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日蓮大聖人・池田大作

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第四十三回本部幹部会 仏法は人類の宝、われらは世界が舞台

1991.6.1 スピーチ(1991.4〜)(池田大作全集第77巻)

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2  さて本日は、東京・新宿平和会館が落成し、多くの友が集っている。本当におめでとう。(拍手)
 新宿といえば、先日もこの会場(創価国際友好会館)で、学会本部のある地元の本部の会合が行われた。約八百人のメンバーが喜々として参集されたことを、出席した幹部からうかがつた。
 また、県長たちも「多士済々の人がいて、うらやましい。全国模範の本部である」と語っていた。本陣・新宿は新宿長、区婦人部長を中心に、大きく成長し、発展している。
 組織の中心者が、人柄が良く、真剣に戦っているところは、皆が幸せである。どうか全国の皆さまが、わが地域に「模範の本部」「世界一の本部」を築いていただきたいと念願する。(拍手)
 さらに本日は、雲仙岳の噴火活動が心配されている長崎・島原でも、元気に集われるとうかがった。現地の皆さまにお見舞い申し上げ、無事を心から祈りたい。(拍手)
3  「戦争の世紀」から「平和の世紀」めざして
 話は変わるが、昨日(五月三十一日)、SGIが推進している「戦争と平和展」がモスクワで開幕した(拍手)。これは、ニューヨークの国連本部をはじめとして、世界を巡回しており、今回が四回目となる。
 ソ連国内でも開幕以前から連日、大きな反響を呼んでいるが、日本でも、開幕の模様が早くも今朝のテレビ・ニュースで報道されていた。SGI代表団の活躍の様子も見てとれ、うれしかった。また、ゴルバチョフ大統領はじめ各界の要人や識者の期待と称讃の声も、代表団から相次ぎ報告が届いている。
 この展示は、「戦争の世紀」であった二十世紀から、きたるべき二十一世紀を「平和の世紀」へ、そして「文化」と「人間性」の輝く世紀へと転換しゆくことをめざしたSGIの運動の一環である。私どもSGIは、日蓮大聖人の仏法を基調として、新しき「英知の波」「人間主義の光」を全世界に広げている。これほど創造的に、地球規模の壮大なスケールで、人類のための運動を展開している団体はないであろう。まして仏教団体としては、未曾有の壮挙であると確信する。(拍手)
 大聖人の仏法は、全人類の宝である。ゆえに、その実践は小さな世界、限られた国にとどまらず、必然的に全世界が舞台となる。口で世界宗教を唱えても、それにふさわしい行動がなければ意味がない。私どもの運動こそ、大聖人の平和の仏法を世界に宣揚していることを確信していただきたい。(拍手)
 なお、この八月には、「戦争と平和展」が国内で初めて広島で行われることになっている。広島の皆さまには準備等でお世話になると思うが、どうかよろしくお願いしたい。(=八月三日〜二十日、広島市の広島平和記念会館で開催された)
4  アイトマートフ氏の小説『セイデの嘆き』
 さて「戦争の世紀」といえば、最近、日本で発刊された作家チンギス・アイトマートフ氏の小説にも、第二次大戦中の一人の女性の″忘れ得ぬドラマ″がつづられている。それは脱走兵の妻を主人公にした物語で、タイトルは『セイデの嘆き』(邦題)という。
 この作品は、このほど潮出版社から刊行された『チンギス・ハンの白い雲』(飯田規和・亀山郁夫訳。『セイデの嘆き』は亀山訳)に収められている。
 なお、本の題名ともなっている中編小説『チンギス・ハンの白い雲』は、検閲と思想統制の厳しい時代には、描きたくとも描けなかった歴史的悲劇の側面を伝える作品であり、ゆえに、この本は「ソ連にペレストロイカが起こらなければ、発刊されなかった」といわれる。(=『セイデの嘆き』も、一九五八年に初めて発表された元の作品をペレストロイカ後に書き改め、『チンギス・ハンの白い雲』と同じく九三年、旧ソ連で発表された)
 アイトマートフ氏は、ゴルバチョフ大統領と私の、共通の親友である。氏は″ナイト(騎士)″の精神の人であり、革命児である。「正義」と「友情」のためには、命を賭して闘う男性である。
 「友情」の強き絆――それは人間としてかけがえのない宝である。金品や術策などで決してあがなえるものではない。真の人間性の世界を知らない者には、それがわからない。卑しいことである。悲しいことである。
 ゴルバチョフ大統領の来日を記念して発刊された『チンギス・ハンの白い雲』は、氏との「友情」の一つの結晶であり、私にはとくに大切にしたい一書である。
 なおアイトマートフ氏は、現在、「ヨーロッパの緑のハート」とうたわれるルクセンブルクで、大使として活躍されている。私との「対談集」の準備も進んでおり、おたがいに再会を心待ちにしている。
5  小説『セイデの嘆き』は、戦争中、十四歳の氏が故郷キルギスの村で目のあたりにした事件をもとにしている。ここでそのあらすじを簡潔に紹介したい。
 舞台は、ポプラの梢が風にそよぐ美しいキルギスの村。可憐な花嫁セイデは嫁いでまもなく、夫を遠い戦場へと送り出さねばならなかった。召集である。夫が出兵してから生まれた乳飲み子をかかえ、老いた病弱な姑の面倒を見ながら、彼女は隣人と励まし合って懸命に夫の留守を守っていた。
 第二次世界大戦のころである。日本でも何百万という女性が、同様の苦しみ、悲劇を味わった。いずこの国でも、もっとも弱い人がもっとも悲惨な目にあうのが戦争である。ゆえに絶対、平和主義でいかねばならない。(拍手)
 そんなある日、突然、夫が戻ってくる。再会の喜びは大きかった。しかし、彼女はたちまち果てしない不安につき落とされる。夫は脱走兵として、戦場から一人逃げ出してきたのである。かつての働き者で優しい夫とは、まったく別人になっていた。スターリンの独裁の時代であった。たしかにたいへんな苦労もあったろう。ある意味で、彼も戦争の犠牲者であった。
 だが、いまや夫は、自分が生き延びることしか考えない、浅ましい男に変わり果てていた。それでもなお、彼女は、献身的に夫に尽くす。″どんな時でも夫婦は一心同体″と思っていたのである。けなげな姿であった。
 彼女は、脱走兵の夫を、村人に見つからぬようにかくまって懸命に守った。貧しい村の食料が底をついていくなかでも、彼女は必死にやりくりをして、夫がひもじくないよう、食べ物を用意する。夜中、人目をしのんで、隠れ家の洞穴まで、そっと届けるのだった。
6  しかし夫は、しだいに貪欲さを増していく。「家には、まだ何か残っているだろう。隠すな!」と彼女につめ寄る。口を開けば食べ物の話ばかり――。妻や子どもへの思いやりも、まったくなくなってしまった。
 「信念」を失った人間は怖い。欲望の奴隷になってしまう。まして、その人間が権威をもっている場合は、そのもとにいる人々は悲惨である。
 彼女は、それでも夫をかばった。守りに守った。自分の夫が卑怯な脱走兵であるという恥ずかしさや、みじめな思いも耐え忍んだ。
 ただ、逃亡してきた夫と入れ違いに、弟のような青年たちが出征する。わが青年部のように生き生きとした若者が、愛する村人を守ろうと戦場に赴いていく――。そうした姿を見るにつけ、彼女は自分が身代わりになっても、青年たちを助けてあげたい、との思いにかられた。
 また、他の妻たちの境遇を思うと、自分の夫だけがおめおめと逃げて帰ってきたことへの、負い目、引け目は、どうしてもぬぐえなかった。彼女は葛藤した。このまま夫を支えるのが正しい道なのか――。深く悩み、苦しんだ。
 さらに彼女を励ましてくれた姑が亡くなった。けれども夫は、実の母が死んだにもかかわらず、捕まることを恐れて弔いにはこられない。哀れな姿であった。
 ――昨年、恩師の三十三回忌を盛大に営んだ。弟子として、絶対になさねばならない責務である。しかし、学会を裏切り、同志を裏切った輩は、参列もできなかった。彼らが、いかに「戸田門下」と名乗り、「元幹部」と胸を張ろうが、その背信の実体はこの一点だけでも明らかである(拍手)。いかなる理屈をつけようとも、この事実の姿が、恩師を利用するだけの、彼らの卑しい心根を、何よりも雄弁に物語っている。(拍手)
7  「人間の尊厳」守る英雄はだれか
 セイデは、それでも、情けない夫を守った。彼女は、信じ、尽くし、支えた。まさにわが身を削って守ってきたのである。ところが、ついにその彼女が、夫を見限る時が来る。捨て去る時が来る。いったい、何が起こったのか。
 ある日、彼女の隣の家で牛が盗まれる。その家では、夫が戦死し、残された妻が二人の幼い子どもと寄り添って生きていた。その貧しい母子にとって、一頭の牝牛だけがかけがえのない命の綱であった。あどけない子どもたちが、その牛のミルクをどれほど待ちわびていたことか。
 いわば、その家の牛だけは、だれ人も″絶対に盗んではいけない牛″であった。ところが、それを盗み、殺して食べてしまった人でなしがいた。それが、なんと脱走兵のわが夫だったのである。
 もっとも弱い人間を苦しめる――人間として最低の行動。彼女は断じて許せなかった。彼女の命がけの献身の真心は、結局、夫に裏切られ、踏みにじられた。彼女の誠心誠意が、逆にあだになった。夫のどうしようもない″甘ったれ″を増長させてしまったのである。悲劇といえば、これほどの悲劇もなかった。
8  彼女は、夫の正体を、底の底まで見極めた。いかなる理由があるにせよ、人間として許せぬ悪行である。彼女の目は、もう情には曇らされなかった。道理に照らし、人間性に照らして、絶対に妥協しなかった。
 「不幸のさなかに自分の人民を捨てた人間は、いやおうなく人民の敵となるのよ! わたし、そこからはあんたを守れなかった、そう、守ろうにもできなかった!……」(亀山郁夫訳、一削掲書。以下、引用は同書から)――と。
 そして、彼女は夫を、深い悲しみとともに、脱走兵、また牛泥棒として、裁きの手にゆだねる。彼女は、もはや迷わなかった。決然と行動した。
 ラスト・シーン。――兵士たちに追われた夫は、盗んだ機関銃で身構える。さあ、来てみろ、撃つぞ! と。この期におよんでの、見苦しき反抗。その夫に向かって、セイデは、腕に赤ん坊を抱いたまま、一歩また一歩と近づいていく。周りにいた兵士たちは叫ぶ。「戻れ!」「殺されちまうぞ!」。しかし、彼女は立ち止まらない。厳然と歩く。
 私も、いかなる迫害があろうとも、戸田先生の弟子として、厳然と歩む。進む。(拍手)
9  アイトマートフ氏は、次のように書く。
 「彼女はまるでどんな脅しにも屈しないといった様子で、落ち着き払い、平然と歩いていた。唇はきつく閉じられ、両目はかっと見開かれ、その視線はゆるぎなかった。そこには内面の大きな力が感じられた。それは公正とおのれの義しさを疑わぬ女の力だった」と。
 機関銃を傲然と構えた脱走兵。赤子を抱えたその妻。二人の間隔はだんだん狭まっていく。やがて二人は面と向かいあう。苦労のあまり、若い妻の頭は、すっかり白髪でおおわれていた。
 その妻を前にして――。
 「彼は突然、彼女がはるかな高みに立ち、おのれの卑小な悲しみをもってしては近づきえないけだかい女であり、その前では自分が無力で、まるでみじめであると思えたのだった」
 ついに、脱走兵は気づく。ただ生きたいがために、妻の献身的な真心を貪るだけの、卑しくちっぽけな己の姿を。そして自分の言いなりにできると思って、あなどり、わがままを押しつけてきた妻の本当の気高さ、偉大さを――。
 負けた。かなわない――脱走兵は機関銃を投げだし、降伏する。
10  人間の偉大さと、人間の卑小さ――。その対比を、アイトマートフ氏は鮮やかに描いている。人間として、だれが勝利者なのか、敗者なのか。
 ずる賢く、うまく立ち回って、世の拍手をあびる人間がいる。正義を曲げないがゆえに、世の指弾を一身にあびる人がいる。
 友を裏切り、自分のその負い目を隠し、正当化したいゆえに、裏切った友を悪人に仕立てあげようと策謀する人間がいる。裏切られても、なお自分だけはと、崇高な誓いを貫こうとする義人がいる。
 表面のみを見れば、要領よく生きたほうが得かもしれない。しかし、心はみずからの悪の泥にまみれる。胸中は、光の差さない、真っ暗な洞窟となる。友情の花も咲かない。希望という新鮮な空気もない。誓いに生ききった、さわやかな満足もない。ただ、うしろめたく、ただ、むなしい。これで幸福といえるであろうか。人間らしい一生といえるであろうか。
 一方、「正義」に生きぬいた人は、青空のごとき人生となる。″人間性の城″の城主として、王者として、塔の高みに立って晴れわたる大空を仰ぎ、大満足の緑野を見渡し、つねに未来への希望の風を胸いっぱいに呼吸して生きる。これこそ「勝者」である。これこそ、私どもの人生である。(拍手)
 「幸福」の要件は、みずから決めた使命の道を歩みぬいていく「勇気」にある。そのことを、どうかみずからの尊き人生で証明していただきたい。(拍手)
11  ″母の力″が権力にまさる社会を
 ともあれ、「人間性」の尊厳は、ギリギリのところで、″女性の力″で守りとおされた。まだ論ずべきことは多いが、これが、この小説の一つの主題であるといってよい。
 次元は異なるが、私どもには、御書の「いかなる男をせさ為夫せ給うとも法華経のかたきならば随ひ給うべからず」――どのような男を夫にされようとも、法華経の敵ならば、したがわれてはなりません――との一節が、深く思い起こされてならない。
 ところで、アイトマートフ氏の母もまた、偉大な母であった。彼女の夫は、スターリンの独裁権力によって殺害されている。人の生命を虫けらのごとく踏みにじる、つねに変わらぬ権力の冷酷さ。ある意味で、仏法とは、そうした権力悪との絶えざる戦いである。ゆえに、難が起きることは必然である。
 世間においても、「信念」の行動をすれば、何らかの波風が立つ。迫害がある。時には、牢獄に入れられ、殺される。ムチャーリ氏も、南アフリカで六カ月間も投獄されている。「信念」に生きる人は皆、戦っている。真剣である。
 私は、皆さまの屋根となって、一身に嵐を受け、守ってきた。しかし守られすぎて、仏法、人生の厳しさを忘れることがあっては断じてならない。
 アイトマートフ氏の母は、最愛の夫を失い、体の弱いなかで経理の仕事をして、四人の子どもを立派に育て上げる。そのけなげな姿は、学会の婦人部をほうふつとさせる。長男のアイトマートフ氏にも、「生活は苦しくてもかまわない。勉強しなさい」と学校にいかせてくれた。
12  アイトマートフ氏は、現在準備中の私との「対談集」(=『大いなる魂の詩』読売新聞社、平成三年十一月発刊。本全集第15巻に収録)で、こう語っておられる。
 「私の母のイメージは神聖です。母は優しい愛、誠実さ、勇気を体現していました。私の作品に登場する女性のもつ優れた特質は、すべて母がもっていたものです」
 愛、誠実さ、そして勇気――本当の人間性の真髄をもっていたのが母であったと。先ほどの作品の中でも、アイトマートフ氏は、セイデの義母の口を借りて「誰も誰に対しても権力はふるわない」という、人間愛の社会への″母の夢″″母の願い″を描いている。
 だれも権力を乱用しない世の中、だれにも権威を乱用させない世の中。それを母は念願していた。氏は、子どもとして、この″母の心″を書きつづってきたのである。(拍手)
 氏と私は語り合った。「″母の力″が″権力″に勝る社会を作りましょう!」と。
 対談中、氏が何度も口にされた言葉である。私もまったく同じ思いである。
 ″母の愛″が″権力″を従え、自在に使っていく社会。″育む心″″慈愛の心″が、政治・経済・教育・文化、一切の分野の基本になっている社会――。一次元からいえば、わが学会婦人部の目標もここにあるといえよう。(拍手)
13  ユゴー″敵があるのは当然。一笑に付して強くあれ!″
 さて話は、ソ連からフランスヘとガラリと変わる。(笑い、拍手)
 いよいよ「ヴイクトル・ユゴー文学記念館」のオープンが目前に迫った。記念館は、フランスの第一級の新聞「フィガロ」でも大きく取り上げられるなど、各界から多くの期待の声が寄せられている。また、日本の文芸部の有志の方々が、記念として、ユゴーの珠玉の言葉を集めて贈ってくださった。
 その一つに、私の好きな次のような言葉があった。当時、四十代であったユゴーが、ある日、失意の底にいる友人を励まそうと、家まで足を運んだ時のことである。
 人間関係の葛藤などで、すっかり元気をなくした友は、ユゴーが訪ねていってもニコリともしない。ユゴーは、じっくりと語りかける。いわばユゴーの行った″ミニ懇談″(爆笑)。その時の言葉である。
 小単位の懇談が大切である。直接、目と目を交わしながらの対話。たがいのぬくもりが感じられる距離。一方通行でない、納得の語らい。そうであってこそ、疲れた心をうるおし、閉ざされた心を開き、迷える一念を確信と希望の一念に変えることができる。
14  さて、ユゴーは言う。
 「あなたにはあなたの敵がいる。けれども、この世の中に敵のいない人間などいますか?(中略)こんなふうに言うわたし自身、かれこれ二十年も前から戦いに明け暮れてきたではないですか? 二十年も前から、わたしは憎まれ、こきおろされ、敵に売られ、裏切られ、罵倒され、やじられ、嘲笑され、侮辱され、中傷されてきたではないですか? 作品を風刺されたり、行動を茶化されたりしたではないですか? 人につきまとわれ、偵察され、罠をしかけられ、罠に掛かったことだってあるではないですか? 今日も、うちからお宅まで来るあいだ、わたしが尾行されなかったなんて、いったい誰に分かります? けれども、こうしたことのどれもこれもが、わたしにとって、なんだというのですか? わたしは無視しています」(『私の見聞録』稲垣直樹編訳、潮出版社。以下、引用は同書から)と――。
 この時、ユゴーの友人は、すっかり精神的にまいっていた。気の毒なくらいに憔悴していた。その友にユゴーは、いちいち神経質にならず、すべてを笑いとばしていく、おおらかな強さをもて、と呼びかけていく。
 私も、ユゴーの言葉どおり、迫害の連続であった。フランスのジャック・タジャン氏(フランス・リベルテ・ダニエル・ミッテラン財団支援協会会長)は、「崇高な理念を、そのまま行動に移して戦っている」と、私をユゴーに比してたたえてくださった。(=四月二日の第一回第二東京総会の折。本全集第76巻に収録)。もとよりあたたかな励ましではあるが、悪口や策略を「一笑に付して」堂々と前進してきたことは間違いない。神経質になっては負けである。その場かぎりの世間の評価に悩んだり、くよくよしていては、自分で自分を追いつめるようなものである。すべてがマイナス志向となっていく。これでは熾烈な人生レースにも負けてしまう。
15  ユゴーはさらに、こう語る。
 「あなたに敵がいるですって? でも、それは大事業を成した人、新しい思想を打ちたてた人ならば、誰にでもいえることです。光り輝くもののまわりには必ず、雑音を放つ黒雲が群がるものです。名声に敵が付きものなのは、光には、まわりに群がる羽虫が付きものなのと同じです。敵など、気になさることはありません。無視すればいいのです。あなたの人生に曇りがないのですから、心にも静かさをお持ちなさい。『あいつを苦しめ、あいつを悩ませているのだ』と考える喜びを、敵に与えることなどおやめなさい。楽しく、ほがらかにしてください。世の喧噪を低くみて、強く生きてください」と。
 ――ユゴーの励ましに、友人もだんだん元気を取り戻していく。そして最後には、ようやく笑顔を浮かべ、「心の平静というのは伝染するのですね」とユゴーに感謝する。
 ″敵がいるのは、戦っている証拠だ。敵もいない人間に何ができるか。笑いとばせ!″
 私には、このユゴーの言葉が、戸田先生が晩年に言われた言葉「人生は強気でいけ」と、共鳴しあって胸に響いてくる。また、きょう出席くださっているムチャーリ氏も、先日の会談の折、青年に対して、何より「強くあれ、勇気を持って立て」とメッセージを送ってくださった。
16  さて、ユゴーが亡命中、シェークスピアについてつづった論文に、次のような論調がある。
 ″偉大な人間をはずかしめようとする者は、その相手の偉大さに便乗して自分を偉く見せようとしているのである。しかし結局、失敗して、世の中に埋もれてしまう。あわれな末路をたどる。しかも彼らの邪悪な攻撃は、偉大な人間を傷つけるどころか、かえってその評価をますます高めていく。真実は時とともに明らかになるからである″と。――
 学会を誹謗する人間たちも、自分自身には一個の人格としてなんの偉さもない。社会貢献の行動もない。大法弘通・広宣流布への功労もない。戸田先生への報恩もなければ、学会員への責任の奉仕もない。ただ彼らは、空っぽな自分を大きく見せかけるために、偉大な学会への非難を繰り返しているのである。皆さま方は、彼らの屈折した心を鋭く見抜いていただきたい。そして、批判されればされるほど、学会の偉大さがいっそう光り輝くことを確信していただきたい。真実は時とともに明らかになっていく。これまでもそうであったし、これからもそうである。(拍手)
17  恩師は叫ぶ「師子の子は師子の子らしく」と
 戸田先生はよく「猶多怨嫉況滅度後」の経文を引かれた。これは法華経法師品第十の文である。釈尊の時代ですら、なお怨嫉が多い。いわんや滅後は、なおさらである――と。難こそ、正しき法華経の実践者の証明なのである。世間、権力からの攻撃がないのは偽物なのである。
 戸田先生は、この御文について、こう語られた。(昭和三十一年五月十五日、大阪での「瑞相御書」講義。『戸田城聖全集』第六巻)
 「釈尊の在世ですら怨嫉が多いのであるから、末法今日においては、なおさら怨嫉が多いということです。さらに日蓮大聖人様のような御立派な仏様がお出になって、末法のわれわれ衆生を救わんとされているのに、それでもなお怨嫉が多い。われわれのような、大聖人様に比べればケシつぶのような人間が、もったいなくも大聖人様の教えを奉じて、日本民族を救わんがために、邪宗・邪義を破ろうとするので、なおさら怨嫉が多いのはあたりまえだと思っております。だが不肖、私も大聖人の弟子であります。師子の子は師子の子らしく、そんな迫害や怨嫉に驚いてはならない」と。
 戸田先生の叫びである。私は先生の弟子である。弟子であるゆえに、先生と同じく、正法の破壊者と断じて戦ってきたし、これからも戦う。何ものも恐れない。(拍手)
 先生はさらに、「いかに学会を憎もうとして、いかに学会を陥れようとして誰人が騒ごうとも、彼らは犬、野干(=キツネの類)のごときものだ。われわれは師子王です。師子王の子供が犬、野干のごときものに恐れてなんとしましょうか」と。
 「聖人御難事」には、こう示されている。
 「師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし、彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり
 ――師子王は、百獣を恐れない。師子の子もまた同様である。かれら(正法を誹謗する人々)は野干がほえるようなものだ。日蓮の一門は師子がほえるのである――と。
 そして戸田先生はこう言われた。「こんなこと聞いたら悪人たちはおこるでしょう」と(爆笑)。「おこるのを恐れたら、こんな大きな声でしゃべりはしないから安心しなさい」と続けられた(爆笑)。悠々たるお姿であった。何ものをも恐れないから、言うべきことを堂々と言っているのだ、と。
 ともあれ、学会っ子は学会っ子らしく、「大勇」の地金を出して、「師子の叫び」を叫びきってまいりたい(拍手)。そして、だれが何と言おうと、御本仏のおほめにあずかって、三世に崩れぬ幸福をつかめばよいのである。自分が大福運の「王者」となれば、それでよいのである。(拍手)
18  ダンテの信念「人生は戦い、戦いは真剣勝負」
 怒るべき時に怒る。それは人間の権利である。
 イタリアのある町に、一軒の鍛冶屋があった。一人の鍛冶工が、詩聖ダンテの傑作『神曲』の一節を、自分勝手に改変し、卑猥な文句をまじえて歌いながら、仕事をしていた。
 そこへ、通りかかった一人の長身の紳士が飛び込んできた。そして、いきなり鍛冶工の手にしていた金槌を取り上げ、往来に放り出した。
 「何をするんですか!」
 鍛冶工が驚くと、紳士は、「自分が懸命につくったものを、めちゃくちゃにされて、黙っていられるか!」と。
 「何ですって? 私があなたの何を壊したというのです!」
 紳士はさらに、往来じゅうに響くような大声で言った。
 「わが心血を注いだ『神曲』を、おかしな文句で壊したではないか!」
 ダンテその人であった。鍛冶工は黙って下を向いてしまった。ダンテは、今度は穏やかに、「お前でも自分の作ったものを壊されたら、腹が立つだろう?」と。
 「はい。もちろん怒ります」
 「私も同じことだよ」
 ダンテは、そう言って金槌を拾って返した――。
 こういうエピソードが伝えられている。ダンテの人柄をしのばせる。詩聖は、かくも真剣であった。一行一句に、精魂をこめ、生命をこめた。
 ″わが詩を壊す者は、わが生命を壊す者だ。黙っていられるか!″″人生は戦いだ、戦いは真剣勝負だ!″。
 晩年にいたるまで、この怒り、この情熱、この率直さ、この自負と確信で、彼は生きた。ゆえに最後まで若々しかった。こと「詩」に関しては、絶対に妥協がなかった。
19  「広布の和合僧」ありて正法は永遠
 いわんや、私どもは「正法の和合僧」を心血をそそいでつくっている。恩師が「戸田の命よりも大事」といわれた「広宣流布の組織」を営々とつくってきた。
 御本尊を根本に、御本仏の御遺命のままに、歴代会長をはじめ幾百万の尊き庶民が、地涌の闘士が、全人生をかけてつくりあげた「妙法流布の宝城」である。生命を削った辛苦の結晶である。また全人類の希望である。
 それを、だれ人であれ、破壊することは極悪の所業である。そうした策動を前に、黙っていることは、私どもは絶対にできない。(拍手)
 一人の信仰者を一人前に育て上げることは、どれほどたいへんか。折伏の労苦の並大抵でないことは言うまでもない。入会してからも、毎日通って勤行を教え、確信を与え、ありとあらゆる問題を乗り越え、祈り、語り、励まし、それこそ赤子を育てる母のごとく、忍耐と慈愛の限りを尽くして、育んできた。
 それを、育て上げるまで、自分は何ひとつせず、まるで果実だけを盗む泥棒のように、獲物をねらう卑しい猫のように、すきを見ては横取りしようとする。まともな人間のすることではない。
 それで、誘惑された本人が幸福になるはずもない。せっかく心田に植えた成仏の種を、芽を、めちゃくちゃにされるだけである。私どもの、せっかくの労苦も台無しである。御本仏のお嘆きは、いかばかりか、わからない。
 もし、そうした動きが、いささかでもあるとしたら――。私どもは断じて、このような卑劣な悪に黙っているわけにはいかない(拍手)。戦わず、黙っていることは、悪を黙認し、悪に手を貸す結果となる。
 そもそも、自分に本当の確信があるのなら、世界は広いし、日本にも正法を知らぬ人が幾千万人もいるのだから、そうした人々に、自分が苦労して弘法していけばよいではないか。(爆笑、拍手)
20  ここで御書を拝したい。仏道修行を妨げる「魔」。それは、どんな特徴をもっているのか――。
 大聖人は、南条時光に、こう警告されている。
 「もつてのほかに・人のしたしきも・うときも日蓮房を信じては・よもまどいなん・上の御気色もあしかりなんと・かたうど方人なるやうにて御けうくむ教訓候なれば・賢人までも人のたばかりは・おそろしき事なれば・一定法華経すて給いなん、なかなか色みへでありせば・よかりなん
 ――思いがけなく、親しい人も疎遠な人も「日蓮房を信じていては、さぞかしたいへんでしょう。主君の御おぼえも悪いでしょう」と、味方のようなふりをして教訓する。そうすると、賢人でさえも人の謀は恐ろしいもので、あなたは必ず法華経を捨てられるでしょう。それくらいならば、かえって初めから、法華経を信じているそぶりを見せないほうが、よいでしょう――。
21  大魔は「法」でなく「人」を非難する
 ここに魔の特徴を明確にお示しである。
 第一に、「法華経を捨てよ」とは言わないで、むしろ「日蓮房から離れてはどうか」と誘うというのである。魔は、多くの場合、あからさまに「信心をやめよ」とは言わない。
 すでに評価の定まっている「法華経」、今でいえば「御本尊」の悪口は口にしない。まだ生きておられ、善悪さまざまに見られている大聖人から離れるように言うのである。結果的に、それが「法華経を捨てる」ことになっていく。心はすでに魔に破られているからである。
 「法」の悪口ではなく、「人」の悪ロ――これが魔の、第一の″行動パターン″である。
 第二に、「かたうど方 人なるやうにて」と記されているように、味方のような顔で近づき、「あなたのためを思って言うのですよ」と、甘く語らう。しかも、ふだんは全然、疎遠で、どちらかといえば冷たく、会えばこちらを見くだしていたような人まで、この時ばかりは、急にやさしい声をだして(笑い)、思いがけなく近づいてくる。
 第三に、誘惑も、正面きった理論的なものではなく、「日蓮房についていたら、たいへんでしょう。主君(今でいえば上司、世間)のおぼえも悪いでしょう」と、世間的な″人情論″にからめてくる。
 ″こちらのほうが安心ですよ。そんなに好んで苦労することはないではないですか。難ばかりの日蓮房のもとにいるよりも、もっと楽しく生きたほうがよいですよ″――などと、経文に照らせば、まったく的外れの言を弄して、動揺させようとする。まさに「たばかり(策謀)」である。
 続いて大聖人は仰せである。
 「大魔のきたる者どもは一人をけうくん教訓をとしつれば・それひつかけ引懸にして多くの人をとすなり
 ――大魔がとりついた者たちは、一人を教訓して退転させたときは、その一人をきっかけにして多くの人を攻め落とすのである――。
 全部、黒い「作戦」なのである。奸智なのである。仏の勢力を全滅させたいが、それを表には出さない。まず「一人」、また「一人」と、堤に穴をあけるようにして攻めてくる。ささいに見える動きの奥に、大きな野望、謀略がどす黒く渦を巻いている。これが「大魔のつきたる者ども」の第四の″手口″である。
 これだけ、条件が示されていれば、これらに多くあてはまる存在こそ、「大魔」の手先と見分けることができよう。大聖人が、今日の私どものために残された御文と拝される。
 「賢者」になっていただきたい。愚かでは、道を誤ってしまう。苦悩の人生へと、足を踏みはずしてしまう。
22  さらに大聖人は、具体例をあげられる。
 「日蓮が弟子にせう少輔房と申し・のと能登房といゐ・なごえ名越の尼なんど申せし物どもは・よくふかく・心をくびやうに・愚癡にして・而も智者となのりし・やつばら奴原なりしかば・事のこりし時・たより便をえて・おほくの人を・おとせしなり
 ――日蓮の弟子の少輔房といい、能登房といい、名越の尼などといった者たちは、欲深く、心は臆病で、愚かでありながら、しかも自分では智者と名乗っていた連中だったので、ことが起こった時に、その機会に便乗して、多くの人を退転させたのである――。
 少輔房、能登房という″僧侶″が、そして名越の尼という、草創期からの″大先輩″が、大聖人のもとに集った在家の信徒を退転させようと狂奔したのである。この冷厳な歴史の事実を、鋭く見つめていただきたい。(拍手)
 彼らは、(1)強欲である(2)内心は権威・権力を頼まねば何もできない臆病な人間である。臆病は「病」と書くように、病んだ不健全な心である。そして(3)愚かなのに慢心が強く、自分では智者とうぬぼれている――。こうした、いわば″人格破綻者″である。
 このように、「大魔のつきたる者ども」の性格は、永遠に変わらぬ普遍性がある。今もまったく同じであると、私どもは思う。(拍手)
23  日達上人「信者の集団を破壊するのは五逆罪」
 さて、日寛上人は、次のように述べられている。
 「他宗の僧は当宗の俗に劣れり、何んとなれば事相の髪を剃ると雖も未だ内心の髪を剃らず、内心の髪とは謗法の黒心也。是の故に却つて俗也。豊劣に非ず耶」(「法衣供養談義」富要三巻)
 ――他宗の僧は、当宗の俗(在家の信徒)に劣っている。なぜなら、格好は髪を剃ってはいるが、まだ内心の髪を剃っていない。内心の髪とは、謗法の黒い心である。このために、かえって俗である。ゆえに、正宗の信徒に劣っているではないか――。
 「当宗の俗は他宗の僧に勝れたり、何となれば事相の髪を剃らずと雖も已に内心の髪を剃る、法華経誹謗の黒心無きが故也、是の故に却て僧なり」(同前)
 ――正宗の信徒は、他宗の僧より、すぐれている。なぜなら格好は髪を剃ってはいないが、すでに内心の髪を剃っている。それは、法華経誹謗の黒い心がないからである。このために、俗でありながらかえって僧なのである――と。
 この日寛上人のご指南について、日達上人はこう述べられている。
 「皆様方は他宗の僧侶よりも、ずっと勝れておる。他宗の僧侶は皆法華経の信者より劣っておる。なんとなれば、髪を剃って行体を整えておるけれども、心が謗法である。黒心である。みんな法華経の信者は、たとえ姿は俗であっても、心が南無妙法蓮華経の法華経を信ずるが故に立派である。成仏の心をもっておる、故に、これは謗法の黒心をもっているところの僧よりも勝れておると、こうお説きになっております」
 「末法になれば、僧も俗も皆同じなんです。われわれが僧として威張っていることはない、皆さんだって俗として悲観することはない。僧も俗も一致、僧俗一致というのは、そこにあるんでありまして、先程の貴方方が他宗の僧侶より勝れておると仰せになっておる日寛上人、そのために自分はもう凡くらで困ると仰せになっているくらいでございます」(昭和三十八年七月。『日達上人全集』)
24  さらに日達上人は「今我々が妙法蓮華経をのちに伝える。その伝える人が僧である。我々はもちろん僧である。あなたがたも僧である。その内に入るわけなんだ。みんな法を伝えるんだから、法を伝えるという名義の上からは、僧俗というものを分けることができない。だから皆さまのこの集団を和合僧という。(中略)これを破壊する人は五逆罪の重罪である。悪人である。謗法者である。破和合僧といいまして。だから我々衣を着ているものは直接仏にお使いしておる。直接御本尊様にお使いしているけれども、そればかりではない。大きな意味から言えば、信者みんなともに僧であるということを忘れないでいただきたい」(昭和五十一年二月。同前)とも示されている。
 信徒の集団は「和合僧」であり、これを破壊するのは五逆罪であると、断言しておられる。(拍手)
 ともあれ、御本尊根本に、「みずからの信心」と「みずからの修行」によって仏になる。他の力によるというのは誤れる宗教の考え方である。私どもは、どこまでも、この「正しき信行」を貫いてまいりたい。(拍手)
25  梅雨に向かう時節でもある。自身のため、広布のために、いよいよ″健康第一″で、また心身ともに″若々しく″前進していただきたい。いやまして「希望の人」「勇気の人」「朗らかな人」に、と心から念願し、私のスピーチを結びたい。(拍手)
 なお今後は、ヨーロッパ訪問の予定が決まっている。今年はヨーロッパ広布三十周年。さまざまな記念行事が行われることになっており、各国のメンバーも心待ちにしてくださっている。
 私も、いよいよ、堂々たる世界広布の新たな歴史を開く決心でまいります(拍手)。どうか留守中は、秋谷会長を中心に、日本をよろしくお願いします。(創価国際友好会館)

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