Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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SGI通訳会議 「勝利の山」は「勇気の岩」の結晶

1991.6.17 スピーチ(1991.4〜)(池田大作全集第77巻)

前後
2  こうして、皇帝はファイルの中から、″いちばん醜い″王昭君を選びだした。
 「彼女を匈奴に与えよう」
 さて、いよいよ出発の日。皇帝は初めて、自分の目で王昭君を見た。驚いた。何という美しさ!
 「こんなことなら、自分の目で事実を見ればよかった! ああ、何ということだ!」
 しかし、悔やんでも、手遅れであった。喜んでいる匈奴を前に、今さら約束を破るわけにはいかない。皇帝は怒りのあまり、画工たちを処刑してしまった。「このうそつきどもめ!」と。
 王昭君は、遠い北方の地へ馬に乗せられ出発した。匈奴の一員となり、三人の子どももできた。匈奴の地で没し、二度と漢(中国)には帰らなかった。一説には自殺ともいうが、真相はわからない。皇帝は、いつまでも彼女をしのんだという。(この逸話は「西京雑記さいけいざっき」にみえる)
 彼女の悲劇は、後世、多くの文学作品に取り上げられ、民衆にも語り継がれた。
 民間で伝えられた唐代の写本が、かの「敦煌」からも発見されている。今世紀初め、ここフランス出身の有名な東洋学者ペリオが発見した文書の中にある。
3  妬みから策謀が生まれる
 大聖人は、この王昭君その他の実例を挙げて教えられている。
 「人のよに・すぐれんとするをば賢人・聖人と・をぼしき人人も皆そねみ・ねたむ事に候、いわうや常の人をや
 ――人が世の中で優れた存在になると「賢人」「聖人」と思われている人々さえも、皆、そねみ、ねたむ。いわんや、常人はいうまでもない――。
 賢人、聖人と思われている人でも、そねみ、ねたむ――ここに策謀が生まれ、讒言(作りごとの悪口を権力をもつ人に吹きこむこと)が生まれる。
 優れているものを、ありのままに認め、尊敬すれば、自分もパッと開けるのだが、一念の転換はなかなかむずかしいようだ。慢心の強い人ほどそうであろう。
 日蓮大聖人の御生涯もつねに妬みとの戦いであられた。とくに良観など「賢人」「聖人」と思われている人々からの嫉妬と策謀の連続であられた。大聖人の仰せどおり広布に進む門下の私どももまた、同様の受難の道程を歩むことは必然である。
4  なお、一説には、「そねむ」の「そね(确・埆)」とは、石の多い、ごつごつした、硬いやせ地のことで、とがった、ごつごつした不快なものと思うのが「そねむ」ことという。
 これには別の説もある。また日本語の「ねたむ」の語源も不明である。それだけ古くから使われてきた言葉といえようか。いつの世も人は妬みに苦しみ、多くの悲喜劇を生んできた――。
 (六世紀ごろの「法華義疏」では、法華経に出てくる「嫉」「忌」の字をどちらも「そねぶ」とよんでいる。当時、「そねぶ」と言ったと考えられている)
 漢字の「嫉」は「疾」が病気の意味であり、女性の病気(病的な心情)と考えられた。
 もちろん、男性の嫉妬もすごい(笑い)。男性の嫉妬は「ぼう」という。
 「娼」とは、「女偏」に「冒険」の「冒」と書く。男性の嫉妬なのに、「女偏」であるのは不公平な感じがするが(笑い)、「冒」とはカブトを目深にかぶって進む顔(頭部)を示し、「目がおおわれている状態」、また、「盲進」の意味がある。
 ねたみに目がくらんで、あと先を考えずに進む――こうした男の嫉妬は、女性以上に多くの人々を不幸に巻き込み、まさに″目がおおわれたまま進む″恐ろしさを歴史に残す場合が多い。
5  王昭君を妬む女性たちは″作りごと″の絵を描かせた。大聖人を妬む他宗の僧は権力者と結び″作りごと″の文書を弘めた。
 法華経の法師品には、″在家出家を問わず、正法を持つ人は尊貴であり、その人を一言でもののしる者は、仏を面前で一劫(一説には約八百万年)の間そしるより、罪が重い″とある。
 大聖人は、この経文を挙げられたうえで、「守護国家論」で次のように仰せである。
 「一人の持者を罵る罪すら尚是くの如しいわんや書を造り日本国の諸人に罵らしむる罪をや
 ――一人の法華経の持経者をののしる罪ですら、なおこれほど重い。いわんや邪見の書を作って日本中の人々にののしらせる罪は、説きつくせない――。
 これは法華経誹謗の書についてであるが、法華経の行者であられる大聖人も、どれほど偽りの文書を流布せられたかわからない。その罪は経文に照らして限りなく深重である。この原理は三世に変わらない。
6  サント・ヴィクトワール山の由来
 さて、ここトレッツの地は、標高一〇一一メートルのサント・ヴィクトワール山の壮大な光景で有名である。聖なる勝利の山――。セザンヌをはじめとする多くの画家が、この″南仏プロヴァンス地方の象徴″を愛し、繰り返し描いた。セザンヌは、故郷のこの山を誇りとし、「なんという勢いだろう! なんと太陽を渇仰していることだろう!」とたたえた。まさに、この広大な天地とともに生き、鼓動しているかのごとき生命感、存在感がある。
 「勝利山」の名のいわれを地元のメンバーに聞いたが、どの答えもはっきりしない。(笑い)
 定説では、古代ローマの将軍マリウスが、この付近で、当時″蛮族″と呼ばれていた北方のチュートン族に勝利した史実(紀元前一〇二年八月)にちなんでいるとされる(イタリア語の「ヴェンチェク」が語源)。ほぼ王昭君と同時代である。その前は、地元の言葉で「風の神」(ヴァントゥール)と呼ばれていたという。
7  くわしい話は省略するが、将軍マリウスが、この″蛮族″に勝てるかどうかは、ローマ帝国がイタリアからスペインにいたる支配権を維持できるかどうかを決定するといわれた。彼の勝利がローマの勝利、彼の敗北はローマの敗北だったのである。状況は異なれ、指導者、使命の人の責任は、相通じる重みをもつ。また、それ以上の場合がある。
 彼は、″蛮族″の再三にわたる挑発に乗らず、はやるローマ兵を抑え、じっくりと敵の戦法や行動パターンを観察させた。この名将は、ローマ兵の一見、勇敢そうに見える大言壮語の裏に、じつは未知の敵への恐怖心が巣くっていることを見破っていた。自分の恐れを隠そうとして、勇ましいことを言い、やみくもに出撃しようとしていたのである。
 恐れは無知の産物である。実態を知れば、恐怖はなくなる。敵をよく知るにつれて、ローマ軍に落ち着き至戻った。マリウスは、自分がもっとも戦いやすい地へ、敵をじっくりと誘いこみ、包囲して全滅させた。
 この劇的な勝利を記念して名づけられたのが「勝利山」である。いわば「勝利の山」は、大いなる「勇気の岩」でできている。不動にして不壊の盤石な大岩のごとき「勇気」の結晶、集成――それが「勝利山」なのである。
8  こうした由来からもうかがわれるように、ここトレッツの地は、古代からギリシャ・ローマ文明の影響を色濃く受けている。トレッツの語源は、諸説あって定かではない。(ギリシャ文明圏で崇められた女神〈トリティスあるいはトリティア〉の名とも、ラテン語の「麦〈トリティス〉」とからともいう。トレッツの谷は麦の穀倉地帯であった)
 ともあれ、この″悠久の歴史の地″で、生命力と人間性を豊かに蘇生させながら、自身の″永遠の歴史″を刻むのが、欧州研修道場である。聖なる勝利の山――私どもにとって、本当に不思議な名前と思える。
9  フランスの話ばかりだと「ヨーロッパの研修道場」として、ふさわしくない(笑い)。最後に、イギリスの経済学者バジョットの言葉を紹介したい。
 「人生の喜びとは何か。それは人々が『お前にはできない』ということを実現してみせることである」と。
 決して無理をするということではないが、登るのが不可能に見える高山に挑み、頂を極めてこそ、喜びは大きい。高山に挑戦すれば、その分、自分の境涯も高められる。チャレンジなき平々凡々の安逸は、それ自体、敗北である。
 では勝利のためには、何が必要か――。
 さまざまに論じられるが、バジョットは「仕事の本質とは、″集中されたエネルギー″にある」とも言っている。
 エネルギーを無駄に使うことなく、「勝利」という一点に集中しきっていく。そのために、一念を定め、知恵をしぼり、団結しきっていく。そこに初めて、人々が不可能と思う「大勝」「完勝」の扉が開く。将軍マリウスの勝利も、軍の力を分散させず、ためにため、一点に集中させ、一気に爆発させた成果であった。
 皆さまは「通訳」という、かけがえのない人間交流の橋、文化交流の生命線として、使命の道を歩んでおられる。他の人にはまた、それぞれの使命の人生がある。みずから決めたこの道、私の道を、不滅の「勝利の山」の山頂へと歩みぬいていただきたいと念願し、きょうの懇談を結びたい。(トレッツ・欧州研修道場)

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