Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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関西会・長野の代表研修会 「権力に従うな、法に従え」

1991.7.25 スピーチ(1991.4〜)(池田大作全集第77巻)

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2  仏法の本意は、すべての人間が平等に″楽しき人生″″希望の人生″を開きゆくところにある。
 御書には「仏法は自他宗異ると雖も翫ぶ本意は道俗・貴賤・共に離苦得楽・現当二世の為なり」――仏法は自宗、他宗の違いはあっても、それを習う本意は、僧侶と在家、身分・地位の差別なく、ともに、現世と来世にわたって、苦しみを離れて楽しみを得るためである――とある。
 だれよりも楽しき人生を生きゆくための信仰である。現在から未来へ、かぎりない希望を開いていくための信仰である。この一点においては、だれ人も平等であるとの言である。
 この仰せを拝する時、信仰者の″楽しき人生″を妬み、圧迫し、破壊する権利は、だれにもない。苦しめられて我慢せねばならない義務もない。(拍手)
 次元は異なるが、音楽や芸術も、そうした楽しき人生、未来への希望の、表現であり、発露であるといえる。御書にも引用されているが、中国の『礼記(楽記)』には「治世の音は安んじて以て楽しむ其の政和げばなり」(平和な世の音楽はやすらかな調べで、民衆が楽しむ。それは政治が平穏だからである)とある。
 戸田先生も「民族の興隆のときには、必ず歌が起こる」と言って、庶民の歌声をこよなく大切にされた。民衆が伸び伸びと朗らかに歌声をあげ、音楽を、芸術を楽しんでいける。それこそ平和の証であり、また賢明なるリーダーシップのあらわれである。逆に、民衆の歓喜の歌声を封ずるようなことは、まさに、圧政の象徴であることは歴史が証明している。
3  コロンビア建国の父(サンタンデル将軍)の正義と迫害
 さて先月二十四日、南米コロンビアのバルコ前大統領(一九二一年九月生まれ、当時・駐英大使)とロンドンで再会した。午前中、サッチャー前首相と再会した日の午後であった。
 立場は変わっても、友情は変わらない。変わらないからこそ友情である。席上、前大統領は、コロンビア共和国の初代大統領であるサンタンデル将軍(一七九二年〜一八四〇年)のことを熱っぽく語られた。
 大統領時代、みずから将軍の全記録を出版する計画を進められ、それは百巻を超える大事業となった。この日も、書斎に案内してくださり、「百数巻のうち持っておられない巻があれば全部、さしあげます。日本にお持ち帰りください」とまで言われた。
 「わが国をつくった人ですから」――サンタンデル将軍のことを宣揚したいという情熱の理由を、前大統領は淡々とこう語られた。
 つねに「原点」を大切にし、探究し、つねに「原点」から出発する。その、バルコ前大統領の信条と行動に、私は感銘し、何かの機会に、日本で将軍のことを語る約束をした。そこできょうは、コロンビア建国の父サンタンデル将軍の生き方をとおして、少々お話ししたい。
4  ヴィクトル・ユゴーは、コロンビアの「憲法」(一八六三年のリオネグロ憲法)を読んで叫んだ。「ここに天使の国がある!」と。
 そこには、最大限の「個人の自由」と、中央権力の制限、地方分権主義、自由経済、そして教会権力の抑制がうたわれていた。この自由主義的改革は、ユゴーが驚いたごとく、当時の世界でも最先端のものであった。
 ただ少々″早すぎた理想″だったのかもしれない。人々は「自由」の正しい使い方を十分には知らず、かえって内乱状態になってしまった。ついに約二十年後、より保守的な憲法にとってかわられる結末となった。
 振り子が反対側に揺れる――こうした事例は歴史上、珍しくない。そうならないために、理想と現実との調和をどうとるかに指導者の使命があり、苦衷がある。
 それはそれとして、こうした「自由」への理想の源流が、初代大統領サンタンデル将軍である。
 「横暴な権力に立ち向かい、自由の炎をたぎらせた市民の団結――それのみが善と幸福な未来の源泉です」
 彼がこう語ったのは、不当な追放刑による亡命のさなかであった。南米解放の父シモン・ボリバルの″右腕″として、南米の独立に不滅の大功労を残したサンタンデル将軍。彼は、ボリバルとの意見の違いを利用されて、追いおとしの密謀の犠牲になる。「ボリバルを暗殺しようとした」というのである。
 何の証拠もなく、大功労者は国外へと追放された。財産も地位もすべて奪われた。
 ボリバルの華やかな活躍の陰で、つねに彼を支え、国を治め、公庫(財政)を豊かにし、独立軍に物資を送り、自由主義の改革を推進した彼。サンタンデル将軍こそは、実質的な″新国家の柱″であった。ボリバルと将軍の二人が力を合わせたからこそ、三百年にわたる悲惨な植民地支配に終止符を打てたのである。彼は「勝利を組織した男」とも呼ばれた。
 問題は、独立後にあった。
 君主制の確立を試みるボリバルと、根っからの共和派のサンタンデル将軍との意見の相違である。将軍は、あくまで権威主義に反対し、自由主義を唱えた。本人たちの友情は友情として、この対立が、それぞれの支持者の勢力争いに利用された面があった。
 バルコ前大統領は「二人が心の中まで敵対したわけではなく、むしろ、二人をかついだ双方の支持者同士が対立し、争いがエスカレートしていったのです」と、当時の事情を説明してくださった。
 そしてサンタンデル将軍に死刑の宣告。やがて減刑されたものの国外追放――。
 しかし、彼の″自由の炎″は、迫害によって、いよいよ燃えさかった。「広大な南米の多くの指導者のうち、ただ彼だけが、共和制と民主主義に反対する雪崩に抗して、毅然と立っていた」といわれている。
 彼は、自分の正しさを確信していた。
 「残酷な迫害は、つねに私の最高の栄誉の勲章である。迫害は、私から国民としての権利を奪い、祖国を奪った。私は見知らぬ土地に放りだされた。暴力と復讐が私から奪い取れなかったもの――今や、それのみを私は持つ。それは、純粋な良心の証、長く祖国に仕えた記憶、そして真の自由ヘの愛である」
 「私を攻撃する手が、高く上げられているなら、汚名は私にではなく、手を上げたほうにある」
 「私は、財産と、生命をも失うかもしれない。しかし、誇りは絶対に失わない」
 「いつの日か、道理と正義が、私の正しさを証明する日が来るだろう! その『希望』のほうが、今、権力者にへつらって得られる地位や敬意よりも価値がある」
 やがて、彼の「希望」は実った。およそ四年にわたる追放のあと、ボリバル亡きあとに成立したコロンビア共和国(当時はヌエバ・グラナダ共和国)の初代大統領として迎えられたのである。(一八三二年。三七年まで大統領)
 ボリバルは死の一カ月前、将軍との対立を後悔した手紙をある人に書いている。
 「サンタンデルとの仲をとりなさなかったことが、われわれを堕落させた」と。
5  「正しき法」の前に万人は平等
 サンタンデル将軍は「自由と規律」の人であった。それは「法に従う」ことの両面を意味した。「法に従う」という″要″があるゆえに「自由」があり、「規律」があった。彼は、「自由なき独裁」にも「規律なき無政府状態」にも反対した。
 「武器が汝らに独立をもたらしたなら、法が汝らに自由を与えるだろう」
 「市民が畏敬すべきものは公の役職を持つ者(=高位の人)ではなく、『法』のみである」
 「すべての人に平等の権利を! 『厳格なまでに平等』の権利を!」
 「われわれは、いかなるものの奴隷にもなるべきではない。ただ『法』だけの奴隷となるべきだ。そして、『自由への競争』を開始するのだ。『理性』と『権利』を存分に使う決心で――」
 「団結と『法』への忠順は生をもたらし、争いは死をもたらす」
 まさに、社会の混乱は、正しき「法」に従わず、「人」に従わせようとする傲慢から生まれる。
 「法」をゆがめ、無視し、逸脱し、みずからのエゴをとおそうとする「人」の放縦、横暴――。それは「権力」の魔性そのものの姿である。歴史上、つねに見られた悲劇である。
 これらの将軍の言葉には、いわば「われ、『権力』には従わぬ、ただ『法』のみに従う」との信条が貫かれている。
 中心に置くべきは、あくまでも「法」である。無法の「権力」を恐れ、羊のように従うことは、人間として「敗者」となる。どこまでも私利私欲を捨てて、正しき「法」に従い、「法」を守り、「権力」と戦う人こそ偉大であり、勝利者となろう。
 次元は異なるが、仏法においては「法」に従うことによって成仏する。反対に、「法」に反した「人」への盲従は、地獄への道である。私どもは、どこまでも、また、いかなることがあろうとも、ただ日蓮大聖人の仰せどおりに行動していけばよいのである。(拍手)
6  「法の人」であったサンタンデル将軍はまた「教育の人」でもあった。発展の礎は教育にあると確信していた。
 重要なのは、彼が「教会に教育権を独占させてはならない」と強く主張し、実行したことである。彼は普通の学校はもちろん、神学校まで、政府の監督下に置いた。
 教育の内容も改めた。ラテン語など教会による古典の授業より、実用的な英語、フランス語の学習を優先させ、イギリスのベンサムの功利主義(「最大多数の最大幸福」を説く)など、時代の先端の思想を学ばせた。
 ボリバルは、この教育改革にも反対。いったんはカトリック教義の授業が必修になる。すると今度はサンタンデル将軍が、ふたたび、新思潮の勉強を復活させる――こうした食い違いが、しだいに両者の対立を増大していった。また何より、将軍が教会から憎まれたことは容易に想像できる。
 教育こそが、国民に「人間としての権利と義務」を教える――。この将軍の情熱によって、全国に教育施設ができ、「中央大学」も創立された。「出版の自由」も定められた。
 ある人はたたえた。「スペイン統治の三百年間、学校はつくられなかった。しかし共和国政府は、危険の多い独立戦争のまっただなか、大砲がとどろきわたるさなかで、教育を推進し、あらゆる場所に光を流布させた」
 「共和国政府」の中心がサンタンデル将軍である。「あらゆる場所に光を流布させた」――この讃辞は、将軍に贈られたといってよい。
 「学は光」「無学は闇」である。教育は、魂の闇を払う暁の光である。ゆえに、徹して学ばねばならない。賢くならねばならない。
 サンタンデル将軍は「戦いのまっただなか」で「教育」の栄光の旗を掲げたのである。
7  民衆の幸福と自由を阻む勢力と生涯戦う
 サンタンデル将軍は青年に一切の希望を託していた。独立の戦い自体、青年の勝利であった。最初に立ち上がったのは学生であった。また独立戦争に勝利した時、最高司令官ボリバルは三十五歳、サンタンデル将軍は二十七歳という若さであった。将軍は十八歳から戦いに参加した。
 青年が立てば、歴史は変わる。ゆえに青年は宝である。希望である。私も、青年の育成に全力をあげている。
 将軍は言った。「国民よ、私は若き日々を、ただの一度さえ不実を行わず、諸君の独立に捧げた。諸君の自由のために、わが一切の力と才能をそそいだ。国民よ、あなたたちの幸福こそ、わが心の崇拝の的なのだ」「わが命、わが財産は共和国のものであり、あなた方のものである」。
 民衆の幸福こそ、「わが心の崇拝の的」すなわち究極の願いである、と。これこそリーダーの精神でなければならない。
 いわんや、仏法の世界は慈悲が根本である。仏法の指導者は、だれよりも人々の幸福のために祈り、動き、尽くす慈愛の人でなければならない。いわんや仏子を苦しめるような行為は、仏法的にも、人間としても、決して許されないと私どもは思う。(拍手)
8  彼は国民の幸福を圧迫するものとは容赦なく戦った。その最大のものが教会であった。
 当時の教会の権力は大きく、財産も莫大であり、教会領は国土の三分の一に及んだ。聖職者の一部には、町で妻子と生活しているものもいた。「罪のゆるし」を与える代わりに、遺産をよこせと迫るものもいたと記録されている。
 教会は、サンタンデル大統領に始まる改革を「危険だ」と非難した。要するに、自分たちの財産や権力、尊敬にとって「危険」だったのである。
 進歩には反動が、改革には障害がつきものである。偉大な前進には、それだけ波浪も大きい。さまざまな評価があるが、当時は一面、「進歩の時代」であった。世界的な「自由の拡大の時代」であった。この変化の潮流には、大きな逆流も必然であった。
 (現在の教会では完全に否定されているが、将軍の死の直後、ローマ法王ピウス九世は、悪名高き「教皇無謬説」〈法王には誤りはない、すべて正しいとの説〉を唱えた。世界の″自由への大河″″理性の目覚め″を恐れた一時的反動である。
 ピウス九世があげた「破門に値する八十項目」のなかには、「理性に照らして真実と信ずる宗教を受け入れる自由を主張する者」「教会と国家の分離を説く者」「法王は、進歩、リベラリズム〈自由主義〉、近代文明と折り合いをつけることができると主張する者」――などが含まれていた。
 時代の進歩や人間の理性と、まっこうから対立してまで″特権″を守ろうとしたのである。この説は後に、教会からも邪義として否定された)
 将軍は自由を阻む旧勢力と一生涯、戦い続けた。同志にすら裏切られながら――。まさに「光」を求め「光」を流布しつづけた一生であった。
9  最後に、将軍の言葉を二つ紹介しておきたい。
 それは――「侮辱を与えられたとき、おとなしく落ち着いている者。それは『虚弱以下』であろう」(コロンビアの軍に)。すなわち、バカにされて、立ち上がらない者は、弱者どころか、それ以下である、と。
 もう一つは「敵(=スペイン軍)は、自らの無力に絶望している。そこで、あなた方(=コロンビア人)の不和を期待しているのだ。(=ゆえに団結して)『法の道』をしっかりした足どりで前進せよ! そうすれば彼ら(=敵)は自分たちの過ちに気づくであろう」(コロンビア人に)と。
10  民衆とともに、民衆のために
 光を流布する――創価学会は今や、全世界に「文化」と「友情」の美しきネットワークを広げるにいたった。仏法を基調にした平和・文化・教育の推進の運動は、各国の超一流のリーダーの絶大の信頼と評価を受けている。
 と同時に、私どもの最大の強みは、徹底して民衆に根ざし、民衆とともに進んでいる事実である。
 世界のトップレベルのネットワーク。そして民衆の側に立った運動。この双方を拡大しているところに、学会の誇りがあり、強さがあり、恒久性がある。
 そして全地球的な「立正安国」――すなわち正法による世界平和の建設を教えられた日蓮大聖人のお心にかなう道があると信ずる(拍手)。あまりにも高次元であり、先駆的であり、力強いゆえに妬みも多い。
11  ともあれ、かけがえのない大切な一生である。二度と戻らぬ貴重な一日一日である。これでよかったと満足できる、充実した悔いなき時間を重ねていただきたい。″有意義な一日″をつくりゆく努力。その繰り返しが″有意義な一生″を完成させていくのである。
 その意味で、この夏、存分に心身を鍛え、生命をリフレッシュし、また一歩、信心の境涯を開きゆく何らかの挑戦をお願いしたい。
 それでは、また、お会いしましょう。きょうは、本当にご苦労さま!(長野青年研修道場)

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