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日蓮大聖人・池田大作

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結成四十周年記念青年部総会 「人権」「文化」「世界市民」の時代に

1991.7.14 スピーチ(1991.4〜)(池田大作全集第77巻)

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1  「新しき歴史」開いてこそ青年
 「未来」は青年のものである。「世界」は青年の舞台である。「世界広宣流布」の未来は、すべて、SGI(創価学会インタナショナル)の青年部の皆さんに託す以外にない。この壮大な新世紀の道を継ぎゆく″新思考の旗手″、代表八十万人による記念総会、本当におめでとう!(拍手)
 また、ただ今は、音楽隊・軽音楽部の代表の方々が「The Path(道)」(イギリスの友の制作した曲)を、じつにすばらしい歌声で披露してくださった。本当にありがとう。(拍手)
2  さて、皆さんの唱題に支えられ、大成功で終えることができた今回のヨーロッパ訪問――。最終の訪問地となったイギリスで、私はロンドン市内の有名な公園であるハイド・パークを散策した。
 小雨が樹々をうるおす、さわやかな日曜日の午前のことであった。現地の青年部メンバー数人と語らいながら歩いた公園の美しい緑。傘をさしかけてくれた青年の凛々しいかんばせ――。忘れ得ぬ思い出を刻むひとときとなつた。
 イギリス、フランス、ドイツ。いずれの国もすばらしい広布発展の足跡を刻んでいた。とくに青年部は、社会的にも、また確固たる人格のうえでも、一騎当千の人材が数多く育っており、頼もしいかぎりであった。
 公園の横では、″朝市″が開かれ、手作りの工芸品などを売る店が並んでいた。私はそこで一枚の絵画を求めた。スペインの巨匠ゴヤの有名な「一八〇八年五月二日」の複製である。なお、スペインの男子部の皆さんからも、以前、同じ絵の複製を贈っていただいたことがある。
 ちなみに、現在、「ゴヤ展」(仮称)の実現に向け、東京富士美術館とスペインの関係者の間で準備が進められている。(=平成五年四月〜六月、「巨匠ゴヤの名作〈四大版画集〉」展として開催)
3  ゴヤのこの絵は、実際に行われたフランス軍によるスペイン農民の銃殺の場面を描いている。一八〇八年、ナポレオンのイベリア半島侵略に対してスペイン国民が立ち上がり、「半島戦争」が勃発した。ゴヤの「五月三日」は、前日の二日に起きた民衆の決起に対するフランス軍の弾圧の模様を題材としている。
 ナポレオンの命令によリフランス軍は、決起に関係したと思われるスペイン人を、裁判にもかけず死刑に処した。刑を執行する兵士たち。命令に従ううちに殺人が手柄のようになり、農民たちを次々と冷酷に射殺していく。
 この時、マドリードの市民はフランス軍兵士への怒りに燃えて、ゲリラ戦を展開していた。スペイン語で「小規模な戦闘」を意味する「ゲリラ」という言葉も、この戦いから有名になった。
 「どうすれば横暴な権力を倒し、祖国を守れるか」――。民衆が苦しみのなかから生みだした戦術であった。そして一八一三年、ついにナポレオン軍はスペインからの撤退を余儀なくされたのである。
 傲慢な権力の敗北であった。民衆の「勇気」と「団結」の勝利であった。「信念」で勝ち取った栄光であった。その史実は、祖国の平和と広宣のために戦う、スペインはじめ各国の同志の姿と二重写しになって、私の心に鮮烈に燃きついている。(拍手)
4  「小規模な戦い」とは、学会の実践でいえば「ミニ懇談」など、形式にとらわれない自在な価値創造の行動にあたるであろうか。少人数で、自由闊達に「人生」と「信仰」を語り合っていく。一人一人が知恵を発揮し、いわば自分の口を広布への″武器″にしながら、納得と共感の輪を広げていく――。
 農民たちの貧しい身なり。死に直面しての緊迫した表情。ゴヤは「一八〇八年五月三日」の悲劇を描くことによって、権力・暴力の残酷な歴史を後世にとどめた。権力への燃えるがごとき「怒り」、正義のために戦う「誇り」、死をも恐れぬ「信念」と「勇気」――こうした民衆の無言の叫びを、彼は感じ取ったにちがいない。
 それはまさに「学会精神」「青年部魂」そのものである。一身をなげうって戦う先駆者なくして、庶民の幸福を守ることはできない。「世界広宣流布」の偉業を完遂することはできない。そこで私は、青年部結成四十周年を記念し、万感の期待をこめて、この絵を青年部の皆さんに贈りたい。(拍手)
5  SGIの同志に御本仏の守護
 ところで、本日の総会の模様は、沖縄の地にも伝えられている。現在、沖縄は深刻な水不足に見舞われているとうかがっている。一日も早く解決されるよう願ってやまない。
 また沖縄研修道場には、本日、アジアの壮年・男子部の代表四十八人が研修で参加されている。「遠いところ、本当にご苦労さま」と申し上げたい。お国においても、社会に着実に信頼の基盤を築いておられる。平和と文化の団体として年々、評価が高まっている。心からのお祝いを申し上げる。(拍手)
 なお、この席をお借りし、雲仙・普賢岳の噴火の被害を受けている長崎県・島原半島の皆さまに、重ねて心からのお見舞いを伝えさせていただきたい。地元の島原南支部、岳南支部の同志の方々には、一人の死傷者も、病人も出ていないとうかがった。厳然と守られたとの学会員の体験も、私はいくつもお聞きしている。(拍手)
 また、一昨日までフィリピン青年部の代表も来日されていたが、今世紀最大級の規模と報じられているフィリピンのルソン島・ピナツボ火山の大噴火(六月十二日)に対しても、心からお見舞い申し上げたい。フィリピンにおいても、わが同志はみごとに守られている。火山周辺のアンヘレス地区、オロンガッポウ支部の皆さまにも、一人の死者・負傷者も出ていないとの報告を受けている。(拍手)
6  日蓮大聖人は、佐渡の地から遠く離れて会えない門下に、次のようなお手紙を与えられている。
 「何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり
 ――どのような世の乱れにも、あなた方を法華経・十羅刹よ助け給えと、湿っている木より火を出し、乾いた土より水を出すように、私は強盛な信心で祈っております――と。
 何があろうと、断じて門下を守りたい。不可能を可能にする祈りで、なんとしても無事に助けたい、遠く離れていようともわが一念で全部、救いきってみせる――私には、そうした大聖人の大慈大悲が深く胸に迫ってくる。感動する。この大慈悲の大聖人をこそ、私どもは信じきっていけばよいのである(拍手)。何の行動もない無慈悲の人は大聖人の門下とはいえない。まったく無縁の、別の世界の人であると私どもは思う。(拍手)
 ともあれ、大聖人の大慈大悲は、全世界のSGIの同志を守ってくださっている。島原の友も、フィリピンの同志も、厳として守られている。また、これからも皆で守り合ってまいりたい。復興の労作業を続けられる皆さまに重ねてお見舞い申し上げるとともに、被災の苦しみ、悲しみを乗り越え、いっそうのご多幸と繁栄の道を歩んでいかれんことを、心よりお祈りする。(拍手)
7  恩師は叫んだ「今こそ社会に信念の人を」
 かつて戸田先生は、「社会に信念の人を」と題して論じられた(昭和三十一年一月。『戸田城聖全集』第三巻)。その冒頭に、「私は、いまの日本国をみて、なんとなく、ものたりなさを感じている」と。
 「もはや戦後ではない」(この年の『経済白書』)しといわれた時代である。景気も順調であった。社会のさまざまな分野で、ある程度、″組織″ができあがり、一応のまとまりを見せていた。人心も、それなりに安定したように見えた。
 だが先生は、その時代相に満足されなかった。「なんとなく、ものたりない」「なんとなく底が浅い」との印象を率直に述べられた。なぜか。先生はそこに、「事なかれ主義」の風潮を厳しく見抜いておられたのである。
 つまり「上から命令されたことを、ただ間違いなく、こなしていればよい」「自分の持ち場に失策さえなければ十分だ」「与えられたことだけを、責任を追及されない程度にやっておけばよい」――そんな″小利口さ″の蔓延を、鋭く指摘されたのである。
 それはまた、近年の管理社会への、先見的な洞察でもあった。そして、だからこそ、「社会に信念の人がほしい」と。みずからの信念のままに生き、ちっぽけな″限界″や″枠″など打ち破って、縦横に活躍する人がほしい――これが、戸田先生の心情であられた。
 その「信念の人」をつくるには、どうするか。
 先生は、よく「生命力を強める以外にない。そのためには、信心しかない」と述べられている。
 一人一人が、「生き生きとして、はちきれるような生命力」「ぴんと、はじけるような生命力」をわき立たせていくことだ。それには大聖人の仏法によるしかない、と。
 この戸田先生の心のままに、学会は現実社会のなかに、はつらつたる生命力を脈動させながら、「信念の人」を育て、送りだしてきた。
8  「信念の人」を育てゆく広布の組織である。何より、まず自分自身が挑戦また挑戦の「信念の人」でなければならない。仏法者の人生は、あえて苦難に挑む開道の人生である。「事なかれ主義」の正反対なのである。
 御書に「難来るを以て安楽と意得可きなり」――法華経安楽行品に説かれる「安楽」の意義とは、難が来ることを安楽と心得るべきである――と。
 何も行動しなければ、何も難は起こらないかもしれない。しかし、それが「安楽」なのではない。そこには向上も歓喜も充実もない。幸福とはいえない。当然、成仏もない。三障四魔や三類の強敵を恐れて、″ほどほどに″行動し、″適当に″頑張り、小さく固まって生きる――そうした臆病は信仰の死であり、青春の死であろう。
 だれ人が何を言おうとひるまない「信念の人」、″世界最高の「勇気」と「正義」の人″――それこそが、信仰者なのである。(拍手)
 いずこの世界であれ、組織が大きいほど、また整備されるほど、「形式主義」と「事なかれ主義」が横行する。多くの場合、そこから組織の衰退が始まる。
 大切なのは、「前進すること」である。つねに前へ、また前へと、進み続けることである。そのたゆまざる歩みのなかにのみ、組織の真の安定はある。「前進」を忘れた組織は、それがいかに安定して見えようと、発展への鼓動はない。はつらつたる喜びはない。
 まして、学会は、「広宣流布」の団体である。「信心」の団体である。信心に後退はないし、″もう、これでよい″との停滞もあってはならない。つねに前進、つねに挑戦が信心であり、学会精神である。
 「学会精神」とはまた「建設精神」である。「開拓精神」であり、「闘争精神」である。旺盛な生命力で、いかなる組織悪も打ち破り、いわば「組織善」の模範を築き、また築いていく。その繰り返しのなかに、「広宣流布」の道はある。
 また、広布の組織を支え、守り、発展させゆく戦いは、そのまま、「自分」のためであり、「社会」のためである。さらには、「家族」「先祖」「子孫」「後輩」等々、縁するすべての人々の幸福ヘと通じていく――このことを、強く確信していただきたい。
 「妙」とは、「蘇生の義」「開く義」「具足の義」と説かれる。つねにみずみずしき生命の息吹で、あらゆる行き詰まりや限界を超えて、新しき創造の道を開く。勝利の道を開いていく――それらの力はすべて、「信心」に含まれている。ゆえに「信心」だけは強く、また強くあれ、と重ねて申し上げておきたい。
9  この会場には、きょうも海外の方々が出席されている。――アメリカの方々は、どちらにいらっしゃるだろうか。(アメリカ・メンバーが手を振り、応える)
 ようこそ―どうぞ、こちらへ!(拍手。メンバーは壇上へ)
 遠くアメリカから、″日本の同志に会いにいこう、青年部の集いに参加しよう″と集われた誉れの同志――この意気である。この心である。今や、アメリカでも、ヨーロッパでも、南米でも、アジア、アフリカでも青年の成長はめざましい。躍動の息吹に満ちている。
 だからこそ、私は、日本の青年部の皆さんに望みたい。皆さんの、かつてない決意と情熱と行動で、「広宣流布」の、かつてない歴史を開け、と。
 だれかに言われるのを待つのではなく、「僕にまかせろ」「私にまかせてください」と、一切の責任を担って立つ。他人がどうあれ、まずみずからが先駆する。それが青年である。「信念の人」である。
 皆さんの先駆の活躍に、新しき人材の陣列も続く。どうか皆さんは、本格的な仏道修行を開始していただきたい。そしてみごとに青年部の力で、一切に勝利してほしい。民衆のために。世界のために。(拍手)
10  「人間」を軸に世紀を転換
 さて、二十一世紀に向かって、今後、時代はどう変わるのか。どんな時代を迎えるのか。経済動向などの予想も種々なされているが、本日は、未来の一切を託しゆく青年部の総会である。少々、むずかしくなるかもしれないが、一歩、大きい次元から考えてみたい。
 勉強が大事である。学ばない人は人間としての向上がない。偏頗な人生となってしまう。勉強が力である。勉強が勝利となる。勉強が幸福を生む。
 時代の趨勢――それは、もはや、政治・経済・科学技術等の次元のみでは、とらえきれない。
 「人間」の全体の回復のために、「文化」「教育」「人権」が焦点になってきた。国も、「文化・人権の先進国」か途上国かという、新しい基準ではかられるべき時代に入った。
 こうした時代の流れを予見した一人に、アインシュタイン博士がいる。博士は、二十世紀のなかば、一九五一年(昭和二十六年)――ちょうど青年部誕生の年に、「人権」「国連」「文化」の時代が来る、と喝破した。
 彼は考えた。――戦争の惨禍は、国家の悪、権力悪を、人類に深刻に痛感させた。国境を超えた「超国家制度」と「超国家的行動規則」が必要だ。そのためには「世界連邦」につながる「国連」が大事である、と。
 ――先の湾岸戦争を見ても、いかに国連がその役割を果たさなければならないかが、よくわかる。
 また「人権」を、「権力」から守らねばならぬ、と。
 「世界人権宣言」が採択されて、三年後のことである。そして、″国家への忠誠″から″人類・人間への忠誠″へと、人々の意識を変えるには、″異なる文化圏の間の理解″″相互の文化的助け合い″が条件となるとした。
 要するに、制度としての「国連」、目標としての「人権」――それらを守り、支えるための、「文化交流」による人類の相互理解、「世界市民」としての意識が必要である、と。
 時代の流れは、まさに、このとおりになってきた。それを現実に、世界的規模で繰り広げているのが、私どもSGIである。(拍手)
 アインシュタイン博士の理想は、結果として、そのまま、私どもの方向性と一致した。――同じく「人間性の回復」を志向する両者の″リズム″が、自然のうちに重なりあい、符合したのであろうか。
 しかも博士は、″科学・芸術の最強・最高の原動力である宇宙的宗教性″の必要性を語っている。
 その最高の内実を実践しているのも私どもである。(拍手)
11  二十一世紀を前に、いよいよ「文化」「人権」の時代は来た。それは、抑圧からの「解放の時代」、さらに一歩進んで、多様にして多彩、自由にして平等な、人間性の「表現の時代」である。
 ――ちなみに、「表現」は、英語で「エクスプレス」。″外に(エクス)押し出す(プレス)″意味である。
 権力、金力などの力による抑圧。誤れる思想や無知による忍従。宿命による生命の不自由。それらすべてから、「人間」「生命」の全体を解放し、「人間の尊厳」「生命の尊厳」を打ち立てねばならない。私どもこそ、そうした″人類の闘争″″歴史の進歩″の最前線で戦う戦士なのである。(拍手)
12  一身は宇宙の″宝″を集めた宝塔
 世紀の転換――そのためには、何より「一個の人間」の巨大さ、尊貴さ、偉大さを人類に知らしめねばならない。あらゆる角度から、あらゆる知恵と、そして現実の姿をもって――。
 法華経の見宝塔品第十一の冒頭には、次のように記されている。
 「爾の時に仏前に七宝の塔あり。高さ五百由旬、縦広二百五十由旬なり。地より涌出して、空中に住在す」(開結三九九㌻)
 ――その時、仏の前に、七宝で造られた塔があった。高さは五百由旬(古代インドの距離の単位、一由旬は当時の帝王の一日の行軍距離をさし、一説には中国の四十里にあたる)、タテヨコ二百五十由旬にわたった。大地から涌き出て、空中にあった――。
 金、銀、瑠璃、硨磲しゃこ、瑪瑙、真珠、玫瑰まいえの七種の宝石で飾られた壮麗な宝塔――まばゆいばかりの絢爛たる出現である。
 一方、汗くさいフイシャツ、よれよれの背広、汚れた髪――男子部の皆さんの現実とは大きな隔たりがあるかもしれない(笑い)。また、宝石といっても、よくケンカになる結婚指輪の値段とは比較にならない。(爆笑)
 その塔の大きさは計算の仕方により異なるが、一説によれば地球の半分から三分の一にもいたるという。
13  そのままとれば、おとぎ話のようである。しかし法華経はすべて″生命の真実″を説いている。その真実とは何か。じつはこの塔の巨大さは、総じて「生命」の宇宙大の広がりと尊厳さを象徴すると考えられる。一人の人間の生命は、それほど偉大であると――。
 そして、全宇宙の宝をみな集めたような「多宝の塔」とは、一次元からいえば、一個の人間生命の巨大な可能性と本来の尊貴さを、また無量無辺の力や福運を、表していると考えられる。
 まことに鮮烈な光景である。映像的な、また詩的、芸術的、音楽的なイメージがあふれている。法華経は、生命の崇高さを、民衆にわかりやすい、視覚的な手法で表現したのであろうか。
 大聖人も、「御義口伝」に、「見大宝塔とは我等が一身なり」――「大宝塔を見る」とは、われらが身体を見ることである――と。
 また、「阿仏房御書」には、「阿仏房あぶつぼうさながら宝塔・宝塔さながら阿仏房」――阿仏房はそのまま宝塔であり、宝塔はそのまま阿仏房である――と述べられている。
 大地から涌出した大宝塔、それは人間の「生命」を示していた。「生」という漢字も、大地から上へと伸びる植物の姿が原形にある。「生」の字は、まさに一つの塔といえる。人間も大地に足をつけ、天に頭を向けた一個の「塔」の姿である。
14  「人間は宇宙大、一国よりも大きい」
 ″宇宙的存在″としての生命――たとえば「人体」を何に例えるかと科学者に問うと、もっとも多い答えが「宇宙」であるという。次いで「都市」「工場」「森」などの回答が続く。戸田先生も人体を「一大製薬工場」に例えられた。
 人体を構成する細胞は六十兆。六のあとにゼロが十三個続く。六十の百万倍のさらに百万倍である。その一つ一つが、また無数の原子でできている。これらが、すべて有機的に調和しつつ働いている――まさに荘厳な小宇宙、小コスモス(宇宙)である。(コスモスには、ギリシャ語で「調和」の意味がある)
 また、「肝臓」には約二千五百億の細胞があり、それがなんと五百以上の機能をもつ。まさに巨大な化学工場である。肝細胞一つは、一分間に六十万から百万のタンパク質(アルブミン)を作る。
 さらに、「心臓」は一日に十万回脈動し、八トンの血液を全身に送りだす。ドラム缶四十本分である。一カ月では二百四十トンにものぼる。
 一方、免疫の働きをする細胞は約一兆個。それらが自在に動いて、連携を取り合い、″外敵″と戦う。その様子はまさに「体内宇宙戦争(スター・ウォーズ)」である。
 「生」あるものはみな戦っている。「戦い」こそ「生」の異名である。戦いなき生は、生きながらの死である。「仏法は勝負」であり、「生命は勝負」なのである。この厳しき原理は、森羅万象に通ずる宇宙の法則であろう。
 また、生まれるまでに、人間が三十五億年の生物進化をもう一度胎内でやり直していることは有名である。原初の生命誕生から、魚の時代、両棲類の時代、爬虫類の時代、そして原始哺乳類の時代をふまえて誕生する。
 いわば、出生した時、人間は少なくとも「すでに三十五億歳」になっている。生命の歴史が全部つながっている。これ一つみても、生命は″白紙″で生まれてくるのではない。長き生命の因果を刻んだ存在として生き始める。
 仏法の立場からいえば、今世の自分とは久遠以来の自身の行動の″結果″であり、永遠の未来ヘと進む″出発″の姿である。そこに三世の幸福の因を積みゆく仏道修行が必要なゆえんもある。
15  これらは、ほんの一部だが、「人体」という「小宇宙」は、解明すればするほど、その広大さ、精巧さ、神秘なまでの可能性が否定できなくなっている。
 いわんや、肉体にもまして「心」の世界の、時間的、空間的、知的広がりは想像を絶する。まさに無限であろう。どこまで行っても行き詰まりがない。その広大さを説き明かしたのが仏法である。その仏法の智慧を自分のものにできるのが信心である。以信代慧(信をもって慧に代う)の力である。
 ともあれ「生命」は、まさに宇宙的巨大さの宝塔なのである。
 こうした「小宇宙」と、また「大宇宙」について、現在、私は、世界的な天文学者であるイギリスのウィックラマシング博士との対談集『「宇宙」と「人間」のロマンを語る』の出版を進めている(=平成四年十一月、毎日新聞社から発刊)。過日の訪英のさいには、博士の師匠であるホイル博士もご一緒に、有意義な語らいの時間を過ごすことができた。
 「宝塔」については、くわしくはまた別の機会に論じたいが、ただ申し上げたいことは「生命」は″地球″よりも重い、「人間」は″国家″よりも大きい――ということである。その信念に、私どもの人間主義の基盤がある。
 世の中には、多くのものを作る仕事がある。それはそれとして、私どもが今、世界に社会につくっているのは「生命尊厳の大塔」である。思想の面だけではない。現実のうえでも、高貴に、また幸福に光り輝く「尊厳なる人間」の塔を、一人また一人とつくっているのが私どもである。これ以上の聖業はない。まさに学会員一人一人が仏の使いであり、仏の行を行じているのである。(拍手)
16  「人間」は尊厳、その証明を君よ
 これまでは、民衆から太陽をおおい隠す「権威主義の塔」、金ピカのメッキの「経済至上主義の塔」、黒々と死の影を落とす「軍事優先の塔」といった、醜い欲望の塔ばかりが高々とそびえていた。
 二十世紀は、それら黒き塔がもっとも高く、多くそびえた時代であろう。同時に、その危うさがはっきりし、盤石に見えたそれらの塔の根底が崩れ始めた時代ともいえる。
 その代わりに、本当の「人間性の塔」「幸福の塔」「生命の塔」を立てているのが、われわれの戦いである。″人類の先駆″の戦いだからこそ、困難は必定なのである。
 二十世紀は「革命と戦争の世紀」と呼ばれた。それは「国家の尊厳」の神話が極限にまで拡大し、大いなる幻滅と悲惨をもたらした世紀である。「国家の尊厳」すなわち集団力の崇拝、ナショナリズムの神話は、スターリン主義とファシズムという左右両極で完成した。また、力への信仰は「核兵器」の出現に凝結した。キノコ雲は、まさしく「生命破壊の悪魔の大塔」であろう。
17  こうして、二十世紀は、いつにもまして「大量死(メガ・デス)」の世紀となった。「国家の尊厳」の愚味と悲惨をとことん味わい、「人間の尊厳」への希望を育て始めたのが、二十世紀後半である。
 それは、ちょうどアインシュタイン博士が「人権の時代」を予見した時期でもある。
 世紀の折り返し点、ターニング・ポイントである一九五一年(昭和二十六年)こそは、戸田第二代会長の「広宣流布」宣言(第二代会長就任式における「私が生きている間に七十五万世帯の折伏は私の手でする」との宣言)の年である。また、わが青年部の結成の年である(拍手)。ならば、青年部の使命は明確であろう。今こそ、世界に「人間尊厳の塔」を打ち立てねばならない。
 また次にくるのは「生命尊厳」の時代、「生命の世紀」であると私は信ずる。このことは、かなり前から私は主張してきた。人類が生き残る方法はこれしかない、と。
 「人間の尊厳」も実際には、その根底に「生命の尊厳」が必要である。そのことが、世界の知性の目にはしだいに明らかになりつつある。すでに、いわゆる″人間中心主義″″権利と欲望の解放″のみでは、むしろ人間の荒廃しかもたらさないことがはっきりしてきた。
 ともあれ、多宝の塔は、その宇宙的巨大さで、「人間は国家より大きい」ことを教えているのである。そして、この「人間の尊貴さ」を、思想・哲学のうえで、また事実のうえで、世界に示しきっているのが、私どもの「仏法を基調にした平和・文化・教育の推進」の運動である。広宣流布の運動である。
 この尊き使命の学会員を見くだし、いわんや抑圧し圧迫するのは、広宣流布を足げにし、また人類の未来を土足で踏みつける行為と私どもは思う(拍手)。皆さんは断じて、そうした悪に負けてはならない。(拍手)
18  人々に屈辱と抑圧を与える一切と戦え
 それでは「人間の尊厳」とは何か。さまざまに論じられるが、かつてフランスのアンドレ・マルロー氏との対談でも、このことが話題になった。その時、マルロー氏は、自分の小説に書いた″ファシストと戦う農民革命家″の言葉を使って語られた。
 ――拷問を受けながら、農民は「人間的尊厳とはなにか」と相手に聞かれる。彼は答えた。「そんなこと、知るものか! わかっているのは、屈辱とはなにか、このことだけだ!」と。
 農民とは、いわば庶民の代表である。農民革命家とは、私どもと同じ、民衆の革命家である。
 私どももまた叫びたい。「人間に屈辱を与える者は、人間の尊厳を破壊する者だ! それは人間の尊厳のために戦う仏法者の対極にある、魔の存在だ!」と。(拍手)
 「屈辱」「抑圧」――それを感じた時ほど、「尊厳」を守る意識は高まる。
 「外からの抑圧」との戦いは当然として、そのとき、私は、こう言った。
 「人間の尊厳に対し、みずからの内より起こってくる屈辱ないし抑圧があります。その最大のものが死です」と。
 生老病死。この解決なくして、真の「生命の尊厳」はない。「人間の尊厳」を実現するには、「死」や「宿命」の克服という課題を避けてとおることはできない。
 「死」についての考えをたずねた私に対し、マルロー氏は「死を考えることは不可能である」との不可知論の立場から答えられた。(氏は、この「死の考察の不可能性」を明瞭に自覚すれば「死の脅威」もなくなるとの考えであった)
19  それはそれとして、この生死の本源を悟り、その苦悩を克服したのが、仏法の真髄なのである。
 われらが「生命の塔」は生老病死の苦しみにおおわれたままでは、真に尊厳であり、幸福であるとはいえないであろう。しかも、この塔の四つの面――人間の一身にも表と裏、左右の横と四つの面があるが――は、生老病死でできていると説かれている。この四面を離れては、塔の存在そのものが成り立たない。それは生命に本然のものである。生老病死をなくすことはできない。
 では、どうすればよいのか。
 「御義口伝」には「四面とは生老病死なり四相を以て我等が一身の塔を荘厳するなり、我等が生老病死に南無妙法蓮華経と唱え奉るはしかしながら四徳の香を吹くなり」と。
 ――宝塔の四つの画とは、生老病死の四つの苦悩の相である。この生老病死をもって、われらの一身の塔を荘厳するのである。われらが生老病死に南無妙法蓮華経と唱え奉るのは、そのまま常楽我浄の四徳の香を吹くのである――。
 ″苦″の根源ともいうべき生老病死が、妙法を唱えるとき、かえって″一身の宝塔″を飾り、荘厳するものに変わっていく。「生」もつねに楽しく、「老」も「病」も、より大いなる福徳の境涯ヘのバネとなり、「死」は永遠の幸福への晴れやかな出発となっていく。
 生死また生死を重ねるたびに、無限の「福」と「智」を発揮しつつ、自他ともに幸せと平和に輝いていく。永遠に「歓喜のなかの大歓喜」に遊戯する境涯となっていく。これが御本仏のお約束である。(拍手)
20  苦しみの生死を即、大安心の涅槃に、悩みの源である煩悩を即、大満足の菩提に転換し、ありのままの凡夫、ありのままの人間でありながら、しかも尊き「仏界」の光を放っていく――それが「一身の宝塔」である。
 法華経の説法は、この宝塔の出現を機に、虚空会(虚空での説法の会座)へと移る。その前後の霊鷲山での説法を合わせて「二処三会にしょさんね」(二つの場所すなわち霊鷲山と虚空で、三回の会座がもたれたこと)という。
 「二処三会」には、重要な、また重々の深義があると拝されるが、詳論は別の機会としたい。ここでは「霊鷲山→虚空会→霊鷲山」の法華経の流れを、わかりやすく、かりに「九界→仏界→九界」の変化と見て、私どもの信心即生活に約せば、現実の生活から仏道修行によって、仏界(虚空会)へとかぎりなく上昇し、その仏界の「四徳(常楽我浄)」の風をふたたび生活に社会に送っていく――そのダイナミックな繰り返しを表しているとも、考えられよう。
 自分が境涯を広げた分だけ、″一人の人″を大切にできる。人の可能性を開いてあげた分だけ、自分の生命力も強まっていく。
 この「求道」と「救済」、「自己の深化」と「他者への慈愛のかかわり」の往復作業のなかに、わが「生命の宝塔」の拡大の作業、荘厳の作業がある。真の自己革新の生き方がある。また社会に、馥郁たる「高貴なる人間性の薫り」を送り、「人間の尊厳」を現実化しゆく軌道もある。
 諸君はすでに、そうした自身も世界をも″多宝″で飾りゆく「無上の軌道」を歩んでいる。その誇りを一生涯、貫いていただきたい。(拍手)
21  僣聖増上慢の恐ろしさ
 日達上人は、「開目抄」の説法(昭和四十九年四月二十五日)の中で、法華経勧持品に説かれる「三類の強敵」について述べられている。このうち第二の道門増上慢を明かした文については、次のように示されている。(以下、引用は『日達上人全集』から)
 「『悪世の中の比丘は』、こういう後の世の僧侶たちは、『邪智』、心がまがっておって『心詔曲』、詔曲というのは世間にお世辞を使う、そして『未だ得ざるを為れ得たり』とは、いまだ真の悟りを得ないのに、もう自分は悟りを得たと思っておる。そしてみずから慢心を生ず、我慢(=自らが偉いと思う慢心の一種)の心が生じてくる。こういうものが悪世の比丘である」と。
 この「悪世」というのは、正法が滅びようとする末法、すなわち今の時をさしている。
 さらに僣聖増上慢の恐ろしさについて述べられている。
 「三番目は僣聖増上慢、立派な僧侶であって、だれでも立派な方と思っておるものの増上慢の人を明かしておる。この人の説が、もっとも多くの人を惑わせるから『此の三の中に初は忍ぶ可し』、いちばん先の俗衆(=在家の人)の悪口を言うくらいは忍ぶ、その次の普通の坊さんたちも、まあ俗衆よりもひどいけれどもまあまあがまんができる。しかし第三の立派な僧侶と世間から敬われている人のものが、もっとも恐ろしいんだ。その人の説を聞く人はその真実の意味がわからないで、その人のいうがままについて行ってしまうから恐ろしいんだと、こう妙楽大師が説いておる」と。
 仏法流布を邪魔する三類の強敵にたぶらかされないための、大切な原理を示されている。このように、末法には、「増上慢」から正法の弘通を妨げ、正しき仏法実践者を怨嫉して、悪口し迫害する僧侶がでると法華経では予言している。でなければ、法華経はうそになってしまう。
22  日達上人は、宗内の僧侶に対して、増上慢になってはならないと、つねに厳格な態度で臨まれた。昭和四十年の年頭(『大日蓮』年頭の辞)に、次のように述べられている。
 「もし僧侶にして大多数の信徒に対して君臨しているというような、傲慢な考えを少しでも起したなら、それは天魔であります。また多くの信徒に阿諛(=おもねり、へつらうこと)して貪著供養の者は禿人(=外見は髪を推って僧侶の姿をしているが、修行に励まない者の蔑称)であります。よろしく本宗僧侶は止暇断眠の大聖人のお教えに従い、日夜に行学に勉めなければなりません」と。
23  僧侶の傲慢が布教を鈍らせた歴史の教訓
 先日も申し上げたが(七月十日、第一回SGI世界青年部幹部会)、これが日達上人の厳誠である。傲慢に信徒を見くだすようなことは決してなく、また供養を求めてこびることもない少欲知足の僧侶であること。また夜は眠りを断ち、昼は暇を止めて、行学に励むことが正宗の僧侶の要件であると述べられている。
 私ども学会員は六十年間、ひたすら広宣流布を願い、不断の信心に住して、宗門に対しても供養の誠を無量無辺に尽くしてきた。それに対して、権威・権力で信徒に君臨するような傲慢な僧があれば、大聖人のお心に違背し、日達上人の戒めに背く「天魔」である。(拍手)
24  日達上人は、僧侶の傲慢さが広布の妨げになることをつねに戒めておられた。昭和四十二年七月十一日の法華講九州第四回大会においては、次のように述べられている。
 「この九州においては、先程申した通りに、正宗の寺院も少なかった。そのために僧侶も非常に少なかった。だから信者が、とかく僧侶を尊敬し、敬ったのであります。そうすると僧侶の方は、とかくいばりがちである。傲慢になりがちである。で、互に共倒れになって、布教もだんだんにぶったような次第でございます」と。
 僧侶がいばったので、信徒の信心をも失わせ、新天地の広宣流布は沈滞してしまったのである。
 日達上人によれば、九州に初めて正法が弘通されたのは、明治十年ごろに、日胤にちいん上人がみずから大阪から九州にかけて布教された時とされる。
 明治時代には、時の法主らがみずから先頭に立って折伏・弘法し、また他宗との法論に戦っていたという。その後、広謙房日成尼(妙寿尼)という尼僧が北九州地方に布教して、信徒が生まれ、正宗の寺院の基礎がいくつかできたようだ。
 しかし、日達上人のお言葉のように、信徒が僧侶を尊敬しすぎたため、かえって僧侶が傲慢になり、信徒を見くだしていばるようになった。その醜い姿が、信徒の信心を失わせたために、九州広布の歩みは、そのまま止まってしまったのである。このような愚を今後は絶対に繰り返してはならない、と日達上人は教えられている。
25  日達上人は、また″すべての信徒は大聖人の信徒″として大切にされていた。昭和四十七年一月十五日、全国の教師(住職などの僧侶)と寺族に対して、次のように指導されている。
 「地方の住職僧侶方はなかなかよく働かれておりますが、中には地方の住職が傲慢で困る等の苦情もありますから、そのつもりで住職の方も、信者を大切にしていただきたいと思います。信者は大聖人の信者なのであり、我々はただ信者のお取持ちをしてあげる、信者が大聖人様にお参りしやすくしてあげることが勤めだと心得て、今後とも注意していただきたいと思います」
 そのとおり、信徒は大聖人の信徒であって、僧侶の信徒ではない。にもかかわらず、信徒を僧侶や寺院に隷属させ、自分の思うようになる存在にしたいと考えることは、まさに傲慢であり、御本仏の大慈悲に背く魔性の働きである。このことを日達上人は繰り返し示されているのである。
 ましてや、″信者が大聖人にお参りしやすくすることが勤め″である僧侶が、信徒に対して大御本尊に参詣しにくくするとしたら、どうであろうか。それは明らかに日達上人の訓戒に背くことになり、師敵対の者として、僧侶の資格も失うものといわざるをえないのではないか、と私どもは思う。(拍手)
 「信者は大聖人の信者」と述べられているように、学会員は、「大聖人の仰せのままに」を鋼鉄の信念として進んできた。「広宣流布」という仏意仏勅を全生命で受けとめ、魂に刻みつけて戦ってきた。その「信心」が御本仏に感応し、かつてない世界広宣流布の伸展と宗門の外護を成し遂げることができたと信ずる。(拍手)
26  最後に御書を拝したい。
 大聖人は、「松野殿御返事」の中で、エセ僧侶を弾劾されている。
 「受けがたき人身を得て適ま出家せる者も・仏法を学し謗法の者を責めずして徒らに遊戯雑談のみして明し暮さん者は法師の皮を著たる畜生なり」――受けがたい人間の身を得て、たまたま出家した者でも、仏法を学び謗法の者を責めないで、いたずらに遊び戯れて雑談のみに明かし暮らす者は、法師の皮を着た畜生である――と。
 その反対に、身命を捨て、私利私欲を捨てて、謙虚に仏法を学び、広宣流布へと社会の中で折伏・弘法に走る――それでこそ、真の「出家」なのである。(拍手)
 このように御書に照らし、法華経に照らし、また日達上人の指南に照らすならば、「大法流布」に生きゆく私たち学会員の人生、日々の行動こそが、大聖人のおほめにあずかることは間違いない。(拍手)
 このことを深く確信していただきたい。そして人類最高の、″正義の道″を歩むことを誇りとしながら、目を見張るような、壮大な「新しき歴史」を開かれんことを念願し、祝福のスピーチを終わりたい。
 全国の青年部の皆さん、本当にご苦労さま。私はいつも皆さんの成長と幸福を真剣に祈っています。見守っています。(創価国際友好会館)

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