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日蓮大聖人・池田大作

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「長野県婦人部の日」記念研修会 行動する人生か、傍観者の人生か

1991.97.26 スピーチ(1991.4〜)(池田大作全集第77巻)

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2  私どもは決して、「民衆の幸福」という根本目的を忘れてはならない。ここに仏法の本意がある。しかし、既成仏教も含め、多くの宗教は、この本来の目的への真摯な努力を放棄し、財産を蓄えながら、かえって宗教的権威のもとに「民衆」を奴隷化しようとする傾向がある。
 この本末転倒を正し、真の「民衆のための宗教」の時代を築きゆく「宗教革命」――これが、七百年前、日蓮大聖人が敢然と始められた「広宣流布」の戦いであると拝される。そして、ここにわが創価学会の誉れの使命がある。
 日蓮大聖人は、「観心の本尊」と仰せである。その深義をふまえたうえで、平易にいえば、「信心」こそが「観心」となる。一切衆生が「信心」によって成仏できることを、御本仏がお約束くださった本尊なのである。
 ゆえに大切なのは「心」である。
 大聖人は「此の御本尊も只信心の二字にをさまれり」――この御本尊も、ただ「信心」の二字に収まっている――と明言されている。
 また「ただ心こそ大切なれ」、「心こそ大切に候へ」と教えてくださっている。
 広宣流布をめざす「一心」、人々の幸福を祈り、動く「一念」、ともに仏子を守り、栄えさせていこうという団結の「心」――そうした「信心」によってこそ、御本尊の偉大な功力があらわれるのである。
3  どんな高性能の車でも運転する人の「心」が狂っていれば、事故を起こしてしまうであろう。また走らせる力がなければ、何の価値も生まない。ともあれ、人が目的地に着くための車である。車のために人間がいるわけではない。
 次元は異なるが、宗教もまた人間のためにある。民衆のためにある。これこそ大聖人が繰り返し、また身をもって教えられた「宗教革命」の精神である。
 私どもは、この精神で、どこまでも民衆とともに、民衆のために、民衆の最大の味方として進んでいきたい。(拍手)
 また一次元からいえば、広布の戦いは、正法を掲げての言論戦、″言葉の戦い″である。納得と共感を広げゆく戦いである。
 私どもにとっては、″口は最大の武器″である。しかも、どんなにしゃべってもタダである。(爆笑)
 リーダーは「明快に」語らなければならない。「あいまい」は皆の心を曇らせる。一時的にうまくとりつくろおうとするような「策」は、信頼の絆をみずから断ち切ってしまう。皆の心を、すっきりと、晴ればれと、明るくさせていくためにリーダーがいることを、あらためて強調しておきたい。
 きょうも大切な一日であり、大切な時間であるゆえに、何点かにわたってスピーチを残しておきたい。
4  芥川作『鼻』にみる「傍観者の利己主義」
 はじめに、「うわさ」の心理について考えてみたい。作家・芥川龍之介(一八九二年〜一九二七年)の出世作は、短編小説『鼻』である。夏目漱石に絶讃され、彼はここから文壇に躍りでた。説話集『今昔物語』等を題材にした、平安時代の話である。
 ――京都に一人の僧侶がいた。彼は「鼻が長い」ことで有名であった。二十センチ近くのソーセージのような鼻が、顔のまん中からぶらさがっている。食事をするときも一人では食べられない。おわんの中に鼻の先が入ってしまう。
 そこで、弟子の一人を使って、細長い板で鼻を持ち上げてもらいながら食べる。不便で仕方がない。一度など、弟子がくしゃみをして板がふるえ、熱いお粥の中に鼻を落としてしまった。
 彼はつねにこの鼻を気にかけていた。人々がみな笑っているような気がしてならなかった。また実際、人々は何かと彼の鼻のうわさ話をして、自分たちの憂さを晴らそうとした。
 彼はなんとか安心したかった。寺に出入りする人々を見ては、自分と同じような長い鼻の人間はいないかと、根気よく探した。いないとなると、過去の″大人物″の中に、長い鼻の人を探した。だが舎利弗も目連もみな、ふつうの鼻であった。
 他の人に自分と同じ欠点があったところで、自分の鼻がそのぶん短くなるわけではない。にもかかわらず、いつも彼は″同類″を夢見、探した。
 また積極的に、鼻の短くなる方法も試してみた。いかがわしい薬も飲んだ。ネズミの尿を鼻につけたこともある。
 全部うまくいかなかったが、やがて耳よりの情報がきた。お湯で鼻をゆで、ゆだった鼻を人に踏ませる。これを繰り返す――という治療法である。
 さっそく、やってみようとしたが、ふだんから「自分はこんなつまらないこと(=鼻のこと)など、まったく気にしていない」というそぶりをしていたので、自分からは言いだせない。それとなく、弟子の小僧のほうから勧めてくれるようにしむけた。
 治療は成功した。アゴの下まで垂れ下がっていた鼻は、短くなり、上唇の上までになった。「これでもうだれも笑わないだろう!」。彼は鏡を見て満足であった。
 ところが、二、三日たつと妙なことに気づいた。訪れた人々が、前よりもいっそうおかしそうな顔をして、じろじろと彼の鼻を見つめるのである。表向きは、笑いをこらえながら、陰でくすくす笑い合っているようだ。彼は「これなら前のほうがよかった」とふさぎこんだ。
 作者(芥川)は、『鼻』の中でこうした人々の心理を「傍観者の利己主義」と呼んでいる。
 他人の不幸に同情しないわけではないが、その人が不幸を克服すると、今度は何となく物足りない。それどころか、かえってもう一度、不幸につき落としたくさえなる。いつのまにか、ある種の敵意すらその人(幸福になった人)にいだくにいたる――と。
 俗に「不幸に同情してくれる人は多いが、幸福をともに喜んでくれる人は少ない」という。無意識の嫉妬が働くからであろうか。
5  ――先日(五月十日)、アメリカ・ハーバード大学のナイ教授と会談したが、ハーバード大学では、「われわれは行動する人間を育てる。『傍観者』や『見物人』、他人の労苦を口うるさく批評する『評論家』などを養成するつもりはない」との精神という。
 世界の一流の人材を輩出してきた最高峰の大学にふさわしい理念である。私は、さすがであると感銘した。
 傍観者は、どこまでいっても傍観者である。何の創造の労苦もなく、人の揚げ足とりに熱中する。身につけた知識も、それでは何の価値も生まない。むしろ害毒とさえなろう。
 「傍観者の利己主義」がはびこってしまった社会は不幸である。たとえ分野が異なっても、「行動者」同士は話が通じる。
 人類と社会への責任感をもっているからである。しかし「傍観者」「見物人」には責任感がなく、ゆえにいくら多く集まっても価値を創れない。また人生の主体者ではないゆえに、真の充実も幸福もないであろう。
 「行動する人間」には、当然、苦労も大きい。無責任な批判も多い。しかし、生命の底からの充実と満足は、その人のものである。
6  鼻が短くなったのに、周囲が喜んでくれるどころか、冷笑するのを見て、僧は後悔した。彼が不機嫌なのを見て、周囲はますます陰で悪口を言った。彼は苦りきった。
 ――ある夜のこと、鼻がむずむずする。熱も出てきた。すると翌朝、鼻がもとに戻っていた。昔のとおりの長い鼻である。彼は内心、小躍りした。
 「これでもうだれも笑わないだろう!」
 鼻が短くなった時と同じ、晴ればれとした気持ちであった。
 ――物語は、ここで終わる。
7  ″信念ある人″は皆の幸福を喜ぶ
 人々は彼のことをもう笑わなくなったかどうか、それは定かではない。ともあれ、ことわざにもあるように、「人の口に戸は立てられない」ものである。鼻が長ければ長いで悪く言うし、短くなればなったで陰口をきく。
 貧乏であれば蔑むし、裕福になれば妬む。不幸な人が集っていると罵って、皆が幸福な集いに変わると「何かごまかしがあるのではないか」と勘ぐる。
 どちらにしても気に入らないのである。明確な基準があるわけではなく、その場かぎりの「感情」だからである。私どもも、このとおりの、ありとあらゆる中傷をあびてきた。こうしたものに振りまわされていたら、『鼻』の僧のように、自分が惨めになるだけである。
 「戦わない人」「行動なき人」は、他人の不幸を待ち望む。そうした妬みは、もっとも非生産的な感情である。無限に価値を創り、価値を広げゆく、わが″創価″と正反対の卑しい心なのである。まして、意図的な悪口を、見破れないようではしかたがない。
 これに対して「信念ある人」「行動する人」は、皆の幸福を心から願い、心から喜ぶことができる。みずからが悩み、動き、戦うゆえに、人の心がわかる。共感できる。`
 また「自分自身の人生を生きている」ゆえに、他人と比べて一喜一憂する必要がない。人が幸福になったから自分が不幸になるわけでも、人が不幸になったから自分が幸福になるわけでもないことを、よく知っている。むしろ友が幸福になるほど自分も幸福になるのが、真の″人間の絆れである。そうした友がいれば、不幸すら半分になるであろう。
8  「うわさ」とは――と、あるアメリカの作家は、こう定義した。「人の評判を抹殺しようとする暗殺者たちが好んで用いる武器」(A・ビアス『悪魔の辞典』西川正身選訳、岩波童日店)と。″他人がほめられるを我慢できない″人がいるものだ。そこで「うわさの弾丸」を撃つ。「暗殺」だから姿を見せない。つまり、はっきりと根拠を示さない。出所不明、真偽不明のうわさだけを独り歩きさせる。まさに、黒い闇の中から放たれた凶弾そのものである。しかも被害者のほうが悪く言われる。こんな道理に反したことはない。
 いったい撃ったほうが悪いのか、撃たれたほうが悪いのか。凶弾に倒れたリンカーンやケネディが悪くて、暗殺者のほうが正義なのか。
 道理は明白であり、カラクリも決まりきっている。ゆえに智者は、根拠のない話に耳をかさない。むしろ、そうした話をまき散らす人々の心根を哀れむ。
9  中国の格言に、「流言は智者に止まる」(『荀子』)と――。つまらないうわさ話は一般人の間を流れるが、智者のところで止まって、それ以上伝わらない、という意味である。
 「情報化社会」が、傍観者の利己主義に侵されると、人権無視の「うわさ社会」「嫉妬社会」へと変貌してしまう危険性が高い。「流言」の本質を見抜き、「流言」に動じない智者の集いであってこそ、「情報化社会」を幸福な「知恵の社会」へとリードしていけるのである。
 ともあれ、われらの広宣流布の舞台は、善きにつけ悪しきにつけ、こうした「人間」の世界である。他者のために献身しゆく「人間」と、他者の足を引っ張ろうとする「人間」が共存する世界である。また、そこに織りなされる赤裸々な人間心理を深く、痛切に学びゆける、民衆の「人間学の大学」である。
 たとえ低次元ではあっても、世の中が、そうした低次元のことで動いているのは事実である。とくに日本の社会は、あまりにも低次元のことが横行する湿地帯のような側面があるとは多くの識者の指摘である。その現実は現実として、私どもは賢明に知りぬいておくべきであろう。
10  大魔の使いにだまされるな
 仏道修行を妨げる「魔」は、どんな特徴をもっているのか――。このことについては、前にもお話ししたが(六月一日、第四十三回本部幹部会)、ここでふたたび御書を拝し、心に刻んでおきたい。
 大聖人は、南条時光に、警告の意味をこめて、次のように仰せである。
 「大魔のきたる者どもは一人をけうくん教訓をとしつれば・それひつかけ引懸にして多くの人をとすなり
 ――大魔がとりついた者たちは、一人を教訓して退転させたときは、その一人をきっかけにして多くの人を攻め落とすのである――。
 「日蓮が弟子にせう少輔房と申し・のと能登房といゐ・なごえ名越の尼なんど申せし物どもは・よくふかく・心をくびやうに・愚癡にして・而も智者となのりし・やつばら奴原なりしかば・事のこりし時・たより便をえて・おほくの人を・おとせしなり
 ――日蓮の弟子の少輔房といい、能登房といい、名越の尼などといった者たちは、欲深く、心は臆病で、愚かでありながら、しかも自分では智者と名乗っていた連中だったので、ことが起こったときに、その機会に便乗して、多くの人を退転させたのである――。
 大聖人が、退転した僧侶や、在家の大先輩たちを例にあげられているように、「魔」といつても、いわゆる外の世界からだけ競うものではない。この原理は永遠に不変である。
11  また「邪法」と戦うのであれば、世間には多くの「邪法」があるのに、それらには目もくれない。むしろ、外面は立派そうな大聖人門下の姿をしながら、心の中では、真の仏子の集いを切り崩すことに喜びを見いだす――「大魔」のつきたる者の残忍な、どす黒い心根である。
 彼らは、大勢の前で堂々と正面きって自説を主張することはしない。実情を知っている人がその場にいれば、たちまちウソが露見するからである。
 先の御文の前段では「たばかり」(はかりごと)と断じられているが、彼らは陰のほうでこっそり策謀をこらす。そしてまず「一人」を退転させる。それを足がかりに広げていこうという計略である。こうした人間は、まさに″泥棒″のような、いまわしい存在であると、仏法では説く。
 性格的には「欲が深い――少欲知足でない」「臆病である――権力とは戦わない」「愚かで物覚えが悪い――信心の″心″が身につかない。またグチっぼく、信念がない」「にもかかわらず、うぬばれが強く、自分は智者とおごり、いばっている。尊敬されたがる」。こういう者があぶないとお示しである。
 こういう人間は、ふだんから自分の信念で行動しているわけではない。何かあると、時の勢いに便乗して、蠢動(うごめく)し始める。状況が変われば、また、手のひらを返すように急変する。信じてついていった人こそ哀れである。
 ――こうした特徴のある者は「大魔」の使いであるからだまされるな、との大聖人のお教えである。
12  「学会員を寺に横取りしてはならない」
 さて、日達上人は、僧侶に対し次のように述べられている。(昭和四十八年八月三十日、第二十二回教師講習会開講式。『日達上人全集』)
 「僧侶はとかく信者が折伏して信者を連れてくる。それに対してご授戒をして法要をする。そうするとお寺も信者がふえることによって、みな裕福になっていくということは当然でございます。しかし、それに甘んじておってはいけないのである。甘んじるばかりか、かえって連れて来た信者を非常に悪く取り扱う。こういうことは僧侶として恥ずべきことであると私は思うのであります」
 そして、具体例をあげられながら「これではせっかく学会の人が折伏して汗水たらして連れてきた人に申し訳ない」「そういうことが頻々とあるならば、私はそういう人を処分しなくてはならん。僧侶として寺院をやっていく値打がないじゃないですか。みなさんどう思いますか。ただ金さえ持って来ておれば、寺が繁盛すればそれでいいか、それは通らないと思います。だから一方からいえば、僧侶は金ばっかり貯めておる。ある人は億に近い何千万の金をもって裕福に暮しておる。我々はめしも食わないで折伏して歩いておるということを信者の人から言われてもやむをえないじゃないでしょうか」と。
 さらに「信者に対して騎慢であってはいけない。また一寺の住職であるといっても、寺のことや宗門の学問のことは充分にわきまえているけれども、社会の生活の面においてはまことに疎いのである」とされ、「お寺としては世間的生活指導はむずかしいのであってできることではない。世間の生活の本当の苦しみを知らないからしてそれはできないはずである。それを口先だけでもって指導しようという根性は今後やめてもらいたい。もしそういうことができたならば、どうか幹部の方へいってくれ、学会ならば学会の幹部へいってよく相談しなさい。また、法華講なら法華講の幹部へいってよく相談してもらいたいとはっきり言ってもらいたい。そこをあやふやにして、ああだこうだと自分勝手なことを言って、しかもその人を自分のものに手なづけておるということはもっとも危険な考えと思うのであります」と述べられている。
 そして、「今まで学会なり法華講なり、十分に指導しておるのを横取りして、つまらない人情にかられて自分の子分にしようという根性がもしあるならば、今日以後止めていただきたいと思うのでございます」と明確にされている。この教えに背く僧侶がいれば、先師への師敵対であると私どもは思う。(拍手)
 続けて「せっかく働いて下さる学会の人たちを大事にし、宗門を発展していくことが宗祖の教えのどこに背くか。少しも背いていないのであります」とも断言されている。
 「学会の人を大事にする」ことが、大聖人の教えにかなう道であると、みずから強く教えられたお言葉である。
13  さらに御書を拝したい。
 「正義」が明白であるにもかかわらず、どうして、その正義を認め、従うことができない人々がいるのか。その理由の一端について、大聖人はこう仰せである。
 「少し自義に違う文有れば理を曲げて会通を構え以て自身の義に叶わしむ、設い後に道理と念うと雖も或は名利に依り或は檀那の帰依に依つて権宗を捨てて実宗に入らず
 ――自分の邪義に少しでも合わない経文があると、道理を曲げて、なんとか筋道をとおそうとし、無理に自分の邪義に合わせる。たとえ、あとから経文の内容が「道理である」と心で思っても、あるいは自分の名声や利益のため、あるいは自分に帰依している檀那の手前もあって、誤った教えである権宗を捨てて、正しい教えである実宗(法華経)に入らない――。
 これは、権経の人々が、我慢偏執のために、法華経を持てない姿を描かれた御文である。
 都合の悪い経文があると、へ理屈をつけて、自分の邪義に無理やり合わそうとする。内心では「正しい」と思っても、名利や見栄にひきずられて、勇気をもって「正義」を支持することができない――。
 時光に警告された「大魔」の使いも、正しいものを正しいと認めたがらない点では、これ以上にかたくなである。そして、このことを指摘されればされるほど、ますます妬みと憎悪の炎を燃やし、なんとかその思いを晴らそうと悪逆の企てをめぐらすのである。
 ゆえに大聖人も迫害の連続であられた。私どももまた、真の門下として、その誉れの道を進んでまいりたい。
14  近代史に″四十年周期″のリズム
 本年は、戸田先生の会長就任、いわゆる″広宣流布への宣言″から四十年。そのうち、先生が逝去されてから今までの三十三年間、私は弟子として、師の遺命を実現せんと、走りに走ってきた。まさに万年への土台をつくった四十年であったと確信する。
 ところで、不思議なことに、近代の歴史は、″四十年″を周期に、大きなうねりを描いている。たとえば――。
 フランス革命(一七八九年)から四十年後、紆余曲折のあげく、革命の総仕上げともいうべき七月革命(一八三〇年)が発生。貴族(土地貴族)の支配に息の根をとめ、ブルジョア(資本家)の時代が始まった。
 また、「帝国主義」の時代も、その本格的開幕は、ドイツ帝国誕生(一八七一年)、イタリア王国誕生(一八七〇年)にある。その約四十年後、帝国主義の″結実″である第一次世界大戦(一九一四年)が始まっている。
 ロシアの「共産主義革命」も、プレハーノフらマルクス主義者が「労働解放団」を創設したのが一八八三年。その四十年後の一九二二年末、「ソ連邦」樹立の宣言が行われた。
 これは、もとより厳密な理論ではないが、たんなる年数合わせにとどまるものでもない。四十年という年月は、ちょうど、前の大事件後に生まれ育った世代が、人口の大半を占めるにいたる程度の時間と考えられる。世代交代の完成に要する期間ともいえようか。
 すなわち、前の世代の敷いたレールを走り、一つの達成を見る。しかし一方では、″出発点″の背景や心情はもはや遠く、まったく新しい時代を迎えている――。
 日本の近代もまた、四十年の周期をもっている。
 日本の正式な開国は一八六五年、五カ国通商条約の経解をもって始まる。欧米に″追いつけ″との目標は、四十年後、日露戦争の勝利(一九〇五年)という″到達点″をえた。
 その勝利に有頂天となり、傲りに傲って、四十年後、第二次世界大戦(太平洋戦争)における「敗戦」(一九四五年)を迎える。
 それからさらに四十年で、経済大国となり、ふたたび″日露後″のような傲慢が日本を侵しているようだ。「このままでは、日本に繁栄の二十一世紀はありえない。すでにピークは超え、衰亡に向かっている」と嘆く識者は多い。
 社会の変化の要因はさまざまであるが、せんじつめれば、人間の「一念」に帰着するであろう。傲りの一念は滅びの因、謙虚な自制と挑戦の一念が発展の原動力である。
15  ″つねに出発″の信念で、今こそ万代の基盤を
 ともあれ、四十年は、ひとつの時代の終わりであり、新しき舞台への出発である。仏法は「現当二世」と説く。「現在」を出発点として「未来」をどうするか。どのような″四十年後″をつくりゆくのか。その″つねに出発″の信心が大切であろう。
 四十年後(二〇三一年)は、学会創立百周年(二〇三〇年)を超えている。
 今、私どもが営々としてまいている妙法の種、人材の種、友情の種――。その無数の種子が、″創価百年″の黄金時代には、盤石なる″広宣の大地″の上に、壮麗にして豊饒な文化・教育・平和の″花ざかりの森″を世界中に広げていよう。私には、その雄大な光景が、パノラマのようにありありと目に浮かぶ。
16  大聖人の御遺命は「世界広宣流布」。私どもの本格的な活動はこれからである。舞台は「未来」であり、「地球」である。現実にしっかりと根を張りながら、今までの十倍、二十倍の力を発揮し、福運をつけ、「歓喜のなかの大歓喜」の世界を広げてまいりたい。なかんずくここ数年で、あらゆる意味で、万代への、さらに盤石な基盤を築いておきたい。
 ゆえに、胸中に満々たるエネルギーを蓄えていただきたい。心身ともに健康であっていただきたい。それが私の最大の願いである。日々、真剣に祈念している。安心して、存分に戦ってください。きょうは本当にご苦労さま。ありがとう!(長野青年研修道場)

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