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日蓮大聖人・池田大作

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第四十四回本部幹部会 われらは世界に希望の虹をかける

1991.7.5 スピーチ(1991.4〜)(池田大作全集第77巻)

前後
2  東京のある婦人部の方が「創立七十周年には、タプロー・コートで支部総会を開催したい。トレッツやドイツもいいですね」と語っていた。すでに″心は世界の舞台″である(爆笑)。どう実現するかは別にして(爆笑)、心の窓を大きく開いて、希望の青空を仰いで生きる人生は美しい。
 いわんや信心の世界においては、希望″大″なれば実践″大″となり、福徳もまた″大″となる。
 私どもの活躍と交流のステージは広々と全世界に開かれている。広がり続けている。こせこせした日本の風土にとらわれる必要は、まったくない。人生と広布のロマンを闊達に広げながら、現実は着実に、「本有常住」のわが国土を、一歩また一歩、立派に仕上げていっていただきたい。それが″すばらしき人生″である。その一念が未来に、予想だにしない自在の大境涯を実現していく。仏法には断じて偶然はない。(拍手)
3  ポエール上院議長――常に″第一線″の烈々たる気迫
 今回、フランスでアラン・ポエール上院議長と二年ぶりに再会した。前回と同じ六月二十日であった。
 ポエール議長は、大統領代理(一九六九年、一九七四年)も務めた政界の重鎮である。もう二十五年近くも上院議長を続けられている。とても八十代(一九〇九年四月生まれ)とは思えない、はつらつとした姿で、あたたかく迎えてくださった。そして、ユゴー文学記念館のオープンに、心からの喜びと期待を寄せてくださった。
 かれこれ十年来の交友である。近著『ロマン派の詩人ヴイクトル=ユゴーの世界――人間と文学を語る』(潮出版社)でもふれたが、最初の出会いの時(一九八一年六月)に″ユゴーの部屋″など院内を見学させていただいたことは、今も懐かしい。
 ポエール議長をはじめ、多くのヨーロッパの指導者たちは、皆、若々しく活躍されていた。年をとっても、一歩も退こうとされていない。学会の指導部にあたる年齢、またそれ以上になられても、つねに″第一線″の烈々たる気迫である。
 ――人の何倍の人生を生きるか。その挑戦に人間の価値は輝く。人々の幸福のために、どれだけ苦労し、汗を流し、悩んであげるか――その信念、その辛労に人間としての最極の光がある。その人こそ真の指導者である。何人分もの充実した人生を生きる人である。
 また、民衆に尽くそうと努力するリーダーは、民衆が何を求めているかをつねに考えている。ゆえにSGI(創価学会インタナショナとの運動が、「人間」と「文化」と「平和」に貢献し、人類の未来を豊かに切り開いている事実を、厳然と見抜いているのである。(拍手)
4  ポエール議長は、ユゴー文学記念館のオープンに際して、格調高い長文のメッセージを寄せてくださった。そのなかで議長は、ュゴーがフランス上院の誇る偉大な政治家でもあったとし、上院が所蔵する貴重な原稿の一部を紹介されている。
 それは、政治的に敗れて流刑に処せられるパリ・コミューン(フランスとプロシアの戦争終結の際、フランスに不利な休戦条約が結ばれたことに憤慨し、条約を推進した自国の共和国政府に対抗して組織された、パリを中心とする武装反乱軍)の人々の擁護を、上院で訴えるために一八七六年五月、七十四歳のユゴーが記したものである。「寛大な処置をとれ!」と、ユゴーは繰り返し弁護した。
 (コミューンがあえて急進的な行動をとり、共和国政府と争うことに、ユゴーは反対した)
5  ポエール議長は、ユゴーの原稿の一節を、このように紹介されている。
 「『フランスは、その腕を広げ、こう言う……』と書いたあと、ユゴーは、しかるべき言葉を見つけ、みずからの手でこうつけ加えている。
 『私は、ただ一つのことしか覚えていない。それは、あなたたちは全部、私の子どもであるということである。他のことは、私は忘れた』と」
 ″祖国フランスは「皆、私の子どもである。大きな心で包容すべきだ」と言っている″という意味である。ここに、人間主義、人道主義に生きたユゴーの、壮大な心の広がりを見る思いがする。
 ポエール議長は、このユゴーの精神を受け継ぐ、大切な政治家の一人である。
 ″皆、フランスの子ども″と叫んだユゴーの″心″は、広げていえば、仏法の根本である「慈悲」の精神にさえ通じよう。
 私どもは、皆「仏の子」「仏子」である。″皆、仏の子どもである″と大きく腕を広げて包容するのが仏法者の慈悲であると信ずる。反対に、気にいらないことがあると、すぐに処罰し、処分し、脅迫し、権力を利用して圧迫するのでは、それは「仏の世界」ではない。仏法を知らなかったユゴ―の「人道の心」にも劣る残酷さと偏狭さであろう。そうした後ががあれば、まことに悲しいことである。(拍手)
6  サッチャー前首相――「私は未来のために働く」
 話はフランスからイギリスヘと変わる。
 先日、私は、サッチャー前首相と二年ぶりに再会した。前首相の不屈の信念と、行動への情熱が、いささかも変わっていないことが確認でき、うれしかった。加えて、女性らしいこまやかな気配り、謙虚な姿勢が印象的であった。
 私は、二年前、彼女の首相就任十周年を記念して、タプロー・コートに「サッチャー首相の木」を植樹した。会談では、その生長ぶりについて、開口いちばん、前首相のほうから質問があった。
 「まったく順調に育っています」と報告するとともに、後日、その本を撮影した写真も贈らせていただいた。
 ご存じのように、彼女は一九七五年にイギリス保守党の党首に、一九七九年には英国首相に就任された。以来、イギリスのために、また世界のために、働いて働いて働きぬいてきた。「歴代首相のなかでももっとも働いた首相」といわれる。
 劇場にも行けない。美術館にも行けない。そうしたプライベートな時間は、ほとんどなかった。お酒も飲まない、食事もほどほど。休暇は一年に十日。週に七日、日に十九時間近く働いたといわれる。
 周りが疲れても、自分は休まない。仕事を続ける。海外から帰国し、空港から直接、議会に行くこともしばしばであったという。
 自分は国家のために働き続けるのだ――これが彼女を支えた不動の精神であろう。まさに学会精神にも似た信念である。
 だれよりも働いた。だれよりも真剣であった。だれよりも責任感があった。ゆえに勝った。歴史をつくった。何の世界であれ、「勝利」は決して偶然ではなく、簡単ではない。
7  前首相は次の言葉が好きだという。
 「政治の世界では、何か言葉が欲しいなら、男に頼め。何か行動が欲しいなら女に頼め」――と(笑い)。まさに面目躍如といったところである。
 「これは学会の世界でも同様ではないか」と言った人がいる(爆笑)。ともあれ、女性は大切にしなければならない。(拍手)
 また、首相辞任後、彼女はこう語った。
 「人生は六十五歳から始まる。私は未来のために働く」――と。
 その言葉どおり、彼女は今なお、アメリカを中心にして精力的に講演活動をしている。ヨーロッパ、日本(九月)での講演の予定もある。
 先日、アメリカで講演した彼女は、沈黙が誤解や曲解を生むことを指摘し、「ゆえに私は自分の意見を明確に述べる」と語っている。
 戦いである。行動である。一般的にいっても、悪に対して黙っていたのでは、悪を助長させることになる。語らねばならない。動かねばならない。
8  また、去る五月(二十七日)には、ゴルバチョフ大統領の招きで訪ソし、モスクフ国際関係大学で講演されている。会場となった講堂は、学生、講師、教授など千人近くの聴衆でいっぱい。入退場のさいは、参加者が総立ちになっての万雷の拍手をあび、約二十分のスピーチの間、拍手で十二回もスピーチが中断したという。たいへんな反響であった。(以下、英紙「タイムズ」五月二十八日付による)
 彼女は、これからもゴルバチョフ大統領とともに進んでいってほしいと訴えた。
 「あなた方が、道徳的にも正しい壮大な試みに着手したのなら、大事なことは、そのすべての成果が得られるまで努力を続けることです」「病気の時には、たいへん苦い薬を飲まなくてはなりません。それはとても不快なことです。しかし、新しい健全な社会を取り戻すまで、その努力を続けなければなりません」と。
 会場の学生からは次のような発言も飛びだした。
 「もし、あなた(=サッチャー女史)が、この国(=ソ連)の総選挙に立候補したなら、十回続けて勝つでしょう」「私たちの国の首相になってくれと頼まれたら、あなたは引き受けてくれますか?」と。
 記事によれば、彼女は、ソ連の若者たちにとって、「自由市場と西側民主主義のチャンピオン」であるという。
 また、深刻化する国内問題に苦しむ大統領に対して、彼女は、「言論の自由」「信教の自由」「旅行の自由」など、大統領が勝ち取った成果をたたえている。
 「どうかソビエト連邦が政治的に勝ち取った偉大な前進を過小評価しないでください。われわれが獲得したものは、六、七年前には考えることすらできなかったものです」「改革はふたたび前進を始めているように思えます。私が楽観的なのはそのためです」――。
 一時の困難によって、全体の評価までゆがめてはならない。偉大な仕事にはトラブルがつきものである。大事なのは、″進歩″の側を団結して応援することである。そうした前首相の信念に私は共感をおぼえる。
 次元は異なるが、学会の外護による宗門の大発展も、三十年前には「考えることすらできなかった」ものである。絶対にだれ人も「過小評価」すべきではないし、正しく評価することが、次の正しき前進への前提となっていくと私どもは信ずる。(拍手)
9  生涯一歩も退くな!「信仰」とは「挑戦」
 ここで、根本である御書を拝したい。罪なくして、信心ゆえの諸難と戦っていた四条金吾に対し、日蓮大聖人は次のように讃嘆しておられる。
 「設い日蓮一人は杖木・瓦石・悪口・王難をも忍ぶとも妻子を帯せる無智の俗なんどはいかでか叶うべき、中中・信ぜざらんはよかりなん・すへ・とをらずしばし暫時ならば人に・わらはれなんと不便にをもひ候いしに
 ――(舎利弗・目連・迦葉等でさえも、この娑婆世界で、末法に法華経を弘通する大難を忍べず、弘通を辞退した。まして末法の凡夫がどうして法華経の行者になれようか)たとえ日蓮一人は、杖や木で打たれ、瓦や石を投げられ、悪口され、権力による大難を受けても忍ぶことができたとしても、妻子をもった、仏法に無知な在家の人たちは、どうして耐え忍ぶことができようか。
 かえって初めから信じないほうがよかったのではないか、最後まで信心を貫きとおせず、しばしの間の信心であるならば、人に笑われるであろうと、かわいそうに思っていたところ(大聖人の大難にも不動の信心をあらわされ、そのことさえ不思議なのに、このように自分が脅かされた時も、ニヶ所の所領を捨てても、法華経を信じとおしますとの誓状を書かれたことは、言葉では言いようがないほど立派なことである)――。
 妙法を正しく行ずれば、必ず諸難がある。在家の身でそれらに耐えられるはずがないと大聖人は思われていたというのである。いわば、難は本来、当然、出家が受けるべきとされていたと拝される。
 にもかかわらず、金吾は立派に大聖人の大難にお供し、自身の難にも揺るがなかった。このお手紙をいただいた建治三年(一二七七年)七月ごろ、四条金吾は、同僚の讒言等により、主君から法華経を捨てるという誓約を書くよう命令されていたが、決して誓約は書かないと大聖人にお誓いした。この御文は、その報告に対する御返事の一節である。
 大聖人は、その不動の信心を、こよなく讃嘆されているのである。在家の身で、よくぞここまで――と。
 私ども創価学会は、在家の身でありながら、ありとあらゆる法難の矢面に立ち、ありとあらゆる攻撃を受けながら、「広宣流布」の拡大を現実に成し遂げてきた。その厳然たる事実は、だれ人が何を言おうと、どんな詭弁や策謀を使おうと、微動だにしない。御本仏日蓮大聖人が最大に讃嘆してくださることは間違いないと信ずる。(拍手)
 大聖人は、ここで″最後まで信心を貫けないくらいなら、初めからやらないほうがよい。人に笑われるであろう″とのお心を述べられている。同様の意味の御文は、御書に数多い。重大な意義のあるお言葉と拝される。貫いてこそ信心、歩みとおしてこそ成仏、戦いきってこそ地涌の勇者である。(拍手)
10  「苦難の一日」は「無風の百年」に勝る
 ところで、今回はドイツも訪れたが、ドイツの詩人ヘルダーリンに、苦難の力をうたった詩がある。その一節に――「苦難は偉大にも一日で完成する、数世紀を経ても成就されないものを」(「運命」手塚富雄訳、『世界名詩集大成6ドイツ篇I』所収、平凡社)とある。
 漫然とした時間を幾百年、積み重ねても、偉業は成就できない。ところが「苦難」は、たった一日で、それを完成させると詩人はいう。ここには人生の、戦う人生の精髄がある。意義ある人生の秘訣がある。それは仏法の真髄にも通じていく。
 次元は異なるが、有名な「報恩抄」の一節には、「極楽百年の修行は穢土えどの一日の功徳に及ばず」――苦難のない極楽での百年の修行の功徳は、この汚れた国土での一日の修行の功徳に及ばない――とある。
 現実は、さまざまな、いやなこと、苦しいことの連続かもしれない。しかし、それらがあるからこそ、成仏への大境涯を広々と開くことができる。あたかも、ジェット機が高速で急上昇していくように、苦難を糧として、境涯を急速に高めていけるのである。
 大聖人が仰せのように″難即安楽″である。また″難即解脱″であり、″難即前進″なのである。正義を実践するゆえに、世間から迫害を受ける。それが真の宗教人である。法難も入獄もなく、形だけの仏道修行でわが身を安楽に養っているのは、いわば宗教屋である。広宣流布の偉業も、苦難また苦難があってこそ、完成に向かって進むのである。
11  さて本日は、各地で、それぞれ記念の集いが行われており、お祝い申し上げる。
 また全国の会場には、二十年前の女子部幹部会(一九七一年七月四日、茎示、日大講堂)に集った「'91翼グループ」の方々が参加されている。当時、女子部の代表として参加したのは一万三千人。″二十年後をめざして″との約束どおり、広布の庭で元気に活躍しながら、さまざまな苦労をも乗り越えて、この日の集いを楽しみにされてきたと思う。
 「翼」には、自在に人生を舞いゆき、世界へも羽ばたく意義がある。″幸福の翼″″平和の翼″ヘの願いがこめられている。
 二十年――皆さま方は立派にその翼を鍛え、整えられた。これからは、いよいよ本格的な飛翔の時である。そこで本日を一つの区切りとして、いったん翼グループを″卒業″とし、さらに新しい目標に向けて進んでいただきたい。これまで蓄えた力を存分に発揮して華麗に舞っていただきたい、と念願する。(拍手)
 また本日は、「聖教閃光会」(「聖教新聞」の写真部員の集い)のほか、海外十二カ国からも代表が参加されており、遠いところ本当にご苦労さまと申し上げたい。(拍手)
 なお先日、埼玉で「教学研究大会」が大成功で開催された。新しき広布の歴史を開く画期的な大会、本当におめでとう。(拍手)
 広宣流布は″言論戦″である。とくに青年は、大聖人の仏法を深く学び、また万般にわたる知識を学んで、説得力を身につけていくべきである。埼玉の友の努力の結晶は、その先駆の波動となったと思う。
 また、まもなく各地に「広宣」と「文化」の新拠点が誕生の運びになっている。
 神戸の中心地・三宮の「兵庫文化会館」、大阪の「関西白百合青春会館」、東京の「荒川文化会館」をはじめ、「青森平和会館」、愛媛の「西条会館」、京都の「丹後文化会館」、兵庫の「氷上会館」「姫路西文化会館」、北海道の「大沼文化会館」、東京の「立川平和会館」、和歌山の「那智勝浦会館」――と、相次ぎ落成する予定であり、心から祝福申し上げたい。(拍手)
12  世界への流布を実現した学会の″新思考″
 さて、あるフランスの学者が、SGIの発展ぶりを見て、次のように感嘆していた。
 「仏教が、これほどヨーロッパに広まるとは、まったく考えられなかった。そして、これほどまでに、全世界に広まっていることは、驚嘆の極みである。これは、創価学会が『新思考』をもって、(=仏教を知らない世界の人々に)仏教を宣揚してきた正しさの証明である」――と。
 一流の知性の″公平な眼″は、本質を見ている。
 仏教史にかつてない、「正法」の世界的興隆。この″事実″をありのままに虚心に見つめるとき、学会の″真実″もまた、鮮やかに映じてくるにちがいない。
 新しき世界が開かれ、新しき時代がつくられていくとき、それまでの古い″常識″を打ち破る″新思考″が必要とされる。その「知恵」にこそ、生きた仏法がある。過去にとらわれず、現在に生き、現実に生き、未来を創りゆく仏法の自在無碍の英知の躍動がある。
 一切を変化また変化と見るのが、仏法の基本である。その変化に即して、不変の知恵を発揮するのが、仏法者の使命である。かたくななだけの″旧思考″の安易さは、それ自体、真の仏法ともっとも縁遠い姿なのである。
13  ここでふたたび御書を拝したい。短い御文であるが、このような大聖人のお手紙がある。
 「日月は地におち須弥山はくづるとも、彼の女人仏に成らせ給わん事疑いなし、あらたのもしや・たのもしや
 ――たとえ、日や月が地に落ち、須弥山(古代インドで考えられた世界最高の山)が崩れることがあったとしても、かの女性が仏に成られることは疑いない。まことに頼もしいことである――。
 「干飯一斗・古酒一筒・ちまき角粽あうざし青麨たかんな方方の物送り給いて候草にさける花・木の皮を香として仏に奉る人・霊鷲山へ参らざるはなし、いわんや民のほねをくだける白米・人の血をしぼれるが如くなる・ふるさけ古酒を仏・法華経にまいらせ給へる女人の成仏得道・疑うべしや
 ――干飯(飯を干して乾かした食品)を一斗(十升)、古酒を一筒、ちまき(もち米を葉で巻いた、五月の節句の供物)、あおざし(青麦から作った菓子)、筍などの品々をお送りいただきました。草に咲く花や、木の皮を香として仏に供養した人で、霊鷲山(仏国土)へ参らない人はいない。まして、民の骨を砕いてつくったような貴い白米、また、人の血をしぼったような大切な古酒を、仏・法華経に御供養なされた女性の成仏得道を、疑えるであろうか、絶対に成仏するのである――。
 ここに紹介された女性が、どういう人であったか、くわしいことはわからない。
 ともあれ、真心の供養をお届けした一婦人門下に対して、大聖人は″たとえ太陽や月が落ちても、その婦人が成仏しないことはない″とお約束くださっている。そして、この婦人が心をこめて用意し、お贈りした一点一点の品を、大聖人は最大の礼を尽くして受け取っておられる。
 ″民の骨を砕いてつくったような白米″″人の血をしぼったような古酒″――。なんと心のひだに染み入るようなお言葉であろうか。庶民の苦労を慈しまれるお心の深さに、強く強く胸打たれてならない。
 金品では決して測れない、庶民の涙ぐましい「苦労」。いじらしい「真心」。けなげなる「信心」。大聖人は、そうした私ども門下の真情を、庶民の心の機微を、すべてあますところなく、汲みとってくださっている。どこまでも大慈大悲で守ってくださっている。大聖人だけは、絶対に庶民を裏切るようなことはなさらない。
 「真心」が「真心」として最大に報われる世界――これが、大聖人の仏法の世界であり、私どもの世界でなければならない。そうであってこそ、私どもは心から「安心」できる。
 かりに、苦労知らずで庶民の真心がわからず、仏子の真心を踏みにじったり、それで私腹を肥やすような人間が門下の中にいたならば、大聖人のお心に反逆する者と、私どもは断ずる。ともあれ学会は、永遠に、庶民の心で、庶民とともに、庶民のために進んでいく。(拍手)
14  十方の諸仏は学会員を讃嘆
 文永八年(一二七一年)七月。お盆(孟蘭盆)を前に、大聖人は四条金吾に、次のように仰せである。
 「日蓮此の業障をけしはてて未来は霊山浄土にまいるべしと・おもへば種種の大難・雨のごとくふり雲のごとくに・わき候へども法華経の御故なれば苦をも苦ともおもはず、かかる日蓮が弟子檀那となり給う人人・ことに今月十二日の妙法聖霊は法華経の行者なり日蓮が檀那なりいかでか餓鬼道におち給うべきや、定めて釈迦・多宝仏・十方の諸仏の御宝前にましまさん
 ――日蓮はこの業障(餓鬼道に堕ちる悪業)を消し果てて、未来は霊山浄土に行くことができると思っているので、種々の大難が雨のように降り、雲のようにわいても、法華経のためであるので、苦をも苦とも思いません。
 このような日蓮の弟子檀那となられた人々、とくに今月(七月)十二日が命日にあたる妙法聖霊(四条金吾の母)は、法華経の行者であり、日蓮の檀那であります。どうして餓鬼道に堕ちられることがありましょうか。きっと、釈迦仏、多宝仏、十方の諸仏の御宝前にいらっしゃることでしょう――。
 大聖人は、四条金吾の母を「妙法聖霊」と。なんと美しき、気高き名であることか。無名の庶民をかくもあたたかく包容され、たたえられる――これが御本仏のお心であられた。
 そして「是こそ四条金吾殿の母よ母よと同心に頭をなで悦びほめ給うらめ、あはれ・いみじき子を我はもちたりと釈迦仏と・かたらせ給うらん」と。
 ――その仏たちが、「これこそ四条金吾のお母さんですよ、お母さんですよ」と、みな同じ慈愛の心で、お母さまの頭をなで、よろこび、ほめておられることでしょう。お母さんは「ああ私は、なんとすばらしい子をもったことでしょう」と、釈迦仏と語っておられることでしょう――。
 これまた、なんとあたたかい、美しき慈愛のお言葉か。御本仏のお心が、しみじみとしのばれてならない。そして「あはれ・いみじき子を我はもちたり」と。
 法華経には「父子一体の成仏」と説く。親子一体であり、親の信心で子どもが、また子の信心で親が救われていく。ゆえに何より自分自身の強盛なる信心が大切なのである。
15  さらに大聖人は「法華経に云く「若し善男子善女人有つて妙法華経の提婆達多品を聞いて浄心に信敬して疑惑を生ぜざらん者は地獄餓鬼畜生に堕ちずして十方の仏前に生ぜん、所生の処には常に此の経を聞かん、若し人天の中に生れば勝妙の楽を受け、若し仏前に在らば蓮華より化生せん」と云云」と。
 ――法華経には「もし善男子、善女人がいて、女人成仏の原理などが説かれている法華経の提婆達多品を聞いて、清い心で信じ、敬い、疑惑を起こさない者は、地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ちず、十方の仏の前に生まれるであろう。しかも生まれるところでは、つねにこの法華経を聞くことであろう。もし人界・天界のなかに生まれれば、非常にすばらしい楽しみを受け、もし仏前にあるならば、清らかな蓮華から生じるであろう」と説かれています――。
 お母さんの後生もなんの心配もありませんよ、次の世もまた妙法の世界に生まれて幸福に生きることが約束されていますよと、経文を引いて励まされている。
 また「此の経文に善女人と見へたり妙法聖霊の事にあらずんば誰が事にやあらん、又云く「此の経は持つこと難し若し暫も持つ者は我即ち歓喜す諸仏も亦然なり是の如きの人は諸仏の歎めたもう所」と云云」と。
 ――この経文に「善女人」とあります。妙法聖霊のことでなければ、いったいだれのことでしょうか。また法華経(宝塔品)には、「この法華経は持つことがむずかしい。もし、しばらくの間でも持つ者に対しては、われ(釈尊)は歓喜する。諸仏もまた同様である。このような法華経を持つ人は、諸仏がおほめである」とあります――。
 そして最後に「日蓮讃歎したてまつる事は・もののかずならず、諸仏所歎と見えたり、あらたのもしや・あらたのもしやと・信心をふかくとり給うべし・信心をふかくとり給うべし」と結ばれている。
 ――日蓮が讃嘆申し上げることは、ものの数ではありません。″諸仏がおほめである″と説かれているのだから、まことに頼もしいことである、頼もしいことであると、信心を深くおとりなさい、信心を深くおとりなさい――。
16  この「日蓮讃歎したてまつる事は・もののかずならず、諸仏所歎と見えたり」との一節を、深く、また深く拝したい。御本尊を信じ、仏道を行じる人。その人を、ほかならぬ御本仏が讃嘆されている。そのうえ、十方の諸仏がこぞって讃嘆する、と。なんとすばらしき、ありがたきお言葉であろうか。
 御本尊を信じ、仏道を行じぬいてきたのは、だれか。御本仏の仰せのままに折伏を行じ、供養し、七百年来、かつてなかった大難の連続を受けきってきたのは、だれか。私どもである。わが創価学会である。私どもこそ、御本仏も御讃嘆、十方の諸仏も讃嘆の、不思議なる誉れの同志と確信する。(拍手)
 また「十方の諸仏」とは、一次元からいえば、どこか遠く離れた存在ではない。戸田先生は、よく「学会員こそ諸仏の集まりである」と言われていた。
 たとえば創価学会第二回総会(昭和二十二年十月十九日)の講演では、「吾人(=自分)は、仏を感得しうるの大果報人であるとともに、世の中に大確信を伝えなくてはならないのであります。仏に貧乏があってなるものですか。仏が三世の仏菩薩、諸天善神に守られなくてなんとしよう。現世はかならず安穏であること疑いないのであります。されば、仏の集まりが学会人であると悟らなくてはならないのであります」(『戸田城聖全集』第三巻)と。
 また日淳上人も、「皆様方が相い応じて心も一つにし明日への誓を新たにされましたことは、全く霊山一会厳然未散と申すべきであると思うのであります。これを言葉を変えますれば真の霊山で浄土、仏の一大集りであると私は深く敬意を表する次第であります」(創価学会第十八回総会、昭和二十三年五月三日。『日淳上人全集』)と述べられている。
 また、大聖人は「法華経を持つ者は必ず皆仏なり」――法華経(御本尊)を持つ者は、必ず全員が仏である――と仰せである。
 学校も、途中で投げ出さず、まじめに学び、努力し続けるならば、いつか卒業の日を迎える。まして、生涯を正法流布に生きぬき、真摯に信・行・学の正道を歩みぬく――その人が、仏と輝かないはずがない。「必ず皆仏なり」との教えを確信しきっていただきたい。(拍手)
 親が子どもの成長を喜ぶ。それが道理である。″いつかは自分を乗り越えてほしい。立派に育った子どもの姿が、何よりうれしい″――それが親の心である。と同じように、仏子の成長を心から期待し、祈り、その幸福をわがこと以上に喜ぶ。それが仏の、仏法者の心である。
 反対に、子どもの成長を妬み、恨み、苦しめようとする――そんな親はいない(爆笑)。まして仏子のみごとな活躍と幸福の姿をけなし、おとしめようとするような人は、決して真の仏法者ではないと私どもは思う。(拍手)
17  われらは「大聖人の檀那」
 大聖人はこの御文の前に、盂蘭盆の由来が、餓鬼道の苦しみから親を救うところにあることを示されている。そして現実に渦巻く、あさましき餓鬼道の姿を、鋭く喝破しておられる。
 たとえば、「食法じきほう餓鬼」。法をむさぼり食う、出家の姿をした餓鬼である。仏法を、自分の名聞名利のために利用し、人々を助けようという心もない――。
 また、人に隠れて、自分一人だけ供養を受けたり(狗犬くけんの僧)、供養を受けたことを人に隠さなくても、欲の心に凝りかたまり、人にはまったく施さない姿――。
 そうした不知恩、エゴむきだしの貪欲な僧の姿を、大聖人は「形は人にして畜生のごとし」と、厳しく戒めておられる。
 大聖人は正反対であられた。大難の連続のなか、どこまでも「人間のため」「民衆のため」に、大法弘通に進まれた。民衆利用の既成宗教界とは、まったく異なる崇高なお振る舞いであられた。
 その大聖人の御遺命のままに、大聖人の教えられたとおりの「広宣流布」の道を行く学会である。(拍手)
 牧口先生が獄中に殉じられたのは、なにゆえか。戸田先生が入獄されたのは、そして私があらゆる難を一身に受けてきたのは、なにゆえか。一切は、法のためである。人々の幸福のためである。
 ただ「広宣流布」のため、それ以外に何もない――それが学会である(拍手)。その真実の軌跡を、大聖人が御照覧にならないはずがない。(拍手)
 心して、何ものにもだまされてはならない。正しき「信心の心」を、断じて破られてはならない。
18  大聖人は、このお手紙で、御自身につらなる檀那が、卑しい餓鬼道の世界を悠々と見おろしながら、三世十方の諸仏とともに自在に遊戯しゆく大境涯を開いていけることを、お示しくださっている。まことにありがたきお言葉と拝する。
 「日蓮が檀那」と述べられているように、私どもは「大聖人の檀那」である。ゆえに、どこまでも「御本尊根本」、どこまでも「御書根本」である。御書に照らしてどうか。一切の基準は、そこにある。
19  戸田先生はよく弘法の大変さなどについて、「文句があったら大聖人に言ってくれ」(爆笑)と言われた。冗談めかした言い方に聞こえるかもしれないが、御本仏の仰せのままに進む学会の誇りと確信がこめられている。
 今もまた同じである。何があろうと、私どもはただ大聖人の教えどおりに進んでいるだけである。(拍手)
 ともあれ、御書の御指南のままに戦う人、その人こそが、三世にわたる「幸福」と「使命」の王者であり、女王である。汲めども尽きぬ「歓喜」と「福徳」と「誉れ」の境涯を満喫していける人である。
 ――その″永遠の勝利者″の世界が、まさに、わが創価学会であることを、断言しておきたい。(拍手)
20  私どもは、この七月、八月も朗らかに、また堂々と前進してまいりたい。私も、できうるかぎり全国を駆けめぐる決意である。(拍手)
 そしてどうか、たがいの健康を祈り、励ましあい、支えあいながら進む皆さま方であっていただきたい。私も、日本をはじめ全世界の学会員の皆さまのご健康を、祈りに祈っている。この心を申し上げ、本日のスピーチとさせていただく。
 ありがとう! サンキュー・ソー・マッチ(本当にありがとう)! シー・ユー・アゲイン(またお会いしましょう)!(創価国際友好会館)

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