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日蓮大聖人・池田大作

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'91県・区夏季研修、第二回長野県総会… 私は走る!誰がやらなくとも

1991.8.4 スピーチ(1991.7〜)(池田大作全集第78巻)

前後
2  ギリシャの人々は、このマラソンに最後の望みを託した。皆、レースの行方を、固唾をのんで見守った。しかし、最初に飛び出したのはフランス人。アメリカ人がそれに続いた。さらに後半に入ると、オーストラリア選手がトップに立った。
 ″わがギリシャ勢は、やっぱりだめか″――人々の表情には、落胆の色がしだいに濃くなっていった。
 ところが、ゴール前七キロの地点で、突然、ギリシャの若き選手が先頭に躍り出た。青年の名はルイス。羊飼いの若者であった。無名の庶民であった。
 ――庶民。弱いように見えて、これほど強い存在はない。″強者″が、いかに見くだし、いじめ、苦しめようと、庶民には、旺盛な″生きぬく力″がある。現実の大地に深く根をおろした、たくましさがあり、知恵がある。一個の「人間」としての輝きがある。
 その庶民のただ中に飛び込み、庶民とともに、みずからも一個の庶民として歩む――学会の強さは、ここにある。そして、どこまでも民衆を、守りに守りぬいていく――それが学会の精神である。
 この心を失い、いささかでも高慢なエリート意識などをもったとしたら、もはや学会のリーダーとはいえない。また、人々を守る「力」と「先見」の英知がなければ、使命は果たせない。断じて甘く考えてはならない。
3  ルイスは、牧場を駆ける昔ながらの素朴な服装のまま、この大レースに参加していた。他の国々のさっそうとした選手たちとは違い、まったくの素人であった。科学的なトレーニングや、専門的な訓練も受けていない。
 その無名の一青年が、ふだんのままの姿で、堂々と、スポーツの″エリート″たちの中を駆けぬけていく――なんと劇的な光景か。私の心には、その雄姿が、一幅の絵のように浮かぶ。その青春の力走に、私は心から喝采を送る。
4  一人の青年の執念が全民衆に希望を
 ルイスには、だれよりも深い「勝利への祈り」があった。だれよりも強い「勝利への執念」が燃えていた。打ち続くギリシャ勢の敗北――青年は、悔しかったにちがいない。
 ″よし! だれがやらなくてもよい。おれが勝ってみせる。愛するギリシャの偉大さを、誇り高く証明してみせる″″おれは走る。祖国のために。人々のために″――彼はあきらめなかった。走りぬいた。戦いぬいた。「断じて負けない」との、青年の魂が、五体に眠れるパワーを限りなく奮い起こしたのである。
 「他の″だれか″ではない。おれが勝ってみせる」――この一念である。この闘争精神である。かのトルストイの名作『戦争と平和』。その核心のテーマもまた、「″絶対に勝つ″と決めた人が、最後に勝利する」との″一念の力″を描くことにあったと考えられる。
 まして「仏法は勝負」(=「仏法と申すは勝負をさきとし」)である。「善」も、勝ってこそ「善」とわかる。「正義」も、勝ってこそ証明される。
 戦えば必ず勝ってみせる――これこそ学会精神である。この強き一念があればこそ、学会は、一切に勝ってきた。牧口初代会長以来、「広宣流布」の大レースに勝利しぬいてきた。七百年来に未聞の歴史を開いた。波瀾の連続の幾十年間も、そのすべてを乗り越えてきたのである。(拍手)
5  名もない羊飼いの青年は、走りに走った。前へ、前へ――。
 各国の名高いランナーを次々に追いぬいていく。前へ、前へ――。
 ただひたすら、アテネの競技場へと突進していく。
 彼はただゴールだけを見つめていた。他人の思惑など眼中になかった。胸中には、言いわけも、保身も、逃避も、恐れもなかった。ただ走る。ただ勝利を――。
 競技場に彼の姿が現れるや、七万人もの大観衆が、全員、総立ちとなって迎えた。喝采また喝采――。
 ギリシャの皇太子も感極まって貴賓席から駆けおり、最後の二百メートルを並んで走りだした。
 立場を超えた「人間」同士の感動的な光景である。そして、天まで届くほどの大歓声、万雷の大拍手のなか、青年は堂々とゴールイン。それまでのすべての屈辱がいっぺんに吹き払われ、ギリシャの偉大なる栄光が、見事に蘇った一瞬であった。
 近代オリンピックの創設者クーベルタンも、この光景を「すばらしい劇」と最大の感動をもって見守っていた。そして、この勝利から「スポーツの世界では精神の力が、一般に理解されている以上に大きな役割を果たすものであることを確信した」(カ―ル・デイーム編『ピエール・クベルタン オリンピックの回想』大島鎌吉訳、ベースボール・マガジン社)とつづっている。
 運動能力だけでもない。技術のみでもない。彼は「精神の力」で勝利を手中にした――。
 広布の、そして人生のレースも同様である。学歴でもなければ、地位でもない。信心の力こそ根本である。能力でもない、策でもない。偉大なる精神の力こそ、わが人生と広布に「勝利の栄冠」をもたらす。
6  一人の青年の勝利は、ギリシャの民衆に計り知れない自信と勇気を贈った。その後、永らくギリシャの士気を鼓舞し続けたといわれる。
 また、マラソンが「オリンピックの華」とうたわれるようになったのも、この感動のドラマがあったればこそである。
 すべては、一人の青年の戦いで決まる。一人の庶民の勝利が一切を変えていく。社会の中で、生活の中で、現実の中で、何があってもはつらつと、たくましく、トップランナーとして走りぬいていく。そこにこそ、わが学会の、新しい勝利が生まれる。栄光と希望が生まれる。凱旋の万歳が響きわたる。
 だれがやらなくとも、自分が勝てばよいのである。自分が本物であればよいのである。私も、その決心で走り続けている。皆さまも、どうかよろしく!(拍手)
7  偉い人は謙虚、民衆と共に歩む
 話は変わるが、先日、私はタイ王国のプーミボン国王から、同国の栄誉ある「一等王冠勲章」を贈られた。私自身というよりも、牧口先生、戸田先生をはじめ多くの功労の同志を代表して受章させていただいたつもりである。
 タイの有名な詩人ナワラットの言葉に、次のような一節がある。
 「大河や大海は小川よりも偉大である。なぜならば大河や大海は下の方(低い所)にあるからだ、だからこそさまざまな小川が集まってくるのだ」と。
 偉大な人格は、高い所にあぐらをかいて人を見くだすようなことは決してしない。謙虚である。だからこそ小川が大河へ、大海へと流れ注ぐように、多くの人々が自然のうちに慕い集まってくる。
 次元は異なるが、仏法では「教いよいよじつなれば位弥ひくし」(妙楽『止観輔行伝弘決』〈大正四十六巻〉)と説く。「教えが、勝れたものになるほど下根の衆生をも救う力があり、悟りを得る者の位は低くなる」との意味である。
 その原義をふまえたうえで、わかりやすく指導者論に約せば、勝れた「法」を説く人ほど、より広範な「民衆」の中に飛び込んでいくべきである、との教訓を得ることができよう。
 妙法は大海にも譬えられる最高の「法」である。ゆえに、妙法を持った指導者は、だれよりも謙虚に、また真剣に、誠実に、″民衆とともに歩む″人でなければならない。
 民衆の心から離れ、″われ、尊し″と見おろすような態度は、微塵もあってはならない。そうなってしまっては、いったい、だれが民衆を守るのか。皆が不幸である。広宣流布も滞ってしまう。
 指導者の責任は重大である。繰り返し語ってきたことであるが、今一度、この機会に強く訴えておきたい。(拍手)
8  なぜ佐渡流罪が決定したか
 ところで今年は、大聖人の竜の日の法難(文永八年〈一二七一年〉九月十二日)から七百二十年となる。
 大聖人は「頸の座」の虎口(きわめて危険な状態)を脱せられ、佐渡に行かれるまでの間、二十余日、神奈川の依智におられた。その間、鎌倉は騒然たるありさまであった。放火が七、八回。殺人も連続して起こる。そして、それらの犯人がみな大聖人の門下だと宣伝されたのである。
 「種種御振舞御書」には、「讒言の者共の云く日蓮が弟子共の火をつくるなりと、さもあるらんとて日蓮が弟子等を鎌倉に置くべからずとて二百六十余人しるさる、皆遠島へ遣すべしろうにある弟子共をば頸をはねらるべしと聞ふ、さる程に火をつくる等は持斎念仏者が計事なり」と仰せである。
 ――讒言の者ども(権力者に人の悪口を吹き込む者たち)が言うには、「日蓮の弟子どもが火をつけたのです」と。(権力者たちは)「そうにちがいない(さも、ありそうなことだ)」として、「日蓮の弟子等を鎌倉に置いてはならない」と二百六十余人、リストに挙げられた。「全員、遠くへ島流しになるにちがいない」「牢にいる弟子どもは、頸をはねられるにちがいない」と、うわさが伝わってきた。しかしながら、放火や殺人等は、持斎(律宗等の僧をさす。″戒律を持った″と自称する者。とくに極楽寺良観の弟子たちかと推測される)や念仏者の計略であった――と。
9  「讒言」――その心は卑しい。しかし残念なことに、多くの場合、その効果は大きい。メディア(伝達手段)の発達した現代では、なおさらであろう。
 本来、北条時宗から処刑中止の命令がくだったのであるから、その時点で大聖人は解放されてもよかったはずである。ところが依智で、三週間以上も囚われの身のままであられた。その間に″僣聖増上慢″の極楽寺良観や、平左衛門たちは、密謀をこらしたにちがいない。どうすれば大聖人を亡き者にできるか――。
 そうしたところに、あまりにもタイミングよく、放火や殺人の事件が起こったのである。「日蓮の弟子たちのしわざだ!」――うわさが駆けめぐった。もちろん謀略である。
 その結果、二百六十余人もの人々が鎌倉追放と記帳された。比率からいえば、現代の学会なら数万から数十万人にあたるだろうという人もいる。
 さらに、こうした険悪な雰囲気のなか、大聖人の佐渡流罪が決定したのである。″敵″のねらいどおりであった。
 「讒言」のなかには、あるいは大聖人門下でありながら、世間の風圧を恐れ、また自身の卑しい心などのため、師匠と同志を裏切り、かえって敵のほうについてしまった者たちの″偽りの証言″もあったかもしれない。
 乱れ飛ぶ情報、ちらつく権力の刃――何が真実で、何がウソか。だれを信じ、何を基準に進めばよいのか。不安はふくれあがった。その揺らぎに「魔」はつけこんでいったのである。
 「魔」を「魔」と見破った人だけが、師とともに忍難の正道を歩みぬいていった。
10  迫害は″社会悪″のイメージづくりから
 竜の口の法難にあって、なんとか大聖人を亡き者にし、正法流布の教団を破壊しようとした″敵″には、次のような特徴があった。
 まず第一に、「法門」では勝負せず、「社会的に」葬ろうとした。まともに法門のうえの勝負をしたら、とてもかなわないからである。
 第二に、そのために「社会悪」のイメージづくりが必要であった。そのために、さまざまな策をこらした。
 その一つとして、放火や殺人をみずから犯し、その罪を大聖人門下に押しつけることまでした。これが第三の手口である。
 第四には、いったん、そうしたイメージづくりが成功すれば、あとは自分が手を下さなくとも、何か起こるたびに″自動的に″大聖人門下のしわざと思わせることができる、とたくらんだ。
 次元は異なるが、西洋にあってはユダヤ人が、これと同様のやり方でいつも迫害されている。何か不都合があると、決まって「ユダヤ人のせいだ!」とされた。責任をユダヤ人に押しつけることで、自分たちの不満や不安を解消しようとしたのである。そうした迫害の歴史はまた、ユダヤ人の中から、世界的な偉大な人物を生む土壌となっている。
 そして第五には、「事実」によってではなく、こうしてつくられた「イメージ」によつて判断され、迫害が正当化されていく。それが、この「種種御振舞御書」で仰せの「さもあるらん」との言葉に端的に表れていると拝される。
 「きっと、そうにちがいない」「さも、ありそうなことだ」「そういうこともあるだろう」との思いこみ、決めつけ――こんな、あいまいな話はない。
 それが事実かどうかは、実際によく調べればわかることである。また冷静に考えれば、師匠であられる大聖人の命が最も危ない時に、人に油を注ぐような悪事を、門下がわざわざ働くはずがない。
 そうした実証も道理も無視して、正義の大聖人とその門下への迫害が行われた。
 「さもあるらん」と思わせる「イメージ戦略」――こうして形成された″時の勢い″や″空気″によって、理不尽な迫害が、当然であるかのごとく推し進められていったのである。
11  実証精神を欠くことの危険性
 ある学者いわく「日本人にいちばん、欠けているのは、『実証精神』であり、『科学的精神』である」と。日本人は、概して、ものごとを自分自身の目で見極めない傾向があるというのである。むしろ、安易に人のうわさや、″権威″の言うことを信ずる場合が多い、と。
 私には、海外に多くのすばらしい友人がいる。どの方も、自分自身の確固たる判断基準をもっておられる。そして何ごとも、自分で確かめ、自分で考え、自分で判断し、自分の責任で行動する。
 そうした「自立した個人」であるゆえに、いったん「真実」を見極めたならば揺るがない。″不変の友情″も築いていける。日本にはまだ、こうした土壌がないというのである。
 たとえばイギリス人は、各国のなかでもとくに、冷静、正確であると、よく言われる。私のこれまでの経験からも、うなずける意見である。
 「まず事実を正確に調べよう。それから、話し合おう」――こうした、地に足をつけた「実証精神」が伝統になっているようだ。
 もつとも、そうした冷静さをからかう他国の人々もいて、「イギリス人は女性を見ても、すべてに冷静に点数をつけ、『満点』だと計算できてから、しかる後に、おもむろに恋におちる」(笑い)と言われたりもする。それほど″一時の感情に左右されない″というわけである。
12  そうした笑い話はともかく、「自分の意見をもたない」「確たる自分がない」国民は不幸である。時の勢いに押し流され、″周囲の思惑″に左右され、付和雷同してしまう。いつのまにか、取り返しのつかない地点まで転落していく。――戦前もそうであった。
 ″おかしい″と思っても言えない。むしろ反対意見の人を抑えつける。じっくりと道理をもって対話するのではなく、性急に「決めつける」――冷静に考えている人を見ると、かえって″おかしいのではないか″(笑い)などと非難する。
 いちがいには言えないが、こうした自立性のない、脆弱な精神風土が「独創が生まれない」と批判される原因にもなっていよう。「人まね」と違って、「独創」は、つねに「時代の常識との戦い」であり、たった一人ででも、自分の考えと信念を貫く強さがなければ育たないからである。
 「創価」――価値の「創造」をめざす私どもの世界にあっては、断じて、こうした″権威に追随する″弱さがあってはならない。
 皆が平等に、また冷静に、何でも語り合い、心から納得し合って進んでこそ、真の「和合」の姿である。そこに、一切を価値創造の糧とし、一切を変毒為薬(毒を変じて薬と為す)しつつ、限りなく「広宣」と「福徳」の道を開いていくカギがある。
 信念と英知をもった一人一人の「強き心」こそ″勝利へのバネ″なのである。
 ともあれ、「迫害の嵐」は、「つくられたイメージの暗雲」を伴う。「さもあるらん」とのゆがんだ独断が、抑圧の引き金となる場合が多い。
 ゆえに、つねに賢明に、「真実」を見抜かねばならない。「事実」を見極めねばならない。三障四魔「本質」を見破らねばならない。
13  すべてが過ぎ去るとも真実は残る
 一昨日、友人であるソ連平和委員会のボロビック議長が訪ねてこられた。氏は各国のトップレベルの指導者・文化人にインタビューを重ねてきた世界的ジャーナリストである。また、みずから戯曲なども書かれる文学者である。
 ソ連の作家アイトマートフ氏も一人の″獅子″であるが、ボロビック議長もまた鍛え上げられた″闘士″である。(=議長は名誉会長に、平和委員会の最高の栄誉賞である「平和の戦士賞」を授与した)
 さて、ロシアのことわざに次のような言葉がある。
 「すべてが過ぎ去っても真実は残る」
 「真実は黄金を塗っても、泥を塗っても、必ず、すべてが表に出てくる」
 ″悪の真実″を隠そうとして黄金で飾りたてても、逆に″善の真実″を隠そうとして、悪のイメージの泥を塗っても、時とともに、必ず一切が明らかになるものだと――。
 また「真実を滅ぼせば、みずからが滅ぶ」ともいう。真実を踏みにじるものは、みずからの良心を踏みにじるものであり、みずからの人間性を滅ぼす結果になる。
 ゆえに「真実」を味方に生きる人は強い。一時はどうあれ、時とともに輝いてくる。「真実」に生きる人生はすばらしい。だれが何と言おうと、心には満足の青空が広がっている。(拍手)
14  なかには「御本仏がいらっしゃったのに、どうして、こんなひどいことばかり起こったのか」と思う人がおられるかもしれない。追放、投獄、財産没収、ぬれぎぬ、左遷。生命を落とした門下もいた。これらに比べれば、現代はまだ良いともいえるかもしれない。
 御本仏が厳然とおられた当時も、これだけの難があった。苦難の連続であった。「幸せになるために信仰したのに、どうして……」と思う門下もいたにちがいない。
 しかし、″仏法は道理″である。空想的な魔術か何かのように、ひとたび祈れば、たちどころに何もかもうまくいく――そんな道理はない。広布は、どこまでも「現実」の中で、一歩また一歩、「善」を広げていく戦いなのである。
 「現実」の社会には、複雑な人間模様が渦巻いている。「三類の強敵」と説かれるごとく、真の法華経の実践者であるほど、敵も多く、攻撃も激しい。
 また時代とともに、攻撃もより巧妙に、もっともらしく、思いもよらぬかたちで行われることもあろう。「イメージ戦略」も″高度″になっていくと考えられる。
 だからこそ、一切において「是」は「是」、「非」は「非」と明確に立て分け、見極め、また反省すべきは反省しながら、「信心」だけは絶対に、いささかも揺らぐことなく、ただ前へ、さらに前へと進んでいただきたい。
 いかなる理由であれ、広宣流布の勢いを弱める結果となれば、それは「魔」に敗れた姿である。何があっても、信心の「心」はカラリとして、いよいよ元気に、いよいよ聡明に、いよいよ朗らかに進んでいけば、魔は退散していく。それが、本当の「信心」の力である。「煩悩即菩提」で、一切を歓喜と福運の方向に転換していくことができる。その戦いがあるからこそ、自分も鍛えられ、「成仏」も実現するのである。(拍手)
15  プラトン――「感謝」と「大安心」の境涯
 さて、「プラトンすなわち哲学であり、哲学すなわちプラトンなのだ」(「代表的人間像」酒本雅之訳、『エマソン選集』6所収、日本教文社)とうたわれた、大哲学者プラトン。彼の晩年の口ぐせは何であったか――。それは決してむずかしいことではなかった。
 一つは、「ありがたい。じつに、ありがたい」という感謝の言葉であったという。何が、ありがたかったのか。
 第一に「人間に生まれたこと」であった。動物などではなく、人間に生をうけることが、どれほどまれな、ありがたいことであるか――。仏法でも、この点を強調している。
 第二に、「アテネ市民に生まれたこと」。私どもでいえば、仏勅の「創価学会員」となれたことが、これにあたるであろう。
 そして第三に、「ソクラテスの弟子となったこと」である。
 次元は異なるが、私どもは、御本仏日蓮大聖人を根本の師と仰ぎ、殉教の牧口先生、戸田先生の門下として、「世界広宣流布」の大偉業に邁進している。これほど尊く、ありがたい人生は絶対にない。
 そのすばらしさを自覚できる人は幸せである。限りなく境涯を開いていける。学会の存在を、決して簡単に考えてはならない。(拍手)
 プラトンは八十歳まで生きたと伝えられる。「ああ、ありがたい。じつに、ありがたい」。老哲学者の、なんと澄みきった心境であろうか。
 感謝の一念は、福徳を増す。文句の心は、福運を消す。周りをも、もやもやとした霧でつつんでしまう。
 どうせ生きるならば、楽しく生きたい。同じく信心するならば、すっきりと、妙法の無限の功徳を受けきっていける信心でありたい。(拍手)
 さて、もう一つ、プラトンがつねに語っていた言葉は「何も心配ない」であった。
 晩年の大著『国家』にも、「人の世に起る何ごとも大した真剣な関心に値するものではない」(田中美知太郎訳、岩波書店)とつづっている。
 かといって、何の苦労もない、平穏な人生だったわけではない。正反対であった。波瀾万丈の一生であった。
 青年時代には、無二の師匠と仰いだソクラテスが殺された。みずからも亡命を強いられた。奴隷に売られたこともあった。幽閉され、命をねらわれ、卑しき人々に侮辱され続けた。また、仲間や政治家(王)にも裏切られた。
 自分の教えを守らない弟子たちにも苦しめられた。門下の軽率のため、本来、被害者である彼が、加害者のごとく非難されたこともあった。「哲人政治」の理想への道は遠く、あらゆる苦悩を経験した。
 それでも、なお彼は若き日の師への「誓い」に生きぬいた。著述に、人材の育成に、社会への働きかけに――最後の一瞬まで、戦いぬいた。十界でいえば、「菩薩界」のような献身の生涯であったと思われる。
 そうした「戦士」の結論が、「何も心配ない」であった。鍛えに鍛えぬかれた「大安心」の境涯であった。(拍手)
 たとえ、その時は「たいへんだ、どうしようか」と思われるようなことでも、過ぎ去ってみれば、何でもない、小さなことに見えてくる。このことは、戸田先生もよく言われていた。そうした境涯の高みから、すべてを悠々と見おろして、三世にわたって堂々と生きぬいていく。それが真の仏法者である。
 ともあれ、″私は楽しい″″私は感謝する″″私は安心だ″――この境涯、この晴れわたる「精神の王国」に、彼の「哲学」即「人生」の勝ちどきがあったと私は思う。(拍手)
16  「難即安楽」の信心に行き詰まりはない
 何も心配ない――。次元は異なるが、大聖人は、より一歩進んで「難来るを以て安楽と意得可きなり」――難が来たことをもって安楽と心得るべきである――と仰せである。
 大聖人の御一生は、二度に及ぶ流罪をはじめ、迫害また迫害、難また難の連続であられた。いったい、どこに安楽があるのか――多くの門下のなかには不信を起こす者もいた。
 しかし、大聖人は難こそ安楽であると述べられ、さらに、繰り返し繰り返し、「幸なるかな」、「悦ばしいかな」、「大に悦ばし」、「あらうれしや・あらうれしや」等と仰せになっておられる。また「幸なるかな楽しいかな」との大境界であられた。
17  難が起きることは、経文に照らして必然である。広宣流布が進めば進むほど、それを妨げようとする「三障四魔」の働きがますます強くなることは当然であり、ある意味で仕方のないことである。避けようがない。
 ゆえに、大切なのは、それをどう「変毒為薬」し、新たな前進への力としていくかである。
 嵐が吹きすさぶたびに動揺したり、ただ嘆いているばかりでは意味がない。何が起ころうとも、一切を広宣流布への″追い風″にしてみせるとの強靭な「一念」さえあれば、必ず道は開けていく。
 「現在」からつねに「未来」を志向し、ただ前へ、そして前へと進みゆく――この「現当二世」の信心で、今日までの学会の大発展の歴史は築かれてきたのである。(拍手)
 「難」がなければ、真の「仏道修行」ではない。「戦い」がなければ、真の「幸福」もない。それでは、本当の人生とはいえない。成仏もない。
 「煩悩即菩提」である。「罰即利益」である。こう定めた信心に行き詰まりはない。(拍手)
18  「境涯」の力は不思議である。「一念」の力は無限である。同じ環境、同じ状況にあっても、わが「境涯」と「一念」しだいで、百八十度、違う結果となり、人生となろう。
 「広布前進」への一念強き人は、風が雲をみるみるうちに追い払うように、わが福運の青空を晴れやかに、急速に、大きく広げていくことができる。
 どうか皆さまは、「感謝」と「大安心」の一念をもった「境涯の帝王」「心の帝王」として、世界最高のすばらしき、自在の人生を生きぬいていただきたい。(拍手)
 長野の皆さま、全国の皆さま、きょうは本当にご苦労さま! 健康と充実の日々でありますよう念願し、本日のスピーチを終わります。
 (長野研修道場)

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