Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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ドイツ広布三十周年記念総会 差別なき世紀へ、世界に友情の連帯を

1991.6.8 スピーチ(1991.4〜)(池田大作全集第77巻)

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1  幸福を照らす″太陽″は君の中にある
 芸術の薫り高き、そしてSGI家族の、心うるわしき「ドイツ記念総会」、おめでとう!(拍手)
 信仰は、幸福になるためにある。もっとも楽しく、愉快な人生を送るためにある。最高の宗教は、最高のすばらしき一生のためにある。それが皆さまの人生である。(拍手)
 私どもは久遠よりの兄弟であり、家族である。御本仏日蓮大聖人のもと、一切平等の仏子である。仏子が幸福にならないはずがない。地涌の使徒に、偉大な使命がないはずがない。
 きょうは、そうした不思議なる縁の友が、ドイツの各地から参加されている。北はキール、ハンブルク、ブレーメン。南はミュンヘン、フリードリヒスハーフェン。東はベルリン、西はアーヘンはじめ、遠くから、はるばる本当にご苦労さまです。(拍手)
 仏道修行のため、遠路、足を運ぶ。その功徳は大きく、使命は深い。生命に崩れざる福運が積まれていく。仏法に一切、無駄はない。皆さまに、心から″ありがとう、おめでとう″と申し上げたい。(拍手)
2  ドイツ創価学会は、すばらしく発展した。広宣流布の盤石な基盤、人材輩出の流れがみごとにできあがりつつある。まことにうれしく、まことに楽しく、私は皆さま方に最大の敬意と讃嘆を送りたい。(拍手)
 太陽がひとたび昇れば、全地球を照らす。そのように、かりに一人であっても、赫々と輝く「太陽の仏法」を持った人が、厳然と信心をもって社会で活躍すれば、それだけで地域を照らし、闇を打ち破ることができる。広宣流布の世界は、おのずから広がっていく。
 ゆえに、あせる必要はない。胸中の「幸福の太陽」を輝かせていくことが根本であり、一切なのである。
 きょうはお祝いの日であり、本来ならばゆつくりとくつろいでいただきたいが、それは後ほどの″芸術祭″を楽しみにして(笑い)、全世界の人が待っているゆえに、少々、記念のスピーチを残させていただきたい。(拍手)
3  黒人意識運動――「友よ、わが尊厳に目覚めよ」
 初めに南アフリカ共和国の反アパルトヘイト(人種隔離政策)の詩人オズワルド・ムチャーリ氏と、「黒人意識運動」について紹介しておきたい。
 氏とは先日(五月二十八日、六月一日)、東京でお会いしたが、私はその″戦う詩魂″に感動した。「差別なき世界」へと生命を賭して闘争されている。その意味で、私どもと目的を同じくする。仏法にも深い関心を寄せられ、「ここにこそ私の求めていたものがある」と言われていた。(拍手)
 ご承知のように、現在、南アフリカでは、長年、抑圧され、奴隷状態に置かれてきた黒人による「人権闘争」が続けられている。
 この炎は、いよいよ激しく、とても消えそうにない。なぜか――。それは″炎″を支える、十分すぎるほどの精神の″燃料″が蓄えられているからだ。
 その″燃料″とは、たんなる憎しみではない。憎悪だけで進んだのでは、「人格」は自壊へと向かう。「人格」が壊れれば、「人権闘争」の主柱を失うであろう。
 今、燃えているのは「誇り」である。権力を振り回す、悪しき白人を、むしろ″卑しき、ちっぽけな存在″として見おろしている――いわば″黒人の尊厳″の自覚が燃えているのである。
 このように、黒人の″境涯を上げる″ことを目的とした運動が、一九七〇年代の「黒人意識運動」である。それは長い支配の間に奪い取られた、自分たちの″人格を取り戻す″啓発運動であった。
 ″私たちを解放するのはだれか? 白人なのか? 白人のお恵みで私たちは自由になるのか? そうではない! 私が私を解放するのだ。ただ黒人だけが自分を自由にできるのだ″
 発想の転換ともいえる。
 差別する側を巨大な存在として恐れ、彼らが心を入れ替えて差別をやめるのを待っているだけでは、いつまでたっても真の解放はない。
 まして彼らを見習うなんて! 彼らの悪を弾劾し、改善を要求するのは当然として、それだけでは社会の真実の「人間解放」はない。まず自分を解放することだ。そこから、確実なうねりが始まるのだ――と。
 この「黒人意識運動」は、「自己変革」が焦点であり、一種の「人間革命」運動である。運動の若きリーダーであったビーコ(一九七七年、逮捕、拷問され、三十歳で死亡)は、無気力にされてしまった同胞の姿を嘆いた。
 今や「全体として黒人はもぬけの殻、完全に打ちひしがれ自らの惨めさの中に深く埋没沈潜している影の存在、奴隷、羊のような臆病で抑圧のくびきにじっと耐えている牡牛になり果ててしまっている」(『アフリカ抱擁――文化とアパルトヘイト』土屋哲訳、サイマル出版会)と。
 白人は、不当な差別を合理化するために、「白人は優れ、黒人は劣る」という神話、迷信を、何百年も教え続けてきた。いつのまにか、黒人の側でも白人をむやみに敬い、劣等感をいだく、固定観念が生まれた。
 この″意識のカベ″を破らない限り、解放はない! 若きリーダーは、そう洞察し、行動した。
 「黒人を自分自身に目覚めさせ、空っぼの殻に生命を吹き込み、誇りと威厳を注入し、自分の国で虐待に甘んじ、暴虐な悪政のかぎりをほしいままにさせておくことは白人の犯罪の共犯者に自らがなり下がることであることを、黒人に想起させることが大切である」(同前)
 ″悪と戦わない者は悪の共犯者だ″と叫んだのである。
 仏法でも与同罪(正法誹謗の人に供養したり、その非を黙認したりすれば、誹謗の者と同じ罪を得ること)を説く。
 ″ここは、自分の国、おれたちの国ではないか! おれたちが、おれたちの先祖が築いてきた国ではないか! 何を遠慮することがあるのか!″こう彼は呼びかけたのである。
4  「アフリカの魂」うたう詩人ムチャーリ氏
 こうした「意識変革」運動に、火をつけたのが、詩人のムチャーリ氏である。氏の処女詩集『牛皮のドラムのひびき』は、人々を、自分たちの優れた「文化」に目覚めさせた。白人によって破壊された、原点たる「アフリカの魂」を思い出させた。
 私どもでいえば、御書に仰せどおりの「日蓮大聖人の御精神」にあたろう。
 彼はアフリカの同胞に呼びかける。
5   わたしは話そう そなたの高価な遺産のことを
  征服者たちが踏み荒らし 伝道師たちが破壊してしもうた
     そなたらの栄光の 過去のことを(前掲『アフリカ抱擁』)
6  彼の詩によって、とくに若者たちが、魂を揺さぶられた。
 白人を恐れ、白人を見習うことはやめよう―ありのままの尊厳な「人間」として生きよう!
 彼らは「誇り」を表明し始めた。
 「自由な自我」の境涯までみずからを高め、白人を「哀れな野蛮人」として見おろし始めた。
 まさに彼の詩は、人間解放の武器であった。
 この変化は重大だった。主人への下僕の反乱とは違うのである。限られた組織的運動のみとも異なる。お願いして待遇を変えるのでもない。海のごとく、広範な青年たちのエネルギーが燃え始めたのだ。
 「人間」としての「誇り」が燃えているのだ。こうなっては、いかなる政府も抑えきれるものではない。人々が自分の尊厳を心から自覚した時、歴史は大きく回転を始めたのだ。
 「誇り」に背筋を伸ばし、胸を張った時、人々の背中にのしかかっていた権力者たちは、あわてふためき始めた――。
 「誇り」――日蓮大聖人の仏法は、妙法を持つ人は「皆仏なり」と教える。これ以上の「誇り」はない。
 「南アフリカの人間革命運動」――その精神的リーダーであるムチャーリ氏をたたえたい。昨年、東京でお会いしたネルソン・マンデラANC(アフリカ民族会議)副議長(=一九九四年五月、南アフリカ大統領に就任)も、ムチャーリ氏との深い共鳴をもって行動されている。
7  私どもの運動は、こうした世界の「差別される民衆」の側に立った人権闘争である。
 ここヨーロッパでは「人権」意識が発達しているが、日本では数百年も遅れていると言われる。人権意識が低いゆえに、人権闘争の意義がわからず、的はずれな批判や妨害をする場合も多いようだ。残念なことである。
 ムチャーリ氏は、来日された折、日本の学者の代表に、次のように言われていたとうかがった。私自身のことにもなるが、私ども全体への励ましと受けとめ、ありのままに紹介させていただきたい。
 「池田先生は、仏法と平和の使者として、世界に仏法を弘められた。先生がいなければ、仏法がこれほど世界に弘まることはなかった」
 「私が先生を偉大であると思うのは、次のような理由です。仏法は、インドで発生しました。アフリカには十八世紀から、多くのインド人が住んでいます。しかし、それでも仏法はアフリカには弘まらなかった。そういう構想すらなかった。
 アフリカのインド人のほとんどは、ヒンドゥー教と回教を信じています。また、多くの中国人もアフリカに来ました。それでも、こういう(仏法による平和という)偉大な構想は生まれなかった。だれ人も成しえなかったことを、池田先生は実現された」
 「今、世界に欠けているのは『友情』である。とくに、アフリカは部族間の争いが多いので、そのことを痛感する。だからこそ、アフリカには仏法が必要と思う。仏法には、大衆に対する差別意識がない。すべての人を平等に受け入れる」
 「私が今回、日本を訪問し、心を開いて歓迎されたことは、私個人だけではなく、南アフリカの三千万人の黒人への心あたたまる歓迎と思う。帰国したら必ず皆に伝えたい」
 「アフリカには政治的、経済的問題があるが、南アフリカにおいては、精神的な問題が最重要と考える」――と。
8  ところで日本のアフリカ研究の第一人者、明治大学の土屋哲教授は、アフリカにSGIのメンバーが数多くいることに驚かれ、著書にこう書かれている。
 これは現代アフリカ人の「意識革命を希求する精神志向」の結果と思うとし、「カルマ(宿業)の呪縛から自らを解き放ち、人間が人間の生命の自立に目覚めるという人間革命の道を説く仏法が、先祖の呪縛にがんじがらめにされ、身動きがとれないで一生を暗澹とした気持ちで悶々の日をすごしてきたアフリカ人にとって、自力でアフリカの伝統的価値観に由来するさまざまな呪縛を断ち切り、自らの道を切り拓く希望の光明ともなったのだ」「意識革命のないところに進歩はない。私たちはつねに自己変革への心構えを堅持する必要があろう」(前掲『アフリカ抱擁』)と。
 私がお会いした多くの世界の学者も、ことごとく「人間革命の道」を志向されていた。その″人類進歩の道″の先駆を、私どもは歩んでいるのである。(拍手)
9  三世十方の諸仏もわが心中に
 さて、日蓮大聖人は、「一生成仏抄」に、こう仰せである。
 「すべて一代八万の聖教・三世十方の諸仏菩薩も我が心の外に有りとは・ゆめゆめ思ふべからず、然れば仏教を習ふといへども心性を観ぜざれば全く生死を離るる事なきなり、若し心外に道を求めて万行万善を修せんはたとえば貧窮の人日夜に隣の財を計へたれども半銭の得分もなきが如し
 ――釈尊一代の八万聖教も、三世十方の諸仏菩薩もすべて、わが心の外にあるとは、ゆめゆめ思ってはならない。それゆえ、仏教を学ぶといっても、心性(みずからの心の本性)を観じなければ、まったく生死の苦しみから離れることはできないのである。もし、わが心の外に道を求めて万行万善を修めようとするならば、たとえば貧しさに窮している人が、日夜にわたって隣の人の財産を数えたとしても、半銭の得分もないようなものである――。
 多くの宗教は、この人間の心から離れた、どこか別のところに、すばらしい絶対者が存在すると説く。そして、「人間」と、その「心」を、そうした絶対的な権威に服従し、すがるべきものとして低め、卑しんでいる。
 大聖人の仏法はそうではない。すべては、わが心にあり、「仏」もわが心中にあると説かれる。その教えどおり、胸中に、限りなく広々と光輝満つる大境涯を開きゆくための、日々の御本尊根本の仏道修行なのである。
 大切なのは自分自身である。この自分という原点を見失い、自分の尊厳さを忘れ、何かに隷属していくような弱々しい卑屈な生き方では、すべてが「無量の苦行」となってしまう。
 フランスの仏教学者コルム博士も、既成宗教の権威主義を憂えていた。
10  日達上人は、仏法の平等観について、こう述べられている。
 「仏といっても決して違うものではない。我々と同じである。大聖人も釈尊も、我々と同じ平等な人間である。人間の内こそ仏である。これは御本尊が我々の体内に持っているからして、題目を唱える時、本有の姿、成仏するのであり、そのことを心にとどめられて信心されることを願うものです」(昭和四十九年四月。『日達上人全集』)
 絶対の平等――。ここに本当の仏法がある。本当の人生があり、平和の根源があり、差別なき友情の原理があるのである。
 人間は人間以上には偉くなれない。そのありのままの「人間」を最大に尊厳ならしめる。そして最高にうるわしい平等の世界を開いていく。そこに仏法の人間主義がある。
 また、日達上人は、「仏の言葉に従って南無妙法蓮華経を唱えれば簡単にしてその功徳を頂戴することができる。そして、自分の毎日の仕事に励んでもらいたい。毎日の仕事に励んで家を富ませ社会に働きかけ、そして立派になるということは、根本が妙法蓮華経の信心からくる。それを忘れて理屈ばかりに走ってはたいへんなまちがいになります」(昭和四十八年十二月。同前)とも指導されている。
 日々の、現実の「信心即生活」「仏法即社会」の行動が、どれほど大切か。この正しき軌道を踏みはずしてはならない。
11  なお、日達上人は、正本堂の完成にちなんで、次のような一文を寄せてくださった。大切な歴史であるので、紹介しておきたい。(『池田会長と正本堂』)
 「日蓮正宗全信徒の代表としての法華講総講頭であり、創価学会会長の池田大作先生は会長就任以来十三年にして我が宗に有形無形の二つの大事業を成し遂げられた。
 その無形の事業とは八百万人の信心を喚起して本因下種の当体を覚知せしめ広宣流布への大行進を確実にしたことである。
 その有形の事業とは八百万信徒の信心を結集し、本仏への供養の真心を以て正本堂を建立したことである。
 正本堂は宗祖日蓮大聖人出世の本懐、三秘総在本門戒旦の大御本尊を厳護安置の本堂である。
 本門戒旦の大御本尊は我が正宗の宗旨の根本であり、日蓮大聖人の御当体である故、我等正宗僧俗の魂である。此の大御本尊を正本堂は永久に守護し奉る建築物である。
 今、池田先生は、日蓮正宗と、その総本山大石寺の外護を以って任じられている。依って、正本堂は池田先生の姿でもある。
 池田先生が正本堂の建立発願は、曾ての師、戸田城聖先生が正本堂建立を希望しながら時を得ず、世を去られたのであるから、その戸田先生の志を遠因とし、大御本尊を守護し奉る熱誠の表われとしての大願であろう」
 「此の正本堂建立こそ池田先生の一生の大事業となるであろう。
 大聖人は『阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房』と仰せになっている。此の言葉を借用敷衍すれば、『池田大作さながら正本堂、正本堂さながら池田大作』ともいえる。
 池田先生に二陣三陣の信徒は皆『さながら正本堂』でなければならないと思う。その覚悟が本門戒旦の大御本尊の守護を事行に修行することになると思うのである」
12  また日淳上人は、第二次世界大戦後、日本の民主主義の新出発にさいし、「民主主義と宗教」について繰り返し論じられた。
 日淳上人は、堕落した既成宗教を民主主義の敵として厳しく戒められた。それはなぜか。「尊厳なるべき個々人を侮辱し迷妄ならしむるもの」だからである。また「個人の開発」を妨げ、「民衆を愚昧ならしむる」からである。
 正法においても、こうした、仏法本来の精神に反する行為があれば、またみずからの怠慢と慢心で多くの信徒を苦しめ、迷わせる姿があれば、これこそ三宝破壊であり、仏法破壊であり、五逆罪に通じる――と、ヨーロッパの数名の幹部が厳しく語り合っていた。(拍手)
 本来、妙法は、「一切の人々が仏性を有し且つ仏となること、個人の自由と平等と尊厳を正しく合理的に説き明かし且つ実証してをる」(昭和二十四年十月。『日一浮上人全集』)。ゆえにこの妙法こそ、民主主義の基盤たりうる唯一の宗教である、と日淳上人は結論された。
 今、世界の新しい民主主義の出発にさいし、私どもは、この大法をもって、いずこの世界よりも伸び伸びと、仲良く、堂々と時代をリードしてまいりたい。
13  戸田先生「人類を仏の境涯に引き上げたい」
 仏法は、一人一人の民衆を救い、成仏させるためにある。法のすばらしさ、正しさも、それを信受した人の境涯の変革によって証明する以外にないのである。
 私の恩師戸田先生は、「仏法は、だれ一人をも苦しめない、あらゆる民衆の苦しみをば救うというのが根本であり、今一つの根本は、あらゆる民衆に楽しみをあたえることであり、仏の慈悲というのは、これをいうのである」(「王法と仏法」、『戸田城聖全集』第一巻所収)と言われている。この根本を忘れた時には、仏法は形骸化していくしかないであろう。
 また、戸田先生は、こう述べられている。
 「それ(=『如来の使い』としての学会員の使命)は、いっさいの人をして、仏の境涯におくことであります。すなわち、全人類の人格を最高の価値にまで引き上げることであります。いかにして全人類の人格を最高度に引き上げえましょうか。いかにも、これは困難な問題であります。しかし、これを知ることができなかったならば、ほんとうに、地球上に真の幸福はありませぬ。全人類を仏の境涯、すなわち、最高の人格価値の顕現においたなら、世界に戦争もなければ飢餓もありませぬ。疾病もなければ、貧困もありませぬ。全人類を仏にする、全人類の人格を最高価値のものとする。これが『如来の事』を行ずることであります」(「如来の事を行ぜよ」、『戸田城聖全集』第一巻所収)
 「全人類の人格の引き上げ」こそ一切のカギとなる――まさに戸田先生の卓見である。先生は今日の世界まで見とおされていた。
 人類の「人格」が低く、六道の野獣性に支配されたままでは、どんな政策も方策も、結局は悪に引きずられてしまうであろう。
 地上から一切の「悲惨」をなくしたい――これが恩師の生命の叫びであった。そのためには全人類を仏にし、全人類を最高価値のものとせねばならない。それこそが私ども学会員の使命である――と。
 この恩師の信念のごとく、「人類の救済」という根本目的に向かって、着実に足元を固めながら、私とともに進んでいただきたい。(拍手)
14  ドイツの皆さまへの私の願いは、ただ一つしかない。それは、ともかく、「だれよりも幸福になっていただきたい」ということである。いよいよ若々しく、いよいよ強く、いよいよ朗らかに、いよいよ仲良く、いよいよ希望高らかに、これ以上はないという価値ある「最高の人生」を歩んでいただきたい(拍手)。御本仏の子どもであり、ドイツのよき市民である皆きまのご多幸と長寿を、私は一生涯、祈り続ける。この心からの思いを申し上げ、記念のスピーチとしたい。(拍手)
 とくに、遠くからおいでになった方は、事故等に十分お気をつけて帰っていただきたい。ビンゲン市の「ドイツ総合文化センター」(=一九九七年五月三日、二年間の新装工事を完了し開館。市民から「ビラ・ザクセン」の愛称で親しまれている)の建設を楽しみに、また元気でお会いしましょう!(ドイツ文化会館)

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