を実践する人を恥辱する(恥ずかしめ、侮辱する)者等、これらの人々(法華経の行者を恥辱する者など、さまざまな法華経不信の謗法の者)を名指しして、「その人は命を終えて必ず阿鼻地獄に堕ちる」と(釈尊は)定められたのである――。
 たとえ如説修行したとしても、妙法を行じる者、広宣流布に進む人を恥辱しバカにすれば、堕地獄であり、法華経誹謗の者と同じであるとの大聖人の仰せである。
 法華経の行者とは、いうまでもなく、別しては大聖人であられる。そして総じて、私どもは大聖人の教えのままに生きぬいている。正法を真剣に実践している。「広宣流布」に尽くしきっている。
 そうした学会員を傲慢に見くだし、恥ずかしめ、バカにするような人は、どんな立派そうに法を説いたとしても、かりに、きちんと修行したとしても堕地獄は間違いないとの厳誡である。
 いわんや、「ろくろく仏道修行もせず、学会員を見くだす者は当然、たいへんな仏罰を受ける」と、戸田先生はよくおっしゃっていた。私どもは、権威、権力を恐れる必要は、まったくない。大聖人が絶対に御照覧くださっている。
 また門下であれば、だれ人にせよ、恐るべきは権威ではなく、大聖人の御聖訓に違うことであり、大聖人のお叱りであると、私どもは信ずる。(拍手)
5  大聖人の檀那は必ず仏に
 また大聖人は、「日蓮が頭には大覚世尊かはらせ給いぬ昔と今と一同なり、各各は日蓮が檀那なりいかでか仏にならせ給はざるべき
 ――日蓮の頭には、大覚世尊(釈尊)がかわられている。昔と今(大聖人の御在世)とまったく同じである。あなた方は、日蓮の檀那である。どうして仏になられないことがあろうか。必ずなれるのである――と仰せになっている。
 在家が「日蓮大聖人の檀那」であるかぎり、必ず成仏するとの御断言であられる。(拍手)
 私どもは、「日蓮大聖人の檀那」である。大聖人の仰せを根本に、御遺命である「広宣流布」と、だれよりも真剣に、日々、邁進している。
 その私どもを、御本仏が最大に讃嘆され、「仏になることは間違いない」と、御照覧くださっいることを確信していただきたい。(拍手)
6  本日は、これでスピーチを終わりたい。会合というのは、予想より早く終わるとうれしいものだ(爆笑)。これも、一つの″新思考″である。(爆笑)
 あとはゆっくりと、さわやかな夜風に吹かれ(笑い)、「赤城の名月」で有名な(笑い)すばらしい夜空を仰ぎながら、楽しく家路についていただきたい。
 また、たまには夫婦で愛情通う語らいに時のたつのも忘れるような(爆笑)、夏の一夜を有意義に過ごしていただきたい。
 幸福になるための信仰である。信仰者の家庭は、未入信の家族がいらっしゃるかどうかなどにかかわらず、いずこよりも明るく、仲の良い、笑顔輝く和楽の家庭であっていただきたい。決して、信仰上のことで感情的な争いなどをしてはならない。
 きょう、あたりには赤とんぼが、いくつも飛びかっていた。私は即座に「赤とんぼ 萩に揺られて 榛名かな」と句を詠んだ。
 どうか皆さまは、何があっても、「朗らかな心」で、「朗らかな前進」を重ね、「朗らかな人生」を生きぬいていただきたい。その「知恵」と「境涯」を開くのが「信心」である。
 かけがえのない人生である。「賢明」でなければ、また「強く」なければ、幸福に生きぬけない。ゆえに皆さまは、だれよりも「聡明に」、だれよりも「強く」また「強く」、痛快なる「正義の勝者」の人生を送っていただきたい。
 このことを念願し、本日のお祝いのスピーチといたします。きょうは本当におめでとう! 万事、安心して進んでください!
 (渋川平和会館)

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