Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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ドイツ・オーストリア合同最高会議 庶民こそ「王」、尊極の「宝塔」

1991.6.5 スピーチ(1991.4〜)(池田大作全集第77巻)

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9  真実の「人間尊厳」のための大仏法
 仏法は、徹底した「平等主義」「民主主義」の教えである。しかも、一人一人が本来、このうえなく尊貴な存在であると説いている。
 権威、権力の側からすると、一人一人の庶民が等しく仏の当体であり、宝塔であり、尊極の存在であるという仏法の教えは、自分たちの権力基盤を脅かす危険な思想となる。だからこそ、その大法の流布に励む者には、迫害が打ち続くのである。
 私ども創価学会は、庶民をさげすみ、支配し、いじめてきた人間の歴史を逆転させて、″庶民″を″王″にする戦いを展開している。その私どもに、さまざまな迫害や中傷が加えられることは、当然でさえある。むしろ、それこそが、私どもの実践の正しさ、偉大さを証明しているのである。
 また、日達上人は、こうも述べられている。
 「地・水・火・風・空の、世の中のすべての当体が南無妙法蓮華経であり、我々の体そのものが妙法蓮華経の当体であるということを大聖人が悟られて、そして末法の我々に、南無妙法蓮華経の文字としてお示しくださったのであります。だから、大聖人の教えに随って、大聖人の教えを信じて南無妙法蓮華経と唱える人は、即座に当体蓮華仏であります。我々は、当体の仏として、凡夫身そのままで即座に仏である。けっして、この体が変わってしまうとか、女の人が男の体に変わってから仏になるとかいう爾前経の教えではなく、凡身そのままをもって仏に成ると説かれるのでございます。
 これを名字即の位と申しまして、凡夫身そのままで生きている人間が、南無妙法蓮華経と唱える修行によって即座に立派な仏の境涯に到達する、これを当位即妙と申します」(昭和五十三年九月。『日達上人全集』)
 われわれ凡夫が、この身このままで、仏の境涯に到達できるのが、大聖人の仏法なのである。そのことを教えられたのが、「阿仏房さながら宝塔」の御文の本義と拝される。
 このように、皆さまは、尊極無上の「宝塔」であり、「妙法の当体」であられる。「仏子」である皆さま方の健康と幸福、福運と長寿を、私は日々懸命に祈り、また、そのために行動している。(拍手)
 ともあれ、お体を大切に、二十一世紀の″栄光の大空″へ、全員が元気に雄飛していっていただきたい。そのためにも、今日は早く寝て、ゆっくりと″機体″を休めてほしい(笑い)。以上をもって、″偉大なる歴史″を刻んだ本日の最高会議を終了します。ありがとう。(フランクフルト市郊外)

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