Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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日米記念合同研修会 「広布の翼」は風を受けて飛ぶ

1991.8.7 スピーチ(1991.7〜)(池田大作全集第78巻)

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1  長野から平和への新しい連帯を
 本日は、アメリカ、長野をはじめ新潟、富山、石川、山梨の代表が出席しての研修会である。はるばる来日されたアメリカ文化本部の皆さま、ようこそいらっしゃいました。大学の教授、助教授など、学術・教育の分野で活躍される、十二人の知性のリーダーを、最大の敬意をもって歓迎したい。(拍手)
 アメリカといえば、ちょうど十年前(一九八一年)、シカゴで開催された、記念すべき「第一回世界青年平和文化祭」において、長野青年部の百二人が、見事なる五段円塔を打ち立てた。あの圧巻の光景を、私は生涯、忘れることはできない。
 この「シカゴ五段グループ」の皆さまは、先日、霧ケ峰の長野青年研修道場で、十周年の記念の集いをもたれた。一人の退転者もなく、皆、社会と広布の第一線で活躍しておられるとうかがい、こんなにうれしいことはない。
 また、ここ地元の東信圏、上田圏をはじめ長野の同志は、アメリカのミズーリ州、アーカンソー州、ユタ州と姉妹交流を結んでおられる。きょうは、その代表の方々も出席され、幾重にも意義深い研修会となった。(拍手)
2  日本でいちばん古い歌集『万葉集』の防人さきもりの歌(古代、大陸からの侵攻に備えて九州に派遣された兵士たちの歌)に、次のような歌がある。ここ信濃の人が詠んだ歌である。
 「韓衣からころも 裾に取りつき 泣く子らを 置きてそ来ぬや 母なしにして」(『日本古典文学大系7 萬葉集四』岩波書店)
 着物のすそに取りすがって泣く子どもを、残して来たのだ。あの子たちには母親もいないのに――という意味である。
 作者は、この道場からほど近い小県ちいさがたの人といわれる。男手ひとつで、幼い子を育ててきたのであろう。突然の召集を受け、母なき子らを残して、はるかな兵役に就かざるをえなかった一人の父の嘆きの歌である。
 昔も今も、東も西も、戦争の悲惨さ、権力の残酷さは変わらない。つらく悲しい思いをするのは、いつも庶民である。
 第二次大戦のおりには、この長野は、いわゆる満蒙開拓団に最も多くの人を派遣し、悲劇の歴史を刻んだ。私は犠牲者の方々に、心からの追善をさせていただいている。
 とともに、先日(八月二日)は、この研修道場にソ連平和委員会のボロビック議長をお招きし、さらに本日はこうしてアメリカの″良識″をお迎えできた。この地で、長野の友とともに、平和への新しい連帯を広げることができ、感慨深い。
3  戦時の門下に御本仏の祈り
 ご存じのように、大聖人の御在世には、二度にわたる蒙古襲来があった。門下のなかにも、戦地にとられる人もいた。親族も含めれば、もっと多かったであろう。
 信仰しているから、社会のドロ沼のごとき現実と無縁である、などということはありえない。そうした門下の現実の苦悩に、一つ一つ、だれよりも心をくだいてくださったのが、御本仏日蓮大聖人であられる。
 大聖人は、曾谷二郎に対して、こう仰せである。
 「ここに貴辺と日蓮とは師檀の一分なり然りと雖も有漏うろ依身えしんは国主に随うが故に此の難に値わんと欲するか感涙押え難し、何れの代にか対面を遂げんや唯一心に霊山浄土を期せらる可きか、設い身は此の難に値うとも心は仏心に同じ今生は修羅道に交わるとも後生は必ず仏国に居せん
 ――思えば、貴辺(あなた)と日蓮とは、師檀(師匠と檀那)の一分である。しかしながら、有漏の依身(煩悩ある肉身)は、国主に従うものであるがゆえに、あなたも、この(蒙古襲来の)難に遭おうとしているのであろうか。感涙を抑えることができない。いずれの世に、あなたと(ふたたび)対面を遂げることができるであろうか。
 ただ一心に、霊山浄土に行くことを期されるべきであろう。たとえ、身は、この難に遭ったとしても、あなたの心は、仏心と同じである。今世は修羅道に交わったとしても、来世は必ず仏国に住むことができるであろう――と。
 当時、大聖人は御年六十歳。御入滅の前年であり、体調を崩されて、かなり衰弱しておられた。しかし御自身を顧みるいとまもなく、戦時下に置かれた門下の身を、ただひたすら案じてくださっている。
 先般の湾岸戦争のおり、わが愛するアメリカの同志も、その渦中にあった。兵士として戦場に向かう青年もいた。
 私は、この大聖人のお心を拝しつつ、同志の無事を祈りに祈った。また、微力ながら緊急アピールなど、戦争の回避とその早期終結への行動を懸命に積み重ねた。
 (=一九九〇年八月二日、イラクがクウェートに侵攻。これに対し、アメリカは多国籍軍を結成して、九一年一月十七日、イラクヘの空爆を行い湾岸戦争が勃発した。この戦争への緊張が高まるなか、池田SGI会長は、チンギス・アイトマートフ氏ら世界の賢人五人との共同提案により、イラクのフセイン大統領にあてて、平和に向けての緊急アピールを送った)
 祈らずには、いられない。行動せずには、いられない。同志のために、人間のために、平和のために――。それが「仏法者」の心である。(拍手)
 もし、たいへんな状況下にある仏子をかばうどころか、逆に見くだし、いじめるような存在があったとすれば――もはや仏法者とはいえない、と私どもは思う。(拍手)
 いずれにしても、私どもは「大聖人の檀那」であり、「大聖人の門下」である。「身」は難に遭おうとも、「心」は御本仏のもとにある。いつもつつまれている。未来は必ず、その「心」のとおり、「一念」のとおり、「仏国」に遊戯することは間違いない。これが大聖人のお約束である。なんとありがたい仰せであろうか。
 ゆえに、どんな思いもよらぬ局面にぶつかっても、驚くことなく、たじろぐことなく、「永遠の同志」とともに、励まし合い、守り合いながら、悠々と、堂々と仏勅の道を進んでまいりたい。(拍手)
4  わが胸中の宝を自覚すれば仏
 日蓮大聖人は、御書の中で次のように仰せである。
 「たとえば人十人あらんずるが面面に蔵蔵に宝をつみ我が蔵に宝のある事を知らずかつへ死しこごへ死す、或は一人此の中にかしこき人ありて悟り出すが如し九人は終に知らず、しかるに或は教えられて食し或はくくめられて食するが如し
 ――たとえば、十人の人がいて各自がそれぞれの蔵に宝を積んでいた。しかし皆、自分の蔵に宝があることに気がつかず、みすみす飢え死にしたり凍え死ぬようなありさまであった。その時、この中に一人の賢い人がいて(宝があることに)気がつく。そして他の九人は知らなかったが、あるいはその一人に教えられて食べたり、あるいは口に含められて食べたりした。(仏と凡夫の関係も、これと同じようである)――。
 平等大慧(一切衆生を平等に利益する仏の智慧〈開結四〇〇ページ〉)の法華経は、一人一人がみずからの胸中に、かけがえのない生命の宝を抱いていると説く。そして、この御書では、それに目覚めれば「仏」、気づかなければ「凡夫」であり、「仏」も「凡夫」も別々のものではないことを示されている。生命に本来的に具わる「仏性」を″蔵の宝″に譬えられているのである。
 自身の「尊厳なる生命」を自覚する時、限りない歓喜が生まれる。力がわいてくる。この希望の波動のなかに、新しい″人間主義の光彩″がいや増していく。
 戸田先生は御書に照らし、学会員の位が、どれほど尊いかを繰り返し語られた。そして「前途の多難はまた覚悟のうえであるが、われわれがいかに位が高いかを確信すれば、もののかずではないのである」(「創価学会の歴史と確信」『戸田城聖全集』第三巻)と。
 学会員として、三世永遠にわたる最極の使命を自覚しながら、最高に生きがいある人生を生きぬいてまいりたい。
5  完全燃焼の光を放つシモーヌ・ヴェイュの青春
 アメリカ文化本部の皆さまのなかには、青年の教育にあたっておられる方も多い。また、今は夏休みであり、できるだけ青少年に焦点をあてたい。その意味から、一人のフランスの乙女のエピソ―ドを紹介したい。
 それはシモーヌ・ヴェイュ(一九〇九年〜四三年)。これまで何度かふれたが、波瀾の今世紀前半、″行動する哲学者″として活躍した。第一次世界大戦の終結から、新たな戦争(第二次世界大戦)ヘと向かいつつあった″嵐のヨーロッパ″にあって、人間主義の探究と行動を貫いた女性として知られている。
 ナテスとの戦いをはじめ、つねに、弱い立場の人、虐げられている人、苦しめられている人の側に立ち、傲れる者たちと炎のごとき情熱で戦いぬいた。
 三十四歳の短い生涯であったが、その尊い青春の″完全燃焼″は、今なお多くの人々に希望と勇気の光を送り続けている。
 きょうは、くわしいことは略させていただくが、彼女の中学・高校時代の一断面を紹介したい。
6  十四歳のころ、ヴェイユは底知れぬ絶望に落ちこみ、思い悩んだことがある。″自分には何の才能もない。何のとりえもない″と。
 とくに彼女の兄は、ずばぬけて優秀で、後に世界的な大数学者となった天才である。その兄と比べるにつけても、彼女は自分の未来に、まったく希望が見いだせなくなってしまったのであろう。加えて体も弱かった。時に死さえ思いつめることもあった。多感な青春時代には大なり小なり、そうした感情の揺れがあるものだ。
 しかし、そのなかでヴェイユは、古今の哲学者の思想をむさぼり読んだ。みずからの思索を書きとめ、深めることを怠らなかった。暗い夜のような時間が何ヶ月も過ぎた。そして、苦悩の果てに、彼女は突然、ある確信をつかんだ。
 それは――「どんな人でも、たとえ生れつきの能力がほとんどなくても、ただ真理を望んで真理に達するためにたえず努力し注意を払いさえすれば天才だけがはいるあの真理の国にはいることができる」(「霊的自叙伝」渡辺秀訳、『シモーヌ・ヴェーュ著作集』4所収、春秋社)――という絶対の確信であった。
 彼女は生まれ変わった。彼女は発見した。――自分が果たすべき使命は何か。それは、無名の庶民とともに生きることだ。庶民を守るために戦うことだ、と。そしてまた、″天才″とは暗い夜を乗り越えていく力の異名なのだ、と。
7  暗い夜のほとりで失望して「自分にはできない」と立ち止まってしまうか、それとも勇気をもって挑戦への″一歩″を踏み出し続けるか。人生は、つねに、自分との格闘の連続である。
 ヴェイユは、暗い苦悩の闇から、″さあ征こう! 勝利の朝へ″と立ち上がった。歩みを絶対に止めなかった。社会運動にも進んで参加し、つねに「行動者」であり続けた。
 「朝の来ない夜はない」とは、日本の文豪・吉川英治氏の言葉である(扇谷正造『吉川英治氏におそわったこと』六興出版を参照)。何があっても未来を信じ、時を待ち、時をつくり、自分自身の中から「希望」を生みだしていく――ここに「行動者」の生き方、「勝者」の人生がある。
 使命を自覚した人は強い。信心の世界もまた同じである。苦悩の闇が深ければ深いほど、それをより大きな喜びへ、境涯の拡大へと転じゆく力。これが「変毒為薬」の仏法の力である。広宣流布への使命に生きぬく人生には、断じて行き詰まりはない。
8  ヴェイユの使命感は、十七歳の誕生日を前に詠んだ詩にも、明確に表れている。
 その詩は「朝のこの上なく明るい眼差しで、/輝いている 優しい若者よ」と呼びかけ、苦しみ悩む民衆のために戦っていこう、世界に豊かな平和を打ち立てよう、と訴える。
 そして彼女はうたう。
  「そのためにこそ出発せよ 若者たちよ あなたたちの年齢にふさわしい情熱を
    燃やして
   出発せよ 強く雄々しく こんなにも美しい戦いのために。
   二つの偉大な美徳、『忍耐』と『勇気』とによって、
   すべてのものの勝利者に 死への勝利者にさえなりたまえ」
    (『シモーヌヴェイュ詩集』小海永二訳、青土社)と――。
 私どもは、美しい「人生の戦い」の歴史を、強く雄々しく、また、どこまでも自分らしくつづりながら、必ずや「民衆の勝利の朝」「人間の勝利の朝」を開きゆく一人一人でありたい。また、そうあらねばならない。
9  飛行機はなぜ空を飛べるか
 さて、話題は変わる。「飛行機」の話をしたい。アメリカの皆さんも、いうまでもなく、飛行機で来日された。また帰りも航空機である。
 飛行機は、なぜ空を堂々と飛ぶのか? あんな重いものが、どうして大空を進むのだろうか? 航空力学の講義ではないので(笑い)、複雑な話はなるべく抜きにして、わかりやすく、そのポイントにふれておきたい。
 地上にはさまざまな葛藤があるが、狭い人生にとらわれず、しばし大空を舞うような気持ちで、また地球を悠々と遊ぶような気持ちで聞いていただきたい。
 「空を飛ぶ」ことは、人類の長年の″見はてぬ夢″であった。「自由なる鳥のように!」。レォナルド・ダ・ビンチ(一四五二年〜一五一九年)をはじめ、多くの先駆者が、この夢に取り組んだ。
 「気球」が初めて空を飛んだのは一七八三年。やがて動力を使って目的地まで飛ぶ「飛行船」が誕生し、十九世紀には大いに流行した。
 詩人ユゴーは、「飛行船」を見た感激を、詩「大空」で次のように表現した。
 「解き放たれた重力が空を飛ぶ姿」「誇り高く、永遠の鎖から人間の肉体を引き離す力」「驚きのあまり、とうとう人類に門戸を開いた大空を、横ぎって飛んでいく物質!」「そうだ、新しい時代の幕明けだ」
 「船は進む、日光の衣を身につけて、神聖で清らかな未来へ向かって、美徳へ向かって」「諸国の民の心と心を通わせて」
 「注ぎこんだのだ、人間の心に青空をいっぱい、国の違いなど取り除いてしまうほどに!」
   (詩集『諸世紀の伝説』辻昶・稲垣直樹訳、『ユゴー詩集』所収、潮出版社)
 ユゴーにとって、「空を飛ぶ」ことは、人類が「重力」に象徴される一切の鎖――無知や貧困、飢餓や暴力などの旧世界の鎖から解き放たれることを意味した。国境なき「大空」を進む船は、人類が「大空」のような心となって、民族平等の″世界共和国″へと出発するシンボルであった。
 ――その後の歴史は、ユゴーの希望と異なり、飛行船や飛行機が軍事目的にも多く使われた。それはそれとして、たしかに世界は狭くなった。人類は「大空」をも自在に行き来するにいたった。
 その大いなる「知恵」を「平和」のために使えないわけがない。心をも「大空」のごとく、広げられないはずがないと私は思う。
10  飛行機は″抵抗″する空気を味方に″上昇″
 さて、気球や飛行船は、水素など″空気よりも軽い″気体を袋に入れて、浮かんだ。これに対して、″空気よりも重い″飛行機が、どうして空を飛ぶのだろうか。あるジャンボ・ジェット機は、なんと三五〇トンもあるという。
 「浮く飛行船」から、翼をもった「飛ぶ飛行機」への転換――。二十世紀の初頭(一九〇三年)、皆さま方アメリカのライト兄弟(兄〈一八六七年〜一九一二年〉、弟〈一八七一年〜一九四八年〉)が、エンジン付き飛行機による″人類初の飛行″に成功した。以来、この九十年間で、航空技術は急速な発展をみた。
 ただ、その基本原理は同じである。つまり、飛行機の重さ以上の「上向きの力」(揚力)が、翼に働くからである。
 この「上向きの力」が飛行機の重量よりも大きければ、機体は離陸し、上昇できる。反対に、飛行機の重量よりも小さければ、飛行機は降下する。重量と同じであれば、水平飛行をするわけである。
 この飛行機を「持ち上げる力」とは、空気から受ける力であり、その正体は「空気の力」である。輿や駕籠を人間がかつぎ上げるように、「空気の力」が飛行機を支え、持ち上げている。
 空気は目に見えないが、すごい力をもっている。目に見えないものの大切さを忘れてはならない。
 なぜ「空気」が味方するかというと、飛行機が前進しているゆえに、翼の周りに、空気の流れができる。この空気の流れから、翼を持ち上げる力(揚力)が生まれる。エンジンの力で前へ進む。前へ進むからまた、持ち上げる「空気の力」が働く。その繰り返しで飛ぶ。
 (=飛行機が前進すると、翼の上の面には空気の「速い流れ」、下の面には空気の「遅い流れ」が生まれる。ベルヌーイの定理によって空気の流れが速いほうが遅いほうよりも圧力が低くなるから、翼は上へ吸い上げられて揚力が生じる)
 だから、飛行機は空気のない″真空状態″では飛べない。空気は飛行機の前進の″抵抗″にもなる、やっかいなものである。空気の抵抗と戦いながら、飛行機は飛んでいる。その同じ「空気」が、じつは飛行機を浮かばせ、飛ばす力にもなるのである。
 人生も、仏道修行も、何の抵抗もない″真空状態″の中では、楽なように思えるかもしれないが、その実、大空に飛翔することはできない。
 空気の″抵抗″のなか、飛行機が前へ前へと飛び続けてこそ、空気も味方し、持ち上げる力となるのである。
 前へ、ただ前へ――広宣流布もまた、「勢いある前進」を続けるかぎり、苦難をも上昇の力に変えていける。「難即安楽」「煩悩即菩提」の「即」とは、何があっても「いよいよ」と奮い立つ強盛なる「信心」をさすといえよう。
11  前進のスピードが「安定」をもたらす
 こうした「上昇する力」は、何によって決まるか。
 さまざまな要素があるが、一つの決め手は「スピード」である。スピードが二倍になれば、「上昇する力」は四倍になる。四倍のスピードだと、十六倍の力で上昇する。(「揚力」はスピードの二乗に比例する)
 つまり、飛行機は、なぜ安定して飛ぶことができるのか――それは、すごいスピードで前進しているからである。少しむずかしくいうと、飛行機は、重力を振り切る、上向きの角度をもって飛び続けてこそ、水平に飛ぶことができる。(ゆえにプロペラ機よりも、むしろジェット機のほうが安定している)
 組織もまた、絶えずスピードを下げずに飛び続けてこそ「安定」する。
 「飛行の原理」が十九世紀からわかっていながら、現実にはなかなか成功しなかった理由の一つは、この「スピード」を出すための効率の良いエンジンがなかったからである。
 「理屈」がわかっただけでは、十分ではない。うなりをあげて驀進する生命の「エンジン」が必要である。その偉大なる生命力があってこそ、すべての「理論」が、幸福という「事実」へと、人生の上昇を支える。その「生命力」を得るカギが、広宣流布への「無二の信心」である。
 重い機体でも、スピードが速ければ、飛んでいられる。また大きな、重い機体であるほど、スピードが必要になってくる。
 学会のこれまでの勝利も、一つには、この「スピードの勝利」であった。停滞することなく、浚巡することなく、すべてをスピーディーに進めてきたゆえに、時代を先取りすることもできた。この原理は未来も同様である。
12  「上昇する力」を増す、もう一つの決め手は、「翼の大きさ」である。翼が大きいほど、比例して「空気の力」を多く受けられる。
 組織でいえば、風を切って進む「幹部」「リーダー」の幅の広さ、層の厚さ、信仰者として、人間としての成長によって、飛行機(組織)の全体が上昇しやすくなる。
 ただし、翼が大きい分、機体が重くなり、より大きな「持ち上げる力」が必要になる。そこで飛行機では、「ムグのない(重さと抵抗が少ない)機体」と「軽くて強力なエンジン」「軽くて丈夫な翼」の組み合わせが大切になってくる。
 「飛ぶ」ことは人知の限りを尽くした″英知の結晶″であり、″知恵の芸術″ともいえる。
 私どもの前進においても、一切、ムダがあってはならない。すべてが最大に生きていなければならない。ムダはゼロではない。マイナスである。悪である。
13  安全のために「合議」「対話」を
 ともあれ、「広宣流布」へ向かって、学会という飛行機は、離陸し、飛行し続けている。途中で降りるわけにはいかない。全員が力を合わせて、目的地に着かねばならない。楽な上昇気流、苦しい下降気流、危険な乱気流もある。″ハイジャック″しようとした悪人もいた。
 それらすべてを乗り越えて、安全に皆を運ぶために、リーダーは、ぎりぎりの努力を重ねていかねばならない。私も、一念に「億劫の辛労」を尽くす思いで戦ってきた。
 そのうえで、より安全のためには、「合議」「対話」を、今まで以上に重視することが大切と思う。
 パイロットも基本的には正副二人がいるが、たとえば、操縦士一人のミスの確率が百分の一とする。すると、二人の操縦士がいれば、ミスの確率は理論的には「百分の一」×「百分の一」=「一万分の一」になる。(記念撮影を二回するのも同じ原理。一回だと千分の一の割合でミスがあるとされる。二回すると、それが百万分の一となり、ほとんど失敗がない)
 いわゆる″船頭″が多すぎてもいけないが、大事なことがらは、複数の代表の検討を経たほうが安全である。皆の学会である。皆の力と皆の建設的な意見によって、法のため、社会のために、より理想的な飛行を実現していきたい。
14  総仕上げ=着陸が一番むずかしい
 ところで、飛行機でいちばん事故が多いのは「離陸」と「着陸」の時である。離陸の三分間、着陸の八分間をあわせて「危険な十一分」と呼ばれている。
 人生でいえば「青少年期」と「総仕上げの時」にあたるといえよう。
 なかでも「着陸」の事故がいちばん多い。接地の場所を、きちんと決められており、そこにピタリと止めねばならないからむずかしいようだ。
 人生も、総仕上げが大切である。どんなにこれまで完璧でも、着陸に失敗すれば悲劇である。なんにもならない。せっかく重ねてきた仏道修行も、最後に退いてしまったならば、一切が無意味である。人炎の苦しみのごとき境涯となってしまう。
 最後が大事である。「広宣流布」と「一生成仏」の目的地まで、慎重に、油断なく、最後までみずみずしい「求道心」をもって進んでいただきたい。
 ともあれ大聖人は「法性のそらに自在にとびゆく車をこそ・大白牛車とは申すなれ」と。また「寂光の空にもかけりぬべし」等と仰せである。
 「法性の空」「寂光の空」――この「永遠の幸福の大空」へ、「久遠の同志」とともに、自由自在に飛翔しゆく人生であっていただきたい。(拍手)
 最後に、皆さまの健康と、ご一家の繁栄、喜びと充実の日々をお祈りし、日本の研修としたい。長時間、ご苦労さま!
 (長野研修道場)

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